SSSS.DYNAZENON―RE:CODE   作:od-

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RE:CODE 12

 

 遠く水門を一望出来る、歩き慣れた橋の上。疎らに車道を通り過ぎる車の影をくっきりと浮かび上がらせる、街灯の続く一本道。等間隔に並んだそれらの下に幾度も立ち止まり、蓬は後ろに振り返る。

 

 「……夢芽、なんか遠くない?」

 

 「……ない」

 

 そう言って俯き気味に歩くお化けは、もう一本後ろの街灯まで離れていた。時折手持無沙汰に鉄柵の上に指を滑らせながら、マイペースな歩調を維持した夢芽の表情はどこかむすっとしている。目を離した隙に立ち止まったり蓬の視界から消えることは日常茶飯事だが、今夜は一段と不機嫌なご様子だった。

 

 「俺、なんか変な寝言とか言ってました……?」

 

 夢芽に歩み寄りながら蓬は尋ねる。顔を見合わせると、彼女は勿体振るように目を逸らして答えてくれた。

 

 「あ~……うん、言ってた。私の名前呼んで、好きですって、三回くらい」

 

 「噓でしょ……⁉」

 

 意図せず藪を突き蓬は紅潮する頬を腕で覆い隠す。夢芽はその反応に満足したように微かに頬を緩め、蟹の鋏型の両手を肩の高さで持ち上げる。

 

 「うっそ――じゃ、なかったら、良かったんだけどな」

 

 一頻りからかい終えて手を下ろす夢芽の前で、蓬はより深く口許を覆う。駄々漏れになってしまえば口にしてしまいそうな自覚も蓬にはあって、夢芽もてんでそれを疑っていない。短いやり取りで露呈した恥ずかしさも、いつか慣れてしまうのだとしても未だ慣れない。手綱を握った恋人は鉄柵の上に両腕をもたれかけ、夜に佇む川の水面を眼下にぽつりと呟いた。

 

 「呼んでたのは、ガウマさんの名前」

 

 「……そっか」

 

 筒抜けになった心の内を認めて、蓬は夢芽の隣に並んだ。彼女と一緒にあの水門を眺めている巡り合わせが回り回って不可思議で、その縁を想えば、どちらともなくあの名前が出てくる。

 

 「ここで会ったんだよね、私達、ガウマさんと」

 

 「うん。夢芽がガウマさんに叱られてた時ね」

 

 「はい。どうかしてました。反省します。しました。これでいい?」

 

 「俺に振らないでよ。とっくに水流してるでしょ、ガウマさんも」

 

 「だったらいいけど。ガウマさんいなかったら……ううん、蓬とも会わなかったら、私、今日もここに居て、今でも約束破ってたと思う」

 

 過去を振り返る低い声音に仄暗さを滲ませて、夢芽は柵に乗せた腕の中に埋もれる。海ほたるで彼女の奥深くに近付いた時のように、辺りは静けさを保ってはくれなくて、走り去る車のヘッドライトが彼女の横顔を照らすのを蓬は横目で見つめた。あの頃のように暗い海底に心を落っことしてしまうような気がして、不安に駆られる蓬の隣で、夢芽は柵から身を離す。右手だけを冷たい鉄の上に預けながら、蓬に眼差しを送ると、

 

 「だから、ありがとね、蓬。私の事、連れ出してくれて」

 

 初めて彼女の機微に触れた雨の下よりも、南夢芽は上手に笑いかけてくれていた。澄んだ緑の瞳はそのまま、彼女の心が健やかに芽吹いたものだと、隣に居た蓬は自惚れていいものか数瞬迷う。でもきっと、誰の手柄でもないのだろうと、思い直すのは早くて。

 

 「夢芽が、自分で歩いたんだよ」

 

 亡くなった姉の真相を追いながら、二度と誰かが手遅れにならないように、ダイナゼノンの操縦に打ち込んだ彼女を蓬は知っている。壊れた街まで共に出向いた時、その心根の強さに自分も影響された。蓬の世界は狭いから、被害の把握を身の回りだけに留めていた。ダイナゼノンに乗っている以上、世界と無関係ではいられないと、怪獣に纏わる出来事を対岸の火事にしなかったのは彼女の意思で、その動機にはたぶん、大切な人を喪う悲しみと深く結び付いていた。危うさと紙一重の、疑念と真実に裏切られるような旅路の隣で、蓬が手伝えた事は少ない。最初の一歩を傷付きながら繰り返したのは、他の誰でもない夢芽自身の選択だから、彼女が少しずつ笑顔を取り戻せている事実だけで、充分過ぎた。

 

 「ほら、行こ。立ち止まってたら、それこそガウマさんに怒られるって」

 

 「暗い顔すんじゃねぇ蓬ぃ」

 

 ノリ良く応じる夢芽の声真似が今の蓬には大変小気味良いけれど、現在進行形で学生は絶賛補導対象である。千変万化する恋人の奇行を愛しく思いながらも、蓬は歩き出す前に夢芽の方に右手を差し出した。

 

 「言いそう。つか声合わな過ぎでしょ」

 

 「うっるさ。でも、暗い顔見せなかったのって、どっちかっていうとガウマさんだよね」

 

 「ね。俺らにあんだけ割り込んでさ。って結局ガウマさんの話なる訳ね。言いたい事、一杯あるけどさ」

 

 車道側を歩きながら夢芽の手を引いて、話すのはあの人の事ばかり。夢芽は蓬の顔を覗き込むと、より深く指を絡めて肩を近付けた。引き寄せ合うように、蓬も握り返した。

 

 「亡くなったお姫様の事とか……もうちょっと話してくれても良かったけど、簡単じゃないよね、やっぱ。私が香乃の事、前向きに考えてみたって言った時、ガウマさんめっちゃ食い付いてたし。今思えばあれも、ガウマさんなりに前向きになろうとしてたってことかな……」

 

 夢芽との付き合いが長くなって段々と理解してきた事だが、彼女は記憶力に優れている。ダイナゼノン絡みで授業を抜け出る時も、一日のスケジュールを把握していたのは夢芽の方だったから、ガウマ隊が過ごした日常の細やかな所まで、彼女は忘れずにいるのだろう。ガウマが夢芽に詰め寄るように顔を近付けたある日の事を、蓬も釣られて思い出す。最悪の出会い方をした少女の変化を誰よりも喜んでいたのはガウマで、あの頃はまだ、大切な人を探しているという事実以外おくびにも自分の過去を明かしてはくれなかった。

 

 「あんな悲しい話聞いたら、ね……」

 

 怪獣が出なくなってから聞かされた、5000年前の顛末。

 仲間に裏切られ、自分を始末しようと目論む国をそれでも守り、戦い尽きたその末に、将来を誓ったお姫様にまで後を追わせてしまった事。

 悠久の時を越えて蓬達と会うよりも前に一度蘇り、その真実を他者から教えられた事を、夢のように憶えていると、蓬達とは何もかもスケールの違う生涯を語ってくれるようになるまでには、ガウマの憔悴は色濃くなっていた。それすらも隠し通そうとしていた彼の仁義が、戦いに巻き込んでしまった蓬達へのけじめだと頭ではわかっている。彼の水臭さをよく知る夢芽も、一言で収まりそうになかった。

 

 「ガウマさんがどんな風に痛いこととか、苦しいとこ隠して、私達応援してたのかまではわかんないけど……大切な人がいなくなって、後を追いたくなるお姫様の気持ちは、ちょっと、わかる気がする」

 

 行き詰まった感情に心を重ね、俯く夢芽の横顔が栗色の髪に隠れた。彼女が想像する〝死〟の実像は、恐らく蓬の感じるそれよりも確かな輪郭を持って目に浮かんでいる。途端に歩調が合わなくなって、立ち止まる夢芽の手が蓬から離れた。

 いつかの海ほたるで、彼女の機微に触れたせいだろうか。姉を亡くした痛みを呼び起こして我が事のようにガウマの大切な人を悼む心の揺らぎを、深く沈み込んだその面持ちから蓬は敏感に感じ取る。それを勝手な思い違いだと振り払えない程度には、蓬は南夢芽という少女を知っていて、怪獣よりも掴めない人の内側には踏み込めないと、相反する理性が踏み止まる。蓬が思う以上に、自分という人間は当の昔に彼女の一部なのだと、こんな形で引き出したくはなかった本音と向き合って、まるで順番を追うように自分の後に続く夢芽を想う。

 ただの杞憂だと笑い飛ばして、その場凌ぎの馴れ合いで済ませたくない。手を繋ぎ直すだけでも、気安めにもならない気がした。

 もう二度と、彼女を悲しませたくないと、その一心に突き動かされて、蓬は夢芽の方に振り返った。

 

 「――夢芽」

 

 俯く彼女と真正面から向き合って、一歩、二歩。

 鼻先がぶつかりそうになるくらいに、蓬は顔を寄せる。面を上げて後退る彼女の退路を断つように、白装束の裾を掴んだ。

 

 「よもっ、ぎ、顔近――」

 

 平たい彼女の瞳が見開かれて、抵抗を試みたその言葉ごと奪い去ろうと、薄く開いた唇に、蓬は口許を近付けた。

 耳の内に痛いくらいの静寂と、胸の内に立ち込める早鐘の音。

 走り去った車の鳴き声は、前か後ろかも定めがつかない。

 心の準備なんて足りてない、互いの唇を掠めるような、触れ合うだけのキスをして、蓬は熱を持った顔を瞠目した夢芽から引き離す。

 

 「――冗談でもそんなこと言ったら、次は、怒るから」

 

 出会った頃よりも揃わない目線のまま、蓬は息を吐くようにそう言った。仄かな朱に頬を染めた夢芽の顔が、見る間に茹で上がっていく。その気恥ずかしさは自分も同じで、彼女の表情から不安の色が消え去った安堵と、収集のつかない現状への認識が遅れてやってくる。名前を呼び捨てにするまでにあんなに時間が掛かったのに、自分は何をしでかしてしまったのか? 捕まえた夢芽の裾から手を放し、蓬は動機の放出に駆り立てられる。

 

 「……そっの、ごめん。こんなのが……初めてで……。でも、嘘でも夢芽が……いなくなる、こととか、想像したくないし、俺が死んだ先の事とか、考えて欲しくなかったから」

 

 「…………ない」

 

 「へ? ……ないって、何が?」

 

 纏まるようで纏まらない言い訳は、蚊の鳴くような声に遮られた。

 夢芽は逃げるようにまた鉄柵の方に身を乗り出す。朝のホームルームで机に突っ伏すみたいに、また両腕の中に顔を思いっきり埋めて、辛うじて届く抗議はやはり心許なく。

 

 「だから……メテジャ、ない」

 

 「いや声ちっさ。てか、夢芽も照れてんすか? 意外と、かわいいとこあるじゃ、」

 

 普段主導権を握りがちな彼女の方が、自分よりも冷静を欠いている。その様子に思わず蓬は調子づき、恋人の照れ顔を拝もうと我ながら気持ちの悪い純粋な動機で夢芽の隣に並んだ。彼女のように足まで柵と柵の間に挟み込むような真似はせず、自分なりの余裕を演じて無言のまま続きを促す。果たして夢芽は紅潮した顔を僅かに持ち上げ、川の水面を見下ろしながら言葉を汲み上げた。

 

 

 「キス、初めてじゃない」

 

 「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――は?」

 

 

 脳がフルバーストした。

 

 

 再び顔を覆い隠した少女の隣で蓬の脳裏を走馬灯が駆け巡る。思い起こせば約束をすっぽかす為散々男を引っかけていた女子高生。普段のコミュ力から疑念を持つ余地もなかったが突如浮上したその可能性を蓬は否定し切れずにいる。これは自慢だが夢芽は可愛い。滅茶苦茶可愛い。今まで悪い虫の毒牙にかからなかったと誰が言い切れよう。不安は不安を呼びシズムというわかりやすいイメージを膨らませて蓬の頭の中を容易く苛む。狼狽えて力の抜けた全身を鉄柵が受け止めてくれる。夢芽の前からいなくならないと決心した直後に既に死にかけていた。

 

 「あ、の、……それ、聞いてないんすけど……え、ひょっとして上級生の人、とか、付き合っ、てた……?」

 

 「プッ……違くて、当ててみせてよ」

 

 「違? あ、そう……じゃぁ…………親? 親とか⁉ ちっちゃい頃、とうちゃんかあちゃんとかでしょ⁉」

 

 「ハハッ……必死過ぎでしょ……そんなの普通カウントしないから」

 

 「えぇ~……? じゃあなんなんすかぁ……焦らさないで教え……っぱ聞きたくねぇ~~……」

 

 縋りついた希望を悉く打ち砕かれ、悪趣味にも蓬を弄んで楽しんでいる夢芽に対する〝初めての彼氏〟という漠然と抱いていた矜持すらをも挫かれて、蓬はくしゃくしゃに頭を抱えた。今日一日中身に着けたミイラの包帯が外れかけるのも気にならず、この身体ごと運河の藻屑になりたい羞恥心。恋人の交際歴に反発してしまっている器の小ささにも嫌気が差して、今すぐにでもガウマの肩を借りたかった。

 

 「じゃあ、教えない?」

 

 漏らす息さえも笑みを含んで、夢芽は横目だけを覗かせている。怪獣の力で彼女の過去に触れた時垣間見た、心を閉ざす前の幼さが顔に出た、甘えるような声だった。蓬はそれに、抗えない。

 

 「いつ頃かだけ、教えて下さい……」 

 

 自分が傷付くのは承知の上で、きりきりと胃を痛めながら蓬は溜息を吐いた。ただの唇と唇の万有引力にここまで落ち込む事があるのかと思いやられ、瞼をきつく閉じその耳に不都合な現実が届くのを蓬は待つ。

 待った。

 幾度となく車が通り過ぎる音がした。定期的に訪れる静寂は川の水が流れるせせらぎを引き連れて、夜の闇を穏やかにしてくれている。勿体つけた間に妙な安らぎを感じて、なんとなく、夢芽が口を閉ざしているのは悪意だけではないのだと、彼女のテンポに身を委ねる。瞼を上げて隣を見遣れば、今度は目だけでなく顔ごと蓬の方に向いて、鉄柵に頭を預けている夢芽の悪戯っぽい眼の輝きがあった。

 

 「ちゃんと……蓬が、初めてだよ」

 

 そう言って彼女は、蓬の蟠りと世界の謎を易々と解き明かした。蓬は暫く呆けてその解答を咀嚼するも、サウナの後に冷や水を浴びせられたような寒暖差に、頭がついていかない。

 

 「……へ? ぇだって、今さっき、初めてじゃないって……」

 

 「……だからぁ、蓬とのキスが、初めてじゃないって意味」

 

 種明かしから一転、不機嫌な声色から情緒が乱れ、蓬は益々オウム返し。

 

 「初めてじゃ、ない? 俺と……夢芽が???」

 

 「そ」

 

 夢芽は端的にそう言って、自分の唇を指先でなぞる。それからふと思いついたように蓬の方へ手を伸ばし、その長い爪でぶつからないよう、壊れ物に触るように蓬の口許に触れてきた。弧を描くようにそっと、上唇に人肌の温度を与えたしなやかな指先を、蓬は避けられない。

 夢芽の微笑と視線に囚われながら、触れられた跡を自分の指でそっとなぞる。自分でもはしたないと思いながらも掌で口許を覆い隠し、あの高架下で感じた仄かな甘さが唇に残っていることに、蓬は遅れて気が付いた。

 恐る恐る夢芽をまた見つめ返す。どこか得意げな顔つきで、爛々とした猫の眼を前に、蓬は一言、

 

 「…………やらし」

 

 「プッ――ハハハハハ! 蓬が遅いんじゃん……っ」

 

 柵に腕を預け身体を浮かせ、しまいには身を仰け反らせながら、夢芽は全身で喜びを表現した。学校での彼女を知っている人間がこの場に居たら、十人が十人がぎょっとするだろう豹変っぷりで、たぶん彼女の中ではずっと地続きで、肩を震わせながら気恥ずかしさを逃がす一挙一動に、蓬は目を離せなかった。ほっぺはもうオーバーヒート気味だけど、眠っている間に奪われた初めての重みはもう、取り返せない。俺からしたかったのに――なんて意地の張り合いは、野良猫の喧嘩の如くヒートアップした。

 

 「夢芽さぁ……寝込み襲うとか、それはルール違反でしょ……!!」

 

 「アハハッ、ルールばっかり守ってたら、守れないものもあるかもよっ?」

 

 「だっから……それがファースト、キッ、キスとか……おかしいでしょ? 普通こういうの男子から……っ」

 

 「プッふふ……キス噛んだ……」

 

 「揚げ足取らない!! もうわけわかんねぇ……」

 

 手玉に取られる蓬と調子づいた夢芽の肩と肩が、鉄柵伝いに近づき合う。散々身動きしたせいか三角巾も斜めにずれ、元気なお化けは生気の限りを尽くし蓬にマウントを取っていく。

 

 「蓬が私の事、大好きだって事だけは、わかったよ」

 

 ここに来ても尚、その言動に胸の奥を鷲掴みにされてしまうのは、惚れた側の弱味としか言い様がないだろう。このペースでは負け惜しみになるのは明白なのに、答えない事がそのまま答えになる事を恐れ、蓬は言い訳を重ねた。

 

 「それ、そっくりそのままお返しします。俺が言いたかったのは、夢芽の前からいなくならないってそれだけで……このノリで言わせないでよ……っ」

 

 「蓬が勝手に言ったんじゃん。……蓬はさ、もしも目の前から私がいなくなったら、どうする?」

 

 急に沈んだ声のトーン、隠れるようにまた顔を伏せて、今までの悪ノリを有耶無耶にする夢芽の問い掛け。その言葉に重みを持たせる、ただそれだけの為に今まではしゃいでいたのかと思える程激しい感情の落差は、そのまま夢芽が誤魔化していた不安の種だろうか。失う事で相手の価値を見積るほど、自分達はもう子供じゃない。振り回されるのは慣れっこでも、彼女への思いの丈まで、それ以上試されたくはなかった。

 

 「だから、次そういうこと言ったら、」

 

 怒るって言ったじゃん――と、言い切る事は出来なかった。

 ピタリと、もう一度、ピンと張った彼女の長い爪先が蓬の唇を制した。

 

 

 「ほら、

  

  ――冗談だよ?」

 

 

 悪戯っぽく、添い寝でもするような角度で顔を傾け、蓬を覗き込む緑の双眸。

 何かを待ち侘びるように薄く微笑った唇が、過ぎ去るライトに照らされる。

 息を呑んで彼女を見つめて、鉄柵伝いに身を寄せつつ、蓬はゆっくりと足を下ろした。すると上っている分夢芽の方が目線が高くて、片手のみを支えにこちらに身体を向ける彼女の胸に飛び込むように、蓬の歩みは吸い込まれていく。

 夢芽は俯き気味に、蓬は顔を上げて、まるで餌をやり合う親鳥と雛のように、お互いの唇を啄む角度で。

 目を細め合いながら、吐息がかかりそうなくらい引き込まれていく。

 シンと静まった夜の淵で、鼻の小突き合う音がした。二人にしか聴こえない音だった。

 

 「…………へたっぴ」

 

 「…………段差、あるから」

 

 一緒に顔の半分を覆う二人の顔は、隠し切れないくらい紅くて、近くて。

 

 「――――」

 

 むくれた夢芽が柵から片手を放し、バランスを欠いた身体が斜めに落ち行く。

 目と鼻の先で起きた数センチ単位の落下を、受け止められるのは蓬に他なく。

 倒れ合う二人の弾みに、外れかけていた包帯と三角巾が、宙に絡んで取り残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死者の夜が終わり、生者の日が巡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『よくできました』と、誰かが胸の上で囁いた。

 

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