ハルウララに転生したので、勝つために走ります   作:飯落ち剣士

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春への憧憬と皐月を駆ける風たち

 出かけた先で雨に降られ、おみくじを引けば凶か大凶。それがライスの日常だった。自分といると他の人も不幸になると、いつからかそんな怯えまで抱え──そして、『きっと、こんな。怯えている私が悪いんだ』と、確信を持つに至る、日常。そしてそうやって、他者を拒絶していくうちに。いつしか、自分が信じられなくなって。

 

 

 

 そんな時に、あの笑顔を見たんだ。

 

 

 そういえば、俺がレース場に来るのはこれが初めてだ。今更ながらそのことに気がつく。転生してからはずっと学園にいたし、前世では競馬にまったく興味がなかった。

 

 だから……レース場に立ち入った瞬間、俺は圧倒された。まだレースは始まっていないにも関わらず、観客の高揚が肌を通して伝わってくる。皐月賞がGⅠレース──トゥインクル・シリーズで最高の格付けを持つレースだから、というのもあるのだろうが、これほどの熱量は、今まで感じたことがない。

 

 その熱気に当てられて、ハルウララ(自分)の体が熱を帯びるのを感じる。レースが始まるのを待ち遠しく思う。

 

 席が2()()()空いている場所をきょろきょろと探す。しかし俺が見つけるより早く、肩をぽんぽん、と叩かれた。

 

「あそこ、空いてますわよ」

 

「ほんとだ。ありがとう、キングちゃん」

 

 今日の同行者はキングヘイロー。本当は一人で来るつもりだったのだが、同じ部屋で、同じ時間に起き、同じ時間に歯を磨き、同じ時間に着替えて、同じ時間に外に出て、同じ電車に乗ってしまったらもう同行する以外の選択肢がなかった。

 

 正直この前の件でお互いに気まずいのだが、俺がその気まずさを打ち破るべく、「一緒に観戦してくれる?」と尋ねたら「キングと一緒に観戦する権利をあげる」とのこと。ありがたくもらった。

 

「……それより、ウララさん。体調は大丈夫なのかしら? 練習、出来てないのよね」

 

「うん、大丈夫。そろそろ練習も再開しようと思ってるし」

 

「そう」

 

「うん」

 

「「……」」

 

 まただ。この雰囲気。短く会話した後の沈黙。きっと、この時お互いに思い浮かべているのは、模擬レースの後のやりとりだろう。

 

 ハルウララの記憶によれば、キングヘイローは同室のハルウララに対して、これまでもかなり世話を焼いてくれていたようだ。急に調子を崩したらそれはもちろん、心配してくれるだろう。しかし、その心配が今の俺の心には重くのしかかる。

 

 だってその心配はハルウララ(身体)に向けられたもので、()が受け取っていいものじゃないから。

 

「あの、ウララさん。この前は本当に──」

 

「あっ、みんな出てきたよ! そろそろ始まるみた……どうしたの?」

 

「──いいえ、なんでもないわ」

 

 だから、言わせない。あの時の君は何も間違っちゃいない。悪いのは全て俺なんだから。ごめんなさい、なんて言わせてしまったら。その時俺は、罪悪感に耐えられる気がしない。だから一日一度はあるこのやりとりは、必ず話題を逸らして終わらせる。

 

「ねえ、キングちゃん。今回のレース、どんな子が出てるの?」

 

 えっ、とキングヘイローが驚き、その次に少し呆れた顔をする。

 

「ウララさん、あなた知らないで観に来たの?」

 

「うん、ライスちゃんに観に来て、って言われたから」

 

 思い返せば、今誰が強いのかも俺は全く知らない。ハルウララも知らなかったようだし、俺にはそんな余裕なかったし……。

 

 知らないなら教えてあげる、というキングヘイローに向き直る。ピン、と人差し指を建て、彼女は解説を始めた。

 

「今年の皐月賞の大本命が1人、いるわ。それは──」

 

『さあ一番人気は2枠4番ミホノブルボン。デビュー後から4勝無敗。このレースでも当然大きな期待がされているウマ娘です』

 

「──コホン。まあ、そういうことですわね」

 

 意気揚々と説明しようとした出足を、放送された実況に挫かれる。わざとらしく咳をしたキングヘイローの頬は少し赤くなった。会場の熱気のせいだけではないだろう。

 

 レース場の方を見る。ミホノブルボンがゲートインするところだった。遠すぎて表情などはわからないが、その仕草は落ち着いていた。

 

「デビュー戦から無敗……すごいね」

 

「ええ、けれどそれだけではないの。彼女は元々1000mの短距離でデビューしたにも関わらず、短距離から距離を伸ばし続ける挑戦もしている」

 

 キングヘイローはレース場を見たまま解説を続ける。

 

「『スタミナは努力で補える』。それが彼女の持論だそうよ」

 

「スタミナは、努力で補える……」

 

 どこか自分自身にも聞かせているようなキングヘイローのその言葉に、しかし私は別の意味を受け取らずにはいられなかった。

 

 じゃあ、スピードは天性のものなの? もちろん彼女がそんな意味で言ったわけじゃないのはわかっている。こんなの、無意味な思考だ。ぶんぶん、と首を振ってレース場の風景に集中する。ちょうど見たことのある姿がゲートに入っていくところだった。

 

「ライスちゃんだ」

 

 その姿は周りのウマ娘と比べると小柄だった。しかし、黒を基調にした勝負服を見に纏い、しっかりとした足取りでゲートに足を踏み入れるその姿は、普段のどこか怯えた姿とは印象が変わる。

 

「頑張ってほしいな」

 

「ええ、そうね」

 

 この大舞台で、勝者は1人だけ。僅か1枠のセンターを奪い合い、みんな全力で走るのだ。

 

 出走の準備が整ったことを実況が告げ、会場の空気が一瞬、引き伸ばされ張り詰める。その光景を、わたしたちはただ固唾を飲んで見守る。

 

 解放。開かれたゲートを、疾風が駆け抜ける。最初の直線でのポジション争いはすぐさま始まって、そしてすぐさま決着する。

 

『好スタートを切ったのはミホノブルボン、早くも3馬身程の差をつけています』

 

 逃げウマで一番人気のミホノブルボンが当然のように先頭を掻っ攫い、そのまま第1コーナーに入る。その後も概ね全てのウマ娘が作戦通りにポジションを取る。ライスシャワーは4番手あたりに位置することになった。

 

「……はやい」

 

 俺がその間に口にできた感想は、これだけ。当然のことだが、G1レースに出ているウマ娘は、みんな、当然のように早い。

 

 そしてその中で、1人先頭を行くのがミホノブルボン。ライスシャワーを始めとした先行バは彼女の背中を見て、それを追っている。

 

『第3コーナーを曲がりここで複数のウマ娘が同時に仕掛けてきました!2番手に位置するのは──』

 

 実況の声を遠くに聴きながら、俺はただそのレースに見入っていた。疾い。2000mをこうも早く駆け抜けるのか。

 

『さあ最終コーナーを曲がってミホノブルボンがラストスパートをかけます!』

 

「完璧なタイミング……!」

 

 キングヘイローが賞賛の声を上げる。追随する他を寄せ付けずに走る超特急。しかし、俺の目線はそこで別のウマ娘に向いた。

 

 ライスシャワー。彼女は、前に行く道を完全に失ったように見えた。他のウマの加速に追いつけていないように見えた。それでも、彼女は1着の、ミホノブルボンの背中だけを見ていた。

 

 この距離から視線なんてわかるはずがない、と自分でも思う。でもそう思った。殆ど無意識のうちに立ち上がっていた。

 

「ライスちゃん!」

 

 彼女の名前を叫ぶ。でも、そこまでだった。俺に、何が言えるというのだろう。頑張れ? 勝て? どの口が言うというのだろう。

 

 振り上げた拳を下ろす。ミホノブルボンが5連勝の栄光を掴み、ライスシャワーは道を切り拓けず8着に終わった。

 

 この大舞台で、勝者は1人だけ。勝利の女神は、いつだって1人だけしか愛さない。わかっていたことだけれど、改めて残酷だ。

 

 敗者はただ下を向くしかない──そのはずだった。

 

「……え」

 

 ライスシャワーは前を向いていた。いや、正しくは1人だけを見ていた。レース中と同じように、ミホノブルボンただ1人を。

 

 その瞳は雄弁に青く燃えていて。悔しさが滲んでいて。まるで、次は勝つつもりのようで。

 

「ウララさん」

 

「え?」

 

 キングヘイローの言葉に横を向く。彼女は既に荷物を持っていた。

 

「私は学園に戻るけれど、あなたは?」

 

 その目で、ああ、トレーニングしに行くんだなとわかった。少し考えて、わたしは首を横に振った。

 

「ううん、わたしはもうちょっと見ていく」

 

「そう。それじゃあ、また明日」

 

「うん、またね」

 

 去っていくキングヘイローに手を振って、俺は別の出口に向かう。その出口──選手用通路で待ち人を待つ。彼女はすぐに現れた。

 

「……ウララ、ちゃん?」

 

「ライスちゃん、レースお疲れ様」

 

「あ、うん。折角、見に来て…くれたのに、ごめんね」

 

 ライスシャワーはそう言って手を合わせる。ううん、別にいいよと首を振った。その姿はいつもの、俺が食堂で感じた『ライスシャワー』の印象で。だからこそ聞きたいことがあった。

 

「ライスちゃんはさ、なんで今日のレースをわたしに見に来て欲しかったの?」

 

「……え?」

 

 だってそうだろ。相手はこれまで無敗の、天賦のスピードと努力で身につけたスタミナを併せ持つ怪物。負けるところなんて、見てほしいわけ──。

 

「え、と……色々、理由はあるんだ。ウララちゃんが見ててくれた方が、ライスも…頑張れる気がするし、あと」

 

 ライスシャワーは一瞬口をつぐんで、それからこっちを見た。

 

「ウララちゃんみたいに、なりたくて」

 

「わたし、みたいに?」

 

 ライスシャワーはうなずいて、ちょっと笑った。

 

「ウララちゃんみたいに、一生懸命走って。それで、ウララちゃんみたいに、みんなを笑顔にしたかった」

 

 ……それは。

 

「最近、ウララちゃん……元気なかったから。でも、結局良いところなく負けちゃったし、ライスじゃ結局…だめ、だったね」

 

「そんな、そんなことない!」

 

 大きな声が出た。それに驚いたか、ライスシャワーの体がビクッと揺れる。

 

「ライスちゃんはカッコ良かった!」

 

 悔しかった。元のハルウララなら、ライスシャワーにこんなこと言わせないで済んだはずなのに。目の前の少女の努力もその結果も、何一つ否定されなかったはずなのに。

 

「……ありがとう、ウララちゃん」

 

 ライスシャワーは俺の言葉にそれだけ返して、控室に戻っていく。俺の足元に、青薔薇の花弁が落ちていた。彼女の勝負服から剥がれたものだろう。青薔薇の花言葉をふと思い出して、なんとなく花弁をポケットに仕舞い込んだ。今の自分によく似合っていると、そう思った。

 

 俺が笑えないせいで、周りからも笑顔がなくなっていく。ハルウララがいないまま、春は過ぎていく。俺はそれを止められなかったし、ただ帰路に付くしかなかった。

 

 自室の扉を開けた。ようやく1人になれる。ハルウララでいなくて済む。そう、思っていた。

 

「ウララさん。話を、しましょう」

 

 キングヘイローがそこには座っていた。彼女の何かを決意した目から逃げることなんて、臆病な俺に出来るわけもなかった。




豆知識:青薔薇の花言葉はそれが出回るまで(2004〜2009年?)「不可能」「存在しないもの」。ハルウララがテレビ等で取り上げられたのは2003年〜2004年あたりのことです。
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