晴れ渡る青い空。そして白い雲。
どこからともなく聞こえてくる子鳥のさえずりが心地いい、そんな昼下がりである。
ヒュージの襲撃を退け安息を取り戻した折坂町。
被害を殆ど出さずに事態が収束したこともあって、早々に避難指示を解除された町人たちが安堵の表情を浮かべながら続々と家路についている。
そんな人々を眺めながら、三人の少女が公園のベンチに並んで腰掛けていた。
何故か、ラーメンの入った大きな丼鉢を片手に。
「いやあ、青空の下で食べるラーメンは格別だ」
そう淡々と語りながら無表情でラーメンを啜り上げる、キャスケット帽を被った謎の出前少女、もとい花小金井鞘。
そんな彼女とは対照的に、隣に並んで座っている小此木瑠流と有栖川仁乃の二人は、困惑と虚無が入り交じったような、なんとも言えない絶妙な表情で目の前の丼を見つめていた。
(いや、すっごく伸びきっているんですが…)
伸びるともったいないから、といって手渡された筈のラーメンは、既に、それはもう見るも無惨な程ブヨブヨに伸びきっていた。もっとも、出前をサボって昼寝をしていたというのだからそれも当然なのだろうが。
スープに至ってはもはや麺に水気を吸収し尽くされており、見ていてもまったく食欲をそそられない。
蓮華で僅かに残ったスープをすくい上げ口へ運ぶと、魚介をベースとした濃厚な味わいが口いっぱいに広がり、味はとても"美味しかった"事がわかる。こんな状況でさえなければと、ほんのちょっぴりだけ悔やんだ。
「あたしさ」
などと考えていると、隣に座っている鞘が箸でつまみ上げたナルトを見つめながら呟いた。
「昔、ラーメンのナルトとメンマの名前を逆に覚えてたんだ」
開幕一行で完全に興味を削がれる内容だったが、まだ続きがありそうだったのでとりあえず黙って続きを待つ事にする。
「だって、名前からして意味わからないし、連想出来ないじゃん、見た目から。それでクラスメイトにバカにされてさ。その事に無性に腹が立って、名前の由来とか調べてみたんだ」
聞きながら、ラーメンを啜る。
当然ながら、不味い。
「そしたら、どうやら昔鳴門海峡っとこがあったらしくて、そこで起こるでっかい渦潮が由来だったらしいんだ。今はヒュージの攻撃のせいで地形が変わっちゃって、もう見られなくなったらしいんだけど、図書館に映像資料が残っててさ。それが凄い迫力だったんだ」
すくい上げた麺が、口元に運ぶまでもなく自らの重みで千切れ、ボトボトと丼に落下する。跳ね上がったスープが一滴頬に付着したが、無表情のままハンカチで拭った。
瑠流は、このラーメンを作ったであろう料理人の事を思い、なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。
と同時に、本来自分が感じる必要のないこの罪悪感を不本意ながら背負わされてしまったという事実に、何となく腹が立ってきた。
「幼いながらに思ったよ。一見なんの意味もなさそうなものにも、実はちゃんと意味があるんだなぁ、って」
「…そうですか」
思わず天を仰ぐ瑠流。
それ以上の感想はなかった。精々、そうなんだ、くらいにしか思えなかった。
(私は一体、何をしているんだろう…)
ヒュージとの死闘を演じ、仁乃と衝突し、孤高に闘う決意を新たにしたその矢先での、ママチャリ衝突事件。
その珍事に毒気を抜かれ、先程までのヒリついた空気は消え失せてしまっていた。
真隣に座る仁乃とも、先程までのやり取りのせいで非常に気まずい。
ちらりと横目に様子を伺ってみるが、その表情はやはり虚無で、虚空を見つめたままひたすら伸びきった麺を啜っていた。
「それはそれとして。アンタたち、新しく来たリリィの人だよね」
こちらの複雑な心境もお構い無しに、話の脈絡を完全に無視して質問を投げかけてくる鞘。
どうやら彼女は、超がつくほどのマイペースな人間のようだ。
「ええ。その通りですけど…」
先程までの雑学混じりの自分語りに一体何の意味があったのかは分からないままだが、永久に分からないままでもいい気がしたので、ここはもう言及しない事にした。
「そっか。町を守ってくれてどうもありがとね。今までも防衛隊の人達が何とかしてくれてたけど、どうしても銃創とか残るし、補修作業とか大変だったから、ここまで被害が少ないのはほんと助かるよ」
「ど、どういたしまして」
意外なほど素直に礼を言う鞘に、正直面食らってしまう瑠流。
目の前でぺこりと頭を下げる彼女からは悪意や敵意の類はまるで感じられず、それが心からのものである事が何となく理解できた。
…だとしたら、やはり自転車で跳ね飛ばしたことをまず謝って欲しい気がしたが。
「でもそれにしたって、さっきの発言はないと思う」
そう言って下げていた頭を再び起こす鞘。
「…私、何か変なことを言いましたか?」
「いやほら言ってたじゃん。『私のカリスマが~』みたいな事。アンタがどれほどの人間かなんてあたしは知らないけど、その歳でさすがに自称カリスマ発言はちょっとイタすぎるというか…」
「…は?」
鞘の指摘に、思わずポカンとしてしまう瑠流。
一瞬考え込んで、それが先程の仁乃との諍いの中での会話の事だと理解した。
どこまで聞いていたのかは知らないが、恐らくレアスキル『カリスマ』と、人徳を意味する本来の意味でのカリスマとを混同してしまっているようだ。
「いえ、あれは…」
とりあえず、あらぬ誤解を招かぬよう訂正を入れようとするが。
「や、恥ずかしがらなくていいよ。私も十二歳ぐらいまではよくそういう妄想してたから気持ちはわかる。でもさ、妄想と現実の分別はつけなきゃ。後輩の子も怖くて泣いてたじゃん」
「…え!?」
どうやら彼女の脳内裁判では既に『こいつはカワイソウな奴だ』という裁定が下っているようだ。
瑠流が言い終わるのも待たず、生暖かい視線を向けながらこちらを聡そうとしている。…気がする。
そんな彼女の一方的な態度に、さしもの瑠流も少しムッとした様子で抗議する。
「あ、あれはそういう涙じゃないです。というか待ってください。どうして私がちょっと頭のおかしい子みたいな扱いを受けてるんですか?レアスキルですよ、レアスキル!」
「『レア過ぎる』…?この人、この期に及んでまた自画自賛を……こわっ……」
「ち、違います!リリィ一人一人に与えられる特殊能力の事ですよ!貴方もそれくらいはご存知でしょう!?」
瑠流の発言に、顎に手を当て暫し考える素振りをーー
「ちょっと何言ってるか分かんない」
「なんで何言ってるか分からないんですか!?」
したかと思えば、ノータイムで否定してきた。
「そんな一般常識みたいに言われても…。あたしただのラーメン屋のバイトなんですけど」
「事実として一般常識なんですよ!というか、さっきリリィについても知ってそうな口振りだったじゃないですか!?」
「いや、そんな詳しくは知らないよ。めっちゃスカート短い衣装着ながらスピリチュアル的なパワーでデカい武器を振り回してる特殊部隊の人達ってぐらいの認識しかないし」
「貴方の頭の中のリリィ観どうなってるんですか!?世の中の全リリィに謝罪して下さい!!」
鞘は、まくし立てる瑠流を気にも留めず、芝居掛かった口調で言った。
「貴方は単に、私のカリスマに惹かれただけなのではないですか?(キリッ)」
「またその話掘り返すんですか!?というか痛々しいので効果音を口に出して言わないでください!こっちまで恥ずかしくなってきたじゃないですか!」
「いやだから、アンタが恥ずかしい奴だって話をしてたんだけど」
「だからそれはレアスキルが……!」
「『レア過ぎる』…?この人、この期に及んでまた……」
「嗚呼!!!」
暖簾に腕押し。糠に釘。堂々巡りのエンドレス無限ループに陥り、瑠流のストレスも最早有頂天である。
すっかり取り乱し思わず地団駄を踏みそうになるのをグッと堪えた。その時。
「…ぷっ。ふふっ」
ふと、鈴を転がす様な、可愛らしい笑い声が響く。
二人揃って声のする方に振り向くと、先程まで虚無顔でラーメンを啜っていたはずの仁乃が、可笑しそうに、少し控えめに笑っていた。
「ご、ごめんなさい…!でも、ふふっ…!可笑しくって、つい…!」
二人の視線に気がついた仁乃が慌てて口元を覆う。笑いを堪えるのに精一杯の様子だった。
不覚をとられた瑠流も、慌てて居住まいをただし、軽く咳払いする。
一方の鞘は、相も変わらず感情の読めない無表情のまま、力強くサムズアップして言った。
「『女にとって、涙は最強の武器。笑顔は最高の化粧』。人間、なんだかんだ笑ってるのが一番だよね」
ようやく落ち着いてきたのか、笑い過ぎて零れそうになっていた目元の涙拭いながら、仁乃が質問する。
「あの、さっきから何度か引用してるその格言っぽいのは一体何なんですか?」
「あぁ。あたしの唯一尊敬する、師匠の言葉だよ」
「…師匠?」
「うん。親がいないあたしを引き取ってくれて、今まで育ててくれたんだ。すっごい尊敬できる人だったよ」
(…だった?)
「さてと、あと笑ってないのはアンタだけだけど」
そう言って、会話を一旦打ち切り瑠流の方に向き直る鞘。
当の瑠流は、ある程度落ち着きを取り戻した様子で、僅かに残っていた残りのラーメンを完食すると、手を合わせ「ご馳走様でした」と言うと、ゆっくりと立ち上がった。
「…では、私はこれで」
鞘からは反省の色は微塵も感じられないが、リリィとして言うべきことは言ったつもりだ。
それでも彼女が態度を改めるつもりがないなら、学校側に連絡を入れ然るべき立場の人間に注意をして貰えばいいだけだ。
名前も聞いているし、制服を見る限り同じ学校の生徒なのだろう。担任の志崎にでも説明すれば、後は学校側対応するはずだ。
何より、このまま彼女と一緒にいても、相手にペースを持っていかれたまま一方的に振り回される未来しか見えない。
早々に立ち去るのが吉と考え、歩き出そうとした、その時。
「とう」
「きゃ…!?」
不意に、体重を掛けていた瑠流の膝裏へ、鞘の緩いローキックがポコンと命中する。
突如バランスを崩されつんのめってしまうが、辛うじて転倒を免れた瑠流は、振り返り鞘を睨みつけた。
「いきなり何するんですか!?」
一方、相対する鞘は微塵も詫びれる様子もなく堂々と言い放った。
「いや、あたしの要件まだ済んでないんだけど」
そう言うと、ゆっくりと立ち上がり真正面に立つと、警戒からか、壁を作るように無意識に前に構えていた瑠流の左手をがしっと掴んだ。
「と、突然何を…!?」
「いや、アンタ何となくつまらなそうな顔してたから、ほっとけないなと思って。…というわけで、アンタが顎外れるくらい大笑いする所を見るまでは一緒にいる事にするから」
「そ、そんな勝手な…」
無茶苦茶な宣言を言い放つ鞘の表情は、やはり情緒を読み取れない無表情のままだったが、こちらを見つめてくるその瞳はどこまでも真っ直ぐだ。
言っていることはまったくもって滅茶苦茶だが、一点の曇りもないその美しい紫紺色の瞳に、瑠流は思わず見入ってしまいそうになる。
「ほら、アンタも」
「ひゃい…!?」
鞘は、そのままベンチに座り込んでいた仁乃の手を掴んで引っ張りあげると、唖然とする二人の手を引いて歩き出した。
「アンタたちさ、この辺越してきたばっかで、町のこととかまだあんまり知らないでしょ?折角だし案内したげるよ」
「だから、結構ですってば…!」
「いいから着いて来なよ。自分たちが守る町の事くらい、ちゃんと知っといた方がいいって」
振り解こうと手に力を込めるが、不幸にも握りしめられているのは握力を失ってしまっている左手だ。
瑠流は、諦めたように深いため息を吐き出すと、観念したのか、それ以上は抵抗すること無く鞘の後ろに続いて歩き出した。