私立折坂女子高等学校。
東京地区の下町に位置する、所謂ごくありふれた私立の女子校である。
九月初頭。まだ蒸し暑い校舎の中は、夏休みを終え一月半ぶりに登校した生徒達の再会を喜ぶ声で満ちていた。
その中でも、特に生徒達のざわめきが大きい二年B組。
その理由は、教壇の手前からぺこりと頭を下げる、本来はここにいる筈のない一人の女子生徒の存在によるものだった。
ふわりとした鳶色のボブカットに、翡翠色の瞳。左右の顬の辺りにワンポイントとしてあしらわれた赤いリボンが特徴的な少女だ。
どこか控えめで、それでいて穏やかな笑顔は、さり気ない気品と親しみやすさを同時に感じさせる。
「今日からお世話になります、
「ご挨拶ありがとう、小此木さん」
「………」
「みなさん。昨日お伝えした通り、小此木さんはリリィ不在のこの地区において、特別駐在リリィとして折坂女子に派遣、転校されて来ました。普段の任務や急な出撃要請で不在の時もあると思いますが、全ては私たち市民をヒュージの魔の手から守る為…。できる限りのサポートをしてあげください」
「「はーい」」
このクラスの担任、
リリィは本来、軍事系特殊学校としてリリィの管理、育成を行う「ガーデン」飛ばれる教育機関に在籍する。
人類防衛の要であるリリィを育成すると共に、常に戦いと隣合わせの彼女達に不可侵の癒しの場を提供する目的があるのだが、瑠流はそんなガーデンの一つである百合ケ丘女学院を半年前にとある事情により退学していた。
そんな彼女の新しい居場所となったのが、この折坂女子である。
「…さて、小此木さん?」
ぼんやりと教室を見渡していた瑠流の肩に、そっと手を置き語りかける志崎。
「これで今日からあなたも私の受け持つ生徒の一人。私にはあなた達リリィの様な戦う力や専門知識はないけれど、一人の教師として、あなたの相談に乗ってあげることくらいはできるわ。…何かあったらいつでも言って頂戴。力不足かもしれないけど、できる限りの事をさせてもらうから」
最初は、気の強そうな目付きの、どちらかというと怖そうな人だという印象を覚えていたのだが、そう言って語りかける彼女の顔は、慈愛の心に満ちており、正しく教育者としてのそれであった。
ーーひょっとしたら、自分の過去について何か聞かされているのかもしれない。
一瞬そんな風に思いはしたものの、いずれにせよ自分を気にかけてくれての言葉であった事は間違いないであろうし、それ自体は素直に嬉しかった。
微笑みながら、素直に礼の言葉を返す。
「…はい。ありがとうございます、志崎先生」
「どういたしまして。ではこれにてホームルームは終了。…みんな、自由にしていいわよ」
「?」
最初はなんの事かと思ったが、その言葉を聞いた次の瞬間、ガタガタガタ!と激しく椅子のこすれる音が鳴り響く。
「きゃ…!一体何!?」
突然の事態にたじろいでいる間にも、凄まじい勢いで駆けつけてきたクラスメイト達にあっという間に包囲されてしまう。
「わあー!凄ーい!ホンモノのリリィだぁ!その後ろに下げてるのがCHARMなの?」
「小此木さんってあの百合ケ丘から来たんでしょ!やっぱりお昼休みは生徒全員でお茶会とかするの!?」
「学校の中に足湯とかエステとかプライベートビーチがあるって本当!?」
「やっぱりやっぱり、全校生徒「なんとかですわ〜」とかっていうの!?」
「ねぇねぇ!!ぶっちゃけリリィってどれくらい稼げるの!!?」
「えぇっと…?」
矢継ぎ早に繰り出される質問のオンパレードに半ばパニックに陥ってしまう瑠流。
脇にいた志崎へ視線で助けを求めると、呆れたように笑いながら答えた。
「ふふ、ごめんなさいね。この地区にはリリィは滅多に来ないから、みんな貴女に興味津々みたいなの。…ほらみんな!そんなに一気に質問しては小此木さんが困ってしまうでしょう?質問があるなら、順番に」
「「え〜!?」」
志崎の発言にぶうたれる生徒たち。
そんな、以前の学校とはあまりにもかけ離れた雰囲気に圧倒されてしまう。
「と、とりあえず…」
それでも、律儀な瑠流はせめて何か答えを返さねばと頭をひねり。
「足湯は、あったかなぁ…?」
ようやっと絞り出した答えに、何故か「お〜…!」と歓声と拍手が巻き起こり、初日のホームルームは無事に終了した。
◆ ◆ ◆
いくつかの走り書きが書かれたメモを片手に、瑠流は廊下を進んでいた。
「西校舎一階廊下の、一番奥…。ここかな?」
目指すのは、リリィである瑠流に控え室として貸し与えられた第二準備室だ。
校舎の端にあるという事もあるのだろうが、進むにつれて人の気配は殆ど感じられなくなっている。元々あまり使われなくなっていたという教室を突貫工事で改修したとの事だったので、普段から人が出入りするような場所では無いのだろう。
しばらく進むと、丸っこい手描きの文字で「リリィ控え室♡」と書かれた紙が雑に貼り付けられているプレートが見えた。
どうやら目的地に到着したようだ。しかし、数回ノックをしてみても返事が帰ってくる様子がない。
「鍵は…空いてる。失礼します」
丁寧に引き戸を開く。明かりはついてるが、どうにも人の気配が感じられない。
机の上に置かれたマグカップからほんのりと湯気が立っているところを見ると、先程まで誰かが居たことは間違いないようだが…。
(それにしても、すごい設備。とても急ごしらえで作ったとは思えない)
ざっと見渡した限りでは、教室二つ分をぶち抜いて繋げたような広さだった。第一がなく、第二準備室だけあったのはおそらくそういうことだろう。
とはいえ、室内の半分ほどは何やら難しそうな機材やコンピュータが所狭しと並べられており、あまり広々とした印象はない。
百合ケ丘在籍時代に訪れた、工廠科生徒の工房にもあった機材に似たものもあり、CHARMの調整などもどうやらここで行うようだ。
(ーーこれは?)
そんな中、いやに存在感を放つ一つの物体が瑠流の目に止まった。
(これは…CHARM?)
それは、部屋の最奥部の台座に置かれた、長さ一メートル程の幅広の剣のようなものだった。
わざわざ剣の
刃と柄を隔てる鍔はなく、全体を通して一つの黒い金属の塊の様な、不思議な形の剣だった。
特に目立った装飾はないが、随所に走る赤く発光したラインが何とも不気味な雰囲気を漂わせている。
(CHARMにしては小ぶりだし、特に目立った変形機構も見つからない…。でもなんというか、凄く禍々しい?というか。それにコアクリスタルも真っ黒……)
コアクリスタルはCHARMのマギ制御機能の要となる水晶状のパーツの事だ。本来は美しい輝きを放っているはずだが、その黒剣の収まっているコアクリスタルはまるで深い闇の如く真っ黒く塗りつぶされていた。
ある種の怖いもの見たさのような感覚で、なんとなしに手を伸ばした。ーーその時。
「そ、それに触っちゃ、ダメ…!!」
「え…?」
突如聞こえてきて制止の声に思わず手を引っ込めようとするが、既に指先は触れてしまっていた。
次の瞬間、触れた指先を通して、ぞわりとした得体の知れない感覚が瑠流の体を駆け抜けた。
「きゃ…!?」
瑠流が短い悲鳴をあげた途端に、バチィッ!と激しい火花を散らして弾きとんだそれは、乾いた金属音を響かせ床に転がる。
言い知れぬ不快感に思わず自分の手を見やる。 どうやら特に目立った外傷は無さそうだ。
(なに、今の…?)
「だ、大丈夫ですか…!?怪我は…」
慌てて駆け寄ってきた先程の声の主は、おそらく瑠流と同年代くらいの少々小柄な少女だった。
青みがった緩いカールの巻いた髪をツインテールで結わえている。
つり目がちだが、ぱっちりと開かれた大きな目も相まって、まるでお人形のような可愛らしさを感じさせる。
尻もちを着いた瑠流を心配そうに覗き込みながらこちらに手を伸ばした。
「大丈夫です。ありがとう」
そんな少女の手を取りゆっくりと立ち上がる。
瑠流の体に大きな異常が見当たらない事を確認したその少女は、ほっと胸をなで下ろしたあと、慌ててぺこりと頭を下げた。
「す、すみません…!普段は鍵を閉めているんですけど、お茶を買いに行くちょっとの間だけだと思って、つい…」
「気にしないでください。元はと言えば、勝手に触った私の方が悪いんだもの。こちらこそごめんなさい…」
そもそも、人がいないからと言って勝手に物色を始めたのは自分の方であり彼女に非はない。
「い、いえ…!この時間帯にリリィの方がいらっしゃる事は事前に聞いていましたし、何より来客直前までお茶を切らしていたことに気が付かなかった私の方が悪かったんです…!ごめんなさい…!ごめんなさい…!」
それでも構わず謝罪を続ける少女。このままでは堂々巡りである。
そう思った瑠流は、多少強引にでも話題を切り替えることにした。
「えぇっと。それはさておき、あなたは?」
「ご、ごめんなさい…。到着とご挨拶が遅れてしまって…」
慌てて鞄から何かのケース取り出すと、慣れない手つきでカードのようなもの……名刺を取り出し、おずおずと瑠流の前に差し出す。
「今日からお世話になります。わ、私は、株式会社アリス・テクノ CHARM開発部リリィ課所属、