ハルウララに転生したので、勝つために走ります 作:飯落ち剣士
トレセン学園選抜レース。それはトゥインクルシリーズを夢見る生徒たちが最初に走る真剣勝負の場。実況も解説も観客席もないそのレースは、しかし学園関係者なら誰もが観戦する。
トレーナーはもちろんスカウトのため。後輩はこれからの自分のため。先輩はやってくる下の世代の実力を確かめるために。そして、同世代はライバルを確認するために。
あるいは、純粋に友人を応援する、というのもあるか。スペシャルウィークは少なくともそのつもりで、今日のレースを見にきている。
が、この人混みではなかなか前が見えない、どうしようかとあたふたしていると……前方から、聴き慣れた声。
「スペちゃーん! こっちデース!」
「エルちゃん!」
エルコンドルパサー。スペシャルウィークの同期で友人。少し前に行われたもう一つの登竜門である入団テスト、その中でも最難関の『チームリギル』入団テストを通過したウマ娘でもある。
「場所取ってくれたんだー! ありがとう!」
「いえいえ、これくらいお安い御用デス!」
エルコンドルパサーの隣まで行く。レースがよく見えるし、おまけに最終直線前。これ以上ない特等席だ。
「まずはキングちゃんとセイちゃん……でしたよね」
「芝2000m、デスね。キングちゃんは最初全部のレースに出ようとしてたらしいデス」
「ええーっ!? そんなことできるんですか?」
たしかにキングちゃんはどの距離も走っている印象があるけど……。スペシャルウィークが驚くが、それに対してエルコンドルパサーは首を振る。
「出来ないから昨日このレースだけに登録し直してマシタ。あとスペちゃん、敬語敬語」
「あっ、ごめんなさ……ごめんね」
「謝らなくても。友達なんだから気楽に、デス!」
エルの勢いにこくり、と頷く。そんな雑談の間に、参加者が続々とゲートに向かって行く。スカウトを行うトレーナーのために、名前が読み上げられて行く。
『1番 セイウンスカイ』
「あれがセイウンスカイか」
「大丈夫か? いまいち覇気があるように見えないが……」
すたすたと、やる気があるのかないのかわからない飄々としたゲートイン。トレーナー間の評価は決して低くはないが、いかんせんまだデビュー前。
しかし、スペシャルウィークとエルコンドルパサーにはわかる。その目の奥の、確かな闘志が。
「セイちゃん、調子は良さそうだね」
「デスね……と、あれは」
『4番、キングヘイロー』
こちらは目に見えて気合が入っているのがわかる、堂々とした、自分を誇示するような歩き方。わっ、と、俄に騒がしくなるギャラリー。キングヘイロー……かつてトゥインクル・シリーズの第一線で活躍したウマ娘を母に持つ彼女の注目度は高い。
少し前のチームリギル入団テストではエルコンドルパサー、スペシャルウィークに次いで、惜しくも3着だった。しかしその3着を心底悔しがれるのが、彼女の強さだ。その上2着のスペシャルウィークもあのレースでチームスピカからスカウトされたときたら、彼女のこの気合の入りようもわかる。
「あれ? キングで思い出しましたが、ウララさんがいないデスね?」
「別の場所で見てるみたい。ほら、ウララちゃんもこの次レースだから」
「ケ? 次って確か1600mの……」
「うん」
スペシャルウィークは、迷いと嘆きが混ざった顔でそれを告げる。
「グラスちゃんと、同じレースだよ」
*
遠くで歓声の波が高まる。2度目だから、きっとレースが終わったんだなと推測できた。キングが走っている姿を思い浮かべて、頑張って欲しいと祈る。別に見に行こうと思えば行けたのだけど、彼女を見てしまうと
「あっちのレースが終わったということは、私たちもそろそろですね?」
控え室の張り詰めた雰囲気の中、あくまで和やかに話しかけてくるのはグラスワンダー。俺も少し体勢を崩して、それに応える。
「そうだね、いよいよだ」
「ふふ……楽しみです」
グラスワンダーはエルコンドルパサーと同じ海外出身のウマ娘だが、完璧な日本語やその落ち着いた佇まいは大和撫子と形容する他ない。
この落ち着きがただのマイペースや油断ならいいのだが……そんなわけもない。彼女は既にチームを決めたエルコンドルパサーやスペシャルウィークに全く引けを取らない実力者。この模擬レースの大本命だ。
「それでは準備が出来ましたので、皆さんゲートの方に」
それを証明するかのように。控え室に入ってきた誘導係がそれを告げた後、誰よりも早く反応して立ち上がる。どこに隠してあったのか、彼女の闘気は肌で感じられるほどに強い。
でも、負けるつもりはない。虚勢でも無謀でもなんでもいい。後ろを見て走る余裕なんてないのだから。
『1番、ピッコロリズム』
レース出場者は8人。その8人が今、1人ずつゲートに向かって行く。彼女たちの表情は様々だ。緊張を隠せない者、闘志をむき出しにする者、余裕の表情を浮かべる者。しかし全員に共通しているのは、今日のために練習を積み重ねたということ。
『4番、グラスワンダー』
彼女の名が呼ばれた時、少しギャラリーが騒がしくなるのがわかる。当の本人は気持ちを落ち着けているようで、ゲートインした後にゆっくりと首を回し、準備をする。
『5番、ハルウララ』
そして今、わたしの名前が呼ばれる。ゲートへ向かう時にどんな表情で入るかは、全く迷わなかった。
精一杯の笑顔を。それが一番、
笑顔になったことで、不思議と
『8番、ジャラジャラ』
全員のゲートインが終わったのを確認してから、スタンディングスタートの体勢に入る。この2週間の──否。ハルウララと俺の、これまでの人生を全て出し尽くす。それが俺の、最低目標。
静寂。そして極限の集中。弓を引き絞るように、目の前のゲートが開くのを待つ。
カタン、と。ゲートが開く音がした時には、もう足を踏み出せている。会心のスタートを切れた手応えはあるが、最初の一歩でレースの勝者は決まらない。2歩目、3歩目、10歩しないうちに、逃げウマたちが先行する。それを落ち着いて、あくまで自分のペースで追いかける。
俺が今回選択した作戦は差し。スタミナが持たない以上、先行策は自滅でしかないというのもあるが……加えて、もう一つ理由がある。
「後ろ、取った……!」
「……!」
グラスワンダーをマークするためだ。というのも、正直まだ俺はレースの知識が不十分で、仕掛けどころが難しい。ならどうするか? わかるやつに聞けば良い。
グラスワンダーも俺の露骨なマークに気がついたようだが、しかし無理に引き剥がすために体力を削るのも嫌だろう。1600mの1200m程は、彼女の背中を追わせてもらう──!
「……
ふっ、と鳥肌が立つ。第一コーナーを曲がった後、彼女は確かにそう口にした。いや、待て。まだ第一コーナー? 最初の位置取りが終わっただけ? じゃあ──なんで、俺は息を切らし始めている?
今回のコースは下調べ済みだ。トレセン学園芝1600m、コーナーは3つ、最初の直線は短く最後の直線は長め。普段練習に使うこともあって、起伏はほとんどない平坦さが特徴。だから本番の1600m程は体力を消費しない、という見通しだったはず。
じゃあなんで、こんなに、普段より苦しいんだ。プレッシャー? いや、そんなはずは……。
「好ペース──」
「今年の世代は──」
「グラスワンダーが──」
疲れで途切れた集中が、外野の声を拾う。そして遅まきに理解した。
普段より、ペースが速い。そしてよく考えたら、それは当然のことだ。
結局、これか。2週間必死で走っても、一勝の夢すら見れないのか、
「そんなわけ、ない」
苦しい、しんどい、やめてしまいたい。一歩一歩が苦しい、息をするのが苦しい。それなのに差は縮まらない。でも、それでも、笑え。笑って、楽しんで、勝ちを信じて走り続ける。それをすると決めたんだ、俺は。
だってそんなハルウララに、俺はあの時、嫉妬して、憧れて──そして、夢を見たんだから。
*
それは、誰の声だっただろうか──?
第三コーナーを最初に曲がったのはグラスワンダー。まだ足を残している彼女が、ここから負ける可能性は限りなくゼロだ。それでも彼女は油断しなかった。後ろを振り返らず、ただ己の最高速を持って後続を突き放す。その姿を見たトレーナーは全員、彼女をスカウトすることを決めた。
一方、ターフ上でグラスワンダーと最も遠い場所に位置する少女にも視線が集まっていた。彼女の名前はハルウララ。第二コーナーを過ぎた辺りでスタミナを切らしたことは誰の目にも明らかで、殆どのトレーナーは先頭しか見ていなかった。では、その視線は誰のものか?
それは例えば、不幸体質の少女だ。東京優駿に向けた過酷なトレーニングの途中、このレースに立ち寄った友だ。
それは例えば、王を喧伝する少女だ。自らが敗れた後、悔しさもそのままにこのレースを観戦しにきた、彼の本当の優しさを知る友だ。
それは例えば、日本一を目指す大器だ。学園にやってきて、此処で初めて同世代の友を知った、友達思いの友だ。
それは例えば、敗北を味わった負け組達だ。数多の敗北に心が折れかけている時、走り続ける少女を見て一つの想いを抱いた人々だ。
──だからきっと、それは全員の声だった。
*
ただ、意地と根性で第三コーナーを曲がる。この耐えがたい苦しさを共に、直線1つを走り切った。まだ7番手は目と鼻の先で、思ったより離されていないことに何より俺が驚いている。けれど残る最終直線、ゴールは未だ遠く──結末は、見えていた。
コーナーを、曲がり終えるまでは。
「ハルウララ、がんばれ!」
声が、聞こえた。たくさんの声。誰の声かはわからないけど、知っている声も混ざっている。でも、その全てが、ハルウララに向けられた声援なのは確かだった。
──それは例えば、あの時諦めた俺だ。敗者であることを無意識のうちに肯定し、だからこそ『負け組の星』に嫉妬し、憧れた、あの日の男だ。
そうだ、そうだよ。
疲れから手放し運転だった意識と視界を引き戻す。その桜色の瞳に映ったのは、自分以外の全員。つまりここが最後方──ハルウララが、いつも見ていた景色。
その景色を見たことで、数多くの声援を受けたことで、俺はようやくスタートラインに立てたような気がした。いや、きっと『気がした』だけではない。俺は今ここで、初めて、ハルウララとしてスタートラインに立ったのだ。自分の遅さを、自分の弱さを、全て知って尚──レースはワクワクすると言い切れる。それが、わたしのスタートライン。
最終直線──100mよりは長いが、問題ない。高揚感から加速する意識の中で、俺はいつもの言葉を、口ずさむように呟く。想うワクワクはただ一つ。
「
「
ドッ、と、強く地面を蹴る。自分より後ろ──無人のコースに芝が舞うほどに、強く。減速していく他のウマ娘を脇目に、突っ込んでいくような再加速。
1人、また1人と抜いていく。デビュー前、ただの模擬レースにしては大きすぎる歓声を背に受けて、
速く走るのは楽しいのに、速くなればなるほど、レースはすぐに終わってしまう。ああ、くそ──。
「次は、勝てるといいな」
*
トレセン学園模擬レース 芝1600m 着順(5着まで)
1着: 4番グラスワンダー
2着: 1番ピッコロリズム 大差
3着: 3番プリーズシャトル 1バ身
4着: 8番ジャラジャラ ハナ
5着: 5番ハルウララ 2バ身
次話から2章です。