「最近精が出るねー高校生。あんま無理し過ぎんなよ」
「平気っす。寧ろ最近、エネルギー有り余ってるんで」
バイト先のバックヤードでいつも通り交わす雑談。プリンの様に頭頂の黒が目立つ特徴的な金髪が目印のバイトリーダーは、相変わらずの先輩風を吹かせて接してくる。
蓬が高校入学から程なく、ここゆりマートに勤めだして、もう半年が経とうとしている。勝手もかなりわかってきて、最近はバイトリーダーから任される仕事も増えてきた。荷運びの区切りの呼び掛けは、言葉通り蓬を気にかけてのものだろうと有り難く受け取るも、この人の場合ただ暇潰しを欲しているケースも多い。案の定、今日も後者。
「おー、頼もしいねー。若手が戦力になって何より何より。おばさんも肩の荷が下りるわぁ」
ここで然るべき言葉を返さないとバイトリーダーのセルフ突っ込みが強制イベントで起きる。毎度の如くスルーしている蓬だが、〝戦力〟というワードのせいか、とある人物の顔が頭を過ぎって、
「……最近、暦さんってどうですか?」
山中暦。蓬とバイトリーダー共通の知人。友人、と言っても差し支えない関係かもしれないが、蓬との年齢差的にはなんとも微妙な距離にある。
ただ、一月をかけて単純な言葉で括れない間柄になったことは確かで、今はそれぞれの日常に戻っている。ともすれば暦にとっては日常の方が激務かもしれないと、年下の立場から心配を寄せてしまうのは彼の透明な経歴を知るだけに無理からぬ話で、答えを探すバイトリーダーの悩ましい顔にドキドキする蓬だった。
「ん~、旦那も骨折からやっと容態良くなってきてるところだからね、暦君来てくれて助かってるよ。……33まで無職って聞いた時は、ちょっと言葉出なかったけど、ブランクある割にはガッツあるよ、暦君」
笑顔を添えられた評価にほっとする。無職という肩書きを失った山中暦、というものがなんだか想像出来ないが、蓬はここで働きだした自分のようにあくせくと働いている彼の姿を想像した。同じ脅威に立ち向かったのに、今は別々の場所で戦っている。それが我が事のように、嬉しかった。
「まぁ、人助けしてたんで」
「またそれ? 人助けサークルで知り合ったんだっけ? 蓬君と暦君」
「そんなとこです。……今は会長居ないんで、形だけですけど」
別れも告げずに去っていった人の後ろ姿を思い出す。包帯の下に毒々しい痣をひた隠しにした、人の弱味にはお節介を焼く癖に、自分の事を話すのはとことん下手だった人。蓬の人間関係の中心に、いなくなっても彼はいる。あの季節を彼と共に過ごした誰もが、そう思っている筈だった。
蓬の人生を通り過ぎたあの人から貰った熱を、今でもよく思い出す。
五千年前から蘇った〝怪獣使い〟――ガウマさん
彼がこの世界に現れたその時期に、きっと数え切れないほど多くの人達が〝怪獣〟による影響を受けていた筈で、バイトリーダーもその傷跡を思い返すように話し続けた。
「まぁ、あの頃は怪獣怪獣で大変だったしねー。とどのつまり、仕事なんて全部人助けだし、あんな時期に動けたんなら、そりゃ適正あるか。……今良い事言った? 私ぃ?」
「最後にそれがなければ……」
前向きな人だと思う。その剽軽さは誰の前でもそうなのか、蓬という子供の前だからなのか。ウザ絡みもするし弱音も吐くけれど、蓬にはない器用さを持った大人の人。苦笑で流しても、その勢いは衰えない。
「相変わらずそっけないなー高校生は。私がそのくらいの頃はもっと愛想……あったかな。なかったか?」
「そこ迷わないで下さいよ……。どうだったんですか? 昔のバイトリーダーって? って、これ前も聞きましたっけ」
蓬が質問を取り下げても、バイトリーダーのスイッチは既に押しっぱなしで、
「な~んもなかったよ。何か出来た気はするけど。それこそ、同級生と海まで原付乗って飛び出すの夢に見るくらい、今はつまらないおばさんですよ~」
リピートを覚悟していたその内容が、少々変化している事に蓬は気付く。
昔を振り返るように蓬に肩を向け、彼女は腰に手を突き天井を仰いでいる。彼女が視たと言う〝夢〟に、蓬は思い当たる節があった。
怪獣に関わっていた者達しか憶えていない。一度この世界が、過去に呑まれかけていたことを。
多くの爪痕を残した怪獣災害の中でも最大規模の騒動は、誰に知られることなく幕を閉じた。詳細は憶えていなくても、あの日彼女も過ごしたのかもしれない。暦の未練と重ねた出来事を。
それぞれの過去を舞台裏から覗いていた蓬には、断片しか知り得ない事だけれど。
その思い出の良し悪しはきっと、暦と同じではないのだろう。
再び蓬に向き直った彼女の胸元で〝橘〟の名札が揺れる。
「高校生は、今を楽しみなよ?」
晴れ晴れとした表情で決め台詞を口にする橘さんに、蓬は親指を立てて応えた。
「ばっちし、ハロウィンも出かけてくるんで」
「お~、そつないじゃん。ハロウィンかぁ……。そういや最近、まだ当日じゃないのにすっごい格好してる人見たな……。お店のお客さんで。蓬君も知ってる?」
左手の甲に片肘を掛けて、顎に親指を添えながらバイトリ-ダーは考えるポーズでそう言った。基本レジには立たない蓬には、ピンとこない話だった。話題を提供したのは自分だがいよいよ深刻な脱線具合になって来たので、蓬は彼女に背を向ける。
「いえ、初耳ですけど。ハロウィン前の予行演習……なんて、する人いるんですかね?」
「わっかんないよ~。世の中広いんだから。こう、真っ赤な逆立ててさ、金色の包帯みたいなの胸にグルグルしてぇ、その癖おへそは出してんの。どこの国のファッションなんだろ……」
髪から上半身にかけての丁寧至極なジェスチャーのおかげで、蓬の記憶の棚からその奇抜な人相を引き出すのは容易だった。隈の濃い鋭い目つきさえ瞼の裏に描ける。仕事の振りで彷徨わせていた視線が行き場を欠いて静止する。返事のない間を、橘さんに気取られた。
「……蓬君?」
「うちの……隊長です。その人」
「空中分解した、人助けサークルの?」
「はい」
「……会長じゃなかった?」
「隊長なんです。ミイラの」
「言ってることバラバラじゃん……」
尤もな指摘に、返す余裕はない。
それ以降の仕事は、殆ど手につかなかった。
◇
十月も暮れに差し掛かると、日の入りも早くなる。六月頃であれば学校終わりに寄り道をして漸く変わっていくのを眺めていた空の色は、放課後を迎えて橋の下の待ち合わせ場所に集まり、見慣れた顔色が揃う頃には既に橙の残照を強めていた。昨日お供えした仏花が手付かずの位置にそのままある、居住者を失って久しい〝ガウマ隊〟の秘密基地。ぽっかりと空いた大穴の様なそこを横手に、蓬と夢芽が並んで対面する少女もまた、この場所を大切にしていた仲間――相変わらずの肩や背中の露出が際立つ格好で、飛鳥川ちせは後ろ手に買い物帰りらしきビニール袋をぶら下げながら小首を傾げた。毛先の黒くグラデーションがかった赤い三つ編みが、同じ角度で揺れる。
「――ほんとなんですかよもさん? ガウマ隊長目撃情報って?」
「流石に人違いじゃない……?」
既に話している夢芽もまだ半信半疑の眼差しだった。無理もない二人の反応を間近にして、蓬は返って冷静になる。真偽不明のまま一人抱えるよりは、顔を合わせて突き詰めていく方が心も軽くなった。何よりガウマの安否を案じる気持ちは、ガウマ隊の誰しも同じなのだから。
「うちのバイトリーダーが、それっぽい人見たって。あんな格好の人そうそういないし……皆で共有しておいた方がよさそうかなって。暦さんは?」
「あの人は今、飲食のブラックに呑まれてるんで、当分あてになりませんよ」
「仕事って怪獣よりヤバい奴じゃん……」
ちせの冷たいコメントに怯む夢芽。社会という荒波に出る前に、この子に苦手意識を植え付けてはいけない。蓬はやんわりフォローを入れる。
「バイトからならそうでもないからね? ちせちゃん、前にガウマさんがここ住んでるって見つけた時は、確か、学校の不審者情報だったっけ」
「ですね。あの時は隊長がここ通ってたから網に引っ掛かりましたけど、所定の位置にいないなら特定難しいと思いますよ。でも、皆で手分けすればすぐ見つかりますよ……ってこれ、怪獣の時も言いましたね」
明るく振舞ったちせの声が尻すぼみになる。ガウマ隊の皆でとある怪獣の捜索に乗り出したのも、遠い昔に感じられる。あの時は蓬の迂闊な発言やガウマの落ち度が原因だったけれど、今回は相手が当のガウマだ。いなくなった彼が再びこの街に帰って来たとして、世話を焼いてくれた彼をあの怪獣の様に探し回るのは言い知れぬ抵抗があった。
ガウマがいなくなっていた今までを、いつの間にか受け入れていたことを蓬は知る。
彼の寝床で横たわっている花束が、その何よりの証で、本当は今でも、あの人はどこかで誰かに余計な真似をしている様な気がする。いつまでも引き摺ってんじゃねぇよと言ってくれた怪獣は、ちせの左腕にその象徴を残すのみで、この世界を飛び去って行った。皆が俯く中、希望を捨てきれない声音で、夢芽が呟く。
「……ホントに、ガウマさんなのかな」
「はっきりさせよう。皆で」
もうここからは、自分達の問題だと、右手の拳を握り込んで蓬は答えた。
今はまだ、あの人ほど大きくて頼りがいのある掌ではないけれど、掴みかけた糸を、離したくはなかった。
「そだ。今日はお二人にお渡ししたい物が」
場を仕切り直すようにちせが手を合わせた。何々、と一同はより近くに集まって、ちせが背中に隠すようにしていたビニール袋を中心に持ち上げる。焦らす様に蓬と夢芽に視線を配り、パッと袋の口を開く。
夢芽の眠たげな眼が僅かに見開かれたのと同様に、蓬も「おぉ」と感嘆の声を上げる。夢芽が見たままを口にした。
「これって、ちっちゃいゴルドバーンの、シール……?」
ちせの左腕に刻まれた――正しくはボディペイントなのでこの表現は語弊があるが――それでも彼女と一体になったと表現しても差し支えない、彼女の友達でありガウマ隊と共に戦った怪獣、ゴルドバーンのデフォルメ版が、まだシートの状態で複数ビニール袋には詰め込まれていた。デフォルメと言っても、ちせの隠さなくなった才能による精緻なデザインはそのままで、サイズだけがほっぺにもくっつけられそうなくらい手頃になっていた。ちせは夢芽へ顔を寄せると、爛々と目を輝かせ、
「ご明察です南さん。これはお試し用なんで、クラスの誰かに配っておいてくれませんか? 出来れば反応も聞きたいです! いずれ売り物にするかもなんで」
まるで大いなる一歩を踏むように不敵な目で見上げてくる年下の女の子は、枠に囚われない服装そのままの印象で、初めて会った頃よりも自由に見える。不安げな顔も多くは見せたけれど、それが不自由の中で自分なりに前向きに選んだ、飛鳥川ちせの道の一つなのかもしれない。ほんのり心配で、少し羨ましかった。
「やりたいこと、見つかったんだ、ちせちゃん」
蓬は袋を受け取って片手にぶら提げる。手の空いたちせは橋の外に振り返って、もう一度向き直る。あそこから顔を出した怪獣を背にするように、ちせの顔は誇らしげだった。
「まだ模索中ですけど。やるからにはいつか、ハロウィンに参加するみっっっんながこのペイントしてくれるように頑張るんで。二人供何卒、この飛鳥川ちせの名前をお広め下さい。……あと、ゴルドバーンも」
最後に照れ臭そうに、最高の友達の名前を口にする。
広がり続ける彼女の世界を照らすように、橋の外の夕陽が眩ゆく映った。