私だけのトレーナー   作:青い隕石

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誰だよ3話で収まるとか言ったやつ。

4話構成になりましたが、同時投稿したのでセーフでは?

・・・・・・あ、駄目ですか。はい、ゴルシの所行ってきます。


地上に輝く一等星(3)

 翌日朝、私は小さなアラーム音で目を覚ました。

 

 月曜ではあるが学園自体が休校日のこの日、同室の相手を起こさないように素早くアラームを止める。

 

 昨夜、帰ってこない私を心配して寮長に連絡を入れたのもこの子だった。もしその行動がなかったら、私は朝方まであの場に突っ立ってたかもしれない。

 

 部屋に戻った時、就寝しているこの子を起こさないように心の中で礼を言い、私も休んだ。後で改まってお礼をしなければいけない。

 

 静かにジャージ姿に着替え、部屋を出る。今までレース翌日は休養日に充てていたため、少しだけ億劫な気持ちがある。それでも寮長が直々に招待してくれたのだ、行かないという選択肢はない。

 

 うん、と一つ背伸びをする。外に出ると、昨晩まで降っていた雨が止み、太陽の輝きが地を照らしていた。

 

 ターフの状態はお察しだろうが、雨さえ降っていなければ最低限の運動はできる。流石に昨日の今日で重い運動をする気には私もなれなかったが、軽い練習をするだけならほとんど問題はない。

 

 軽くストレッチをした後、目的の場所を目指して歩き出す。この時間帯でも、まばらながらジャージ姿のウマ娘とすれ違うことがあった。今から練習に取り組む準備をする者もいれば、既に汗をかいている者もいた。

 

 皆、目標に向かって必死なのだ。

 

 (私は・・・・・・)

 

 昨日のレースが頭によぎり、慌てて首を振った。

 

 落ち込む前に答えを、そうでなくても手掛かりを見つけなければならない。

 

 栗東寮から歩いて5分、第一練習場にたどり着く。入る前から大きな掛け声が私の所まで聞こえてきた。一番大きく設備も充実している練習場ということもあって、ウマ娘たちからの人気も高い。休日の朝からこれほど賑わっているということが、その裏付けとなっている。

 

 ランニングをしているもの、坂路を駆け上がっているもの、ウォームアップで体をほぐしているもの、様々なウマ娘がいた。

 

 そんな広い運動場の一角に、大人数でまとまっている集団があった。オペラオーもいる。間違いない、寮長が言っていたチームだ。

 

 自分も今のうちに輪に加わるべきか迷ったが、肝心の寮長の姿が見えなかった。もしかすればまだ話が伝わっていない可能性もあると思い、結果二の足を踏む形で遠くから集団を見ているという構図になった。

 

 オペラオーの姿を見て、少しだけ心が沈む。昨日のレース、1着で駆け抜けた彼女が眩しく見えてしまった。

 

 普段は高笑いをやめない彼女だが、今は遠目からでも分かるほど、真剣な表情をしている。昨日の結果に驕ることなく、次の目標に向かって取り組む目だ。

 

 彼女を始め、集まっているウマ娘たちは皆中心に居る人物・・・男性のトレーナーの話に耳を傾けていた。真剣に彼の話を聞いている。

 

 その中に、若干背の高い人物が見えた。男性トレーナーの近くにおり、メモを取りながら聞き入っている。目を凝らして確認すると、その人物にはウマ耳がなかった。いや、それどころか女性でもない。

 

 少し近づくと、輪郭がより鮮明になる。その姿は、自分の見知った人だった。 

 

 

 

「・・・・・・え?・・・・・・トレーナー?」

 

 

 

 練習が始まり、チーム所属のウマ娘たちが一斉に動いている。私はその様子を物影から見守っていた。

 

最初のストレッチ、ランニングが終わった後は個人や少人数で本日の項目に取り組んでいる。

 

 おかしな所があった者には、すかさずチームトレーナーからの檄が飛んだ。

 

 練習内容が厳しいことで有名なチーム。当然ながらお互いの合意によって契約は結ばれるため、今この場にいるのは厳しいことを承知で在籍している者たちばかりになる。

 

 そんなチームトレーナーの隣で練習風景を見ながら、時折質問をしながらメモを取っている私のトレーナー。

 

 その目はいつものトレーニング時、私の動きを見ている時と同じくらい真剣なものに見えた。

 

 トレーナーが普段どんなことをしていたのか、全く知らなかった。自分のことで手一杯で、他にまで気を回す余裕がなかった。

 

 ・・・トレーニング開始して40分ほどたっただろうか、私のトレーナーがお礼を言ったのだろうか、頭を下げてその場を後にしていた。

 

 彼の視線が動いた気がして体を物陰に隠したが杞憂だったようで、小走りに練習場を後にしていった。

 

 「あんな姿を見たのは初めてかな?」

 

 「わっ!?」

 

 突如、すぐ後ろから声がかけられた。びくっとして振り向くと昨日ぶりの寮長、フジキセキ先輩の姿があった。気配をまるで感じなかった。

 

 くすくすと笑みを浮かべているあたり、わざと隠していたのだろう。 

 

 「・・・寮長」

 

 「ははは、ごめんごめん。あまりにも真剣に見ているようだったから、ついね。」

 

 変わらない笑みを浮かべた後、私が先程まで見ていた・・・私のトレーナーがいた場所に視線を向けた。

 

 「・・・・・・半年ほど前かな。いつも通りの休日練習中、突然新人君がやってきたんだ。練習方法を学ばせてくださいってね」

 

 寮長は懐かしむように微笑む。半年ほど前といえば昨年末よりもさらに前だ。その時期から?

 

 「最初は門前払いだったよ。『わざわざ敵に塩を送るやつがあるかっ!!』ってトレーナー怒っちゃってさ。それなのに毎週毎週頭を下げて頼み込んできたんだよ。彼はいつも言ってた。自分が不甲斐ないせいで、彼女の力になってあげることが出来ない。彼女のトレーナーにふさわしい人物になりたいってね」

 

 「・・・・・・それで今は」

 

 「ああ、2か月近く経った頃かな。とうとう私のチームトレーナーが折れて、練習内容を伝授するようになったよ。彼が帰った後、私のトレーナーは頭を抱えながらも笑ってたよ。『あんな毎回頼み込まれちゃうるさくて敵わねえ。まだ若いってのに大したもんだ。』ってね。あんな表情、初めて見たさ」

 

 それにね、と彼女は付け加える。

 

 「栗東寮の寮長という立場上、私が一番遅くまで門前に立っているんだけどね。遠くに見えるトレーナー棟の一室、いつも同じ部屋が夜遅くまで明かりがついているんだ。毎日毎日遅くまで。・・・・・・ふふ、大人げないけど妬いてしまったよ。そんなにトレーナーに思われるウマ娘は幸せ者だなって」

 

 私を見ながらの発言。その笑顔の裏に少し、ほんの少しだけ嫉妬の色が隠れていた。その部屋のトレーナーが誰なのか。担当のウマ娘が誰なのか。公言せずとも読み取れた。

 

 正直、今のようなフジキセキ寮長の表情は初めて見た。笑顔を絶やさず、みんなから頼られる存在。それゆえ、負の感情を簡単に表に出すような方ではない。裏を返せば、それだけの感情を寮長が抱いたということになる。

 

  「一度、頼ってみたらどうかな?人に助けを求められるというのも、立派な能力の一つだよ」

 

 それじゃあね、ポニーちゃん。と言い、寮長がチームメンバーのもとへ近づいていった。練習には誘われなかった。思い返すと確かに昨日、寮長は見に来てほしいとは言ったが参加してほしいとまでは口にしていなかった。この光景を私に見せたかったのだろう。 

 

 「助けを求める、か・・・」

 

 ぽつんと1人残された私。先程言われた言葉を、自分でも口にする。

 

 ・・・・・・悩んだ私は、その場でスマホを取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、授業が終わり第4運動場に来た。

 

 今までと変わらない行動。しかし一つ、違うところがある。本日、私の頭の中に練習プランはない。

 

 『分かった!レースがあったし今日はゆっくり休んでね。明日の練習から取り組んでいこう!』

 

 トレーナーから届いたメッセージだ。私は昨日、ミーティングを無断で休んだことに対する謝罪とともに、明日からはトレーナーの指示に従って練習をするという旨の文章を送った。

 

 そこから1分も経たないうちに送られてきたのが上記の文章である。

 

 敗北をしたことで目標が無くなってしまい、何を目指した練習内容にすればよいか、分からなくなってしまったという気持ちもある。

 

 結局自分で作成する気力が沸かなかったため、1度トレーナーの組んだメニューを見てみようと決めた。

 

 ・・・・・・そういえば、彼の資料にしっかりと目を通したのは何ヶ月前ほどになるのだろうか?

 

 「ベガ~・・・」

 

 そんな事を考えていると、トレーナーの声が聞こえた。まだ遠くにいるからだろうか、その声はいつもより少し弱く感じた。

 

 顔を上げると、小走りで駆け寄ってくる彼を見て・・・・・・反射的に体が動いた。

 

 「ちょっとトレーナー!?大丈夫なの!?」

 

 慌てて駆け寄り、トレーナーの身体に手を添える。こちらに近寄ってくる彼が見るからにフラフラだったのだ。

 

 トレーナーを支えながら表情を伺うと、目元にひどいクマが出来ていた。こちらに向けた視点も定まっていない。

 

 それでも、資料を持つ手には力が籠っていた。

 

 「ははは・・・初めて頼られた事で少し張り切っちゃってね」

 

 「トレーナー、昨日から睡眠取ったの?」

 

 「・・・まあ、一日くらいは大丈夫だよ、うん」

 

 「全然大丈夫じゃないわよ!?」

 

 無理やりにも笑みを見せる彼を抱きかかえる。普段滅多に大声を出さない私が、どうして彼の状態を見て動揺してしまったのか、分からなかった。

 

 「練習中に倒れられたら迷惑よ。トレーナー室と保健室、どっちに連れていけば・・・トレーナー室ね、分かったわ」

 

 小声でトレーナ室と呟いたのを聞き、歩を進める。最初こそ肩を貸したが、大丈夫だという言葉を信じて横に並んで歩く。

 

 1年間で数えるほどしか来ていなかったトレーナー室。本来であれば練習後にミーティング、打ち合わせを行う場所。前に来たのは年を跨ぐより前だったか。

 

 歩き慣れていない道。横目で見ると、ふらつきながらも歩くトレーナーの姿。彼の歩行速度に合わせて私も歩を進める。

 

 「トレーナー、着いたわよ」

 

 「・・・・・・ああ、ありがとう。・・・・・・えっと」

 

 まぶたが重いのか、半目になりながら部屋に入り、机に向かうトレーナー。流石に椅子での休息は、と思っていたら、何やら探しものをしているようだった。

 

 紙束を持っていない手で、机の引き出しを開ける。三段目に入っていたらしく、漁って取り出したその手には小さな物体が握られていた。機械に明るくない私でも知っている物、USBメモリだった。

 

 そのまま紙束と合わせて私に差し出してくる。

 

 「・・・これ、今日の練習内容をまとめた資料。USBには簡単にまとめたデータとか入っているから。・・・・・・後で見てほしいな」

 

 「後でって・・・私、パソコン持ってないのだけど」

 

 「そうなの?あ~・・・・・・じゃあ、僕のパソコン空いてる時使っていいよ。パスワードは・・・・・・はいこれ。ゴメン、ちょっと自分でも何言ってるか怪しくなってきたから・・・・・・」

 

 「分かった、分かったから早く休んで」

 

 メモ用紙にパスワードを書き、渡してくれた所で限界が来たようだ。頭に手をやり、部屋の隅にある仮眠用ベットに腰掛け、そのまま倒れ込む。

 

 1分もしないうちに彼の寝息が聞こえてきた。流石に倒れ込んだ状態のままでは寝苦しいと思い、足を持ち上げて全身をベットの上に載せて布団をかけた。

 

 動かす最中、また起きてしまうのではと思ったが、余程疲れていたのか最後まで瞼は開かなかった。 

 

 (どうしてここまで・・・・・・)

 

 机の上に寄せた資料とUSBに目を移す。徹夜の原因は、十中八九これらだろう。何故ここまで彼が頑張ったのか、理解できなかった。1年間、私は彼と会話らしい会話もしてこなかったのに・・・。

 

 スッキリしない気持ちのまま、パソコンを立ち上げる。余り使い慣れていないキーボードの操作に手間取りながら、パスワードを打ち込んだ。

 

 そのままUSBを差そうとして、デスクトップ画面を見て手が止まった。

 

 視界に飛び込んできたのは、私の名前がつけられたフォルダ。気になりクリックしてみると、その中でまた月ごとに区分けされていた。

 

 マウスを操作し、先月のフォルダを開いてみる。その中には日付が付けられた資料が保管されていた。1日の漏れもなく、3月すべての日、31日分がある。タイトルには日付の後に『トレーニング資料』と明記されていた。

 

 (私に毎日渡していた資料・・・?)

 

 試しに一つを開いてみる。昨年末辺りからは内容を精査せずに突き返していたトレーニング内容表。そのデータが画面上に映し出された。

 

 今までだったら時間の無駄だと判断し、読むこともしなかったもの。それを私は何気なしに目を通した。

 

 読み進めて、

 

 読み進めて、

 

 「・・・・・・え」

 

 と、声が漏れた。

 中身は皐月賞へ向けてのトレーニングが細かく記されている。私の現在の実力やそれに沿った練習項目、現状の課題などが綴られていた。

 

 私も今まで自分で練習内容を考案、作成していた。だからこそ、読み終えた時点ではっきり分かった。分かってしまった。

 

 トレーナーが作成した資料が、私のそれより『遥かに完成度が高いこと』が。

 

 「何、これ・・・・・・」

 

 つぶやきが漏れるが、それに返答する声はない。見間違いかと思い、もう一度読み直しても結果は変わらなかった。

 単に時間を掛けたから、というわけではない。確かにトレーナーは私よりも内容の考案、推敲に使用できる時間は多い。しかし、これはそんな次元ではない。

 

 トレーナーとしての知識量。力量。判然たる差がなければ、これだけの違いは生まれない。

 

 私の課題、現状の欠点が記載された場所を読みすすめると、私自身把握していなかった弱点や癖に至るまで事細かに記されており、その改善方法についても具体的に明記されていた。その数は、1つや2つではない。

 

 思考がおぼつかないまま、別の日に作成された資料も開いていく。そのどれもが最初に見たものと遜色ない出来栄えのものだった。少なくとも、私が1日で作成できるような代物ではない。

 

 読み進めるほどに理解できてしまう。この練習方法が、私にとって最善のものであると。現状の私に最適な方法だと。

 

 「嘘でしょ?・・・・・・だって去年は」

 

 呆然としたまま、昨年上半期の資料データを開く。見覚えのある、お世辞にも良い出来とは言えないトレーニング資料が保存されていた。間違いない、当時のトレーナーは私と大差ない能力しかなかった。

 

 そこから月ごとに区分されたフォルダを開き、照らし合わせる。

 

 ・・・・・・少しずつ、少しずつではあるがその指示内容が詳細に、具体的になっているのが伝わってきた。

 

 年末には初期に比べ、別人が作成したのではないかと思うほどの完成度となっていた。年明け以降は、私が考案したものなんか比較対象にするのも恥ずかしいほどの出来栄えとなっていた。

 

 何故気付かなかったのか?そんなの私が一番良く知っている。

 

 彼が作成した資料を、ろくに読みもせず突き返したのは誰だ。

 

 私の勝利のためにまとめてくれたデータを、見ようともしなかったのは誰だ。

 

 彼の努力の成果に気づけなかったのは誰だ。

 

 「あっ・・・・・・」

 

 再び声が漏れる。体が震え、両手を机に当てて何とか体を支えた。

 

 『お互いがお互いを信頼しあうことが何よりも大切なのだよ!』

 

 『君はもう少し周りを見たほうがいい』

 

 『遠くに見えるトレーナー棟の一室、いつも同じ部屋が夜遅くまで明かりがついているんだ』

 

 『もっと君のトレーナーの意見を聞いてみたらどうかな?あんなに素晴らしいトレーナーはいないよ』

 

 今まで言われてきた言葉が、初めて私に届いた。

 

 周りは彼のことを見ていた。昨年会ってから今まで、一番近い位置にいながら何も見てこなかった私と違って。

 

 『ベガ!今日のトレーニング内容だけど・・・』

 

 『ベガ、来週のレースだけど、相手のウマ娘について気になることが・・・』

 

 今まで彼がずっと私を見てくれていた事に気づいた。

 

 それに対して、私は何をしていた?「私の事は私が一番良く分かっている」だって?

 

 「・・・・・・は、ははは・・・・・・」

 

 自身のトレーナーから指示を十全に受け、信頼と結果で応えたオペラオーが頭に浮かぶ。ああ・・・・・・これでは、負けて当然だった。

 

 仮眠用ベットで寝ている彼に目を移す。眠りは深いようで、目覚める兆候が感じられない。

 

 震える手で、そっと彼の目元に触れる。

 

 たった一日の徹夜だけで、ここまでひどいクマが出来るのだろうか?日々の書類作業に加え、毎日あれだけ精査したトレーニング資料を作成して、まともな睡眠時間を取れるのだろうか?

 

 ・・・・・・一昨日、皐月賞に出走する前の控室、彼はどんな顔をしていた?健康な顔だった?今みたいな酷いクマができていた?

 

 覚えていない。思い出せるはずがない。だって私は今まで、『トレーナーの事を見ていなかった』のだから。

 

 ぽた、と彼の顔に雫が落ちた。止めようとしてもそれは二滴、三滴と続いていった。

  

 

 

 「ごめん、なさい・・・・・・ごめんなさいっ・・・・・・」

 

 

 

 届かない言葉が、私の口から漏れ出た。何度も、何度も。

 

 後悔が止めどなく押し寄せてくる。せき止められなくなった言葉が、涙が溢れ出す。

 

 初めて正面から見たトレーナーの素顔。しかし彼は眠っており、目を合わせることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 どれほど時間が経っただろうか。

 

 未だ、流れ続けている涙を手で拭う。もう一つの手は、今日彼から渡された資料を握っていた。

 

 空を見ると、まだ明るい。遅くなったとは言え、練習時間は十分に残っている。

 

 トレーナーが作成してくれた練習資料。今日の分の内容は全て覚えた。

 

 トレーナーはまだ目覚めていない。きっと夜遅くまで、もしかすれば日付が変わるまで眠り続けるかもしれない。その休息の邪魔をしてはいけない。

 

 「トレーナー・・・・・・明日、また来ます。その時、謝らせて下さい」

 

 もう、全てが遅い。1年間私がしてきた仕打ちは、いくら頭を下げた所で許してもらえないだろう。

 

 それでもけじめはつけたかった。ここで過去と決別しなければ、前に進めない気がするから。

 

 書き置きを残し、静かに部屋を出る。

 

 三冠という目標を見失った。夜空は雲に覆われ、あなたの輝きも見ることが出来なかった。

 

 それでも、1ヶ月後の日本ダービーは待ってくれない。時間は等しく、平等に流れる。

 

 ・・・・・・トレーナーが作成してくれたトレーニング資料。この内容に従えば、見失った道が再び見えてくるような気がした。

 

 そのためには、まず今日という日を無駄にしてはいけない。

 

 「・・・・・・よし」

 

 早足で練習場に向かう。

 

 雲の切れ間から差し込む日の光を浴びながら私は一つ、気合を入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ありがとうございます、フジ先輩。我儘を聞いていただいて」

 

 練習が終わり、寮に戻る途中。目的の人物を見つけたボクは、彼女の傍に行って頭を下げた。

 

 練習中は時間が取れずに出来なかったお礼をようやく言うことが出来た。

 

 先程まで走っていたためだろう、微かに息を弾ませていた先輩は私に視線を向け、笑顔を見せる。

 

 「礼には及ばないよ。でも、良かったのかい?」

 

 「・・・・・・はい、ダービーでは本気のアヤベさ・・・アドマイヤベガと戦いたいので。全力でない相手から取った1着など、嬉しくありませんから。それに、昨年までは私が勝手に教わっていたりしてましたからね。これで貸し借り0です」

 

 「そうか。・・・・・・ふふ、君もそういう真っ直ぐな所、トレーナーに似てきたね」

 

 朗らかに笑うフジキセキ先輩。それを見てボクも笑みがこぼれた。

 

 改めて、思うことがある。先日の皐月賞ははっきり言って手応えを感じなかった。

 世間では、飛ぶ鳥を落とす勢いだったアヤベさんに初めて土をつけたことで、ボクの評価が一気に上がったと聞いている。

 それに関しては素直に嬉しさを覚える。GⅠでの勝利だ、覇王へ至る道の第一歩を踏み出せたことを喜ばないはずがない。

 

 ・・・・・・相手全員が全力を出し切っていたらの話だが。

 

 あのレース、アヤベさんは本気だったことは確かだ。それでも、全力かどうかと言われたら断言できない。

 

 レース後に彼女と会話をした時、息絶え絶えだったボクと違ってほとんど息が乱れていなかった。

 

 ボクの奇襲作戦に対応できず、ラストスパートを掛ける場所を見誤ったのだろう。作戦勝ちと言われればそれまでだ。

 

 それでも、思う。相手の全力を受け止め、それに打ち勝って勝利を手にすることこそが覇王たるゆえんではないのかと。

 

 『地上の一等星』アドマイヤベガ。まだボクは彼女みたいな二つ名で世間からは呼ばれていない。覇王も自分で勝手に名付けているだけの称号だ。

 

 それでも、今回の勝利で多少なりとも知名度は上がった。次のレースで全力を出した彼女を上回れば、その時こそ・・・・・・

 

 「アドマイヤベガには負けませんよ」

 

 しっかりとフジ先輩を見据えて宣言する。

 

 舞台は整っている。次戦はGⅠレース、日本ダービー。三冠へ至る大きな一戦であり、決定的に今回と違うことが一つある。

 

 走行距離2400m。

 

 今回より400m長い距離であり、実質長距離レースのようなものだ。距離が長くなれば長くなるほど、あの末脚はより驚異となる。だからこそ、そこから掴む勝利には意味がある。

 

 勝つ自信も、それを裏付ける実力もある。そう断言できるだけのトレーニングを積んできた自負もある。力強い言葉と共に、言い切った。

 

 「日本ダービーの主役は、このボクです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一日が経ったトレーナー室。

 

 本来であればトレーニングが始まる時間、体調が回復したトレーナーに事前に話したいことがあると伝え、この場所で待ってもらっていた。

 

 「いや、もうほんと大丈夫だって!何にも気にしてないし!」

 

 「いえ、本当に・・・・・・本当にそんな言葉で済ませていいものではないので」

 

 「いやいやいや取り合えず顔を上げてベガ!」

 

 トレーナーからの必死の声が聞こえる。それでも私は今取っている体勢を崩さなかった。

 

 床に膝をつけ、そのまま額を倒して手も床に添える。一般的には『土下座』といわれている体勢である。

 

 トレーナー室に入り彼の姿を確認して1秒、私は扉を閉めてその場で土下座をした。

 

 私の奇行に慌てて席を立って私の近くに来たトレーナーにぽつぽつと、今までの謝罪を行う。

 

 

 

 トレーナーの意見を聞かないで練習をしていたこと。

 

 レース本番でも自分一人で勝手に作戦を立てていたこと。

 

 トレーナーの頑張りを見ようともせず、一人で戦っていたこと。

 

 

 

・・・・・・冷静に考えると、いや冷静に考えなくてもよく契約解除されなかったなと思う。今までしてきた事を考えると、10数回は契約を切られていても不思議ではない。

 

 この行為が意味のないことだというのは分かっている。これだけの仕打ちをしてきた私の謝罪など、受け取りたくもないだろう。謝られても、迷惑なだけだ。

 

 それでも私は、頭を下げた。心に決めた、ケジメのため。そして最後に付け加えた。

 

 「今までの私の行動は目に余るという次元を超えています。トレーナーが望むなら、契約解除をして下さい」

 

 と言った。

 

 トレーナーが私の肩に触れ、状態を起こそうとしているが、力の差は歴然であり私の体勢はびくともしない。何度も起こそうと奮闘していたが無理だと悟ったのか今度は言葉で上げさせようとしてきた。

 

 「いやほら、契約自体はベガが最初に言ってたじゃない。私を納得させられなければ、どんな指示も受け取らないって。今は多少マシになったけど、昨年はそれこそベガのほうが詳しいんじゃないかって思うくらい僕が酷かったからね。」

 

 あはは、と声を出すトレーナー。きっと今は苦笑いの表情を浮かべているのだろう。

 

 「それにさ、あの選抜レースで一目見てベガの走りに惚れたんだ。初めて担当を持つという期待と不安。それがゴチャ混ぜになりながら見たのが君のレースなんだ。今では流星と言われている君の末脚。初めてみた瞬間、『この走りを誰よりも傍で見たい。毎回1着を取らせてあげたい。』ってね」

 

 それにさ、と幾分落ち着いた声が降ってくる。

 

 「本来だったら、1着を取ったベガだもん。逆立ちしても僕の担当にはならなかったと思う。ベガがあの条件を出してくれたからこそ、新人の僕が担当になれた訳で・・・・・・だからまあ、感謝こそすれ恨むことなんてしないよ。ベガ」

 

 だからほら、顔を上げてよ。と優しい声で私に語りかける。

 

 ・・・・・・恐る恐る顔を上げると、声の通り頬を掻きながらも穏やかな表情を浮かべているトレーナーがいた。しゃがむ体勢で、私の目線の高さに合わせて会話をしてくれている。 

 

 「良かった、やっと目が合ったね」

 

 至近距離でニコッと微笑まれて無性に恥ずかしくなり、慌てて立ち上がろうとする。しかし先程までの体勢を急に解いたせいか、バランスを崩してしまい後ろに尻もちをついてしまった。・・・・・・スカートじゃなくてジャージを着ていて良かった。

 

 こんな情けない姿を見せたのも初めてかもしれない。そう思いつつも再び謝ろうとしたが、今度こそトレーナーに止められた。

 

 「ベガ」

 

 彼は笑顔のまま、右手を差し出してきた。

 

 ・・・・・・本当にいいのかと思ってしまう。トレーナーさんの表情から、そこに嘘偽りは感じられない。きっと本心から言葉が紡がれたのだと感じる。

 

 「・・・・・・トレーナーはいいの、ですか?」

 

 「敬語じゃなくてもいいよ」

 

 「・・・・・・いいの?私は目標を失った。これから何をすれば良いのかも分からないの」

 

 「だったら、僕が短期間ながら道を示すよ。そこからまた、新たな目標、目的を見つければいい」

 

 だから、ダメかな?と少し不安そうにつぶやくトレーナー。

 

 ・・・・・・ここまでしてくれた上、今も私のことを見捨てない彼。私は、私がしてきたことが許せない。それでも、トレーナーが許してくれるというのなら、彼の願いのために動きたいと思った。

 

 『この走りを誰よりも傍で見たい。毎回1着を取らせてあげたい』というのが彼の願いなら、私はそれを叶えたい。

 

 これを目標と言えるのかどうかは分からない。それでも今は、すがりたい。

 

 私は気づいたら、彼の手を取っていた。

 

 「よろしくお願い。トレーナー」

 

 あの日以降1人で生きてきた私は今日、トレーナーの手を借りて立ち上がった。




(追記)
誤字報告をいただき、修正をしました。
知らせていただきありがとうございます。
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