ハルウララに転生したので、勝つために走ります   作:飯落ち剣士

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ジュニア級: 春風はどこを吹く
ゲートイン、そして前を向く


 『セカンドウィンド』、あるいは『ランナーズハイ』。マラソンランナーなどが体験することで有名な現象だ。

 

 長距離走というのは、走れば走るほど苦しさが増す。しかしそれを堪えて走り続けると──今度は逆に、走れば走るほど心地よく、楽しくなってくる。そんな摩訶不思議な現象である。

 

 短距離走者だった俺には縁のない話だったが──今体験した、あの最終コーナーからの再加速は、それだったんじゃないかと思った。ランナーズハイがたかだか数分で起こる現象ではないのは百も承知だけれど、みんなからの声援やレースへの集中、スタミナ切れのまま駆け抜けた直線、複数の条件が合わさった結果なら……いや。

 

 これは多分、無粋だ。長々と理屈を捏ねなくても、一言の感謝で事足りる。

 

「みんな!」

 

 疲れ果てて上がらない顔を上げて、酷使した肺に鞭を打って、上がらない肩を無理やり上げて。ハルウララらしく笑顔で、決して多くはない、でも少なくない観戦者たちに、手を振る。

 

「応援ありがとう、おかげで頑張れたよ!」

 

 叫ぶと、確かに答えは返ってきた。お疲れ様、とか。頑張った、とか。ただ何も言わずに拍手をする人もいた。

 

 その温かさに、安心した。してしまった。根性と気合だけで立っていたわたしの体は、誰のものでもない人形みたいに地面に落ちる。

 

「あれ……? 立てないや、はは」

 

 芝に大の字になって、性根の絞り滓はしばらく笑っていた。

 

 

 『ああ、勝てないだろうな』。それが、レース前に一目見た彼女の印象だった。

 

 一年目の新人トレーナーである私にも、一目見ればそれがわかった。そしてレースが始まってからもその印象は変わらなかった。体に合っていない走り方、明らかに足りない基礎体力。スタートの反応は中の上くらいだったが、それだけ。

 

 それでも私が最後方から目を離さなかったのは、彼女がトレセン学園ではちょっとした有名人だからだ。

 

 曰く──勝ったことがないウマ娘。過去のどんな場所のどんなレースでも、彼女が勝っているのを誰も見たことがない、そんなトレセン学園でも(逆に)稀有な存在。

 

 もしかしたら私が彼女に注目していたのは、それを可哀想だと同情していたからかもしれない。あるいは、何故彼女がこの日本最高峰たるトレセン学園にいるのか不思議だったからかもしれない。

 

 しかし、レースが終わった今は、彼女を見ていてよかったと心から思った。今回のレースで彼女が見せた走りを最初から最後まで見ていたトレーナーは、私以外いないだろうから。

 

 最終コーナー終わりからのあの僅かな時間で、私はもう彼女の元に向かうことに決めていた。

 

 練習後に倒れて保健室に運ばれた彼女の元に向かう。圧倒的な走りを見せたグラスワンダーに群がるトレーナー達とは、奇しくも逆の方向。

 

 保健室の先生に許可を貰って、中に入る。彼女はソファーに腰掛けていた。

 

「初めまして、ハルウララさん。突然だけど──君を、スカウトさせて欲しい」

 

 

 

 

 模擬レースはトレーナーに対するアピールの場だ。正直に言えば、そのことをすっかり忘れていた。途中から勝つことしか考えていなかった。

 

 ただ、勝った方がスカウトされやすいのは確かだ。そうでなくても2着等に入ったウマ娘の方が評価は高くなるだろう。半分より低かった順位の俺を、スカウト……?

 

「どうしてわたしに?」

 

 それを口に出してから後悔した。これで相手の気が変わったらどうするんだ。疲れからか、まだどうにも頭が回っていないらしい。

 

 案の定というかなんというか。その質問を投げかけられたトレーナーは、うーん、と少し唸る。そう言われてみればスカウトする意味なかった、なんで言い出すかもしれないと不安に思ったが、その人はうん、と何かに納得してからこちらを見た。

 

「色々あるんだ。スタートの集中力、苦しいところを我慢できる根性、終盤での再加速。5着とはいえ、可能性を感じた」

 

 驚いた。この人はどうやら、スタートから最後まで見てくれていたらしい。でも……。

 

「……それだけ?」

 

 5着は5着だ。俺より良いスタートを切ったやつも、俺よりスタミナがあるやつも、俺より末脚のキレがあったやつもいた。それでもハルウララ()を選ぶ理由としては、いまいち納得ができない気がした。

 

「いや。一番はもっと単純で、もっと恥ずかしい理由だよ。

──ハルウララ。私は君に、夢を見た。君が走る姿を、そして勝つ姿を一番近くで見たいと思った」

 

「君に一勝させるために、私は全力を尽くすと約束する。だから、私の元で走って欲しい」

 

 ……夢を見た、か。なるほど。それは確かに単純で、恥ずかくて、でも何よりも納得できる理由だ。だって他ならぬ俺自身が、ハルウララ()に夢を見ているのだから。

 

 俺が、その手を取らない理由はなかった。けれど、その前にひとつだけ言っておきたかった。

 

「一勝で満足はできないよ、わたし」

 

 右手を差し出して下を向いていた彼女が、その言葉でこちらを向いた。視線が交差する。彼女の右手に、ハルウララ(わたし)に夢を見た瞳に、俺はその決意を以ってして応える。

 

「それでもよければ、これからよろしくね。()()()()()

 

「……よろしく、ハルウララ」

 

 握手を交わして、笑い合う。これでようやく、長いレースのゲートが開ける。

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