ハルウララに転生したので、勝つために走ります 作:飯落ち剣士
日本ダービーは祭りだ。そんなことを、昔の──というか前世の──友人に熱弁されたことがある。日本競馬界の王道たる芝中距離で、その世代を担う馬達が集結し、競い合う、由緒正しきレース。
前世では聞き流し、ついぞ向かうことはなかったが。今、一年越し……ではなく、一人生越しに、俺は6月の府中に足を踏み入れる。
結論。祭りだ、これは。
「どうしたの、ハルさん」
突然立ち止まった俺に、隣を歩くキングが首を傾げる。俺は少し謝って、歩き始めつつ立ち止まった訳を説明する。
「いや、改めてすごいよねって。これだけの人が、走るのを見に来てる」
「ああ……そうですわね」
キングは頷いて、やや緊張した面持ちで人でごった返す会場を見回す。これほどの人数が集まるのも、今年初めてであることは間違いない。
しかも今年はともすれば──無敗でダービーを制する馬が出るかもしれないのだから。貼られたポスターに大きく映る、無表情な彼女を見る。
ミホノブルボン。デビューから5連勝で日本ダービーにたどり着いた、今年のクラシックの主役。精密機械と称される正確なタイムの逃げは、キングと見た皐月賞でも発揮されていた。そして、きっと今回も。
「きゃっ!」
「わっ!……と、ごめんなさい」
考え事をしながら歩いていたから、反対側から歩いてきた人とぶつかってしまった。その人は両手に持っていたたい焼きやらソフトクリームやら……とにかく大量の食べ物を落としかけ、なんとかつかみ直す。
よかった、と安心してから、彼女の顔が見知ったものであると気づいた。
「あれ、キングちゃんとウララちゃん? 見にきてたんだ」
「うん、スペちゃんもなんだね」
俺の言葉にスペちゃん──スペシャルウィークは頷く。溶けかけたソフトクリームを慌ただしく舐める彼女の後ろで、アナウンスが始まる声がした。早く席を確保しておきたいが。
「折角だし、スペちゃんも一緒に座る? いいよね、キング……ちゃん」
「ええ、もちろん。キングと観戦する権利をあげるわ」
「あっ、うん! 二人ともありがとう。グラスちゃんとエルちゃんの都合が合わなくて、ちょっと心細かったんだあ」
そんなわけで、三人で観客席に向かう。6月の府中は曇っていて、先のレース展開は始まるまで見通せなかった。
*
スペシャルウィークが大量に買い込んだ食べ物類は、結局席につくまでに彼女だけで消費しきった。しかしそれに勝る衝撃を見逃さぬよう、俺たちの視線はゲートにあった。
先ず3番人気。1枠1番、サイレンススズカ。彼女がゲートに入ると、大きな歓声があがる。強豪であるチームリギルに所属する彼女への期待は大きい。同室のスペシャルウィークも大きな歓声をあげて勢いよく手を振る。隣の私の顔に当たりそうでちょっと怖いくらいの勢い。
……あれ?
「スズカさんって、皐月賞いたっけ?」
というか、俺はまだ会ったことがない気がする。今年のダービーで3番人気に推されるほどの有力馬なのに、皐月賞に未参戦……?そんな俺の疑問に、キングが答える。
「皐月賞の前のレースで調子を崩して、未出走だったのよ。にも関わらず2番人気、というのはかなり……高い評価ね」
頷く。しかしそれでも、人気ではなくても、他にもいるのだ。ミホノブルボンの連勝街道を阻まんとする対抗馬は。それを、俺は、私は知っていた。
16番人気、ライスシャワー。その名前が呼ばれた時、俺は息を止めた。彼女の気迫が、その執念が、この観客席まで届いている気がして。
──俺は知っていた。彼女がどれほど過酷なトレーニングを積んだか。彼女とは皐月賞が終わってからあまり合わなくなったけど、長距離レーンで遅くまで走っていたことを知っていた。そして何よりも、そこまで努力をしても、届くかどうかはわからないことを知っていた。
日本ダービーは一番運の良いウマ娘が勝つと誰かが言った。それは残酷なほど正しい。勝負を左右する時の運が、誰に傾くのかはわからない。
『15番、ミホノブルボン』
例えば枠番で言うのなら、ミホノブルボンの運は悪いとも言える。基本的に逃げ馬は内枠の方が有利とされているが、15番となるとかなり外側からのスタートになる。それが、結果にどう働くか……。
『ゲートイン完了、出走の準備が整いました』
固唾を呑む。本来より小さい
『スタート!』
*
『スタート!』
一歩目が正念場だと、ミホノブルボンは知っていた。コーナーを曲がるまでに先頭を奪う。自分のペースで走り切るためにそれだけは譲れない。大外だとこれがなかなか難しい。だから、タイミングだけは逃してはいけない。
第一のコーナーまで、先陣を切って加速する。1枠1番のサイレンススズカを追い抜くと、彼女が芝を強く蹴り加速してくるのが聞こえる。だが、焦らない。ラップタイムは崩さない。少しして、彼女がまた足を抑え気味に減速したのを確認。息を整える。
かくして私は第一コーナーを先頭で抜け出した。
そして、それが全てだった。
*
そして、それが全てだったのだと、今レースを振り返って思う。
第一コーナーで先頭に抜け出た彼女を、ライスの目は捉えた。そして、一度も離さなかった。正確なラップタイム、ジャストタイミングの加速、彼女の逃げの全てをその目に映した。
映した、だけだった。差は縮んだ、確かな手応えもあった、けれどミホノブルボンというウマ娘の背中は、あまりにも遠かった。
第一コーナーから一度も先頭を譲らず、彼女はダービーを制した。私は、ライスは、2着で。
ああ、届かなかった。万雷の拍手の中で私は天を仰ぐ。手応えはあった。けれど届かなかったと言うことは、まだ足りなかったということだ。
けれど、下だけは向かない。崩れそうな心と体を懸命に抑える、その最後の砦が上を向くことだった。まだ、終わってない。最後の一冠は残っているから、俯いちゃダメだ。応援してくれる人のためにも、自分のためにも。ライスは勝たなきゃいけないから。
深呼吸の後、ターフを後にして
「お疲れ様。頑張ったね、ライス」
「ありがとう」
16番人気という下馬評だけ見れば、2着という結果は悪いものではない。だけどライスもお兄様も、そんなことは口に出さなかった。2着を目指して努力している人なんて、日本ダービーにはいない。
だから、私は汗を拭う。ウイニングライブが終わったら、そうしたら、すぐに反省会だ。
「ライス、夏はもっと頑張る」
「うん……あ。そうだ。ライスの友達から、これ預かってるよ」
「え? なんだろう」
きょとん、と覗き込んだトレーナーの手のひらに、青薔薇の花弁が乗っていた。
*
青薔薇の花弁だけ返して帰るのは、流石にキザったいというか、少し恥ずかしい気がしたし、何よりハルウララらしくない気がした。だけど、言葉なんて見つからなかった。それを捻り出す時間すら惜しかった。調べて知った青薔薇の花言葉に想いと願いを込めて、私はすぐに会場を後にした。
「トレーナー!」
息を切らして、俺はトレセン学園のターフに駆け込む。その視線の先で、トレーナーは佇んでいた。
「お帰り、ハルウララ。それで……何がしたい?」
「走りたい。今、すぐ!」
6月、それはウマ娘界にとって節目となる時期。新参者たちは優駿を見て、その足をより早く動かしていく。