ベルトレ短編
それは、本当に偶然だった。
昨日のミーティング後、トレーナー室に忘れ物をしてしまった事実に気づいたのが深夜帯。
目立たない場所に置いていたため、トレーナーも気づかなかったのか彼からの連絡は来ていない。
別段、すぐに必要となる物でも、見られて困る物でもない。どの道週明けには確実にトレーナー室を訪れる事になるので、わざわざ取りに行かなくても問題ない。
・・・・・・そこまでの結論が脳内で出ていたにも関わらず、翌朝、アタシの脚はトレーナー室へと向かっていた。
先に言わせてもらう。
決して、決して休日の朝から彼に会いたかったとか、彼の顔が見たかったからとかそういう理由ではない。断じて。
そう、これは『見張り』のためだ。
トレーナーは、翌日が休みの日は深夜遅くまで仕事を続ける傾向にある。もはや有名となった明かりの消えないトレーナー棟。その説に、彼も一役買っている。
中央トレセン学園のトレーナーは、優秀な人ぞろい。そんな人たちでも就業時間を大幅にオーバーしなければならないほどの激務なのだ。
いくら若い彼でも、無理が祟れば必ずどこかで爆発する。
・・・・・・だから、今日は無理をしていないかどうかを確かめに行くだけ。そのついでで忘れ物を取りに行くだけ。
もう一度言う。彼と会うための大義名分を得るためでは決してない。
「・・・・・・トレーナー、入るわよ」
ノックをし、トレーナー室のドアに手をかける。何の抵抗も無しに開いたドアが、彼が室内にいる事を示していた。
その事実を認識した心に飛来したのは、喜び半分と心配半分。
喜びに関しては、彼と会え・・・・・・う、ううん、もう言わない。
心配に関しては、悪い予想が当たったということ。
「・・・・・・トレーナー」
部屋に入り、もう一度彼を呼ぶ。しかし、その返答はない。
部屋の奥、日当たりの良い場所に設置された執務用の机と椅子。朝の陽気に照らされながら彼・・・・・・トレーナーが机に突っ伏していた。
静かに、静かに彼に近づく。昨日と全く同じ服装であることが、彼がトレーナー寮に帰らずに徹夜していた事を暗示していた。
すぐ横まで来た所で、ゆっくりと屈む。
「すぅ・・・・・・すぅ・・・・・・」
規則正しい呼吸。腕を枕にして夢の世界にいる彼の横顔を、じっと見つめる。
彼が起きているときは絶対に出来ない、至近距離での観察。
小動物みたいだと、他のウマ娘からの人気が非常に高い彼。ましてや、無防備な寝顔となるともう・・・・・・
(・・・・・・可愛いな)
口に出さず、心の中で感想を呟く。
担当ウマ娘だけにだけ許された特権を嚙み締めつつ、彼への視線は外さない。
既に来た(名目上の)目的である忘れ物の回収すら頭の中から放り出して、じっと見つめ続ける。
それはつまり、彼の周りに鎮座するたくさんの書類も同時に視認する訳で。
(・・・・・・こんなに、たくさん)
形成される複数の資料の束。その山の頂点にある数枚を見ただけでも、どのようなものなのか、把握できる。
2カ月後に出走予定の重賞レース。トレーナーはその日のために、今の時期からありとあらゆるデータをかき集めている。
出走予定である、対戦相手のウマ娘のデータ。過去の同レースのデータ。
いくら時間があろうと、アタシでは到底正確に、精密に分析できない情報の暴力。彼はそのデータの海に潜り、アタシを勝利に導いてくれる。
別に気を抜いても、サボってもいいのに。
(少しくらい、休んでよ。バカ・・・・・・)
机に体を預ける彼に向って、口に出さない言葉を届ける。
休みの日くらい、アタシのことなんか考えなくてもいいのに。アンタの好きなことをしてくれればいいのに。
こんなにも尽くされている所を見せつけられると・・・・・・
(・・・・・・本気に、しちゃうじゃない。勘違い、しちゃうじゃない)
無意識に、自身の胸に手を添える。
少し早くなった心拍数に気づかないふりをして、ブンブンと顔を振る。
彼の仕事が終わったのかどうかは、この状況からは分からない。でも、休むならせめてちゃんとした場所で休んでほしい。
ウマ娘の力があれば彼一人抱えるのは簡単だけど、寝た時と起きた時で場所が変わっていたら彼も困惑するだろう。
申し訳ないと思いつつ、一旦彼を起こす選択肢をアタシは取った。
「トレーナー。起きて」
彼の華奢な肩に触れ、優しく揺する。
「・・・・・・(ムクッ)」
ゆっくりと、彼が顔を上げる。やや長い髪が顔にかかり、その横顔を遮った。
しかし、すぐに声の発生源であるアタシの方に顔を向けてきた。
それを認識しつつ、トレーナーに声を・・・・・・
「おはようトレーナー。悪いけど、せめて仮眠室まで・・・・・・」
「・・・・・・何?(ギロッ)」
「・・・・・・ぇ?」
アタシの声が、不自然に途切れた。
目の前には、寝起きのトレーナー。一目でわかる、非常に機嫌のわるそうな顔。
その鋭い目が、まっすぐにアタシを射貫いていた。
(えっ・・・・・・あっ・・・・・・!)
声が、出せない。
普段の優しい表情ではない。中性的な顔からでもはっきりと分かる、男の人の、強い目つき。
今更になって、トレーナーが寝起きが悪いことを自虐的に話していた記憶が蘇る。
心拍数が急激に上がる。トクン、トクンと、一大レースのラストスパート時にも勝る勢いで暴れ回る。
横を向くだけで逃れられるのに、金縛りにあったかのように顔を動かせない。その視線に、その顔に、されるがままになってしまいそうで。
刹那すら永遠に感じられた時間。しかし、その終わりは唐突に訪れた。
「・・・・・・?・・・・・・あっ!?ど、ドーベルさん!?」
意識が完全に覚醒した彼が、慌てて声を出した。同時に、アタシを襲っていた金縛りも解ける。
「・・・・・・っ!!」
弾かれる様に踵を返し、トレーナー室から飛び出した。
背後から聞こえた「ごめんなさい!」という彼の言葉を聞きつつも、脚は止まらなかった。
一直線に寮に戻ったアタシは、そのままベットにダイブした。
タイキはレースを間近に控えている事もあって、朝練に出ている。一人きりの部屋の中で、ようやく長い息を吐き出す。
数度深呼吸を繰り返し、ようやく思考が僅かに落ち着いた。しかし、身体に生じた熱は全く収まる様子を見せない。
(びっくりした・・・!びっくりした・・・!!)
両手で、自身の身体を抱きしめるように抱え込む。毛布にくるまり目を閉じるが、その程度であの『目』を忘れることは出来ない。
あの、こちらを真っすぐに射貫かんとする鋭い・・・・・・
「っっ~~~~~~!!」
意識した鮮明に思い出してしまい。訳もなくベットをのたうち回る。
いつも優しいトレーナー。アタシの事を配慮して接してくれるトレーナー。
そんな彼の、初めて知った顔。本来であれば、怖いと感じるはずの男性の表情。
・・・・・・でも、今のアタシが感じているのは、恐怖ではなかった。
キュウゥゥゥゥゥ、と心臓が締め付けられる。
苦しくて、辛くて、そしてそれ以上に・・・・・・。
「あぁ・・・・・・」
熱のこもった息を吐き出す。そうでもしないと、身体が変になってしまいそうで。
その日は一日中、彼の目が頭から離れなかった。
あとがき設定
【トレーナー】
今回はドーベルよりもやや身長低め(重要)。
後日ドーベルに謝罪をし、怖い思いをさせてしまったと距離を置こうとするも、何故か以前よりも距離を詰めてくるドーベルに困惑している。
【メジロドーベル】
もう一度あの目で睨まれたいと、休日早朝に頻繁にトレーナー室を訪れるようになる。