一気に駆け抜けますよ、ザーボンさん、ドドリアさん。
——ミレニア城塞
一般的に深夜と呼ばれる時間帯。丁度そのタイミングを見計らうかのように、トゥールはミレニア城塞へと帰還していた。出迎えたのは、ユグドミレニアの魔術師たちではなく、同族のホムンクルスと数体のゴーレム。何か言われるのではないかと思っていたトゥールからしてみれば、なんとも呆気ない入城となる。
城へ入ってからは、特にあてもなく散策した。サーヴァントと出会うかと思ったが、廊下ですれ違う者は一人としていなかった。数日前までよく見かけていたはずの、ライダーさえ影も形もない。あまり目に付くような動きをして誰かに勘づかれるのも嫌だったため、トゥールは補充も兼ねてホムンクルスの武器倉庫に立ち寄った。
自身の戦斧は承太郎との戦いの時に破壊されている。手持ち無沙汰の戦闘用ホムンクルスが武器を補充したとしても怪しまれないだろう。第一、武器を持たず戦えない戦闘用ホムンクルスに生存価値など無かった。
武器を補充し終えたトゥールが次に目指すのは、この城の掃除長を務めている同族の場所。自分がいない間の情報を仕入れるべく、会いに行く必要があった。この時間であれば別棟のどこかにいるはずなので、そちらへと向かう。
別棟は基本的に私的な居住区である。公の館はまた別にある。よくサーヴァントやマスターたちが会合している広間などはそちらの方だ。
別棟に入れば深夜だと言うのにホムンクルス達が歩き回っている。皆それぞれのやるべきことをやっているのだろう。トゥールは目的のホムンクルスを探すべく徘徊を始めた。
歩き始めて気がついたことなのだが、どうにも自分がいたときに比べてホムンクルスの数が少ないような気がした。前であれば1分に1人以上の頻度ですれ違うのに、体感的にそれが減っている。
大型の魔術儀式の贄にされたか、セレニケにでも殺されたのか。
そんなことをぼんやりと考えながら、自分の歩行スピードに合わせて流れる風景を眺めていた。突然、規則正しく並んでいる扉の一つが開けられる。
「なんだ?」
自然と体が止まる。幸いにも周りには誰もいなかったためトゥールの奇行を目撃する者はいなかった。
「風でも吹いたか」
トゥールは突然開いた扉を見てみる。どうやらラッチが壊れているらしく、それが原因で開いたらしい。
あまりにも紛らわしい現象に少し憤りを覚える。やり返すわけではないが、壊れた扉を力強く閉めてやった。手を離せばラッチが壊れているためか、ゆっくりと再度開き始める。
トゥールは閉めても無駄だと悟り、さっさと目的地へ行くため踵を返す。別に数多い扉の一つが壊れた程度、誰も気にしない。現に、トゥールがここを通るまでの間、誰もこの扉を修理してこなかった。
ふと、扉が壊れた部屋の中を見る。薄暗く、明かりがないためよく見えない。ここは別棟のため誰かの部屋と思ったが、どうやらそれも違うらしい。
その時、トゥールは何の意味もない部屋の扉が壊れているのはおかしいと気づいた。ラッチの部分が壊れるなど、何かしらの衝撃を加えないと起こらないはずの現象。
恐る恐る部屋の中へと入ってみればいくつかのショーケースが陳列している。中に何が入っているのかまでは暗がりのせいで見えない。
さらに奥に進めばじゅくりという水音が聞こえる。トゥールは足元を確認するように、その水音がした場所を触ってみれば、ネバっとした何かが溜まっていた。
ツン、とかすかにすえた臭いが鼻先をかすめる。ひどく気持ちの悪い臭気。嗅いだ者全員を不快にさせる酸のような異臭は間違いない。嘔吐物の臭いだった。
我に返ったトゥールはすぐさま明かりを灯すべく燭台を探す。幸いにも近くに設置されたテーブルの上にあり、そこへなりふり構わず魔力を流した。
燭台に書き込まれていた魔術式が起動し、蝋燭の先からはぼうっと音を立てて七つの火が同時に灯った。明るくなった燭台をそのまま持ち上げ、嘔吐物があった方向へと勢いよく振り向く。
そこには土と血の混じる奇怪な塊があった。手と思われる部位には壁に打ち付けられた鎖が繋がれており、下肢に至っては肉の隙間から骨が見えるほど損傷している。首から上に関しては、ボタンで開く水筒のように、首の断面から血が溢れ出、蓋となる頭が皮一枚で繋がっていた。たらりと垂れる頭は原型すら留めていない。まるで薔薇を思わせるようにナニカが開いていた。嘔吐物があった場所をみれば、血が混じって得体の知れない液体に変化している。もはや地獄絵図だ。
次にショーケースのあった方を確認した。中に何が入っているのかを確認するつもりだった。しかし、そこに個体は収納されておらず血痕だけが付着していた。何者かがすでに持ち出したようだった。
一体誰がこんなことをしたのか。トゥールの中で考えられる犯人はセレニケしかいなかった。強烈なまでに死の臭いをまとい、人を痛ぶり殺すことに悦楽を求める女。ホムンクルスをストレスの吐口と勘違いし、生きる玩具として辱める悪人。
トゥールはこの人型をかろうじて留めている塊が同族だと気づいた。顔を見なくてもわかる。肉体に繋がれたパスが何となくそう教えてくれる。
「許せない……」
それはトゥール本人の感情か。それとも同調したホムンクルスの感情か。
「殺してやる、ユグドミレニア……!」
彼女がそう決意するのと同時、それはやってきた。
慌ただしくなる城内。トゥールは地獄を体現したような部屋から脱兎の如く飛び出す。
彼女はこの慌ただしさが何なのか知っている。昼ごろ、獅子劫に教えてもらった赤のバーサーカーの単騎襲撃。トゥリファス東部にあるイデアル森林から攻め込んできているのを知っているため、トゥールは急いでそこへ走った。
現在、イデアル森林では3騎の赤のサーヴァントに襲撃されていた。
一人は赤のアーチャー。月明かりもろくに差し込まない真っ暗闇の森の中で、的確に相手を貫く技量はまさに英雄と言える。相対しているのは黒のバーサーカーで、赤のアーチャーとの距離を縮めるべく黒のアーチャーの援護のもと、突進し続けている。
もう一人は赤のライダー。自信に満ちた表情で馬を使わず暴れている。槍を豪快に捌き、自身の倍近くはある大木を、まるで紙切れを払うようになぎ倒していた。相対しているのは黒のアーチャー。こちらも闇夜に姿を隠し、矢で相手を押し留めていた。
最後に赤のバーサーカー。立ちはだかるホムンクルスとゴーレムを、逐一丁寧に相手しながら走っている。
相対しているのは黒のライダー アストルフォ。彼は先発隊を務めていた。先発隊と言っても、彼しかいないのだが、それでもアストルフォは仰々しいほどに快活な笑みを浮かべている。
彼の中では赤のバーサーカーと戦うのはそこまで乗り気ではなかった。しかし、「この混乱に乗じて地下で彼を探してみては?」という黒のアーチャーからの入れ知恵によってやる気だけは保っていた。
そんな黒のライダーの眼前には笑顔を貼り付けた筋肉がゴーレムとホムンクルス達を蹂躙している。剣を振るえばホムンクルスの上体だけが飛散し、拳を放てばゴーレムの頭が爆散する。黒のライダーからすれば、質の悪いスプラッター映画を見せられている気分なのだが、それでも前にいる怪物はまごうことなき英雄だった。
猪も脱帽するほどの猪突猛進。相手を粉砕する時にでも笑顔を絶やさない狂気。そんな化け物じみた巨人に黒のライダーは今から突撃する。
正直あのような爆弾に先発を任せられるなど完全に外れクジだ。しかし、今回、黒の陣営の頭脳役のキャスターに命令されたからには大っぴらに文句も言えない。匿っていたホムンクルスの件もあるし、正直ライダーはキャスターのことを好いてはいないだろう。今回の配置は、もしかしたらそれをキャスターが見透かして嫌がらせをしたのかもしれないと黒のライダーは勘ぐる。当然、そのようなことはありえないのだが。
「はあー、こういうのは嫌なんだけどなー」
ため息まじりに黒のライダーが独りごちる。今なら誰にも聞かれる心配がないため、何を言ってもいい。
「それでも、英雄として召喚されたからにはきちんとしなきゃね!」
黒のライダーは底抜けに明るい声で己を奮い立たせると、頭上に手を広げる。すると、何もつかんでいなかったはずの右手には黄金の槍が顕現した。
身を低く屈め、相手に左半身だけ見えるよう体を横に向けると、右手に握った槍を胸の辺りで溜める。
狙うは初撃。黄金の馬上槍に秘められた力で赤のバーサーカーの出鼻を挫く。
「我が名はシャルルマーニュが十二勇士アストルフォ。さあ、赤のバーサーカー。いざ尋常に、勝負!!」
2メートルを超える赤のバーサーカーが、残ったゴーレムに小劒を振り下ろすと同時、黒のライダーがその矮躯で翔る。
木々の合間を縫うように、土埃を起こしながら赤のバーサーカーの懐へと飛び込んだ。
黒のライダーの動きに気づいたのか、赤のバーサーカーはニタリと微笑む。痛感に快楽を求めているとさえ思えるそのタフネスさは、道楽な黒のライダーでさえ鼻白むほどだ。
だが、そのタフネスは黒のライダーの宝具に関係ない。どれだけ痛みに耐えようが、彼の持つ黄金の馬上槍は痛みを与えることに特化などしていない。
相手の動きを封じるのに則した物が彼の槍——逸話を具現化する概念的宝具。
「
振られた黄金の槍が赤のバーサーカーの脇腹に触れる。すると、いきなりバランスを崩したのか赤のバーサーカーは前のめりになって倒れた。
よく見ると彼の足が消えている。断面から察するに千切られたわけではなく、どうやら霊体化してしまっているらしい。
「触れれば転倒」の効果は、触れた相手に足部分の魔力供給を無理やりカットすることで強制的に肉体形成を邪魔するものである。赤のバーサーカーのような痛みに強いサーヴァントには、このような搦手が有効打であった。
「どうだ! ボクのアルガリアはすごいだろう?」
「ははははははははははははッ!! 良い、良いぞ! この私の堅強なる両足を消失させるとは!」
赤のバーサーカーは両膝だけで器用に立ち上がりながら高笑いする。
この程度で立ち止まってくれるほど易い相手ではないと予測していた黒のライダーも、流石にそれを呆れた目で見つめた。
「まあ、だよねー。ボクが任せられたのも、ここまで。君と決着つけるのはボクじゃないよ」
黒のライダーがそう言うと、茂みの奥へと視線を投げる。赤のバーサーカーもつられてそちらを見てみれば、黄金の仮面を被った黒のキャスターが静かに佇んでいた。
黒のライダーはもとより、この宝具を使うためだけに先発を任されたにすぎない。謂わば前座。赤のバーサーカーを弱らせるためだけの一石。
しかし、それでも任せられたものは大役であった。バーサーカーといえども歴戦の戦士。黒のライダーの宝具が必ず当たるという保証はどこにもなかったわけだから、初撃で仕留めたことは素直に称賛できることだ。
黒のキャスターもそれをわかっているため、「よくやってくれたね」と、黒のライダーへ労いの言葉をかける。
黒のライダーはそれを「あっそ」とだけ言い無感動な表情で受け取った。
「成る程。では次に私の対敵となるのは、目の前にいる君か。では、圧政者への叛逆の前に、軽く戯れるとしよう」
それに対し黒のキャスターは返答しない。気だるげに人差し指を一つ動かすと、何十何百というゴーレムの塊が赤のバーサーカーへ覆いかぶさる。
総重量はざっと5トン。一人の人間を軽く圧死させる程度のエネルギーが彼の体に刻み込まれる。
「ふうん。心地よい、実に心地よい! これこそが窮地。これこそが孤軍奮闘。これほど深く思い馳せる勝利は無い!」
モゴモゴとゴーレムに覆われた状態でも動き続ける狂戦士。
流石の黒のライダーも芋虫のようなその動きに「うぇ」と本音を漏らす。
「ねえ、ボクもう仕事終わったし城に戻っていいー?」
黒のライダーがキャスターにそう尋ねると、彼は少し思案した末に待ったをかける。
「いいや。ちょっと待ってくれ。君にも見てもらいたいものがある」
見てもらいたいもの、というのが妙に引っかかる黒のライダー。首を傾げつつ、ひとまずキャスターの言う通りその場で待機することにした。
赤のバーサーカーはそんな二人の会話が気にもならないのか、高笑いを上げ続ける。纏わりついていたはずのゴーレムは一体、また一体と弾き飛ばされていた。どうやら筋肉の収縮を利用してゴーレムを弾き飛ばしているらしい。呆れた肉体技に、黒のライダーもキャスターも何も言えない。
「……」
「……ねー、見せたいものはあとで見るからさー。先にこっちを何とかしない?」
黒のライダーは自分の方向へ弾き出されたゴーレムを半身で避けながらそう言う。キャスターも己の自信作たちが軽くあしらわれるのを見て、渋々うなずいてみせた。
「それには賛成だ。けれど、僕たちが何かする必要は無い」
奇妙なことを言うキャスターのせいで、黒のライダーはますます機嫌が下がる。ただでさえ、ホムンクルスの件で軋轢が生じている仲だ。これ以上の確執はお互いのためにならないと分かっているが、それでも嫌な感情を隠し通せそうにない。
キャスターはそんな黒のライダーの心情を知ってか知らずか続けてこう言う。
「僕たちはただ見ているだけでいい。これは彼の使用運転も兼ねているからね」
次の瞬間——、赤のバーサーカーがゴーレムの中から飛び出してきた。まだ両足の実体化はできていないが、それでも十分な跳躍距離を叩き出している。キャスターの頭上を押し潰す勢いで振り下ろされる小剣。当たればいくらサーヴァントと言えど、肉体派ではないキャスターに相当なダメージが入る。
黒のライダーは咄嗟にキャスターを庇うため彼を突き飛ばそうとするが、キャスターはそれを手で制した。暗に何もするなと言いたげなその態度。流石に黒のライダーもこれには怒りを感じたのか、「ふざけるな!」と怒号の声を上げながらキャスターとの立ち位置を入れ替えた。
グチュリ——。
肉を貫く音が聞こえる。しかし、ライダーの体には少しの衝撃も来ていない。
グチュリ、グチュリ……——。
続けて同じ音が聞こえてくる。それでもライダーの体には少しの衝撃も来なかった。
ふと黒のライダーが見上げれば、誰かの鮮血が顔面に吹きかかる。咄嗟に目を庇って目蓋は落としたため眼球には入らなかった。
顔面の血を乱暴に服で拭い取ると目を開けてみる。眼前には、体内より“杭“が大量に放出し、身動きが取れなくなった赤のバーサーカーが座り込んでいた。
次に横を見てみる。そこにはキャスターが興味深そうに赤のバーサーカーを覗き込んでいる姿があった。この杭を出したのはどうやら彼では無いらしい。
では一体誰か。黒のライダーはそう思って木々の上を見つめる。
木の上には一人の長身の男が立っていた。その男は黒のコートを着込み、絹のような白い短髪をしている。夜も深く、曇り空というのが相まって、黒のライダーから彼の顔は見えないが、それでもこちらを見下ろす真紅色の双眸だけは窺えた。
黒のライダーは彼から微弱ながらもサーヴァント反応を感じ、黒のサーヴァントという事に気がつく。
男が木の上から降りてくる。それと同時に赤のバーサーカーへ、持っていた長槍を突き立てた。
赤のバーサーカーから初めて笑みが消える。それがどうしてなのか分からない。しかし、誰に攻撃されようと、誰に妨害されようと、誰に追い詰められようと、その笑みを絶やさなかった赤のバーサーカーから喜色が消えた。
長身の男が長槍を抜くと、そこから杭が出現する。どうやら、あの宝具らしきもので杭を出しているらしい。赤のバーサーカーの拘束がより一層強まった。
「やあ、遅かったね」
キャスターがそんな呑気な声をかける。
長身の男はうなずいて、黒のライダー達の方へと近づいてきた。
それにより見える顔。今まで闇で覆われていた長身の男の顔が、黒のライダーの目にはっきりと映り込む。
「いいや。余は時間通りにきたはずだが?」
その顔は昨日消えた男の顔——。
その顔は昨日助けを求めてきた顔——。
アーチャーの部屋から忽然と姿を消し、今日の日中探し回った人物——。
「余はヴラド。黒のランサーを担っている。初めましてだな、黒のライダー」
目の前にいる男こそ、ホムンクルスの彼だった——。
赤のバーサーカーが槍に貫かれたのを最初に目撃したのは赤のアーチャーだった。
「かのバーサーカーは破れた、早急に撤退だ!」と赤のアーチャーはすぐさま怒号を放つ。自身らの目的はあくまで赤のバーサーカーの説得であって、ここで戦闘を行うことでは無い。彼が討ち果たされたとあらば、赤の陣営がここに留まる意味も無かった。
赤のアーチャーは目前まで迫っていた黒のバーサーカーを一瞥すると、そのまま何も語らず自慢の俊足を持って森の中を駆け抜ける。
背後からの攻撃など気にしない。少し戦って分かったが、彼女に遠距離から攻撃できる手段は持っていないと断定していた。
彼女の怒号を聞き、赤のライダーもまた早々に撤退を始めた。去り際、黒のアーチャーに恩着せがましいまでの宣戦布告を残し、消えていったのは英霊としての誇りか、それともただの執念か。黒のアーチャーは誰からも見えない城壁の上で苦笑した。
黒のバーサーカーも、マスターから制止の声がかかったため、赤のアーチャーを見送った。彼女の背中はほんの数秒もしないうちに闇夜に掻き消えていた。例え、追ったとしても走力では確実に負けているので、引き離されていたであろうことは明白だった。
そんな彼ら彼女らが、戦闘を終了し、安堵している最中、森の奥深くでは黒のライダーはヴラドと名乗る男について問い詰めていた。
「どういうこと、これ」
黒のライダーが胸倉を掴む勢いで、黒のキャスターへと詰め寄る。顔は強張り、笑みを浮かべる余裕すら彼には無いように見えた。
反面、黒のキャスターの表情は仮面のせいで見えないが、どうやら気後れはしていないらしかった。小さなため息を一つこぼし、暗に「こうなることは分かっていたよ」と言いたげな態度だ。
その不真面目な反応に益々機嫌を悪くした黒のライダーは、さらに声のボリュームを上げる。
「自分が何をやったか分かっているのか、アヴィケブロン!」
いつも陽気な彼からは信じられないほど怒気を孕んだ声。若干、上擦りながらもそれは明確な怒りとなって黒のキャスターにぶつけられた。
しかし、怒鳴られた当人はというと、心底、不可思議そうに首を傾げる。「言葉の意味が分からないね」
その言葉に、思わず黒のライダーは呆気にとられた。「分からないだって?」
「彼は元よりユグドミレニアが生み出した一つの消耗品に過ぎない。君は養豚場にいる一匹の豚を、可哀想だから食べないでくださいと懇願するのかい?」
辛辣ながらもその言葉は実に現状をうまく表現していた。最低でも、黒のライダーの神経を逆撫でするほどにはうまかった。
「それとこれとは話が違うだろ」
怒りを我慢しながら、すぐさま黒のライダーは首を横に振った。
黒のライダーはヴラドの方からも何か言ってもらおうと、すぐさま視線を送る。しかし、話の渦中であるはずのヴラドは、黒のキャスターが吐いた言葉に何も思わないのか、口を閉ざし、目を伏せ、大木に寄りかかっていた。
それが妙に情けなく見えた黒のライダーは、自然と歯噛みする。物言わぬ男に成り下がってしまった彼を黒のライダーは酷く嘆いたのだ。
黒のライダーは変わってしまった男から一旦意識を逸らし、黒のキャスターへと視線を戻す。
「彼は助けてと言ったんだ。自分の意思で生きることを選んだ。彼には権利があり、自由になる資格がある。それは確かな人間の行いだ。意思持つ生命を虐げるのは悪でしかない!」
自身の薄い胸板を叩き、相手の心へ響かせるように放つ。
確かに、黒のキャスターの言う通り、黒のライダーは数多くいるホムンクルスの中で彼だけを助ける事に固執している。それは、助けを求められたから、生きたいと願われたから、英霊としてそれを叶えてあげたいと言う極々自然な甲斐性のある考え方からだった。
もし、彼が助けを求めず搾取する側に甘んじて身を置くような存在であれば、黒のライダーも哀れみこそすれ、助けまではしなかったであろう。証拠に、彼以外のホムンクルスを黒のライダーは救おうとはしなかった。
結局は自分の意思を見せたホムンクルスを英霊として助けるのか、それとも黒のキャスター見たくそれでも消耗品と割り切るのかの違いである。そこに正義や悪の観念は無い。日本の法律で言えばペットが「器物」損害として扱われているのを是とするのか、それともしないのかの違いだ。
しかし、黒のキャスターは黒のライダーこそ正義に反する行いとして罵った。
「それは君のエゴだ。物言わぬ傀儡には目も向けず、助けを求めた道化だけは介抱する。等しく同じ生命であるのに、その差別こそが悪だ。まさしく断罪されるべき行いだよ」
「違う」とライダーは頑なにそれを認めず反論してのけた。英霊としての行いが間違いのはずないと、確固たる自信を持っているからだ。
「いいかい、君たち歴戦の英雄はどうも高潔な理想を掲げ過ぎている。己の承認欲求を満たし、正義という名の充足感を味わいたいだけだ。誰かを助けるということは、とどのつまり誰かを助けないことと同義だと思わないか?人を助ける側は、それを覚悟しなくてはいけない」
そう続ける言葉はとても無機質だった。黒のキャスターから何か大事な部分がすっぽりと落ちてしまっているような、そんな感じだった。
「僕はそれが嫌だった。誰かを犠牲にしなければいけない救済なんて、この世には要らないと思った。だから僕は人以外を犠牲にし、人を救うためにこの聖杯大戦に臨んだ」
黒のキャスターはそう言って、杭に縛られている赤のバーサーカーを一瞥する。まるで、ここにいる全英霊に対し嘲笑するかのような、不遜な目をしていた。
黒のライダーも彼の言っていることを理解はできていた。人を救うことがいかに難しい所業なのか、英霊であれば誰だって知っている。逆に、その苦難を乗り越えてこその英霊だ。歴史に名を刻むとはつまりそう言うことであり、必要とされるのは誰かが自分たちを認めてくれた証である。
救えば救うほど、誰かを見捨ててきた。見捨てれば見捨てるほど誰かを救えた。人とは大きな矛盾を生まれながらに余儀なくされた哀れな知性の獣であり、英霊とはそれが誰よりも色濃く発言した“異端者“である。
こんな赤のバーサーカーだって、真名は分からないが、その実誰かを救った英雄に変わりはない。黒のキャスター アヴィケブロンも同じく英霊だ。彼も救いを求めた一人の求道者に違いはない。ホムンクルス一人に目の色を変える黒のライダーも、まさしく彼らと同種だ。
正義の反対は違う正義だとよく言われる。悪とされる側にも、彼らなりの正義があり、事情がある。この話は、黒のライダーと黒のキャスターの違った正義感を持ってしまったが故におきた出来事だ。
だからこそ決着はつかない。お互いに、己の信じた道をおいそれと譲る訳にはいかない。
黒のライダーも黒のキャスターもこれ以上の言葉の浪費は無意味だと悟る。相手に口撃したところで、相手がそれを意に返す兆しすらないのに、むざむざと続ける意味も無かった。
黒のキャスターはライダーから意識を外し、脱出しようと蠢いている赤のバーサーカーへ歩み寄ると、散らばったゴーレムを操作し土の牢獄を作り上げる。
「話はここまで。これ以上、彼について聞きたいなら彼についていくと良い。そのために、君と彼を引き合わせたのだから」
黒のキャスターはそれだけを言い捨てると、閉じ込めた赤のバーサーカーを連れて城の中へと戻っていった。
その後ろ姿をただ見つめる黒のライダー。
先ほどから沈黙を守っていたヴラドが凭れかかっていた樹木から離れる。
「身勝手な男だ。余に全て投げ打つとはな。仕事を増やされるのはかなわん」
そんな愚痴を吐いているわりに、ヴラドの顔は特に不平不満がありそうに見えなかった。なんとも言えない鉄仮面のような表情。肌が異様に色白のせいで、蝋人形を見せられているような感覚にすら陥る。目の前にたたずむ男は本当に生きているのだろうかとすら疑問が湧いてくるほどだ。
黒のライダーはまじまじとヴラドの顔を見つめながら腕を組んだ。面影は確かにあるが、もしかしたら昨日助けたホムンクルスと別人なのではないかという考えが一瞬だけ過ぎる。
しかし、それも所詮は気の迷いでしかない。黒のキャスターとの口論の時、既に答えは出ていた。目の前にいる男は、正真正銘彼であり、間違いなく彼とは違う男だ。
頭を掻き毟りながら苛立たしげに声を上げてみれば、森の中にそれは飲み込まれた。深い闇の中に、自分の感情が溶け込んでいくような気がする。これが何かの暗喩でなければいいのだがと、黒のライダーは遠い目をしながら思った。
「ねえ……、君は本当に彼なの?」
現実逃避にも似た質問を、黒のライダーはしゃがみ込みながら言う。別に望んだ通りの回答が欲しいわけではなく、なんとなしにヴラドと会話がしてみたかった。
その意図に気づいたのか、気づいていないのか分からないが、ヴラドは少し思案すると、頭を左右に揺らす。
「そなたが違うと観取したのなら、つまりはそういうことなのだろう。余は残念ながら虚像だ。心や記憶を一切持ちはしない。そなたの言う彼は奥で未だ眠っている」
「眠っている?」益々拗れてきた話に黒のライダーは首を捻る。
「閉じこもっていると言った方が良いかもしれん。表面に出てきている余はヴラドの残骸でしかない。英霊として名を馳せた英雄の、コピーにも及ばないアクみたいなもの」
その言葉を自分なりに咀嚼してみるが、黒のライダーにはよく分からなかった。もっと魔術に精通していたならば、何かしら分かったかもしれないが、生憎己にそのような適性は無い。
ヴラドもそれ以上についての表現の仕方が見つからないらしく、申し訳なさそうな顔をしていた。その表情が、ベッドで横たわっていた時の彼の顔にそっくりで、思わず息を飲んでしまう。ハッとなってもう一度ヴラドの顔を凝視してみれば、既に彼の顔は無く、元の色白い無表情な男の顔へと戻っていた。
「さて、ついてくるがいい黒のライダー。この元となったホムンクルスのことが知りたいのだろう?」
ヴラドがチラリと何も無い木々の方へ目線を送りながら、そんな事を言う。
彼の言う通り、なぜホムンクルスがヴラドとなったのかは、黒のライダーも気になっていた。もし、その原因を突き止めることができたならば、目の前にいる男を彼に戻すことができるかもしれない。
逡巡し終わった後、ヴラドの方へ向き直ると目の前にいたはずの男の姿が消えていた。よく見てみれば、黒塗りされた木々の間に溶け込みながら歩いている。どうやら黒のライダーを待つという考えは男に無かったらしい。
「ちょっと、どこにいくのさ!」と、片手をぶんぶんと振り上げながら黒のライダーは追いかける。
ヴラドはそれを振り返ることなくこう返した。
「決まっている。ユグドミレニア現当主、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。此度の黒幕と言ったところだ」