ミドリが初めてシャーレの当番になる話   作:のりし炉

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07 ありがとうございました、先生

 高く透き通るような日差しと空腹が、もうすぐお昼時になることを教えてくれていた。最初のブリーフィングに使ったソファーのひとつに力なく座り込んで、ぐったりと背もたれに寄りかかる。

 

(つ、つかれた……)

 

 はしたないかなとは思ったけれど、たまらず(えり)(もと)をぱたぱたと動かして、空気を取り込む。汗ばんで肌に吸いつくキャミソールがうっとうしかった。作業中、体温調節のために途中でむしり取った上着とネクタイはどこにやったっけと、薄ぼんやりした頭で考える。

 

「――あ」

 

 はたと気付いて、辺りを見回す。……うん、先生はいないみたい。良かった……だらしないところを見られずに済んで。

 

 カチャカチャという(とう)()の音と話し声が、先ほど掃除を終えたばかりの給湯室から聞こえる。恐らくノノミさんとカヨコさんのものだった。辺りにはふんわりと香ばしい匂いも漂ってきていて、様子を見に行きたかったけれど……なんだかおしりに根が生えてしまって、動くに動けなかった。

 

 そうしてしばらく執務室の高い天井を見上げながらぐでっと垂れていると、

 

「――お疲れ様」

 

 不意に頭上から影が差して、反射的に背筋が伸びる。即刻()()まいを正して、握ったこぶしを膝の上に置く。

 

「お、お疲れ様です!」

 

 結んだ髪をほどきながらまたも隣に腰掛ける、カリン先輩のその端正な横顔を見上げる。……上気するどころか、汗ひとつかいている様子もない。当然鍛え方が違うのだろうけど(そもそも私は鍛えてないけれど)、素材からしてもはや同じ人間かどうかも疑うレベルだった。

 

「……あ、っと、すみません。掃除用具の片付け全部、先輩にお任せしちゃって……」

「いや、かなり色んなところから引っ張り出してきてたから。こちらこそ、こき使ってしまって悪かったな」

「いえ、そんな、全然……」

 

 そこで会話が途切れる。一緒に行動し始めてから数時間、もうこうして不自然に沈黙が流れるのにも慣れてきてしまっていた。言わずもがな、ボールを落とすか大暴投をかますのは大抵私だ。申し訳なさに縮こまる。

 こういう状況を「天使が通った」なんて、お洒落に呼称するのをふと思い出した。トリニティのことわざだったかな。どうだったっけ。

 

「……ついでにもうひとつ、謝らなければならないことがある」

 

 逃避のために関係ないことを考えていると、先輩がトークを引き継いでくれた。いや、本当はひとつどころではないんだけれど、と言って目を伏せる。

 

「疑問に思ったはずだ。なぜよりにもよって、かつて敵対した相手と仲良く掃除なんてしなければならないのか、と」

 

 ……返す言葉に詰まる。絶対口にはできないけれど、実際同じようなことは考えてしまっていたから。

 こちらを見下ろす先輩の目元が、穏やかに細められる。

 

「実を言うと、今日の当番にあなたを呼ぶよう先生にお願いしたのは、私なんだ」

「へっ」

「すまなかった。イヤだっただろう?」

「えあっ、いや、その……ええ、っと……」

「ふふ……」

 

 分かりやすくうろたえる私を一笑すると、先輩はふいと視線を外して、どこか遠くを見つめた。

 

「あの一件……あなたたちがヴェリタスやエンジニア部、そしてシャーレと(きょう)(ぼう)して生徒会(セミナー)を襲撃した時――いや、それ以前からか。私は正直、ゲーム開発部のことを自己中な問題児の(そう)(くつ)だと思っていたんだ」

「う」

 

 ドが付く程の正論だった。それまでの行いも当然あるし、どんなに立派なお題目を掲げたところで、確かにあの時の私たちは立派な略奪者だったから。

 

「目的や利益のためなら、公序良俗なんてクソ食らえ。そんな連中はこれまで山ほど見てきたし、打ち倒してきた。あなたたちも所詮そのクチだと決めつけて、あの日も校舎の屋上でスコープを覗いていた」

 

 そう言って先輩はこめかみに指を添え、かぶりを振った。漆黒の長髪がしゃらしゃらと揺すられて……ミントのような(せっ)(けん)のような、スッと通る香りが()(こう)を抜ける。

 

「今思えば、その固定観念が良くなかったな。ただ自分たちが良ければいいなんて連中に、外部の人間がああも嬉々として協力するはずがない。そんな考えを持っていた時点で、私たちの敗北は決まっていたのかも知れないな」

「……」

 

 だんだん怪しくなっていく話の雲行きに、落ち着かない私の目が泳ぎ始める。

 

「……悔しかったよ。ネル先輩(リーダー)がいなかったとはいえ――いや、こと拠点防衛戦(タワーディフェンス)においてはむしろ、リーダー不在の今こそとすら思って受けた依頼で……結果として、任務は失敗に終わって」

 

 セミナーがヴェリタスから押収したハッキングツールの奪還が、あの時の私たちの至上命題で。

 一応、私たちの作戦は成功した。裏を返せば、それはメイド部が受けた依頼を達成できなかった――ということになる、のかな。

 

「その上、生徒会長からは事後に依頼の撤回なんて温情じみた措置まで受けて……正直、かなりこたえたよ。ミレニアム最強を自負していただけに、なおのこと」

 

 ……ついでに言うと、あの戦いの果てに私たちが得たものはただ容量をやたら食うだけの不要なデータで、くだんのハッキングツールもヒマリ先輩――ヴェリタスの部長が直々にセミナーに返してしまったとのことらしく。内輪揉めの規模の割には、誰も何ひとつ得をしていないのだった。

 

 そこで私はなんとなく次の話題の予想がついてしまって、こわごわと声帯を震わせる。

 

「……つ、つまり、その……」

「うん?」

「きょ、今日はそのお礼参りに、まず私を呼び出して、ぼ、ボコボコに、みたいな……?」

「えっ?」

 

 おののく私の脳内に、とあるアニメのワンシーンが浮かぶ。もしかしてオラオラですかーっ。

 

「あ、あー……そういう受け取られ方、も……まあ、仕方ないか……」

 

 ひい、と喉が引きつった音を出した。思わず身体がのけぞる。

 

「い、いや、違うから。そんなことならこれまでにいくらでも機会は作れたし、そもそも腹いせ程度ならミレニアムでもできるだろう。わざわざシャーレに呼びつける意味がない」

「じ、じゃあ、どうして……?」

 

 尋ねると、先輩は自分の横髪にくるくると指を絡めた。

 

「嫌がられるのは分かっていたけれど……ちゃんと、自分の目で確かめたかったんだ。噂に(うと)い私の耳にも入るほどの悪行を重ねている連中が、本当は一体どんな人間なのかを」

「それで……掃除だったん、ですか?」

 

 先輩が頷く。

 

「まあ、ついでの意味合いも大きいけれどね。今回の清掃は元からシャーレの予定に入っていて、先生からも事前に声をかけてもらっていたんだ。こういう悪だくみには先生もいたく協力的だったから、そこはやりやすかったよ」

 

 当番の日程を決めるまでの、先生とのモモトークでのやり取りを思い出す。

 毎月のお小遣いがギリギリなこと。もっと美しいものを描くために、たくさんの経験をしたいと前にお話したこと。そういった私の泣き所をしっかり押さえてくる割には、日頃よりやたら文面が気遣わしげだった理由を(かい)()()た……気がした。

 

「C&Cのエージェントになってまだ日は浅いけれど、それ以前はセミナーで保安部員もやってたから。人を見る目には、それなりに自信があるつもり」

 

 (いわ)く、数時間も続けて同じ作業をしていれば、相手がどんな人間かある程度分かるのだそうで。ずば抜けた洞察力だと思った。人付き合いの苦手な私からすれば、もはや超能力だ。

 そんな先輩の目から見て、今日の私はどう映っていたのか――それももちろん気になったけれど、怖いし恥ずかしいしで、さすがに聞くことができなかった。

 

「……な、なら、今日私一人だけが呼ばれたのは、たまたま、ってこと、ですか……?」

 

 代わりにそう尋ねると、それまで雄弁だった先輩が、ぐっと押し黙る。

 

「……? せ、先輩?」

「――ああ、いや。……うーん、どう白状したものかな……」

 

 僅かな(しゅん)(じゅん)のあと、先輩はおもむろにスマホを取り出して、何やら操作を始める。

 

「……例えば、私個人やC&Cの名義であなたたちを一度に招集しても、罠を疑われて警戒されそう……なんて、もっともらしい言い訳も思いついてはいたんだけど――」

 

 白状? 言い訳?

 首を傾げる私になんだか照れたように笑いかけ、先輩は握ったスマホの液晶を、こちらへ差し出した。

 

「あ――」

 

 誘われるままに手元を覗き込んだ私の唇から、意図せず間の抜けた音が漏れる。

 

「私があなたを呼ぶよう、先生にお願いした。……これには、実は少し()(へい)がある」

 

 ……自分たちで()を徹して選び抜いた、フリー素材のチップチューン。デバッグなんかでリセットをかけるたび現れて、一時期は目を閉じれば浮かぶほどだったタイトル画面。

 

「……私が呼んで欲しかったのは、『このゲームのイラストを手掛けた人』、だったんだ」

 

 先輩のスマホに映っていたのは、私たちゲーム開発部に残されていた時間と情熱、そして存亡をかけて作られた、魂の意欲作。

 

『テイルズ・サガ・クロニクル2』、だった。

 

「な、なんで……?」

 

 心臓がぎゅうっと痛む。上半身の毛穴が一気に開いて、暑いような寒いような、不思議な感覚に(さいな)まれる。

 動揺のあまりに何を対象にしたのかも()(めい)(りょう)な私の疑問符を、それでも先輩はきちんと()み取ってくれたようで。

 

「ゲーム開発部の廃部が撤回される条件は、私たちC&Cやセミナーを退けることではなく、学期末までに部活としての成果をあげることだったはずだ。一応は私たちを下した連中の行く末がどうしても気になってしまって……見ていたんだ、ミレニアムプライス」

 

 本当に最後の最後まで呼ばれなくて内心穏やかじゃなかったけれどね、と苦笑する。

 

「『特別賞』……正式な授賞ではなかったかもしれないけれど、私は素直に感心したんだ。とにかく実用性に重きを置いた審査の中で、特例を設けてまでその価値を表明させた……ある意味、一位を取るより名誉なことだったんじゃないかって、私は思ってる」

 

 ……何も、言えなかった。

 まさか、あのメイド部の、あのカリン先輩にそんな風に言ってもらえるなんて、夢にも思ってなかったから。

 

 ポカンと口を開けたままの私を見て、先輩はひとつ、わざとっぽい咳払いをする。

 

「……まあ、それはそれとして。あの審査員がわざわざ前に出てきて、あれだけ褒めちぎっていったんだ。結果如何(いかん)は抜きにしても、出来が気になるじゃないか」

 

 タイトル画面に触れてセーブデータを選択し、すいすいとメニュー画面に移る。

 ……ずいぶんと慣れた手つきに見えた。そんなに遊んでくれていたんだと、さっきの衝撃に隠れていた嬉しさと照れくささがじわじわと頭をもたげる。

 

「私は元々、パズルや脳トレのような頭を使う娯楽の方が得意でね。それにしても暇つぶし程度だったし、こういったジャンルのゲームにはあまり興味がなかったんだ」

 

 けれどね、と言葉を繋ぎながら、先輩は仲間キャラの詳細を開いて指を滑らせていく。外見、性格、種族、出身……多種多様に描き分けた私の()()()()が、スライドショーのように一人ひとりと映し出される。

 

「恥ずかしながら、少々のめり込んでしまったよ。ストーリー……は、私がやる分には突飛に感じるところもあって、嚙み砕くのに時間がかかったけれど――」

 

 一息、

 

「とにかく、キャラクターがみんな可愛らしくてね。物語の中で新しい世界を訪れるたびに、色んな仲間が増えていって、それぞれに背景と魅力があって……柄にもなく、気分が高揚していた。おかげでRPGも面白いんだなって気付けて――その礼を、ずっと伝えたかったんだ」

 

 ……思えば、私もそうだった。

 

 元々ゲーム自体にあんまり興味がある方じゃなくて、お姉ちゃんとも今ほど仲……というより、相性が良くなくて。そのお姉ちゃんがある日ぎゃあぎゃあ言いながら持ってきたゲームが、前作に当たる『テイルズ・サガ・クロニクル』のプロトタイプだった。

 

 あまりにうるさいので嫌々プレイしたところ、ものの見事にドハマりさせられた。ドットで簡素にかたどられただけのキャラクターが、とても生き生きとしていて、可愛く見えたから。

 

 レビュー欄には罵詈雑言の嵐が吹き荒れていたけど、そんなの気にならなかった。身をよじるような興奮が抑えきれなくて、私たちもこういう面白い作品を生み出したくなって。後日、私たちは二人一緒に、ゲーム開発部の(もん)()を叩いたんだった。

 

 ……そっか。あの時の私と似たような気持ちを、カリン先輩も感じてくれてたんだ。

 

 私たちの――私たちが全身全霊をかけて作った、ゲームで。

 

「……っ」

 

 あ、まずい――と思った時には、もう遅かった。

 緊張と畏怖でいっぱいいっぱいだったところに、今日までの様々な事実を一度に告げられ褒めちぎられてしまって、安堵と感動に丸々()げ替えられた感情がオーバーフローを起こす。

 

 鼻の奥がツンと痛んで、視界がにじんで……頬を、暖かいものが伝った。

 

「……ん? えっ、ちょっと――」

 

 先輩の慌てた声。くしゃくしゃになった不細工な表情を見られたくなくて、スクールシャツの袖で顔面を隠す。

 

 ……言わなきゃいけないことがある。泣いている場合じゃないのに。

 私の喉はしゃくり上げるばかりで、形にならない嗚咽しか出てこなかった。

 

「――あ〜っ、カリンちゃんがミドリちゃんをいじめてます〜☆」

「へえ……ミレニアムも結構陰湿なんだね」

「えっ!? あっ違っ、これは……!」

 

 そこへ見計らったように、給湯室から出てきたのだろうノノミさんとカヨコさんの声が届く。私が真横でぐずってるようにも見えるせいで、カリン先輩が悪者に映る構図ができてしまっていた。

 違うんです誤解なんですと内心で叫んで、目元を(ぬぐ)いつつ無理やり呼吸を整えていると、

 

「うんうん、よしよし。よかったですね、ミドリちゃん」

 

 不意に頭を撫でる優しい手があった。私と先輩の間を割って座ったその人に、すっぽりと覆われる形で抱き締められる。

 覚えのある香りと、柔らかさ。間違いなくノノミさんのものだった。

 

「うふふ……カリンちゃんも、ようやく伝えられましたね。上手に謝れるかな、仲良くなれるかなって、ず~っとそわそわしてましたものね~」

「う、ちょっと、ノノミ……!」

「……まあ、その不安は的中してたと思うけどね。声をかけあぐねてずっとミドリをにらんでるし、やっと話しかけたかと思えばキツい言葉選ぶし……なるべく手出ししないって約束だったけど、正直ヒヤヒヤしてたよ」

「ぐ――そ、そんなつもりは……」

「……そう言えば、私とここで最初に会った時のカヨコさんも、結構あんな感じだったような――」

「……」

「わあ、こわ~い☆」

 

 きゅっ、と抱え込まれて豊かな双丘からワイシャツ越しに圧迫を受ける。ぐえ。

 

 ……頭上で続く言葉の応酬の中に、ああやっぱり、と腑に落ちるものがあった。ノノミさんの給湯室でのあの言葉は、今回の事情を知っててのものだったんだ。

 ごしごし、と袖で涙のあとを落とす。まだ少しひくつく喉をどうにかなだめながら、ノノミさんの腕の中から顔を出す。

 

「……あ、あの……」

「あら。ミドリちゃん、もう大丈夫ですか?」

 

 ノノミさんはそう言って拘束を解くと、ポケットティッシュを数枚抜き出してこちらに近付けてきた。

 

「はい、どうぞ。チーンってして下さい☆」

 

 ありがたく受け取ろうとしたのだけれど、何だか妙に位置が高いというか、近過ぎる――と思っていたら、そのまま鼻に優しく添えられてしまった。まさかとは思うけど、こ、このままかめってこと……?

 

「ぅあ、だ、大丈夫です、自分でやります……ありがとうございます……」

 

 何とか手で受け取ってから誰もいない方を向いて、ずばー、と鼻水を追い出す。……本当に母性が服を着て歩いているような人だ。アビドス、恐るべし……

 

「……す、すまない、ミドリ。まさか泣かれるなんて、思ってもみなくて……」

 

 だいぶすっきりして振り向いてみると、眉尻を下げたカリン先輩が、所在なさげに両の指を交差させながらそう告げてきた。

 ちらっと横目を向けると、間にいたはずのノノミさんはいつの間にか、向かい側に座ったカヨコさんの隣に移動していた。流行ってるのかな、隠密歩法。

 

「あっ、い、いいえ。私の方こそ、急に泣き出したりして、すみませんでした。それと、えっと……」

 

 気を取り直し、唇を軽く噛んで、舌を滑らせて湿らせる。

 言うならここだ、と思った。落ち着いて、言葉を(ぎん)()して、整えて。私も今の精一杯の気持ちを、カリン先輩に返すんだ。

 

「……ありがとう、ございました。その、すごくビックリもしましたけど、とても嬉しかったです。ゲームも、絵も、たくさん褒めてもらえて……次の制作も、おかげ様で頑張れそうです」

「そ、そうか。それなら……良かった」

 

 笑みを交わし合う。傍から見ても、それはぎこちないものだったと思うけど……ここにきて初めて、私は先輩とちゃんと、本当の意味で会話のキャッチボールができた気がしていた。

 ――その時。カチャッ、と執務室の扉が開く音がして。

 

「……ん、おかえり、先生」

 

 カヨコさんの声に振り返ると、先生が執務室に戻ってきていた。カヨコさんに次ぐ形で、私たちも口々にお迎えの挨拶を唱える。何の話をしていたのかと問う先生に、ノノミさんがにこやかに(ふた)(こと)()(こと)返して、それに相槌を打つ。

 

 それから私とカリン先輩に視線を移し、淡く微笑んで……そのまま自分のデスクへと向かっていった。

 

「さて、それじゃあ先生も戻られたことですし。そろそろお昼にしちゃいましょう☆」

 

 ということで一斉に立ち上がって、給仕のためにぞろぞろと動き出――したんだけれど。私は先生にもお伝えしたいことがあって、皆さんに一言断ってから、後を辿るように先生のデスクへと近寄った。

 

「先生。その……どこかへ出られてたんですか?」

 

 私の問いに、先生は階下の居住区へ様子を見に行っていたと答えた。どうやら今日の当番である私たち以外にも、シャーレを訪れている生徒はたくさんいるようで。

 

 そこで先生は、まだ腫れたり赤みが残っているのだろう私の目元を間近で見て、心配そうに声をかけてくれた。でも私は敢えてそれを無視して、不機嫌そうな顔を作って言葉を返す。

 

「……先生は、最初からカリン先輩と結託して私を騙していたんですね」

 

 ぎくっ、という効果音が背後に可視化できそうなわざとらしいリアクション。そんなあざとい先生への意趣返しに、私はこの機を逃すまいと畳みかける。

 

「あーあ。私、ちょっと傷付いちゃったなあ。まさか信頼してた先生に裏切られるなんて、思ってもみなかったなあ」

 

 いやあのそれはその、と両手両目をわたわたと動かして慌てる先生がおもしろくって、私はこらえきれずにぷっと吹き出した。いざ戦闘指揮になればあんなにカッコいいのに、こういうところは可愛げがあるというか、なんというか。

 

「……すみません、冗談です。おかげで先輩ともきちんとお話できて、他校さんとの繋がりもできましたから。でも何か企みがあるなら、次からはなるべくご相談下さると嬉しいです」

 

 そう言って、さっきまで座っていたテーブルの方を振り返る。卓上には美味しそうなサンドイッチやお菓子に、恐らく紅茶と思わしきティーポットも並べられていた。カリン先輩がカップに液体を注ぐ様を、お二人が絵になるねと褒めそやしている。

 その和やかな光景に目を細めながら、私は以前のとある自分の発言を思い返していた。

 

『――私、毎日シャーレに行くから! 本当に、絶対に毎日行く! どこに行っても! 一緒にゲームを作ろう!』

 

 ミレニアムプライスでの授賞を逃して、アリスちゃんをシャーレに連れていかれてしまうと思い込んだ、あの時。当時あれだけお世話になった先生の職場であるにも関わらず、私はシャーレを、私たちとアリスちゃんを引き離す冷たい牢獄か何かのように考えてしまっていた。

 

 けれど。

 

「ありがとうございました、先生。私――」

 

 ――私、ここに来れて良かった。

 きっとこれは、今日の思い出は。私が望んでいた、たくさんの経験の内のひとつになる。

 出不精でオタクな私にはもったいないくらいの……新しい、お友達。

 

 カリン先輩がふと、こちらに眼差しを向けた。褐色に浮かぶ唇が、緩く三日月の形を作る。

 

「ほら、二人とも早くおいでよ。せっかくの昼食が冷めてしまう」

 

 私はデスクから立ち上がった先生の手を、きゅっと控え目に掴む。

 

「――はいっ!」

 

 そしてそのまま元気よく返事をして、笑顔で先生を引っ張って、輪の中へと戻っていった。

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