十月三十一日。死者と生者が廻る夜。おおよそ三ヵ月振りにけたたましく鳴り響いていたガウマ隊の通知音も、鳴りを潜めて暫くが経つ。現地の蓬や夢芽の意向を汲んで捜索は打ち切りとなり、漸くSNS上からコスプレ隊長擬きを血眼で探すという気の触れた作業から解放され、肩の荷が下りた飛鳥川ちせがある疑念を覚えたのは、ガウマ隊の既読数が〝4〟で止まったのを確認してからの事だった。
この数字が正しいグループの人数分埋まることはない。それに気付いた時は胸が痛かったけれど、三ヵ月という時間は事実を淡々とした現実へ認識をすり替える。痛みに適応すると、そんな自分を冷たくも感じる。
この数字に対する感傷はわざわざ聞き回って確かめるまでもなく、ガウマ隊の誰もが感じているものだろう。着信の履歴だって、隊長の名前は段々下になっていく。電子の記録は雪みたいに儚い。消え去って忘れ去られるものと残ったまま忘れられるもの。どちらも大差はないけれど、疎外感としては後者の方が苦しい。それをちせは、実感として知っている。
そう。
疎外感である。
ここに欠けることを余儀なくされた数字がある。隊長は元より、近頃再就職を果たして顔を合わせてないちせの従兄弟もまた、遅れて既読を付けては反応がないことがままあった。数字の変動で生存を確認するのみで、従兄弟はすっかり社会の歯車に組み込まれてしまっていた。黙りこくっていては幽霊と何ら変わりない。ちせが隊長らしき人影の画像を送信した時だって、彼は既読スルーの沈黙を破らなかった。おのれ社会人。そんなに仕事が偉いのか。それをわざわざ口にする程、ちせも子供ではない。あるのは緩やかな失望と寂寥だけ。
しかしだ。
蓬と夢芽の連絡も途絶えて久しい。
目下飲食業界に首輪をかけられた元・無職も浮上せず、数字の足跡を残すのみ。
ここで、もしや――と、一つの閃きがちせを襲った。
『ガウマ隊』でなく、年の離れた従兄弟本人へちせは一報入れる。『先パイ、今どこっすか?』という素っ気ない一文にすぐさま既読が付く。短文で返って来るおおまかな居場所は如何なる偶然か、ちせが先刻までネットの海を介して調べ回っていた都内駅付近。ここに来てちせの根拠のない直観は確信に至る。簡素な文は更に流れ、
『蓬君と南さんも一緒にいる』
点と線が繋がったその瞬間、ちせの中で何かが切れた。
この悩みからちせを掬い上げてくれていた、頼りになる隊長はもうおらん。
チュッパチャップスを咥え込み、少女は夜の街へ足を繰り出す。
◇
齢三十三にして、二十一回もの面接で頭を下げ続けお祈りメールを送り返された後も、ここまで申し訳ない気持ちにはならなかっただろうと山中暦は思う。駅前の広場に呼び出され、ガウマ隊一同横並びとなり、まるで死刑囚の様に沈痛な面持ちを伏せながら、顔半分にスカルメイクを施した飛鳥川ちせのお叱りを待つ。
「ひっどくないすか……? 皆して仲間外れにしてぇ……私、今日一番働いてたつもりなんですけど」
「「「ごめんなさい……」」」
散々叫んだ開戦の号砲(バトルゴー)より重なる謝罪の意。それで一応は溜飲を下げてくれたのか、ちせはむすっと鼻を鳴らしては『宜しい』といった顔をする。暦が献上したカニカマを一齧り、ジト目で順繰りに皆を見回して、
「南さんとよもさんは百歩譲って許します。私と分担してたんで。……先輩は、なんでここいるんすか?」
それこそが肝要なのだと、ここ一番で胡乱気なちせの眼差しが暦の顔にピタリと止まる。
「や、皆がガウマさん見つけたって言うから、仕事早退して、流れで」
「……それってサボりっすよね」
「そうとも言うね……世間一般には……」
手心のない評価を暦は甘んじて受ける。その上で、自分を気兼ねなく送り出してくれた社内の人達の事を思い出す。行方知れずの友達――他者にガウマの事を説明する時、自分から出たその言葉に自分で驚いたものだけど、怪獣災害の起きた社会には、上手に別れられなかった関係性がごまんとある。だから暦の事情も、多くは語らずとも理解してくれたのだろう。けれど、返ってその優しさが痛かった。
自分が周回遅れの人生に流されている間にも、大人になる過程で各々が培っていったもの。そうした正しさを既に持っている人達に囲まれていると、この先自分も同じものを返せるだろうかと、押し付けられている訳でもないのに不安になる。
ところどころ抜けていたガウマの側が如何に楽だったか、社会に出て痛感する日々。
口にする程でもない取り留めもない思考。目の前を見ていない暦を引き戻すのは、肩を揺らした従妹の笑い声。
「駄目駄目じゃないすかっ。また無職に逆戻りですよ、先パイ」
「なんで嬉しそうに言うの……?」
背中から腰のやや上当たりをポンポンと叩かれる感触。いつ隣に回られたのかわからない。神出鬼没のちせの瞬発力は相変わらず縮地の域であり、嘲笑う少女の半目に見上げられて暦は溜息を吐く。
就活に精を出してからというもの、こんな風にちせに翻弄されるのも久し振りでいっそ懐かしい。戻って来たノリに釣られたのか、蓬も夢芽もさっきの謝罪ムードから相好を崩している。和んだ雰囲気で蓬が乗じる。
「ちせちゃんとも合流した事だし、これから歩いて回りません? ハロウィン?」
「でも、そろそろ補導される時間じゃない?」
ほど良くマイペースに見えてきっちりしてる夢芽の提言。思えばガウマの緊急招集に呼び出された当日、あの日が日曜であったことをはっきり物申したのも彼女だけだった。更に深く掘り返せば、前にも歩道の時間帯にとあるコンビニで集まった時、暦を〝大人〟という保護者扱いしてくれたのも彼女だけである。
スーツという社会人の称号を得た段になって、さりげなくスルーされている現実に暦は人知れず傷付く。日頃の行いが祟ったのか、大人や子供で区別することなく〝山中暦〟という個人として受け入れられている証拠なのか。兎にも角にも自分から言い出さない事には何も始まらず、暦は控えめに挙手する。
「大丈夫じゃない? 大人ならいるわけだし。……一応、今は無職じゃないから。飛び入り参加するつもりなかったから、ハロウィンっぽくはないけれど」
高校生組の〝その手があった〟といった表情に複雑な気持ちを抱きつつ、暦は視線を右斜め下にスライドする。肩から倒れるように身を傾け、暦を見上げる従妹の眼差し。たぶん、自分が大々的に大人ぶることを、ちせは快くは思わないだろうと、そう予測していた。
予想を裏切り、何故だか爛々と輝いていたその瞳に、暦は一周回って恐怖を覚える。
いつもの如く見慣れたアームカバー――公の場では、未だその防御は健在のようだ――の下から、手品の如く隠していたのか、多種多様のメイク用品をまるでアニメや漫画で見る刃物使いの様に指と指の間に挟み込み、ちせは新薬が試したくて堪らないマッドサイエンティストのように生き生きと暦に言う。
「先輩、やっぱ私、仲間外れはよくないと思うんです」
「……お、お手柔らかにお願いします」
悲しいかな。従妹の前で染みついた条件反射と社会で揉まれた刷り込みは、断ることを許さない。
久方振りに従兄弟に振り回される感覚は就労に励む気怠さと比べれば些かマシで、遊んで貰っていたのは、寧ろ自分の方かもしれない――なんて、振り返るは子供部屋の日々。
今宵はハロウィン。
せめて今夜くらいは、このスーツが仮装に見えなければいいと暦は切に思う。
ここにいる少年少女の青春を守りたいなどという高潔な精神は持ち合わせていない。
ただただ金輪際、職質されたくない。
◇
一緒にいる理由が先にあって、誰も目的地は決めなかった。
出遅れを挽回するかのようにちせが先陣を切り、蓬と夢芽は後に続き、暦がつかず離れずの速度で最後尾を維持する。前から顔面ハーフスカルメイク少女。ぐるぐる包帯ミイラヘッド、お化けの夢芽に続き、最後尾を死守するは、まるでガウマの目のクマのようにアイシャドウを塗った暦――ちせ曰くコンセプトはブラック企業で疲弊した社畜ゾンビという設定らしい――年齢も属性もバラバラな、河川敷の高架下から這い出た死者のパレード。
五千年前の魂の影に化かされた、夢現の黄泉路。
ちせと落ち合った駅前の広場から出て、街道には溢れた人混みが十字路を境に別れた川の様になっている。人波の向こうで煌々と照る名の知れた家電量販店の赤い看板が一際目につき、そのはす向かいのビルで大々的に同じCMを繰り返す大型ディスプレイから散々流れる〝うっせぇわ〟が段々お経の様に聴こえてくる。肩をぶつけないのが難しいくらいの人垣はイモセ市中の若者達を搔き集めたかのような有様で、やはり学園祭の比ではない。夢芽達とコンセプトが似たり寄ったりの格好と何度もすれ違い、舞浜で夢の国を牛耳っている住人達と見紛うような趣向も散見され、その中に最近破竹の勢いでお茶の間を圧巻する某鬼退治作品の特徴的な半々羽織や唐松模様も混ざって、国境を越えた闇鍋の様に人々が蠢く都心。
「人すご……」
「ね。来た時より多くなってない?」
思わず漏れた夢芽の呟きに蓬が首を返す。すぐ前を歩く彼の声すら、手を繋いでないと遠ざかってしまいそうだった。いつぞやの色塗り怪獣が壊しかけたショッピングモール内のパニックが、歩く速度で延々と続く祭りの喧騒。一般道路を埋め尽くす人の洪水に押し退けられて、夢芽達は建造物の立ち並ぶ歩道を歩く。その道中申し訳程度の景観を保つためにポツンと生えた木立の下だけは、待ち合わせ代わりに人が立ち、通りがかる歩行者も避けて歩いていた。そこを一時の休憩所に選び夢芽と蓬は足を休め、いつの間にか後ろに押し流されていたちせもまた、息も絶え絶えに人混みを抜け出てきた。大人の脇腹の下でプレスされかけていた彼女は、息を継いで膝に手を突く。彼女は今し方抜け出た人の塊を見返して、
「はぐれないようにするだけで大変っすね~……。あれ、先輩は?」
夢芽と蓬は四方を見回す。
小規模な円状のスペースを描く木の下に、見知った成人男性は一向に現れなかった。
「「迷子じゃん……」」
夢芽は蓬の声が重なった。誰であろうとはぐれる可能性はあったとはいえ、その誰かが暦であったことへの暗黙の了解。心配より落胆が勝ったちせの表情がガウマ隊における彼の立ち位置を物語っている。とは言っても一大事には相違なく、蓬が夢芽の手を離れて前に出た。
「俺、暦さん探しに行くから、二人は分かり易いとこで待ってて」
首を返してそう言った蓬の眼前で、まだ彼の温度が残る左手を夢芽は見つめる。カラオケを出てから殆ど離れることのなかった掌。蓬が何かを察したように真剣な面持ちで、
「すぐ戻るから」
「お土産、待ってるから」
「あっさりしてんね……暦さん以外期待しないでよ」
眉を下げて蓬が苦笑する。夢芽は温度の残る左手を後ろ手に隠して、自分よりも未練っぽい蓬の反応に心密かに満足した。
「お願いしていいですか? よもさん?」
ちせが掌を合わせて蓬に頼み込む。首肯を返し、彼は渦巻く人垣の方へ走り出すと、
「うん――じゃ、また後でっ」
駆け出しながら夢芽の方に振り向いて、傷跡のついた手の甲を振り上げると、蓬は群集に呑まれていった。
控えめに手を振り返す夢芽の隣で、ちせは後ろ頭で手を組みながら小さくぼやく。
「こんなんなるんなったらもっと派手なメイクしときゃ良かったな……」
「……ただのスーツじゃ、見つけ難いよね、この中じゃ」
いつものジャージであれば暦の捜索ももっと容易かったのに。夢芽でさえそんな連想をする程あの緑は暦のシンボルになっているのだから、ちせも同じものをイメージしたのだろうか、チュッパチャップスのスティックがはみ出した口元をおかしそうに綻ばせていた。
「この人混みで転んでなきゃいいんですけど。初めてダイナゼノン出た時も、転んで逃げ遅れてたんで、あの人」
「暦さんが足早かったら、今どんなだったかな」
あらゆる偶然が交わったあの日をお笑い種に語るちせに、夢芽も他愛のない冗談を返す。そもそもの前提がひっくり返る仮定に、意味なんてないのかもしれない。ただの仮設に付き合って、ちせは夜空を見上げながら飴を口内で転がし、
「――まず就職してませんね、絶対。あと、私もあの子に会えなかったと思います」
後ろ手を背に放たれた言葉。思いを馳せる青い瞳。今も彼女の眼には、翼を広げた怪獣の友達が映っているのかもしれない。夢芽も同じ空を見上げてその光景を幻視する。自分を助けてくれたあの金色の飛竜の鳴き声が、『いつまでも引き摺ってんじゃねぇよ』と、優しく言ってくれた気がした。
「じゃ、今が良いね」
ちせの横顔に向けて、夢芽は呟く。
「はい、今が良いです」
夢芽に視線を返し、ちせが答える。
秘密を共有した心地で二人微笑む。暦には悪いけれど、ちせとの距離が縮まった気がして嬉しかった。ゴルドバーンと邂逅したあの夜、無自覚の言葉や態度で、彼女を傷つけてしまったから。選んでダイナゼノンに乗っていた夢芽と、選べなかったちせとの隔たり。怪獣も戦う理由も失って、取り戻せたものがまた一つ。気にしているのは、自分だけかもしれないけれど、姉の影を追いかけている内に見落としていた大切な物を、これからも拾い直していきたかった。
「取り敢えず、先輩達どこで待ちましょうか?」
ぐるりと周囲を見渡しても、中学生のちせの目線では人垣を越えられない。踵を上げて背伸びをする彼女の隣で、夢芽もなんとはなしに視線を配る。ちせの頭を飛び越して目に入ったのは――遠くで人々を封鎖する様に、路肩に横付けされた一台のキッチンカー。
それこそ夢の国にありがちなポップな配色で、ハロウィンらしくランタンの飾られたその車の窓口から、店員が何を手渡しているかを夢芽は視認する。反射的に、人差し指はその方角に向かっていた。
「あそこ、行かない?」
「なんかあるんすか?」
寝かせた右手を額に翳し、夢芽の指した方に目を細めるちせ。彼女の目線からは、派手な車の屋根がギリギリ見えるくらいで、その全貌は掴めないだろう。夢芽は少し勿体つけて、その概要をちせに耳打ちした。
「――」
雑踏の中で確かに届けた魔法の言葉は、夢芽の手の内に籠ってちせの鼓膜を揺らす。
飴を転がしスティックを跳ね上げて、彼女がドクロ側の左頬を吊り上げた。
待ち合わせ場所の算段は遠く彼方、カニカマで埋まらない育ち盛りの空腹に、夢芽は正直に従った。