急な話ですが、今話をもってこの小説を完結とします。この後も続きはあるのですが、別シリーズの開始を検討しようと考えております故、一旦の区切りとします。新シリーズの投稿はしないとなりました時は、この小説の続きを投稿します。
再度申し上げますが、急な方針転換、誠に申し訳ありません。
では、どうぞ。
「…おい」
「……おめでとう、ブライアン」
レースが終わって少しの隙間時間。その時間を逃したら、もうコイツと顔を合わせられなくなりそうに感じた。…トレーナーに戻りたくないと言って、このレース場を去る可能性が、怖かった。が、その予想は杞憂に終わり、トレーナーは私の事を待っていた。……
「…アンタの憑き物は、取れたのか?」
「……正直、まだ悩んでいる所だ。確かに、お前の走りに、夢を魅せられた。あの頃の心を、少しだけ思い出せた。……ただ、どうしても躊躇していてな。あんな事もあったからか、どうも戻る事に酷い抵抗がある。戻ろうかと考えている時、俺の身体は無意識に震えている。頭も少しばかり痛くなる。…あと一歩が、どうにも踏み出せそうにない」
トレーナーの言葉には、形容し難い重さがあった。…死力を尽くして例えるなら、プレッシャーに近いモノ、だろうか。トレーナーも、フジも。…そして、私も。ソレを体験している。トレーナーは知っているか分からないが、私達が怪我を負った時、私達宛てに直接批判の声や手紙などが宛てられた。アレが、私達の心に全くの影響を及ぼさないかと言われれば、首を横に振る他ない。私達は学園の中でも、精神的には成熟しているように見られるかもしれないが、そんな事は無い。人間でいう思春期に相当する時期の学生である私達は、心の不安定さは相当だ。心無い批判の声は、心にクる。
…だからこそ、私は何も言えなかった。その痛みを、知っているから。
「…アンタは、夢を見れたんだろう?」
「…あぁ、それは間違いない。アレから、視界も良好になったしな。世界って、こんなに色があったんだな」
目の前の男の表情は、さながら何かを初めて見た少年のようなソレだった。大人相手にこんな事を思うのもどうかと思うが、愛しく感じてしまう。
「…私とフジは、もう一度戻ってきて欲しいと思ってる。リギルで過ごして、ソレを強く痛感した」
トレーナーが療養すると決まり、私達はトレーナーのツテでリギルに一時的に転属する事になった。確かに、トレーニングの質や実績、その他の点で優れているのは分かった。…が、私はリギルで過ごす毎日に、言いようにない違和感を覚えていた。…要は、そうじゃない、ってヤツだった。
……少し前までの私は、友情や心がレースに強い影響を及ぼすとは思っていなかった。だが、トレーナーがいなくなって。リギルで過ごして。ソレが意味あるモノだと知った。アンタが、私達に必要だと知った。……アンタがいないレース人生など、想像も出来ない程には。
「…私達には、アンタが必要だ。人の生き方を縛る事には随分悩んだ。…でも、それでもアンタには私達のトレーナーでいて欲しいと思った」
「私もブライアンと同じ気持ちだよ、トレーナーさん」
「……フジ」
トレーナーの奥からやってきて私の意見に便乗したフジ。その眼はいつもの様子とは違い、真剣そのものと言わんばかりのモノだった。
「私も、リギルで過ごしているうちに、トレーナーさんがどれだけ私達に影響してたかを知ったよ。…依存されてるって言われようが構わない。私は、アナタがトレーナーであって欲しい」
いつになく、真面目なフジ。その雰囲気にのまれそうな程に。…かかっているのか?だとしたら、構えておかないとならないが。
──角田さん!!
突如、誰かの声が響いた。
「角田さん!やっぱり納得できないです!」
息を切らしながらそう俺に訴えるのは、キタサンブラックだった。…ここに来ていたのか。というか、関係者以外立ち入り禁止だった気がするが……まさか、理事長か?たづなさん…ではないか。
というより、キタサンブラックも色々なレースを観に来るのか。当たり前と言えばそうなのだが、俺の中ではトウカイテイオーのレースしか観ないようなイメージしかなかったのだが、偏見だったか。本気で俺の担当バになる気なのかと、その姿勢から思い知らされる。眼も真剣だ。……俺を捕らえて離さないような雰囲気も出ているのが、少しばかり怖い所だが。
「……一応聞くが、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
「やよいさん?に許可してもらいました!」
やっぱり来てたのか……そして許可したのか、あの人。後で文句でも言いに行った方が良いだろうか。そんな思考を吹き飛ばさんとする勢いで、目の前の彼女は言葉を乱雑に放つ。
「あの時約束したじゃないですか!角田さんに答え合わせをしてもらいたくて!角田さんに私のトレーナーになってもらいたくて!ここまで頑張ってきたんです!それなのに……」
気迫ある言葉と表情は、時が経つにつれて消沈していく。あれ程鬼気迫っていた瞳は下を向き、どうしようも無くなった両手は、衣服をギュッと握っている。…皺でも出来んばかりに。
──トレーナーを降りるですって!?そんなの、この私達が許さないわ!
……おいおい、理事長。そろそろ本気で怒るぞ?どうしてまた、俺に関わりのある奴ばかり呼んで……
「私だって、君がいないとつまらない。君程論理的な人間を知らない以上、君がいなくなるのは困る」
…アグネスタキオンまで。お前が一番、ここに来ないイメージだったんだが。
「お、お兄様!ライスも……お兄様がいなくなるのは寂しいよ…」
……ライスシャワー。
「貴方が足掻く事を教えてくれたのでしょう!そんな貴方が!周りのせいで諦めてどうするの!!」
…キングヘイロー。
「……トレーナーさん。貴方は、こんなに慕われているんだよ。これだけ多くのウマ娘に。…多くの人に」
嫉妬しちゃうけど、と追加するフジ。そう言う彼女の表情は、大層穏やかな面持ちだった。さながら、子を見守る親のソレだったろう。…少しばかり、母さんを思い出してしまった。
「…アンタしかいないんだ。アンタが……私の隣にいないレース人生なんて、私はもう考えられない。それは、ここにいる奴等もきっとそうだ」
ブライアンの言葉に、全員が力強く頷く。そうだ、と言わんばかりに。
「……もう一度、夢を見ても……許されるのか…………?」
あの時を、想起する。ネットでは罵詈雑言が飛び交い、非難の電話や手紙が届き、挙句の果てには刺突される始末。そんな自分が夢を見、もう一度ターフの上で夢を見る事等、赦されないのではないかと。何度思った事か。何度葛藤した事か。……何度、ソレを想っていたか。
…すっかり臆病に成り果てた俺は、その罵詈雑言に恐怖した。その視線に恐怖した。…自身の非力さに、悲嘆した。己の手の大きさとは裏腹に、頼り甲斐の欠片も感じなかった。こんな青春真っ盛りの大事な命を、その花道を、背負えるだけの覚悟は…あの時に置き去りにしたままだった。……ソレを、今更拾いに行く事が、赦されるのだろうか。
「…お兄様」
思想の連鎖を断ち切ったのは、ライスシャワーの一言だった。…俺は、その時投げかけられた言葉を、一生涯忘れる事は出来ないだろう。
──夢を見るのは、誰にでも出来る事…だよ
──ハッと、頭の中の霧が晴れたようだった。
かつての自分がライスシャワーにかけた言葉。ソレは、夢を叶える覚悟について伝える旨のモノだった。何気なく、放っていた言葉だった。そんな言葉に、こうも救われる事になろうとは。…少し、情けないように感じるな。
「…トレーナーさん!?」
思わず、涙が溢れる。普段なら人前では泣く事などまずもって無いが、今はどうにも抑えられそうに無い。決壊したダムが如く、勝手に流れ出るソレ。そんな俺を見て、慌てふためいている者もいれば、驚いて動けていない者も。
……あぁ、こんな筈じゃあなかったのになぁ。もっと、未練なくこの世界の舞台を降りる筈だったのに。URAとの関係を断ち切って、新しい自分として暮らしていこうと思っていたのに。……蓋を開けたら、担当や関わってきたウマ娘に励まされて、ここまで涙を流す程には、未練タラタラだった。
…俺は、待っていたんだろうな。誰かがこうして、俺を励ましてくれる事を。俺をもう一度うURAに引き上げてくれる事を。
──俺を赦してくれる、誰かを──
「祝福ッ!チームトレーナー就任、大変喜ばしく思う!」
「一時期はどうなるかと思いましたけど、無事に戻ってきて下さって、安心してます」
「…その節は、迷惑を掛けました」
某日、理事長室にて。あの一悶着から月日は経ち、俺はある報告をしに理事長室に来ていた。
…そう、俺はチームを立ち上げる事にした。チームメンバーは、(今の所属は)四名。フジキセキ、ナリタブライアン、アグネスタキオン、キングヘイローである。ライスシャワーはトゥインクルシリーズを走り切ってから、俺のチームに移籍するとの事。キタサンブラックは来年入学する時にチームに入るらしい。
一応俺のチームは、俺かチームメンバーの推薦の下で試験をするといった、少々変わった制度を取る事にした。タキオンからの提案だったのだが…何でも、「無暗に入部を受け入れていては、トレーナー君の負担が増えかねないだろう?」らしい。まぁ、いきなり六人を担当として持つのは負担になるだろうし、理にかなっていたので、採用した次第だ。一応、入部条件を緩和するのかしないのか、緩和するにしても、いつのタイミングで緩和するのかについては、未だ議論中。
チームトレーナーになって、今報告に来ているのだが、練習自体はもう始めている。キングの適性や課題、トレーニング内容も決めた。タキオンのスケジュールとトレーニングの折り合いも決着がついている。結成当初は、割と個性派揃いの面々だった事もあり、本当に上手く回るのかと懸念していたが、始まってみればその懸念は、自然と杞憂に終わっていた。…嬉しい誤算ではあるのだが、少々驚きを隠せなかったのも、また事実。
「慰労ッ!これから忙しくなる時期だ!今日は早めに切り上げると良い!」
「是非、沖野さんや東条さんにも伝えてあげて下さいね」
「…お気遣い、痛み入ります」
報告を終え、俺は理事長室を後にする。向かう先はリギルとスピカが練習してるであろう練習場。そこに向かって歩を進める事にした。
俺がチームを結成した事はまだ公になっておらず、公表ももう少し先になる。…が、理事長に頼み込んで、仲の良い奴に自身から公表しても良いとされた。本当に、あの二人には頭が上がらないものだ。…今度、何かお詫びでも持っていった方が良いだろうか。
……それはさておき、アイツらにも多くの迷惑と心配をかけた。沖野も東条も中々個性派だが、俺に関しては当初も今も、クセの強い人間だ。そんな同期を見捨てずにここまで気にかけてくれた事には、感謝しかない。…それと同時に、少し驚いているのだが。
チーム結成が公になっていない今では、俺は今まで通りブライアンとフジのトレーナーという扱いになっている。…事情を知らないのもあるが、時折「チームを持てば良いのに」等と先輩後輩関係なしに言われる事が増えてきた。…どうしてだろうか。チームを持てと言われる事に直結する業績なんて収めていないと思うのだが。
「あっ…お兄様!」
「…ん、ライスか」
廊下を歩いていると、ライスとばったり会った。教科書を抱えているところを見る辺り、図書館で勉強をするのだろうか。時間は終業を超えているので、移動教室ではないのは確かだが。
あれからライスのレース成績は伸びているらしく、白星を挙げているとの事。そのおかげか、最近では前以上に非難の声もすっかり身を潜めていた。今では非難の声を捜す方が難しい、等と報道される程に落ち着いていた。俺の話題も相乗したのだろうか。…なかなかどうして、皮肉なものだ。
ライスとそのトレーナーが移籍について話し合いをした時、アイツはまさかの快諾。(何故か知らんが)その現場に居合わせていた俺とライスは、その当時開いた口が塞がらなかった事を、今でも昨日の事のように覚えている。かなり衝撃的だった。かなり渋るものだとばかり思っていたから。アイツ曰く、「アンタといたいって言うなら、私は何も言わないよ。ライスがそうしたいなら、それで良いのよ」との事。ライスの事を第一に考えていると強く認識したものの、アイツはこれからどうするのか等、心配の種が尽きそうにない。
「ライス、この前のレースもちゃんと勝ったよ!」
「…あぁ、見ていた。頑張ったな」
勝ったと報告するその姿は、まるで学校であった事を一つ一つ報告する小学一年生のようだった。…親の気持ちが、一早く理解できたような気がする。
勿論、勝利を重ねた事も嬉しい。…が、俺はそれ以上に
「まだ気を抜くなよ、URAファイナルも先に控えているんだろう?」
「うん!…お兄様も、来てくれる?」
「予定がどうなるかが分からんが、余程の事が無い限り行くさ」
「……!ライス、頑張るね!!」
表情が一層元気さを帯びたところで、俺達は別れる。レース場に向かうべく、歩を進めねば。
「テイオー!今のカーブの曲がり方は無理矢理過ぎる!いくら脚の融通が利きやすいからって、そんなやり方を続けるな!!」
今の時間は…スピカの練習時間だったか。リギルはトレーナー室にいるのだろう。レース場では、沖野が直々に檄を入れてコーチングしていた。注意されていたトウカイテイオーを見やる。…確かに、無理な曲がり方だ。トウカイテイオーだからこそ形を大して崩さず曲がり切れているが、あれでは余計な脚への負担が加算されるだろうな。…と言っても、傍から見ればごく僅かな見てくれの違いしかなく、ソレをそつなく見破るアイツは、やはり天性の観察眼と洞察力だ。敵ながら天晴れ、とでも言ったものか。
「順調そうじゃあないか」
「!角田!」
声を張っているので、少し大きめの声量で声をかける。その声に気付いた沖野は、俺と同じく大きくした声で返事を返す。…相ッ変わらずのオーバーリアクションだ事で。
「わざわざ俺のところに来るなんて珍しいな?何か急用でもあるのか?」
「急用って程じゃあない。…そうだな、報告する事が出来た、ってところだな」
「……報告?」
…もう、かつての俺はいない。だが、夢を見る俺は、ここにいる。これからの俺の道は、茨の道だろう。数多の罵倒や嫉妬、醜い執念に包囲されるかもしれない。また多くの挫折を味わう事になるだろう。……でも、それでも。
──俺のチームに、勝って見せろよ?
後のURAで語られた話の一つに、こんなものがある。
そのチームは、最凶だった。皆が皆、恐れを知らない。勝利を信じてやまない。ゴールした時のその速さは、文字通りの異次元だった。皇帝でさえ、最速の機能美でさえ、帝王でさえ、敵う事はなかったと言われる。その者らがターフを踏む時、既に勝敗は決しているのだ。
そのチームのトレーナーは、努力家だった。天性のナニカを持ち合わせた訳でもなく、特別良い境遇下にいた訳でもない。ただ、努力を続けた。常人であれば血反吐を、弱音を吐くであろう努力を、してみせた。かつての批判を抹消する勢いで、努力と勝利を重ねた。人は彼を、
「超えてみせろ」と、「譲れないモノがあるならば、立ち上がれ」と、「知れ、現実はお伽話の様に、蜜の様に甘い事は無いと」と、彼は言った。事実、ターフでは一人の勝者と、数多の敗者が生まれる。
その事実から目を逸らす者に勝利は無いと、彼は言う。夢を見るならば、それ以上の現実を眼にするのだ。
──そのチームの名は、ゲンマ。かつて欠けた器の名を冠して。彼らは今日も、ターフを支配する。
はい、いかがだったでしょうか。
色々と詰め込んだ結果、今まで以上に長くなってしまいました。個人的には、もっと綺麗に収まる予定だったのですが。次回この小説を投稿する際は、新章に突入します。チーム編、とでも言えば良いのでしょうか。絶対的な王者の、成り上がりの物語。お楽しみに。次回の投稿の際、お知らせをする予定はありませんので、悪しからず。
では、ご精読ありがとうございました。