栄華、栄華。
それはまさしく栄華。
極道にとっての栄華がそこにあった。
戦後闇市、経済の隆盛、そして地上げ。
全てが全て──間違いなく、極道にとっての
「──貴様らの時代は終わらせる」
スーツを纏い。
一人の男が、歩いていく。
「それが──私にとっての、たった一つの”贖罪”になるであろうから......な」
男の名は、
国会議員である。
彼は四年前に娘を。そして十年前には妻を。それぞれ亡くしている。
否。
殺されている。
”極道”によって。
彼は孤児院で育った。
第二次大戦後。焼け野原になった東京の中、戦災で親を喪った子供たちを受け入れる為の施設。彼もまた、戦争で両親を失っていた。
──孤独の中にいる子供たちに、せめて
そう言っていた彼の父親は、とても穏やかな男であった。
穏やかで、優しく、時に厳しく。
たとえ血が繋がっていなくとも──本当の父親だと。そう思って生きてきた。
その孤児院は長年の経営により古ぼけていた為、いつかここを立て直したいと。そう思っていた。
しかし。
──孤児院の経営権が、地上げによって奪われてしまった。
地上げしたのは、極道であった。
彼等は院長が病気で入院している隙に孤児の子どもたちを人質に、経営権を奪取した。
その後の顛末は、あまりに悲惨なものであった。
子どもたちの多くがその後”養子縁組”の名の下、極道の世界へ連れていかれた。極道として生きるか。もしくは
守るべき子供を守れなかった院長は、謝罪の言葉を一つ残し自殺した。
それから──士野塚にとって生きる目的が一つ生まれた。
極道を、滅ぼす。
その為に生きていくのだと。
彼はその為の手段として、政治を選んだ。
極道が己の暴力によってその栄華を恣にするのならば。
こちらは権力を武器に、連中を滅ぼし尽くす。
──政治家にとっての権力とは、極道にとっての
その道は、血濡れの屍で出来ていた。
反極道を貫き生きてきた中。同じ志を持つ者が何人も出来た。
殺された。
何人も。何人も。
それでも士野塚はその歩みを止めなかった。止められなかった。
何度も暗殺されかけた。
家だって、もう何度も燃やされてきた。
妻もまた、同じく極道に家族を殺された人間であった。
連れ去られ
そして、四年前もまた。
自らの手を離れた己の娘が極道に連れ去られて──
「....」
今自らが立っている場所は、幾人もの屍によって出来ている。
父親の屍を踏みしめ歩き始めたその道の中。その足跡は何処までも生々しい血肉だけが残された。
引き返す事は出来ない。
自らもまた、この道の一つになるのだろう。そして、誰かがまた、自らの血肉を踏みしめてこの道を行くのだ。
だが。
ようやく──この道に、一つ光を差せるかもしれない。
”暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律”
後に暴対法と呼ばれる事になるこの法律によって──極道は大打撃を受ける事となる。
※
幾年にもわたって高騰し続けた日本の土地価格が、滝の如く下落した。
不動産融資への総量規制と、金融引き締めを端とした土地価格の下落は──日本経済をどん底に叩き落した。
それは、大量の不動産を地上げにより抱えていた極道もまた地獄に落とされる結果を運び込んだ。
そして。
極道の力が一気に低下したその間隙をつき──密やかに新たな法律案が出される。
”暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律”
略して、暴対法。
それは大規模化した極道組織を国家公安委員会により”指定暴力団”に指定し、その行動に大きな制限をかける内容であった。極道の
経済の落ち込みによって打撃を受けた極道に対し、更に追い込みをかける内容の法律。
それが──近々、施行されるという。
「へ。──
男が一人。
ニ、と笑みを浮かべ──そう言った。
背丈は小さいが、身に覆った筋肉の隆起で全く貧弱さを感じない男。
皺の寄った顔面に白髪。だがその顔面は何処までも不敵な笑みが張り付いており──豪放さと渋さの両輪がそこに在る。そんな男が。
その眼前には。遥かな巨躯を持つ少年が一人。
「──そんなに、ヤベェことになってるんですか? 竹本の
「おゥ。──まあまだお前には難しい話かもしれねぇなァ、恒星。──まあ、なんとかなるさ」
なんとかなるさ。
その言葉に、虚勢の色は一切ない。
竹本──。そう言われた男は、口に含んだ煙草の煙を吐き出す。
「お前は聞いたことあるか? 極道のよぉ。
「御伽噺....」
「そう。極道の天敵──忍者。奴等を
その時、俺はまだ
「東京大空襲──。
だからよ、と竹本は言う。
「
笑う。
笑って、竹本は窓の外を眺める。
昼のその街は、何処までも寂れていた。
道端に吐かれたゲロが風に揺れている。派手めなスーツを着た強面の男たちが肩を押し出すように歩き、集合住宅に入ってドアを蹴り怒号を上げていて。蹴り倒されて身ぐるみ剥がされた一般人《パンピー》が陥没した顔面を晒してそこらに転がっていて。
そんな街だ。
だが──そんな街だからこそ、美しい。愛おしい。
ここには極道が溢れていて。
汚濁の水に息づく魚のような──そんな風情が、ここにはあって。
歌舞伎町。
総ての極道にとっての──故郷。
竹本は、故郷を想っていた。
この故郷が愛おしく、故にその表情は何処までも穏やか。緑色の光景にせせらぐ水音が染むように、この寂れた故郷が生み出す音を感じていた。
そして。
その穏やかさを纏いながら、
「──いっちょ殺すぜ。国会議員❤」
そう、言った。
※
「──悪業を打ち克つ事こそ、人の強さ。この璃刃壊左、
銀座、喫茶でいびす。
一人の老爺が、そうぽつり呟いた。
しっとりとした白髪がさらり流れ、チェーン付きのモノクル眼鏡を付けたその老爺は実に気品があった。蓄えた口ひげも綺麗に整えられており、若かりし頃は美男子であったろう事は想像に難くない。
彼は──喫茶に備え付けられたテレビから流れるニュースに、目を細めていた。
「──暴対法。この法律が施行されれば、如何に極道とて打撃を受けざるを得ないでしょう」
「.....」
老爺の腰を落とす座席の向かい。テーブルを挟んだそこには、一人の女性がいた。
「これで──極道全体の力が更に弱まりましょう。復活の
「そうですね、壊爺」
紫のタートルネックのセーターを着た彼女──死乃原兎裳孤は、マグカップを両手で握り、静かに珈琲を啜っていた。
その表情に、感情の出力はない。
「──この五十年。極道をのさばらせていた時代は、じき終わる。ようやくですね」
「ええ。ようやく」
不景気に加え、暴対法による諸々の影響を受け。
今まで社会に巣くい、その姿を巧妙に隠していた極道の
忍者の数もそろいつつあり──まさに、復活の為の舞台が、着々と出来上がりつつある。
「貴女様にとっても、より格別な事でしょう。──貴女の
「......ええ」
テレビで会見をする一人の男。
その男の姿を──死乃原兎裳孤はジッと眺めていた。
士野塚国尾──。
己の目的の為に──全てを捨てた男の姿が、そこにあった。
「──貴女は、彼の事が憎いと。そう四年前に仰っておりました」
「.....」
「今は、どうですかな」
問いかけの後。
彼女は、静かに珈琲を喉に送り込む。
苦い。
されどその苦味の奥に──スッと全体に行き渡る温かみがそこに在って。
「──どうでしょうね」
と。
そう呟いていた。
※
士野塚国尾は、十年前に妻を亡くした時。
己を恥じた。
極道を相手取るに辺り──自らの弱みになりえる家族を抱えてしまった事を。
だから。
彼は妻が極道に殺されたその瞬間──自身の唯一の家族を、自ら切り離した。
己の、一人娘。
当時まだ小学生だった彼女を、密やかに信頼できる友人の養子として送った。
これで。
己の弱みは、存在しない。
──そう思っていた。
そう思っていた事そのものが、更なる甘さであると。その事実に気づかぬまま──。
極道の情報網は本物だった。
彼等は士野塚の血縁を調べ上げ、娘を養子に送ったことを知るや否や──即座にこう考えた。
この議員がわざわざ友人に娘を送ったという事は──この娘は弱みで間違いない、と。
そう考えた極道の動きは実に迅速なものであった。
その友人家族を皆殺しにしたうえで──娘を人質にとり、議員辞職を迫った。
彼は暴対法関連法案作成の中心的人物であり、彼が辞めさえすれば法案の施行は遅れる。
何より、ひたすら極道を潰すために行動していたこの男が
士野塚の決定は──。
娘を見捨てる事であった。
極道のいう事。決して聞かぬ。
彼の不退転の決意であった──。
※
「──壊爺」
「何ですかな、兎裳孤嬢」
ふと。
死乃原兎裳孤の脳内に、疑問が浮かび上がった。
「どうしてあの時──私を
その当時。忍者はまだ潜伏中であり、極道に見つかる訳にはいかなかった。
だからこそ──たかだか国会議員の一人娘でしかなかった自分を、都合よく助けることが出来たのか。
死乃原兎裳孤は、養父と養母が殺され、実の父親からも見捨てられた。
きっと、恥辱と苦痛の果てに惨めに殺されるのだろう。そういう諦めと共にいた。
その時──己が身を救ったのは、眼前の男であった。
「.....」
壊左は一つ息を吐き。
「それは──”長”の意思でありました」
「長の?」
「ええ。──そもそも疑問に思った事はありませんか? 極道にあれだけ狙われて尚、何故士野塚国尾殿が、ここまで生きてこれたか──」
それは長によるものなのです、と。
壊左は言う。
「彼が作り上げようとしていた暴対法。それは忍者にとって重要なターニングポイントになるであろうと、そう長は判断しておりました。それ故に──長の異能、”全姿全能”の力をもって、彼の行動から先回りし、予め彼を暗殺から守る行動していたのです」
「.....」
成程、と死乃原は呟く。
「彼の奥方が極道に殺された事で──彼の精神は完成した。そして、更に貴女を見捨てるという行為をもってして、彼は不退転の覚悟を決めた。全てを斬り捨てた果て。士野塚国尾は──極道を滅ぼすための、最高の武器の一つとなったのです」
「そして.....元から特異体質を持っていた私に目を付けていた長にとって、私が忍者になる覚悟を持つきっけかにもなるタイミングだった。だからあのタイミング。あの瞬間に──壊爺は私を助けにきたのですね」
そうか、と死乃原は呟いた。
「斬り捨てたのは──あの人ではなく。
静かに呟いたその言葉に。
壊左は──物憂げに目を細め、静かに珈琲を口に付けた。
カラン、という玄関口の音だけが縁取る、静寂がそこにあった――。