「合同トレーニング…ですか…?」
「ああ。チーム〈スピカ〉との合同トレーニングだ。」
キョトンとした様子のキタサンたちを前にして、今日のトレーニング内容を説明する。
夏合宿初日からスピカTと話し合って決めたトレーニング内容、それは…
「登山だ。」
「登山!?」
一々反応がデカいな…と思いつつ、話を続ける。
「今回、スピカのトレーナーと話し合って、決めた内容なんだが…趣旨としては、スタミナの補強と強いチームのトレーニング風景から今後のトレーニングの参考になる点を見つけよう、といったところだな…。特に、キタサン、ドゥラメンテ、お前らは二人とも、今度の菊花賞への出走が決まっている。…ドゥラメンテにとっては、今回勝ったら、クラシック三冠制覇…だしな。まあ、とにかく、全力で取り組むように…以上。って感じだな。じゃあ、集合場所に向かうか。」
「はーい。」
という返事と共に、ゾロゾロと旅館を出ていく。
しかし、住めば都という言葉もあるが、初日には汚いと思っていた旅館でも、だんだん慣れてくるものだ。
明日で、この夏合宿も終わりか…。
という、感慨とともに、思いの外、綺麗に見えてきた旅館に軽く会釈して、俺たちは、集合場所である山道の入り口へと向かった。
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車を走らせる事、数十分ほど。
だいぶ周りの木々も濃くなってきた。
談笑をする後ろの四人と、朝からハイテンションなドゥラメンテを軽くあしらいつつ、運転を続けていると、何やら、木でできた看板と駐車場らしきスペースが見えてきた。
昨日、雨が降っていたからか、少々ぬかるんでいる地面の上でゆっくりとハンドルを切りつつ、駐車をしていく。
「よし、到着だ。」
車のドアを開けた瞬間に入ってくる湿った空気と鳴り響く蝉の鳴き声。
しかし、木々のおかげか、思いの外、外は暑くない。
これなら、トレーニングをするのにも差し支えはなさそうだ。
さて、スピカを待つかと、待つこと3分。
もう一台の車が、遠くから近づいてきた。
「おはよう、西岡。と…こいつらが、お前のところのチームメンバーか。今日は、よろしくな。おい、お前らも挨拶しろよ。」
車から降りてきたスピカのトレーナーさんが挨拶してくるので、チーム一同軽く会釈で返す。
その間、ギャーギャーと割と自由にやっている様子のスピカのメンバー達。
その後、スピカTが集合をかけ、全員が登山道の入り口に集まる。
「じゃあ、今日のトレーニングの内容について説明するぞ。まず、今回のトレーニングはチーム対抗だ。先に、頂上に到着した方の勝ち。ここまではシンプルだな。それで…当然勝者には報酬が与えられる。…その報酬は…これだ!」
少し芝居がかった口調で、スピカTが一枚の紙を掲げる。
あれは、確か…。
途端、フラッシュバックする記憶。
随分と軽くなった財布を思い出し、軽く身震いする。
「スイーツ!スイーツですわ!」
と、真っ先にスピカから上がる、以前も聞いたことがあるような声。
「その通りだ、マックイーン。これは、某高級ホテルのスイーツ食べ放題券だ。」
あれ、高かったんだよな…。
割り勘といえども、人数と一人当たりの値段がな…。
…これで、トレーニング効率が上がることを祈って。
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「キタちゃん、準備は大丈夫?」
「もちろん。でも、その前に…。」
そう言うと、山道手前で準備運動をしているスピカのところに向かうキタサン。
「みなさん、本日はよろしくお願いします。…そして、テイオーさん。私じゃまだまだ届かないかもしれないですけど…今日は精一杯食らいつきます。よろしくお願いします。」
それを聞いたテイオーは一瞬キョトンとした表情を作るが、すぐに収めて、
「…言うじゃん。へへっ…。わかった。ボクも、絶対に負けないからね。」
と、微笑む。
「キタちゃん、もう始まるよ。」
「わかった。ごめんね、どうしても…テイオーさんに伝えたいことがあって…。」
「なるほどね。キタちゃんらしい…とにかく、並ぼう?」
あたふたとしながらも、二人揃って列に戻り、スタートを待つ。
「よし、それじゃ、行くぞ。位置について、よーい、ドン!」
スピカTの掛け声のもと、ベガ、スピカ両チームとも一斉に駆け出す。
「それにしても…山を登るなんて初めてだよ…。キタちゃんは、登ったことってあったりする?」
「私も...そんなに登った事があるわけじゃないけど...お父さんに、何回か、連れてきてもらったことはある…かな。」
山道を駆け上がりながら、言葉を交わす二人。
今のところは、順調なペースで進めていた。
「おーい、キタサン、ダイヤ、いくぞー。」
少し、前を走っていたドゥラメンテが振り返る。
「そうですよ!バクシンッ!バクシンあるのみですっ!」
「おい、バクシン、お前は少し落ち着けよ…スタミナ持たねぇぞ?というか、絶対勝つぞ、お前ら!私は、絶対にゴルシだけには負けたくねぇんだ!」
「わかりますっ!フェスタ先輩!私も、テイオーさんに少しでも、追いつきたいんですっ!」
と言うなり、足を早めていくキタサン。
「…キタちゃん。私も、少しでも、憧れに…。」
と、ダイヤも速度を上げていく。
「よっしゃ!お前ら、その意気だ!まだ〈スピカ〉はちょっと前だけど…絶対に追いつこうぜ!」
と走りながら、檄を飛ばすドゥラメンテ。
「「はいっ!」」
と掛け声をあげるメンバーたち。
チーム〈ベガ〉はどんどんと速度を上げていく。
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「西岡、お前、ここの山に来るのは、初めてか?」
「はい、まあ…そうですね。」
登山用の山道とは別の車向けの道をスピカTの運転で進んでいく。
「トレーナーさんは、ここに来たことがあるんですか?」
「ああ。まあ、数年前はトライアスロンなんてこともやったもんだが…ここを使ったのは…去年あたりだったかな。もともと、こういうトレーニングの時は、バイクを使って並走していたもんだが…流石にここの山道の狭さじゃ厳しいんだよな…。車は車で、道が整備されてるし、俺たちは、ウマ娘には追いつけないから、先に頂上に行くしかないわけだが…それにしても、ここの頂上から見える景色は絶景だぞ。ほら。」
と、そう言っているうちに着いたようで、スピカTが車から降りる。
山の頂上から見える景色。
特に、この辺りは海に近いからか、青と山々の緑のコントラストが美しい。
しかし…一つ、気になることがあった。
「…雲行き、怪しくないですか?」
「ああ、俺も今、それを言おうとしていたところだ。」
少し、スピカTは考えるような素振りを見せると、一旦車に戻って、すぐに、リュックサックをトランクから引っ張り出して、戻ってくる。
「…雨が降りそうだな。トレーニングは中止に、した方がいいかもしれない。おい、西岡。連絡入れとけ。相当雲行きが怪しいから、俺たちも一旦山道を逆から行ってアイツらと、合流しよう。」
「わかりました。」
メンバーに電話をかけてみるが、繋がらない。
仕方がないので、メッセージを残し、背負っていたリュックを背負い直す。
応急処置用の救急箱や、サバイバルグッズは念のため、持ってきてある。
「行くぞ。」
と言うスピカTに会釈で返し、俺たちは山道に入っていった。
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「はぁ…はぁ…バクシン…するんですぅ…。」
「もうすぐ中腹…だよな。うーん、結構走ってきたしこの辺で少し、休憩をとるとするか。」
ドゥラメンテの提案で、休憩が決まった時だった。
「…あれ?スピカの皆さん!?」
真っ先に休憩できそうな場所にたどり着いたキタサンが声を上げた。
「キタちゃん!?」
と驚いたような顔をするテイオー。
「…もうここまで、来たの?」
「はい、みんなで頑張ったんです!」
「おーい、キタサン、置いてくなよ〜。」
後からドゥラメンテ含むその他メンバーが上がってくる。
「っておい!スピカ!?」
と、ドゥラメンテも声を上げる。
「ゼェ…ゼェ…バクシン…あるのみ…です…。」
「…こりゃ、いくらスピカに追いつけたっつっても、流石に休まないとな。」
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「テイオーさん、ここまで、ずっと走ってきたんですか!?」
「ふふん♪ボクも、長距離を走るために、たっくさん、スタミナをつけたからね。」
ゴルシと睨み合うドゥラメンテや、マックイーンと話をするダイヤなどなど…休憩はいつの間にか、雑談に変わっていっていた。
「長距離のトレーニング…ですか。私も、もうすぐ、初めての長距離レース、菊花賞に…あ…。」
慌てて、口を閉じるキタサンを見て、テイオーは静かに首を振る。
「ううん。大丈夫だよ。もう、大分前のことだしね…。それに…確かに、三冠は逃しちゃったけど…ボクは、もっと大事なものを見つけることができたし。」
キタサンが口を開こうとした時だった。
「皆さん!練習、中止みたいです!?…何ででしょう?」
と、バクシンが声をあげ、ポツンと、空から、降ってきた水滴が、地面に跡をつけたかと思うと、あっという間に、土砂降りに変わった。
「…雨!?」
と驚きの声を上げるテイオー。
「…不味いな。登山中の雨は…。足元もぬかるんできてる…。とりあえず、お前ら、一回集まれ!」
と、ドゥラメンテが指示を出す。
すぐに集まるキタサン達。
「確かに、大雨…ですね。視界が…それに大分風も強くなってきて…」
と、ダイヤが言った時だった。
登山中に髪が大きく揺れたからか、強い風が吹いたからか、ポトリと、ダイヤの耳飾りの装飾が地面に落ちた。
反射的に拾おうと、隣にいたキタサンがかがむ。
しかし、ぬかるんだ足元のせいで、足を滑らせた彼女は大きく体制を崩し、後ろに転倒してしまい、柵にぶつかった。
衝撃に耐えきれない柵が、バキッと、真ん中から、破砕音を上げ、真っ二つに割れる。
「キタちゃんっ!」
と伸びるダイヤの手。
しかし、彼女の手が掴む前に…
「キタサン!」
後ろから、のびた手が、キタサンの腕を掴んだ。
…が、手の持ち主であったドゥラメンテも、そのまま、キタサンの倒れる勢いに巻き込まれ、もつれあったまま、二人は数m程はあるであろう崖から、転がり落ちていった。
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相変わらず止まない土砂降り。
立ち込める暗雲と、硬い地面。
体中についた泥が水滴を弾いていく。
ジンジンと痛む全身。
特に、激しく痛むのは…足だ。
「ドゥラメンテさん?ドゥラメンテさん!?大丈夫ですか?」
横たわる私の体をさすりながら、キタサンが叫ぶ。
「…ああ。」
痛みに顔を顰めつつも、何とか声を絞り出す。
キタサンを見た感じ、かすり傷などは目立つが、あまり大きな怪我はしていないようだ。
…よかった。お前が無事で。
「ごめんなさい...。ごめんなさい...!」
声を上げるキタサン。
霞んだ視界で、見える彼女の、頬を伝って私の身体に落ちてくる液体が涙だったのか、私にはわからなかったけど、漏れでてくる嗚咽は、間違いなく彼女が泣いていることを意味していた。
「…いいんだよ。キタサン…。」
掠れる声。
声を出すたびに、体に痛みが伝わってくる。
それでも、こうしてでも、私は、彼女と戦いたかった。
初めて会った時に見た明るい彼女の姿。
レースの時に見た鬼気迫る姿。
負けても前を見続け、私に、立ち向かうと宣言した時のあの姿。
きっと、彼女は…私がずっと焦がれていた存在だった。
「ライバル」としての彼女と、三冠をかけた「菊花賞」という大舞台で…戦いたかった。
それでも、この足の痛みや怪我。
もしかしたら、私は…彼女とは…走れないかもしれない。
本末転倒というべきか、何というべきか。
それでも、彼女という存在が失われるのは耐えきれなかった。
声にならない彼女への思いを、頭の中で反芻しながら、少しずつ薄れゆく意識の中で、私は…
「お前と…走りたかった…だけなんだよ...。」
と、願いを小さく口にした。
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「あいつらは山の中腹辺りにいるみたいだな。雨も降ってきたことだし、少し急ぐぞ…。」
「わかりました。」
山道を歩くこと、15分ほど経ったか。
下りなので、速度はそれなりに出るが、未だに彼女たちとは合流できていない。
雨のせいでぬかるんだ足元と、視界の悪さに焦燥感は増す一方だ。
その時、カバンの中の電話から着信音が鳴り響いた。
「…すみません。一旦出ます。」
このタイミングでの電話に、増していく焦燥感と共に、カバンから電話を取り出す。
浮かびあがる「サトノダイヤモンド」という文字。
やはり何かあったのではないか、と言い知れぬ不安。
小刻みに震える手で、着信ボタンを押す。
「ドゥラメンテさんと、キタちゃんが崖の下に落ちちゃったんですっ!」
電話に出るなり聞こえてくる悲鳴にも近い声。
一瞬、言っている意味が理解できずに、頭が真っ白になる。
ドゥラメンテと…キタサンが…崖の下に…落ちた…?
認識できない現実にだんだんと視界が霞んでくる。
「…二人は…どんな状態なんだ…?」
「数mぐらいの崖から落ちて、命に別状はないみたいなんですけど、二人とも怪我をしているみたいです…。今、助ける方法を探しているのですが…どうしても、崖の上まで救出する方法がなくて…。」
命に別状がなかったのは、この状況でも辛うじて安心できる部分だろうか…。
それでも…彼女たちにとって、足は…走ることは…命にも替え難いものの筈だ。
安心なんか、してられない。
していられる訳がない。
「…わかった。すぐに向かう。そこで待っててくれ。」
少し、駆け足気味になりつつ、電話を切り、走り出す体制を取る。
「おい!西岡!焦るな!」
その瞬間、スピカTが俺の肩を掴んだ。
「それでも、キタサンとドゥラメンテが!」
「…いいか?お前は、トレーナーなんだ!冷静に、物事を考えろ…。確かに、急ぐぞ、とは言った。彼女たちを心配する気持ちもわかる。それでも、お前のその行動は、只の無茶だ…。それに…こんなに地面もぬかるんでいるんだ。ちょっとやそっとの危険じゃ…。」
「それでも!それでも!俺は、行かないといけないんです!元々…今回のトレーニングを提案したのは、俺です。そして、彼女たちのトレーナーは、俺なんですっ!だからこそ、責任は取らなきゃいけない。彼女たちの夢を俺が奪うわけには行かない!だから、俺は!」
一分一秒でさえ惜しいこの状況。
感情に身を任せて行動する俺の行動は、きっと、正しくない。
スピカTが言っていることは正しいのだ。
でも…そうだとしても、少しでも早く、彼女たちの元に辿り着きたい。
合理性なんかない。
安全性も保障されていない。
それでも…俺は、彼女たちの夢を奪いたくない。
責任者として…そして、彼女たちのトレーナーとして…
彼女たちの輝きが奪われるのは、絶対に嫌だ。
だから、だから…俺は行かなきゃならないんだ。
「おい、西岡ッ!?」
「俺の身に、何かあったら、彼女たちをっ!」
スピカTの手を肩から振り払い、絶叫に近い声で、懇願。
半ば、前傾姿勢になりながらも、山道を下っていく。
足元に絡まる泥。
視界を遮る雨。
もつれた足が、枝に引っかかり、身体中に鈍い衝撃が走る。
それでも…俺は、彼女たちの元に…。
本当に、ただ感情に突き動かされているだけの筈なのに。
この行動が正しいと、確固たる意思を持っているわけでもないのに。
只のエゴかもしれないのに。
それでも…それでも…
手をついて、立ち上がり、前を向き、再び駆け出す。
自分の中に渦巻く感情もよくわからないまま、俺はひたすらに山道を駆け下っていった。——————————————————————————————————————————
「…骨折…ですか…。」
トレーナーさんから告げられたドゥラメンテさんの容体は、無事を祈る一方、どこかで想像していた通りだった。
崖から落ちた後、トレーナーさんは、ロープを持って助けに来てくれて…応急処置をしてくれた後、私たちは、病院で一度、診療を受けることになった。
あの時、ドゥラメンテさんの足の処置をしながら、苦い顔をしていたトレーナーさんの顔を私は…忘れることができない。
「…すまない。俺が、不甲斐なかったせいでこんなことになって…。本当に、なんて…謝ればいいか…」
「…いえ。あたしが…あたしが…勝手に動いたせいで、ドゥラメンテさんは…」
「いや、お前のせいじゃない。…本当にごめんな。お前にまで抱えこませるようなことになっちまって…」
トレーナーさんは、苦い顔をして、どこか遠くを見つめては、唇を噛み締めている。
それでも…トレーナーさんが、なんて言ったとしても、ドゥラメンテさんが崖の下に落ちたのは私の…
それに…ドゥラメンテさんは、最後に、「お前と走りたかった」って。
あの人がはっきりと口にした願い事は…
「あの、失礼します。」
不意にやってきた看護師さんがトレーナーさんに話しかける。
少し話したあと、二、三度頷くトレーナーさん。
「…キタサン。ドゥラメンテが、目覚めたらしい。一度…病室に、行くか。」
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「…。」
固定された足と包帯を見て、声を詰まらせる。
全治6ヶ月の骨折。
それが、私に下された診断だった。
間違いなく菊花賞には出られない。そして…
キタサンとは走れない。
それは…多分、揺るぎない事実で…三冠も、ライバルとの対決も…どこかへ行ってしまった。
「そっか。走れないんだ…。」
無理矢理自分を納得させるように、ボソッと口にしたその言葉。
こんな言葉遣いも…クヨクヨするのも…私らしくないって、わかっているのに…
ツーッと、一滴、頬を伝った雫がシーツにしみを作った。
コンコンと、病室のドアを叩く音がする。
こんな姿、見せられたものじゃ…
それでも、頬を流れる涙は、とめどなく溢れ…目の前を霞ませる。
その時、急に柔らかい何かが、私を包んだ。
「ドゥラメンテさんっ!ドゥラメンテさんっ!」
私のものではない一滴の雫が…涙が、肌に触れる。
その誰かは、顔を見なくてもわかった。
きっと、私の顔はくしゃくしゃになっていたけど…
後ろを向き、その誰かと、向き合う。
「キタサン…。」