「この世界が創造されて間もない頃。偽善者の大悪神ゴッドは、天界の黒き羽の者達を欺瞞していました。愛などという彼らの妄言によって、黒き羽の者達は耐え難い苦しみを受け続けていたのです」
壇場に立つ神官が厳かに両腕を天に掲げ、講説を始めた。その神官は、両側頭部には闘牛が持つものに似た巻き角を、背中にはコウモリのような黒い羽を生やした初老の男である。
「その惨状に胸を痛めていたのが、世界の救世主、偉大なる大天使メフィスト様でいらっしゃいます。ある時メフィスト様は、父なる大神サタン様の旗の下、大悪神ゴッドとその配下である白き羽の邪神達の虐政に決起し、勇敢に戦いを挑まれました。創世記戦争の開戦です」
神官が立つのは、大聖堂の中。ドーム状の天井は高く、陽が落ちきった今、燭台の薄暗い灯りだけでは最上部分は闇に包まれている。
その天井を支える無数の柱には、神官と同じく二本の角と黒い羽を生やした、異形の獣達の彫像が飾られている。三叉槍を構え、下卑た笑いを浮かべながら地上にひしめく信者の群れを見下ろしていた。
「天界を二分し、六百六十六日間にも渡り続いた激しい戦は、ゴッドの戦死により遂に幕を閉じました。そしてメフィスト様達は、残りの邪神達をこの魔法都市リニアの地下深くの地獄に封じ込めることに成功したのです。世界の秩序はあるべき姿に書き換えられ、黒き羽の者達は愛や平等などという詭弁に踊らされる恐怖から解放されました」
同一のローブをまとった黒い羽の信者達は息を凝らして神官の口から紡がれる言葉に聴き入っている。中には感極まってむせび泣く者もいる。
「我々には、他者の幸不幸や生き死にのために余計な体力や気力を消耗する必要は一切ありません。ただ己の欲望を満たすために、ありとあらゆる手段を用いて邁進することこそが、尊い生き方なのです。我々がこうして健やかな日々を送ることができるのは全て、完全無欠の大天使メフィスト様の御力によるものです」
神官の教えに疑問を持つ者はいなかった。それこそが、現在の満たされた自らの境遇を担保する真理であった。
「我々がこの背中に持つ高貴な黒き羽は、我々が救世主メフィスト・フェレス様の直系の子孫であることを示しています! そしてここにいるあなた方は、己の野心のために他者を蹴落とし、あるいは利用しながら激しい闘争を勝ち残った選ばれし強者なのです!」
淀みなく泰然としていた神官の調子が、激情を帯びたものへと変わった。紅潮し、掲げた両腕を震わせる。
そして彼が振り向き視線を移した先の祭壇には、『生け贄』が横たわっていた。
「一方で、白き羽を持つ者達は、世界を混沌に陥れていた邪神の末裔です。白き羽の者達は未来永劫、我々に隷属し、その罪を償い続けなければなりません」
いつの間にか神官の右手には抜き身の短剣が握られていた。ちょうど狩猟で仕留めた鹿や猪を解体するのに手頃の大きさである。
神官は重々しい足取りで祭壇の側まで近づき、『生け贄』を眼前にして逆手に持ち直した短剣を振り上げた。そして身のうちに秘めた凶悪性を凝縮したような笑顔で信者達を見渡す。
「だからこそ白き羽の者共は、我々黒き羽の繁栄を存続させるための生け贄として、その身を捧げる必要があるのだ!!」
『生け贄』の処刑という至高の娯楽の開幕に、信者達の気の高ぶりは最高潮となった。神官の邪念と信者達の欲望が一体となり、大聖堂は異様な熱気に包まれた。
その時だった。大聖堂の正面扉が勢いよく開け放たれ、一人の男が飛び込んで来た。
「やめろ! 今すぐ儀式をやめさせろ――!!」
男の絶叫と同時に、『生け贄』の心臓へ短剣が突き立てられた。