そこからの一日は、なんだかあっという間だった。
ノノミさんお手製のお昼ご飯を頂いた後、私たちは第十一エリアでの任務を終えて、帰りに寄ったカフェでスイーツを食べた。そこで当初の
そうして、夕方。
傾いた太陽が金色に照らす街を見下ろしながら、私はカリン先輩と二人、愛銃を携えてシャーレのエレベーターで地上へと向かっていた。
ノノミさんとカヨコさんは、階下にそれぞれのお友達が来ているということで、そちらと合流するために先に別れていた。その際にお二人のモモトークを教えて頂いてしまい、そわそわと無意味にポケットの上からスマホを撫でる。
「……」
狭くて四角い箱の中。会話はなかったけれど、不思議と気まずさもなかった。午前中にあれだけ気詰まりに喘いでいたのが、まるで嘘みたいだった。
横目で見上げると、先輩は穏やかな表情で茜空を眺めていた。小脇に抱えた冗談みたいなサイズの狙撃銃も、カリン先輩が持っているとすごくサマになって見えた。
すごかったなあ……と、昼間の戦闘を思い出す。集団の厄介な後衛や大きい敵の弱点を的確に撃ち抜いていって、私たちはこんな人を相手にしていたのかと、頼もしさと一緒に改めて恐怖を感じた。
「……ん、何? どうかした?」
険のとれた柔和な面持ちが夕日より眩しくて、私は思わず目線を外してしまう。
「あ、いえ。すみません、何でも……」
「ふふ、そうか」
……パッと見はキリッとしててカッコいいタイプなのに、こういう時は可愛いなんて、ズルい。
お昼前までとはまた少し違った意味で、カリン先輩の目を見て話すのはまだまだ難しそうだった。
(……さて)
ここで私にはひとつ、課題が残っていた。
何となくタイミングを掴むことができず、カリン先輩のモモトークだけ未だに聞きそびれていたのだ。
もう直球で聞いてしまってもいいんじゃない、と一人の私が言う。じゃあなんて言って聞き出すの、ともう一人の私が返す。
普通に教えて下さいでいいでしょ、何言ってんの失礼でしょ大した理由もないのに、だってあんなに私の絵まで褒めてくれたんだしもっと仲良くなりたいじゃない、それはそうだけど相手はメイド部のエージェントなんだよそんな簡単に――
ポーン。
白熱する首脳会議、ならぬ脳会議をよそにエレベーターは一階に到着して、先輩が先に自動ドアをくぐって出ていってしまう。ハッと現実に引き戻されて、慌ててその後を追いかけて――追いついたところで、先輩が口を開いた。
「初日、どうだった?」
「へえっ」
予想だにしていなかった質問に、感情だけが先走ったような感動詞がまろび出た。
……前に見たアニメでも、こんなシーンがあった気がする。初出勤を終えた主人公に、憧れの先輩が全く同じ質問をするシーン。
そう言われれば、私は人生で初めてのアルバイトを終えたんだった。今更そんなことに思い至って、どんな返事をしようかと考え始める。
「……なんて、私が聞けた義理じゃないか。特に午前中は、今みたいにこんな不愛想な女とほとんど二人きりで、つまらなかっただろうし」
「つッ――」
正面玄関を抜けたところで、思わず立ち止まる。夕焼けのセピア色に塗られた先輩がなんだか遠く見えてしまって、肩に力が入る。
「つまらなくは、なかったです。大変ではありましたけど……もう、先輩が私に声をかけてくれた理由も、わかってますから。というか、今だって別に、その……」
最後まで言い切る前に、私の声帯は勢いを失って止まってしまう。今だってつまらなくなんてないです距離が縮まったみたいで嬉しかったです――という言葉が、吐息に溶け込んで消えていく。
それでも言いたいことはそれとなく伝えられたようで、先輩は破顔して、言葉を返してくれた。
「……ありがとう。私も――」
そこで不自然に台詞が切れて、先輩がふっと道路の方へ顔を向ける。その目がなぜか妙に鋭い気がして、私も釣られて同じ方向へ視線を投げる。
そこには黒くて長い、いかにもな高級車が
車体と同色のロングスカートに純白のエプロンドレスと、腰丈のプラチナブロンドをふわふわと柔らかくたなびかせ――
「――お帰りなさいませ、お嬢様」
下腹部で両手を重ねて、
反面、その台詞にはどこか相手をからかうような抑揚があって、この人の……底知れなさ、みたいなものを浮き彫りにさせていた。
「……アカネ」
メイド部が誇る、爆破と暗殺のスペシャリスト。
コールサイン・ゼロスリー……
「どうしてここに? 待ち合わせにはまだ早いだろう?」
「ふふ、いえ。元々の予定がかなり前倒しになってしまって……それならもう直接お迎えにあがろうかと。連絡もせず、すみません」
「……そう。まあ、こいつを担いで歩く距離が少しでも減るのは、素直にありがたいけど」
ガチャッ、とカリン先輩が狙撃銃を抱え直して、階段を下りていく。実際何キロあるんだろう、それ。
そんな先輩に続くかそのまま留まるかかなり迷ったけど、取り敢えずついていくことにした。カリン先輩には申し訳ないし全然意味もないと思うけど、なるべくアカネ先輩の視界に収まらないよう、盾っぽく使わせてもらう。
「お
「念には念を、だそうです。私としても過度に耐久性を上げたものより、いざという時にもう少し速度を出せる車種の方が好みなのですが……」
「……色々と怖いこと言わないで」
「うふふ、冗談ですよ」
そこでアカネ先輩は目を細めて、シャーレの高い建物を見上げる。
「できることなら先生にも、改めてご挨拶を申し上げたかったのですが……さすがに終業時刻も過ぎていますし、またの機会に致しましょう。……それと――」
そして下がった目尻が、そのまま私に向けられて、
「お久しぶりです、ミドリちゃん。
「あ、あはは……こ、こちらこそ、どうも……」
……蛇に睨まれた蛙、とはまさにこのことだと思った。勝手に口角が吊り上がって、ガチガチの愛想笑いができあがる。
メガネの奥の瞳からは、午前中にカリン先輩から感じていた視線や圧が可愛く思えてしまうような、強い思念が感じられた。背筋が粟立って、銃を抱えた両腕に力がこもる。
「――その辺にしときなよ、アカネ」
そんな私をかばうように、カリン先輩がスッと割って入ってくれた。アカネ先輩と同じメイド服の背中が頼もしく、そして暖かく見えた。
「それに関しては、もう済んだことだろう。私がせっかく――」
……せっかく?
カリン先輩はそこではたと言葉をせき止めて、
「――いや、何でもない。時間に余裕があるならあるで、さっさと現地に向かってしまおう。他に予定もないことだし」
「……ええ、そうですね。今回はどちらかと言えばリーダー向きの任務ではありませんから、機嫌を損ねても大変ですし。……それでは、ミドリちゃん。また」
「は、はい、また……」
今回の遭遇で、アカネ先輩と会うのは確か三度目になる。正直これ以降はほんとに勘弁して欲しかった。こっそりため息をつく。
アカネ先輩は再度運転席に乗り込んでいく。カリン先輩も後部座席のドアを開けて、大きな狙撃銃を積み込んだ。
チラッと中を覗き込む。……うわ、内装も豪華だ。少なくともうちの部室よりはずっと快適そう。ていうか軽く住めそう。
先輩は車には乗らず、銃を積んだ後そのままドアを閉めた。多分助手席に乗るんだろう。モモトークを聞き出すなら、ここが最後の機会かも知れない。
「……今からまた、お仕事なんですね。えっと……」
……こういう時、なんて言えばいいんだろう。
お疲れ様です? ご苦労様です? ……どの言葉もなんだか、私が使うと軽く聞こえてしまう気がして、なかなか適した言葉が見つけられない。
「うん……まあ、確かに楽ではないけど。もう慣れっこだから、大丈夫」
少し困ったように笑うカリン先輩に、私は意を決して声をかける。
「――あ、あの!」
「ん、何?」
「そ、その……」
目線が落ちる。先輩の膝辺りを見つめながら、懸命に言葉を探す。
「……ご、ご存じとは思いますけど。ゲーム開発部の廃部は現状、一時保留ってことになってて……来学期にはまた、何か別の形で部としての成果をあげないといけないんです」
ぎゅっ、とアウターの裾を握って、
「もちろん私たちにできることは、また新しいゲームを作ることだけです。だから……その――」
上目遣いでそろっと合わせたカリン先輩の金色の瞳は、やっぱり優しい色を湛えていた。
「――その時はまた、私たちのゲームを……遊んでくれません、か?」
「……うん。いいよ」
ぱあっ、と顔色が華やいでいくのが自分でもわかった。慌てて唇を引き結んで、
そう、喜ぶにはまだ早い。なにせ私の本懐は、ここからなんだから。
「あっ、あの、それと……もしRPGにハマったんなら、私の持ってるのお貸ししますから、その……連絡先、を……」
正直なところ、半分くらいはこのまま快諾してくれるんじゃないかと期待していた私は……そこで口角をにっと上げた先輩を見て、一気に不安に襲われる。
台詞を間違えたかな。やっぱり図々しかったかな。なんだか意地悪く映る表情のまま、カリン先輩が切り出す。
「いいのか? そんなハードル上げるような真似をしてしまって。自分たちの作品を楽しんでもらいたいなら、消費者にはなるべく無知のままでいてもらった方がいいんじゃないか?」
……とっさには、言葉を返せなかった。
確かに、先輩の言うことも一理ある。私たちが次のゲームを出すまでにあんまり目を肥やさないでいてくれた方が、つたない部分があっても気付かないでいてくれる確率は上がるかも知れない。
けれど――
「……い、いえ、大丈夫です。その上できちんと『面白い』って言ってもらえないなら、部の存続なんてできないでしょうから」
――そんなの、意味がないと思った。
そんな及び腰じゃあ、きっと守りたいものも守れないから。
「……そうか。わかった」
すげない返事にも思えたけれど、先輩の唇は優しく弧を描いていた。私の答えは間違っていなかったんだと、そう思いたい。
ポケットからお互いにスマホを取り出して、モモトークを開いて……私の数少ない友だち欄に、また新しい名前が増える。真面目な先輩らしいステータスメッセージに、思わず口元がほころぶ。
「近い内に、空いた時間がわかればこっちから連絡するよ。それまでにおすすめを選別しておいて」
「――あ、は、はい!」
それじゃあ、と軽く手を振って、先輩は反対側の助手席に乗り込んでいった。わたわたとスマホを仕舞い込んで、高級車らしい太いエンジン音を轟かせて去っていく先輩たちを、黒く艶めく車体が見えなくなるまで見送る。
完全にその姿を確認できなくなってから、私は家路を急ぐ喧噪の
「……んふ。ふふふっ」
意図せずゆるい笑みが漏れる。他の人から見れば不審者扱いは避けられないだろうけど……どうしても我慢できなかった。
これまで遊んできた、たくさんのゲームたちが脳裏に浮かぶ。自分を、周囲を、そして世界を変えるのは、いつだってプレイヤーの勇気と行動だったことを思い出す。
……今日は、ほんとに色々あったな。
でも……勇気を出して、ここに来てよかった。
シャーレを振り仰ぐ。この高い建物のどこか上の方のフロアで、きっとまだお仕事をされてるのだろう先生を思い描く。
本当に……ありがとうございました、先生。また、いつでも呼んで下さいね。
「――よっし!」
今日は、いい絵が描ける気がする。人生で初めてのお給料も貰えることだし、何かお姉ちゃんに買ってってあげようかな。
どこへ寄ろう何を買おうと色々考えながら、私は最寄り駅に向かって歩き始めた。
……そうして鼻歌混じりに自宅へと到着した私は、ついうっかり自室のベッドで横になってしまい、結局その日は何も描けないまま朝を迎えてしまった。
反省した私は取り敢えず、カリン先輩に渡すゲームの選別から、始めることにしたのだった。