私だけのトレーナー   作:青い隕石

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遅くなりまして申し訳ございません。

以前投稿しました同名タイトルの後編執筆に手間取り、カフェ短編から半年ほど手が離れてしまいました。

以前投稿した前編を削除し、前後編を1話にまとめて再投稿します。後半かなり駆け足です。




最高の1杯を、貴方に

 

 ~始まりの一杯は、爽やかに~ 

 

 

 夏という季節は、幾分に厄介なものである。

 

 晴天の日は、何物にも遮られない日光が容赦なく私達に降り注ぎ、十分に蓄えていたはずの体力を容赦なく奪っていく。

 

 かといって、雨の日なら涼しくなるかといえばそんなことはなく、不愉快と感じるほどにまで上がった湿度が鬱陶しく体に纏わり付く。

 

 どちらかと言えば、トレーニングが始まる夕方前には幾分勢いが収まっている晴れの日の方がマシか。とはいえ、実際に体感をすれば『暑苦しいので雨が降ってほしい』と考えてしまうので両者の差は殆どないと言っていい。

 

 ・・・・・・そもそも、どんな天候であってもこの季節自体があまり好ましくないのだから五十歩百歩となるのは仕方ない。

 

 身体を動かせばものの数分で汗が吹き出る。無理をすれば、たちまち熱中症に掛かり保健室へ送還される。

 

 今年の夏は例年より涼しいとはいえ、あくまで夏同士を比較した場合。快適からは程遠い環境に、億劫な気分になってしまう。

 

 それでも、課されたトレーニングメニューはしっかりと行う。

 

 「・・・・・・ふぅ」

 

 長距離を走りきり、口から漏れるのは熱い吐息。

 

 べったりと付く汗が、走ってきた距離を物語る。ベンチに置いていたスポーツドリンクを一口飲み、脈打っていた心臓がようやく少し落ち着いた。

 

 運動場には、まだまだ大勢のウマ娘とトレーナーがいる。その風景を横目に見つつ、呼吸が落ち着いた所で歩き出す。

 

 トレーナーからの助言やアドバイスはない。そもそも、今自分のトレーナーは不在なのだから。

 

 トレーナーに急な会議参加の連絡が来たのが、トレーニング直前のこと。あまりに突然のことだったので、彼は鳩が豆鉄砲を受けた時のような表情をしていた。

 

 普段、並大抵の霊障では動じなくなったトレーナーの珍しい表情に、思わず笑みを浮かべてしまった。

 

 「ごめんカフェ、取り敢えず今日の計画表は置いていくから。この暑さだし、少しでも不調を感じたらそこで切り上げてね」

 

 早口で内容を伝えてくれた彼が慌ただしく校舎方向に駆けていったのが2時間近く前。計画表に書かれていたメニューを全て終えた私は、帰寮の準備に移る。

 

 追加で練習をしたいところではあるが、元々丈夫とは言えない身体。トレーナーの指示無しで取り組み、加減を間違えて倒れてしまおうものなら周りへ多大な迷惑をかけてしまう。

 

 そもそも、時期的にそこまで追い込みを掛ける必要はない。目標レースが先週終わったばかりで、しばらくは調整期間に入るからである。

 

 運動場から学生寮まではそう遠くない。物思いに耽る内に、顔を上げれば見知った建物。まだトレーニング中のウマ娘が多いためか、喧騒の少ない廊下を静かに歩く。

 

 人付き合いは、良い方ではないと自覚している。レースに出場する目的が他のウマ娘から見れば奇怪なものであり、それを隠そうともしていないのだから当然だとは思う。

 

 それでも、入学当初に比べれば友人は増えた。少々、いやかなり、友人と呼ぶことに抵抗のあるウマ娘が約1名いるが、それはまあいいだろう。

 

 シャワーで汗を落とし、制服に着替えてから食堂で夕食を取る。

 

 ・・・・・・一連の行動が、無意識の内に早足となっている事には気づいている。それでも、止めようとはしない。楽しみを我慢できる性格ではないのだから。

 

 食堂から出た時には、夕日が落ちきって辺りが薄い藍色に染まっていた。この時間帯になっても、顔に当たる風は暖かい。この浮ついている気持ちごと、身体がふわふわと飛んでいきそうになる。

 

 見えない糸に引かれるようにしてたどり着いたのは、トレーナー棟の一室。手慣れた形でノックをすると、すぐに入室の許可が返ってきた。

 

 「・・・・・・失礼します」

 

 扉を開けると、部屋の主が椅子から立ち上がり、笑顔で迎え入れてくれた。

 

 「カフェ、練習お疲れ様。ごめん、今日は見ることが出来なくて・・・・・・」

 

 「・・・・・・トレーナーさんのせいでは、ありません」

 

 謝罪をする彼の言葉を遮るように、口にする。前々から入っていた予定を今になって思い出しました、ならまだしも、あんな急に予定が入ってしまっては対応できる人はいないだろう。

 

 何にも悪くない彼に頭を下げさせるわけにはいかないし、こんな事で時間を使いたくはない。

 

 本日、このトレーナー室に来たのは、ミーティングのためではない。そもそもトレーニングの打ち合わせがあるのなら、シャワーはともかくその後に夕食を取るような悠長なことはしない。

 

 ちょうど一段落がついていたのか、うーんと背伸びをする彼を見ながら、私は部屋に備え付けられていた小型の冷蔵庫を開ける。殺風景な中身の中、一つだけ鎮座する大型の魔法瓶を取り出した。掴んだ手の平から、ひんやりとした冷たさが広がっていく。

 

 本日のトレーニングを始める前に、お邪魔して入れておいたもの。中央のテーブルに置いて蓋を開けると、真っ黒な液体が目に映った。同時に、落ち着く香りが漂ってくる。

 

 気づけば、既にトレーナーさんが氷入りのグラスを用意してくれていた。今では、言葉を交わさなくとも自然にお互いが準備を進める。置かれた2つのグラスに、真っ黒な液体・・・・・・コーヒーを静かに流し込む。

 

 早朝、フレンチプレスまで焙煎を行い、淹れた水出しコーヒー。時間こそかかるものの、必要な工程が少なく安定した味になりやすいため、日程の詰まっている平日には重宝する方法である。

 

 「ほらカフェ、座って」

 

 用意が終わった所で、トレーナーさんから声がかかる。彼は一見落ち着いているようで、口端にかすかに浮かぶ笑みを隠しきれていない。

 

 その光景に思わず笑みを浮かべそうになりつつも、言葉に従ってソファに腰を下ろす。

 

 二人きりの部屋に流れる、静かな時間。時間は誰にでも、平等に刻まれていく。その限りある時の中で、私は彼と一緒にいる時間を選ぶ。

 

 ゆったりと流れる空気。今日はお茶菓子も用意しない、純粋にコーヒーのみを味わうつもりでいる。 

 

 落ち着いた所で、どちらからともなくグラスを手に取る。彼は片手で、私は両手で。音を立てずにお互いに一口。口に入った瞬間、風が吹き抜けるのを感じた。

 

 コロンビア産とモカ産を中心にブレンドした一杯。爽やかで飲みやすく、いくらでも口にしたくなる味。

 

 「おっ」

 

 と微かに聞こえてきた声。顔を上げれば、トレーナーさんが驚いたような表情でコーヒーを見つめている。 

 

 いつも美味しそうに飲んでくれるトレーナーさん。彼がかなりのコーヒー好きだと知った時は、心の中で歓喜の声を上げてしまった。

 

 口下手な事もあって、トレーニングの内容以外では会話が途切れてしまうことが多々あった。もっと話したい。それでも、続かない。静寂の時間は好きだけれど、貴方と話す時間も好き。

 

 でも、コーヒーの話題であればいくらでも話せる。会話が止むこと無く続いていき、今ではトレーニング後、私の淹れたコーヒーを一緒に飲むようになった。

 

 月に何回かの楽しみ。それを心待ちにしているのは、私だけでなく彼もそうみたいで。コーヒーを飲む前に浮かべる笑みを見るだけで、自分までも嬉しくなってしまう。

 

 「カフェ」

 

 「・・・・・・はい」 

 

 「ようやく・・・・・・いや、ここからだね。改めてになるけど、デビュー戦勝利、おめでとう」

 

 トレーナーさんの笑顔を見て、私も笑う。

 

 ふと窓を見ると、星が顔を出す時間帯。いくつもの輝きが、道標となるように、私達を照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~憂慮の一杯は、ビターな味~

 

 

 女心と秋の空、とは言うが、涼しさと寒さを掛け持つ秋という季節において、急な天候の移り変わりは少々辟易する。

 

 練習開始前は地表を照らしていた太陽であったが、今日は少し恥ずかしがり屋みたいで30分もしない内に雲の影に隠れてしまった。辺りが暗くなってから雨が大地を濡らすまで、それほど時間はかからなかった。

 

 運動場でトレーニングに勤しんでいた大勢のウマ娘も、今は全員引き上げているだろう。

だろう、というのは実際に自分が確認したわけではないためである。

 

 本日、私はトレーナーさんと共に、一足早く運動場を去っていた。おかげで雨には濡れることはなかったけれど、足取りは重かった。私も、そして恐らくトレーナーさんも。まるで、ぬかるみにハマったかのように、底なし沼に沈んでいくように。

 

 コポコポ、と液体が沸騰する音が聞こえる。同時に機械的な通知音。

 

 「カフェは座ってて。あまり脚を動かさないようにしてね」

 

 「・・・・・・ありがとうございます」

 

 立とうとした所を、やんわりとトレーナーさんに止められた。・・・・・・どんな時でも、トレーナーさんは優しい。トレーニング中でも、それ以外でも、私を気遣ってくれるのが伝わってくる。

 

 家族以外に、ここまで親身になってもらえた人は初めてだ。

 

 分かっている。トレーナーさんが優しくしてくれる理由の大部分は、仕事だから。日々の生活がかかっているのだから、担当バに真摯に接するのは当たり前のことなのだろう。

 

 (・・・・・・それでも)

 

 沸騰したお湯を、ケトルに移し替える彼を見ながら、私は机の上を見る。先程まで置かれていた治療道具一式は既に片付けられていた。代わりに置かれているのは、私がここ、トーレナー室に新たに置いている道具一式。

 

 ペーパーフィルターを折りたたみ、ドリッパーに敷き詰める。その中に、今朝挽いた粉状のコーヒー豆を入れる。

 

 「カフェ」

 

 コト、と横に置かれるケトル。移し替えたことで若干温度が下がったお湯が、静かに湯気を立てていた。

 

 コーヒーを淹れるのは、私の役目。

 

 毎回私が淹れていると、偶にトレーナーさんも好奇心が掻き立てられるようになったのか、「自分もやってみていい?」と聞いてきたことがあったのだけれど、きっぱりと断った。

 

 いつもお世話になっているのだから、これくらいは恩返ししたいという気持ちで言ったのだけれど、少々誤解をされたのか断られた彼はしょんぼりとした表情になった。

 

 慌てて釈明をして事なきを得たのだが・・・・・・あの時のトレーナーさんの表情、正直に言うと、とても可愛かった。

 

 ずっと前に似たようなことを言った時、「ちょっとカフェ、僕は男だよ!」と拗ねてしまったので一度きりの表情となったわけだけど・・・・・・また、見たいと思ってしまう私がいる。

 

 勿論、そんな事はできない。あの時は、最初ということもあってトレーナーさんも拗ねるだけで許してくれたけど、再び口にしたら嫌がられるかもしれない。

 

 私の『普通』を、ありのままを受け入れてくれた人。だからこそ、嫌な思いはなるべくさせたくない。

 

 ケトルを持ち、ドリッパーの上で傾ける。円を描くようにお湯を静かに注いでいく。元々強かった香りが、一段と鼻孔を刺激する。

 

 ドリッパー内の嵩が減ってきたら、再びお湯を淹れる作業。私も、彼も無言。ドリッパーから垂れたコーヒーが、サーバーに溜まっていく。

 

 ポタポタ、と聞こえる音はコーヒーが垂れる音か。或いは、未だ振り続ける空からの恵みか。

 

 二人分の量が溜まった所で、ドリッパーを外してサーバーを手に持つ。

 

 軽く揺らすと、漂ってくる濃い香り。トレーナーさんと私のマグカップに、同じ量を分け合う。

 

 いつもはワクワクとした顔をするトレーナーさん。でも、今日は喜びの表情を表に出していない。

 

 部屋を漂う重く、どんよりとした空気。理由は分かる。だって、原因が私にあるのだから。

 

 どちらからともなく、コーヒーを口に運ぶ。

 

 (んっ・・・・・・)

 

 濃い香りを裏切らない、はっきりと感じる苦味。キリマンジャロ産のコーヒー豆を中心としたブレンドは、時間が経っても色褪せない印象を舌に残す。

 

 飲むペースは、トレーナーさんのほうが早い。自分は急ぐとお腹を壊してしまうためちびちびと飲み勧めているのに対して、彼は既に半分ほど飲んでいる。

 

 (おいしかったのでしょうか・・・・・・?)

 

 と、いつもなら彼の反応を楽しみに観察している時間。しかし、今はそんな気分になれない。

 

 お互い、コーヒを口にして一息ついたタイミング。先に口を開いたのは、トレーナーさんだった。

 

 「いつもと変わった感じはない?」

 

 なるべくさり気なく、こちらに不安な思いをさせないような声。心地の良い音が耳をくすぐる。

 

 「・・・・・・はい、大丈夫です」

 

 視線を落とし、ぎゅっと短パンの裾を握る。視界に移るのは、右足先がやや膨らんだ黒色のソックス。少しだけ透けている足先を見ると、親指にガーゼが巻かれているのが確認できる。

 

 先程まで、トレーナーさんに治療を受けていた証。

 

 私達がひと足早く引き上げてきた理由がこれである。模擬レース終了後に痛みを感じ、確認した所爪が割れていたのだ。

 

 生まれつき、爪が薄い私。『あの影に追いつきたい』と大層な目標を掲げる割にはレースは勿論トレーニングすらままならない状態だった。トレーナーさんのサポートがなければ、そもそもトレーナーさんに出会ってなければ今頃どうなっていたか・・・・・・考えるだけでも恐ろしい。

 

 ただ、それでも0にはならなかった。直近だと先月に一度、そして今回。空気が乾燥する今後は更に増える可能性も十分にある。

 

 「・・・・・・カフェ」

 

 「謝らないで」

 

 彼なら、頭を下げようとする。予想通り、その兆しが見えた瞬間言葉を遮った。

 

 「・・・・・・トレーナーさん。私は、トゥインクルシリーズに挑戦できる事自体が、奇跡的なことなんです。トレーナーさんと出会えたから、この程度のアクシデントで済んでいるんです」

 

 「カフェ・・・・・・」

 

 「・・・・・・トレーナーさんが悪いだなんて、誰にも・・・・・・トレーナーさん自身にも、言わせません」

 

 慰めではない。お世辞でもない。純然たる事実をトレーナーさんに伝える。

 

 デビュー戦後はOP戦1度、GⅢ戦に1度出走し、いずれも入賞を果たしている。特にジュニア級ながら重賞レースであと一歩の所まで健闘できた事で、期待のウマ娘という評判まで貰っている。

 

 ただ1人で、届くかも分からない影を追いかけていた1年前とは、何もかもが違う状況。

これで、彼に問題があるだなんて、誰にも言わせない。

 

 「・・・・・・ありがとう」

 

 「・・・・・・いえ」

 

 短い、けれどお互い見つめ合ったままの感謝の言葉。少しだけ笑顔を見せた彼を見て、私も静かに息を吐いた。

 

 コーヒーを少しだけ口にする。今は、この無視できない強い苦味が、心地いい。

 

 気づけば、トレーナーさんは既に一杯飲み干していた。私も彼も、相手のペースに合わせて飲まない事を話し合いで決めている。

 

 一番大事なのは、飲む人がコーヒーを味わって楽しむこと。下手に相手を気遣わないことが、逆に気遣いとなる。

 

 「ごちそうさま。今日も美味しかったよ、カフェ」

 

 「・・・・・・お粗末様です」

 

 返事をし、マグカップを傾ける。ちびちびと飲むふりをして、顔を隠す。

 

 毎回、飲み終わった後に笑顔で言ってくれる一言。その一言が、未だに慣れない。何でもない言葉のはずなのに、妙にむず痒くなる。

 

 トレーナーさんは飲み終わったコップを片付けて、資料をトレーナー机から持ってきた。今日の模擬レースのデータ、それを元に構築する今後のトレーニング内容・・・・・・決めなければ行けない事が、たくさんある。

 

 それでも、やらなければいけない。

 

 年末にはホープフルSへの出走が決まっている。同年代が相手とはいえ、初めてのG1。遠い影に追いつくために、ここで止まるわけにはいかない。

 

 クラシック級になれば、クラシック三冠は勿論、既に大活躍をしている先輩方と対戦する機会だってある。

 

 クラシック級での出走権はまだ未定。それでも、掴み取ってみせる。

 

 飲みかけのマグカップを一旦置き、広げられた資料を見る。

 

 ・・・・・・1人で決めるのではなく、2人で。

 

 同じ目標を持って、同じ方向を向いて。本日の結果を見ながら、私はこれから立て続けに訪れる大一番に向けての想いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~王者の一杯は、孤高の味~

 

 春の陽気が、うつらうつらと。

 

 寒さが和らぎ、穏やかな風が桜の花びらを運ぶ季節。

 

 その空気に似合わぬような、大歓声が耳に届く。

 

 男性の、女性の、子供の、若者の、老人の声。それに隠れるように、かすかに聞こえる力強い十数名の足音。

 

 声援が最高潮に達し、やがて足の音もまばらに、小さくなっていった。

 

 幾度も聞いた、レースが終了した時の音。1人の勝者と、それ以外の敗者。結果にかからわず、応援していたウマ娘を称える声。

 

 いよいよ、私が出走するレースの番となった。あと20分もしないうちに、パドックへ招集のアナウンスがかかるだろう。

 

 挑むは春の大一番。天皇の名を冠するG1レース。

 

 菊花賞よりも更に長い、3200mという距離の暴力。いかに中距離まで無双を誇ったウマ娘でも、並大抵の体力では最終直線を待たずに沈んでいく。

 

 ・・・・・・足に不安がある自分だけなら、出場の選択肢にすら入れなかったであろうレース。そのレースを前に、私は漆黒の勝負服を身に纏っている。

 

 この服を着て、レースに挑むのは今回で3度目となる。1回目は、先程挙げた菊花賞。2回目は、昨年末の有馬記念。

 

 1つ、小さく深呼吸。ぎゅっ、とネクタイを握って心を落ち着ける。 

 

 「集大成だね、カフェ」

 

 聞こえてきたのは、私より少し高い音程の落ち着いた声。

 

 顔を上げると、そこには私をまっすぐに見つめる彼の姿。

 

 「・・・・・・トレーナーさん」

 

 「大丈夫。この日のために完璧な調整をしてきたからね。カフェなら、絶対に勝てる。僕が保証するよ」

 

 私に余すことなく届けるように、一言一言はっきりと発言するトレーナーさん。

 

 ・・・・・・でも、その姿を見て、申し訳ないけど笑ってしまった。

 

 「・・・・・・ふふっ」

 

 「・・・?どうしたの、カフェ?」

 

 「・・・・・・トレーナーさん、体が震えてますよ」

 

 私の言葉を聞き、『えっ!?』と慌てて自身の身体を確認する彼。その両手足が目に見える大きさで震えているのに、今気づいたみたいだ。

 

 レースに臨む私よりも緊張している彼を見て、変に力が入っていた部分が楽になった。

 

 これを狙ってやっていたのなら中々の役者である。でも、3年間彼と共に過ごして来た私には、これが彼の素の姿である事が分かっている。

 

 私のことを、私以上に考えている人。

 

 「ははは・・・・・・ごめん、僕が緊張していちゃいけないのにね」

 

 「・・・・・・そんなこと、ありません」

 

 情けなくてごめん、と言いかけるトレーナーさんの手を握る。

 

 向かい合って立ち、再び視線が交わる。私よりわずかに高い、彼の背丈。同じ目線で、同じ歩幅で歩いてきた道のりに思いを馳せる。

 

 『調整以外のレースは長距離一本で行く』

 

 去年始め、はっきりと私に宣言した彼。

 

 「瞬発力、爆発力が必要となるスプリンターでは、トレーニングの段階でもカフェの爪が耐えられない可能性が極めて高い。幸い、カフェにはステイヤーとしての素質を感じる。体質的にも、能力的にも長距離で勝負したい」

 

 その時の貴方は、いつもの穏やかな雰囲気とは打って変わって、真剣な表情を私に向けていた。

 

 文字通り、今後のレース人生を左右する決断。

 

 長距離一筋、というウマ娘はほとんどいない。それでも、私が抱える体質を鑑みて悩み抜いた末での結論だったことが伝わってくる。

 

 ・・・・・・それなら、この人に託したい。そう思うほどに、私は彼を信頼していた。

 

 その結果が、今である。

 

 彼の黒い瞳を覗き込むように、顔を近づける。

 

 「トレーナーさん」

 

 鼻先が触れ合うほどの距離。顔を赤らめ、逸らそうとする彼を捕らえる。

 

 「・・・・・・大丈夫です。長距離において、私が負けると思いますか?」

 

 「・・・・・・いや。想像もつかない、かな」

 

 以前の自分なら、そもそも現在の自分でも性格的に言わないような、自身に満ち溢れた言葉。

 

 でも、トレーナーさんと2人で築いた戦績が、後ろ向きな心を後押しする。

 

 『菊花賞1着』

 『有馬記念1着』

 

 という大きな、大きなG1連勝。凛として挑むくらいが、ちょうどいい。

 

 「・・・・・・トレーナーさん、待っていてくださいね」

 

 近づけていた顔を離し、テーブルに置いていた筒状の物体・・・・・・魔法瓶を手に取った。

 

 ほのかに暖かさを感じる中身は、朝淹れてきたコーヒー。

 

 レース後、一緒に飲む事が日課(?)となって1年。調整のために出走した中距離1戦以外は、勝利をトレーナーさんに届けることが出来ている。

 

 今回も、最高の順位で戻ってくる。

 

 その決意を胸に秘め、トレーナーさんに瓶を渡した。

 

 いつもはブレンド調合に力を入れているけど、今回は1種類の豆しか使用していない。

 

 『ブルーマウンテン』

 

 コーヒーの王と言われる、孤高の最高級品。ようやく手に入った1杯を、勝利の味にしてみせる。

 

 「・・・・・・行ってきます」

 

 「・・・・・・うん。行ってらっしゃい、カフェ」

 

 震えが止まったトレーナーさんに静かに宣言をして、控室を出る。

 

 最高の1杯を貴方に届けるために。私は力強く足を踏みだした。

 

 





週末は、ピクシブで先に投稿しておりましたベルトレ小説数話をこちらでも手直し次第、順次投稿予定です。
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