中々、読者の皆さんに気付いてもらえるような小ネタを、分かり易く散りばめるのも大変なもので。私自身、かなり堅い性格の人間ですので、文章がこうして堅くなってしまうものです。相変わらず、ウマ娘というジャンルに対するこの文章の堅さとシリアスさ。何だか違和感の塊と、感じてしまう限りです。
では、どうぞ。
「…そのような反応をされるのは、分かります。ですが、一度私の話を聴いてもらえないでしょうか」
そんな事、出来る訳があるだろうか。ようやく待ち望んだトレーナーさんとの再会。それが、こんなにも予想を外した展開になって、挙句の果てにそのトレーナーさんは手足を手枷足枷を付けて拘束。こんな場でなかったら、私はどんな行動に出ていただろうか。
「…………らしく、ないな」
「ッ!?と、トレーナーさん!?」
私の腹の内が煮えくり返りそうになってきた時、その場の空気を破ったのは、まさかまさかのトレーナーさんだった。……久々にトレーナーさんの声を聞いたけれど、その声は以前のような優しさを帯びたものではなく、ガサガサとしたやさぐれたような声だった。…声だけ聞いたら、私はトレーナーさんとは思わなかったと思う。最早、別人の領域のソレだった。
ふと気になり、ブライアンの方を見てみる。……そこには、口をほんの少し開け、目を丸めている彼女の姿があった。ここまで、ブライアンが狼狽えている姿を晒しているのは初めてだ。……やはりブライアンも、私のように、彼の変化に理解が追い付いていないのだろう。恐らく。
「……コレは、
……あぁ、やっぱり。トレーナーさんは変わってしまった。前のトレーナーさんの面影は、すっかりドコカに身を潜めている。口調もさることながら、
気が付けば、担当医さんの姿は無く、その気配は、向かいの扉の奥にあった。有事にすぐ対応できるようにとった判断だろうか。……さっきの言葉と照らし合わせるに、本当にあの人が独断で手枷足枷を付けた訳では無いのだろう。…心の中で、私はゴメンなさいと呟く。
「……例の件が、お前達に伝わった事は…知っている。…だから……俺は、自身を縛り付ける事にした」
哀愁漂うトレーナーさんの一言一言と雰囲気に、先程まであんなに焦り散らかしていた私達は、トレーナーさんの言葉に聴き入っていた。
「…………俺は、トレーナーを…辞める事にした」
「…………え?」
「…………何だと?」
突如、予想だにしなかった言葉が、トレーナーさんの口から告げられる。…トレーナーを?辞める?……冗談か何かで、あって欲しかった。そんな思いは、トレーナーさんの表情を見とその瞬間から消え去っていった。……あんな悲しい表情を見てしまったら、その言葉が冗談ではない事が、嫌でも分かってしまうから。
「……ふざけるなよ?今のアンタは、逃げているようにしか見えない。私やフジは、ここまで立ち直った。前を向こうとしている。そんな一方で、アンタはトレーナーを降りる?……いい加減にしろッ!!」
ブライアンは、激昂した。……トレーナーさんがどんな心境でその結論に至ったのか、私達には真意までは分かりかねるところではある。…きっと、沢山考えて、沢山悩んでの結論なのだろう。……でも、私達から見たら、ソレはただの逃げにしか思えない。前を向こうとはしたのか、別の方法は無かったのか。聞きたい事は、山ほどある。
私は、一言。こう尋ねた。
「……夢、諦めるの?」
夢。トレーナーさんが、一番と言って良い程に口にしていた単語。きっと、トレーナーさんの人生は、夢で彩られていたのだろう。トレーナーを志すのにも、普通は夢を掲げるだろうけれど、トレーナーさんの夢に対する態度は、尋常ではなかった。きっと、夢に憧れて、夢に魅せられた人生だったのかもしれない。夢について語るトレーナーさんは、他の時よりも活き活きとしていたのを、覚えている。
夢の淘汰、夢を持つ事への覚悟、夢が齎す力……夢について教わった事は、下手をすればレースについての事よりも多く教えてもらったかもしれない。そんなトレーナーさんが、トレーナーを辞める。ソレは、トレーナーさんの中の夢が、異常をきたした事に他ならない……と、思う。
「……普通なら、どうにかして立ち上がれただろうさ。…だが、
自身の夢が、人に希望を与え、或いは、絶望を齎す。そんな都合のいい物語は、よく聞くだろう。けれどしかし、現実はそうではない。私達がレースに勝利した背景に、沢山の敗者がいる事が、私達にその事実を突き付ける。私は、勝ち続ける事が出来た。時に、小さな敗北はあったけれど。大きな舞台では、勝利を重ね続けた。トレーナーさんの場合、
勝ち続ける事で、自身へのプレッシャーは肥え、精神は追い込まれる。ソレは、勝利を重ねる度に増していく。「次も勝ってくれるだろう」「これなら無敗のまま突き進めるのではないのか?」等といった、ヒトが求める欲は、肥大を続ける。……敗北するまでは。
肥え切ったソレは、たった一つの心の下に崩れ落ちてくる。大きければ大きい程、耐える事はままならない。私が勝ち続けた事、周りが注目している時に限り、マイナス評価になるような事を殆ど為さなかった事。そして……トレーナーさんの、夢への執着心。コレらが揃ってしまい、こんな惨劇にまで至った、という事だと思う。今思えば、こうなるのは必然だったのかもしれない。……悲しい事ではあるけれど。
ただ、トレセンの辞職の仕組みは、他の場所とは少し異なっていた。それが、辞職するタイミングが限られている事。デビュー前に辞職といった場合よりも、デビューして本格的にレースに注力するといった場合が、辞職とウマ娘のレースとの釣り合いが悪い。今までそのトレーナーの指導の下で鍛錬を積んだウマ娘が、指令の中枢だったトレーナーを失う事は、心身共に影響が深い。新しいトレーナーについて、トレーニングについて、メンタルケアについて……例を挙げれば、キリがない。
「……今年の有馬で、俺はトレーナーを降りる」
「…………ッ」
声にならない声が、隣から聞こえる。…きっと、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべているに違いない。…彼女の表情を見なくても、ソレは分かる。何だかんだ、私以上にトレーナーさんに依存していた彼女からして、急に彼がいなくなる事を、心の底から受け入れられていないのだろう。
「…私は、アンタ以外を私のトレーナーとは認めない。……その有馬、私も出る」
「…………何?」
レースに出走可能な条件が他のレースよりも遥かに厳しく、その上出走する相手は、誰もが猛者。その年の最高峰が集うレースとも言われている。私も今年の有馬に出るつもりだ。……つまり、同じトレーナーのウマが闘う事になる。
…きっと、トレーナーさんが驚いている理由は、そこにはないのだろう。……彼女の表情だろうか。あの、最後の闘いに赴くような表情。有馬に出る、という言葉には、恐らくもう一つの意味がある。それは、トレーナーさんも、薄々勘付いている事だろう。
──アンタを、目覚めさせてやる。アンタのトレーナー人生を創り上げた、有馬のレースで。
その言葉は、確かに強い意志を、帯びていた。誰の言葉よりも、ずっと。
[隔離病室]
「………アイツらは、立ち直った…のか」
…柄にもなく、緊張した。ただ、アイツらと顔を合わせるだけだというのに。……いや、緊張じゃあないんだろう。コレは、
例の件で、俺の心は廃れきった。それこそ、こうして長期間のリハビリを行わなければならないまでに。…結局、俺の精神はほぼ変わらなかった。今までの自分では見えなかった景色が、広がっている。前から見ていた鮮やかな色のついた世界ではなく、どうしようもなく、穢れきった色をした世界が。生物の目は血のように紅く、ヒトが俺に対して伸ばす手は暗闇のように暗く、彩られていた景色は、白黒のモノトーンの世界に。眼の障がいが見つからなかったという担当医の話から推測するに、
……そう、分かっているのに。結局、俺は
「…散々、他人に色々説いてきておいて……」
今の俺は、夢を捨てた。僕から夢を取り除いた時、果たして何が残っていると言えるのだろうか。……答えは単純、
あれだけ夢を追いかけて大きくなった青年は、もういない。その成れの果ては、生きる理由も分からず、ただ彷徨うだけの屍。そんなヤツが、何かを教え説く?出来たもんじゃない。……そもそも、世間が存在を許さないだろう。
…夢は簡単に崩れるとは、よく言われる話だ。……こうして、自身がここまでの仕打ちを受け、身を以て知る事になる事を、誰が予想できようか。…何が、信じる者は救われる、だ。信じて、信じて。その結末が、見捨てられるだなんて。それなら、夢なんて、初めから見なかったとも。
「…………有馬、か」
……俺の、元バが言っていた事を、思い出す。……有馬記念。俺のトレーナーとしての始まりでもあり、俺の夢の始発点。まさか、夢の終着点が、夢の始発点になろうとは。数奇な運命も、あるものだ。
──夢を抱かせたあの舞台を思うだけで、ここまで胸が窮屈になる日が、来るなんてな。
はい、いかがだったでしょうか。
こうした心境に陥る人は、そう少なくないでしょう。私も、(時々ではありますが)このような心理状態になる事もあります。夢を掴む者もいれば、夢に叩きのめされる者もいるのです、この世界は。ワイワイとした日常のどこか遠くでは、このように苦しんでいる人も、今も尚いるのでしょうね。
では、ご精読ありがとうございました。