BLACK/MATRIX REACT   作:suiru

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第三章 太陽の神殿

 

 

「やっぱり、ピリポ君はそういう服が似合ってる! 名家の御子息って感じだね」

「か、からかわないで欲しいな…」

 ディーナの心からの称賛の言葉に、着替えを終えたピリポは微かに顔を赤らめた。

 辿り着いた聖地リベイラの宿の一室で、脱獄したばかりのディーナ達は貧相な身なりを整えていた。

「ヨハネさんに出会えて、運がよかったよ。あの人がいなかったら、僕達は街に入ることすらできなかったよね」

 ディーナ達白き羽の者達は、ヨハネが使役している奴隷ということで示し合わせ、街へと入った。白き羽の者は、例外なく黒き羽の者に仕えることを義務付けられている。単身で活動している白き羽の者は、見つかれば直ぐ様逃亡奴隷として捕らえられ、牢獄か競売場へ送られてしまうのだった。

 宿の主人はディーナ達のみすぼらしい姿を見るなり彼女達を追い返そうとしたが、ヨハネが金貨の詰まった小袋をちらつかせると、態度を豹変させ、特上の部屋を貸し与えた。

 囚人の身であったヨハネが潤沢な路銀を持っている理由は謎のままである。

「こうやって、綺麗な服にも着替えることができたし…。でも、レブさんは上着を着ないままで大丈夫なのかな?」

 ピリポは寝台で気持ちよさそうにいびきをかいているレブロブスを見つめた。

「見せびらかしたいんだろ、無駄についてる筋肉を」

 装いを正したガイウスがディーナ達の部屋に入るなり、レブロブスへ皮肉を浴びせた。皺一つ無い、下ろしたての服が彼の精悍さを引き立てている。

「おい、何か言ったか?」

 レブロブスは瞬時に目を開きガイウスを睨み付けると、上半身を起こし、二階の窓から気怠げに街の様子を眺めた。

「それにしてもよぉ、牢獄から出られたかと思えば、また随分と息苦しい所に着いたもんだな! そこら中から神官共の説法が聞こえるぜ」

 宗教都市の名に相応しく、リベイラには至る所に教会が建てられており、早朝から信者達が引っ切り無しに中を出入りしている。

 そして数々の宗教的建造物の中でも一際存在感と厳粛さを放っているのが、街の中央に位置するゴシック様式の大聖堂だった。かつてヨハネが街に君臨していた際に居を構えていたという、太陽の神殿である。

 宿に入る前、太陽の神殿の入り口付近を通り掛けた時、ディーナは敬虔な信徒達が全身を地面に投げ伏すようにして祈りを捧げる姿を目にしていた。

「ここはいつもいろんな国の信者や神官達が行き交っているから、私達が追っ手から身を紛らすには打って付けだってヨハネさんは話していたけれど…。人通りは激しいのに、活気を感じさせない街だね」

 ディーナは窓辺に立ち、殺伐とした街並みを眼下に見ていた。

「わしの次にこの街を支配することとなった大神官のユダは、その嫉妬深さで有名での。下手に注目を集めれば奴に難癖を付けられて殺されてしまうので、街にいる者達は目立たぬよう、つづまやかにしておるようじゃ」

 街での聞き込みから戻ったヨハネがディーナ達の前に現れ、身に付けていた仮面を外した。リベイラの住人に素顔を知られているヨハネは、街に滞在する間その正体を隠す必要があった。

「皆、旅の疲れは癒せたか? 街の庶民達からは有益な情報を得られなかった。身支度が済んだら、太陽の神殿へ赴くとしよう」

「容易く話してるが、物見遊山で讃美歌を聴きに行く訳でもあるめぇし…。じいさんに縁のある神殿なら、神殿の奴らも今頃俺達の脱走の知らせを聞いて、警備を厳重にしてるんじゃないか?」

 神殿で待ち受ける危機を察知し、ガイウスがヨハネに猜疑の眼差しを向けた。脱走犯が助けを求めて自らの出自に関する場所へ逃げ込もうとする心理を推察し、追っ手がその場で待ち伏せをしていることは想像するに難くない。

「神殿の内部には、上層部の限られた者しか知らない緊急避難用の隠し通路があり、街の外れへ続いておる。その通路を逆に辿り、神殿へ潜入するのじゃ」

 ヨハネは落ち着き払って言葉を続ける。

「多少の小競り合いが生じたところで、我々の戦力なら神官兵ごとき十分に打ち負かすことができよう。まずはそこで、我々の協力者となり得る知人と合流せねばならん」

「じゃあ、危ないからディーナはここで待っていた方がいいよね」

 ディーナの身を気遣うピリポを、ヨハネは物腰は柔らかいままに毅然と戒める。

「それはいかん! このリベイラの街は、別名背徳の街と呼ばれる程、凶事と陰謀の渦巻く街じゃ。宿の中とはいえ、ディーナのようなうら若い娘が一人でおっては、その身に何が降り懸かるかわからん。我々と行動を共にした方が安全じゃろう」

「そ、そうなの? 本当に大丈夫かなぁ?」

 困惑するピリポを安心させるように、ディーナは語り掛ける。

「ピリポ君、心配してくれてありがとう。でも私、皆に付いて行きたい。ゼロを見つけるための手がかりがあるのかどうか、自分の目で確かめたいの…!」

 ディーナの必死の形相に、ピリポはそれ以上何も言わなかった。

「戦えねぇ奴を連れて行くのは俺も反対だが、この際しょうがねぇ。とっとと用事を片付けちまおうぜ」

 首の関節を鳴らしながらレブロブスが寝台から降り、部屋から出て行った。皆もそれに続く。

「ディーナ」

 部屋から最後に退出したディーナを、廊下に一人立ち止まっていたガイウスが呼び止めた。

「お前は人を疑うこととは無縁そうな愚鈍な奴だから、言っておく」

 ガイウスの眼光に射竦められ、ディーナはその場に立ったまま石のように固まった。

「ヨハネのじいさんに気をつけろ。あのじじいは恐らく神殿で何かしようと企んでやがる。それも、お前を利用してな」

「ヨハネさんが?」

 思わぬ人物について注意を喚起され、ディーナは耳を疑った。

「ガイウスさん達と違って私には戦う力も無いし、利用する価値なんて何も思い付かないけど…。ヨハネさん、何を考えているの?」

 ガイウスは片手を挙げ、肩を竦めてみせた。

「さぁな、そこまでは俺にもわからねぇ。ただ…あいつは気立てのよさそうなじじいを装ってはいるが、今まで俺が殺してきた傲慢な野心家共と同じ目をする時がある。とんだ狸かもしれないぜ」

 

 

 

 

 街中の石畳の上をディーナ達は進む。寒々しい灰色を単色で使い、画一的に建てられた民家や教会、伏し目がちに粛々と道を歩く人々の間を通り過ぎて行く。

 歩を進めながら、ディーナは空を仰ぐ。淀んだ雲に覆われた空には、巨大な鎖が浮かんでいた。その鎖はリベイラの地を起点とし、はるか上空へと連なっている。

 頭上に迫る鎖の超常的な重厚感には、畏怖の念を抱かざるを得ない。鎖が街に落とす影が、リベイラの陰々たる空気を形作っているかのようだった。

 雲の上にある鎖の終着点に何があるのかは、ディーナには計り知れない。

「ヨハネさん、この街にいる白い羽の人達は、皆服を着ることを許されているんですね」

 ディーナは視線を空の鎖から先頭を歩くヨハネへと移し、その背中へ話し掛けた。

「わしの治世に、黒き羽達へ、奴隷として飼っている白き羽に服を着せ、四足歩行をさせないように命じたのじゃ。白き羽の者達には、少しでも人間らしい生き方をして欲しくてな…」

「そんな邪悪極まりない優しさを振り撒いてたから、競争相手に足を掬われちまったんじゃないか?」

 ガイウスがヨハネをからかうと、彼は自嘲めいた笑い声を上げた。

「保身のために他者の尊厳を踏み躙ることができる程、わしは有能な為政者ではなかったかもしれん。だが、後悔はしとらんよ」

 今に至るまで、ヨハネの言動の節々には弱者への惜しみない労りが感じられた。彼が奸計を巡らしているなど、ディーナは未だに信じることができなかった。

 やがて一行は市街地を抜けて、リベイラの外れへと行き着いた。人の往来は嘘のように途絶え、舗装されていない地面から砂塵が舞っている。

 ある橋の袂に差し掛かると、ヨハネは川に向かって土手を降った。土手の斜面には水路の引かれた空洞があり、入り口部分が数枚の木片で粗雑に塞がれている。レブロブスがリベイラの武器屋で調達した戦斧で木片を打ち砕くと、ヨハネは用意した角灯に火を灯し、空洞の中へとディーナ達を誘った。

「わしの牢獄送りが決定的となったのは、禁忌とされていたある研究を続けていたことをユダに密告されたからじゃ」

 水流とディーナ達の足音だけが聞こえる薄暗い空洞内部を進みながら、ヨハネが沈黙を破った。

「太陽の神殿の宝物庫には、世界中から集められた希少価値の高い武具が保管されておる。その中に大邪神の鎧を見つけたわしは、その鎧の研究に没頭しておった」

「だいじゃしんの…鎧? 鎧の研究をすることの、何がいけなかったの?」

 ピリポが首を傾げた。

「大邪神の鎧は、ただの防具ではない。偉大な力を秘めた伝説の鎧なのじゃ。人の手の及ぶところではないと、その鎧に関わることは神殿内で禁じられていた。話せば長くなるが…」

 迷宮のように入り組んでいる通路をヨハネは一度も立ち止まることなく歩き続ける。ディーナ達は耳を澄ましてヨハネの言葉を待っていた。

「黒き羽の者達の伝承によれば、かつて世界は愛や自由を信奉する大悪神ゴッドとその下部である白き羽の悪魔達の支配を受けていた。彼らに反旗をひるがえし、父なる大神サタン様の御加護のもと聖戦を始めたのが、黒き羽達の救世主である大天使、メフィスト様じゃ。黒き羽達を従えたメフィスト様は、ゴッド達との永きに渡る戦いの末、勝利を収めた」

「その聖戦というのが、ゴルゴダの牢獄でガイウスさんが話していた創世記戦争のことなんですね」

 ディーナはガイウスとヨハネの話を結び付け、この世界についての理解をまた一つ深めていた。

「創世記戦争で命を落とした白き羽の悪魔達の中には、格別に強大な力を振るった、七大邪神と呼ばれる者達がいた。その者達は、それぞれ万物の根源と、今の世界で言うところの七つの大罪を象徴する力を有していた。大地と正義を司る大邪神、ミカエル。生命と愛を司る大邪神、ガブリエル。太陽と人権を司る大邪神、ラファエル。炎と自由を司る大邪神、ウリエル。水と弱者への慈悲を司る大邪神、サリエル。大気と友情を司る大邪神、ラグエル。そして、謎多き大邪神、メタトロン。残された平等を司る大邪神だと言われておるが、その全貌は明らかにされていないままじゃ」

 ディーナは心なしかヨハネの話し振りに熱がこもるのを感じた。

「大邪神達は戦の中で命尽きる寸前、自らの力を絶やさぬよう、その力を身に付けていた鎧に注ぎ込んだと言われておる。太陽の神殿には、大邪神メタトロンが創世記戦争で着用していたという鎧が封印されておるのだ!」

「じいさんよ、熱くなってるところ水を差すが…まさかそんな昔話を信じて、危険を冒してまで鎧のために神殿に忍び込むってぇ訳じゃねぇよな?」

 レブロブスが苛立ちを隠さぬまま声を荒げると、ヨハネはつと立ち止まり、後ろを歩いていた彼らへ振り返った。角灯に照らされるその表情は、無機質な仮面に隠され、窺い知ることはできない。

「お主達も実物の大邪神の鎧を見れば、その人智を越えた絶対的な力に慄くはずじゃ。鎧の力を手にすれば、追っ手の影に脅えることも無くなる。ディーナよ、お主の主人を救い出すという難関の多い目的を達するためには、必要不可欠なものだと思わんか?」

 ヨハネの口調は穏やかだが、有無を言わせぬ気迫があった。

 彼が立つ位置は行き止まりかと思いきや、目の前の壁には梯子が埋め込まれ、彼の頭上はるかに続いている。神殿内部への潜入の嚆矢だった。

 

 

 

 

 梯子を登り切り、天井の板に力を籠めると、板が外れ光が差し込んだ。梯子の上に身を乗り出し地面に足を着けると、そこは神殿内の祭事を執り行うような広間であった。殺風景な部屋だが、磨かれた大理石の床や敷き詰められた赤い絨毯が静かに神殿の資力を称えていた。

「ここはまだ神殿の中程じゃ。宝物庫は神殿の最深部にある。わしは捕まる直前、鎧の研究を共に行っていた弟子に宝物庫の鍵を預けてきた。ひとまずその弟子と落ち合いたいのじゃが…」

「残念だったな、じいさん。やはりそう簡単に宝探しはできないみたいだぜ」

 思案するヨハネを尻目に見ながら、ガイウスが槍を取り出し肩に担いだ。

 一行の前に、法衣を纏い、巻き角を生やした黒い羽の神官達が二人立ちはだかった。神官達は神殿の巡回中、突如現れたディーナ達に狼狽している様子だった。

 神官達の背後には、全身を濃紫の甲冑に身を包んだ騎士が控えている。顔の表面も兜に覆われ、禍々しい威圧感を周囲に与えていた。

「おい、あいつが着てるのが大邪神の鎧って奴か!?」

 レブロブスがヨハネに問い掛ける。

「いや、違う! あれは、創世記戦争で名を残すことなく散った下級の白き悪魔達が使用していた鎧を身に付けた、邪道騎士と呼ばれる者。悪魔の鎧の潜在能力は、大邪神の鎧に比べればはるかに劣ると言われておるが、手強い相手であることは確かじゃ。かような所で、邪道騎士と相見えるとは…!」

 普段から冷静さを失わないヨハネが、少なからず動揺しながら騎士の正体を答えた。

「あんなもん、ただの鉄の固まりじゃねぇか! 他の奴らと一緒に叩っ斬ってやる!」

 戦斧を構えたレブロブスの瞳に鋭さが増した。

「邪道騎士って、見るからに強そうだなぁ…。ディーナは後ろの方に下がっててね…」

 ディーナの前に立つピリポはか細い声を上げて、弓に矢をあてがった。

 神官の一人が法衣の袖口から硝子の小瓶を抜き出し、中に入っていた紅血を床に滴らせた。そして錫杖をかざし呪文を唱えると、床に溢れた血は浮かび上がり弾丸の雨となって、彼に接近し槍を振るおうとしていたガイウスを襲った。

「こいつらも魔法を使うのか!」

 ガイウスは辛うじて攻撃を避け、代わりに緋色の弾丸は大理石の床にいくつもの穿孔を作り出した。

 ピリポは邪道騎士に狙いをつけて弓を引き絞り、渾身の一撃を放った。しかし邪道騎士の鉄壁の鎧は矢を跳ね返し、矢は虚しく床に落ちた。

「駄目だ…! 僕の矢なんかじゃ歯が立たないよ…!」

「情けねぇ声を出すんじゃねぇ!」

 打ちひしがれるピリポを叱咤しながら、レブロブスがもう一人の神官へ斬撃を繰り出した。神官はその一振りを躱したが、レブロブスはすかさず斧の石突で神官の後頭部を殴打し卒倒させた。

 その場に倒れた神官に止めを刺すためレブロブスが斧を振り上げると、颯爽と剣を抜いた邪道騎士が彼に斬りかかった。

 迎え撃つレブロブスの戦斧と邪道騎士の剣が、激しい音を立てて衝突する。

「く、くそっ…!」

 レブロブスと邪道騎士の力は拮抗していた。邪道騎士の予想外の膂力に、レブロブスは焦慮の声を漏らした。

 一方、ガイウスが神官の執拗な攻撃魔術の標的となっている間に、神官の背後に回り込んだピリポが彼の肩に矢を命中させた。攻撃の手が止んだ瞬間を見逃さず、神官との距離を詰めたガイウスは、突き出した槍で相手の腹部を貫いた。

「じいさん、こっちは片付いた! 早くレブの野郎を援護しろ!」

「わかっておる!」

 ガイウスが息の根を止めた神官の血液を触媒とし、ヨハネが魔術の詠唱を始めた。ヨハネが出現させた光弾は、レブロブスと武器を交えていた邪道騎士に直撃した。

 爆風に煽られ、膠着状態から解放されたレブロブスは斧を手にしたまま後ずさった。

「こいつ…! なんてぇ馬鹿力だっ!」

 ヨハネの魔術をその身に受けた邪道騎士は大きくよろめいたが、鎧の守護の力のためか、ゴルゴダの牢獄の看守達のように身体を溶解させることはなかった。

 そして、邪道騎士は侵入者達の前で初めて言葉を発した。

「…さすがは、大善神サタン様をも恐れぬ邪教徒達ですね」

 邪道騎士の声を耳にして、ディーナは驚愕した。

「女の人の声! レブロブスさんと互角に戦っていた人が…!?」

「ここまで追い詰められてしまえば、仕方ありません。相討ち覚悟でいかせてもらいます!」

 邪道騎士は両手を掲げ、精神を集中し始めた。すると、彼女の頭上に燦然と輝く光の球が現れた。光球はさながら小太陽のように広間一帯を照らし出し、ただならぬ気配を生じさせた。

「その声、ルピルピであるな! 攻撃を止めるのだ!」

 ヨハネは邪道騎士に向かって叫ぶと、仮面とフードを外し、自らの姿をさらけ出した。

「う、嘘…!? お師匠様!?」

 邪道騎士は即座に魔法の詠唱を中止した。そして凄まじい速さでヨハネの元へ駆け寄った。

「私ったら、お師匠様と気付けず何たる御無礼を! お許しください…!」

 ディーナは、ヨハネと邪道騎士が師弟関係にあると悟った。

 先刻まで敵対心に満ちていた邪道騎士の語調からは、すっかり警戒心が解かれていた。その声は澄み切って、聞く者の耳に心地よく届いた。

 ヨハネは申し訳なさそうに邪道騎士を見つめ、首を横に振った。

「わしの方こそ、すまぬ。故意で無いとは言え、お主を傷付けてしまった…。しかしルピルピよ。お主が何故、神官兵達とこのような場所におったのじゃ?」

「ユダに命令されたのです。ゴルゴダの脱獄囚達が、宝物庫を狙ってこの神殿内に侵入するはずだから、見つけ次第殲滅するように、と…」

 邪道騎士は、自らが師と仰ぐヨハネを失脚させた人物の名を恨めしそうに告げ、うなだれた。

「そうか…お主は既にユダの配下の神官となってしまったか。我々は進む道を違えてしまったのじゃな」

 ヨハネが錫杖を握る手に力を込めると、邪道騎士は慌てて顔を上げた。

「ス、ストッープ! お師匠様って、本当に私の弟子心をわかってくれないんだから! 私にはもうあなた方と戦う気は毛頭ありません! わざわざここまで来られたということは、何か理由があるのでしょう? 私も協力いたします!」

「ル、ルピルピ殿…! どういうおつもりですかっ!」

 意識を取り戻した神官が上体を起こし、血相を変えて邪道騎士を問いただした。

 邪道騎士はけろりとした様子で神官へ答える。

「どうもこうも、お師匠様が帰参されたので、私も弟子として御一緒させていただくだけです」

「ユダ様を裏切るのだな! 許さん!」

 神官は呪文を唱えて血の弾丸を飛ばしたが、邪道騎士は難無くその弾を剣で弾き返した。そして瞬く間に神官の側まで近寄り、彼の喉元を掻き切った。

「私が生涯お仕えすることを心から決めた方は、お師匠様ただ一人。ユダなんかの手下になった覚えはありません」

 剣を鞘に納めると、邪道騎士は兜を脱いだ。現れた薔薇色の美しい巻き毛を手櫛で整え、ディーナ達に向き直る。

「さぁ、お師匠様。私に何なりとお申し付けください!」

 邪道騎士はつぶらな瞳を輝かせ、笑顔を見せた。ルピルピと呼ばれているその邪道騎士の実態は、ディーナと同年程の、愛らしい姿容の女であった。

 

 

 

 

「こうして、生きて再びお師匠様と巡り会える日がやって来るなんて…夢のよう! この感動を何時でも思い起こせるように、日記に書いておかなくちゃ!」

 戦闘が行われた広間で一同は話を続けている。

 ルピルピは満面の笑みを湛えながら手帳を取り出し、忙しそうに筆を走らせていた。

「ルピルピ、わしはもうお主に師匠と呼ばれたり、お主の前に姿を見せたりするような資格も無いただのお尋ね者じゃ。だが、恥を忍んでわしはここに戻って来た。我々はこれから大邪神の鎧の封印を解放するため、宝物庫へ向かおうと思っておる。どうかお主の力を貸して欲しい」

 ヨハネの言葉にルピルピは手を止め、手帳に落としていた視線をヨハネに戻した。

「ということは、大邪神の鎧の適合者が見つかったのですか!? もしや、この中に……?」

 ルピルピはヨハネ以外の男達の顔を順繰りに刮目していった。

「うーん? やっぱり本命はこの筋肉ダルマかしら? でも、こっちのキザ男もなかなかいい動きをしていたわ。あっ、この男の子も射撃のセンスがあったわ、磨けば光る原石だと思う!」

「筋肉ダルマか! そいつはいいな!」

 ガイウスが堪え切れずに笑い出すと、レブロブスは顔を引きつらせた。

「じいさん、この女、一発ぶん殴っていいか?」

「冗談はさておき、じいさん! 今の話でようやくお前さんの魂胆が読めてきたぜ」

 気の済むまで笑い終えたガイウスは、ヨハネを見ながら表情を引き締めた。

「じいさんが執着してる大邪神の鎧とやらは、何かしらの素質がある奴しか着られないんじゃないか? そしてじいさんは、俺達の中に鎧の装備者の当たりを付けている。他の奴らはその大事な装備者を鎧の所まで送り届けるための、護衛役って訳だ」

「ガイの勘の鋭さには恐れ入るのぅ…」

 ヨハネは観念したと言わんばかりに苦笑し、話し始めた。

「大邪神の鎧は、創世記戦争で戦死した大邪神達の力だけではなくその魂をも封じ込められた、生きた鎧。大邪神の鎧が着用者を認めなければ、その者は鎧に食い殺される…。わしは、鎧の適合者がいなくとも鎧の力を使いこなす術がないか、このルピルピと研究を続けておった。しかし、研究の成果は実らぬまま、わしは捕らわれてしまった」

 ルピルピは苦難に満ちた日々を思い出したのか、ヨハネの話を聞きながら悲しそうに目を伏せた。

「だが、獄中で死を待つばかりの身であったわしに、僥倖が訪れた。ディーナ、お主に出会えたことじゃ。わしは、お主が大邪神メタトロンの力を受け継ぐ者だと確信している」

 ヨハネは陰りの無い真っ直ぐな瞳でディーナを見据えた。

「わ、私が…ですか……?」

 突然話題の中心に引き出され、ヨハネから衝撃的な告白を受けたディーナはうろたえた。

「よりによって、こいつがかっ!?」

「そ、そうよ! だってこの子は、私みたいに可憐な、ただの女の子じゃない!」

 レブロブスとルピルピが口を揃えてヨハネの主張に異を唱えた。

「でも…僕はディーナに特別な力があるっていうの、わかる気がするなぁ。僕は目の前でディーナが光り輝くのを見たから。凄く眩しかったけど…優しい光だった。その直後に僕の怪我は治って、健康な身体になったんだ」

 ピリポがディーナを見つめながら口を開くと、ヨハネは力強く頷いた。

「さよう! ディーナが牢獄で放った白き光は、大悪神ゴッドの再来を告げる、邪悪なる強者の証! お主なら、命を奪われずにメタトロンの鎧を着こなすことができるはずじゃ。忌み嫌われる大邪神の力といえども、強い力を御する資格があるというならば、使わなければそれはこの世界を生き抜くうえで、大きな損失だと思わんか…!」

 ヨハネの語り口には、鬼気迫るものがあった。

 次々とヨハネの思惑が明かされ、戸惑うディーナはしばらく俯いていたが、落ち着いた様子で話し始めた。

「ヨハネさん、ちょっと意地悪です…」

 そして、ゆっくりと顔を上げてヨハネを見つめ返した。

「ゼロの手がかりが掴めるかもしれないと私達をこの街に導いてくれたけれど、それは、大邪神の鎧の封印を解きたいという、ヨハネさん自身の願いのためでもあったんですね」

「真実を隠してお主を鎧の元まで連れて行こうとしたことは謝る。無論、鎧を着ることも強制はしない」

 ヨハネもディーナから瞳を逸らさず、真摯に謝罪の言葉を返した。

「だが、よく考えて欲しい。お主が大切な主人を屈強な敵の手から救いたいと思うのならば、メタトロンの鎧の力を得ることこそが、最善の手段なのではないか?」

「私にそんなことができるなんて…思えないけれど…」

 ディーナは拳を胸の前で握り締め、悲痛な面持ちで言葉を続ける。

 彼女の脳裏には、今まで仲間達が繰り広げた戦いと、戦った相手の息絶える瞬間の姿が蘇っていた。

「牢獄やこの神殿の中で、思い知らされました。ゼロと再会するためには、必ず誰かの血が流れる。戦う力が無いと、前に進めないって…。私には何の力も無いから、皆がいなければここまで生きて来れませんでした。こんな私にでも、強くなれるきっかけが貰えるなら…試してみたいです」

 ヨハネは真剣な表情を崩さないまま、ゆっくりと頷いた。

「よくぞ言ってくれた。さぁ、それでは新手がやって来る前に宝物庫へ急ごうではないか!」

「こいつが鎧を着られるかどうかはともかく、鎧の力が本物だってのはわかった。鎧さえありゃあ、こんな小娘でも俺と同じくらいの腕っ節が身に付くんだからな。俄然興味が湧いた! 俺も付いて行くぜ」

 レブロブスがルピルピの鎧を眺めながら腕を組む。

「あのぅ、お師匠様、申し上げにくいのですけど…」

 ルピルピがためらいながらヨハネに語り掛けた。

「ついこの間、メタトロンの鎧はユダによって宝物庫から持ち出されてしまいました。鎧は今、ユダの執務室にあります…」

「なにっ!? ユダの奴、何を目論んでそんなことを…」

 ヨハネが目を見開くと、ルピルピは頬を膨らませユダへの恨み節を炸裂させた。

「あんな奴の頭の中なんて、到底理解できません! ユダの執務室だって、元々はお師匠様が使っていた神聖な場所だったのに、あいつはお師匠様が集めた貴重な書物を全部捨てさせちゃったんです! おまけに部屋全体を、悪趣味な乱痴気騒ぎをするための宴会場みたいに改装してしまって! あいつが冒した暴挙の記録だけで、私の日記の大半は埋め尽くされています!」

「お前の日記って、復讐日記なのかよ!?」

 手帳のページを一心不乱にめくるルピルピに、ガイウスは呆気に取られていた。

「そうなると、鎧を手にするためにはユダとの衝突は免れんな。まぁよい、街の支配者となって権力を手にした現在のユダなら、ディーナの主人を連れ去った異端審問官達についても何か知っているかもしれん。むしろ好都合だと捉えよう」

「悪いが、俺は先に宝物庫へ寄らせてもらう。俺にとっては、そんな物騒な鎧よりも、宝物庫にある他の武器の方が魅力的なんでね」

 ユダの元に向かうため広間を出ようとしたヨハネの背中へ、ガイウスが言い放った。

 レブロブスがガイウスに悪態をつく。

「盗賊の血が騒ぐってか? がめつい奴だな、お前は!」

「強い武器が手に入れば手に入るだけ、俺達の戦いが有利になるってこった。単細胞のお前と違って、俺は常に物事の先を見通してるのさ」

「わかった。神殿内は迷いやすい。ルピルピ、ガイを宝物庫まで案内して鍵を開けてあげなさい」

 ヨハネは振り返り、ルピルピへ指示した。

「えぇーっ!? せっかくお師匠様と再会できたのに、別行動をしなきゃなんて…。しかも、こんな皮肉屋のキザ男と…」

「俺もお前みたいな跳ねっ返りと連れ立つなんて御免だね。一人で十分だ。鍵だけよこしな」

 不満の声を上げるルピルピを睨み付けながら、ガイウスは彼女に片手を差し出した。

「えっと、夫婦喧嘩は犬も食わないって言うから、止めなくていいのかな?」

 場の空気を取り持とうとしたピリポは、喧嘩の当事者達から敵意の籠った目を向けられると、身を竦ませてディーナの羽根の後ろへ隠れた。

 最終的にガイウスとルピルピはヨハネになだめられ、共に宝物庫へ赴くことになった。

 二人と別れた残りの者達は、ヨハネの先導に従い、ユダの執務室へ向かうため神殿内を進み始めた。

「無理しなくて…いいんだからね? 鎧が無くたってきっと、強いレブさん達が君の御主人様を見つけてくれるよ」

 神殿の廊下を歩きながら、ピリポが心配そうにディーナの顔を覗き込んだ。

「ありがとう。それに、ピリポ君だっていてくれるもんね」

 ディーナは自分の身を案じるピリポに顔の強張りを悟られないよう、精一杯笑って見せた。

 

 

 

 

 ユダの執務室に到着するまで、ディーナ達が他の神官兵達に遭遇することはなく、神殿内は異様な静けさに包まれていた。

 ヨハネが荘厳な両開きの扉の前に立ち止まり、扉の持ち手に手をかけようとすると、扉は彼らを招き入れるかの如くひとりでに開いた。

 中に足を踏み入れたディーナ達の目に飛び込んできた部屋は、執務室というよりも舞踏会場とでも呼ぶ方が相応しい、絢爛豪華な大広間だった。そして、開かれた扉の目前には、きらびやかな衣装を身に纏った見目麗しいユダの部下達が、ディーナ達を出迎えるように左右に分かれて整然と居並んでいた。

 広間の奥には中二階へと続く階段が線対称に二箇所建てられており、階段を上がった先はバルコニーとなっていた。そこには贅を尽くして作られたソファとローテーブルが置かれており、ソファには部下達と同じく自らを盛装し、奇抜な化粧を施した人物が悠々と足を組んで腰掛けていた。ヨハネと同じく、黒い羽と巻き角を生やしている。

 その人物はワイングラスを片手に、ディーナ達をあざ笑いながら見下ろしている。そして、紫の紅を厚く塗った唇を開き、話し始めた。

「おかえりなさい、ヨハネ♡ 久しぶりの故郷は楽しめていますか? 脱獄だなんて…死に損ないのじじいが、随分と思い切ったじゃないですか!」

 一度耳にすれば忘れられない、特徴的な男の声だった。

 その男が放つ独特のオーラに圧倒されることなく、ヨハネも彼に再会の挨拶を返した。

「久しいの、ユダよ。どうやら、お前の底なしの嫉妬深さも、その稀有な嗜好も健在のようじゃ」

「ちゃらちゃら女を侍らせやがって、いーい御身分だぜ」

 レブロブスが周りを見渡しながら、吐き捨てるように嫌味を放った。

「ここにいるユダの部下達は全員、男じゃ。その身なりに反してかなりの手練れである。油断をするでないぞ」

 ヨハネに耳打ちされたレブロブスは、驚きの余り言葉を失っていた。

「あなたの脱獄の一報を聞いて、私は直感しましたよ。あなたは必ず、この大邪神の鎧の元へ戻って来るとね。だってあなたは、この街の支配者だった時から、片時も鎧の側を離れなかったんですもの」

 そう話すと、ユダはグラスを持つ手を真横に伸ばした。その先には台座があり、台座の上には鎖が巻き付けられている一領の鎧が載っていた。

「あれが…大邪神の鎧……?」

 バルコニーに置かれた鎧を見上げながら、ディーナは目を見張った。

 ディーナの位置から細部を確認することはできないが、それは、不思議な雰囲気を持つ白銀の鎧だった。天井に吊り下がっているシャンデリアの明かりを反射して輝いているのではなく、鎧そのものが淡く白い光を放っている。その光には、大邪神の名とは不釣り合いの気高さがあった。

「鎧への執念を捨て切れず、のこのこと神殿へ戻ったあなたを私が捕まえて牢獄へ送り返せば…人々は、私の判断力と実行力を妬み、私の優れた能力を認めざるを得なくなる!」

 ユダは高らかに笑い声を響かせた。

「だから、私の手柄のためにここまで来てくれたあなたには、褒美としてとっておきの話をしてあげますよ。あなたが御執心の、大邪神の鎧に纏わる話をね」

 ユダは空になったグラスをテーブルに置き、傍らの部下に追加の酒を注がせた。そして酒の満ちたグラスを回しながら、楽しげに口を開いた。

「私が調べ上げたところによると、この世界には既に大邪神の鎧の封印を解いた者がいるんですって! その鎧の装備者は、青臭い坊やだそうですよ。その坊やは鎧を着てから一年以上経った今も、心身に変調をきたさずにいるそうです。つまり、大邪神の鎧の適合者ならば、鎧に食い殺されずその力を思いのままにできる。あなたが立てた仮説は、検証されつつあるのです。よかったですねぇ」

 ヨハネは押し黙ったまま、ユダの話を聞いている。

 続けてユダは態とらしく眉尻を下げ、悲しそうな顔を作った。

「ところが、特定の主人を選ばない、低俗な悪魔の鎧はどうでしょう!? その鎧は、身に付けた者の生き血を見境なく奪い続ける呪われた鎧。悪魔の鎧を着た者が、半年以上生きられたという前例は今までありません! この神殿にも一人、悪魔の鎧の犠牲者となりつつある哀れな女がいるんですよ」

「それって、ルピルピさんのこと!? あんなに元気そうなのに…! ヨハネさん、本当なの…!?」

 動揺するピリポはヨハネにユダの話の真偽を確かめるが、ヨハネは尚も沈黙を貫いている。

「哀れで、愚かな女ですよ。彼女はあなたが牢獄に囚われた後も孤独に研究を続け、とうとう自分の身を実験材料として、悪魔の鎧に捧げてしまったのですから! 彼女は元々、あなたが大邪神の鎧の研究を始めることに反対していた。彼女の言うとおりにしていれば、あなた方二人の未来は変わっていたのにねぇ! ま、あなたを陥れるために鎧の研究を持ち掛けた私が言えたことではないですが」

「言わせておけば…ユダよ。愚か者はお主の方だ」

 ユダの長口上に一区切りがつくと、ヨハネはようやく口を開いた。

「お主は昔から、周りが下す評価の中でしか自分の価値を見出せぬ、虚しい奴じゃった。だから他者に下される評価が気になって仕方がなく、その評価の些細な違いが激しい嫉妬の炎となるのだろう」

 ヨハネの言葉に、ユダの表情が初めて険しくなった。

「邪道騎士の正体がルピルピだとわかった時…わしの心は乱れた。わしの行いが、ルピルピの運命を狂わせてしまったことは紛れもない事実」

 ヨハネは瞳の中に強い意志を籠めたまま、ユダに話し続ける。

「だが同時に、わしは自分が恵まれていると思ったよ。ルピルピはわしのためにその命を懸けて、わし自身ですら諦めかけていた宿願を叶えようとしてくれたのじゃ。わしには、ルピルピが悪魔の鎧を身に付けた覚悟を、共に背負う責任がある! そのためにも、大邪神の鎧は取り返させてもらうぞ」

 ディーナは、ヨハネとルピルピの間にある、単なる師と弟子という立場を超えた特別な絆の存在を感じ取っていた。

「ユダよ、お主は見栄えがよくて腕も立つ兵士を数多く従えている。だがこの者達は、お主が窮地に追い込まれた時、命を賭してお主のために戦うだろうか? 中身は空っぽで、さしたる信念も持ち合わせていないお主に、付いて行こうとするだろうか?」

 ユダは湧き上がる怒りで顔を醜く歪ませ、グラスを持つ手をわなわなと震わせた。

「相変わらず口が減らないじじいですね! じっ、自分のために命を懸ける女が一人いるからって、何だっていうんですか! あなたは地位も名声も失って、代わりに私がこの街の支配者となった! この結果こそが、私があなたより優れていることを証明してるんですよ! さぁ、観念してください。いくら大魔導士のヨハネといっても、この人数には――」

「観念するのはあんたよ! このっ、オカマ野郎!!」

 凛々しい女の声がユダの背後で響いた。

 虚を突かれたユダは、身体を竦み上がらせ、手にしていたグラスを床へ取り落とした。

 ユダがいるバルコニーの奥側には通路があり、バルコニーと通路を区切っていた帳の中から、ルピルピが飛び出した。その表情からは、ユダへの断固とした敵愾心が見受けられた。

「お前、あほか! 攻撃する前に気付かれるようなことをしたら、奇襲にならねぇだろがっ!」

 ユダへ勢いよく啖呵を切ったルピルピに続いて、ガイウスがバルコニーへ姿を現した。予測不可能なルピルピの動きに、ユダと同じく度肝を抜かれたようだった。

 ルピルピはユダを睨み付けながら、腰に手を当てて憤りの声を上げる。

「こんな好き放題言われて、黙ってなんかいられないわ! しかもこいつは私を騙して、私にお師匠様を殺させようとした! 絶対許さないんだから!」

 ユダは慌てふためきながらソファから立ち上がり、ルピルピ達の方を振り返った。

「ルピルピ!? あ、あなたまさか、ヨハネ側に寝返ったというのっ!?」

「私があんたの仲間だったみたいな言い方、しないでよね! お師匠様、こんな奴けちょんけちょんにして、さくっと大邪神の鎧を奪還しちゃいましょう!」

 ルピルピが階下にいるヨハネに向かって勇ましく鼓舞の言葉を贈ると、ユダは取り乱し、座っていたソファを蹴り倒した。

「信っじられないわ! 雑魚のくせに大神官である私に歯向かうなんて! 私の、美しい愛人達! やっておしまいなさい!!」

 ユダが号令をかけると同時に、彼の部下達は武器を構えた。

「ピリポよ、ディーナを頼むぞ!」

「わ、わかった! ディーナ、こっち…!」

 ヨハネに言い付けられ、ピリポはディーナを広間にある柱の陰へと退避させた。ディーナ達が部屋に入るために使用した扉は既に閉ざされ、外に出ることは不可能だった。

「ヨハネは死なない程度に痛め付けてから、もう一度牢獄送りにしてやるのよ! 他の男共は…そうね、半殺しにして反抗心を失わせてから、私好みの奴隷に調教してあげるわ!」

 憤怒と憎悪の染み付いたユダの蛮声が、広間に鳴り渡った。

 

 

 

 

 ユダ一味との乱戦は、戦闘員の圧倒的な人数差でヨハネ達が劣勢に立たされていた。

 ユダの部下達は複数の武器を駆使してヨハネ達を撹乱している。近接武器を使う部下を相手にしている最中でも、別の部下達が放つ弓矢や投擲用の短剣が急所を狙って的確に撃ち込まれてくる。一瞬たりとも気が抜けない状態だった。

「こいつら、ふざけた仮装集団かと思ったら、けっこう戦い慣れてやがる!」

 バルコニーでルピルピと共に部下達と交戦しているガイウスの表情には、いつもの余裕が無い。

 ユダは堅固な部下達の壁によって護られ、二人は近づくことすらできなかった。

 ユダ本人は戦いに参加しておらず、毒々しく彩られている自らの爪を眺めながら、勝利が確定しているとでも言わんばかりの笑みを湛えている。

「そうそう、ヨハネに詠唱の隙を与えるんじゃないわよ。魔法が使えなければ、あいつはただのくそじじいなんだからね!」

 ヨハネの戦闘手法を熟知しているユダの指示によって、ヨハネは部下達からの猛攻に遭っていた。ヨハネは老身とは思えない身ごなしでその攻撃を受け流していたが、反撃に転じる機会を逸していた。

「ピリポ君、私のことはいいから、ヨハネさん達に加勢してあげて!」

 戦場の様子に心を痛めているディーナは、自分の周囲を警戒しているピリポの背中に向かって懇願した。

「でも…君に何かあったら…!」

 ピリポは振り向き、逡巡していた。

「ユダの奴がいない…? あいつ、どこに行ったの!?」

 部下の一人を斬り倒したルピルピが、バルコニーにいたはずのユダの姿を見失い、慌てて辺りを見回した。

「こ・こ・よ!」

 耳を這うようなユダの声が、ディーナとピリポのすぐ側で聞こえた。

 魔術を用いて二人の目の前に瞬時に移動したユダは、ピリポを突き飛ばし、彼の身体を強かに床に打ち付けさせた。

 ユダはそのまま立ち竦むディーナの首に手をかけ、彼女の身体を近くの柱に手荒く押し当てた。

「ヨハネもそうだけど…私はあなたのことも最初から気に食わなかったのよ!」

「ディーナ!」

 ピリポは痛みを堪えながら身を起こし、ディーナの側に駆け付けようとしたが、ユダの部下達がその行く手を阻んだ。

「私はね、美しさしか取り柄のない女がだぁっい嫌いなの! 特にあなたみたいな、男達の庇護欲を掻き立てて、如何にもか弱そうにしてる女がね!」

 首にかけられた手に力が入り、ユダの長い爪が肉に食い込む。ディーナは音にならない呻きを上げ、苦悶の表情を浮かべる。

「い、いかん! このままでは鎧の適合者が!」

「戦えねぇ奴を先に狙いやがって…! てめぇ! そいつを殺るのは俺達と正々堂々戦ってからにしやがれ!」

 取り巻くユダの部下達と戦いながら、ヨハネは焦燥し、レブロブスはユダの卑劣な行いに激怒した。

 ユダはディーナの苦しみが長く続くように、絶妙な力加減で彼女の首を締め上げている。

「あなたは強い者を誘惑して、そいつらの陰に隠れているだけの、本当にずるい女! 一人では何もできない弱者のくせに、誰かがどうにかしてくれるって、思い上がってるのよ!」

 ユダに攻められながらも、彼の言葉は核心を突いているとディーナは納得していた。

 瀕死の重傷を負って記憶までも失ったディーナの心身を癒し、箱庭での安穏な日々を保ったのは、ゼロの弛まぬ努力だった。ゴルゴダの牢獄での苦境を乗り越えたのは、それに挑んだ仲間達の健闘だった。

 そして今は、ヨハネに導かれるまま太陽の神殿へ足を運び、またも仲間達の力に頼り切っている。知らず知らずのうちに自分は、誰かが作り出した流れに身を任す楽な生き方しかしてこなかった。ディーナはそう思った。

 自分には、この世界に立ち向かうための力も、そのための意志すらもない。

「白い羽の分際で、このユダ様の嫉妬を受けながら死ねることを誇りに思うのね!」

 ユダは自らのセリフに酔いしれるかのように笑っている。

 ゼロとの再会を果たせないまま、死に至ること。無力で、意志薄弱な自分。あらゆる負の感情が善とされ、大切なものが踏み躙られる、冷酷な世界。

 ディーナの中の未練や後悔、悲憤が一つに混ざり合い、雫となって両頬を流れた。

 その時だった。輝かしい白き光がディーナを光源として放たれ、彼女を庇うように巻き起こった突風がユダを吹き飛ばした。光を直視したユダは目が眩んでおり、両手で目を覆ったまま倒れ込んでいる。

「僕が牢獄で見たのと、同じ光だ!」

 ピリポは弓を構えたまま、驚異の目を見張った。

 ユダの拘束を逃れたディーナは、激しく咳き込む。その全身からは白き光華が放出され続けている。

 彼女達の元には、神話の時代から語り継がれる、大いなる力を巡る物語の幕開けが押し迫っていた。

「鎧の鎖が…!」

 ガイウスは、台座に置かれている大邪神の鎧に巻き付いていた鎖の輪が砕け、床に飛散する瞬間を目にした。

 鎧から放たれていた光は強さを増し、まるでその存在を主張しているかのようだった。

「鎧がディーナに反応し、封印が解けかけておる! やはりわしの予想は間違っていなかった!」

 ユダの部下達の攻撃を躱しながら、ヨハネが声を振り絞った。

「お主が鎧を着るという意思を見せれば、鎧は力を与えるはずじゃ!」

「ディーナ! よく聞いてっ!」

 ルピルピが相手と剣を交えながら、沈痛な面持ちでディーナに向けて声を張り上げた。

「この鎧を着るためには、背中の羽を自分の手で…むしり取らなければいけないの! あなたに、それだけの覚悟がある!?」

 ヨハネと同じく頭に角を生やしているルピルピが、本来背中にあるはずの黒い羽を失っている理由が明らかになった。

 ディーナが鎧を見上げると、彼女の周りから、戦場の喧騒や仲間達の声が遠ざかっていった。剣戟を振るう者達の動きが異様なまでにゆっくりになったかと思うと、その姿は霞んでいった。

 彼女の視界に鮮明に入っているものは、自分と同じ白き光を放っている大邪神の鎧のみ。

 鎧は自分に問い掛けてくるようだとディーナは思った。鎧を着て為すべきことがあるのか、それを為すための意志はあるのか、と。

 ディーナは自らの片翼を掴み、羽を抜こうと力を込めた。言いようのない激痛と不快感が身体に走り、顔を歪めて瞼を閉じる。羽を握る手が震えた。

『お前のためならどんなことでもできる。例え、それがどんな罪に問われようとも』

 ゼロが自分に紡いだ言葉を反芻する。

 ディーナの震えは収まった。そして彼女は瞳を開き、微笑んだ。

 自分の選択が、完全な自分の意志によるものだとは言い切れなかった。その要因は、ヨハネの野心でもあり、後に引けなくなった現在の状況でもあると言える。

 ただ、ゼロのためならば、自分が何もかも失うことすら厭わない。それだけは誰にも否定されたくない、本当の思いだった。

 箱庭でゼロと過ごした一年間の中で、二人は様々な経験を分かち合った。お互いの心の奥底を見せ合い、お互いのありのままを認め合い、理解し合えることが一つでも増えたことに涙した。

 己の一部を与えることで満たされる喜びを教えてくれたゼロのために、今更自分が何を失うことを惜しむだろうか。

 悲壮の決意と共に、白い羽がディーナの背中から引き離された。

 そして、広間に居る者全ての視界が、真っ白に輝く光に染まった。

 

 

 

 

 居合わせた者達の視界を支配していた光が収まった直後、広間には白銀の鎧を身に纏った戦姫の姿があった。

「あいつ…本当に鎧を着やがった…!」

 その場の誰もが言葉を失っていた光景を前にして、初めに開口したのはガイウスだった。

「ディーナ、綺麗だなぁ…!」

 ピリポは戦いの最中であることも忘れ、戦場に佇むディーナを夢心地で見つめている。

 落ち着いた光沢を放つ籠手に覆われた自らの両手を、ディーナは呆然と眺めていた。

 台座に置かれていた大邪神の鎧はまるでディーナのために誂えたかのように彼女の身体にぴったりと添っており、胸元の白銀の金板が美しい曲線を描いている。頭以外を隙間なく包み込む厳かな装甲は、彼女の持つ純然たる清らかさを守っているかに見えた。

 かつてディーナの背中にあった無数の白き羽根が、別れを惜しみながら彼女の周りを舞っている。翼を捨て、終わりの見えない戦いの日々に身を投じることとなった彼女への、手向けのように。

「何だ? 俺はあの鎧を着たあいつを何処かで見た気がする…。いや、そんな訳ねぇ」

 ディーナの姿に目を凝らし、奇妙な既視感を覚えたレブロブスは、考えを振り払うように首を横に振った。

 そして解放された大邪神の鎧の目撃者達の中に一人、喜びに打ち震える者がいた。

「我が積年の願いは……遂に成し遂げられた! 創世記戦争の終結から、永久の眠りに就いていたメタトロンの魂が、今、ここに蘇ったのだっ!」

 歓喜はヨハネの理性を押し流すかの如く沸き起こり、法悦に浸る哄笑となって、広間に居る者達の鼓膜を揺らした。

「目に焼き付けるのだな、ユダよ! 天界で他の悪魔達の追随を許さぬ力を持っていた大邪神の、その威を代わる者の降臨であるぞ!」

 視力を取り戻したユダは覚束ない様子で立ち上がり、ディーナを凝視しながら唇を震わせ、驚倒した。

「いったい何なの!? まさかこの非力な女が…邪神の再来とでもいうのか!?」

 頭髪を両手で鷲掴み、頭を抱えているユダはひどく混乱しているようだった。そして彼が抱えている未知の力への畏れと不寛容は、排他的な攻撃性を伴って、ディーナ達への言動に表れる。

「身も心も邪教に染まり切った異端者共! 脱獄の罪だけでは飽き足らず、禁断の大邪神の力まで手中に収めようとするとは…! お前達のような異常者を野放しにはできん! 生け捕りなど生ぬるい、皆殺しだ!」

 ユダは目を血走らせながら鋼鉄製の錫杖を手にし、呪文を詠唱した。彼の周囲で身を裂くような獰猛な冷気が発生し、白い霧が渦巻いたかと思うと、その中から人の頭程の大きさがある氷塊が数限りなく浮かび上がった。氷塊の一つ一つの先端は刃物のように鋭くなっており、その先端がユダからディーナへ水平方向に目にも留まらぬ速さで撃ち込まれた。射程は長く、また、ディーナが左右の方向に跳び退いても回避は不可能だった。

 だが、先程までディーナの中に入り乱れていたはずの、死の予感や憤りの心は嘘のように消え失せてしまっていた。研ぎ澄まされた感覚が、危機を脱する手段を既に導き出していた。

 彼女は放たれた氷塊の届かぬ上空へ、助走もなく跳んだ。そのまま身を丸めてユダのはるか頭上を旋回し、彼の背後へ舞い散る羽根の一枚のように軽やかに降り立った。着地の衝撃を受け、純白のマントが優雅に波打っている。

 人間業とは思えない華麗な跳躍を見せたディーナの姿に、敵味方問わず誰もが目を奪われていた。彼女自身、翼を失ったにも関わらず、飛翔できるかのように身軽になった自らの身体の扱い方に戸惑っていた。

「絶対に認めない…お前のような女が、こんなに美しい力を手にするなんて…! さっさとくたばってちょうだい!!」

 ディーナに向き直ったユダは、錫杖を振りかざし彼女の側へ迫り寄る。その様相は、神官が悪を断罪するため立ち向かう勇姿ではなく、嫉妬に狂った一人の男が私怨を晴らそうと足掻く姿だった。

「何でもよい、ディーナに武器を渡すのじゃ!」

「こいつを使え!」

 ヨハネの呼び掛けに応じ、バルコニーに居るガイウスが階下に向かって一本の剣を投げ入れた。剣はディーナの足元へ突き刺さる。それはガイウスが神殿の宝物庫で入手したと思われる、柄頭に紅玉が施された両刃の長剣だった。

 ディーナはその剣を即座に地面から引き抜き、彼女を打ちのめすために振り下ろされたユダの錫杖を刃で受け止めた。柄を握る両手に力を込め、剣を大きく撥ね上げる。錫杖はユダの手を離れ、空中で弧を描き、拾い上げるには彼から程遠い場所へ落下した。

「ばっ、馬鹿な! どこにそんな怪力が!?」

 ディーナの想定外の力に驚愕し、その場で硬直している無防備なユダの胴体へ、彼女は無我夢中で剣を振り下ろした。鋭刃はユダの左肩先から入り、右脇腹までを斜めに斬り裂いた。初めて剣を取る者が放ったとは思えない、鮮やかな一撃であった。

 人の肉と骨が凶器によって断ち切られる感触に、ディーナは猛烈な恐怖と嫌悪感に襲われ、総毛立った。鎧を身に付けてからの一連の自分の行いが非現実的過ぎて、夢の中の出来事のように感じられた。しかし、血に濡れた自らの剣と、目の前で膝を突き、倒れ伏したユダの身体から流れ出る鮮血が、全てが幻想ではなく事実であると無情にも彼女に告げていた。

「雌雄は決した! この場に大邪神の力を凌ぐ者はおるまい! 命が惜しくば、ここから立ち去るがよい!」

 ヨハネが殺気立ちながら、ユダの部下達へ鋭い眼差しを向ける。司令塔であったユダが撃退され、統制を失った彼の部下達は、たちまち武器を投げ捨て、散り散りになって広間の外へ敗走を始めた。

「じいさんの言ったとおりになったな。大将の弔い合戦をおっ始めるような、忠義に厚い手下はあいつにはいなかったってことか」

 レブロブスが呆れ顔でユダの部下達を見送った。

 

 

 

 

「終わったの……?」

 戦場の狂騒が過ぎ去った広間の中で、立ち尽くしていたディーナの手から剣が滑り落ちた。

 これ以上、この場で誰かの命を奪わなくて済むという安堵感が胸の内に広がり、身体中から力が抜けていくようだった。

「ディーナ、大丈夫? 僕、何もできなくて…ごめんね…」

 いつの間にか、ピリポがディーナの傍らに寄り添うように立っており、続いて他の仲間達も彼女の元へ集結した。

「そんなことないよ…! 皆が無事で、本当によかった…」

 一人も欠けていない仲間達の顔を確認し、いよいよディーナの緊張状態が弛緩しきると、彼女が身に纏っている大邪神の鎧が再び白い光を放ち始めた。光が粒子となって辺りに雲散すると、ディーナの姿は鎧を着る前の平服姿に戻っていた。

「あ、鎧が消えちゃった…」

 ディーナが自らの身体を見回しながらうろたえていると、ルピルピが彼女の前へ一歩進み出て、片目をつむった。

「心配しなくて平気! 私達の鎧はね、持ち主の戦意に反応して実体化するの。必要な時が来れば、また力を貸してくれるわ。便利な鎧でよかったわよ、鎧を着たままじゃお風呂にも入れないし、ゆっくり眠ることもできないでしょ?」

 ルピルピは自らも武装を解いた。厳めしい悪魔の鎧は、年頃の娘らしい出で立ちへと変貌し、彼女の柔肌が露わになった。

 そしてルピルピは瞳を潤ませながら笑みを浮かべ、ディーナを見つめた。

「大邪神の鎧の解放の場に立ち会えたなんて…お師匠様と私の苦労が報われたわ。ありがとう、ディーナ。今日のことは、後世にまで残せるように気合を入れて日記に書いておくから!」

「うむ、過酷な決断を迫られたにも関わらず、よくぞ成し遂げてくれた。これで、偉大なるメタトロンの力はお主のものとなった!」

 悲願の達成に昂ぶりを抑えられない様子のヨハネとルピルピに向かって、ディーナは弱々しく頭を振り、表情を曇らせた。

「全然、実感が湧かないです。今の戦いも、私は生き残ることだけに夢中になってしまっていたから…。私にこの鎧の力を使いこなせるのか、わからない…」

「生き残ることだけ考えてりゃいいんだよ! 初陣にしちゃ上出来だったぜ。せっかく強い力が手に入ったんだ、ごちゃごちゃ言ってねぇで有り難くもらっとけ!」

 翼の無くなったディーナの背中を、レブロブスがぴしゃりと叩き、彼女は目を丸くして前のめりに姿勢を崩す。彼の頼もしい豪胆さによって、ディーナは自分の不安が何処か瑣末なことのようにも思え、沈み切っていた気持ちが幾分上向いた。

 一同が戦勝の高揚感に浸っている中、地面にうつ伏せで倒れているユダを見下ろしていたガイウスが口を開いた。

「しぶてぇ奴だな。こいつ、まだ息があるぜ」

 ガイウスはユダを仰向けに横たえさせると、赤く染まっている彼の胸倉を片手で掴み、上体を起こさせた。もう一方の手には、ユダの部下が落としていった短剣が握られている。

「おい、お前に聞きたいことがある。早く楽になりたかったら、正直に答えろよ」

 白粉が塗られているユダの顔面は戦いの時よりも更に蒼白になっている。呼吸は弱り果て、彼の命の灯火は今にも絶えそうだった。

 ガイウスはディーナに目配せをし、その目は尋問を始めろと語っていた。ディーナはユダの側へしゃがみ込み、彼に問い掛けた。

「…私は自分の主人である、ゼロという名の黒い羽の青年を探しています。彼は愛を口にした罪で、異端審問官達に捕まってしまいました。ゼロが何処に連れ去られたのか、あなたは何か知っていませんか…?」

 ユダはディーナを憎々しい目つきで見ていたが、浅い呼吸を何度か繰り返した後、痛みに悶えながら返答した。

「お前の主人のことなんて、私が知る訳ないでしょ…。ただ、異端審問会と言えば、この世界最大の宗教結社、アンゲルス教団が誇る精鋭部隊。その教団の直接の管理下にある部隊なんだから、そいつは教団の総本山にでも連れて行かれたんじゃないの…? 悪いけど、総本山が何処にあるかまでは…知らないわよ……」

「俺達は異端審問官の裁きでゴルゴダの牢獄に収監された。そのアンゲルス教団ってのは、俺達を捕らえていた大元ってことか。それで、総本山ってのはそもそも何なんだ?」

「アンゲルス教を布教している世界中の教会を統べる、教皇庁を指す」

 ガイウスの疑問に、ユダに代わってヨハネが説明を始めた。

「教団の最高指導者である教皇を頂点に置いた組織であり、教会での説教がアンゲルス教の教義に反していないか監視するなどして、この世界の秩序を保つために活躍していると噂に聞いたことがある。神官として恥ずかしいが、わしは鎧の研究にかかりきりだったもので、宗教組織の話にはとんと疎くての。総本山の場所を突き止めるとなると、骨が折れそうじゃ」

 ヨハネは途方に暮れた様子で嘆息したが、すぐに気を取り直してユダへ視線を向けた。

「ユダよ、もう一つ教えてもらおう。お主は先程、大邪神の鎧について調べ上げたと話していたな。詰まるところ、お主も鎧の力に魅入られていたのじゃ」

 大邪神の鎧の名に、レブロブスが身を乗り出す。

「お主の話が本当ならば、封印が解かれた大邪神の鎧は、メタトロンの鎧を含め、二つ。七大邪神の神話に従い、あと五つの鎧がこの世界に封印されているはずじゃ。残りの大邪神の鎧は、何処にある?」

「残念ながら…全ての大邪神の鎧の在り処を掴めた訳ではありません。御期待に沿えなくて、すみませんねぇ…!」

 ユダは力無く笑い声を上げる。口元から流れている一筋の血が、不気味な程に青白くなった彼の肌に映えていた。

「カナンとパンデモニウムの領主が、教団からの命を受け、自らの屋敷内で鎧を管理しているそうです。私が知る鎧の情報は、これで全部ですよ…」

 髭を貯えた顎に手を置きながら、ヨハネが旅の進路について思い巡らしていた。

「ふむ…こやつの話を勘案すると、次に目指すはその二つの街に居る領主達じゃな。鎧の警護を任される程の領主ならば、教団と密接な繋がりがあるはず。総本山の場所を知っている可能性が高い」

「ここから近いのは、パンデモニウムの街の方ですわ。お師匠様はこの者達と旅立たれるのですね? それなら、私もお供いたします!」

 無邪気に師を慕うルピルピに対して、ヨハネは慌てた様子で口早に話し始めた。

「何を言っておる! 悪魔の鎧に生き血を吸われ続けているお主を、連れ回す訳にはいかん! お主はここに残って身体を休めることに専念するのじゃ…!」

「何処で何をなさっているのかわからないお師匠様の身を案じている方が、よっぽど身体に悪いです! 私が今まで知識を身に付けてきたのは、お師匠様の前途を照らす光となるため。もう何があっても、お側を離れませんから!」

 ルピルピは頑として自分を曲げなかった。その熱誠に根負けし、ヨハネは肩を落とした。

「…そこまで言うのなら、わしも止めはせん。好きにするがよい」

「僕も皆に付いて行って、いいかな? 僕なんか大して役に立たないと思うけど…ディーナの御主人様を助けてあげたい。レブさんも一緒に来てくれるよね?」

「あ? あぁ…そうだな……」

 ピリポに名を呼ばれ、レブロブスは急に我に返ったようだった。その返事にはいつも彼が見せる覇気が無く、何か別の事柄に気を取られているような素振りだった。

「俺もしばらくお前に付き合うことにした。大邪神様の御威光にあやかっていた方が、道中何かと楽ができそうだからな」

 そう言うと、ガイウスは握っていた短剣の刃先をユダの喉元に突き付けた。

「御苦労さん。もう死んでいいぜ」

「待つのじゃ、ガイ!」

 ユダを手にかけようとしたガイウスを制したのは、ヨハネだった。

「わしに叛意を抱いていたとはいえ、このユダはかつて共に大邪神の鎧を研究していた弟子の一人。成し得る限り、再起の機会を与えてやりたい。こやつの生死は、こやつ自身の生命力と運に委ねてはくれぬか…」

「どうせこの傷じゃ助からねぇよ。このまま放っておいても、苦しむ時間が長引くだけだ。ま、じいさんがそれでもいいって言うなら構わねぇが」

 ガイウスはヨハネに振り向き眉をひそめたが、そのままユダを掴んでいた手を離した。

「ユダ、もし生き延びることができたのならば、我執を捨て、真の街の指導者としてリベイラの民に尽くすのじゃ。わしの二の舞を演じるでないぞ…」

 祈りを捧げるように厳然とした面持ちでユダに語り掛けるヨハネの姿には、図らずも平伏してしまうような威厳があった。

 再び地面に倒れたユダは、微かに唇を動かしてヨハネに何か伝えようとした。だが、その言葉が音を発する前に、彼の瞼は閉ざされた。

 

 

 

 

 太陽の神殿を後にした一行は、パンデモニウムの街へと続く街道を歩き始めた。

 明け方に神殿へ潜入してから、果てしない時間が経過したようにディーナは感じていたが、陽は僅かに西に傾いているだけだった。

 背負っている剣の重さが、ディーナの戦士としての旅立ちを示していた。待ち受けているであろう、まだ見ぬ闘争の数々に思いを馳せ、小さく吐息を漏らす。すると、地図を広げながらヨハネと前を歩いていたルピルピが振り返り、彼女の真横へ並んだ。

「鎧を着ている女の子同士、頑張りましょ」

 ルピルピは親しみ深い笑顔を浮かべ、自らの肩でディーナの肩を軽く小突いた。

「うん! これからよろしくね、ルピルピさん」

「そんな他人行儀な呼び方は駄目! 私達、年も近いじゃない!」

「じゃあ…ルピルピちゃん!」

 ころころと朗らかに笑っているルピルピを見つめ、ディーナもつられて目を細めた。彼女の笑顔は温かく、見る人の心の痞えを溶かすようだとディーナは思った。

「ねっ、ディーナ! 宝物庫からユダの所へ向かっている間にガイから聞いたんだけど…」

 ルピルピはディーナの耳元に口を近づけ、囁いた。

「あなたも愛が本当にあるって信じてるんでしょう? あなたが愛している、ゼロっていうのはどんな人? この話、すっごく気になるから、今度二人だけでゆっくり話しましょ!」

「あなたもってことは…ルピルピちゃんは愛を信じているんだね! あなたにも、愛する人が…?」

 ディーナが顔を輝かせると、ルピルピは、はにかみながら微笑んだ。

 華やかな話題で盛り上がるディーナ達の背中をぼんやりと眺めながら、レブロブスが最後尾を歩いていた。彼の足取りは遅く、その表情はそこはかとない陰りを帯びている。

「パンデモニウム…二度と戻ることはねぇと思っていたが……」

 彼の呟きは、吹き付ける乾いた風の中に搔き消された。




ここまで読んでくださった方がいらっしゃれば…ありがとうございました。
次のお話は、レブロブスルート(闘技場の戦い)を書くか、割愛してパンデモニウムの街の話に進むか迷っています。ピリポルート(爆老決死隊)は…現代日本の縮図のようなあの強烈な村を描き切れる自信が無いです汗。
気ままに書いていきたいと思います。
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