「お前ら……なんで……」
アイザックがどこか呆然とした声でつぶやく。僕はそんな彼の視線を辿って……鉄のパイプや梯子、通路で入り組んだ一角に人影を見つけた。
建物の中に光源として設置されているガス灯……そのオレンジ色の光に照らされているのは二人。白っぽいシルエットは、見つけてしまえばひどく目立って見えた。
人影は通路の手すりに座っていたようだったけど、軽やかに宙を舞い階段の僕らを通り越して吹き抜け側の通路に立つ。外の光に照らされた人物たちは、逆光ながら整った顔立ちだとわかる。それもそっくり同じ顔が、ふたつ。鏡合わせの様に同じ顔だ。
銀の瞳が二対こちらを見つめていた。肩口で切りそろえられた白い髪は、先ほど突風が襲ってきた吹き抜けの近くに立っているのにそよとも動かない。
その容姿と人間とは思えない身のこなしに、うすら寒いものを覚えた。……たしかにそこに存在しているはずなのに、ひどく気配が薄いのだ。
「知り合い?」
小声でアイザックに問えば、彼が口を開く前に陽気な声が応じた。
「ああ、そうだ。初めまして少年!」
「トキ、あれはお嬢さんだよぉ」
「なに? それは失礼した。初めましてお嬢さん、ごきげんよう!」
快活な挨拶とくすくす笑う声に、それまで薄かった気配が存在感を増す。そのことにほっと胸を撫でおろして、僕も元気に返すことにした。挨拶には挨拶! マナーだからね!
「ごきげんよう!」
「それで返すのかよ」
相手に合わせて挨拶したらようやくアイザックが声を出した。いやだって……上品な挨拶されたから僕も負けていられないなって……。
「まあまあまあ、アイザック。あなた思っていたよりお元気そうだねぇ。落第おしまいお先真っ暗寸前だって言うのにねぇ」
謎の対抗心を発揮した僕に切れのいいツッコミを飛ばしてくれたアイザック。そんな彼に、嘲りのような言葉が投げかけられた。しかし台詞とは裏腹に声色は穏やかで、どこかアンバランスだ。
「黙れ! ……とにかく、お前らに干渉されるいわれはねぇ。さっさと帰れ」
「ひどいなぁ。だけど君、わたくしたちの力添えが必要だろ?」
「は? そんなもんは必要ねぇな」
相手が誰かも、何をしに来たのかも分からないまま……僕を置き去りに、知り合いらしい彼らの会話は続く。でも会話の内容からこの町を出るために迎えに来てくれた魔法使い仲間かな? と見当をつける。
うん、それなら不思議な雰囲気にも納得だ。魔法使いだものね。
アイザックは銃とかぶっ放すから、いくら世界遺産的に可愛くても神秘的かって言われると首を傾げる。でも新たに表れた双子っぽい彼らが魔法使いだというのなら、ぴったりだ。すごく神秘的。双子ってところもポイントだよね。
「ねえ、アイザック。そんなつんけんしてないで、話を聞いたら? 知り合いなんでしょ。協力してもらえるなら労力が単純に考えても倍だ」
とりあえず何を意地張っているか分からないアイザックに提案してみるが、ぎゅっと顔の中央によった皺の数を見るにとても嫌そうだ。
「いいことを言うねぇ。そうそう、落ちこぼれのアイザック。あなたには私たちが必要だよぉ」
「うっせぇ!」
「でも君、もう完成させる気ないだろう? だからわたくしたちが来たのだよ。なあ? クウ」
「そうだねぇ、トキ」
名前はクウさんとトキさん、か。間延びしたような話し方をするのがクウさんで、僕と似た話し方をするのがトキさんでいいのかな。よし、覚えた。見た目は完全に見分けつかないけどな! 服まで左右対称、そっくりなんだもの。
「……俺がどんな選択をしようと、それ含めて全部俺のもんだ。お前らの手だし口出しは無用だぜ」
ここまで数時間。その中で聞いたことが無い、絞り出すような低い声に身が強張った。
基本的にアイザックの声は中性的だ。声変わり前の男と子としても、高い方だろう。……でも今のは凄く低い。
アイザック、怒ってる。
「ふふ……はは。あっはははははは! 馬鹿みたい、ばっかみたーい! 虚栄心ばかり高い空も飛べない出来損ないのくせにぃ! せっかくの最後のチャンスまでパァにするのぉ? いっそ道化じみていて素敵だよぉ! 私、あなたのそういうところが大好きぃ♥」
「でも、本当にいいのかな? 成功しないと、いよいよ君の存在理由が無くなってしまう。誰かが君を消すことは無いけれど、わたくし達に"無意味"が付加される……それがどういうことか、わかっているよね」
「…………」
い、いよいよ会話の意味が分からない。ええと……この人たち、この町から帰るための手伝いをしに来てくれたわけじゃないのかな? 話の内容を聞く限り。
アイザックの手助けをしに来たってことは確かなようだけど、僕にはその内容が分からない。とりあえずアイザックがめちゃくちゃ馬鹿にされつつ、めちゃくちゃ好かれていることは理解した。
だって、嘲るような言葉を投げかけるくせに他人の僕が分かるくらい……表情が言外に物語っている。
心配だ、と。
ついっと二人がそれぞれ右と左の腕を上げた。外からの光源をスポットライトかと錯覚させるような優雅な動きで、彼らは歌うように言葉を紡ぐ。。
「わたくしは縦の糸。時間を超える」
「私は横の糸。虚空を超える」
「「そして二人で世界をも超えられる」」
口を挟めないどこか神聖な空気に喉が張り付く。目の前の彼らは……そして彼らが案ずるアイザックとは、何なのだろう。
魔法使い。確かに超常的な響きだけど、それだけだと足りない。神秘的……神秘……シン……そう。
まるで、神を身に秘しているかのようで。
「おい、飲まれるな」
「え? って、おわわわわわわわ! ちょっとアイザック、ゆさぶらないでよぉぉぉぉ!?」
目の前の光景に見惚れていたら、僕を担いでくれているアイザックが自分の体ごと前後左右に揺さぶるもんだから一気に目が覚めた。ちょ、怖い怖い怖い! 落ちる! というか僕が格好良さを体現するために日々体幹を鍛えていなければ落ちていた!! もう、なんだよいきなり!
「あはは! なにそのおもちゃみたいな動き。おっもしろぉ~い!」
「ははは! なかなかに愉快!」
アイザックに振り落とされないよう必死になって体幹を駆使しつつしがみついてたら、その様子がおかしかったのか双子に笑われた。うん。僕も傍から見たらこれ滑稽で面白いと思う。でもここ階段だから! 危ないから!!
さすがに無理な動きと体勢でアイザックも疲れたのか、最後には僕をおろして二人してぜーはーと息をした。そんな僕らを見て、双子がひとしきり笑った後で声を潜める。
「哀れだねぇ。私たちの様に、君にも補ってくれる双子がいたら良かったのにねぇ」
「わたくしたちはそれぞれの在り方だけだと弱いんだ。本来、一人でわたくし達二人分の性質を併せ持つのがわたくし達の種族。ふふっ、君からしたらわたくし達の方こそできそこないだろうね。……でも二人揃えば、世界を創造しうる君のような存在にも迫ることが可能さ」
「あの……。盛り上がってるところ悪いけど、まったく話が見えないんだけど?」
「ああ、そうだったそうだった。君は何も知らないものね、礎のお嬢さん」
なにやら変な呼び方をされた。僕はイシズエなんて名前ではないんだけど……イシズエ……礎?
僕が呼ばれた言葉の意味を考えていると、詠うようなユニゾンが鉄の壁に反響する。
「「それはね……」」
薄い唇の前で人差し指を立てて目を細める麗達人。年は僕とそう変わらないように見えるのに、まるでずっと年上を相手にしているような空気に再度飲まれかける。
隣でアイザックが何か言っているが、僕は魅入られたように目を離すことができなかった。
しかし、その時だ。
空気ごと破壊する轟音が、下から突き上げるように鳴り響いた。
「ななななな!? なになになに!?」
「あああ、もう! お前らが来るからだぞ!」
音にふさわしい大きな振動が遅れてやってきて、鉄の建造物が馬鹿みたいに揺れる。あちこちで繋がっていたパイプがはずれ、蒸気が吹き出しあっという間に僕たちの視界を奪っていく。まるで濃霧だ。
「やっば」
「来てしまったね」
双子は何でもないように言うけれど、彼らの視線が向かった先……濃霧の中でぬらりと赤く光ったものに警戒心が爆発的に高まる。
なにかが……来る!!
そして霧を裂くように現れたのは、まず黒い腕。次に頭。……だけどそう認識するまでに数秒を要するほど、その大きさは僕の常識の遥か外に位置していた。何あれ大きい。
鉄片やコンクリートの残骸をまき散らし、これまで登ってきた階層をぶち抜いてきたであろう破壊者の正体はお馴染み真っ黒棒人間。だけどこれまでと違って、口を開けたら僕たち全員ぺろりと呑み込めるんじゃないかって大きさだ。いや、口ないんだけど!
でもこれも今までの棒人間と違って、こいつには目がある。た、多分位置的に目。顔の上半分中心に、真っ赤に光るビー玉のようなものがくっついているのだ。無機物的なそれだけど、確かに僕らを"観て"いる。
大きさのせいかその挙動は遅いが、それがまるでハンデにならないのはそのサイズのせいだ。あっという間に距離を詰めてくる。
「何あれ何あれ何あれ! アイザック!! いきなり世界観違くない!? 怪獣!? いや妖怪!? 真っ黒入道!?」
「くっそ!」
アイザックは僕の手をつかむと、ぐっと足に力を入れて大きく跳躍した。肩が外れそうで悲鳴を上げかけたけど、今まで僕とアイザックがいた階段が、大きな手でくしゃりとつぶされるのを見て悲鳴ごと息を呑み込んだ。……一瞬でも遅れていたら、ぺちゃんこだった。
「何がどうなってあの大きさになったの! 合体!?」
「それは……ッ」
今まで何を聞いても基本的に淡々と答えをくれたアイザックが言葉に詰まる。そしてその代わりと言わんばかりに、するりと僕の横に陣取ってきた誰かがささやく。
「あちらが本気を出してきたのさ。君を守るためにね」
「は……? うわぁ!!」
「奏多!」
「アイザック、君にはやはり荷が重い。わたくし達がこの子を預かるよ」
「そうそう。もうあと少しのところまで回ったんだろう? 君はせいぜい残り時間、あれにやられないよう逃げ回るといいよぉ」
するりと腕を絡まされたと思ったら、すごい力でひっこぬかれた。背中にはぬくもりとは程遠い冷気に似た何かを感じ、白い腕が僕の体の前で交差する。
僕にはなにが起こっているか分からないけど、今アイザックと離れるのはダメだと感じた。だから僕はアイザックに腕を伸ばす。
「アイザック!!」
「奏多! まってろ、今行……」
言いかけたアイザックを巨大な手が横凪ぐ。
「アイザック!!」
人形みたいに壁に叩きつけられたアイザックを見て悲鳴をあげるが、クスクスと軽やかな笑い声が耳をくすぐった。
「大丈夫だよぉ。今くらいなら、まだ」
「でも、あんな……!」
「大丈夫。わたくしたちはよほどのことが無い限り、物理的なダメージでは死なないよ」
「あの黒いのはよほどのことに入るけど、今くらいならちょっとしたお灸かなぁ。もたもたしているアイザックが悪いしねぇ」
「君たちは何を言ってるんだよ!」
適応力についてアイザックから太鼓判をもらった僕でも、流石に許容量を超えた。喚き散らすのはかっこ悪いけど、それでも今は抗う必要がある。このまま流されるだけでは危険だ。
「ッ!」
「わっ」
咄嗟にアイザックからあずかりっぱなしのハンドガンを、僕を抱きしめている相手につきつけた。当然撃つつもりはないけど、こうでもしないと離してくれなさそう。話し方的に、おそらく相手はトキさん。
「おやおや物騒だね。でも君、下を見てごらんよ。今ここで君を離すわけにいかないのだけど」
「下……うわあああ!?」
「あはは! アイザックしか見えていなかったのかなぁ」
言われてからよくよく見てみれば、僕は抱きしめられたまま……空を飛んでいた。
僕の視線は建物内部で壁に叩きつけられたアイザックにむいていたけど、真下を見れば遠く町の屋根が見える。いつのまにか外に飛び出していたらしい。
「見てごらん」
「え……」
目を白黒させる僕に、クウさんの方が空を指さした。その先は僕たちが上っていた建物の上だ。
「あれは……」
建物の上。そこには薄らぼんやりと輝く白い階段が、螺旋を描きながら天へと続いていた。あんなもの入る前は見えなかったのに……。
「アイザックはねぇ、君をあそこから帰そうとしていたんだよぉ」
「困ったものだね。もともと甘い性格ではあったけど、今回ばかりは打算に徹しきれなかったのは頂けない。自分の存在がかかっているのに」
「波長が合う相手というのも考えものだよねぇ。きっと、君といて楽しくなっちゃったんだねぇ。自分の存在以上に、満足しちゃったんだねぇ」
「だから、君たちは何を言ってるの!!」
「種明かしをしてほしい?」
「!」
ずいっと顔を近づけられて肩がすくむ。アイザックの瞳は美しいだけじゃなく色んな感情に煌めいていたけれど、この人たちの瞳はどこか無機物的だ。さっきアイザックに向けていた心配を含んだそれとは違う。
これはきっと、僕に興味がないからだ。
「……ッ。知りたいけど、それはアイザックから聞く! お願いだ。僕をアイザックのところまで連れて行ってくれ! あんな風に叩きつけられて無傷なわけないだろ!? なあ!!」
「だ~め。だって君はこれから僕たちと最後のポイントへ行くんだから。アイザックが連れていけなかった場所にねぇ」
「ああ。そう遠くないから安心してくれたまえよ。わたくしたちが向かう先は、あそこさ」
示されたのは街を歩いている間、ずっと目にしてきた時計塔。現在短針がさしているのは九時。
「おや、少し時間がすすんだか。……ふむ、九十年経過、か」
「種の成熟とリミットまであと三十年だねぇ。まあまあまあ、ちょっと待っていればすぐだよぉ」
「本来試験の手助けはいけないのだけど、アイザックは完成させる気が無くなっていたからね。上様方もご納得されるだろう。せいぜい後で罰を受けてもらうさ。なぁに、存在が消えるのに比べたら易い易い」
僕をはさんで行われる会話を理解することは諦めた。それよりもアイザックの事が気になって、じたばた暴れながら半分崩れた建物を見る。
……くそッ、この人細くてなまっちろい腕してるくせにビクともしない。アイザックみたいだ。今離されたら下へ真っ逆さまに落ちるだけってのはわかってるけど……でも。
瞬間。鋭い風切り音が聞こえた。
「おや?」
暴れる僕を押さえつけていた腕を、何かが穿つ。同時に僕の体が宙を舞ったわけだけど、そこから落下することなく……手をつかまれた。
「今度は、掴んだぞ!」
「!!」
頭から血を流しながら、アイザックが僕を脇に抱き寄せた。数時間前の事なのにやけに昔のように感じる、最初に出会って飛び降りた時の様に。
「やだなぁ。わたくしたちは君のために動いてるのに、これはいささかひどくないかい?」
「大きなお世話だ」
「とはいえ、君ねぇ。浮くことしか出来ないのに、よく偉そうに吠えられたものだよねぇ。愚かだねぇ、可愛いねぇ」
「浮くだけなら浮くだけで、やりようはある!」
「ん~?」
猛るように吠えたアイザックは、お馴染みのマジカルステッキ……もとい杖型の銃を構える。
「わたくし達を撃つのかい?」
「なんてひどい。善意を仇で返すなんて」
「善意だろうがなんだろうが、押し付けられたもんをありがたがるほど神が出来てねぇんでな」
言うなりアイザックは銃を撃った。しかしそこから飛び出てきたのは鉛玉ではなく、凄まじい勢いの突風だった。どれほどすさまじいかと言うと、それによって浮いていた僕たちがジェットコースターもかくやというスピードで押し出されるほどの威力。
すれ違いざまに黒い影が双子に伸びるのが見えたけど、僕としては今それどころじゃない。
「うわああああああああああああああああ!?」
人生の中で二回程度しかジェットコースターに乗ったことが無い僕に、悲鳴を押さえるなんて芸当は到底不可能。脇からアイザックに抱き着いて恐怖をおさえることしか…………………。しか…………。
「腰ほっそ!」
「今出てくる台詞かよ!」
「ごめんつい!」
抱き着いたらアイザックの腰があまりにも細くてつい声を上げてしまった。だって腕を回すのは初めてだから、まさかここまで細いとは……! 僕と一緒にあんなにたくさん食べたのに……!
「っと」
そうこう考えているうちに高速移動は唐突に終わった。どこかへ降り立ったらしい。
「うわ、でも高い!?」
しかしそこは地面などでなく、どこかの建物の屋根。下を見れば依然として高い事にかわりなく、僕は恥も外聞も無くアイザックに抱き着いた。そしてやっぱり腰ほっそ! と思った。羨ましさの極みである。
アイザックはそんな僕に特大のため息をつくと、腕を放すことなくそのまま僕を抱き寄せた。……って、抱き寄せ!?
「あ、アイザック!?」
「…………ごめん」
「…………アイザック?」
僕の肩に額を乗せ、アイザックは絞り出すような声で謝罪の言葉を口にした。聞きなれた怒号や快活で自信たっぷりな声とは真逆のそれに、なんとなくなだめる様にアイザックの背中を撫でる。
呼吸音が聞こえるほど近くで、互いの体温がじんわりと沁みた。
「悪かった、ごめん。すまない。ごめんなさい」
「何、どうしたのさ。そんなバラエティに富んでるようで富んでない謝罪の言葉なんていらないよ。それより僕は、君の事が知りたいな」
ぽんぽんっと背中を叩きながら言うと、アイザックの肩が跳ねる。……この場面で言ったら怒られそうだけど、アイザックっていい香りがするな……!
鼻をすんすん動かしそうになるのを必死で抑えてアイザックの言葉を待つ。
「…………。俺は一番最初から大噓つきだ」
「ほうほう。大嘘つき。ちなみにどこから?」
「本当に、最初から。…………俺は魔法使いなんかじゃない」
「えっ。そ、それは結構なショックなんだけど! 普通に納得していたし、魔法使いって響きにわくわくしてた!」
「……悪い」
アイザックのカミングアウトにうろたえる僕だったけど、それなら不思議な力を使うアイザックは……アイザック達は何なのだろう? と考える。
そういえば、さっきアイザックはこう言ってなかっただろうか。
『押し付けられたもんをありがたがるほど神が出来てねぇんでな』
聞き間違いだと思ったそれが真実だというのなら……。
僕が推測を立てている間に肩から顔を上げ、互いの息がかかるほど近くで……アイザックは吐息の様に答えを吐き出した。
「俺は……神もどき」
くしゃりと歪んだその顔は、今まで見てきたどんな表情より幼かった。
「想像力が欠けていて、存在を確立できなかった神のなりそこないだ」
■ ■ ■ ■ ■
概念。
それが神という種族の魂ともいえる核だった。
生まれてからしばらくは親の概念が仮初の核となり、成神することで己自身の核を得る。神とは言うが、そういった生殖サイクルを持つ生命体が俺たちだ。
どこかでそう呼ばれたから、種族名として名乗ることにしたらしい。そう伝え聞いている。
成神の儀式には昔仰々しく御大層な名前がついていたようだが、今はシンプルに「試験」と呼ばれている。神か、神ならざるものかを決める試験。
神によって種族ごとに要する概念は違う。生まれが近かったトキとクウは【時空】の一族。そして俺の一族は【創造】。
創造と言えば幅は広いが、試験として出される課題は俺たちが最大で何を生み出せるかが肝となる。生み出せる規模の最大……それは【世界の創造】だ。
しかし大人の様に最初から宇宙ごと作り出せるわけじゃない。ほんの小さな箱庭を作れば試験は合格。小規模でも世界を作ったという事実が、俺たちの魂であり心臓である核となる。
だけど俺にはその小規模な創造すら叶わなかった。原因は想像力の欠落。
俺には見えたことないが、同族の奴らにはこれまで俺たち種族が作り出してきたありとあらゆる世界が見えていたらしい。特に意識することもなく触れていたため、俺にそれが見えていない……という事実に誰も気づかなかったのだ。子供は成神するまでなにも作り出すことが出来ないからな……。いざという段階になって、問題が浮き彫りになった。
俺は俺がこの目で見たものまでしか想像できない。でも他の奴らはそれがどんな構造で、どういった理由で存在しているかまで理解した上で世界構築をしている。もともと理解する【視界】を備えているのだ。
当然その密度に差が出るわけで、俺の作った世界もどきはせいぜいが張りぼて。もろくて弱い、とても世界とは呼べない代物。……試験は不合格だ。
しかし試験とは言うものの、これは俺たちの生命を決定づける最重要儀式。試験を機に親の核は子に機能しなくなるため、概念を有さない神もどきは霧散するしかなくなるのだ。
だけどこれまでもごく稀ながらこういった事例はあったらしく、子が霧散したことを悲しんだ親神が救済措置を作り出していた。
それは自分以外の何かから、欠けた想像力を得る事。
同じ神が対象では駄目だった。だから俺は同族の誰かが作り出した世界に降り立って、そこで育まれた想像力の産物を片っ端から見て回ったのである。多分、五十は世界を渡った。
世界創造を出来ても、そこからの発展はその世界に住む生き物次第。創造神の手から離れた想像力は、俺たちと同じくらい濃く強いのだ。
だけど生み出された物に感動するばかりで、なかなか世界構築まで想像力が補えない。……このままだと俺は何一つ生み出せないまま、存在意義も分からず消えてしまう。そんなのは嫌だった。
種族関係なく使える神通力も昔から弱くて、周りは飛んでいるのに俺は浮いているだけという情けなさ。馬鹿にされるのが嫌で態度ばかりは大きくなり、容姿で武装した。一番似合う格好が女のものだったけど、俺を見た奴はたいてい黙って見惚れていたから問題ない。
揺らぐ存在価値と張りぼての自信で出来た細い綱の上を、懸命に歩いた。
消えたくなかったから。
でも、ついに救済措置のリミットが近づいてきた。周りの助けによって永らえさせている親の核とのつながりが……いよいよ切れてきたのだ。
だから俺は最終手段に出た。出来ればやりたくなかった方法だ。
『……来ちまった』
嬉しさと後ろめたさが入り混じる声を発したのは、その世界の時間に換算しておよそ九十年前。
俺はここが最後だと決めて降り立った世界で、自分と波長の合う種族……人間の中で更に馴染みのよさそうな個人を探した。
俺は創造神としての力で世界の種、箱庭を作る。そこに目的の人物を招き、その想像力、心象風景を抽出し世界へ壁紙の様に張り付けるのだ。あとはもろい箇所をその人物の想像力で更に補完させ、馴染ませ……世界の礎にする。ありていに言えば生贄だ。
他人の想像力で補ってなお足りない俺の実力不足を埋めるのは時間である。世界創造に必要な時間は礎となる人間が居た世界基準で百二十年。その時間内で条件を満たせば……礎の人間から発芽し、世界は真の意味で誕生する。そして世界創造の概念を得た俺は、消えなくてすむ。まだ、生きていられる。
自分に足りない物を他に犠牲を強いて補う行為。
たまらなく屈辱だったが、何も残せず消えるよりマシだと心を切り替えた。
なのに。
■ ■ ■ ■ ■
「こんなことで生き永らえる自分が、恥ずかしくなった。お前といるの、結構楽しかったからさ」
「こ、光栄です?」
「お前は全部知覚できてなかっただろうけど……俺たち九十年分、一緒に遊んだんだぜ。このちっぽけな町で。……最初は遠くからお前の行動を誘導しようと思ってたんだ。初めて会った時、あれは見失わないためにマーキングだけするつもりだった。なのに奏多はあっさり俺の提案受け入れるし、荒事なんて慣れないだろうに一緒に行動するし、なんでもほいほい信じるし……ああもう、ほんっとうにお前って馬鹿だよな。馬鹿アホ間抜けの単純ポジティブ野郎だよ」
「ええと……」
まずい。話の規模が大きいからか、小説の設定語り聞いてるみたいだからか、アイザックが真面目に話しているのに脳が事実として受け入れてない。……演劇部の友達に、こういう設定たくさん聞かせてくれる奴いるんだよね。だから余計に受け止めた驚きの真実的なものがふわふわしてる。
とりあえず「わかりません」と素直に言うのは流石に素直が長所の僕としてもためらわれた。なので曖昧な笑みで頷くが……額を鋭い痛みが襲う。
どうやらデコピンをもらったらしい。デコピン好きだね、アイザック。
「あいたっ!?」
「お前俺が感傷増し増しに語ってるのになんだよその態度ぉ! 理解してないだろ!」
「ちょ、アイザック涙目じゃん。ごめん、ごめんて」
あははと笑いながらハンカチでアイザックの目元をぬぐう。
「えっと。じゃあもし僕が元の場所に戻ったら浦島太郎ってわけか。なんだっけ。九十年後?」
「……ああ。さっきより時間がすすんだ。もう百年だ」
「百年! 一世紀か! 猫型ロボットは開発されたかな? ああそういえば、浦島太郎も知ってるんだね。読んだ?」
「名作だった。猫型ロボットのほうは億万回泣いた」
「そ、そう」
ぐしぐしと鼻水まで出しているアイザックにどう対応していいか分からなかったけど、もう一回抱きしめて背中を叩いてみた。鼓動と同じリズムだ。
「……なんで奏多はそんなに呑気にしてられるんだよ。俺はお前を騙したし、よしんば帰れても百年後だ。周りにお前を知ってる奴なんて……もう居ない」
「だって君が泣いてるから」
「馬鹿か? お前の犠牲の上で生き延びようとした殺人者だぞ」
「うーん。でも双子さんの話を繋ぎ合わせた感じ、それはやめてくれたんだよね。自分が消えちゃうってのにさ」
「それは……でも」
歯切れ悪く口ごもるアイザックの肩越しに町を見る。飽きることなく、どんどん好きになっていった不思議な町だ。しかしなんと、これは僕の心が生み出したものであるらしい。
「ねえアイザック」
「……なんだ」
「僕ね、確かにまだ理解できてない。話の全部を飲み込めてない。君には僕が能天気通り越した馬鹿とか阿呆に見えるんだろうね」
「…………」
「でも、しかたなくない? そんな話し、ばーっと聞いたって実感が湧くわけないだろ。君らと感覚を一緒にしないでよ」
「ぐ……」
「あはは~。言われっぱなしでやんの」
「てめ……ッ」
言葉少なにうめくことしか出来ないアイザックに笑う。そんな彼に「でもね」と言葉を続けた。
「そんな僕にも分かること、受け止められることはあるよ」
少し体を離して両手を握り、踊るように広げた。こうするとアイザックの情けない表情がよく見える。
「受け止めて……どうする。そこからお前は何ができるってんだ。未だに他人に命を握られてるこの状況で! お前が得られたものなんて、なにもないのに!」
「あるよ」
アイザックの眉間の皺が濃くなる。涙目だからまったく怖くないけど。
僕は勢い任せにアイザックの腕を引いて、ゴンっと音が鳴りそうなくらい強く自分とアイザックの額をぶつけた。「痛っ」て声が聞こえてから「しまった、この子頭を怪我してたな。やってしまった」と後悔したけど、ここで止めたら締まらない。
僕はそのまま鼻と鼻がかすめる位置で、アイザックの群青色の瞳を見つめた。
「この景色と、君に会えた」
ひゅっと息をのんだアイザック。そこに更に言葉を募らせようとしたけれど……どうやら僕たち、のんびりしすぎたようだ。
ドォンという擬音が飛び出そうな破壊音が、すぐ横の建物を粉砕しながら巻き起こる。それを成したのは黒くて太い、異形の腕だ。
「ばっかじゃないのばっかじゃないのばっかじゃないのーーーー!? やっぱりアイザックぅ、君ってとっても愚かだよぉ!」
「押し付けられたなら、まあそれはそれで構わない。でもそのあと何もしないでぐずっているとは愚か者以前に未成熟の赤子かな? 確かにわたくしたちは子守をかって出たようなものだけど、これは少し頂けない」
同じ声が違う声色でもってアイザックを罵倒する。見れは小奇麗だった身なりをボロボロにした例の双子が、それぞれ僕らを追ってきたらしい真っ黒入道に鋭利な氷の柱をぶつけていた。が、氷柱は真っ黒入道に突き刺さることなく直前で蒸発してしまう。
「もう耐性つけちゃったよぉ! これで氷と炎はきかなくなった」
「アイザック、さっさと世界を完成させろ! わたくしたちが足止めしておいてやるから!」
「だから! んなもん頼んでねぇし、そもそもそのでけぇ奴が出てきたのはお前らが入ってきたからだろうが!! 俺だけだったらそんなバケモン生まれてねぇっつの!!」
泣いたからか顔が赤いアイザックが乱暴に涙をぬぐうと、やっと威勢よく話し出す。僕はそれにほっとしつつ、気になって聞いてみた。
「そういえば、ここは君が作った世界なんでしょ? 襲ってくるあれは、何」
どうも僕が信じ切っていたアイザックからの情報は全部嘘のようなので、あたらめて問う。魂が無く、魂ある者を求めて襲ってくるものと言っていたけど……。
「ざっくり言うと、他人を使う事で生じた俺へのリスク、試練だ。あいつは俺だけを殺しに来てる」
「え、でも僕も襲われたよ!?」
「細かく判断する思考能力までは無いからな。俺と居たから襲われた、それだけだ」
「それってひどくない!?」
「悪かったよ! でもどうせあいつらが傷つけられるのは俺だけだし、お前はたとえ潰されようが蜂の巣にされようが、あの黒いの相手には死なねーよ!」
「僕最初にほっぺた撃たれたけど!? それにアイザック、お前は一人じゃ死ぬぞって言った!」
「ごめんあれ撃ったの俺! さっき言ってたマーキング! あの傷に追跡機能の神力使ってた!」
「そうだったの!? せっかく神力ってわくわくワード出てきたのに使い方せこくて残念だよ! あと痛かった!」
「だから途中で治しただろ! せ、接触るまで男だと思ってたしちょっと顔に傷つくくらい大丈夫かーって……」
「うわー! 最悪! あの時かっこいいって思った僕の気持ち返して!」
「かっこ……!?」
「そこの二人おしゃべりしてないで逃げるかなにかしてくれない!?」
クウさんの方(多分)に怒られた。でも聞くなら今しかないかなって。
「ごめんごめん。で、アイザック。手短に続き」
「おま……いいけどよ。完成していない今、この世界の主導権はお前にある。その中で主をよそ者……俺に搾取されないように生じた免疫みたいなもんだよ。世界の完成よりも俺の排除が優先される」
「そもそもこの世界を作ったのは君なのに? 僕、要は見た目担当なだけだよね。基礎は君だろ」
「色々あんだよ」
「例えばだけど、もしアイザックが真っ黒入道に倒されたら僕はどうなるの? 元の世界に帰るの?」
「悪いが一緒に消えちまう」
「そ。で、今君はどうしたいって思ってる? あ、僕が思ってることも聞きたい?」
さすがに棒立ちで会話もどうかってことで、幸い途切れることなく続いている屋根の上を走りながら話す。後ろからはなにやら凄い音が聞こえてるけど、見たら心がくじけそうなので見ないふり。
にやりと笑う。
「自己紹介の時みたいに、一緒に言おうか」
「は? ちょっと待……」
「待たない。考える時間をあげない。本音を言って。……せーのっ!」
「俺は消えてもいい。お前を元の世界へ返す」
「僕は礎とやらになってもいい。最後のポイントってやつに行こう!」
次の瞬間、互いの拳が顔にめり込んだ。
「いってーーーー!! さっきは顔の傷どうのって言ってたのに、鬼!」
「うっせぇーーーー!! 俺が鬼ならお前はあまのじゃくだ! 俺と反対の事言いやがって!」
「あまのじゃくなもんか! 本音だよ!」
「余計に悪い! お前な、思春期特有の後先考えない全能感で行動すると後悔するぞ! 意味わかって言ってんのか馬鹿が!!」
「さっきから馬鹿馬鹿いいすぎ! 馬鹿って言う方が馬鹿だよ!」
「はあああああああああ!?」
逃げることも忘れて両手で取っ組み合う。どうやら僕が思っていたクールさは、ファッションクールだったらしい。
「お前は騙されただけ! 理不尽な目にあっただけ! これあれだからな、神隠しってやつだからな!! おら、悪役が改心してんだから大人しく帰ると言え!!」
「誰が悪役だばーか! 消えたくない、死にたくないって思うのは当然だろ!」
「だったらその当然を自分に当てはめろよ! 礎になったらお前が消えちまうんだぞ!」
「消えるのとは違うだろ!? 要はこの世界になるんでしょ。なら百年過ぎた世界へ帰るより、そっちの方がいい!! 僕は君に一生見ることが出来なかったもの、たくさん見せてもらったよ!! 満足したんだ!」
「先の人生で何を見るかも知らないガキが何言ってんだ!! 生きてりゃこんなちっぽけな町よりよっぽどたくさんの景色が見られる! お前が言う、見たこと無い景色だ!!」
「でも、そしたらアイザックの世界が終わっちゃうでしょ!」
「こんな他人を踏み台にしてしか成り立てない世界なんて……」
「ちがう!! 分からないなら、もう一度言うよ。君が消えたら、アイザックの世界は終わっちゃうだろ!!」
「!!」
「目をそらすなよ! それが嫌で選んだんでしょ? だったら最後までやれよ! やりなよ! 僕はね、今自分がどうにかなるより君が消える方が嫌なんだ!! 今!」
「全部……ぜんっぶお前に返してやるその言葉!! そう思ってるのが自分だけっておもうな……うおっ!?」
完全に周りが見えなくなっていた僕たちは、真横に打ち込まれた巨大な拳に対応できず発生した衝撃波に吹き飛ばされた。幸い茂みにつっこんだので大怪我にはならなかったけど、クレーターが穿たれた地面を見て青くなる。……え、あれ当たっても僕は死なないって言われても説得力皆無なんだけど……。世界の主導権って何。一切そんなもの感じないが。
「はいはい、そこの馬鹿二人。そろそろわたくし達も限界ですよ」
「アイザックぅ~。やっぱり君が一番おバカだよねぇ。せっかく礎のお嬢さんが自分から申し出てくれているのに、無下にするのは失礼だよぉ」
切り傷まみれて茂みから起き上がってきた僕らの前に、双子の神が舞い降りる。そして何か言う前に、ぐいっとわきの下に腕を入れられ担がれた。同じく俵抱きにされたアイザックが視界に入ったと思ったら、視界に映る地面がどんどんと遠くなっていく。どうやら真っ黒入道を足止めするより、逃げるどころか喧嘩し始めた僕たち自身を移動させた方が早いと結論付けたらしい。
「腹を括りなよ、アイザック。三対一だ」
「そんなの知るか! 俺の試験だ。俺が決める」
「わがままっこ。ねえ?」
「あはは……」
今日はよく人に抱えられたり担がれたりするなぁ……と思うものの、飛翔する僕らを全力疾走で追いかけてくる真っ黒入道が目に入ってきて顔が引きつる。いいフォームしてるじゃないか。
それにしても改めて見るとすっごいな……! 町がどんどん破壊されてる。いやでも、よく見ると壊された端から直ってる?? 不思議だ……。
「ま、まあいいや! なぁ君たち! 僕をさっき言ってた最後のポイントってやつに連れてって! なんだっけ、時計塔だっけ!?」
「言われなくてもそうしてるよ」
涼しい顔でかえされて、ほっと息をつく。……そのまま気づかれないよう、深く呼吸した。
勢いで啖呵をきったしアイザックにめちゃくちゃかっこをつけたけど、怖くないわけじゃない。アイザックよりよっぽど、僕の方が見栄っ張りだ。
でも今僕がアイザックが消える方が嫌で、ここで終わってもいいと満足したのも本当で。
だって礎って事は消えるわけじゃない。世界って姿に変わるだけ。なら僕がしてる男装と同じじゃないか。姿が少しかわるだけ。
(大丈夫……大丈夫)
本当は事の重大さを理解しきる前に、この流れに身を任せてしまいたいだけなのかもしれない。一回立ち止まってしまったら、多分足がすくんでしまう。あれだけ大言壮語しておいて、それはあまりにかっこ悪いだろう。
そんな僕の思考を都合よく奪ってくれるように、巨大真っ黒棒人間……真っ黒入道の追撃が迫る。あいつ走って追いつけないと分かると、あの巨体に更に殺傷性を上乗せしようって言うのか、小さかった時の様に腕を銃に変化させた。
「嘘でしょ、あれで撃ってくる気!?」
「ああもう……! あと少しだっていうのに」
僕を抱えたトキさんが焦ったような声を出した。さっきまでの神秘的な雰囲気はどこへやら、今はとても人間じみているというか親しみ易い。アイザックもこの二人も種族が神様とのことだけど、こういう部分見ているとそうは感じられないな。
思えばこうして足止めでボロボロになってるあたり、この子達もあの真っ黒入道相手にはダメージをうけるのだ。アイザックは二人を鬱陶しがっているようだけど、彼ら? 彼女達? ……は危険を推してアイザックを助けに来た。……そのせいで真っ黒黒人間を刺激して、あんな姿にさせたっぽいが。
だけど、それだけ心配だったのだ。
(あれみたいだな)
泡となって消えてしまう人魚姫に、命の綱となる短剣を届けた姉人魚のよう。僕は王子じゃないし、愛されてるとかではないけれど。
中学で演劇部に入ったはいいけれど、語彙力が増えた傍ら我ながら想像力も逞しくなったものである。いや、もとからかな。実感ないけど、この世界の外観は僕の心がもととなっているらしいし。
……うん。悠長に考えてるこれ、全部現実逃避!
「わあああああ!? ちょ、なにあれ! あんなの大砲でしょ!!」
「さすがに、あれは……」
「どうしよっか……」
「だからお前らが来るからだよ馬鹿!」
四者四様、余裕のありそうなものは誰も居ない。
いよいよ真っ黒入道が銃を乱射しはじめるが、大砲とは言ったけどもっと近いものを探すなら……真横から襲ってくる隕石だ。直撃したらミンチだろう。僕の感性はしょせん普通の人間なので、こういう絵面が強い脅威に情けなく叫ぶのは仕方がない。
「……! 奏多!!」
だけどそんな脅威を前にしてなお、僕に手を伸ばすアイザックを見て思った。やっぱり僕はこの子を……消えさせたくないな。
(どうせ、だめもとだ)
息を肺に吸い込んで、日々の部活動で鍛えられた声量をもって……思い切り、叫ぶ。
「止まれ!! 有難迷惑だ!!」
瞬間、世界から音が消える。
数瞬の無音のトンネルを潜り抜けると……巨大な黒い小山がのっぺりと町にうずくまっていた。
「なにあれ……」
「落ち込んだみたい。ひゅう、やるねぇ」
「ええ……?」
そりゃ僕はこの世界の主導権? というものがあるなら、あれも思いっきり叱れば止まるんじゃないかと叫んだけどさ。いざ本当に止まられると困惑するというか……。
真っ黒入道、あんな図体しておきながら体育座りして膝に顔うめてるんだけど。
一応僕を守る的な役割らしいから、少しだけ申し訳ない。
「……ふふ。ねぇアイザック。わかるかい? 彼女は今、自分でなく君を守ろうとしたんだよ。どうやってそこまで篭絡したのか是非聞きたいね。ここまで想われているのなら、もう迷う必要は無いと思うのだけれど」
なにやら僕の感情がすごく大きいものとして扱われている。篭絡って普段の会話でまず聞かないよ。
「そんなの……」
「君はこういう時、口ごもって歯切れが悪くなるのが子供だね。当てようか? 今わたくしに黙れと言おうと思ったでしょう。ワンパターンだよ」
「ぐ……っ」
僕が呆然としてる内にアイザックがやり込められてる。その彼を見て、僕はトキさんとクウさんに声をかけた。
「あのさ。アイザックと二人で話してもいい?」
「おや、説得までしてくれるのかい?」
「そんな感じ」
「ふむ……」
トキさんが少し考え込むように口元に手を当てうつ向いたが、ひとつ頷いた。それにクウさんも頷いて、ゆるゆると降下して僕たちを町に下ろしてくれる。僕に抵抗の意志がないからか、先ほどまでと違いとても協力的だ。
「うん、いいよ。でも早めにね? ……あれを見て」
すっと伸びた白い指が指したのは、この町でずっと見続けた時計塔だ。
「時計の針が十二を指す時に世界が完成していなければ、アイザックも君も何にもなれず消えるだけ。……決めなさい」
最後の言葉は僕に言ったのか、それともアイザックに言ったのか。凛とした声が、直面の脅威が過ぎ去り緩くほどけた空気によく響いた。
「アイザック」
名前を呼んで手を握る。アイザックは口を数回パクつかせた後うつむいてしまったので、僕はそのまま手を引いて歩き出した。
巨大なモニュメントと化した真っ黒入道を横目に通り過ぎ、ゆっくりと時計塔に向かう。その途中でやっと向かっている場所に気付いたのか、アイザックが勢いよく顔を上げた。
綺麗に整えられていた三つ編みはもうとっくにぼさぼさで、僕はもっとひどい格好をしてるんだろうなと、思わず笑った。せめて少しでも整えたいと懐を探るけど、内ポケットに入れていた櫛が見当たらない。どうやら落としてしまったようだ。
「……なんで笑える」
「さっきからアイザックはなんで、なんでって質問ばかりだね。最初は僕がたくさん聞いていたのに、今は逆だ」
「俺の答えはほとんど嘘だけどな」
「ひどいよね~」
一緒に町を巡っていた時の様に軽口で、雑談を続ける。一緒に歩いてくれてはいるが、アイザックの足取りは重い。ピンヒールはいてるくせにあれだけ早く走っていたのが嘘みたいだ。
しばらく僕が一方的に喋っている時間が続き……ふと無理に上げていた声のトーンを元に戻す。
「……アイザックはさ、僕に知覚できないだろうが……って言ったよね。なら君は僕よりずっと知ってるって事? この世界で、町でたくさん遊んだこと。ずるいなぁ……うん、ずるいよ。それに君はその時間の分、悩んでくれたのかな。僕の何十倍悩んだ? その決断をするまで」
十二時間が百二十年になる感覚はどうも理解できないけど、こうして同じように時間を過ごしているようでいて……実は違うのだろうと、なんとなく思う。理解することはできないけども。
「多分決めたのはそれ聞いた時だよ。そんなに悩んでくれた人のためなら……僕の時間あげてもいいかなって。怖くないって言ったら、嘘になるけど」
握っていた手が強く握り返してくる。
「俺なんて、どうしようもねぇぞ。お前の時間を貰う価値なんてない」
「辛気臭いな。自信満々のアイちゃんは何処へ行ったんだよ」
「言ったろ。虚栄心だって。見栄っ張りなだけだ。……百二十年……ずっと、奏多の想像力の中を歩いて、嫉妬した。なんで俺にはこの想像力が無くて、お前にはこんなにたくさんあるんだって。だけど途中から、これを想像できる奏多をちっぽけな俺のためなんかに消したくないと思うようになった。だってお前なら、あの空の下へ行ける。俺が作れなかった世界の続きを、お前はその心があれば見に行ける」
「くっさい事言ってる~」
「茶化すなよ」
「ごめんごめん」
一緒に歩いてるこの時間がずっと続けばいい。そんな臭い事思ってるのは僕の方なのにね。口には出さずに中途半端な笑みで誤魔化す。
騙されてたんだとしても、この町を一緒に駆けた時間は確かに楽しかったんだ。
だけどゆっくりでも進んでいれば必ず辿りつくわけで……僕たちはついに、時計塔にたどり着いた。赤茶けたレンガに囲われた重々しい鉄の扉に手をかければ、きしんだ音を立てて開く。中はひんやりとして、上へと続く階段が螺旋を描く鍵盤のように並んでいた。
アイザックの手を引いて階段を上り始める。抵抗の様子はない。
「でも、僕もう止まらないよ。さっきも言ったけど、百年後の世界に戻ってもちょっとね……。興味がないわけじゃないけどさ」
「戻れよ。俺が言っていい台詞じゃないが、それこそ見たこと無い景色だろ」
「その中に知ってる人が誰もいないんじゃ嫌だよ。しかも大事な友達が消えた後でだろ。寂しすぎない? 勘弁してくれ」
「お人よし。友達って、お前さ……」
「お人よし? こんなに友達困らせてるわがままだよ僕。わがままさならアイザックと張れるね」
顔を覗き込むようにすれば、びくっと小さく肩が跳ねた。ほんっとこの子可愛いな。
そんなとびきりに可愛い男の子に、頬をかきながらおどけるように言った。
「お願い。僕が本当に怖くなって泣く前に受け取ってくれ。かっこ悪いだろ、それじゃ」
「……!」
時計塔と時間が連動している腕時計を見た。もうすぐ十二時だ。
「シンデレラは読んだ? あれは十二時で魔法が解けてしまうけど、君は逆。魔法を完成させなきゃ」
最後の最後で弱音をこぼしてしまった事に少しの後悔。それを吹き飛ばすように、茶目っ気たっぷりに言ってみた。これは格好良いままでいたい、僕の最期のプライドだ。
「魔法……か」
ふっと、アイザックが笑った。
歩みは止めていなかったから、いつの間にか最上階へとたどり着いていた。そこは四方が吹き抜けになっていて、真上には真鍮の鐘。初めてここに来た時聞いた音はこれだったのか。
「そうだな。最後にとびっきりの魔法、奏多に見せてやるよ」
決めてくれた。そう思うと同時に肩の力がぬけたけど、一緒に膝の力もぬけた。しまったと思った時は地面にへたり込んでいて、下からアイザックを見上げた。
(ああ……やっぱり綺麗だな)
星が煌めき雲で着飾った群青の空。翻る赤、舞う金色。
僕に向かって手を伸ばしたアイザックは美しくて、僕の中で燻っていた恐怖は自然と溶けていった。するりと言葉が出る。
「楽しかったよ、アイちゃん」
掴んだアイザックの体温がじわりと手のひらに熱を移していく。それはとても心地よい。
「ああ、俺もだ。で、お前はこれからも楽しく生きろよ」
「は?」
嫌な予感がして咄嗟に手を離そうとしたけど、がっちり掴まれていて動かない。ぎりぎりぎりっと異様な握力だ。
そして今まで聖母もかくやという微笑を湛えていた最高の美少女顔が、にやりと実に悪だくみが好きそうな悪ガキ面に変化している。
「待て待て待て! アイザック、君は何を」
「お前の頑固さはよーくわかったからな! 油断するまで待ってたんだよ! まんまと騙されやがったなバーカ! わーははははははははは!」
「はああああああ!?」
実に誇らしげに高笑いするアイザックの手をぶんぶん振って離そうとするも、やはり離れない。その間にアイザックは腰を低くして何やら構える。
「歯ァ食いしばっとけ」
そんなこと言われたもんだから、さっきみたいに拳が飛んでくるかと構えたら……それが決定的な油断となった。
「うわああああああああああ!? あいあいあいあいあいあいあいアイザックぅぅぅぅぅぅぅぅ!?」
奇妙で情けない悲鳴をあげる僕は現在、アイザックに人間メリーゴーラウンドとばかりに新円を描きながら振り回されていた。
華奢と称して違和感なくも、しかし片腕で重い銃を乱射できる力をそなえたアイザックの腕。それにがっちりつかまれたまま、ぐるぐるぐるぐる回されて……ついに手が、離された。
「ぎゃああああああああああ!?」
「おーおー! いい悲鳴だなぁ!!」
今の僕を見た誰かが居たならば、人間大砲とでも称しただろうか。それくらいの勢いで僕は、やっとたどり着いた時計塔からものすごい勢いで追い出された。
(待て待て待て! あの馬鹿、分からず屋、スカポンタン! 何てことしてくれて……!)
さすがの僕も罵詈雑言のたぐいで頭の中がいっぱいになろうというものだけど、しかし高速で飛ばされる中……何故か目に捉えることが出来たアイザックの表情に、息をのんだ。
くしゃっと真ん中に寄って笑ってるのか怒っているのか分からないへなちょこ眉毛に、水滴に光る瞳。だけど口元だけは白い歯が見える、飛び切りの笑顔。そのまま彼は言った。
『飛べ!!』
「!!」
瞬間僕の体はつむじ風のようなものに囲われて、弧を描いて下に落ちていくはずだった体は宙へ向けて勢いよく上昇する。その先にあるのは、アイザックが僕を連れて行こうとしていた……天へと続く、白い螺旋階段。
……元の世界へ戻るための、帰り道だ。
「馬鹿! バカバカバカ! アイザックのばぁぁぁぁぁぁぁか!! これだけは、これだけは絶対騙したことゆるさないんだからなぁぁぁぁ!!」
聞こえないだろうと分かっていても、癇癪をおこした子供の様に泣きわめく。事実僕はまだまだ子供なわけだけど、こんな泣き方をする年齢はとっくに追い越したものだと思っていたのに。
遠ざかる美しい景色も、空を飛ぶ感動も、今はどうでもいい。ただ、お願いだからもう一度掴んでくれと手を伸ばす。
「自分が飛べないくせに、人を先に飛ばしてどうすんだよ! アイザックの……馬鹿ーーーーーーーーー!!」
渾身の大声は雄大な空に吸い込まれて、きっと届かない。だけどここが僕の心が生み出した世界だというならば、どうか届いてほしい。届けてほしい。
最後の最後で大噓ついた、僕の可愛くて見栄っ張りで馬鹿な友達に。
リンゴンと、この町に来た時と同じ鐘の音が鳴り響いた。
* * * * *
『自分が飛べないくせに、人を先に飛ばしてどうすんだよ! アイザックの……馬鹿ーーーーーーーーー!!』
「ははっ、だよなぁ」
気合で届かせたらしい奏多の最後の声に、背を柱にあずけながら笑う。
無理やりの力技だったが、うまくいくもんだな。俺は自分で飛ぶことは出来なかったけど……どうやら誰かの背を押して飛ばせることは出来たらしい。それが今は少し、誇らしかった。
まあ、全部自分がやらかしたことの尻ぬぐいなわけだが。
「やってくれたね、アイザック」
「やっぱりついてくればよかったねぇ……」
「お、来たか」
にやりと笑って空を見れば、俺と違って自由自在に空を飛べる腐れ縁ども。普段はすました顔してるくせに、今は見事な仏頂面だ。
「なあ。遺言って事で……最後に俺のお願いをきいちゃくれねーか」
『図々しい』
「悪かったって」
ユニゾンで攻め立てられて、降参とばかりに両腕を上げた。トキとクウは顔を見合わせると、特大のため息をつく。
「聞くだけ聞こう。お願いとは?」
「奏多をもとの時間、場所に戻してやってくれ。お前らなら出来るだろ」
「……上様方、もしかしてこれを見越してわたくし達を来させたのか?」
「それは考えすぎだよぉ、トキ。だって私たちは自分から志願したんだものぉ」
「……そうだったな。はあ……」
腕を組んでしばらく逡巡した後、トキが口を開く。
「承った。クウも、いいかい?」
「トキがいいなら、私もいいよぉ」
「……感謝する」
深く頭を下げ……じわじわと俺の手から離れ崩壊していく世界を、体で感じる。生まれさせてやれなくてごめんな、と心の中で謝った。
そう長くはもたないな、と理解すると少し迷ってから決めた。
髪を整え裾を掃い、背筋を伸ばして胸を張る。
「置き土産だ。せいぜい最高に美しく可愛くかっこいい、アイザック様の姿を目に焼き付けとけ!」
呆れた視線を受け取る前に波が来た。
真上の鐘がうるさく鳴り響く。……タイムリミットの合図だ。視界が真っ白に染まっていく。
最後に後悔しない選択が出来た。
なかなかどうして、いい神もどき生だったぜ。
* * * * *
アイザックにぶっ飛ばされた後、僕は雑居ビルの前でぼーっと立っているところを保護された。時刻は真夜中の三時。
それからしばらくは我ながら心ここにあらずで過ごしてしまい、周りから非常に心配された。いつもうるさいくらいなのにどうしたのって……いや僕ノリは良くてもクールだろ? と言ったら「あ、いつもの奏多だね」と心配されなくなったけど。
(百二十年ってのは流石に嘘だったのか、それともどうにかしてくれたのか……)
全部夢だった、とは思えないし思わない。あんな鮮明に焼き付いてる記憶、夢なものか。たとえ証明できるものが何もなくても、僕が覚えている限りあれは現実だったのだ。
だけどその分喪失感がすさまじく、自分が助かった事より……アイザックが消えてしまった事を考えると苦しい。それを誤魔化すように最近のお小遣いはもっぱらとあるゲームに消えていた。それが何かといえば、アイザックが持っていた専用コインを使うゲーム……『ワールドファンタズム』だ。
育てたキャラクターで対戦も出来るらしく、最近通いっぱなしの僕はランキングでも結構上位に位置していた。楽しいは楽しいけど、コインを掴むたびにあの不思議な町で過ごした時間を思い出すため気分はどこか空虚だ。
今日も今日とて僕はゲーム機にコインを入れる。……ふいに、隣の同機種に誰かが座った気配を感じた。最近対戦申し込みをされることも多くなってきたので、それだろうかと少々身構えながら、そなえつけのVRゴーグルをもちあげる。
けど僕はそれをすぐに戻した。
口元に浮かぶのは、我ながら挑戦的な笑み。
「下手くそ。俺が本当の戦い方ってのを教えてやるよ」
「イキってると足元すくわれるよ? ところでそのワンピ―ス可愛いね」
「おうよ。お前もなかなかイカしたジャケット着てるやねーか」
「ありがと」
互いに笑った気配を感じたまま、コインを入れておもちゃの銃を手に取る。
現実から幻想へ。幻想から現実へ。現実から仮想へ。
定まらないものだけど、そこに立っていればそこが僕たちの世界だ。だから細かい事は気にしない。
僕に分かったのは、僕たちの世界はまだ終わらないということだけ。
帰ってきたこの場所で物語は終わり、そしてまた始まった。
■ ■ ■ ■ ■
「神になれなかった、神ならざるものは消えてしまう。そんなの、成神未満の子供へ教える大神の嘘なのにねぇ」
「ならざるモノは別のモノへ。どこかの
「ね。…………。アイザックの、馬ぁ鹿」
「ところでその馬鹿が遺した置き土産はどうする?」
「随分小さくまとまっちゃったねぇ。未完成の世界ってこうなるんだ」
「単独で世界にはなれないだろうね。でも大きな世界の片隅に、同居させてもらう事はできるかも?」
「ふぅん。なら、私たちからの餞別ってことで"落として"あげるぅ?」
「いいね。せっかくだから、少し時間をいじろうか」
双子の時空の神が、虚空で笑う。
その軽やかな笑い声と共に、ぽとりと電子の世界に落とされた何かが波紋を広げた。
やがてそれは形を変え、筐体の画面にノイズと共にひとつのタイトルを浮かび上がらせる。
『ワールドファンタズム』
ある日を境に突然現れたゲーム。誰が作ったかもわからないのに、誰もが疑問に思わぬまま楽しみだし……箱庭は世界にひっそり、根を生やした。