シャーレの執務室では日頃、いわゆるロボット掃除機なんかも導入して簡単に掃除はしているとのことだったけれど、それはそれとして棚の上や細かい
じゃあ今主流の人型を使ってはどうかという案ももちろんあったらしいけど、結果として許可が降りなかったそうだ。電気代や定期メンテナンスなんかも合わせた概算が動作範囲・頻度に見合わないことと、どうせ人の手で動かすなら生徒にやらせた方が安価で細かい指示も利き、何より頑丈だというのが連邦生徒会からのお達しらしかった。
その物言いに鼻持ちならないものを感じないでもなかったけれど……今回の大掃除の
……まず私たちが最初に手を付けることになったのは、隣の休憩室だった。主に先生が使うような仮眠室みたいなものかな、と思って入ったので、最初はビックリした。予想と違ってずっと広くて明るくて、インテリアも充実していたからだ。
ベッドがあるのはもちろんだけれど、ローテーブルにビーズクッションと、電子レンジやウォーターサーバー、既に満タンの飲料用冷蔵庫も並んでいて、簡単な飲食ができるようになっていた。テレビや本棚などで娯楽もある程度揃っているし、エアコンや加湿器にマッサージチェアまであって、ちょっとしたホテルの一室を思わせた。こんな状況じゃなければ、はしゃいでベッドにでも飛び込んでいたかも知れない。
……そう。こんな状況じゃなければ。
「――じゃあ、まずはここの掃除から。こっちの高いところは私がやるから、ミドリはそっちの棚とかテーブルとか、届く場所からお願い」
「ハイ」
「掃除の基本は、奥から手前へ、上から下へ。上のホコリを落としてから拭き掃除をして、最後に入口へ向かって床を拭いていけば、時間も手間もかからなくて、効率がいい」
「ハイ」
「先生がここに赴任してからそう経ってないし、まだ大変な汚れはないと思うけど。建物自体が真新しいってわけじゃないと思うから、もし水拭きで取れないところがあったら、一度私に見せて欲しい」
「ワカリマシタ」
「……えっと。本当に大丈夫か?」
「ダイジョウブデス。ガンバリマス」
「……そう、ならいいけど。始めようか」
カリン先輩と目を合わせるのが怖くて、でもあからさまによそを向いて怒られるのもイヤだった私は、先輩のスッと通った鼻筋を見ながら言葉を交わすことで心を守っていた。前に見かけたとある刑事ドラマの冒頭によると、これには自分の考えが読まれにくくなる効果もあるらしい。……このシチュエーションにおいてその特性が何の意味を持つのかは、正直見当もつかなかった。
二人して靴を脱ぎ掃除道具を抱えて、部屋の奥へと向かう。カリン先輩は
(上から下へ……背が高いのは、やっぱりマッサージチェアか)
見たところほぼ新品で目立った傷も汚れもないそれをどうしたものかと悩んだ結果、ひとまずスマホでお手入れの仕方を検索してみる。便利な時代だ。
(
ふむ、と眼前のマッサージチェアに視線を戻す。
――で、これは、どっち?
「……」
少し触ってみたもののよく分からなかったので、柔らかいタオルの乾拭きで済ませておくことにした。特にホコリなんかが溜まりやすいらしい縫い目を重点的にぬぐい、後ろのコンセントにもハンディーモップをかけておく。ついでに床の
左隣のレンジボードへ。手前のテーブルスタンドを拭いてから、電子レンジ本体に取り掛かる。こっちもほとんど新品で外側は楽だったけれど、何かをこぼした
(早く帰ってゲームしたい……)
作業が単調になって思考回路に余裕が生まれてくると、インドア特有の決まり文句が口をついて出そうになる。大きく息を吸って――ため息をつこうとした、すんでのところで思いとどまった。
……危なかった。私の後ろでは今、カリン先輩も一緒に作業してるのに。ため息なんてついたら何を言われるか――最悪、そのまま撃たれたりして。
寒気に身体を震わせる。ちらと盗み見ると、先輩は脚立のてっぺんに腰掛けて、エアコンのフィルターに掃除機をかけていた。てっきり外側だけササッとやるくらいかなと思っていたのに、結構本格的だ。
すとんと流れ落ちる長い黒髪が、脚立の半ばまで垂れている。……
「――ッ!」
ふと目が合いそうになって、慌てて手元に視線を戻す。万一にもサボっていたなんて思われたら大変だと、ボードの汚れを強くこすって、
「ん……あれ……」
……あんまり取れていなかった。それどころか、どんどん黒くなっている気がする。
若干ムキになってゴシゴシやっていると、
「どうかした?」
「あっ、わ」
いつの間にか、カリン先輩が掃除機を止めて脚立からも下りて背後に立っていた。なんですかそのマンガじみた瞬間移動は。隠密歩法ですか?
「いえっ、その……なんか、拭いてたら黒くなっちゃって……」
「……見せてみて」
先輩が髪を耳にかけながら、隣にかがみ込んでくる。……大人っぽい仕草だと思った。この人はほんとに私とひとつしか変わらないのだろうか。
「……レンジの前だし、恐らく油汚れだろう。中も――」
メイド部の白い手袋が、レンジの取っ手に伸びる。
「――うん……お世辞にも清潔とは言いがたいな。ついでにここの掃除もやってしまおうか。……少し待ってて」
そう言って休憩室を出て行った先輩が、しばらくしてからマグカップ……と、何やら白い粉を持って戻ってくる。
「こういう時……主に台所周りの掃除なんかには、よく
コップ一杯の水に大さじ一杯を溶かして、レンジに三分から五分ほどかけてから、そのまま数十分放置する。そうすると重曹を含んだ水蒸気が汚れを浮かせて、簡単に取れるようになるのだそうだ。
「手前の汚れは、こうやって……布巾に直接つけてこすればいい。市販には油汚れ専用の洗剤もあるけど、例えば調理器具とか食器とか、そういう口や手に触れるものにあまりケミカルな成分を使いたくないって人にも――ん、どうした?」
かつてなく
……
「あ、いえ……えっと。お掃除、お好きなんですか?」
「えっ?」
今度はカリン先輩の目が丸くなる番だった。長くけぶるまつ毛が、数回上下に
……イヤミっぽく受け取られちゃったかな。
「……まあ、うん。好きというか、趣味というか……」
幸いそんなことはなく。先輩はなぜか照れたように首に手を当てて、目線を斜め下に流す。
「C&Cでも、日のあるうちは普通のボランティアみたいに、普段は校内の清掃とか結構やってて……そういうので慣れてるから、かな。どこかで見かけたことはないか?」
初耳だった。もともと部室の場所が掃除どころかまともに修繕もされないぼろぼろの旧校舎なのもあるし、特に最近はゲーム作りのおかげで全員があそこにこもりきりだったから。みんな友達も少なくて、授業が終わったら基本本館に用事ないし……
「ええ、っと……すみません……」
「……そうか。いや、こちらこそすまない。妙なことを
沈黙。おっかなびっくり続いていた会話のキャッチボールが、ぽてんと地に落ちる。ぶううん、というレンジのファンが回る音が、やけに耳についた。
……気まずい。なんかないかなんかないかと話題を探す私の目に、停止中の加湿器が
「あ、あの! 私、その、加湿器の水換えてきます!」
ついでにあまりのいたたまれなさから、この場からの逃走を図り出す。
なんて情けなさだ。そんなだからお前は友達が増えないのだ。
「ああ、うん、そうだな。よろしく」
……よ、良かった。一旦ではあるけど、なんとかここから逃げ出せそうだ。
給水タンクを持って早足で入口に向かう私の背中を、チン、というレンジの鳴き声が虚しく叩いた。