この話以降を書くためにここまで書いてきたといっても過言ではありません。
よろしくお願いします。
秦祀は、百合ケ丘女学院校内のラウンジで紅茶を嗜んでいた。
普段はオルトリンデ代行としての業務に忙殺されている彼女だが、今日はたまたま申請書類の数も少なく、処理に当てる予定だった時間がそのまま空いてしまい、いつか飲もうとしまっていた秘蔵の茶葉を取り出してきた。
「美味しい……」
先日再開したかつての学友と飲む約束をしていたものだが、恐らく彼女がここに帰ってくることはないだろう。
少しの罪悪感とともに封を開け、少しだけ残しておく事にした。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、嶺亜様」
不機嫌そうな声音の挨拶とともに現れたのは、先日いざこざがあったばかりの三年生、假屋崎嶺亜だ。
「この間のちくわ……じゃなくて不審者の事、学院には報告していないそうじゃない。代理とはいえ、生徒の代表たる生徒会長(オルトリンデ)が情報隠匿なんかしていいのかしら」
「そういう嶺亜様こそ、誰にもお話しになっていない様じゃないですか?」
「……」
こちらの指摘には黙りだ。恐らくだが、彼女にとっても先日のやりとりから思うところがあったのだろう。
「私は単に、彼女は不審者などではないと判断しただけです。百合ケ丘の仲間の、その友人を。拘束する理由はありませんから。それに──」
「それに?」
先を促す嶺亜。カップに残った紅茶の水面に、自分の顔が映る。
「今の瑠流に必要なのはきっと、”私”ではなく”彼女”の様な人だと、そう思ったんです」
少し晴れやかなようで、しかしほんの少しの寂しさを帯びていた自分の顔が、なんだか少し可笑しかった。
◆ ◆ ◆
「……ターゲットを補足。目的地に誘導します」
小此木瑠流は、所定のポイントから”ターゲット”を見下ろしていた。
こちらの視線に気づいたのか、今までその場で静止していたターゲットが機敏に動き出し、こちらから逃れようとしている。
「……」
しかし、遮蔽物が一切ないフィールドでのその行為は無意味に等しい。
ギリギリ対象に当たるか当たらないかという箇所に牽制攻撃を放ちつつ逃走ルートを絞り込み、徐々に端へ端へと追いやっていく。こうなってはもう袋のネズミだ。前方と左手を壁で塞がれ、後方からは威嚇射撃場。堪らず右手方向へと素早く方向転換を行った、その時!
「……今です!」
右手に構えていたもう一方の本命の獲物で、対象を真正面から捉えた。そして───────
「わ…!瑠流さん、すごいです!」
「お〜!大したもんだねぇ」
「それほどでもありません」
瑠流の鮮やかな手さばきに感嘆の声を上げ拍手を送るのは、後から覗き込んでいた理玖と仁乃の二人だ。
彼女達の賞賛の声に得意げに答える瑠流が手にしているのは、ピンク色のプラスチックで作られたポイ。そして、もう片方の手に持っている安っぽいプラスチックの器には、赤や黒の色とりどりの金魚達が窮屈そうに泳いでいた。
そう、金魚すくいである。
「今の洗練された手つき……素人のそれじゃあないね……!百合ケ丘のお嬢様が金魚すくいが得意だなんてちょっと以外だったかも」
「私は高等部の途中編入組なので、皆さんが想像している様なお嬢様ではないんです。実家も福岡にある普通の果物農家ですし、地元の夏祭りではよく父に連れられてましたので……」
「紅茶を淹れる姿がとても様になっていたので、てっきり名家のお嬢様だと思ってました……!」
「だとしたら、教える人が良かったんでしょうね。お茶の淹れ方はお姉様に教えて貰った事なので、そう言って貰えると嬉しいです」
「……」
そう言って微笑む瑠流の顔を、仁乃はじっと見つめていた。
視線に気づいた瑠流が仁乃に質問する。
「仁乃さん、どうしたんですか?」
「あ、いえ……。瑠流さんが自分の事をこんなにお話しして下さるの、初めて見るなって、思って」
「そうですね。そうだったかも知れません」
自嘲気味に微笑む瑠流の表情からは、今までのような張り詰めた空気は、幾分か薄らいでいた。
そんな彼女の小さな変化に気づいた仁乃が、釣られて微笑む。すると。
「あー、でもあっちはあっちで妙な事になってるねぇ」
理玖が指さす方に視線を移すと、水槽の反対側の角に人だかりが出来ていた。
数人のギャラリーを背中に、何やら大袈裟なモーションを取りながらポイを構える少女が一人。
「コォホォォォォォォ……」
花小金井鞘だ。どこから音が出ているのかよく分からない呼吸音を発しながら、名目し左右の腕を旋回させている。さながら、どこぞの中国拳法か殺人拳の使い手のようにも見えるが、恐らく大した意味はないかと思われる。
刹那、カッと目を見開き、奇声とともに両手に構えたポイを水槽へと叩き込む。
「ホォアタタタタタタタタタタタタタァ!!!!」
「す、すげぇ、なんて手さばきだ!早すぎて手の先が見えねぇ!」
「跳ね上げられた金魚が……宙を舞っていやがる!」
「こんなの人間じゃねぇ!」
機関銃のごとく繰り出される神速の突き。鞘がポイを水面に叩きつける度に、金魚が次々と空中へと舞い上がり、傍らに置いていた受け皿へと落下していく。
それはまるで、金魚すくいというよりは曲芸のようだ。
「……フッ。決まった」
してやったり。とびきりのドヤ顔を浮かべながら金魚が山盛りになった皿を掲げる鞘。しかし。
「さあおばちゃん、金魚の数を数えてよ。まぁ数えるまでもなくあたしの圧勝だと思うけd」
「ゼロ匹だよ鞘ちゃん。ゼ・ロ」
「Why!? なぜ!?」
「いやね。あんな派手に水に突っ込んだら破れるに決まってるでしょ。最初に水面に突っ込んだ時から破れてたから。私の目は誤魔化せないよ」
放り投げたポイを拾い上げると、確かに、一片の欠片も残さずポイに張り付いた紙ら全て水に攫われてしまったようだった。
覗き込んだ穴の向こうから店主の女性、普段は商店街で八百屋を営む顔見知りの女性が挑発するようなにやけ面でこちらを眺めていた。
「解せぬ」
「というわけで”夏祭り三本勝負”の第一回戦は瑠流ちゃんの勝ちィ!拍手〜!」
理玖が瑠流の手を取り高く掲げると、周りから歓声と拍手喝采が巻き起こり、鞘は膝から崩れ落ちた。
しかし、立ち直りも異常に早いのか、すぐさま立ち上がり瑠流へと詰め寄る。
「じゃあ次の勝負ね。言っとくけどあたしゃまだ変身を二回残してるからね。全然本気とか出てないからね!」
「何言ってるのかよく分かりませんが負け惜しみを言っている事だけは解ります」
「はい?? 負けとか全然惜しんでませんが??」
子供じみた反論をする鞘を尻目に、おずおずと質問する仁乃。
「あ、あのう。ところで、どうしてこんな事になってるんでしたっけ」
「あぁこれ?瑠流ちゃんがさ、鞘ちゃんと一騎打ちで勝負したいって言い出してさ。勝負のルールは鞘ちゃんが決めていいって言っちゃったもんだから……”こんな事”になっちゃった。負けて方が、何でも言う事を聞くってルールで」
「あ、なるほど。大体分かりました」
「仁乃ちゃんも慣れて来たねぇ」
後輩の順応性の高さにしみじみと頷く理玖。
「……でも瑠流さんは、そもそも何故勝負をしたいと思ったんでしょうか?」
「うーん。多分、彼女なりにケジメをつけようとしてるんじゃないかな」
仁乃の疑問に、少し間を置いて答える理玖。
様子からして彼女も確信を得ていないようだった。
「ケジメ、ですか?それってどんな……」
「さぁね。全部私の想像だから、正直分からない。けど本人にとっては、とても大事な事なのかもね。あの時の瑠流ちゃん、とても真剣な目をしてたから」
「……そうなんですか」
鞘と不毛なやりとりを続けている瑠流の顔を見つめる。
物理的な距離は大して離れていない筈なのに、どうしてか、彼女の顔が少し遠くに離れて見えた。
「私にはそんな顔、見せてくれた事ないのにな……」
◆ ◆ ◆
「っしゃーい。あたしの勝ち」
「悔しいけど完敗ですね」
「はい、二戦目は鞘ちゃんの勝ち!……なんだけど」
「地味でしたね。型抜き」
続く二戦目は、鞘が選択した型抜きタイムアタック。勝敗の結果は見事鞘の勝利に終わったのだが、少女二人が組み立て式の椅子と長机に並んで腰を下ろし、ピンでひたすら削り続ける絵面は地味の一言に尽きた。
先程まで周りに集まっていたギャラリーも、理玖、仁乃の二人を残し、誰も居なくなっていた。
「実は私も成功したことないんですよね。型抜き」
「私もー。溝の形が細かい所になるとすぐバキッて崩れちゃうんだよね」
「あうっ」
型抜きを見たのが初めてだったのか、興味本位で個人的に挑んでいた仁乃が小さな悲鳴をあげた。
見ると、真ん中からバックリと、綺麗に割れてしまっていた。
「型抜きにはね、攻略法があるんだよ。貸してみ」
仁乃から二つ目の型とピンを受け取る鞘。
カリカリカリと、ピンの先端で少しずつ削っていく。
「まず、ピンで溝を少しずつ削って深くして……」
カリカリカリカリ……。
「複雑な形状の場所は、外に自分で溝を掘っちゃって……」
カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ……。
「はい、出来た!」
((いやだから地味!!!))
額の汗を拭いながら、飛行機の形に綺麗に抜かれた型を掲げる鞘。
本人は満足気だったが、見ている方は正直ちっとも楽しくなかった。
「折角の三本勝負なんだから、もっと見応えあるやつにしてよ。つまんないなー」
「勝手にギャラリーになっといて何その言い草は。とにかく、勝ちは勝ちだからね。ラスト一本は私が頂くからね」
兎にも角にも、これにて勝負は一勝一敗。最終的な勝敗の行方は、最後の種目へと託された。
種目に関しては最初の金魚すくいを除き、敗者に選択権が与えられるルールだ。最終種目を決める権利は瑠流にある。
しばらく考えた後、瑠流が決めた競技は。
「……では最後の勝負は、射的でお願いします」
◆ ◆ ◆
「おお、流石は現役リリィ。銃を構える姿が実に様になってる」
最終対決の射的の出店にて、コルク銃を構えた瑠流が慎重に狙いを定めている。
しかし、流石はリリィ。玩具などではなく本物の銃を扱い彼女の所作は、まるで歴戦のスナイパーのような安定感があった。
ゆっくりと引き金を引き弾丸……もといコルクを放つが。
「あ!外れちゃった」
放たれたコルクは虚しくターゲットの真横をすり抜ける。
「いえ。初段の射撃で、まず軌道の癖を見たんだと思います。その証拠に、ほら」
一発目のミスをものともせず、落ち着いた所作でコルクを装填し、一発目よりも素早く、そして正確に、台に置かれていたぬいぐるみの脳天を捉えた。
「すごぉい!ど真ん中!」
「お見事です……!」
与えられたコルクは五発。最初の射撃では当てる事は出来なかったが、続く三発目もなんなく標的を捉え地面に転がっていく。
銃口にコルクを再装填し、銃を構えた、その時。
「お姉ちゃーん……。上手く当てらんないよー」
「なにやってるのよおバカ。ほら、お姉ちゃんに貸してみなさい!」
恐らく小学校低学年くらいだろうか。仲睦まじい二人の姉妹が、同じく射的に夢中になっていた。
その二人の様子が、瑠流の記憶のある部分にダブって見えた。
『何やってんのよおバカ。銃を構える時はもっと脇を締めて。腕だけじゃなくて、全身で固定して撃つのよ』
脳内にふと、懐かしい少女の声が響く。
思えば、射撃の仕方も”お姉様”に教えて貰ったものだった。
(お姉様に貰った言葉、余すことなく覚えてる。紅茶の淹れ方。お花の生け方。銃の構え方。戦場での心構え。……最期の言葉も)
四発目も装填し、無意識的に行えるほど身体に刷り込んだ射撃フォームで的を撃ち抜く。
(受け入れるのが怖かった。ここで皆さんと過ごす毎日に、少しずつ幸せを感じつつあった自分を。あれだけ自己嫌悪に駆られて自死すら考えたクセに、また前向きになろうとしている自分が、滑稽で、とても醜く思えて。でも……)
しかし、五発目のコルクを放ったその時。
「あっ」
「あちゃ〜!お嬢ちゃん残念だったね〜!でも景品は落とさなきゃ貰えないからね、ドンマイ!」
瑠流が放ったコルクは確かに標的の真ん中を捉えたが、『特賞』と書かれたその小さな標的は、不自然なほど微動だにせずコルクを弾き返した。
「いやあれ絶対接着剤か何かで固定してたでしょ。ど真ん中だったじゃん!」
「理玖さん……!き、聞こえちゃいますよ」
外野から異議申し立ての声を上げる理玖。しかし、店主は聞こえないフリをしたまま手元の新聞に目を落とした。向こうはあくまでシラを切り通すつもりのようだ。
不自然ではあるが、確証もないのもまた事実。瑠流は黙って後ろに下がった。
「じゃあ次はあたしの番か」
小銭を渡し、店主からコルク銃とコルクを受け取る鞘。受け取ったコルク銃を見つめたまま、店主に問いかけた。
「ねえおじさん」
「なんだい?」
「確認なんだけど、この銃を使って景品を落とせば景品が貰えるんだよね」
「え?あぁ、そうだよ」
「ふーん……」
ぼんやりとそう返すと、おもむろに銃のノズル部分を鷲掴みにし、そして──。
「そぉい」
ぶん投げた。
「え」
ドンガラガッシャーン!!!
……と。店主がリアクションを取るのも待たず、鞘の手から放たれたコルク銃は水平に回転しながら凄まじい勢いで衝突し、薄いベニヤ板で組み立てられた雛壇を木っ端微塵に粉砕した。
「ちょ、え、ちょ、な、なんっ、何やってんのアンタァァァァァァァァァァァァァ」
「だから、銃を使って景品落としたんじゃん」
「”だから”じゃねぇよ頭湧いてんのかお前!!」
鞘の所業に激昂する店主。隣で和気藹々と遊んでいた幼い姉妹も、抱き合いながら一歩引いたところでドン引きしていた。
しかし、そんな事などお構い無しに射的台を乗り越え、散乱した景品の中から一つを拾い上げる。
「ていうかおじさん。特賞の裏側にテープ貼り付いてるよ。どういうこと?」
「え、いや、まぁ、それに関してはこちらが悪いし申し開きはないけども、だからってやっていい事とダメな事があるくない??」
「……景品貰える?」
「貰える訳ないだろ!言うに事欠いて!!」
「そんなぁ……トホホ」
「こっちの台詞だよもぉぉぉぉぉぉ!!弁償しろぉぉぉぉぉぉ!!」
「やだ」
まったく詫びる様子のない鞘の前に慟哭する店主。騒ぎは次第に大きくなり、運営委員会の大人達まで集まってきてしまいカオスを極めていく。
「あわわわ」
「これは、勝負どころじゃなくなってきたね、瑠流ちゃ……?」
「…………ぷっ」
理玖が隣りにいる瑠流に話しかけた時、小さく吹き出す音が聞こえた。
「ふふっ。くふぅっ……」
しかし、堪えきれなくなったのか、徐々に大きくなっていき、そして。
「あはは、あっはははははははははははははははっ……!!」
少女の大きな笑い声が、辺りにこだました。
「瑠流ちゃんが……」
「爆笑した……」
「だ、だって……!あはは、ふ、ふぐぅっ。可笑しくって……!ふ、ふふっ、あはは……!」
お腹を抱え、目に涙をうかべ、未だかつて無いほど大袈裟に笑うその姿は、百合ケ丘からやって来たお嬢様でもなく。戦場で勇ましく戦う戦士でもなく。正しく年相応な女子高生の姿であった。
「……?」
トントンと。笑い転げる瑠流の背中を何者かが叩く。振り返ったその先には、例の着ぐるみを着た鞘が、真顔で突っ立っていた。
「ちくわ大明神」
「エンッ!!!」
まさかの追い打ちに、奇声を発しながらひっくり返る瑠流。
そんな彼女たちを眺めながら、周囲の人々もまた、いつの間にか笑顔が溢れていた。
その後も、瑠流は暫く笑い続けていた。
本当に可笑しそうに。楽しそうに。
今まで我慢してきた分を取り返すように。
◆ ◆ ◆
「結局、勝負はあたしの負けになっちゃったね。おかしーなぁ」
「おかしいのは貴女の方ですよね」
「ひっど」
「ふふっ」
商店街を抜けた先にある小さな公園。
初めて出逢い、共に伸びきったラーメンを啜ったあのベンチで、二人は並んで腰掛けていた。
理玖と仁乃の二人は、『二人で話したい事があるだろう』という事で、二人で出店に回っていってしまった。
射的での騒ぎの件は、店主側も不正を働いていたという事で何とか警察沙汰にはならなかった。
もっとも、屋台の修理代や景品代については鞘のバイト代からきっちり抜かれる事にはなったのだが。
「……けど、やーーっと。笑わせられたね」
瑠流に語り掛ける鞘の表情は、いつもと違って晴れやかだった。
試合に負けて、勝負に勝った。
なんとなく、そんな表情だった。
「そうですね。まんまとやられてしまいました。けど夏祭りの勝負は私の勝ち。約束通り、お願いを一つ聞いてもらいます」
「まぁ、可能なことなら」
しかし約束は約束である。鞘も渋々承諾する。
「……えぇっと、その」
ところが、ここに来て瑠流がどうにも歯切れが悪く、モジモジしながら言葉を詰まらせていた。
黙って続きを待つ鞘。
暫くして、瑠流が口を開いた。
「約束して欲しいんです。私の前から、絶対に居なくならないって」
瑠流の言葉を聞いて、鞘は口を開けたままポカンとしていた。
しばらく考えた素振りを見せると。
「……エッ。なにそれ告白?あたし同性愛の気はあんまりないんだけど、まぁ約束だし仕方な──」
「ち、違います!!友達として、ずっと一緒にいて欲しいって意味です!!」
「あぁ、そういう」
あらぬ誤解に、真っ赤になりながらも慌てて否定する瑠流。
大体の意味は把握した鞘が、得意げに答えた。
「言われなくても、元からそのつもりだし。ってかほんとにそんなのでいいの?もっとこう、『百万円寄越せ!』みたいなさ」
「用意出来ないでしょう。百万円なんか」
「例えばだよ。そんな抽象的なモノじゃなくて……」
「いいんです。今日のこれは、儀式みたいなものですから。ただキッカケが欲しかっただけなんです。新しい自分を受け入れて、前を向くための。勝敗なんて本当はどうでもよかった。それに、絶対なんて無いって事は、私が一番分かってますから」
”ずっと一緒に居る”。この約束も、生前のレギオンメンバー全員とも交わした約束だった。
リリィは常に死と隣り合わせ。言葉では分かっていたつもりだったが、本当の意味では理解など出来ては居なかった。
しかし、”理不尽”は突然やって来る。経験した自分だからこそ、この約束が絵空事だと言うことを誰よりも理解していた。
「それでも約束して欲しいんです。”絶対”に居なくならないって、貴女の口からちゃんと声に出して言って欲しい。少しでも私を安心させて欲しい。……ダメですか?」
それは、どこまでも真面目で、融通の効かない彼女が見せた、初めてのワガママだった。
「……アンタ、意外とめんどくさい性格してるよね」
「はい。私、ホントは結構めんどくさいんです♪」
だとしたら、断わる理由はあるまい。
今までたくさん苦しんで、たくさん自分を責めてきたのだから、我慢した分報われるべきだ。
「うん、いいよ。約束する。なんたってあたしは、”無敵”だからね」
「ありがとうございます。鞘ちゃん」
固く握手を結ぶ二人。
日は傾きかけ、オレンジ色の日差しが二人を照らす。
図らずも、初めて”お姉様”と約束を結んだその瞬間と、とてもよく似ていた。
(お姉様。私、また前を向きます。新しく出逢えた仲間たちと一緒に。いつか”向こうで”貴女に再び会えた時、胸を張ってお会い出来るように)
◆ ◆ ◆
「それじゃあ、理玖さん達と合流しましょうか。皆さんと一緒に周りたいところ、実はまだまだあるんです!」
「わかったってば〜。途端に元気になりすぎでしょもう……」
夕日を背に、再び歩き出す二人。その表情に曇りはなく、とても晴れやかだ。しかし。
「?」
隣を歩く鞘の足が、ふと止まった。
疑問に思い、瑠流が振り返る。
「どうしたんですか鞘ちゃん。急に立ち止まって」
「やばい」
「え?」
「なんか、めちゃくちゃ嫌な感じがする」
瑠流は自分の目を疑った。
常に脱力した腑抜けた顔を浮かべていた鞘の表情が、みるみる強ばっているのが分かった。
まるで、ただ事ではない何かを。得体の知れない何かを感じ取っているようで、思わず背筋に悪寒が走った。
次の瞬間───────。
『繝溘ヤ繧ア繧ソ』
その”声”を聞いた途端、瑠流は、まるで世界が止まったかのような錯覚に晒された。
その存在はいつの間にかそこに”在った”。
いつからそこに現れたのか。それとも初めからそこにいたのか。まるで瞬間移動でもしてきたかのように、当たり前のように、そこに在った。
「は?」
体長はおよそ二メートル程。血のように赤く、鋭利な外殻に覆われた”ソレ”のシルエットは、人の様でも、獣の様でもあった。
人間で言う顔に相当する部分は赤い外殻に覆われており、表情のようなものは一切読み取れない。
(ヒュージ?ミドル級?でも何故?警報は?エリアディフェンスは?何が起こっているの?)
パニックに陥り、思考停止する瑠流。
”ソレ”は、剣のように研ぎ澄まされた鋭利な腕を振り上げ、そして。
「伏せろ!!!」
耳を劈く爆音が響いた。
◆ ◆ ◆
(アイタタ……。なんだったんだ、さっきの)
意識を取り戻しゆっくりと目を開ける鞘。
視界が霞んでまだよく見えないが、そこに先程まで一緒にいた友人の顔があったことだけは分かった。
(瑠流じゃん。怪我は……ないみたい)
徐々に鮮明になってきた視界で、彼女の無事と周辺を確認する。
あたりは瓦礫で埋め尽くされており、公園から相当吹き飛ばされて来たことが分かった。
(ていうかどうしたんだろ。顔真っ青じゃん)
目の前の瑠流は、目を見開き、青ざめた顔で、瞳を震わせながらこちらを見つめていた。
あまりに酷い顔だったので冗談めかしてこう言った。
”ひっどい顔”
「ごぼっ」
しかし、鞘の口から吐き出されたものは、言葉などではなかった。
胃の粘液と血液とが入り交じった、粘っこく赤黒い血の塊だった。
「……?」
垂直に吹き上がった血が、自由落下で自分の顔を濡らす。
あまりに不快なそれを、右の手で拭い払おうとした時、鞘は気付いた。
(あれ、てかこれ)
「いや……そんな……やだぁ……!やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ!!」
(あたしの右半分、なくなってね?)
鞘の右腕が、右脚が、なくなっていた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
瑠流の悲痛な絶叫が、瓦礫の山に虚しく響く。
───ちっぽけな人間の覚悟など、この世界においては、何の意味もなさない。
”理不尽”は、突然やってくるから”理不尽”なのだ。
ご意見ご感想、ゆるりとお待ちしております〜。