ハルウララに転生したので、勝つために走ります 作:飯落ち剣士
模擬レースの後、俺は……寮長が来るまで、ターフの隅で蹲っていた。門限過ぎまで、である。
そして門限を破れば、当然処罰がある。それを受けるために、わたしは生徒会室のソファーに座っていた。
目の前にいるのは、この学園の生徒会長……『皇帝』シンボリルドルフただ一人。彼女はまるで迅雷を纏っているかのような威圧感を保って、そこに座っていた。
しかし、威圧されてはいけない。何故ならハルウララは、会長にも臆せず話しかけるウマ娘だから。俺としての吐きそうな思いを堪えて、ただ呑気にシンボリルドルフの話を待つ。彼女が口を開くまでさして時間はかからなかった。
「私はね、ハルウララくん」シンボリルドルフが言う。「今回は別に処罰するつもりはないんだ」
「そうなん……そうなの?」
「何故わざわざ敬語を言い直した……?」
敬語じゃない方が
「特に怪我もしてなかったとはいえ、ターフにずっと座り込んでいたというのは気にかかる。何か悩みがあるというのは誰にだってわかるよ。そして、苦悩するウマ娘を罰するべきかどうかも」
『博愛』と表現するのが最もふさわしい笑みを携えて、シンボリルドルフは紅茶を一口啜った。それでようやく、俺は自分の前にもティーカップがあることに気がつく。味のしないそれを飲み干して、喉を湿らせる。自分の疑問を声にするために。
「じゃあ、なんでわたしはここに?」
処分がないなら、今度は呼ばれる理由がわからなくなってしまう。
「……生徒から、君の様子がおかしいと言われてね。少し、気になったんだ」
ああ、なるほど。
「キングちゃん、だよね?」
昨日はそんなことを思う余裕はなかったが……よく考えたら、友人の様子が別人のようになってしまったら心配するに決まってる。
「ああ。それと、ライスシャワー君もだ」
……ああ、バレてたんだ。ライスシャワーにも。それが可笑しくて、ふふ、と笑い声が漏れる。
「……どうした?」
「
数日中身が変わっただけで、すぐにボロが出るとは。元の俺は、ハルウララは、余程みんなから好かれていたのだろう。そして、そんな少女に成り代わろうと試みる俺の、なんで滑稽なことか。
突然笑い出したわたしに、困惑の目線を向けるシンボリルドルフ。俺は呼吸を小さく整えて、会長を見た。
「会長」自分でも驚くほど、弱々しい声。
「……?」
「ビニール袋、ありますか」
「なっ……!」
ハルウララという少女に成り代わった罪悪感と、目の前が塞がれたような閉塞感。
それら全てが吐瀉物をせり上げ、生徒会室のテーブルを汚した。
*
結局わたしの異変は体調不良で結論付けられたようだ。吐いたことがそれを裏付けたと言って良いかもしれない。
心因性のものかもしれない、なんて保健室の先生は言っていたが、そんなことは自分でわかっている。あからさまに心因性だ。それを他人が確定できないのは、俺のことをハルウララと認識しているからに他ならないだろう。
1週間の療養ということで、トレーニング自体も禁止された。選抜レースまで時間がないというのに……とは、思うが。そもそも、そもそもだ。何故俺はこんなに焦っているのだろう。
どうせ、出ても勝てないし、デビューなんてもっと無理なのに。
キングヘイローの言葉が脳裏に浮かぶ。『最後まで走ると思っていたから』……あの時の彼女は、わたしに背中を向け、どんな顔をしていたのだろうか。ハルウララではない俺には、彼女の心がわからない。
「なあ、ハルウララ……お前、なんで最後まで走ってたんだ?」
疑問として口には出してみたが。俺は、きっとその答えを知っている。それは、この体が記憶していた。きっと、ハルウララはただ楽しかったのだ。
────走りを、楽しむ。その一点において、ハルウララは比類なき才能を持っていた。風を切る喜び、コンマ1秒を縮める喜び、憧れの背中を追いかける喜び。前世で見た競走馬『ハルウララ』もそうだったのかは、俺にはわからないけれど。「ひたむきに走り続ける」、それがハルウララという存在の芯なのだろう。
そして、その芯を折って現れたのが俺だ。凡庸で、汚れていて、負け続けて……そして、最後には諦めた魂。
今すぐ、3日前に戻して欲しかった。
ハルウララのために走らなくては、という気持ちはある。けれど、俺はハルウララのようにはなれない。この体の少女のように、無垢でひたむきには、決してなれない。
今の俺にできることは、保健室のベッドで寝転がり、ただ結論を先延ばしにすることだけだった。そうして、夜が明け。朝日の後に、ライスシャワーが見舞いにやってきた。
咄嗟にハルウララとして振る舞おうとする俺に、ライスシャワーは一言だけ告げて、去っていった。
「明後日、ライスのレースがあるから。もしよかったら……観に、来てくれると嬉しいな」
皐月賞が、すぐそこまで来ていた。