「…落ち着いたか?」
「…(コクン)」
ひとしきり泣いたルドルフはグシグシと泣き腫れた目を擦る。初見時よりもだいぶ幼くなった印象を受けるが,年相応だと個人的に思う。
受け取った資料を彼女と共に元に戻しながら,生徒会室を後にする。窓を見れば陽は落ちて藍色と橙のコントラストが空を染めていた。
「確か君たち生徒は学生寮で生活しているんだっけか?門限もあると聞いているし,そこまで送ろう。」
「うん…ありがとうございます。」
スンスンと時折鼻を鳴らすルドルフ。
あれだけ泣いたのだから,完全に落ち着くまではまだ時間はかかりそうだ。しかし,憑き物が落ちたかのようなスッキリとした表情も見受けられ安心する。
この学園には美浦寮と粟東寮の2つがあるが,彼女は前者の方に住んでいるとのこと。
特に話すこともなく(というより話すネタもない),2人は暗くなった道を歩いていく。
少し肌寒い風が肌を撫でる中,異物の匂いを感じ取り歩みを止めた。
「どうした,の!?」
急に立ち止まった彼の方を見るや否や,強引に肩を引き寄せられ,その場から離される。
次の瞬間,バサリと大きな音と黒い大きな羽が数枚空を舞っていた。
その羽の落ちてきた方向を見れば,信じられない光景に息を呑む。
背中には一対の巨大な鳥羽色の翼。
頭にはフード,顔には鼻の長い天狗のようなマスクをしているその男性はゆっくりと地面に降り立った。
「ざーんねん。まさか奇襲がバレるとは。
なんで分かった?」
「匂いでそれくらい判断できる。それと此方に向けてくる異様な視線も合わされば余計な。」
こちらの肩を掴む彼の手に力が込められる。
目の前の状況を飲み込めずにいる中,彼らは変わらず話し続ける。
「あー…もしかして君もこっち側?そりゃないぜもう来たのかよ。この学園も対処速いなぁ」
目の前の仮面の男はだるそうに息を吐き頭を掻く。メンドくさいメンドくさいと何度も口にした。
「学園施設の破壊の次は…誘拐でも考えたか?この外道が。」
「まぁねえ…その子有名な家柄出身でしょ?
いいよなぁこの学園は。その手の奴らからすれば宝の山。オレ達からすれば金のなる木さ。」
「ヒッ!」
此方を舐め回すような視線に全身の毛が逆立つ。
不気味な言葉と,異様な空気に息が苦しくなる。
一歩,また一歩と近づいてくるたびに体が後ろに下がろうする。
怖い…怖い,怖い怖い怖い!!!!
「ルドルフ,少し揺れるぞ。」
「え…きゃあっ!?」
一瞬体が宙に浮いたかと思えば,ドン!という衝撃が襲ってくる。
「オイオイ!ちょっと待てよゴラァ!!!!」
虚をつかれた仮面の男は怒りながらも,その大きな翼を展開させ羽ばたかせると一直線に此方に飛びかかってくるのが肩越しに見えた。
しかし,差は縮まらない。一歩,また一歩と彼が地面を蹴るたびにその速度は上がっていく。
めぐる回しに激しく変わる景色。
全力で追跡する彼から苦し紛れに聞こえる怒号。
そして耳に聞こえる風を切る音。
チラリと私を抱える彼の顔が目に映る。
夜に浮かぶ月を思わせる,琥珀色の瞳の瞳孔は鋭くなり,人の耳ではなく狼のような獣耳。
「あなた,一体…」
「あぁ,言ってなかったな。」
息を切らさずに喋る彼は此方の顔を見て,ニヤリと笑った。
「俺もあの野郎と同じ,バケモノさ。」
バケモノ。そう繰り返すように呟くと彼は「そうだ」と肯定する。
「まずは君を寮に送り届ける。流石にそこまで追ってこないだろう。あとちょっとの辛抱だからそのまま大人しくしていてくれよ?」
そう話す彼の言葉に黙って頷く。
状況は飲み込めず,頭はパンクしかけていたが彼の言葉は信頼できた。
そのまま彼の走りに揺られていれば,数分して見慣れた学生寮前に到着し,体を降ろされる。
「早く寮内に戻れ。」
「あなたは!?」
「俺はアイツの始末に向かう。いいか,絶対に今日は部屋を出るな。常に誰かのそばにいろ。
守れるな?」
両肩を掴み,そう警告する彼の言葉に頷く。
仮面の男のことも気にせず寮の中へと飛び込むようにに向かっていった。
「ルドルフ?どうしたのそんなに息を切らして…って何があったのよ!目も腫れてるし!」
偶然玄関に居た先輩ウマ娘は此方の顔を見るや否や駆け寄ってくる。
「ハッ…ハッ…!外に,彼が!変質者が!」
「彼?変質者?落ち着きなよ…外には誰も居ないよ?」
「え?」
安心したのか,緊張が切れてうまく呼吸ができないながらも先輩の指差す玄関の外に視線を向ける。
そこには彼女の言う通り,誰も居ない静寂な闇があるだけだった。
「痛い痛い痛いィィい!離せ!離せよオイ!頼む離してくれ!!!!お願いします!!!」
(クソ!クソクソクソ!なんなんだよコイツ!?)
先程まで上空を飛んでいた筈なのに!
地面を走るだけのこんな男に捕まる筈もないのに!なんで!?
オレがコイツに見下されているんだ!?
仮面の男は,ルドルフを抱えたまま走り去る男を結局追い切れることができなかった。
その事実にも驚愕したが,問題はそのあとだ。
彼女を置いて戻ってきた男は,走ってきた速度そのままにして上空にいるオレに向かって跳躍…脚を掴まれてそのまま強引に地面へと投げ落とされたのだ。
そのまま押し倒され,左腕と右翼の関節部分を掴まれている。最悪なことに,男の鋭い爪が易々と肉を突き抜けており,生温かい自分の血が自身の体を濡らし始めていた。
「チクショウ!お前〝人狼種〟だろう!?
なんでこの学園なんかにいるんだよ!可笑しいだろ!?」
「お前らが目立った行動を立てるから引っ張り出されたんだよ。お前は〝天狗〟…その中の一種「烏天狗」だな。
いくつか質問をする。〝はい〟か〝いいえ〟で答えろ。さもなければ…分かるな?」
握られた箇所にさらに力を込めてくる人狼に,烏天狗はコクコクと頷くことしかできなかった。
その顔には恐怖と激痛によってもたらされる苦悶の表情が濃く浮かび上がっていた。
そんな男をよそに,人狼は質問を開始した。
「学園への妨害工作の犯行はお前を含め数人で行った。」
「…はい」
「お前らはウマ娘やそれに関わるヒトに関する反行動組織及びそれに従する団体である」
「…はい」
「過去に学園内のウマ娘を誘拐したことがある」
「…いいえ」
「誘拐の雇い主は…ここに投資しているスポンサーの1人である」
「…はい」
その答えに人狼は舌打ちをする。翼と腕から肉と骨が軋む音が響き激痛が体を走る。
「があ゛あ゛あ゛っ!!!!」
「最後だ。お前らは今夜も犯行に及ぼうとし,既に学園内に侵入している」
息も絶え絶えにしている烏天狗に最後の質問を尋ねる。しかし彼は此方の顔を見るとニヤリと目を歪ませた。
「くたばれバーカ」
「あぁ,お前がな」
グイッと引っ張られると同時に,烏天狗の頭は何者かに思い切り殴られていた。
「ギャァァァアアッ!!!!」
仮面は落ち,血と折れた歯が地面に落ちる。
痛みにのたうち回る中,人狼は既に新たな敵に視線を向けていた。
身長は2メートル近くあるだろうか。レスラーのような屈強な体格をした新手は此方を見ると同時に変身する。
茶色く分厚い毛並み,重厚な爪,筋肉質な腕,肉厚な体…熊の形態を取るその男もまた亜人種だった。
「熊人間か」
そう彼の正体をいうと同時に,巨大な熊人間は四つ足となると此方に突っ込んでくる。
(体重差があり過ぎるな…肉弾戦は不利。ならば)
ガチャガチャと腰のベルトをはずしながら,突っ込んでくる熊男の肩を踏み,空中で身を翻す。
その際にベルトを彼の首に回すと,勢いよく締め上げた。
「カハッ…ヴオオオ!」
一度喉から息が漏れるも,熊男は此方を振り払うように暴れ回る。壁に,地面に背中から体当たりし,此方を押しつぶそうと躍起になる。
「イッテぇな!さっさとオチろ…!」
体中に衝撃と痛みが走る。ごぼり,と口の中に鉄の匂いと酸味が広がる。
それでも,振り払われないように彼の背中にピタリとくっつき,ベルトと彼の腹部に回す足に更に力を込めて拘束し続ける。
10分は続いただろうか?激しい互いの我慢比べが続く中,熊男はフラリと大きくよろめきそのまま地面に倒れた。
変身は解かれ,泡を拭き白目を剥いている彼の首にはクッキリとベルトで拘束された跡が残っている。
「流石熊…噂通りの頑健さだな。」
口元の血を拭いながら地面に倒れる熊人間の生存確認をしつつも,周りを見る。
逃亡させたかと思っていた烏天狗の男は随分と離れた場所にあるが,こときれたのか地面に倒れていた。翼も随分と小さくなり背中に収まっていた。(片方は血で塗れ少し変形している。)
周りを見渡し,戦闘痕の処理を考えながらポケットから端末を取り出す。相手は昼頃に別れた上司の年藤だ。
「銘無,何かあったか?」
「犯人格2人を確保。後処理諸々のために人員をお願いします。」
そう話せば電話越しに「ハァ!?」と驚いた声が聞こえる。昨日の今日で犯行が起きるとは誰も思っていなかったし,俺だって内心驚いている。
「まぁ…実際に起きているしな。分かった。学園に向けて救護班も向かわせよう。たづな達には私から連絡を入れるから,お前は犯人2人を見張っておくように。以上。」
そう言うと彼女から電話を切られる。
絶えず転がる2人の靴紐やベルトなど拘束できそうなものを一頻り剥ぎ取ると,手首や足首,腕などをぐるぐる巻きにして身動きを封じた。
周りを見渡し,鼻で匂いを嗅ぐも近くには誰もいないようだ。逃げたか,最初から2人だけだったのかは分からないがとりあえず今夜はここまでだろう。
(一応学園内の捜索もしておくか…新手がいても困るしな。)
取り敢えず,休憩だ。
戦闘が終わり腰を下ろす。人狼化も解いてヒトの姿に戻り,月の登る夜空を見上げた。
暫くすれば年藤さんが連絡をよこしたであろう連行班と救護班,後処理部隊。そして理事長とたづなさんが現場に現れる。
2人に今回の内容を伝えている間に犯人は迅速に運ばれ,後処理の済んだ報告を受ける。
「本当に,亜人の方による犯行だったのですね。」
「喫驚…そして感謝。ありがとう銘無くん。初日からの活躍大義である!これからも協力してくれると嬉しい。」
未だ状況を飲み込みきれないたづなさんに対し,理事長の方は笑ってそう話しかけてきた。見た目は幼いが流石はこのトレセン学園のトップということだけはある。
「えぇ…此方こそ。」
今日一日だけで目が回るような程の内容に、流石に体が重い。
明日以降の打ち合わせを簡易的に済ませると,寝泊まりするならばと空いているトレーナールームに案内された。
ホワイトボードやロッカー,事務作業のできるようトレーナー用の机と椅子,奥には仮眠用のベッドやちょっとしたコンロや水道まで付いている。
(最悪ここで暮らせそうだな…どんだけ金あるんだこの学園)
チームを持つトレーナーにも対応している為このような形となったが,1人でいるには少し持て余すくらいだ。
案内してくれたたづなさんに礼を言い,仮眠ベッドに身を投げ出す。血や汗を流したかったが少し眠りたい。
重くなる瞼に従って目を瞑る。
そのまま意識を手放すのにさして時間は掛からなかった。