SSSS.DYNAZENON―RE:CODE   作:od-

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RE:CODE 6

 コンビニの入り口から窓沿いに夢芽と蓬は並び、一人分距離を置いて暦が端に立ちながら、各々カニカマを齧る。正面で横断歩道を渡る人々が行き交い、歩行者信号が青く灯る度、目の前を人が溢れていく。コンビニを境に枝分かれしていく人の濁流。さっきまでそれに呑まれていたのに、口にするカニカマが夢芽の意識をいつかの高架下に連れていく。歩き疲れた夜には少々物足りなかったけど、ガウマのことを考えることが多い夜には、ぴったりの食事。誰もが食べ終えたのを見計らって、暦が会話の口火を切った。

 

 「二人は、ガウマさん見つけたの?」

 

 此度のガウマ隊に奔った衝撃を、暦も既に把握しているのだろう。同じ連絡網を通しているのだから当然だが、捜索は人違いに終わり二転三転を繰り返している。共有している情報の齟齬を修正しようと、蓬が頭から状況を洗い出す。

 

 「見ましたけど、あれ、ガウマさんのバイト先の人とか、ガウマさん知ってる人達が仮装してただけでした。もしかして、暦さんも今まで探し回ってたんですか……? ガウマ隊のトーク、ガンガン進んでたと思うんですけど」

 

 蓬の尤もな指摘に、暦は意気消沈のムードで答え、

 

 「それね。……ちせがガウマさんの写真上げた時、行方知れずの友達に会えそうだからって、お店飛び出してきたんだけど、どうも勘違いぽいって風向きが変わった頃には、俺、ここ着いちゃってたから。引くに引けなくなっちゃって……」

 

 「それってサボりじゃ……」

 

 「結果的には……」

 

 つい口を吐いてしまった夢芽の本音を、暦は溜息で受け流した。文化祭をバックれかけた夢芽からすると親近感も湧くのだが、社会に出るとなると同じスケールで計ってはいけないことくらい夢芽にもわかる。

 ガウマ隊の人数分用意されたカニカマバーの、余った二本が顔を出したビニール袋。ガウマはいなかったと全て理解した上でそれを手にぶら提げた暦の真意までは、それ以上追及したりはしなかった。

 

 「でも、その理由で早退許してくれるって、いいとこなんですね、暦さんの職場って」

 

 蓬の自然体のフォローに、暦は目を細め、

 

 「うん。人が良過ぎて、偶に辛くなるけどね」

 「わかります、それ」

 

 同じく蓬を視線で挟んで、夢芽も合いの手を入れる。

 

 「なんで俺見て言うのよ……?」

 

 ミイラの包帯の下で黄金色の瞳が困惑している。今暦に助け舟を出したように、彼の当たり障りない底抜けの正しさが夢芽には眩しい。暦にも同様の経験があるのだろう。ダイナゼノンに乗る時より、心は重なっていた。

 

 「蓬は慣れたけど……どっちかっていうと、蓬の友達」

 

 周囲にさざ波を立てない処世術のなせる業か、類は友を呼ぶを地で行くのが蓬という人間だ。蓬を囲む人種もまた、そこにいるだけで陽の気を発し、内から溢れるエネルギーを循環させるように輪を作る。恋人同士の蓬との会話は夢芽にとって日々の充電や日光浴だが、クラスメイトとの接触は依然その域には達していない。にも関わらず、クラスには既に、らんかを始め夢芽のめんどくささを理解しつつも突き放そうとはしない空気が生まれ始めている。それがグループの中心に立つ蓬の人柄のおかげなのか、彼に手を引かれるまま一歩歩み寄った成果なのかはまだ判然としないが、鳴衣と蓬だけで充分だった夢芽の世界に、これはちょっとした一大事。

 合唱部の先輩達に訊き込み回った時のように、会うのはこれっきりという相手とのコミュニケーションは、短距離で走る時に呼吸を止めるような気合いの収束に近いが、蓬達は息するようにそのエネルギーを発散していく。教室が同じ水槽の中だとして、泳ぐ深さが違うのだ。深海に適した夢芽と穏やかに群れる蓬達はきちんと棲み分けされていたのに、いつの間にか日当たりの良い海面まで連れ去られ、挙句打ち上げられる寸前まで来ている。鍛えていない表情筋で送るこれからを憂う夢芽の隣で、蓬は人の気も知らず笑い返して、

 

 「じゃあ皆とも仲良くなれる奴じゃん、それ」

 

 自分と上手くいってるなら問題ないと、人としての粗のないその朗らかさが偶に腹立たしい。二人きりで花火祭りの話をしていたのに、皆を誘う流れになっていたあの時と変わっていない。一番質が悪いのが本人に悪気はない所で、淡水魚の如く澄んだ世界で育った彼を挟んで、夢芽は暦と死んだ魚の目を合わせる。

 

 「こういうとこですよね」

 

 「だね」

 

 「ここじゃ疎外感感じるんですけど……」

 

 蓬だけががっくりと肩を落とす中、珍しく息の合った暦と夢芽は頷き合う。夢芽の気は済んだので、暦が後を引き継ぐ。

 

 「どんなだったの? ガウマさんの知り合いの人達って」

 

 「普通の人達でしたよ。職場があって、友達がいて、偶々、ガウマさんと同じ場所で働いてたり、関係なかったり、皆、あの人の噂に巻き込まれてました」

 

 ガウマのことがなければ、顔を合わせることのなかった人達。その点だけなら、ダイナゼノンに引き合わされたガウマ隊も変わらない。〝巻き込まれた〟事実だけなら幾らでも文句のつけようもあるのに、そんな気分にはなれないのが、そのまま答えだった。ガウマ隊よりも、被害者の会の方が多いかもしれない。顔も立場も知らない、ガウマの関わって来た人達に、共感や同情や言い様のない親近感を抱いては、夢芽は想いを飲み込んだ。暦は人ごみから知った顔を探すようにぼんやりと青信号を見つめて、

 

 「そっか。そんな所にも爪痕残すんだ、あの人」

 

 しみじみと消え入る低い声。誰に聞かせるでもない独り言じみた言い方が、くたびれた大人の横顔に映える。あまりにも様変わりしてしまった暦と並んでいると、いつの日か、ここではないコンビニの前で集まって、まだガウマのことを疑っていた頃が遠く昔に感じられた。話し合いの最中に他人事のように座り出したあの夜の暦と、スーツに身を正して背筋を伸ばした今の暦。勢いで職場を抜け出た目も当てられない事実が、夢芽が見てきた山中暦の過去と現在を繋ぐ。彼の深い部分まで、夢芽は未だに知らない。ひょっとすると元・無職の大人という経歴が全てなのかもしれないけど、ガウマに巻き込まれた縁さえあれば、それだけで良かった。別れて三ヵ月が経つあの人との再会を期待して取る行動や選ぶ言葉が蓬と似てくるのは、やっぱり同じカニカマを味わった仲間だからだろうかと、柄にもなく考えた。

 

 「俺もさっき、夢芽と同じこと話してました」

 

 暦のトーンに合わせて、蓬も気持ちを重ねて、

 

 「ガウマさんのこと、友達って、同じこと言ってきたよね、私達も」

 

 二人刻んだ足跡を振り返り、夢芽も言葉を重ねる。

 特に打ち合わせもなくシンクロした台詞。改めてそれを確かめ合うと、蓬はパーカーのポケットに手を突っ込みながら砕けた調子で笑い返す。

 

 「言った言った。……でも、確かに俺達の関係を作ってくれたけど、友達って言い切るのもなんかしっくりこないんだよなぁ、ガウマさん」

 

 あれだけはっきりと口にしたのに、いまいちピンとこない表情で蓬は悩まし気に中空を睨んだ。ありふれた距離感を容易くラベリングしてしまえる普遍的な関係性の中に、見落としてしまうものもある。蓬がつついた違和感の種を、夢芽も自分の根っこから引き寄せた。

 

 「あー……わかる。友達って、私にとっては鳴衣だし、ガウマさんはちょっと違うかも。一応、大人の人だったし」

 

 ガウマとはカラオケも行かないし一緒にコスメ巡りもしない。訓練の日課として早朝や放課後は毎日のように彼の元に集まりはしたが、どれも遊びではなかった。そこには〝怪獣と戦う為〟という確固たる目的が常にあったし、ちょっと緩めの部活くらいの方が、生活に組み込まれた手触りとしては適切かもしれない。

 

 出会いからロボットや怪獣で四人もの人間の日常を一変させたのに、日曜日に休みを貰っていた律義さが振り返るとおかしい。そんな休日だって、捕まえた怪獣を逃がした日以外は、過度に干渉してこなかった。隊長なりのその線引きは、ガウマ隊それぞれの時間を気遣ってのものだろうか――考えれば考える程〝友達〟からは離れてしまうのに、記憶は隙間なくガウマの事で一杯になっている。各々から見えるガウマ像を擦り合わせるように、暦も意見を交えた。

 

 「俺もその場の勢いっていうか、対面上はそう言った方が説明し易いってだけで、向こうがどう思ってたかはわかんないけど……基本上からだったし、訊いても素直に答えないんじゃないかな、ガウマさん」

 

 恐らくはガウマと一番年齢が近いであろう暦の目線はやけに具体的で、自分のミスに言い訳を重ねていたガウマの、怪獣に塗られた顔が脳裏に浮かぶ。夢芽の目から見ても、余計な真似で突っかかって来る割には突っ込まれると弱い、長所と短所がはっきりした人だった。ガウマ隊を巻き込んだ手前、あの粗野な口調で〝ダチ〟という言葉を使うガウマは、すぐにイメージ出来るようで出来なかった。土壇場なら迷いなく言い切るかもしれないし、時と場所次第では、巻き込んだ責任感から口ごもる可能性も有り得る。暦の言葉で三人とも、同じガウマを思い浮かべたのだろう。夢芽が口にする前から、苦笑気味になっていた。

 

 「戦う理由も、会いたい女の人の為だって、皆で訊かないと答えてくれなかったですよね。あそこでお辞儀するまで、割と本気で怪しい人だったけど」

 

 五千年前から蘇った怪獣優生思想。元は仲間でありながら、彼らとは袂を分かった訳を詰問すれば、その辺の蟹を喰ってバイトを口実にそそくさ逃げる。怪しさもここまでくれば出る所へ出れるだろう。更に問い質せば彼が戦う理由は、とても悲しい顛末から来る私情だったけど、それでも、手を貸すには充分だった。誰かに必要とされる火をつけた熱意を、ダイナゼノンに乗った皆が憶えている。

 ふと、夢芽は空を見上げた。都市の光に押し負けた夜空の星は薄く点々としていて、星々が抜け落ちたみたいに地上は人で溢れている。夜の帳が下りる度、ダイナゼノンで飛び立った宇宙を思い出す。世界で唯一無職のままあの空を突き抜けた暦も、逃げ回っていた筈の大人になって、この夜何を思うのだろう? 夢芽もあの頃はダイナウイングで舞浜までひとっ飛びで、そんな非日常が日常だった。何かを失った筈なのに惜しくないのは、ここに繋がりが残っているからだろうかと、蓬の隣で夢芽は思う。

 誰もが郷愁に浸るまま、蓬も思い出を数えていく。

 

 「なのにいつの間にかプール行って、ご飯食べて、花火して、巻き込まれてるの当たり前になって、怒ったり、怒られたりしてさ」

 

 笑顔混じりに捲り直す一ページ。同じアルバムを辿りながら、思い浮かぶのは強面なのに気遣いに長けたお節介なあの人の事ばかり。そんな風に馴染むまで、そう時間は掛からなかった。初対面は命を拾われて蓬を追いかける汗だくな不審者というあまり関わりたくない第一印象。そこから輪をかけて相手にしたくないと痛感したのは、橋の上で蓬を待ちぼうけにさせて叱られた時。どう贔屓目に見てもどうかしてたのは自分の方で、ガウマの態度は一貫して正しかった。言語化出来ない心の澱から夢芽を掬い上げるように、暑苦しい距離感で説かれたこの世で大切な三つ。荒くれ者に見えて真摯なガウマの瞳。あの橋を渡る度脳裏に蘇る光景。うざったくて仕方ないと無下にしていた事が、今になって苦々しく感じられた。

 

 「……めちゃくちゃ怒られた、私も」

 

 あの場所に居合わせた蓬が側で微笑んでくれている事がせめてもの救いで、あの時、間にガウマが立たなければ、ここに一緒にはいないのだろうと、彼も同じことを考えている気がした。気のせいでなければいい。ガウマと会ったことが人生の分岐点になったのは、暦もやっぱり同じみたいで、

 

 「俺も、ダイナストライカー失くした時に。誰かに本気の怒られたの、いつ振りだろって感じで。……自分のことより、俺達のこと見えてたんじゃないかな、ガウマさん」

 

 責任を問われ、己の失敗を振り返っているのにも関わらず、暦の横顔は優し気だった。愚痴から反省会になってるのに、誰も口にはしないありふれた感謝の気持ち。ここに本人がいないから、そんな湿っぽい空気にならざるを得ない。でも胸の内側は温かくなって、別れたことがまだ痛みにならない。実感がない、とも少し違う。染み入る余熱を、蓬は声に押し込めて、

 

 「――友達じゃ足りない、か」

 

 また一つ、大切な〝わからない〟が増えていく。

 ガウマとの関係に答えが出ない事だけがわかったのに、誰もが何故か清々しい顔を浮かべていて。

 振り返る程、ガウマの事が過去になっていく。

 

 「また会えたら、美味い蟹とか食べさせたかったんだけど。折角働いてるんだし」

 

 期待していた可能性を名残惜しんで、暦が話題を未来に逸らす。その手に提げてるカニカマがガウマ隊の分なら、そこら辺のじゃない蟹は個人的な付き合いとしての想定だったのだろう。お酒も飲めるお店だろうかと、ガウマと二人きりの暦がちょっと夢芽には想像出来ない。でも託されたダイナゼノンのパーツであるダイナストライカーをガウマに真っ先に返したのは暦だったことを思い出して、男同士の仲もあったんだろうと察せられた。ガウマは蓬が渡した蟹煎餅を、ちゃんと食べただろうか? ふと湧いた夢芽の疑問に被せるように、蓬の真っ当な問いが投げられた。

 

 「暦さん、仕事始めたの最近からじゃ……」

 

 「そこはほら、大人のカードで」

 

 「絶っ対にやめてください、マジで」

 

 バイトながら社会的には暦よりも先輩に位置する蓬の全力の制止を抜きにしても、身近な大人のぼんやりとした態度は夢芽からして不安だった。カードでなくレシートで詰まった財布ならイメージ出来る。それ程までに元・無職に対する偏見は根深い。周りの気も知ってか知らずか、暦は何食わぬ顔で平然と続ける。

 

 「いや、免許証の話。リボとか危ないのは流石に知ってるから。その辺の蟹よりかは、美味い狩場探せると思うよ」

 

 「現地調達から離れるつもりはないんですね……」

 

 なんでだろう。ガウマならウキウキついて行きそうな気がした。まるで夏休みに虫取り網を持って飛び出す子供みたいだ。夢芽は呆れてそれ以上ものも言えなかったが、蓬は安堵するとすぐに要領よく、社交的な方向に切り替えていく。

 

 「免許証、前から持ってたんですか?」

 

 「取ったのは最近。橘さん……俺の雇い主なんだけど、怪獣騒ぎの時酷い怪我したから、いざって時代わりに運転頼める人いると有難いって、就職前に合宿で」

 

 ダイナストライカーで磨いた技術を現在も活かしている事を、暦は胸を張るでもなくさらりと言った。社会に参加する自然な流れに乗っただけで、それ以上でもそれ以下でもない漠然とした大人の通過儀礼。そうしたものを終えてここに立っている暦に、夢芽は少々置いていかれた気がした。さっきまで蓬を共に弄った仲間意識が溶けていく。これが焦りという感覚であることを、夢芽は深く思い知った。

 

 「……なんか、ちゃんとしてるんですね、暦さん」

 

 「言い方」

 

 蓬の優等生な注意も今は耳に入らない。暦は自嘲気味に、皴の刻まれた目元と口端を歪めると、

 

 「ちゃんとしてたら入社早々バックレないけどね……。俺からしたら、ダイナゼノン乗ってる頃の南さんの方が、ずっとしっかりして見えてたよ」

 

 苦笑で流していた筈の大人の眼差しが、夢芽を捉えた。

 

 「私が……ですか?」

 

 予想外にも話題の中心になって戸惑うも、暦の声に偽りは感じられなかった。彼が思う程夢芽は盤石に生きてはいない。ただ片付かない過去に抗って、藻掻いている間に側に付いてくれた人がいた。同じ道を歩いてくれた蓬に一度視線を寄せて、夢芽は答える。

 

 「必死だっただけなんで、あの時は。それに、一人じゃなかったんで」

 

 コンビニの明かりの下、頬が仄かな朱に染まったミイラがくすぐったそうに笑う。丁度いいくらいの恥ずかしさで共に暦を見返すと、彼は顔を正面に向け淡々と、変わらずありのままを述べる。

 

 「――出会えて良かったね、二人は」

 

 その一言が、夢芽には胸が詰まるくらい、嬉しかった。蓬と目を合わせる。こそばゆさに緩んだ口元。きっと夢芽も同じ顔をしている。だからなんとなく、その唇が次に読み上げる言葉も、夢芽には掴み取れた。一緒に暦の方を向いて、蓬が先に口を開き、

 

 「暦さんも――」

 

 「――ですよ」

 

 同じ気持ちを、固く結んだ。

 

 暦が目を見開く。カニカマのビニール袋を盾にするように口元の高さに持ち上げて、目を伏せる挙動不審。そんな年齢不相応な反応をする度に、知っている山中暦が浮かび上がった様な気がする。皴の目立ってきた三十路の顔が酒でもないのに赤くなる。観念する様にため息を吐いて、彼はカニカマを下ろした。

 

 「……ありがとう。……凄いね若いって。ガウマさんが青臭いこと避けてたの、ちょっとわかった気がする……」

 

 「酷くないですか? 今日の暦さんのこと、好きになりかけてたのに」

 

 暦の隙を見てノリよく茶化す蓬。一気に年齢差の壁を踏み千切る辺りやはり夢芽とは人種が違う。しかしそうした陰キャ陽キャの差異に生じる自意識よりも、夢芽は別の理由でムッとした

 蓬のパーカーの裾をビッと掴む。

 生地が若干伸びる程度の力強さに、振り向く蓬へ夢芽は一言。

 

 

 「蓬、

  ――私は?」

 

 

 軽々に発した〝好き〟の重みを、今一度彼氏に問う。

 決して、安売りしていい言葉ではないのだ。

 例えその意味するところがあくまで前向きでピュアなもので、夢芽に限らずガウマや暦やちせに向けられても不自然でない使い方だとしても、彼女の前に使うには配慮が足らないと言わざる得ない。夢芽は言語化不要の感情を虚無の顔面に乗せて圧をかける。蓬の頬に、地雷を踏んだ冷汗が伝った。

 

 「私は??? あ、え、はい。……みな、夢芽の、ことも……好きです、けど」

 

 下の名前で呼ぶよう散々しつけたのにまた名字で呼びかける。減点。暦と夢芽を往復して彷徨う視線も忙しなく、あの夜告白してくれたような男らしさは微塵もない。取ってつけたような答え方も到底満足出来なくて、夢芽は心を鬼にした。果たして自慢の恋人は、耳を真っ赤にしながらも、唐突に蚊帳の外で呆けた暦を一瞥して、勇気をかき集めるように深呼吸すると、

 

 「や、大、好き、です……」

 

 口を右手で覆って、穴があったら入りたいと言わんばかりに地べたに目を落とす。耳を澄まさなければ聴こえない小声だったが、夢芽はばっちり拾っていた。及第点。滑らかに出る決まり文句。

 

 「よく出来ました」

 

 我知らず熱を持った頬は、身内の様なものとはいえ暦の前で大胆な真似をしたせいだろう。蓬の中で暴れる羞恥が遅れてやってきて夢芽はそっぽを向く。一部始終を見届けて、漸く暦が口を挟む。

 

 「……何? 今の振りだったの?」

 

 「結果的には……」

 

 「そこ否定しないんだ……」

 

 若いって凄いねと、眩い物を見るように、暦がもう一度笑いかけた。

 河川敷でガウマに追いかけられて一緒に走っていた大人の人が、今は実際に空けた距離以上に、遠ざかったように感じられて。

 彼の通り過ぎた過去と、夢芽と蓬の今と。

 憧れの下に隠れた傷跡に、口下手な姉の姿が重なった。

 前に進む度積もる、密やかな寂しさ。

 

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