ミドリが初めてシャーレの当番になる話   作:のりし炉

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06 目は口ほどに物を言う

「――ごめんなさい先生、この『連鎖販売取引』というのは……ああ、セリカちゃんが(だま)されちゃってとっても可愛らしかった、あの時のですよね? 分かりました、ありがとうございます☆」

「……ん、今『可愛らしかった』って言った? 『可哀想だった』じゃなくて?」

「はい! ショックで涙目になっちゃってるのが本当にいじらしくて、それはもう……♡」

「そ、そう。なかなか歪んでるね……」

 

 休憩室を出ると、談笑している先生たちの声が届いた。ごそごそと靴を履いている間、聞き耳を立ててみる。

 

「でも、マルチ商法か……そういうの、うちでも一回あったよ。危うく社長も騙されるところでさ……」

「うんうん。便利屋の社長さん、根はいい人ですものね」

「……それ、本人には言わないでやって。微妙な顔すると思うから……」

「あら〜?」

「まあ、否定はできないけどね。裏世界のトップシークレットだなんて、()()に言われたことを()()みにしてまんまと乗せられちゃって……もう、先生まで笑わないでよ。大変だったんだから……」

 

 ……なかなか物騒な会話だった。けど、

 

(いいなあ……)

 

 とも思わずにはいられなかった。雑談の内容はともかくとして、緊張感のない団らんとした雰囲気だけでも、素直に羨ましかったから。

 

 よいしょ、と立ち上がる。ないものねだりなのも自分で分かり切っていた。早いとこ済ませて戻らなくちゃ……

 

「……それより、さっき言ってた子。マルチなんかに引っかかっちゃって、大丈夫だったの? 何か買わされたんじゃない?」

「ああ、はい。ゲルマニウムのブレスレットを、二つだけ。これが現物なんですけど……」

 

 えっ、つけてきてるの?

 

「えっ、つけてきてるの?」

 

 カヨコさんと奇跡のハモりを見せる。脳内で。

 

「うふふ。だってセリカちゃん、このために何日もお昼をガマンしてて……代金分をご()(そう)する代わりにって、ワガママを言って一つ譲ってもらったんです。結果はどうあれ、気持ちはすごく嬉しかったですし――あら」

「!」

 

 通りがかりにデスクの方を見ていたせいで、ノノミさんとばっちり目が合ってしまう。ほわっとした笑顔でこちらに手を振る、そのまくられた袖から黒塗りの数珠(じゅず)が覗く。

 

 きまりの悪さを感じて、他二人の視線が集まる前に頭を下げてぴゅっと給湯室に逃げ込んだ。スペース奥の窓だけが光源になった薄暗さが、今は心地良かった。

 ふう、と息をつく。水回りの少し湿った空気に、コーヒーを淹れたような残り香があった。……ホッとする香りだと思った。

 

 タンクに入っていた水を一度流しに捨ててから、蛇口をひねってちょっとだけ補給して、口を(ふさ)いでバシャバシャと適当に振り洗いをする。ある程度やったらひっくり返して、もう一度タンクに水を溜めていく。

 

「……」

 

 容器の中で増えていく水かさを、ぼーっと眺める。プラスチックを叩くどぼどぼという水音は、思いの(ほか)うるさくて。

 だから、いつの間にか背後から近付いていた人物に、全く気が付かなかった。

 

「――えいっ☆」

「んっ、え――」

 

 シンクの銀色に塗られていた視界が、唐突に真っ暗になる。まぶたと背中に伝わる温度と……花のような、女性らしいすごくいい匂いがして、背後から誰かに両手で目を塞がれたんだと悟る。

 

「ふっふっふ〜、だぁ〜れだ?」

 

 聞き覚えしかない、高くて甘い声音。

 

「……の、ノノミ、さん……?」

「わあ、当たりです☆」

 

 視界が(ひら)ける。振り返ると、予想通り満面の笑みを浮かべたノノミさんが立っていた。

 ノノミさんはずらした両手をそのまま下ろして、私を後ろから抱っこする形を取る。その姿勢はいわゆるオフィスラブものでよくありそうな、人目につかない小スペースでの(おう)()を思わせた。

 

 ……あれ、これまあまあ恥ずかしいのでは。

 

「ふふ、よく分かりましたね。嬉しいです☆」

「いえ、その……」

「?」

 

 声ももちろんだけど、指抜きグローブの感触と首元を覆う質量から、一発で誰か分かってしまった。……改めて見るとなんて大きさしてるんだ。世界は残酷だ。

 そう思いはしたけれど、この一切他意のなさそうな眩しい笑顔を前にしては、何も言えなかった。

 

「ごめんなさい。ミドリちゃんの様子が、ちょっぴり気になっちゃって。お掃除、どうですか? 順調ですか?」

 

 少し言葉を切って、

 

「……それとも、カリンちゃんと上手にお話ができなくて、困ってたりしますか?」

「う……」

 

 図星だった。そんなにそこで悩んでるの、(はた)から見てもわかりやすかったかな。

 

「……はい。何というか……カリン先輩のこと、特別苦手ってわけでも、もちろんキライなわけでもないはずなんですけど……何を話せばいいのか、全然分からなくって……」

「うんうん。そういう、どうしても気まずくなっちゃう相手って、いますよね――」

 

 そこでノノミさんの手が前方に伸びて、きゅっ、と(あふ)れ始めていた蛇口の水を止める。

 

「――例えば、ケンカになっちゃったお友達とか。ほんとは仲直りしたいのに、なんにもできないまま日にちが経っちゃって……もう嫌われちゃってるかも知れない、もう二度とお喋りできないかも知れないって、不安で、余計に動けなくなったり」

 

 嫌われてるかも知れない? ……ううん。

 カリン先輩はきっと、私のことなんて、キライに決まってる。

 

「……そんな感じ、かも知れません」

 

 別に先輩とは、元々ケンカもしてなければ友達というわけでもなかったけれど。下手に関わってこれ以上嫌われたくないという点では、似ているような気がした。

 

「……う~ん。そうですねぇ……」

 

 そこでノノミさんは少し身体を離して、私の顔を覗き込んでくる。丸くて大きくて、なんだか吸い込まれてしまいそうな、深い緑色の瞳。

 

「じゃあ、ミドリちゃんに少しだけヒントです」

 

 ……ヒント? なんの?

 

「うふふ。なんのヒントですか~、ってお顔ですよ〜?」

「え、あ……」

 

 ……それはそうだと思った。何せ私は、まず出題されているクイズを知らないのだから。

 

「ミドリちゃんは今日ここに来てから、こういう風に、きちんとカリンちゃんのお顔を見ましたか?」

「えっ……?」

 

 カリン先輩の、顔。

 ……そう言えば、まともに目も合わせてなかった、かも。怖過ぎて。

 

「ええっ、と……あ、あんまり……?」

「じゃあ、まずはそこから始めてみましょう☆ 目は口ほどに物を言うって、昔からよく言いますし――」

 

 にっ、と口の端を釣り上げる。これまでとは違う……なんだか悪戯(いたずら)っぽい、()(わく)的にも映るような微笑み。

 

「――もしかしたら案外、向こうもおんなじことを考えてたりするかも知れませんよ?」

「?」

 

 ……どういう意味ですか? そう聞き返そうとして、

 

「――話、終わった?」

「へっ」

 

 給湯室の入り口から、澄んだ声が届く。振り向くと、呆れたような表情のカヨコさんが、入口にもたれかかって立っていた。

 

「あら、カヨコさん」

「あら、じゃないでしょ、もう。午前中の内に、私たちもなるべく手を動かしておかないと……午後からは全員外なんだし、先生、また徹夜になっちゃうよ?」

 

 言いながら、カヨコさんは()(だる)そうに冷蔵庫の扉を開けてペットボトルを二つ取り出し、こっちに近付いてくる。

 

「それと、ミドリ。……はい」

「わ」

 

 差し出されたそれを反射的に受け取る。……500ミリの、市販の飲料水だった。

 

「掃除、まだまだでしょ? 休憩室ってジュースみたいなのしかなかったと思うから、こういうのでちゃんと水分取ってね」

「あ――ありがとうござい、ます」

「ううん。無理させちゃってるのも分かってるし、これくらいはね。……そもそも私のお金じゃないし、偉そうに言えないけど」

 

 そう言って前髪を払い、パーカーの大きなポケットに両手を仕舞い直す。

 

「はい、それじゃあ早く持ち場に戻って」

「は、はい!」

「はぁ〜い☆」

 

 フタをしたタンクとペットボトル二つを抱え、二人を追い抜いて小走りで休憩室へと向かう。

 その道中に再びデスクに目をやると、積み上げられた書類の合間から、先生がこっちを見ていた。疲れと優しさの両方がにじんだ目で、ひらひらと手を振ってくれている。

 

 ――頑張ってね。

 

「――ッ」

 

 ああ、もう。

 たったこれだけのことで(おも)(はゆ)く、そしてそれ以上に舞い上がりそうになってしまう。情けないような誇らしいような、そのどちらでもあるようなないような、ごちゃごちゃした気持ち。

 

 大体、私が今日こんな目に遭ってるのだって、元を正せば先生が悪いところだってあるんですから。

 ……それでも、先生とお会いしたかったから、なんですから。

 

「もうっ、先生ほんとそういうのずるいです!」

 

 感情をそのまま(さく)(れつ)させたような、文脈としてもめちゃくちゃな返事をして、困惑しているであろう先生の反応も確かめずに休憩室へ直行した。勢いのままに靴を脱ぎ捨てて――お行儀が悪いのはダメだよねと思い直し、靴を揃えてから入室する。……少し落ち着いてしまった。

 

 中ではちょうど、カリン先輩が長い髪をリボンでひとつに束ねているところだった。高めに結わえた艶のあるポニーテールからは、より勇ましい印象を受けた。

 ()()れている内に姿(すがた)()の中の先輩と不意に目が合って、思わず俯いてしまう。膝辺りまで伸びた黒髪がくるりと半円を描いて、先輩がこちらを振り向いたのが分かった。

 

「……遅かったね。何かあった? ……というか、何か叫んでなかった?」

「あ、いえ、別に……だいじょぶです、何でも……」

 

 もごもごと答えながら加湿器の前まで歩いて、タンクを取り付ける。

 ああ、またやってしまった。先生に頂いたはずの熱量は、すっかり(しぼ)んでしまっていた。先輩の顔を見て話せなんて、やっぱり私には難しいよ。

 

「……」

 

 ううん。他の皆さんだって忙しいのに、わざわざ私に目を……声をかけてくれたんだから。

 臆病な私でも……人の厚意には、なるべく応えたかった。

 

「あ、あの――」

 

 気合いを入れる。再び振り返ったカリン先輩を真っ直ぐ見上げて、怖いし恥ずかしいけれど、目を逸らさないようにふんばりながら、小脇に抱えていたペットボトルを一つ、両手で差し出す。

 

「――あの、これ……水分補給にって、カヨコさんから頂いて。良かったら……」

 

 数度のまばたきの後、

 

「……ああ。ちょうど何か、適当にそこの冷蔵庫から取ってこようかと思っていたんだ。ありがとう」

 

 受け取った先輩が開け口をねじる、パキパキという音。そのまま唇を付けようとして、まだ自分を見つめたままの私を気遣わしげに、小首を傾げる。

 

「……えっと。どうかしたか?」

「あ、いえ、その……」

 

 しどろもどろになる。先輩の研いだような切れ長の目を凝視したまま、頭の中で引きちぎれていく文章を、なんとかまとめようとする。

 

「えっと、わ、わ……」

「わ?」

 

 一息、

 

「私、頑張りますからっ!」

「……」

 

 ……?

 ん? あれ、私、今なんて言った? あれ?

 

「……ふふ。変な子だ」

 

 先輩は、口元に手を添えて笑っていた。

 一度休憩室を出る前にも見た、淡くて優しい表情だった。

 

「うん。じゃあ、宣言通り頑張ってもらおうか。時間にそう余裕があるわけでもないし、ここからは遠慮なく指示を出していくから、そのつもりで」

「え、あ……」

 

 言いたいことは言ったとばかりにペットボトルを何口かあおって、作業に戻ろうとするカリン先輩に、私は何か言わなきゃと再び言葉を探す。

 

「……お、お手柔らか、に……?」

 

 きっと引きつって目も当てられないような、つたない愛想笑いだったと思うけど。

 この日私はやっと、カリン先輩に笑顔を返せたのだった。

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