忍術学園の狛犬   作:デスブリンガー

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一話一話が長いので後日分割するかも


薄井“狛”治郎

天正■年。軍神上杉謙信公の治める越後国。

香澄もとい、駒治郎の母“すみ”は、前夫に先立たれて以来寡婦として春日山城下郊外で暮らしていたが、本国(甲賀)の要請で当時の軒猿の頭領(スケベ爺)の部下として動いていた。駒治郎の父と再会したのもその頃である。

しかし頭領がすみに執着しだしたため、父もそれまで務めの範囲内で庇っていたが、ついに向こうが強硬手段に出たため(目論み事態は完全失敗したものの)半ば強引に自分が身請けした。

それからは妙高山の近くにあった小さな家でふたり密月を過ごし、翌年そこで文吾(後の駒治郎)を産んだ。

裕福とは言えない暮らしだったが、それでも長閑で、穏やかで、あの頃を幸せと思えるくらいには、文吾と母の周りは恵まれていた。たまにしか会えぬ父を恨んだこともついぞ無かった。侍たちには出来ぬ務めと教えられていたからだ。

母はそんな父の夢のために尽くしたいと優しい顔で語っていた。

 

幸せだった。無知であったがそれは確かだった。

 

それが崩れだしたのは天正6年の春。

国主上杉謙信が逝去。すぐに上杉家は真っ二つに別れた。世に言う御館の乱である。

当然謙信が設立した軒猿も二つに別れた。大半が北条氏と武田氏との連携を重んじて北条からの養子景虎についてしまったが、そんな中で文吾の父を含む学園出身者たちは景勝に着いた。

景虎派になったスケベ爺との折り合いが悪かったのもあったが、安田顕元が誓紙を出して景勝派に着いたことも関係していたかもしれない。安田家は、すみの亡き夫の主家である。

この頃の文吾は戦を目の当たりにしたことはなかったが、父に会えない日々が丸一年以上続き、母も幼い駒治郎を父の部下や近所の村人たちに任せて夜変装して何処かへ出ていくことが度々あった。後に聞いた話では甲州婦人(菊姫)や綾御前の警護をしていたらしい。

結果として景勝派が勝利し、一時の平和が訪れた。乱の前に先代首領たちを何者かが殺してくれたのも利いたようだ。(犯人は『手取川の悪鬼』らしいが調査は乱の勃発と同時に打ち切られた)

問題はその後だった。戦の恩賞が子飼いの上田衆に多く与えられた事に不満を持った新発田重家が葦名盛隆と伊達輝宗と通じ独立。この際、説得に当たっていた顕元は責任を取って自刃してしまった。

これに元々長尾氏に不満を持つ豪族が次々連動して、越後は再び荒れた。これも後に新発田の乱と名付けられたが、終息に七年かかった。

すみが死んだのは、そんな最中だった。

 

国人衆などの反発勢力への粛清

東進する織田軍

甲州征伐

 

様々な内憂外患が重なり越後の武士たちはもちろん、文吾の父たちも毎日戦っていた。そして多くの恨みを買っていた。

それがあの天正10年の春。落ち延びた景虎派の軒猿たちと織田軍の一部とが結託して、学園出身の忍たちを潰すためにあの襲撃は起きた。

夜半、男たちが忍務に出ている隙を突かれた形で包囲され、家に毒付きの飛び苦無が投げこまれた。

いち早く殺気に反応したすみが迎え撃ったが、文吾に撃ち込まれた分を切り払いきれず、我が身で受けることになった。

それでも襲撃者たちをことごとく切り捨てたのは子を想う母の執念である。床下に隠した子供に敵が去ったのを伝えると、力尽きて眠るようにすみは死んだ。

文吾は床下から這い出すように出て、柵の下で横たわる母が息をしていない事に気づいた。無情な現実を信じられず、ただただ母の骸の前で滂沱していた。

火急の報せを聞いて駆けつけた父たちは、その時に到着した。道中逃げた残党に鉢合わせたのだろう。文吾が名を呼ばれてようやっと顔をあげると、全員一様に血塗れだった。

あの時の、母の骸を目の当たりにした父の顔を文吾は一生忘れられない。一切の色(感情)の抜け落ちた顔で、涙もなく、怒りもなく、それでも真っ白になった顔色には哀れなほど絶望と『何故?』を張り付けていた。

幼い文吾は何も言えなかった。誰も彼を責めなかった。「母の務めを全うしたんだな」と言われたが、それがいけなかったのだと駒治郎は思う。

質素な葬式の後、文吾は生家を離れ、父たちの隠れ家に身を寄せたが三月足らずで破綻した。

父が寝ている息子に手を掛けようとしたのだ。

深夜のことだった。

妻の死から父の言動は度々荒れては憔悴していったが、それでも文吾は明日には以前の父に戻ってくれることを信じながら、その夜布団の中で丸くなっていた。

ふと首の後ろに冷たいものを感じて、それが母が死んだ夜に感じたものと似ていることに気づいて目を醒ました。

そこで見たのは、今まさに自分に苦無を振り下ろそうとする父であった。

そのままでいれば眼窩を貫通して脳髄を穿っていたところを、咄嗟に動いて躱せたのは奇跡に近かった。

頬骨まで焼けるような痛みと父の姿をした化け物を前にした恐怖に泣きながら文吾は布団から飛び出し距離をとった。

まさか仕留め損なうと思わなかったのか、父はしばらく夜具に突き刺さった苦無と自分を信じられないものを見るように見比べていた。

震えながら傷を気遣うような言葉が聞こえたが、こちらを油断させるための甘言にしか聞こえなかった。

何かがプツンと切れて、文吾は声を張り上げ泣き叫んだ。

『明日になれば』、『きっといつか』などただ都合のいい妄想だった。

母は死んだ。死んでしまった。

武勇伝もなく、敵に囲まれ、足手まといを庇いながら、毒に苦しみ一人で戦って最後は冷たくなって死んだ。

「母の務め」だの「子を想う母の一念」だのおためごしの綺麗事に過ぎなかった。

だって父は壊れてしまったから。厳しくも優しい父はいなくなってしまった。

子は鎹だと言う。文吾は確かに父と母をつなぐそれであった。だがつなぐ先が無くては鎹はただのゴミである。結局父にとって本当に必要だったのは母だけであって、自分はそれを死なせてしまった罪人に過ぎないのだ。世界(幸せ)とは母のお零れに預かっていただけの事柄で、それはとっくに終わっていたのだと思い知らされた。

これが現実だと幼心に悟った。死ぬべきは自分であったのだ。だからこうも苦しむ羽目になった。

『ごめんなさい』と泣き叫びながら文吾は蹲りトドメを待った。その間も父は何か言っていたが、連日の期待と失望に疲れていた。もう何もかも終わってほしかった。

結局トドメはいつまで待っても来なかった。ひどくえずく声と呻き声が聞こえたかと思えば、父は血を吐いて蹲っていた。

 

そこからの記憶は曖昧である。

 

あとから聞いた話によると、父は連日の激務と重圧に加え、悪夢に魘されつづけており、更には胃炎を患いだしていた。

そんな状態が続き、あの夜最悪の形で噴出したわけである。騒ぎを聞き付けた父の友人が家に駆け込んだ時、再び襲撃されたかと思わせる有り様だったらしい。

父の命は助かったが意識はひどく混濁して、まともに目覚めるのは当分無理だという。

崇緑の医務室に敷かれた夜具の中でその説明を聞いていた文吾は、苦無に塗布されたトリカブトの後遺症でぼんやりしながら、父が回復するまで離れて暮らす旨を伝えられた。そして我が子憎しで凶行に及んだのではない。今でも譫言でお前を案じていると大人たちから諭された。

ーーー何もかもどうでもよかった。父が治ったら、今度こそ殺し直されるだけしか思わなかったから

説明した父の部下は文吾が生返事どころかあまりに他人事のように聞いているので、ちゃんと解毒できているか心配になったらしい。

翌日、文吾が起きれるようになってから隠れ家に連れて帰り、大人たちは幼い文吾を誰がどう預かるかで話し合いになった。

文吾が失踪したのはその最中である。

死にに出たか、ただ逃げだしたか、駒治郎自身も定かではない。

ただわかるのは、その日文吾(明日を夢見た子供)は木枯らしの吹く夜に消えたことである。

 

 

結論から言えば、残された大人たちの心配を他所に文吾は別の人間に保護されていた。ーーーただし自分に関する一切の記憶を失って

この保護した人間が「狼」と呼ばれる決まった主をもたぬはぐれ忍であった。

かの忍は掟を尊ぶ冷酷な暗殺者で通っていたが、同時に五車に不器用ながらも根は真面目で朴訥な男でもある。

頭から血を流し、記憶も名も忘れても、身に合わない細作りの仕込み杖だけは決して離そうとしない子供にただならぬ事情を察した彼は、僅かばかりの慈悲をもたらして自身のねぐらに連れて介抱した。

しかし彼は文吾の父とは顔見知りであったが、あまりに面立ちが似てなかったので知人の息子だと露にも思わなかった。悲劇である。

問題はこの狼の養父にして師匠の大忍び「梟」こと薄井右近左衛門である。

ねぐらに子供を連れてきた義息を最初は詰ったが、子供の顔と仕込み杖を見ると含みをもった目で何か思案した後、狼にこの子供を一門に迎えるよう指示した。

今思えば、かの翁は子供の素性を察したのだろう。だが何も言わなかった。そのまま自分の手駒にして買い入れの手間を省いたか、もしくは父たちへの切り札か。いずれにしろろくでもない

それを察したろう狼はあまりよい顔をしなかったが、行く当ても帰る場所も忘れてしまった幼子は拒否する理由もなかったので無感情に是と答えた。

狼は眉間の皺をさらに深くしてため息を吐き、梟は表情の分かりにくい皺とヒゲの深い顔をニヤリとさせたのは覚えている。

 

それから四年半。

 

師である梟は正しく外道(あと経済的にだらしがないとか)であったが使い物にすると決めた分には面倒見は良かった。狼も養父として何か助けてくれて駒治郎(その頃はナナシだった)は彼のことを「親父殿」と呼ぶようになった。幸い(と言っていいものか)内乱の続く越後は『教材』に事欠かなかった。

人は、どこまでも残忍なれるし、どこまでも薄情になれる。世に戦が起こる要因は何も呪いと野心だけではない。あの越後の龍すら『不犯の義将』と謳われながら、家臣たちは戦に勝っても土地を切り取らぬ主君に不満を募らせていた。

その反動が御館の乱であり、新発田の乱だった。

結局愛だの義だの宣いつつ、人は家を守って家族を食わすより奪って殺す方が楽しいのである。

そう思えば、血の滑る感触に難儀していた殺しもただの作業である。親の記憶を無くしてもーーー否無くしたからこそ虚無を抱えた子供はあらゆる殺し方を砂が水を吸うように覚えた。取り分けその中でも仕込み杖を使った刀術と棒手裏剣を得意としていた。奇しくも、死んだ母すみと同じ業であった。

ほどなくして、名無しの道具は国境で多くの屍を築き、梟から『名』を与えられた。

斯くして親は守れなかったが、命令のために殺し続ける人でなしが成った。

人でなしの名は『狛』と言う。

 

 

「以上が私の身の上でございます」

 

戦国の世のどこにでも転がっている、ありふれた悲劇から始まる来歴を、駒治郎ーーー否、狛は淡々と淀みなく語った。

はぐれ忍の一端末であることを明かしても誰も驚かなかったが、梟の名が出た途端その場にいた教師陣の目が険しくなった。何人かが「道理で」と納得したようだった。

それだけ大忍び梟の悪名は知れられており、狛には歳にあるまじき凍てついた目と拭いきれぬ血臭が染み付いていた。

 

「駒治郎は狛の音だけとって変えた偽名ということかの?」

「左様でございます。私のことを薄井の者として役人に届け出すとき、市井に紛れるためにそれらしいのに変えたら、同じ“こまじろう”でもけものへんは書かれたら流石に浮くと言われてこちら(うまへん)を使わせてもらってました」

 

処置済みとは言え、重傷であることをおくびに出さず正座して質問に返答した。

最初狛は医務室でのやり取りもあって、てっきり自分を梟の端末と知った上で詮議すると思っていたが、「薄井狛治郎」の名を学園長が知ったのはなんのことも無い。医務室で改めた狛の私物の中に、名前入りのものがあったのである。それを言われてカマをかけられたことを悟り天をあおいで顔を覆ったものである。

だから観念してはぐれ忍の一員あることを話すことにした。あそこは親と死に別れたりした戦災孤児が多かったから、身元が定かでない者が当たり前だった。そのため人員の入れ替わりもしょっちゅうだった。逆に軒猿の所属であることを明かしたら間違いなく地元に確認される。

静まり返った部屋の中で学園長は両腕を組んで神妙な顔で口を開いた。

 

「うむ、とりあえずお前さんはしばらく殺生を禁じなさい」

「はい?」

 

てっきりこの後どう処理されるか沙汰されると思っていた狛は間抜けな声を出した。それに構わず学園長は続けた。

 

「あと右近左の人でなし脳筋理論はひとまず忘れなさい。どーせまだ『神とは力なり』とか抜かしとるんじゃろ?あの筋肉梟は。おまけに碌でなしだからお蝶に愛想つかされるんじゃ」

 

「それ脳筋ってレベルじゃないだろう…」「きんにくふくろう」と横で聞いていた山田先生と野村先生が顔を青くして呟いた。

とは言え、駒治郎はさすがに数十年後からやって来たなどと正直に言わなかった。かいつまんで、この時代の彼らに納得いく形に改変しながら語っただけだ。養父と両親たちのことは話さなかった。

しかし梟個人の話はほとんどしなかったし、お蝶の名は出さなかったはずだから、学園長が話していないことを言い出して目を丸くした。

 

「確かに師匠の座右の銘でありますが…僭越ながら大川様、私の師匠とお蝶様をご存じで?」

「おう、知っとるも何も大忍び梟とは腐れ縁じゃ。若い頃にお蝶を取り合ったこともあったぞ?もちろんワシの方が軍配上がっていたかな。あとはまあ借金とか、借金とか!それが元で何回か殺し合ったとか!!あと貸した銭全然返してくれんこととかっ!!!」

「学園長先生、落ち着いてください!」

「うちの師匠が大変申し訳ありませんでした」

 

「ぬがーっ!」口角泡飛ばして憤然とする学園長に流れるように狛は土下座した。弟子入りしたその日、まずやらされたのは借金返済の手伝い、もとい内職の手伝いだった。ちゃんと忍び技の修行もあったが、養父もよくこのことで頭を痛めていた。あとたまに婆さまーーーお蝶からしばかれていた。

うぉっほん!と咳払いしながら気を取り直して厳しい目で狛を見据えた。

 

「とにかく、ここ最近の活動は忍務とは全く関わりが無いものであって。先日の密書の件も冤罪であると申すのだな?」

「その通りです。先日の夕方から甚平殿の家を出て西の山をねぐらにしていた野盗6人を屠りました。その時の頭目の首も、翌日昼頃屯所に提出しているので確認は取れると思います。密書の盗難はその帰りに初めて知りました」

「ならばそう申し開きすれば良かったろうが。何故逃げたのじゃ?」

「もちろん役人にその事を訴えましたが、例の犯行現場から西の山はそう遠くないので、行こうと思えば無理ではないことと、私が帰った時刻を証明できるものが全く無かったので…」

「なるほど、それで此方の山まで転がり込む羽目になったというわけか」

「…国境を抜けれたら良かったのですが、腹を切られた時点で生け捕りされる前にどこかで独り死ねればと考えて走っていたのです。それで気がついたらこちらの塀の前に出ていて…」

 

夕餉の最中らしかったから、ここなら当分誰も来るまいと思って安心して意識を手放した顛末を語ったら教師陣の何人かが微妙な顔をした。特に一番若手らしいのが眉間を押さえている。

「よりによって学園(ウチ)の前で死ぬなよ」と呆れているのだろう。「そんな顔をしなくてもわかってるよ」と狛は思った。でもあの時は本当に動けなくなる瀬戸際だったのだ。母が「生きろ」と言う幻覚を見るくらいに

 

「ふーむ、しかしそれでは一つ謎が残る」

 

学園長は顎をさすりながら思案するように言った。

 

「お主、何故このあたりを長いこと留まっておったのじゃ?」

「堺の町で調べることがあって、その帰りで…」

「それなら少し無理してでもまっすぐ京に向かった方が後々楽じゃと思うぞ?正直このあたりは町まで行かんと稼ぐにゃ向かん」

 

それらしい言い逃れをしょうとしたら正論で被せられた。確かにそうだ。学園がなかったら、今頃とっくに京を出て越後に戻っているはずだから

 

「生徒たちを助けてくれるのはありがたいが、やはりわしらは遭遇率の高さを疑ってしまうのじゃ」

 

ああ、本題に入ったなと狛は思った。普通に挨拶してくる下級生たちの後ろで静かに警戒している上級生を思い出す。正直進んで関わったと言うには語弊があるが、結局関わるあたりで言い逃れにもなるまい。乱太郎たちの好意に甘えてしまったツケだ。

 

「私が師の後ろについていた頃、仕事でよく話しかけてくれる方がいて、その方がここの話をしてくださったのです」

 

本当は母や父の友人から、ーーー個性の強い生徒たちに教師。食堂のおばちゃん。修行に委員会活動に運動会。

狛はぽつりぽつりと、優しげに思い出を語る母を思い出しながらその時聞いた話を語った。

 

「最初はこんな乱世にそんなものがあるものかと疑ってはおりましたが、同時に本当にあるなら行ってみたいものとも思っておりました」

「それで初めてうちの前に通った時、固まっておったと」

「その後堺に行くまでと帰りに何度か乱太郎さんをはじめとした保健委員の方との縁もありまして、不躾ながら個人的興味から生徒の方々を観察を…あの、何でそちらの方は腹を押さえてらっしゃるのでしょうか?」

 

「いえ、お気遣いなく…」と一番若い教師が言ったが蹲っている時点でかなり危うく見える。隣の初老の教師が「よしよし」と背中をさすってる。

 

「あー、軽く神経性胃炎じゃからそんなに心配せんでええぞ。まだちと痛む程度じゃから続けなさい」

 

学園長が手をヒラヒラさせた。「はぁ…」と狛は生返事するしかない。

 

「それで、何がわかったかの?」

「…ここで育った忍がなぜああも強かったのか、何となく分かりました」

 

閉じた障子の向こうの世界に思いを馳せるように、寂しげに狛は呟いた。

だって、ここには大切なものがたくさん詰まっているから。大切なものを大切にしててもいいから

狛にとって狼やお蝶、妹分に弟弟子たちと過ごした日々も過分に大切で幸せなものだったが、それは「家族」の付き合いであり、ここのように幅広いものではない。他所の忍にこうも寛容になれたかと言われたら否である。

もう暑いやら寒いやらを感じなくなってしまったが、縁側から見た景色はちょうど涼しい風が出て心地よいことだろう。

子供たちの明るい声が聞こえた。今の時勢、諸大名が覇権を争っているなど嘘のようだった。この平安を知っていたから、両親たちは乱世の終わりを信じて戦っていたのか

 

「私もこの道に入ったのは一年の子らくらいだったので……師の教えを否定するわけではありませんが、自分もこうであったならと羨ましく思っていました」

 

これは掛け値の無い本音だった。「それは…嬉しい限りじゃな」大川は少し照れ臭そうに言った。

 

「だからこそ、ここの敷居は決して跨がぬと決めておったのです。正直ここはーーー私には明るすぎます」

 

それでもここで学べていたら、と思う気持ちは無くもない。少なくとも、狛は今とは全く別の形で忍になっていただろう。父と価値観の齟齬もなかったろうし、母を独り死なすこともなかったはずだ。

だからこそ狛は思うのだ。ここは自分のような血みどろの人でなし(道具)がいていい場所ではない。将来有望な人的資源ーーーあの明るく優しい子供たちにとって毒になってしまう。もう自分はいくら足掻いても父達のようになれないのだ。

自嘲とも取れる言葉に「そんなんじゃないんだけどなぁ…」と誰かが呟いた。教師で温厚そうな何人かがなんとも言えない顔をしたが、その意図を理解する余裕は狛に無かった。

 

「色々気を揉ませたことをお詫びします。確約はいたしかねますが、ここの話を本国や師匠に報告するつもりはございません。したとて城勤めの方々や仲間たちが信じるとは思えませんから。私も最近まで忍がもっと力のある頃の与太と思っておりましたし…」

「いや、ワシここ(学園)を作ったとき西はもちろん、越後にも葦名とかにも校内案内と入学願書セットでばらまいたぞ!梟んとこにもブロマイド付きで数十部送ったぞい!?」

 

いや、じゃあどうして欲しいんだ?爺さん。たまらず狛の襟がずり落ちた。教師も一斉にずっこけた。

 

「ん?待て。そういえばお主、ここの話は右近左からは…?」

「一切何も」

「さてはあやつ焚き上げよったなぁぁぁっ!?」

「つーか全国またいで何やってんですか学園長先生!?」

「ばかもん!宣伝活動に決まっとろう!」

 

師匠のことだから細切れにしてちり紙にしたかなぁ…?と狛は現実逃避気味に思った。

剣術や素流ならとにかく、秘伝といえる忍技を門戸を広くして自分の身内や下人でない者に伝授するなど正気の沙汰と思われないだろう。梟も古い忍であったから、正直言い分も理解できた。

 

「くっ…!お蝶ですら『アホかバカか』とかでも律儀に返事を出したというに」

「それただのクレームです」

 

野村の冷静なツッコミを聞きながら、もしかしたら自分は今危ない橋を渡ったかもしれないと狛は思った。

天正の間にこの学園は伊賀と一緒に滅ぼされたか、逃散しているかもしれない。あの頃(天正10年以降)は本当に忍狩りや差別が酷くて、師匠も養父も「やりづらくなった」とこぼす程であったし、父達でも学園の消息が掴めず最後は悲しい思い出として禁句扱いになった可能性を狛は思い至った。

要はジェネレーションギャップである。これはまた不振がられるかと思ったが、あいにく教師達は傍迷惑な老j…学園長を窘めるのに必死である。

「先生方、ワシちょっと3日くらい越後にいってるぞい」「学園長先生落ち着いてください!」「たわけ落ち着いとるわい!いい加減白黒つけんと狼が借金地獄から出れん!あの外道、自分の方が散々苦労しているみたいな事ほざいて金にはだらしないからに!!」「気持ちは分かりますけど突然行ったら絶対捕まりますって!」「今年北条から養子もらってきてセキュリティ上がったって聞いたでしょ!?」

 

「ともかく君は本来堺の偵察で来ていたのであって、生徒たちに何かと接触していたのは偶然と個人的興味が元となった行動であったと?」

 

さすがに埒が明かないと悟ったのか、野村が尋問を引き継いだ。

 

「忍にあるまじきは重々承知しております。…ですが、それも終わりです。いい加減未練は断たねばならんと思っていたところでした」

「…そうか」

「乱太郎さんたちには私の事はもう何も心配いらないと伝えてください」

 

こっそり帰ったと言えばすぐ忘れるだろう。これ以上両親の大切な場所を汚すのは本意ではない。もう日の目を見れないかもしれないと諦めと安堵に浸っていると「いや!まだ話は終わっとらん」と学園長が割って入った。

 

「学園長先生!?」

「お主の扱いについてなんじゃが…」

「アッハイ」

 

思わず返事してしまったが、多分ここで幽閉か別の役人に引き渡されるかだろう。もしかして願書(学園長のブロマイド付き)を大量に渡されて見逃すかわりに越後にばらまけと言われるのかしら?と勘ぐる程度に狛も大川平次渦正にという男がわかってきた。

 

「まずお主はどうしたい?」

 

問われ、狛は答えに詰まった。

こういう時は命令されるばかりでこちらに拒否権が無いものと思い込んでいたのだ。よもや希望を抱かせて更なる絶望に叩き込むための罠かと疑った。

 

「そんな顔せんでも上げて落とそうとか考えとらんわい。とりあえずは越後に帰りたいとこか?」

「…最初は、あの助平爺たちを血祭りにあげるためにも北上を考えておりました」

「え?それ言っちゃっていいの??」

「あー、あのハゲやっぱりそういう奴かぁ」

「先達が懇意にしている女にちょっかいかける等の嫌がらせを受けたので、その報復に奴所有の艶本、春画を廊下に並べたところ、50は下らなかったと」

 

「うわぁ」「大丈夫か越後」と部屋の中の誰かが声を出した。多分天井裏や床下に潜んでいる道中会わなかった生徒だろう。ちなみに先達とは父のことである。

 

「並べるより倉の中もひっくり返して全冊同僚に配った方がよかったかもしれんなぁ」

「学園長先生何を言ってるんですか?」

「正直ここから出られるとは思っていないので、諦めてはおりますがーーー治療した伊作さんへの礼が出来ないの心苦しく思っております」

 

これまで貯めた銭は、その殆どを世話になった老夫婦の家の床下に置いたままだ。あとで乱太郎が取りに行くだろうが薬代と包帯代には届かない。

しかし伊作たちに恩があるうちは、早く返してやりたい。医者がどれだけ忙しいか知っていたし、無償で治療する伊作の性格なら不運が無くても前途多難だ。主に経済的に

殺す者、偸盗する者、犯す者、火をつける者は数多けれど治す(直す)者は遥かに少ない。

敵になればそれこそ脅威だが、味方にいれば安心感は段違いだ。狛も梟の下にいた頃は薬に精通していたお蝶を、春日山城下に移った頃は崇緑とその弟子たちを当てにしていた。故に狛は人的資源としても善法寺伊作を惜しんでいた。

 

「あと公のお話にしても、ご期待に沿えるほどの物はありません。あの方はどこまでも毘沙門天の化身であることと、本当に酒に目がなくて側近の方々から『戦死はあり得ないけど、そのうち飲み過ぎか酔っぱらって川に落ちるかで死ぬんじゃないかなぁ?』と戦々恐々されているくらいしか…」

「本当に相当なのね…」

「もう酒瓶の中身酢に変えたらいいんじゃないんですか?」

「新野先生、目がマジですよ」

 

実際、天正6年春に昏倒して死ぬまで謙信は戦において常に前線に身を置いていたが「銃弾に狙われても全く当たらなかった」という噂があるほど神がかった強運があった。

多くの家臣・領民が公が天に還ったことを惜しんだし、初顔合わせの時以来会ったことのない父も「公があと五年生きてくれていたら織田軍に負けなかった」と断言していたくらいにそのカリスマは浸透していた。

そのかわり超がつくほどの酒好きで、更に殆んど酩酊することはなかったから馬上で呑めるように専用の杯を作らせたり、御前酒として家臣に酒を振る舞うなどするくらいだった。

今(文禄)でも死因は酒の飲み過ぎではないかと言われている。「戦に勝つ度樽一つ空ければそうもなるわい」と師匠は言うが、狛は羨ましいとこっそり思った。

閑話休題。

狛本人は縁もかすらなかったが、多分家臣並みに会っていても同じ内容しか言えなかっただろう。

ともかく今の狛にはどんなに口を割らせても学園が益になるものはなかった。

 

「ふーむ、ならば…」

 

 

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