私だけのトレーナー   作:青い隕石

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久しぶりのウマ娘短編です。
書きたかった、ミスターシービーの物語となります。


ミスターシービー短編
小さな恋の物語


 

 

 

 それは、誰もが知る英雄の輝かしい後日譚ではない。

 それは、人々がこぞって語り継ぐようなドラマではない。

 ただ一人の男とただ一人のウマ娘が紡いだ、誰にも知られることのない。

 

 

 

 小さな恋の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人口4000人。

 

 大まかにいえば地方の市町村くらいの規模となる数字。完全な田舎では無いが、都会を名乗るには程遠い……それくらいの数となる。

 

 しかし、それが一つの島の人口となれば話は別である。

 

 日本における有人島の総数は400ちょっと。その中で人口10000人を超える島は30ほどにとどまる。それどころか、約7割にあたる300ほどの有人島は、人口1000人にも満たない。

 

 それを思えば、最初に挙げた数字はなかなかの大きさであることが分かる。

 

 加えて、交通の便もよい。

 陸路でこそ本州に繋がってはいないが、平日でも連絡船が1時間に一回以上運航している。

 

 所要時間も1時間程度と短く、何より本州側の港が大都市近辺にあるため、休日にはそれなりの数の観光客が島に訪れる。

 

 人の流れが多ければ、それだけ経済も回る。島としては珍しく、全国的に展開しているチェーン店が複数存在している。

 コンビニだけでなく、飲食店、服屋、ホームセンターなど様々な業態の建物が構えており、メインストリートは下手な郊外都市よりも活気に溢れている。夏ともなれば、海水浴を目的で訪れる者で大変な賑わいを見せる。

 

 それでありながら、島の半分は自然に覆われており、古き良き日本の面影も残している。

 

 観光地帯から少し離れれば、人通りの少ない田舎の風景に早変わり。木々の隙間から漏れる太陽光と鳥の囀りを身に浴びながら、のんびりとした時間を過ごすことができる。

 

 木漏れ日に照らされひっそりと祭られている神社は、知る人ぞ知る穴場として、密かな人気がある。

 

 もし、リタイアした後はこんな場所に住んで余生を過ごすのも悪くない。そう思わせるだけの静かな魅力があった。

 

 

 

 

 

 

 ……そんな二面性を持つ島に、連絡船が向かっている。

 休日だけあって、カップルや親子連れが多く乗船している、それはいつも通りの光景である。

 

 しかし、いつもと一点だけ違うところがあった。

 

 本来であれば、もう間も無く到着する島を見ながら、どこへ行くか、お昼はどうするか、などなど思い思いの会話をしているはずである。

 

 しかし、その船に乗る乗客は島を見ていなかった。

 ほぼ全ての人物が、船に乗っている1人の人物……ウマ娘に視線を注いでいた。

 

 茶色のデニムジャケットに、紺色の短パン。

 ウマ娘として完璧とも言えるスタイルに、美しく伸びた髪。何より、文字通りモデル顔負けの美貌。

 

 まさしく、美の化身というような存在が船の手すりに手を乗せ、頬杖をつきながら景色を眺めていた。

 

 皆、彼女の美貌に目を奪われて視線を向けていた……訳ではない。

 確かにその見た目に惹かれることは確かだけど、それとは比較にならないほど大きな理由があった。

 

 

『ターフの演出家』

『歴代最高のウマ娘』

 

 

 彼女が、そう呼ばれるほど有名な存在だったからだ。

 

 数十年ぶりとなるクラシック3冠。

 前人未到のGⅠ通算11勝。

 そして、日本悲願の凱旋門賞制覇。

 

 一体どれだけの栄光を築いてきたのだろうか。

 一体どれだけの人々を熱狂させてきたのだろうか。

 

 一度舞台に上がれば、どんなレースでも彼女が主役となった。

 

 誰よりも楽しそうに、誰よりも真剣に。

 そして、誰よりも「自由」にターフを駆け抜けた。

 

 5年間にわたる現役生活で、彼女は数多の栄光を、賞賛を勝ち取り、昨年ターフに別れを告げた。間違いなく、今最も有名なウマ娘。

 

 そんな彼女が、目の前にいる。

 

 ざわめきの中、そのウマ娘はのんびりとした表情で島を見続けていた。

 まもなく港に到着する、というタイミングで、1人が前に出た。

 遠巻きに彼女を見ていた塊から抜け出したのは、1人の少年。

 被っている帽子には、目の前にいるウマ娘の缶バッジが付けられている。彼女の輝きに魅せられた、熱心なファンだった。

 引退して間もない事もあり、彼女のグッズは人々の間で溢れかえっていた。

 

 予想だにしなかった、憧れの人物との偶然の、突然の邂逅。

 ドキドキ顔で近づいてくる少年に気づいたウマ娘は、笑顔でしゃがみ込み、目線を合わせる。

 

 ふふ、ありがとう。という言葉を聞いて、その声がテレビ越しに聞いていたものと全く一緒で、少年は飛び上がりたくなるほど喜んだ。

 

 同時に、思っていたことを聞きたくなった。勢いのまま、少年は尋ねる。

 

 -僕たちと同じように、観光に来たの?-

 

 問いかけを聞いた彼女は少しだけ目を見開き、再び笑顔にもどる。

 質問をしてきた少年の頭を優しく撫でながら、朗らかに口を開いた。

 

 -アタシはね、とある人に会いに来たんだよ-

 

 微笑みながら答えるその姿は、誰よりも美しく、かつ子供のように無邪気だった。

 

 

 

 港についても、ざわめきは収まらない。観光客を出迎えるために待っていた島の住民たちも、その目的を忘れて彼女に釘付けとなる。

 まあ、仕方がない。例えるならなんの以前情報も無しに、国民的なアイドルが島を訪れたようなものなのだ。いや、偉業や知名度を考えれば世界的といってもいい。動揺するなという方が酷である。

 

 最も、騒ぎの原因となっている当の本人はどこ吹く風で島に降り立ち、景色を楽しんでいた。周囲のざわめきなどお構いなし。何物にも縛られないような足取りで、のんびりと歩を進める。

 

 初めてきたはずなのに、まるで知っているかのように道を進んでいく。

 流石に彼女の後を着いていくような露骨な人はおらず、視線を送りながらも見送る形となった。

 

 一人になった彼女は、ゆったりと歩む。周りの風景に目を細めながら、春色と新緑が混ざった風を心地よさそうに受け止める。

 その足取りは、賑わっている街並みから徐々に外れていく。20分ほど歩けば、そのウマ娘の周りは自然に溢れた彩りとなっていた。

 

 「ふんふ~ん♪……おっ」

 

 鼻歌交じりで歩く彼女。その足取りが唐突に止まった。

 

 目線の先には、何の変哲もない一軒家。観光街から出来るだけ離れるように建てられたその家は、少し年季が入っており、外装にも趣がある。

 周りの家からも若干離れてはいるが、別段おかしなところなはい。

 

 その全貌を見渡して、彼女は一つ軽く頷いて近づいていく。

 玄関の前に立つと、一呼吸おいてチャイムを鳴らした。

 

 押してから数十秒後、建物内から聞くえてくる音が彼女の耳に入る。

 ウマ娘として発達した聴覚は、弱めの足音と機械的な駆動音を捉えていた。

 

「はーい?」

 

 続けて聞こえてきた、男性の声。少し高めのその声を聴いた瞬間、彼女の耳がピンッ!と立った。それだけにとどまらず、ピコピコと元気良く動き出す。合わせるように、艶やかな尻尾がブンブンと振られる。

 

 やがて足音と駆動音が止み、そのウマ娘は玄関越しに人の気配を感じた。もう待ちきれないといったように表情を輝かせる。

 

 『ガチャン』

 

 小さな音と共に、ドアが開いた。

 

 「どちらさまで……す……」

 

 声が、途切れた。

 

 開かれたドアから出てきたのは、年若い青年だった。

 身長は相対するウマ娘より頭半分ほど低く、中性的な顔だちも相まって幼く見える。実際は、目の前にいるウマ娘より数歳年上なのだが、指摘されなければ未成年と言われても違和感はない。

 

 そしてその小さな背丈を支えるように、電動式の歩行補助器具が取り付けられていた。

 

 その姿を見て、ウマ娘は笑顔のまま手を振った。

 

 

 

 「久しぶり、トレーナー。貴方のミスターシービーだよ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「これ、少しだけど。アタシのオススメなんだ。一緒に食べよ!4個余るから、先に冷蔵庫に入れておくね」

 

 「シービー、待って。流石に客の君を働かせられないよ。僕が行くから……」

 

 「歩行器具あるとはいえ、家の中での移動も大変でしょ?アタシに任せて」

 

 「うっ…………ごめん、お願いしていい、かな?」

 

 申し訳なさそうに謝るトレーナーを見つつ、りょーかいと返事をする。持ってきたお土産を二個だけテーブルに置き、教えてもらった台所まで移動して、比較的小型の冷蔵庫を開ける。

 

 中を見ると、成人男性らしく空きが目立つ。それでも野菜や生魚の切り身が数日分入っており、チラッと見えたガスコンロ脇の棚には調味料が揃っていた事から手料理はしているみたいである。

 

 手ごろな場所を見つけ、箱ごと入れてパタンと閉めた。

 

 居間に戻ると、どこから取り出したのか、彼がポットと湯呑を用意をしていたため慌てて近づく。

 

 「シービー、ごめんね。これくらいはやらせてほしい」

 

 口から出かかった言葉を、トレーナーの発言を聞いて、その目を見て飲み込んだ。

 多少おぼつかない手つき。ゆっくりと、それでも確実に。彼の手によって少しずつ準備されていくその様子を、黙って見つめた。

 

 数分後。二つの湯飲みにほうじ茶を入れて、彼が一息つく。その額には、少しだけ汗がにじんでいた。

 

 「ありがとうシービー。我儘聞いてもらって」

 

 「ううん」

 

 軽く返事をして、二人で座る。ソファは一つしかないため、並ぶ形で。

 長さはあるためお互いが端に座れば人一人分のスペースは空くのだけれど、アタシはわざとスペースを詰めた。

 

 え、と彼が焦るのを無視して、ギュッと密着する。肩が完全に触れ合う形となり、彼の顔が間近まで近づく。

 同時に、より強くなった匂いがアタシを満たす。一年ぶりのその匂いが、触れ合う感触が、どこまでもアタシを幸福にする。

 

 よくよく考えれば、彼の顔を実際に見るのも、声を聴くのも1年ぶり。テレビ電話越しとは比較にならないほど身体がポカポカする。

 

 

 

 

 

 アタシの現役生活は5年。

 実はその5年の中で、一回トレーナーが変わっている。

 

 デビューしてから4年間が一人目のトレーナー。最後の1年間が二人目のトレーナー。

 その内、最初の4年間を共に過ごしたトレーナーこそが、目の前にいる彼だった。

 

 出会いは本当に偶然だった。

 

 中央トレセン学園に入り、ただただ気持ちのままに走っていた日々。

 絶対に一度は走らないといけないということで出走した選抜試験で、走りたいように走ったアタシ。それでとんでもないタイムが出たみたいで、終わった後にたくさんのトレーナーから競うようにスカウトを受けた。

 

 -君ならクラシック三冠を狙える-

 -GⅠの栄光を必ずプレゼントする-

 

 三冠とか、GⅠの栄光とか、ウマ娘にとってはどんなものよりもキラキラする響き。

 でも、その輝きがアタシにはあまり分からなかった。

 

 自由に、赴くままに駆け抜けたい。

 

 そんな自分の価値観を話してみたら、周りを囲んでいたトレーナーの人たちは一様にいい顔をしなかった。

 若い人も、年季の入った人も、全員、一人残らず。

 

 その表情を見て、ああ、やっぱり合わないんだなと感じちゃった。

 

 それもそうだ。レースに勝つためには、日々の練習、自主トレ、生活に至るまで全てを管理して挑まなければいけない。

 そこまで努力をして、勝利をつかめるのはただ1人。だからこそ、調整には寸分の狂いも許されない。重賞、ましてやGⅠとなれば尚更だ。

 

 当然のことだけど、練習のない雨の日に突然外に出て気の済むまで走ろうものなら大目玉必須である。

 

 -自由に走りたい-

 -気の赴くままにターフを駆け抜けたい-

 

 そんなアタシの気持ちは、勝利や栄光とは対極の存在だった。

 

 結局、誰とも契約を結ぶ事もなかった。その後しばらくはスカウトを受けたけど、その頻度も減っていった。

 

 当然だ。自分で言うのもなんだけど、こんな気性難なウマ娘、アタシがトレーナーだったらいつまでも追いかけない。中央だけあって、優秀なウマ娘は他にもたくさんいる。他の優れたウマ娘に目を向けるのは当たり前だろう。

 

 そんな訳で、すっかり静かになった周りを気にする事なく、『その日』も練習場に足を運んだ。

 

 たまにルドルフが並走してくれる日もあるけど、生憎本日は生徒会の用事だとかで不在。

 

 

 小雨が滴る中、もっと勢いよく降ってくれないかなあと思いつつもストレッチを終えてランニングをしていたら、初めて見る人がいて、視線を止めた。

 

 低めの背丈に、遠目でも分かる中性的で整った顔。胸にバッジを着けている事からトレーナーだと判別できたけれど、逆にそれが無ければまず分からない。特別に見学に来ている高校生と言われた方がまだしっくりくる。

 

 その人物は、杖を突いていた。まだまだ年若いのに、支えるように体重をかけている。その姿を見て、失礼にならないように視線を外し、頭の中で理由を組み立てる。

 

 (あのトレーナーさん、きっと身体が……)

 

 遠い日の記憶となってしまった選抜試験だけど、自分をスカウトしにきた輪の中に彼はいなかったはずだ。もし今と同じように杖を身に持っていれば印象に残る。

 

 彼……彼女?……遠目では性別が判断できないトレーナーを気にかけつつも、20分間のランニングを終える。

 

 今日の気分はターフ一周分全力疾走。一息吐き、意識を集中させる。生憎の天候だからか、アタシの他に練習レース場にいるウマ娘はほとんどいない。今頃室内のトレーニング施設は大繁盛だろう。

 

 よし、と目を見開いて駆け出す。

 徐々に上がっていくスピード。全身に当たる雨粒。身体に纏わりつく風。ターフの匂い。その全てがアタシの心を満たす。

 

 ああ、やっぱり自由に走る事が好きなんだなと実感する。理想の形はまだ見えないけれど、それは決して型にはまった、囚われたものではない。

 向こう正面を超え、最終コーナーを曲がり。最終直線手前からアタシのスピードはトップギアに入る。

 ラストスパートを自分でも納得できる形で駆け抜けられて、笑顔が零れる。

 

 (やっぱり……こうやって走るの、楽しい)

 

 クスッと笑みを浮かべ、天を仰ぐ。灰色の空から降り注ぐ小雨が心地よい。ずっとこのままでいたいな……そう悦に浸るアタシの耳に、一人分の足音が入ってきた。

 

 弱弱しく、小さな雨音にすら負けそうな音。おまけにその間隔は、非常に間がある。

 振り返ると、先程気にかけたトレーナーがこちらに向かってくるのが見えた。

 

 杖を突きながら一歩一歩近づいてくる。しかし、その足取りは控えめに見ても覚束ない。

 あまり他人には干渉しないアタシだけど、さすがに黙って見ているほど薄情ではない。早足でこちらからその人物のもとへ向かっていった。

 

 近づいてみると、余計性別が分からなくなる顔立ちをしていた。とはいえ、喉仏があったので男性であることは何とか判別できた。

 背丈も、最初の見立て通りアタシより低い。頭半分くらいの差だろうか?

 

 どうしたの?と聞いてみると、やはりというか、スカウトの誘いであった。

 新人トレーナーとして合格した彼だが、やはり身体が良くないようで、本来春先からの赴任の予定が先週までずれ込んでしまったこと。選抜試験もとっくに終わってしまったけれど、ひとまずウマ娘達のトレーニングを見始めたこと。

 

 そして今日、君の走りを見て感銘を受けたこと。

 

 その話を聞いてアタシは嬉しさ半分、諦め半分だった。

 

 試験でも何でもない、自由を求めて思うままに走った姿に感銘を受けてくれたことに関する喜び。

 そんな彼でも、結局は次の質問で失望してしまうんだろうなという諦め。

 

 顔にが出さないように笑顔で応じ、何度も発してきた言葉を紡ぐ。

 

 -ありがとう。それで、君はアタシに何を望むのかな?-

 

 きっと君もクラシック三冠とか言うのかな?とぼんやりと考えていた。

 

 ……だから、返ってきた返答に一瞬反応ができなかった。

 

 

 

 『君の自由な走りを、誰よりも近くで見て、支えたい』

 

 

 

 言葉を忘れて、初めて君を見つめた。

 

 アタシより背が小さく、華奢で、幼くすら見える。でも、その目には輝きがあった。

 憧れ、夢、希望……そんな感情を一緒くたにして詰め込んだ、キラキラした表情。大切な宝物を見つめるような、暖かな目。

 

 どんな栄光を語る単語にも響かなかったアタシだったけれど、彼の話に興味を持ってしまった。

 

 その後、彼のトレーナー室に移動(アタシが抱えて走った。恥ずかしそうにしている表情も結構可愛かったよ)して、今度は彼からの説明。

 

 先天性の、身体が徐々に動かなくなる病気を患っていること。既に足に関しては杖が必要なこと。幸い寿命に影響はないけれど、健康体の人のようには動けない。

 

 現在、治療や薬によって症状は食い止められており、何とかトレーナー業は出来るが、いつ悪化してもおかしくないこと。今後の医療技術の進歩で多少改善することはあるかもしれないが、完治は絶対にしないと言われている事。

 

 ……そんな不自由な身体だから、今日、君の走りがどこまでも自由に見えて、惹きつけられたこと。

 

 一目惚れかな、と照れくさそうに笑った後、彼は再び表情を引き締めた。

 

 『自分からスカウトしておいて本当に申し訳ありません。僕の病気はいつ悪化するか分かりません。もちろん、貴女の走りを見るために全力を尽くします。それでも、トレーナー業自体が難しくなった時は他のトレーナーに引き継ぎたいと思っております』

 

 真剣な表情。

 その目を見てわかってしまった。明言はしなかったけれど、日常生活はともかく、彼がトレーナー業を全うできる時間はそう長くは残されていないと。

 

 その全ての時間を使う覚悟で、今日初めて、一回走りを見たばかりのアタシをスカウトしたこと。

 

 (あー…………)

 

 天井を見上げる。

 

 ちょっと感情が重すぎないかな?と思ってしまった。

 

 そして……その感情が、アタシの心を貫いたのを自覚してしまった。

 

 アタシの走りを、一目で理解してくれた。

 アタシの気持ちを、肯定してくれた。

 

 マズいかもこれ。今更ながら、ウマ娘にはなぜトレーナーが必要なのか、その理由を完璧に理解してしまった。

 

 視線を元に戻して彼を見る。

 真剣で、少し緊張している姿をしっかりと見つめ、口を開いた。

 

 自分と彼が、ウマ娘とトレーナーの関係となる、始まりの言葉を。

 ……この人となら、やっていけるかなという気持ちも込めて。

 

 

 

 

 そこから先の活躍は、メディアとかで毎日のように持ち上げられた。

 

 トレーナーは本当に、アタシが自由に走る事だけに全力を尽くしてくれた。

 

 出走レースに関しては、常にこちらに最終選択権をくれた。

 そして一度決まれば、そのレースに向けて文字通り全てをサポートしてくれたんだ。

 

 アタシは、自由に赴くままの走りで、彼の期待に願いに応えられたつもり。

 デビュー後4年間彼と駆け抜けて、最後の1年間は別のトレーナーのもとで走った。

 

 理由は、彼に限界が訪れたから。

 症状の進行で、日常生活はともかく、トレーナー業を続けるのは難しくなってしまったのだ。

 

 残りの1年も走り切り、自分の中でも満足しての引退表明。

 ドリームリーグや、さらなる海外での挑戦もあるにはあった。それだけの余力は十分に残っていた。でも、自分の気持ちに従った。

 

 ……今、本当にやりたいこと。そのためにね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「そーゆー訳で。ほらほら、1年ぶりの愛バとの再会だよ。ハグくらいはしてほしいんだけど」

 

 「シービー。大人を揶揄うんじゃありません」

 

 両手を広げてハグの体勢を取るアタシに対し、トレーナーは軽くあしらう。もう、いけずなんだから。

 でも、訂正してほしい言葉があるよ。

 

 「トレーナー、アタシももう大人だよ。この前20歳迎えたしさ」

 

 「えっ。…………そっか」

 

 もうそれだけ経ったのか、と感慨深げにトレーナーは呟いた。

 目を閉じ、数瞬の間思い出に浸るように黙り込む。

 

 トレーナーの言葉に嘘はなかった。仕事を続けることが困難だと宣告された時点で、中央トレセン学園内でも屈指のベテラントレーナーに引き継ぎを行ってくれた。

 

 アタシのトレーニングに全く支障をきたさない程に迅速だった。恐らく彼自身、薄々と『その日』が近い事を悟って動いていたのだろう。

 

 その後トレセン学園を退職し、この島に移住した。

 何でも以前に一度訪れた事があり、その時に将来住む計画を立てていたみたいだ。

 

 あっという間の5年間だった、と思う。

 ……でも、引き継いでもらったベテランのトレーナーさんには申し訳ないけれど、最後の一年は少しだけ長く感じちゃったかな。

 

 「ははは、こんな話で申し訳ないけれど、本当にシービーのおかげだよ」

 

 半年前、移住後電話での会話中にボカした言い方をした彼が頭に浮かぶ。

 

 曖昧な言葉だったけど、十中八九金銭面の話だろう。

 詳しくは聞けていないけれど、家を買って1人で贅沢せずに暮らすのに十分な金額は持っているはずだ。

 

 彼は、残りの人生をこの土地で暮らすのだろう。その気持ちは、きっと今も変わっていない。

 

 話題を変えようと、トレーナーは窓の外に景色を映す。

 

「シービー。ちょっと早いけど、泊まるつもりならどこかの宿取ってるの?この島、割りと泊まれる場所少ないからさ」

 

「ああ、それなら大丈夫だよ。今日からここで暮らすつもりだから」

 

「あ、そうなんだ。それなら問題…………あるけど?」

 

 会話の流れに身を任せようとした彼が、ピタッと止まる。

 ゆっくりとこちらを見ながら先程のアタシの返答を咀嚼し、絞り出すように答えていた。

 

 残念。聞き逃さなかったみたい。

 悪戯がバレた子供のように、クスッと微笑む。

 

「もー、頷いてくれたら言質取れたのになあ」

 

 軽く紡いだ言葉。ニコニコ顔の私と反比例するように、彼は頭を抱える。

 現役時代から見慣れてしまった、困った彼が見せる仕草。

 その元凶がいうのもなんだけど、幼さを残す顔も相まってとても可愛く見えてしまう。

 

 「あの、シービー。例え成人迎えていても、若い女性がみだりに男の家に泊まるのは不味い事だからね。冗談でも……」

 

 「トレーナー。流石のアタシでも、冗談でこんなことは言わないよ」

 

 諭すようなセリフ。それを最後まで聞かずに遮った。

 半分ほどまで減っていたほうじ茶を一気に飲み干し、一息つく。

 

 じっと彼を見つめる。

 しばらく続いていた会話が途切れたことで、トレーナーは少し気まずそうに目を泳がせた。

 

 手持ち無沙汰になり、沈黙を遮るようにお茶のおかわりを申し出てきた。空となった湯呑みにほうじ茶がゆっくりと注がれていくのを待つ。

 

 ありがと。とお礼を言って、そのまま何気なしに会話を続ける。

 

 ここにくる前に、伝えたいことはとっくに整理して決めてきたから。

 

 「キミと過ごしたいんだ。一生をね」

 

 こんな、人生を左右する重要なセリフをね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……現役時代、シービーからの好意は感じていた。自惚れかと思った時期もあったけどね」

 

「じゃあ大正解だね。少なくとも、シニア期の頃には恋心を自覚してアピールを始めてたよ。」

 

 アタシが持ってきたお土産を口に運びながら、彼は静かに答える。

 

 明確なキッカケがあったわけではない。

 特別なイベントがあったわけではない。

 

 一緒に過ごし、トレーニングして、レースに出て、そういった日々の積み重ねの中で、気づいたら好きになっていただけ。

 

 初めて抱いた気持ちは、それまで奔放に生きてきたアタシでも扱いきれない熱を持っていて。

 

 結局、今日まで抱えたまま生きてきた。

 身を焦がすように激しく燃える日も、心を溶かすように優しく燃える日もあった。

 

 確かなのは、一日たりとも消えはしなかったという事実。

 

 「じゃあ、トレーナー。よければ返事を聞かせて欲しいな」

 

 ……10秒。

 ……20秒。

 

 自分の発言を最後に、再びの沈黙が降りる。

 普段なら痺れを切らした自分が続きを促すけれど、今日はそんな野暮なことはしない。

 

 ひたすらに待つ。トレーナーが気持ちをまとめるのを。発する言葉を決めるのを。

 

 微かに聞こえる鳥の囀りだけが辺りを支配する。

 

 そのまま数分経っただろうか。

 目を閉じていた彼が、開いてこちらに視線を向けた。

 

 

 

 「……ダメだ」

 

 「ダメだよ、シービー」

 

 

 

 絞り出すような声が、聞こえた。

 発生源は、もちろんあなた。

 

 顔を上げて、こちらを見据える。その仕草一つをとっても、どこかぎこちなさを感じる。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

 言い間違えないように、アタシが聞き間違えないように。

 

「シービー。キミの気持ちはすごく嬉しいよ。でも……キミの将来を、未来を奪ってしまう」

 

 アタシを見つめていた視線を、再び机に落とす。指を組む仕草は、彼の昔からの癖だった。

 

「シービー今、誇張抜きで、日本で一番輝いているウマ娘だ。ドリームリーグに移籍してもいい。URAの職に就いても大歓迎されるさ。いや、何もレースに限定しなくてもいい。モデルとしてだってきっとすぐに天下を取れると思うよ。だから……」

 

 だから……と、そこで言葉は途切れた。

 

 

 

 その返答を聞いてアタシの心に溢れたのは……『喜び』だった。

 

 だって、あなたの顔を見たから。その表情は、本当に思い詰めたようなものだったから。

 

 あなたが今どんな気持ちでいるか、分かってしまったから。

 

 俯いた彼は、こちらに視線を合わそうとしない。

 

 彼の気持ちは、『拒絶』だ。

 アタシを想うがための、拒絶だった。

 

 ごめん、でもない。

 すまない、でもない。

 

 ダメだよ、という第一声。その言葉こそが、あなたの気持ちを十全に表していた。

 

 「どうして?」

 

 「・・・・・・え?」

 

 あっけらかん、とした私の問いかけに、あなたはきょとんとした。

 

 「『アタシのため』、『アタシの将来』、『アタシの未来』・・・・・・キミらしいと言えばそうだし、本音ではあると思う。でもさ、一番の理由じゃないでしょ?」

 

 「……」

 

 図星だったのか、彼は目を見開いて黙ってしまった。

 訪れた2度目の沈黙は、しかし早く終わりを迎えた。

 

 「君には、自由でいてほしいんだ」

 

 「……僕の病は、一生治らない」

 

 彼の言葉は止まらない。一度転がり始めた雪だるまが止まらないように。

 

 矢継ぎ早に、アタシが割り込めないような速さで感情を吐露していく。

 

 「もしかすれば今後、医療の進歩で多少は症状が改善するかもしれない。でも、完治は絶対にない。むしろその逆、症状が進んで悪化する可能性が十二分にある」

 

 「君に支えてもらうことになったら、この家に、この島に君を縛り付けてしまう。僕が死ぬその時まで、『不自由』にしてしまう」

 

 「ダメだよ、それは……。君は、今最も輝いているウマ娘なんだ。レース関連の仕事でも、モデルでも、役者でも、どんな選択肢でも君は輝ける……きっと、今以上に!だから、縛りたくないんだ!」

 

 

 

 【キミの『自由』を!】

 

 

 

 初めて聞いた、彼の大声。

 

 こちらに向けられた目は、その瞳は、あの時……スカウトを受けた時と同じものだった。

 

 アタシの自由に憧れた目。

 アタシの自由に魅せられた色。

 

 ああ、と思う。

 心がポカポカと暖かくなる。彼から目が離せなくなる。

 

 だって、心の底から想われている事を感じ取ったから。

 

 「シービー、ありがとう。嬉しいよ。でも、君の気持ちには……」

 

 たどたどしく、途切れ途切れになりながらも言葉を発しようとして。

 

 

 

 『ギュッ……』

 

 

 

 「…………え?」

 

 その続きが、不自然に途切れた。ま、アタシが原因だけど。

 

 彼を少々強引に引き寄せて、強く胸に抱きしめたから。

 

 少し経って慌てふためいていたけど、ごめんね。力はこちらが強い。結局十数秒ほど抵抗したのち、無駄だと分かったのか力が抜けた。

 

 ふふっ。これでもスタイルは平均以上だと思ってるからね。胸には多少の自信があるよ。

 

 「ごめんね、トレーナー。突然こんな事しちゃって。」

 

 「…………それなら離してほしいんだけど」

 

 「本当に?」

 

 「…………」

 

 頬を赤く染めて抗議してくるトレーナー。アタシの返答に不自然に再び言葉が途切れ、バツが悪そうに目を逸らす。

 その仕草がたまらなく愛おしくて、更にギュって抱きしめちゃった。

 

 諦めたのか、胸に身を委ねてきた彼。

 トレーナーの気持ちは、想いは、十分すぎるほどに貰っちゃった。

 

 だから今度は、アタシの想いを伝える番。

 

 

 「トレーナー。『自由』って何だと思う?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自由。

 アタシの根源であり、代名詞。

 

 「何者にも囚われずに動き回れること?何処にでも行けること?もしかしたら、そう答える人もいるかもしれない」

 

 きっと、人によって考え方は千差万別。

 具体的なイメージを持っている人。抽象的に考えている人。聞いた相手によって、さまざまな答えが返ってくるだろう。

 

 トレーナーは、ミスターシービーという我儘なウマ娘の、『走る事に対しての自由』を理解してくれた。尊重してくれた。

 

 「アタシはね、『自らに由る』ことだと思っているんだ」

 

 だから、自分の思う自由を知ってもらいたい。

 走る事に対してではない。命を持つ、1人のウマ娘として持っている『ミスターシービーとしての自由』を。

 今まで誰にも言ったことの無い、ミスターシービーの根幹となる部分を。

 

 「自分のやりたいことは自分で決められる。自分の気持ちを貫いて生きることができる。それが自由だと思っているんだ」

 

 何者にも縛られない……彼は、アタシの自由をそう表現していた。

 それは合っている。他人に干渉されず、支配されずにレースを、人生を走り続ける事がアタシのアイデンティティなのは間違いない。

 

 でもね、トレーナー。一つだけ勘違いしている事があるよ。

 

 キミは、キミと一緒にいる事を不自由と呼んだね。

 

 違うよ。全く違う。

 キミの隣にいたい。共に過ごしたい。添い遂げたい。

 

 それが、心からの想いなんだよ。自らに由った選択なんだ。

 

 一度言葉を区切り、トレーナーをより強く胸元に抱きしめる。彼の温もりが一層、アタシの心を暖める。

 

 「聞こえる?この鼓動」

 

 トクン、トクン、と規則正しく鳴るアタシの生きている証。あなたを抱きしめたことでリズムは結構早くなっている。

 

 「……うん、聞こえるよ」

 

 静かに答えるトレーナー。その言葉を聞いて、アタシはしっかりと彼に伝えた。

 

 「アタシはここにいるよ」

 

 憧れの空想でもない。雲の上の存在でもない。本物の自分がここにいる。ここで、あなたと一緒にいる。

 

 「アタシは、ミスターシービーは。限りある時間を、人生を、キミと過ごしたい」

 

 「・・・・・・シービー。もう一度、言っておくよ。きっと、この身体じゃ満足に生活できない。普通の人なら当たり前にできることが、誰かの手を借りないと出来ない」

 

 「知ってる。だから、支えさせてほしいな」

 

 今までのアタシが持つ感情は、恋心だった。

 

 今からアタシは、『愛』を持つ。

 恋は、相手を求めること。

 愛は、相手を受け入れること。

 

 もし満足に動けないのなら、その身体を支えたい。

 もし気に病むことがあるなら、その心を受け入れたい。

 

 「二人でならどんな事でも乗り越えられる、なんて言わない。きっと、若いアタシたちには想像もつかないくらい辛いこと、苦しいことが待ち構えているんだと思う。でも、約束するよ」

 

 「アタシはその困難を、キミと一緒に乗り越えたい。一緒に悩んで、一緒に苦しんで、そして一緒に立ち向かいたいんだ。……トレーナー」

 

 ずっと抱きしめていた胸から解放して、彼の顔を見やる。

 少し赤くなっている、見慣れた表情。その全てが愛おしくてまた抱きしめそうになりながら見つめる。

 

 ソファに座る彼に跪き、そっと手を取る。

 今日一日でたくさんアピールをした。想いをぶつけた。ほぼほぼ『それ』に近いことも言った。

 

 でも、まだちゃんと口にしていない。

 

 一つ、深呼吸。

 わずか数秒の間に、今までの全部が浮かんでくる。

 

 アタシを見つけてくれてありがとう。

 我儘な思いを肯定してくれてありがとう。

 支え続けてくれてありがとう。

 

 ……限りある人生で、キミと出会えた奇跡にありがとう。

 

 その全てを包容した、たった一言を。

 

 

 

 

 「アタシと……ミスターシービーと、結婚してください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『史上最高のウマ娘と呼ばれた彼女は引退後、歴史の表舞台から姿を退いた。

 

 彼女の姿を探そうとするマスコミもいたが、時間が経つにつれてその動きも減っていった。

 

 彼女は、ミスターシービーはどこへ行ったのか、どうやって暮らしているのかを知るものはいない……』

 

 それが、俺の知ってるミスターシービーというウマ娘についての知識だが……。

 

 俺だけじゃなく、日本人に聞けば大なり小なり似たような答えが返ってくるんじゃないか?いきなりそんな昔のウマ娘について聞いてきてどうしたんだ?

 

 

 

 

 

 …………え、あの家に住んでいた夫婦の話を聞きたいって?

 

 そうだな……。あの二人は若いときにこの島に移住してきて、すぐに結ばれたよ。女性の方が少し後に引っ越してきたな。

 旦那さんは生まれつき身体が不自由だったみたいで、車椅子とか歩行器具がなければまともに出歩けなかったよ。

 

 でも、幸せそうだったよ。いつも、えらいべっぴんさんの妻が寄り添って、夫を支えていた。

 少しだけ症状が良くなったのか、こちらに来てから約十年後、夫の方は作家としての活動を始めたみたいだ。それなりに大きな賞とかも取って、島内でも割と話題になってたな。

 

 晩年はとうとう手も満足に動かせなくなったけど、代わりに奥さんが執筆していたよ。旦那さんが言葉を発して、奥さんがその言葉を記す……まさに二人三脚だな。

 数年前に夫の方が先に亡くなって、その翌年に奥さんも旅立ったよ。

 

 え?女性の方の名前?ウマ娘じゃないかって?

 

 それを聞くのは野暮ってもんさ。ほら、記者さん。せっかくこの島に来たんだ。こんな辛気臭いジジイの昔話なんか早々に切り上げて、観光だりなんだりした方が100倍いいさ。

 

 ……ま、これだけは言っとくよ。

 

 年齢も近く、近所のよしみもあって、それなりに仲良くさせてもらったけれど、いいなあと思った。

 理想の夫婦っていうのはあういうものを言うんだなと。

 

 ああ、そうさ。

 

 

 

 

 

 ターフの演出家と呼ばれた彼女のここでの一生は、間違いなく、誰よりも幸せそうに輝いていたよ。

 

 

 

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