暦を連れ戻し都心の雑踏に逆らうようにして、蓬は眠る事を忘れた死者の夜に入り交じる。目まぐるしく視界をすれ違う人の顔という顔はもう、情報の群れとなって男女の見分けくらいしかつかない。ひっきりなしに聴こえる雑音は人々の話し声に留まらず、横切る商業施設のアナウンスや客の呼び込みに四六時中鼓膜を揺らされる。つい最近学園祭を終えたばかりだからか、スケールの差に圧倒させられた。
こんな夜なら、打ち上げから別れた1-3の面々が近くに居たとしても見つけることは出来ないだろう。それはこれから合流する夢芽やちせにしても同じ事で、ガウマ隊全員が落ち合う場所はお馴染みの連絡網にて、駅前に鳥居の如く構えた歩道橋に定めた。
ビル街に挟まれたそこは三叉路を形作るように人が溢れ、絶え間なく都心の大口を開けている。蓬の通学路に横たわる河川のように、人が流れ出しているのか流れ込んでいるのかも最早判然としない。
逐一暦とはぐれていないか振り返り、案の定人混みに足を取られている長身痩躯の姿は、ちせの施したやっつけ社畜メイクのおかげもあって容易く発見出来た。仮装に溶け込む為の目の熊は意図せずともいなくなったあの人の顔を蓬の胸に去来させるけど、ハロウィンの定番らしく最早見慣れた魔女や吸血鬼や神父や狼男やら、浮かれた雰囲気の奔流に寂寥は押し流されていく。
暦がはぐれた原因となった、怪獣優生思想の軍服は、ついぞ見つからなかった。
何か取り零したような、後ろ髪を引かれた気分でいながらも、足は目的地の歩道橋に辿り着く。階段を一段一段と自分の足で上がっていく当たり前の感覚は、なんとなく、小さな怪獣を探しに練り歩いた、いつかの跨線橋の風景を思わせた。あの時カツンと空虚な音を鳴り響かせて、蓬の方を振り返りがてら腰に差した物騒な得物を鉄柵にぶつけた、おっかなくてどこか抜けた異世界からのお客様は、今頃どうしてるだろうか? 人相は兎も角、出で立ちだけなら今日の都心に集まった人々の方が彼よりもよっぽど異世界で、仮に彼や、彼と共にビジネスパートナーの如く世界を駆け回るミステリアスな女性が今夜のフジヨキ台を視たら、何を思うのだろう。怪獣だらけだと、大真面目に対処するんだろうか。ふとした想像に可笑しく思いながら、蓬の目線は駅の全貌を視界に収める所まで上り詰めた。
働き口のスーパーマーケットの繁忙期を凌ぐ賑やかさで、下手な商業施設よりも幅広に目に映る都心の駅と、それを囲む煌びやかネオンに溢れた街並み。それらを眼下に置きながら、歩道橋の真ん中に並び立つ夢芽とちせを見つけ、蓬の旅は終わりを告げた。
「あっ、センパーイ、よもさーん、こっちっすよこっちー」
柵に両腕でもたれかかっていたちせが片腕で器用にバランスを取り細長い手を伸ばす。同様に蓬や暦も手を振り返しながら、ちせよりも奥に立つ夢芽は横目の視線を送り返すのみ。そんな塩対応にさえ、今は安心を覚える蓬だった。
蓬を迎えるようにちせが前に立ち、掌を合わせて「あざます! よもさん!」と綺麗なお辞儀をした。恭しく垂れた頭を上げると、露になるのは左眼の周りを黒く塗ったスカルメイク。顔半分が不健康な白い肌の口元は、骸骨の歯並びを剝き出しにしているけれど、元のちせの愛嬌や礼儀正しさ、その唇をはみ出した飴玉のスティックのせいかちっとも怖くはない。いざしかし、中学生とはいえど公私を分けて振舞える程度には彼女は大人で、蓬の後ろに立つ暦の方へ詰め寄るや否や糾弾の口火を切った。
「センッパイ。駄目じゃないっすか保護者が離れちゃ……私と夢芽さん、今の今まで補導対象でしたからね。言い出しっぺなんだから、責任は果して下さい」
「返す言葉も御座いません……。ごめんね、南さんも。余計な時間取らせて」
傍から見れば成人男性が少女にこっぴどく叱られている気の毒な場面だが、こと暦とちせの間柄としては日常茶飯事だったりする。夢芽もちせの駄目押しに乗せられたように、挨拶代わりに一言、
「いえ、蓬返してくれたらそれでいいです」
「……と、仰ってますが」
「包み隠さなくなってきましたね。らしいっちゃらしいですけど」
蓬を挟んで始まる井戸端会議。いたたまれない頬が仄かに火照る。
「そこ、従兄妹トークやめてください……。麻中蓬、ただいま戻りました」
「蓬はもう少し、学校でもいじられてていいと思う」
「貴女と付き合い出して倍からかわれてんすけどこっちは……」
「そう? 蓬は兎も角、ちせちゃんと並ぶと、暦さんもあまり変わらないんですね」
「元からそんな変わった気はしないんだけどね……。ナイトさんには、最後まで顔覚えられてなかったみたいだけど……」
「センパイも変わるとこは変わってますよ。ブイブイ乗り回してますもんね、2代目ダイナストライカー」
十字を描くように四人向き合って、何故だか久し振りな気がしない中身のない会話。橋の上を行き交うハロウィンの住人達を視界の外にして、蓬達は集まりを形成する。免許を取得したらしい暦は若人の羨望を一心に浴びて、居心地悪そうに明後日に視線を逃がした。
「一応、社用車ね……。それに、2代目でもないよ。ダイナストライカーは、ガウマさんに返したんだし」
見上げる夜空彼方、真紅の竜を探すような眼差しで、暦はその名を口にした。
「2代目って言ったら、今どうしてますかね、あの人達」
この歩道橋を上る際も、頭の隅にあった心強い人達の事を、蓬も想う。
「あの二人と世界中回ってたら、いつか目覚めるのかな、ダイナゼノンも」
夢芽もまた曖昧な未来に思いを馳せて、温度を秘めた声音で目を伏せる。
「起きたらその辺のカニ食ってたりして」
盆を返すようにちせが茶化して、きっとここにいる誰しもの脳裏にあったのは、自分に不器用で他人にお節介な〝彼〟の背中。
都市の中心に立つような歩道橋の上、見渡す限りのビル群や四方を囲う商業施設。瞬く間に画面の移り変わる屋外用のLEDビジョンよりも高く遠く、この地を駆け抜ける機械仕掛けの巨人の中に、蓬達は乗っていた。それだけの出来事がありながら懐かしむのは、あの河川敷で過ごした他愛もない思い出ばかりで、皆にカニカマを配る記憶の中のあの人は、あの強面で笑っている。自分の分は平らげた後で、その辺の蟹に目移りしながら気丈に振舞う、蓬が呆れ混じりに慕う大人は、そんな人。
「それじゃきっと力出せないよ。足りない分は、誰かと補えたらいいんだけど」
労働の代償を噛み締めてか、暦の言には実感が伴う。乗り手の心が一致しなければ燃費や動力にムラのあるダイナゼノン――ひいてはダイナレックスの事だ。行く先々で困難に見舞われるのは想像に難くない。
今はまだ、雲を掴むような話でも、
「……もしも誰かが必要なら、その時は、」
蓬は、空いた右手を見つめる。
ダイナソルジャーを握った手だ。
怪獣を掴んだ掌だ。
夢芽と、繋ぎ続ける事を選んだ手だ。
「……蓬?」
怪訝と自分を覗き込む夢芽に視線を返す。
何かを掴むという事が、何かを掴まないという事で、幼い頃蓬の父と母が離れたように、時として選ばざるを得ない日は訪れる。あの頃、小さな子供でしかなかった蓬には選びようもなかった。子は鎹なんて言葉も辞書から抜け落ちたように、蓬が両親と手を繋いだ過去は過去のまま、深く記憶の地層に埋もれていく。母は新しい相手を選んで、実の父は冴えないけれど優しさを損なわずに、交わった人生は各々の道へと通り過ぎた。そうして蓬も選んできた。しがらみに縛られない怪獣使いの道でなく、夢芽の隣に居る道を。
蓬にしか出来ないことが、もう一つだけある。
この手が繋ぐ未来は、たった一人か、それ以外か。
その選択に迫られた時、自分は――
深く、物思いに沈んでいたせいかもしれない。
俯き掌を見つめた視界の端に、有り得ない白の軍服が入り込んだ。
それは出来の悪い怪談で語り継がれる幽鬼のように一瞬の出来事で、歩道橋を降りていく褐色の肌の横顔と、金髪の三つ編みを揺らめかせて蓬の世界から遠退いた。
「シズム、君……?」
口を衝いて出たその名前が、今し方目にしておきながら俄には信じられない。
暦が怪獣優生思想の紅一点らしき人を見かけたと言ったのは先刻の事で、胸騒ぎを落ちつけながらも折り重なった偶然をただのコスプレと断じる確信を蓬は持てない。怪獣が現れなくなって三ヵ月が経っていても非日常に身を置き続けた危機感は薄まらず、考える前に身体を走らせていた。
「ごめん夢芽! ここで待ってて! 少し、確かめたい事あるから!」
「え、ちょ、よもさん⁉」
暦を探していた時よりも気が急いて、夢芽の返事も待たずちせへの説明も惜しんで蓬は飛び出す。学園祭以来やけに顔に馴染んでいたミイラの包帯が、風圧で一層肌に纏わりつく。階段を上がってくるカボチャ頭の紳士が鬼気迫る蓬の表情にぎょっとして道を開けてくれた。「すみません!」と声のみで謝って、勢いで降り切った歩道橋の下、蠢く人波の遥か向こうに――幾度となく学校で見かけた白の軍服の後ろ姿。
「蓬!」
蓬とさして背丈も変わらない、少年の背中を見つけたその瞬間、親しんだ少女の声が耳をつんざく。
落っこちてしまいそうなくらい前のめりに柵から乗り出した夢芽と目が合って、蓬の決意が揺らいだのは束の間で、緑の瞳に眠る不安に寄り添うよりも、彼女に危機が及ぶ可能性を、僅かでも見逃したくなかった。
物言わず、蓬は力強く眼差しを送り、背中に刺さる視線を振り切る。
痛いくらいに右手を握り締めて、雑踏の中に踏み込んだ。
◇
よく走る人だな――と、ちせは飛び出した蓬に対してそう思う。奇妙にも既視感があるのは、かつて夢芽の為にダイナソルジャーに乗って駆け込んできた、印象的な場面に立ち会ったせいだろうか。鉄柵の前ぽつんと置いて行かれた夢芽の背中がやけに寂し気に見える。そう感じるのは今の二人の関係をちせが知っているからで、肝心なところで重荷を一人抱え込むのは、案外と似た者同士なのかもしれない。第三者の立場で推察出来るのはそこまでで、口内に甘味を転がしながら蓬の行方を案じた。
「……急にどうしたんすかね、よもさん。シズムって、あれですよね、怪獣優生思想の」
「そういう名前だったっけ? でも、あのムジナさんもただのコスプレだって言ってたしな……」
「ムジ、え? ――は? ……センパイ、昔の女追っかけてはぐれてたんすか?」
ガリッと、音を立ててちせは飴を噛み締めた。
墓穴を掘るとは正にこの事だ。暦の目の下のたるみと痣のようなメイクがその瞳ごと宙を泳いだ。見上げる従兄は冷や汗のナイアガラで言い訳を探しているが、大方の予想はついていた。何せ今夜、怪獣擬きならぬ隊長擬きの画像を拾い集めいていたのは何を隠そうちせである。滝を登るようにSNS中を隈なく泳いで、何の冗談か怪獣優生思想のコスプレがその手の界隈で流行っている珍妙な現象も確認した。
怪獣出る所に彼らありかは所詮噂に尾ひれのつくネット社会で真偽の程は定かでないが、兎にも角にも人目を惹く出で立ちの彼らが怪獣探しに東京中を奔走した記憶は記録となって、顔も知らない誰かの娯楽としてソフトクリームのスコーンのように残り物として消費されていた。
赤の他人から見れば芸能人のようなもので、人の好奇心や野次馬根性に際限はない。忌まわしきアヤメ中学で代わりばんこに〇〇ギルティ等と人の躓きを嘲笑う風習が根付いていたように、その他大勢にとって実態などどうでもいいのだ。あの四人が怪獣使いだと知っているのはガウマ隊のごく僅かだけで、彼らに着せる罪も罰も最早原型なんて留めていない。もう当の昔――それこそ5000年以上も前に、本当は終わっていた事だから。彼らの目的なんて、最後までちせにはわからなかった。わかりたくないことだけは、なんとなくわかった。
ちせと暦にしても、彼らの認識は異なるだろう。あのちぐはぐな四人に対しての見解なんて、永遠に一致しないかもしれない。危険な集団という事実だけは梃子でも動かないが、ちせは肩を寄せて従兄を睨み続ける。
「いや、結局勘違いだった訳だし……見ない振りした方が怖いでしょ、あの人達……」
「……それ、私情混ざってません?」
しどろもどろな暦の態度は元が挙動不審気味とはいえ腹の内を探られたくないと顔に書いてある。事態が〝あの人達〟と複数形に収まるならまだいい。洗いざらい暦が吐くまでちせが沈黙を頑なにするのは、彼の動機に不純な匂いを嗅ぎ取ったからだ。水心でも魚心でも下心でも何でもいい。ここらで白黒付けないと気が済まない。それはもう猫カフェから帰った飼い主に不信感を抱く飼い猫の如く。暦と蓬をここで待っている間、散々夢芽と愚痴ったのだ。人当たりの良さで女友達との交流が絶えない蓬も、未だ人妻と縁が切れていない暦も、同じ穴の狢でしかないのだと。
「――ごめんなさい。ちせちゃん、暦さん。私、蓬探してきます」
一触即発の内輪揉めに、夢芽の声が割り込んだ。
暦と共に視線を送れば、身体ごとこちらに向き直り、意を決した顔付きで夢芽が鉄柵を背に立っている。白装束の上に羽織った蓬のブレザーを掻き抱くようにして、口元から血の滴ったメイクとは不釣り合いな生気を、その真顔に漲らせていた。
三角巾が落ちないよう、お化けに扮した夢芽は控えめなお辞儀をして、
「今日、二人に会えて良かったです。また、いつか」
面を上げて浮かべた微笑みは蓬を追いかけようと階段に向かった瞬間には、もう臨戦態勢に切り替わっていた。この場を去った行方を、ちせは追い掛けようとは思わなかった。頼ったり頼られたり、きっとあの頃のような協力も出来たけど、夢芽の決意を無下にしたくない自分がいた。
「もう待ってるタマじゃないっすよね、南さん」
ひとりでにそう呟いたのはいつの日か水門の上で俯いていた彼女の小さな背中を思い出したからで、一人納得するちせを他所に、置いて行かれた暦も彼なりに不器用な相槌を打つ。
「……俺はよくわかんないけど、ちせがそう思うならそれで」
「主体性ないっすね、センパイ。それじゃ社会で生きていけないっすよ」
皮肉りながらその実、良いことを言っているようで何も言っていない、柳に風と受け流す暦の生き方はちせにとって好ましかったりする。たぶん、世界で一番正しくないこの人の前では、ちせも正しくなくていいからだ。彼を軽んじればそのまま自分に返ってくる言葉もままあって、傷の舐め合いも馴れ合いもキャンディのようにいつかなくなってしまう。永遠はないのだと、最高の友達を見送って思い知った。それが今生の別れになるのかは、今はまだわからない。この街で働いたり働かなかったりする人生の先輩は少なくとも、折に触れてちせの人生に顔を出してくれるのだから。そんな腐れ縁が隠れた希望になっている事も露知らず、暦はちせに言い返すでもなく夏休みの宿題から目を逸らす学生のように項垂れていた。
「うん。ここにいる時点でかなりね……。もう遅いから、家まで送ってくよ、ちせ」
ちせが生まれた頃からちせの世界に居たその人は、誰かに振られた役割を請け負うでもなく、当然の事のようにそう言った。とどのつまり彼にとっては、仕事もちせの迎えも果ては怪獣と戦うことさえも、同じハードルの高さにあるのかもしれない。その点においては山中暦という人間に変わりはなくて、ちせは一層調子づく。
「出してくれるんすか? 現役ダイナストライカー?」
「えぇ……嫌だよタクシーなんて。電車でよくない?」
「……やっぱセンパイには何も期待しないっす」
電車賃も期待出来ねぇな――やっぱゴルドバーンしか勝たん。ちせは一つ賢くなり、暦は懐を死守した代償に信頼を失う。どちらともなく隣り合って歩き出し、久方ぶりの従兄妹会議は仲睦まじさからほど遠く、未だ見慣れないオールバックや大人の制服を見上げてちせは不意に口元を綻ばせた。
「今日もその恰好、似合わないっすね、センパイ」
「なんで嬉しそうに言うの……?」
社会から浮いたジャージも、仮装に紛れないスーツも、暦が何者であるかを証明してはくれない。止まり木のように背の伸びた暦の隣で、ちせは今日も俯いて笑っている。くたびれて戸惑った彼の庇護下、補導から逃げる従兄と二人、飴はまだなくならない。