近くに電車でも通っているのか、ガタンガタンと振動が喫茶店の窓枠を揺らしていく。汽笛の音が聞こえたから、もしかして蒸気機関車とか? この町の雰囲気にはぴったりな気がする。
だとしたら見てみたいな、実際に走ってるSL。
「とりあえず自己紹介ってのはこんなところでいいか? ブラザー奏多」
お互いにビシッときめていたポーズをといて席に座りなおすと、アイちゃんがひとつ咳ばらいをしてから聞いて来た。だけど僕はそれに待ったをかける。
「待って待って。僕は君の事もっと知りたい。魔法使い? 超能力者?」
「魔法使い」
「そうなんだ!」
「だから信じるのはえーな、おい」
一番気になることを聞いたら、情緒も何もなく実に平坦な声であっさり返されてしまった。だけど答えてくれたことが嬉しい僕にとって、それは些細なことだ。
そうか、魔法使いか! ならさっきのは、魔法!
「だってこんな状況だし、なによりさっき空を飛ぶなんて奇跡体験させられちゃね。疑うどころか、逆に納得」
「ふぅん」
声のそっけなさとは裏腹に、アイちゃんはもぞもぞと座りなおしたりテーブルを指でトントン叩いたり目を泳がせたりしている。……これって、照れてる? なんだか可愛い人だな。
先ほど高所……後になって見上げたそれは無造作に積まれた箱のような奇妙な形のビルだったのだが、ともかくそこから飛び降りた僕たちは、途中まで重力のなすがままに落下していた。その時の風で乾いたのか、頬の切り傷から流れていた血はもう固まっている。
落下の浮遊感を感じている最中は、このままでは地面に叩きつけられて潰れたトマト二つのできあがり! ……ってなものだったのに、そうはならなかった。
僕はあの感覚を、この先の人生で忘れることは無いだろう。
様々な時間帯が同時に存在する絢爛の空。日を受けた明るい場所と、人口の明かりが灯る薄暗い場所が混在する異国の町。
それらを視界に収めながら、僕たちは落下の途中で柔く風に受け止められた。
まるで温かな空気で出来た、巨人の手のひらに降り立ったようで。
……そのままゆっくりと下降し地に足をつけるまで、恐怖ではなく感動で僕は言葉を発することが出来なかった。
「だから飛んだんじゃなくて、浮いたんだっての。飛ぶのはまだできねー」
しかしそんな奇跡を、まるでしょうもないものかのようにおざなりに扱われる。でも彼にとっては、きっとそういうものなのだろう。価値観が違うのだ。
なんといったって、アイちゃんは魔法使いだもの!
「まだってことは、修行中? いずれ飛べるって事!? なにそれすっごい!」
「乗り出すな乗り出すな、暑苦しい」
「だって興奮せずにはいられないだろ!? もう僕、さっきから胸の動悸が収まらないんだ!」
未だ注文した品が並ばないテーブルに手をついて身を乗り出せば、アイちゃんは頬杖をついて僕を見上げる。その瞳はどこか探るようだ。
「…………怖くないのか? あんな目に遭っておいて」
うーんと少し考えてから、答える。
「びっくりしたけど、正直恐怖より興奮が勝ってる。こうして素敵な出会いにも恵まれたしね」
「素敵……ね」
まだ照れているのか、アイちゃんは歯切れ悪く繰り返す。やや俯いたため、前髪に隠れてその表情をうかがい知ることは出来ない。
でも照れようがどうしようが、僕の好奇心は止められない! まだまだ聞きたいことはたくさんあるんだ!
「ところでアイちゃんはどこの生まれ? 見た目からして外国の人だよね。でも日本語がすごく上手い! 日本在住? だとしたら何年くらい住んでる? ハーフ? クウォーター? 何処に住んでるの? 君も僕と同じでビルの半地下から迷い込んだ? その可愛い服どこで買ったの? いつもその恰好? 魔法使いの学校とかあるの?」
「だぁッ! ぐいぐい来るなお前! つーか俺自身への質問より、もっと他にするべきもんがあるだろうが。ここは何処だとか、さっきの化け物はなんなのだとか、なぜ襲われてたとか!」
「……あー……」
「お前マジか? 思い至ってなかった?」
さらに呆れた視線に晒されて、頬をかきながら曖昧に笑う。
「君の事の方が気になりすぎて……へへ。いや、聞こうとは思ってた」
「……はぁ」
「えーと! それで、アイちゃん知ってるの? さっきの変な真っ黒棒人間たちのこと! とか!」
「真っ黒棒人間……まあいいか。とりあえず、アイちゃんってのは冗談だからアイザックと呼べ。その暑苦しいキラキラ笑顔で連呼されると、どうもすわりが悪い」
「ええ~? 君がそう呼べっていったのに。……まあ君が嫌なら改めるけど。それで、アイザック。君が知るこの不思議な町のこと、教えてもらえる? というか失念してたけど、もしかして君はここの住民?」
質問ばかりの僕に対して、アイザックの対応はあくまで冷静だ。僕に負けないクール加減。
先ほどまでの粗暴さとのギャップに驚くけど、あんな風に襲われてる時と今じゃ印象が違うのは当たり前なのかもしれない。ちょっとダウナーっぽいよね。あと突っ込み気質。
「ここの住民か? ノーだ。俺もここには迷い込んだ身ってやつさ。だけど、まったく知らないってわけじゃない」
そこでアイザックは言葉を区切る。注文した料理が運ばれてきたのだ。
オーダー通りのホットサンドとクロワッサンサンド、ブレンドコーヒーにたっぷりのカフェオレ。店員の真っ黒棒人間に「ありがとう」とお礼を言って、乗り出していた体を席に落ち着かせる。
僕たちはどちらともなしに、飲み物に口をつけた。
そして一息。
「んで……。話す前に、ひとつ提案だ。この町に俺達みたいな人間は俺とお前だけ。そして一人でここから抜け出すには骨が折れる」
「うん」
そうなんだ……と思ったけど、話の腰を折らないために口には出さない。
相槌を打ちながらアイザックを見る。群青色の瞳とぶつかった。
「手を組まねぇか? お互いここから元居た場所へ帰るために」
口角が持ち上がった。僕の返す答えは、ひとつに決まっている。
「乗った!」
「だから早いんだよお前。もう少し考えるとかねーの?」
「うーん。考えても、返す答えは同じだし」
「……さよけ」
呆れられたので顎に人差し指の第二関節を当てながら少々考えるも、いくつかシミュレーションを挟んでも他に返す答えは無いだろうなと結論に至る。少なくとも、僕側としては断る理由がない。
だけど、アイザックはいいのかな。
「あ、……でもいいの? 正直僕は君みたいに不思議な力も無いし武器も使えない。君が一人で動いた方が効率いいんじゃない?」
「おっま、よくこの状況でその選択肢を示せるな。俺はともかく、お前は一人で動いたら死ぬぞ?」
「んー。なんというか、これは自分を無下にしてるんじゃなくてただの確認だよ。君は僕に何ができると思って、仲間に誘ってくれたんだろ? もちろん君が、こうして不思議な町に迷い込んだか弱い少女を見捨てられない心優しい少年だからって理由なら納得するしかないけどね!」
ばちっと我ながらうまくきまったウインクを投げつけながら言えば、アイザックは言葉を失た後……ぎゅっと眉間に皺を寄せて、真っ赤にゆだった顔で大きな声を出した。
「だあァ! ばっかじゃねーの! 馬鹿じゃねーの、お前! こっぱずかしい言い方しやがって! お前な、いつか騙されて後悔することになるぞ!!」
「あれ、結構照れ屋さん? かっわい~」
「黙れ! 俺は見た目を可愛いと言われるのは大大大好きだが性格を可愛いと言われるのは屈辱なんだよ!!」
「なるほど! ねえ、アイザックってすっごく可愛いよね! ブロンドのキューティクルが最高だし瞳がきらきら光る海みたい! 服のセンスも最高だし、お肌も手入れに気を遣ってるのがよ~くわかるよ! きめ細かでとても綺麗だ」
「!! ……ふっ。おうおうおう、お前わかってんじゃねーか……へへ」
案外乗せやすいって事も分かった。今述べた感想は全部本心だけど。
だってアイザック、本当に可愛いし。多分僕が生きてきた人生の中で一番。
「……ま、何はともあれこれで俺たちは一蓮托生の協力者だ。よろしく頼むぜ、奏多」
「こちらこそ。それにしても、やっぱり君って日本語上手いよね。一蓮托生、とか言うし」
「そりゃどーも。……で、本題に入るぞ。ここもいつ襲われるかわからねぇしな。しっかり食ってしっかり話を聞いておけ」
「はーい……って、あいつら追って来るの?」
「そりゃ、追ってこない理由がねぇ」
「まず僕は君が襲われていた理由が知りたいかな。助けてもらったし感謝してるけど、あれって君が来たから僕が巻き込まれたってことでしょ?」
「…………。いや、お前マジでよく俺の話うけたな。その辺気づかないでスルーしてるのかと思ったぜ」
「まさか」
「ま、正解。でもさっきは巻き込んだが、どちらにせよお前もあいつらに見つかれば襲われるぞ」
「その理由は?」
アイザックはにやりと笑い、トンっと胸の中心を指で突いた。
「俺たちが、魂あるものだからだ」
* * * * *
「ここは町の形こそしてるが、
「なぞかけ?」
「そういう概念」
さくっと食事を終えた僕たちは喫茶店を出て町を散策していた。時々すれ違う真っ黒棒人間はその見た目以外、仕草は人間そのもので、それぞれ穏やかな日常を過ごしているように見える。
空を見上げれば相変わらず夕方と朝方と昼間と夜と宇宙が同居していて、その色は未だ変わることが無い。アイザックによれば、ここは時間が経ってもずっとあんな空色らしい。
僕はそれを少しばかり残念に思った。空はその時その瞬間を切り取った色だからこそ美しい、という持論があるからだ。綺麗なことに変わりはないけどね。それにここが"それが普通の場所"なのだとしたら、僕の感想自体が身勝手なものだろうし。
ふと、見上げついでにさっきは上から見た時計台を今度は下から眺める。
どうも塔の四方にそれぞれ時計がついているらしく、町のどこからでも時間が確認できる仕様みたいだ。現在指し示されている時間は二時。
喫茶店で思ったより時間使ってたのかな。
……などと考えてよそ見して歩いていたら通行人の真っ黒棒人間とぶつかりかけて、お互いに会釈してすれ違う。……うーん、本当に見た目以外は人間。
『あいつらは誰かの影。世界のどこかに居る自分の本体を模倣しながら、ここで生活している。だけどさっきの奴らみたいに本体がなくなっちまった奴らは、どうにかそれを得ようとして魂ある者に群がってくるのさ。剥ぎ取って、取り込むためにな』
店で聞いた言葉を反芻する。
「アイザックが色々知ってるのは、魔法使いだから?」
「まあな。魔法使い一般教養ってやつよ」
「へぇ~。……あ! 見て見てアイザック! ジェラートの屋台がある!」
我ながら興味がうつろいやすいけど、それはこの町が悪い。ワクワクさせる上に僕が好きそうなものがすぐ目に飛び込んでくるんだもの! 僕がこの状況にあまり恐怖を感じていない原因の一つでもある。
あの屋台もアイスじゃなくてジェラートって書いてあるのがいい。アイスとジェラートの違いが名前だけなのかそれとも物自体に違いがあるのか知らない僕だけど、前にイタリアの特番を見て興味があったんだ。
「お前……食ったばかりだろ。いや俺も食うけど」
「僕は食べるとまで言ってないけど。ただ素敵なものがあるなぁって。ふふっ、だから食いしん坊はアイザックだよな」
「うっせ。こんな最強可愛い俺がジェラートを手に持つ。最高に絵になるだろ? お前は目の保養、俺は美味いものにありつける。完璧だ」
「た、たしかに!」
軽くじゃれながらジェラートの屋台へ向かう。こうしてると友達とテーマパークに来たようで、まったく危機感が湧かない。アイザックもなんだかんだノリが良いから普通に楽しいんだよね。
ちなみに先ほどの店でもそうだったけど、この町では日本円が通貨として使えるっぽい。アイザックいわく僕たちが「価値がある」という認識をもっていれば、この町では何でもお金として使えるとのことだ。
ちなみにアイザックは何処の国のものか知れない銀貨で支払いをしていた。外国のお金って興味あるな……。
「それってどこの国のお金?」
「んにゃ、ゲーセンのコイン。ワールドファンタズムってゲーム知らね?」
「そういうのでもいいんだ!?」
「ああ、俺としては現金と同じ価値がある。好きなんだ。……すげぇよな、生み出すことができるやつってのは」
しげしげとコインを眺めつつ、ピンっと指ではじいてキャッチするアイザック。
アイザックが言うゲーム、名前だけは聞いたことあるけど……専用コイン(しかもけっこう凝ってる)があるという事は流行ってるんだろうな。帰れたら遊んでみるのもいいかもしれない。
「それで、色々知っててとっても可愛い魔法使いさん。僕たちはどうしたら帰れる? それと改めて聞くけど、僕に出来ることは?」
チョコレートとピスタチオのジェラートで幸せそうに頬を緩ませている彼女……じゃなかった。彼に聞けば一瞬前の愛らしさとは裏腹に、たいへん意地の悪そうな笑みを浮かべられた。それも可愛いんだけど、少しばかり身構える。
「出来ることはなぁ……やろうと思えば誰にでもできるが、一人でやるとめちゃくちゃ大変な作業だよ」
僕はそれに一歩引きつつ、なんとか笑顔で聞き返した。
「それって?」
「町中しらみつぶしに駆けずり回って帰り道を探す」
「シンプル!」
「だろー?」
今度は快活に笑ったアイザック。その表情は可憐な少女を構成する見た目の中で、びっくりするくらい"少年"だったから少し驚いた。歯を見せて笑う様子は無邪気だ。
……そんないい笑顔で肯定されてしまったけど、うん。たしかにそういった事なら僕にも出来る……かな?
結構広い町だし、一人だと見落としも多そうだ。一緒に動くから範囲のカバーはできないけど、足りない視角を補う事が可能、と。
「帰り道がどんな形をしているかは分からねぇが、それはこの町にとって俺たちと同じく異物。見れば違和感で気づけるだろう」
「了解。とにかく違和感のあるものを探せばいいんだね」
曖昧だけど感覚で見ていいなら特定のものを探すより逆に楽かもしれない。
胸をはって任せてよ! ……そう言うつもりだったんだけど、ふいに少し硬い皮膚をした手が顔に触れて、思わず言葉を飲み込んだ。
「! ……と、なに?」
「いや、俺もそこそこ気を張ってたらしい。悪かったな、そのままにして」
「だから何……ああ」
目の前の情報を取り込むことに夢中で、そういえば頬を怪我していたのだと言われてから思い出した。アイザックの手がざらりと血の固まった切り傷を撫でる。……痛くはないけど、くすぐったい。
「君もなかなか距離感近いよね。可愛いから許すけど、会って間もない女性の顔にふれるのは紳士じゃないよ。可愛いから許すけど」
「お前の基準がばがばすぎじゃねーの? けどお前の言う通り俺は可愛い。紳士でなく美少女だから許される。オーケー?」
「清々しいからオーケー!」
「言っといてなんだがいいのかよ」
何故か僕の方が呆れられた。おかしくない??
「とりあえず、応急処置な」
「え?」
ぱっと手を離したアイザックは背を向けて歩きだす。僕は彼のふれた頬に手を当てて……目を見開いた。
「傷が、無い……」
「ないわけじゃない。血を洗い流して切れた皮膚を仮縫いしただけだ。強く刺激を与えるとまた開くから気をつけろよ」
「え、え。どうやって!?」
慌ててアイザックの背を追いながら問いかければ、彼は振り向きざまに笑った。
「魔法使いだからな」
「あ……うん」
「あと、さっきの訂正。俺は美少女であり、紳士でもある。だから女の顔に傷はのこせねーよ」
……色々と、すごい人に出会ってしまったかもしれない。
不思議な町で出会った不思議な美少女少年は、可愛いだけでなくとても格好良かった。
「もう必要ないしな……」
「? なにか言った?」
「いや、なんでもない」