SSSS.DYNAZENON―RE:CODE   作:od-

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Prologue

 

 河川敷を吹き抜ける風が頬を撫でると、今でも偶に、〝あの人〟が通り過ぎた気がする。

 南夢芽は振り返って、過ぎ去った川辺の景色と、もう上がることはなくなった水門を目にする。つい三か月前までは頻繁に通っていた橋の下と合わせて、ここは、夢芽にとって大事な人が、二人もいなくなった場所だった。

 別れ方もそれぞれ違うけど、二人を想って思い出を見つめる。過去を振り切って向き直れば、同級生の麻中蓬が側で待ってくれていた。青い髪色とよく似たパーソナルカラーの水色のシャツ。傍目には私服にしか見えないけど、おおらかな校風には許された格好。共にフジヨキ台高校に通う者同士、肩を並べる。

 

 「もういいの?」

 

 急に立ち止まったことに文句もつけず、蓬がそう言ってくれたのは、きっと同じ人を想っていたからで。

 

 「うん。ありがとう」

 

 お礼を返しながら、夢芽は蓬の方へ右手を寄せる。その意図を汲みつつ「流石に暑くない?」と蓬が苦笑した。学校まではまだ遠い。合理的に判断すれば、たぶん彼の方が正しいのだろう。登下校くらい手なんて繋がなくても――ほんのり朱に染まった頬がそうモノ語っている。彼のそんな顔を引き出しただけでも、実は半分成功だったりするのだけど、夢芽はそこで妥協しなかった。

 

 「蓬の手、ひんやりして丁度いいんだよ」

 

 「ちょっと強引じゃない、それ?」

 

 しょうがないなという風に折れて、蓬の手が夢芽の手に触れた。同性のそれとは異なる、肌に馴染まない肌。夢芽と付き合いを始めてからは、ちょっとの小遣い稼ぎにまたバイトを増やしたらしい彼の掌は、働いている人のそれなのかなと思いはしても、同年代の異性を彼しか知らない夢芽にはその差異を確かめようもない。ただ、彼と手を繋ぐことに段々と抵抗がなくなっていく寂しさと、彼が自然と当たり前に手を取ってくれるように振舞える日々の積み重ねが、夢芽には学校よりも楽しみだった。「よく出来ました」冗談混じりに夢芽は言う。「またそれ」くすぐったそうに蓬が言う。並んで一歩踏み出そうとして――あっ、と蓬が何かに目を留めて立ち止まった。

 折角繋いだ手が離れていく。

 土手の方へ駆け寄っていく蓬の背中を追う。草むらの斜面に屈み込んで右手を伸ばすと、彼は所々薄汚れた白い帽子を取り上げた。人の顔の様な形をした帽章をあしらった、夢芽にとっても見覚えある物。

 

 「それって、シズム君の」

 

 「……あれからずっと、風に流されてたのかな」

 

 土汚れを払いながら蓬が立ち上がる。忘れようもない転校生が置いていった物を手にして見つめる彼の瞳には、言い様のない物悲しさが漂っていた。学園祭の日も、確かそんな顔をしていた。夢芽の知らない蓬。ほんの少し遠く感じられた彼の後ろから、また風が吹いて、

 

 「あ――」

 

 舞い上がった帽子が、夏の日照りを受ける川面の方へ運ばれていく。

 髪を押さえながら、夢芽は隣でそれを見ている。

 川に落ちていった帽子の行方を見下ろして、蓬は暫くその場に立ち尽くしていた。離れた感触を名残惜しむように彼は掌を見つめ、そんな恋人の姿を、夢芽はほんの少し遠く感じた。

 現在よりも、過去に後ろ髪を引かれた面持ち。その横顔に数ヵ月前の自分を重ねて、夢芽はつい、強めの声調で呼び掛けた。

 

 「蓬っ。……行こ」

 

 ハッと顔を上げて、彼は柔らかな笑顔を向けてくれた。繋ぎそびれた手はなんとなく、離れてそれっきり。蓬がそうしてくれたように、自分も、彼の蟠りを解きたいと思う。横目に窺う彼の表情からは、既に曇りは晴れている。今は彼の目が、過去よりも現在を向いてくれているなら、それだけで。

 

 「お花、さっきみたいに、風で飛ばないといいね」

 

 「大丈夫でしょ。橋の下なんだから」

 

 取り留めもない会話。道すがら置いてきたそれに思いを馳せて、何気ない今日は始まる。

 晴天の下、人付き合いの増えたこの頃の憂鬱も忘れられる、かけがえのない人と歩く今朝のこと。

 

 

 ◇

 

 

 橋の下の空き地には、くたびれたビニールシートや生活の跡が散乱する、人々に忘れ去られた棲み処がある。今し方少年と少女が何かを置いていったその場所を、野良猫は茂みから眺めている。

 真っ白な毛並みの中、耳や頭の天辺だけは黒い斑模様のついた野良猫の記憶からは、ここに住み着いていた人間の顔は消えかかっている。けれどもここを縄張りにしていた誰かがいたことだけはその生活の気配からなんとなく察せられて、手付かずになったその聖域を覗きに来ることがままあった。

 あの強面で細長い大男が、偶には帰ってくるかもしれない。

 そうすれば、奴が寝ている間に餌にありつけることもあるかもしれない。涼みがてらの猫の知恵は功を奏して、別人ではあるが客人が土産を持ってきた。人気が失せたのを見計らって猫は茂みを出る。石の斜面を舐める様に上る。あの強面が横になっていたスペースの真ん中には、真っ白な花束がお供えされていた。

 猫は気落ちせずその場に留まって丸くなる。蝉の音と真夏が終わりかけた季節の節目。それでも過ごし易い場所を好むのは本能で、あいつはこんな拠り所を捨ててどこに行ったんだろうと、縄張りの主の匂いを嗅ぐ。消えかけていた記憶が蘇る。得体の知れない色で塗りたくられた、いかつい男の顔。

 ふと、物音がした。

 あのおっかない奴の足音だと思った。

 風に泳いだ白い帽子が、草むらにぽつんと落ちていた。

 猫はすぐさま興味を失う。日が傾くまで微睡んで、また瞼を開けた時には帽子は橋の下を出ていくかのように何度か風に転がされていた。飛べない鳥みたいだと思う。不格好に捨て置かれたそれから視線を切り、猫はお昼寝を継続する。

 ――あいつは、どこに行ったんだろう?

 夢心地のまま、それだけを考える。

 仏花の香りが満ちた、包帯男の跡地。

 

 

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