夢を見ていた。多分、随分前のことだったと思う。
雪がしんしんと降りしきる寒空の下、焚き火を挟んで、あたしと、向かい側にはキャスケット帽を被った一人の壮年の女性が、毛布にくるまっている。
『いいかい。これはね、約束だよ。アンタが人間であり続けるための約束』
手馴れた手つきで薪を日の中に放り込んでいく。
時折聞こえてくる、木の爆ぜるパキッとした音や、伝わってくる柔らかな火の熱がとても心地よかった。
『人と出会ったら、必ず挨拶をすること。困っている人が居たら、必ず手を差し伸べてあげること。寂しそうにしている人が居れば、一緒にご飯を食べてあげること』
一つ一つ念を押すように、ゆっくりと、しかし力強く言い聞かせる。
『何があっても、この三つだけは絶対に守んな。そうすりゃあ、きっと大丈夫』
彼女の言葉の一つ一つが、焚き火の日の熱と同化するように体の隅々まで染み渡っていく。
これは多分、ほんとに忘れちゃいけないやつだ。
目を閉じて、心と体を研ぎ澄ませ、なんかこう……自分の心の芯みたいな部分に、じっくりと刻み込んでいく。
『アンタがそうあり続ける限り、アンタは歴とした人間だよ』
そっから先は覚えてない。多分寝落ちした。
哲学やら何やら、むずかしい話が苦手なあたしにとって、その言葉はあまりにもわかり易すぎる『道標』になった。
◆ ◆ ◆
「う゛ぁ゛っ」
「あぁやっと起きた!ほんとどういう神経してんのぉ!!?」
けたたましいサイレンの音。人々の悲鳴。激しく上下に揺さぶられる感覚。
それらの全力で安眠を妨げてくる要素が三つ折り重なってようやく花小金井鞘の重たい瞼が開かれた。
サイレンと同時に聞こえてくる避難誘導音声を聞くに、またヒュージが出現していたであろう事が分かる。
寝ぼけ眼を擦り、トレードマークのキャスケット帽のズレをなおすと、自分を背負ってくれている親友、伊勢崎理玖の後頭部に顔を埋める。
「おはよーりっちゃん。悪いんだけどさ、もうちょい安全運転でお願い。揉みしだきたいくらい柔らかいシートだけどこうも揺らされたら乗り心地最悪かも。……あ、ってかシャンプー変えた?すごいいい匂い」
「避難警告出てるのにてくてく歩いて動けるわけないでしょがこのおバカさんめ!!どんだけ揺さぶっても起きないし、私じゃなかったら置き去りにしてるよホント!?あとシャンプーは変えた!こないだ雑誌で定盛ちゃんが紹介してたやつ!」
「へー。あとで商品名メールして?」
「OK!!!!」
慌ただしい周りの雰囲気などお構い無しに軽口を叩く親友に、半ばヤケクソ気味に返答する理玖。
警報が鳴ったのは突然のことだった。
第二準備室に入り浸り昼休みを終え、何百年も昔の短歌の読解についてうんたらかんたら述べている教師の声を聞き流し、四限目特有の地獄のような睡魔に耐えていた矢先の警報。
理玖の様な常人の感性を持っていれば眠気などは一瞬で吹き飛んでしまうものだが、彼女に関してはそうでも無いようだった。
「それにしても本日も惚れ惚れするようなツッコミだね。ヒュージ居なくなったらあたしと一緒にM-1獲ろうよ。賞金使って叙〇苑で焼肉食おう」
「M-1って何あと叙々〇って何!?焼肉は食べたいかもしれないけど!」
「OK」
そこまで言うと、理玖の背中から飛び降りた鞘は、避難場所とは反対方向、ヒュージ達が出現したと思われる市街地エリアの方へと駆け出していく。
「わっとと……。ってかどこ行くつもりなの!?」
「ちょっと様子見てくるよ。気になるし」
「はい!?なに馬鹿な事言ってんの!?いいから戻って!!」
しかし、理玖の制止の声も何処吹く風。
無理やり腕を掴もうとしても、風に舞う柳の葉の如くするりと躱されてしまう。
「だいじょぶだいじょぶ」
それでも、心配そうに縋り付く親友を落ち着かせるためだろうか。
力強く親指を立てながら、不敵な笑みと共に答えた。
「なんたってあたしは、"無敵"だからね」
◆ ◆ ◆
一方こちらは、折坂町南西に位置する市街地へと続く大通りだ。
「……はぁ!」
避難は既に完了しているのか人の気配はほとんどなく、CHARMとヒュージの凶爪がぶつかり合う音、そして二人の少女の声が響いていた。
折坂女子、もといアリステクノが介するリリィ。小此木瑠流と有栖川仁乃の両名だ。
対峙するは、背後にある人々の営みを破壊せんとする未知の侵略者、人類の敵、ヒュージ。
「仁乃ちゃん!そっちお願いします!」
別方向から迫る一体のスモール級ヒュージを仁乃に任せ、目の前の複数の元へ踏み込む瑠流。
自慢の盾でその攻撃を次々と受け流し、ヒュージを一刃の元に切り伏せていく。
「あ、え、はいっ……!」
一方で、瑠流のフォローに徹していた仁乃は慌てた様子で手元のCHARMをシューティングモードに切り替え、迎撃を試みる。しかし。
「……あ」
変形の際の衝撃で手元が狂ったか、重心を崩し思わず躓きそうになる仁乃。
その一瞬の遅れが仇となり、遅れて放たれた弾丸はヒュージが通った後の空間を無意味に通過する羽目に。
「くっ……!」
「す、すみません!わたし…!」
目の前のヒュージを切り伏せ、即座にUターンし通過したスモール級の背中を追う。
振り向きざまに目にいっぱいの涙を貯めた仁乃が一瞬視界に移るが、反応している余裕はない。
「(間に合う…!けど、ある程度の周辺被害は覚悟した方がいいかもしれませんね)」
瑠流の持つCHARM、『ハンプティ・ダンプティ』は前衛での近接戦闘に重きを置いたCHARMだ。シューティングモードの精度は遠距離型のものよりも若干劣る。
数発打ち込めば難なく撃退できるであろうが、ヒュージを挟んだ反対側にある焼肉屋の店主には、後程謝罪に伺う必要がありそうだ。
意を決し、引き金に力を込めようとしたその時。
「ダイナミック☆エントリー」
「!?」
よくわからない掛け声と共に、突然飛び出して来た人影が、そのヒュージに見事な飛び蹴りを浴びせていた。
別ベクトルからの急な衝撃によりバランスを崩したヒュージは、そのまま地面に衝突する。
「鞘さん!?」
ヒュージを蹴り飛ばし、およそ女子高生とは思えない身のこなしで見事な五点着地を決めたその人影は、瑠流もよくご存知の同校の問題児、花小金井鞘だった。
「CHUAAAAAAAA!!」
怒声とともに起き上がるヒュージ。
「そんなバカな……!ガ〇先生直伝のほとばしる青春のキックが通用しない…!!──って当たり前か、CHARMしか効かないんだし。ははウケる」
ヒュージはリリィのみが扱うことの出来る武器、CHARMでしか打倒できない。
いくら高所からの飛び降りにより位置エネルギーを上乗せしていたとしても、通常の人間の力では傷一つつけることは叶わないのだ。
「SYA!!」
いくら言葉の通じない異形の存在とはいえ、余裕綽々な彼女の態度に何か感じるところがあったのだろう。
目の前でヘラヘラしている少女の顔面に一撃を入れようと爪を振るうが。
「あらよっと」
当たらない。次々と繰り出されるヒュージの攻撃を、ヒラリと身を翻し交わしていく鞘。
「ピッチャービビってるー。へいへいへい」
「GYUUU………ッ!!!」
出す攻撃出す攻撃が次々と躱され頭に血が上ったか、ヒュージの動きはみるみる正確さを失っていく。まさに鞘の思う壷だった。
「そんなキレんなし。カルシウム足りてないんじゃないの?煮干し食べる?口開けて、はいアーン」
「SHAAA!!」
「ばかめ、それは残像だ」
「!?」
……それにしても、少々煽り過ぎの感があるが。
「いや何やってるんですか貴女はぁ!?」
「おー、瑠流に二乃じゃん。ごっきー☆」
怒声とともに駆け寄ってきた瑠流、仁乃の両名に、謎の挨拶を交わす鞘。
「その身の毛もよだつような挨拶は一体なんですか?」
「ごきげんようのフランク版。流行らせようかと思って」
「……絶対流行らないと思います」
ゲンナリした様子でため息を吐くと、そのまま顔色一つ変えずにCHARMを振るい、目の前のスモール級にとどめを刺した。
「GYA…!?」
「……対象の絶命を確認。帰投します」
耳に取り付けたインカムに任務完了の一報を入れると、これまた緊張感の欠けるふわりとした声音が返ってきた。
『ご苦労さま〜。お紅茶入れて待ってるわね』
仁乃の姉にして、瑠流達特別駐在リリィの上司にあたる有栖川仁愛だ。
「仁愛ちゃん。あたしアールグレイがいい」
『あら、鞘ちゃんも居るの?気をつけて帰ってくるのよ〜』
「はーい」
無遠慮に顔を近づけ勝手なリクエストと共に応答する鞘。そして、それを慣れた様子で受け答えする仁愛。
「はい皆さん本日もお疲れ様。それじゃ、被害状況確認したらとっとこ帰r──」
その場を勝手に取り仕切り、解散の号令をかける前に、瑠流のゲンコツが鞘頭頂部に他は叩き落とされた。
「あいったー!!!」
「何回言ったら分かるんですか!!!!!ヒュージと戦うのはリリィの仕事なんですよ!!!!お願いですから一般人は大人しく守られててください!!!!!」
そう。先程の仁愛の慣れた応答からもわかるように、今回のような事は今に始まった事ではなかった。
瑠流が折坂町に着任してから早一ヶ月。決まって折坂町周辺にヒュージが現れた際は、毎回のように彼女が横槍を入れてくるのだ。
流石にラージ級以上の相手が出現している際は遠方で見かける程度だったり、直接戦闘には介入してこないが、それでも本来守るべき市民が戦場をスタコラ駆け回っている様子は正直気が気ではないのだが。
「やだ」
「即答!?」
それでも、再三の注意も意に介さず毎度の如く彼女は現れた。
いつもの、この世の全てを舐め腐った様な笑顔と共に。
「あの……。だったら鞘さんもリリィになってくれませんか…?鞘さんが仲間になってくれたらとっても心強いんじゃないかな……って。それに……」
そこまで言って、すとんと視線を落とす仁乃。すると、一つ、また一つと仁乃の足元に涙の落ちた後が増えていく。
「わたし、また足を引っ張ってしまって、わたしみたいな役立たずなんかより、きっと鞘さんが居てくれた方が……」
「なに、仁乃?アンタ、またなんか失敗しちゃったの?」
「……」
コクコクと何度もうなづいて仁乃は答える。
声に出すと、きっと泣き出してしまっていただろうことは、傍目に見ていた瑠流にも容易に分かった。
鞘が、そんな彼女の様子を見兼ねてか、俯く彼女の肩に無遠慮に手を回す。
「ま、あんま気にしない方がいいよ。『失敗は成功の素だが、行き過ぎた自己嫌悪はその素を食い潰す』。あたしの師匠が言ってたよ」
「で、でも…」
「それに、ちょっとやそっとの失敗じゃ、あいつは見捨てたりなんかしないんじゃない?」
目線でパスを送られ、思わず小さくため息をこぼす瑠流。
なんと言葉を掛けるべきか、しばし逡巡している間にも、バチリバチリと下手くそなウインクで合図を送ってくる。
「……私も、初陣の時は恐怖で足が竦んで上級生に迷惑を掛けたこともありますから。みんなが通る道、だと思いますよ」
「瑠流さん……!!」
「優しいじゃん?」
「……昔自分がして貰った事を返しているだけです」
鞘の鬱陶しいアイコンタクトに観念したように慰めの言葉を掛ける。
メンタルが憔悴しきった仁乃には、その言葉だけで充分効果てきめんであった。
「ゔ、ゔゔゔゔゔゔぅ〜…!!」
「あはは。ガチ泣きじゃん」
「こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛〜!!」
感情が抑えきれなくなったのか、幼子のように泣き崩れてしまう仁乃。
鞘はそんな彼女をあやす様に、肩を抱いたままぐしぐしと頭を撫で回した。
「ま、あたしスキラー数値めちゃくちゃしょぼいから、どっちみち変わってやることは出来ないけど。だからさ。世界の平和とか人類の未来とか、その辺のことはアンタらに任せるからさ。あたしはあたしのやり方でこの町を守るよ。それ以上の事はしないし、無茶もしない。それでいいでしょ?瑠流」
「……」
いつもとは違う、少し爽やかな笑顔だった。
嫌味ではなく、彼女の信念と自分たちへの信頼が入り交じった、好意的な笑顔。
瑠流も、それに応えるように穏やかな笑顔で言った。
「それとこれとは話が別です」
「ですよねー」
「なんかいい話でまとめようとしてますけど、貴女にはまだまだ言いたい事が沢山あるんですからね?」
「ですよねー!」
ぐずったままの仁乃の手を引き、ぶうぶう文句を垂れる鞘を引きずりながら苦言を呈し、帰路に着く。
「あら?」
すると、ポケットに入れていた携帯端末にメールの着信が入る。
画面に表示された送り主の名前は伊勢崎理玖だった。
『今日もお疲れ様!さっき避難警告解除されたよ〜!!ありがとうね!ラーメン作って待ってるからこの後うちの店に集合ね!!』
「……本当に、しょうがない人達ですね」
折り畳んだ携帯端末をポケットにしまい、再び歩き出す。
いつの間にか、この慌ただしく、騒がしい毎日が小此木瑠流の新しい日常になっていたのだった。