私だけのトレーナー   作:青い隕石

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何故か続いてましたドーベル男慣れトレーニングシリーズ、これで完結とします。



最新投稿話
「なあドーベル、これもう男慣れのトレーニングですらないよな?」


 

 

 トレーナーという職業は、担当バのトレーニングを見るのが全てだと思われがちである。

 

 実際は半分そうで、半分は違う。メニューを組み、タイムを計り、フォームを見て、レースの映像を漁る。ここまでは想像通りだろう。だがその裏側には、同じかそれ以上の量の書類仕事が控えている。

 

 だから俺は、3ヶ月に一度、必ず一つのファイルと向き合う事になる。

 

 『四半期トレーニング内容報告書』

 

 各チームが何をどれだけやったかを申告する書類だ。

 

 ウマ娘の身体能力は人間の比ではない。裏を返せば、間違ったメニューを積み上げた時の反動も相応に大きいという事である。誰かが暴走した時に誰も気づけなかった、という事態を防ぐために学園が用意している仕組みだ。

 

 加えて、担当バの家に対する説明責任という側面もある。特にメジロ家のような名家となれば尚更で、預けている以上どんな指導を受けているのかを知る権利は当然にある。要するに、いい加減な事は書けない。

 

 とはいえ、書式自体は味気ないものだ。共有フォルダから雛形を落としてきて、項目ごとに並んだセルを淡々と埋めていくだけ。

 

 参考として回覧される他チームの記入例にも、『坂路20本』『体幹強化メニューの導入』といった、実に真っ当な文言が並んでいる。

 

 俺の入力欄も、ベテラン勢ほど整ってはいないが、それなりに真っ当なものが並ぶ。書く内容に困った覚えは無い。

 

 ……もっとも、それは両手が使える場合の話ではあるが。

 

 

 

 

 

 

 トレーニング後のトレーナー室。時刻は午後7時を回ったあたり。俺はソファに腰掛け、膝の上のノートPCを右手一本で叩いている。

 

 左腕は、担当バに絡め取られている。

 

 メジロドーベル。クールビューティーと称される、自慢の担当バである。俺の左腕に自分の腕をしっかりと通し、指先で袖口を握っている。長い尻尾は足に巻き付いていて、今日は既に三重目だ。

 

 ミーティングが終わった直後、彼女は「ん」とだけ言って腕を差し出してきた。抗議の余地は無かったし、抗議に意味が無い事も学習している。

 

 おかげで、書類仕事の効率は普段の3割といったところだ。キーボードというものが両手を前提に作られている事を、俺は嫌というほど思い知った。

 変換候補は矢印キーで一つずつ送るしかなく、範囲選択のショートカットに至っては指が届かない。先週、保存の操作を右手一本でやろうとして手首がつりかけた時は、思わず天井を仰いだ。

 

 彼女がこれだけ近いのは、3年前から行い始めた一つの習慣からきている。

 

 『男慣れトレーニング』。幼少期の経験から男性を極端に苦手としていた彼女のために始めたトレーニングだ。隣に立っていられる秒数を数える所から始まったそれは、去年の乱入騒動を境にハグまで跳ね上がった。

 

 最初は離れた位置で数秒だったものが、今ではこの有様である。距離が近づき、やがて0になり、気づけばコレだ。当初の目的である苦手意識の方は、誰の目にも明らかなほど克服されている。

 

 それでも彼女は、この習慣をやめようとしない。続ける理由について……俺は一つの見当をつけていた。断っておくが、俺はそこまで鈍い人間ではないつもりだ。

 

 3年である。3年間、彼女と共に歩んできた。

 

 ゲートに向かう直前だけこちらを振り返る癖も、機嫌がいい時に尻尾が一度だけ跳ねる事も、嘘をつくと語尾が幼くなる事についても、誰よりも知っている。

 

 今の彼女は、俺以外の男性職員とも普通に会話ができる。挨拶をして、要件を聞いて、必要なら軽く笑ってみせる。3年前を知る者からすれば、信じられない光景だ。

 

 そしてその誰に対しても、彼女はこんな距離の詰め方はしない。

 

 おまけにこの習慣は、トレーナー室の扉が閉まってから始まり、誰かがノックをすれば一瞬で解ける。その反応速度は正直、レースのスタートより速い。

 

 人に見られて困る事だと、彼女自身が分かっているという事である。正直、これで察するなという方が無理な話だ。

 

 それでも、口には出さない。

 少なくとも現時点で、俺は彼女の将来を預かるトレーナーであり、大人だ。だから気づかない事にしているし、彼女も気づかれていない事にしている。その暗黙の了解で成り立っていた。

 

 ……成り立ってはいたのだが。その建前を、そろそろ書類の方が許してくれなくなってきた。

 

 「……なあ、ドーベル」

 

 「何?」

 

 画面を彼女の方へ傾ける。実施内容のセル。今まで3年間、俺はここに『メンタルトレーニング』と入力してきた。提出用にぼかしてはいるが、その内容は先ほど説明した行為である。

 

 「これ、もう男慣れのトレーニングですらないよな?」

 

 「どこがよ」

 

 「どこがも何も、書けないだろこの内容。30分ハグなんて出したら審査止まるわ」

 

 「30分じゃないわよ。アンタに言われて25分で我慢してあげてるじゃない」

 

 「誤差じゃねえか」

 

 言い合いの最中も、ドーベルは腕を絡めたまま平然としている。こういう時、彼女は一切動じない。むしろこちらが騒いでいるのが理解できない、という顔をする。

 

 その顔を横目に、俺には一つ確かめたい事があった。

 

 トレーニングというものは、適度な負荷があって初めて成立する。楽な速度でいくら走ったところでスピードが伸びないのと同じだ。

 

 その観点で今の彼女を見ると、耳は張っても絞られてもおらず、尻尾も逆立っていない。呼吸は穏やかで、下手をすると眠りかけている。緊張の対極である。

 

 実を言うと、ドーベルの睡眠は極端に浅い。物音一つで目を覚ますと、合宿で同室になったウマ娘が言っていた。元来の性格によるものだろう。そんな彼女が、男の隣で船を漕ぎかけているのだ。

 

 「……ドーベル。これ、もう負荷になってないよな」

 

 彼女の耳が、ぴくりと動いた。

 

 「トレーニングとして考えるなら、って話だぞ。君は今、どう見ても緊張してない。慣れる為の練習が、慣れきった相手で成立するはずがないだろ」

 

 我ながら、随分と遠回りな言い方をしたと思う。君はもう俺を怖がっていない、と言っているに等しい。トレーナーとして、その先を口にするつもりは無かった。ただ、彼女が自分でどう答えるのかは少しだけ聞いてみたかった。

 

 沈黙が落ちた。時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。絡めた腕に、僅かに力がこもったのが分かった。視界の端で、彼女の耳が一度だけ向きを変える。

 

 言うか言うまいか迷っている時の癖だ。レース前に作戦を確認する時も、この耳をする。巻きついた尻尾の先も、床を叩くでもなく、ただ小さく揺れていた。

 

 やがて、ぽつりと。

 

 「……別に、もう克服とかどうでもいいのよ」

 

 「うん?」

 

 「私が続けたいから続けてるの。それじゃ駄目?」

 

 そっけなく、少しだけ上目遣いで言葉を発した。

 

 トレーナーとして正しい返事は、恐らく「駄目だ」である。目的を失ったメニューを惰性で続けるのは、指導者が最も避けるべき事だ。しかし、それを駄目だと切って捨てられるほど、俺は出来たトレーナーではなかった。

 

 「……分かった。それなら続けよう」

 

 「……そう」

 

 声が、少しだけ柔らかくなった気がした。同時に腕を抱え込む力が増し、肩に頭が乗ってくる。仕事し辛いんだが、と言ったら気のせいだと返された。気のせいで腕が痺れるものかと思ったが、これも言わないでおいた。

 

 最後のセルに辿り着いたのは、それから1時間後の事だった。窓の外はとっくに暗い。練習場の照明も半分は落ちている。残っているのは、時計の秒針と、俺の指がキーを叩く音だけだ。他の項目も何とか埋め終え、実施内容のセルに言葉を打ち込む。

 

 『メンタルトレーニング(担当バの希望による継続的スキンシップ)』

 

 結局、いつもと同じ書き方となった。毎度のことながら、たづなさんからの呼び出しが今のところ0件なのは、控えめに言って奇跡だと思っている。

 

 実施頻度のセルには、事実は事実だと自分に言い聞かせて『週2〜3回』と入力した。数字にすると余計に酷い。

 

 そして、最後の項目である完了予定時期。

 

 3年前、俺はここに『3年後を目処』と入力した。実際、その通りに目標は達成された。あの時は、このトレーニングを最後まで成し遂げられるのかと不安だった。克服を待たず、途中でドーベルの方から打ち切られる可能性が十二分にあったからだ。

 

 それが今では、そもそも終わりの時期が存在しない。彼女がこの習慣をやめようとする気配は、現状まったく見られない。

 

 手が止まっていると、彼女が横からキーボードに指を伸ばした。二文字打ち込み、変換して、確定。何事も無かったように腕を組み直す。

 

 『未定』

 

 「……おい」

 

 「未定なものは未定でしょ」

 

 流石に文句を言ったが、しれっとした顔で言い切られた。打ち間違いも、変換のやり直しも無かった。とっくに決まっていた答えを、ただ入力しただけという速さだった。

 

 まあ、確かにそうなのだが。これ、学園に提出する書類なんだが。そう思って彼女を見やるも、腕を組んだままどこ吹く風である。いつの間にこんなに図太くなったのか、見当もつかない。

 

 結局、俺はその二文字を残したまま、ファイルを保存した。相変わらずの片手操作である。

 

 3ヶ月後、俺はまた同じ雛形を開く事になる。その時、他のセルに何と入れるのかは今のところ分からない。ただ、この欄だけは書き換わらないだろうという予感があった。

 

 ふと、肩の方から微かな声が聞こえた。

 

 「……これからもずっとよ、バカ」

 

 小さな声。それを聞こえなかった事にした。彼女が俺に聞かせるわけではなく、独り言として呟いた気がしたからだ。

 

 だから代わりに画面へ視線を戻したまま、俺も静かに独り言を呟く。

 

 「……未定のままにしておくか」

 

 返事は無い。ただ、絡めた腕が更に強く、胸元へ抱き込まれた。

 

 





8月上旬から夏季休暇も重なり、別作品での沖スズ短編、秘封短編、FGO短編など連続で投稿できました。

いよいよ東方秋季例大祭の原稿〆切が近づいてきてるので、一旦いつものスローペースに戻ります。
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