ウマ娘—Dreams continue!— 作:流星の民(恒南茜)
「トレーナーさん、そろそろですよ!今回は…寝ないでくださいね?」
「…いや、流石にな?」
世界最強のウマ娘を決めるレース——凱旋門賞。
そこに、自分の担当ウマ娘ができているのだ。
流石にここで眠れたら、よっぽど肝が据わっているというか何というか…。
もうそいつは潜りだろうってレベルだ。
軽く拳を握り締め、テレビを見つめる。
今、映っているのは別のウマ娘だが、ダイヤも近いうちに映ることだろう。
さて…彼女がフランスに行ってから、俺ができていたことは少なかった。
だからこそ…俺たちに今できる精一杯のことをしたつもりではあったが…。
果たして…と言った具合だ。
気持ちが届いているといいのだが…。
とまあ、若干不安はあるが、理由はきっとそれだけじゃないだろう。
彼女は強いウマ娘だ。
だが、果たして世界レベルの舞台で、それが通用するのかという不安。
そして、前走のフォワ賞でのこともある。
…とはいえ、だ。
あれは爪が割れるというアクシデントもあっての結果。
きっと大丈夫だと…そう信じたい。
「トレーナーさんも、緊張しているんですか?」
気づいたら、固く握り締めていた拳が、震えていた。
「…ああ。そうみたい…だな。」
どうやら、いつの間にか緊張してしまっていたようだ。
「…ダイヤちゃんなら、きっと大丈夫です!だから、トレーナーさんも肩の力を抜いてください!」
…まさか、俺が諭されることになるとは。
フォワ賞の時は逆だったのに…と、苦笑いする。
「さあ、そろそろ始まりますよ…ってあれ?」
その時、キタサンの耳がぴょこりと動いた。
「どうしたんだ?」
「…いえ、なんか物音が聞こえた気がして…。」
その時だった。
「…クソ、バレちまったら仕方ないか。」
唐突にドアが開いたかと思うと、部屋に入ってきたのは…ドゥラメンテだった。
「…ドゥラメンテ!?どうしてここに…」
「私だけじゃないぞ?お前ら!入ってこい!」
「ちょわっ!?バレちゃいました!?」
「落ち着け、バクシン、大声出すなって…」
と思ったら、後ろからナカヤマとバクシンの二人も出てきた…と。
「お前ら、門限は…?」
「んなもん、ダイヤの凱旋門賞に比べたら大したもんじゃないぜ!そうだろ?お前ら!」
「「おー!」」
「みなさん…!」
既にキタサンは泣き出しそうである。
まあ、こいつらのチームメイトを想う気持ちを咎めるわけにもいかない。
「…わかった。寮長には俺から話しとくから。お前らも座れ。」
とまあ、ゾロゾロと入ってきたチームのメンバーたちが、座っていくのを横目で見つつ、テレビに視線を戻す。
「…そろそろ、出走か…。」
チリリと、全身がざわつくような感覚。
ダイヤにとっての…いや、二人にとっての夢の舞台、凱旋門賞が幕を開けようとしていた。
◆ ◆ ◆
《サトノダイヤモンドさん、そろそろ出走のお時間です。》
《わかりました。》
控え室に入ってきたスタッフにそう声をかけつつ、部屋を出ようとした時、ふと、もう一度あの“写真“が見たくなった。
スマホを素早く開き、待ち受けを開く。
すると、そこに写るのは、“ダイヤちゃん、凱旋門賞頑張って!“と書かれた幕を掲げたトレーナーさんやチームのみんなと、キタちゃん。
「…ふふっ」
みんなの笑顔を見ていると、思わず笑みが漏れる。
今頃、みんなはどうしているんだろう?
それにキタちゃんは…?
最後に話したのは、フォワ賞の時だ。
それ以降は、お互いに連絡を取っていなかった。
確かにトレーニングで忙しくなっていたからというのは一因ではあったけれど…。
…それでも、あの日、キタちゃんの温もりを感じられたから。
だから、連絡を取らずとも、私たちは繋がっていたから。
今日まで、走ってこれた。
だから、みんなに…トレーナーさんに…そして、キタちゃんに…。
最高の走りを見せるんだ。
再び固めたのは決意。
絶対に負けられない夢の舞台が、もう目の前にまで迫っていた。
◆ ◆ ◆
ガコンッ!
『今、スタート!日本のサトノダイヤモンド、外から好スタートを切りました!』
「よしっ!いいよ、ダイヤちゃんっ!」
快調なスタートに思わず声を上げつつ、立ち上がってしまう。
「あっ…」
「…わかるぜ、キタサン、良いスタート切れた時って嬉しいもんな。」
思わず立ち上がってしまったことに恥ずかしさを覚えた時だった。
ドゥラメンテさんが立ち上がり、あたしの肩に手を乗せた。
「ほら、お前らも立て!全力でダイヤを応援すんぞ!」
「わかりましたっ!バクシンですね!」
「…おい、お前ら…もう少し、静かにな…?」
と言いつつ、バクシンオーさんと、ナカヤマさんも立ち上がる。
「行けー!ダイヤー!」
気づいたら、トレーナーさんの部屋はすっごい賑やかになっていた。
それでも…気づいたら、トレーナーさんまでもが立ち上がって応援を始めていた。
『サトノダイヤモンド、中団から様子を伺っています——』
ダイヤちゃんは中団での様子見。
そして、差し掛かったのは坂。
「行けーっ!ダイヤちゃんっ!」
あたしも、声を上げる。
ここから、レースは本格的に始動しようとしていた。
◆ ◆ ◆
「…はぁ…はぁ…」
上手く中団にはつけた。
展開自体は順調なのだろう。
…それでも、バ場は重く。
先ほど、抜けた坂も相まって、スタミナは奪われていく一方だった。
600mほど坂を下り。
ここから差し掛かるのは直線。
…それでも、これは最終直線じゃない。
もう一つ、コーナーは残っている、偽りの直線だ。
…まだ、まだ足は…溜める。
強く、己を律して動きを抑える。
ただでさえ、スタミナはもうあまり残っていないのだ。
ここで使ったら…確実に、追いつけない。
口の端から漏れる、熱く熱された空気を強く、歯を食いしばって抑え込み。
ただ、黙々と位置はキープするように脚を進める。
そして——
『各ウマ娘、4コーナーを曲がって、最終直線に入りました!』
——来た。
レースは——
「ここからっ!」
コーナーを突き進むようにして、一気に外に出て、地面を踏み締め、蹴り上げる。
抉れる重い地面と、宙を舞う芝。
どこまでも、長いような一瞬が訪れ、次の瞬間——
——加速する景色。
『9番サトノダイヤモンド!サトノダイヤモンド!外から一気に4、5番手に上がってきました!』
ふと横を見ると、隣を走っていたウマ娘が、歯軋りをしているところだった。
前回と違って、爪が割れることもない。
——このままっ!
もう一度、深く地面を踏み締め、地面を蹴り上げようとした時だった。
「…っ!?」
脚は…上がらなかった。
力なく、脚が振り下ろされ、次の瞬間、全身から力が抜けそうになるのを、必死に堪える。
『9番サトノダイヤモンド、上がらない!上がらない!どんどんとバ群に沈んでいく!』
「…くっ!」
鉛のように重い足に、無理やり力を込め、前に進もうとするも、この程度の力じゃ、決して先頭には届かない。
「…どう…して…」
もう、漏れる声を抑えることはできなかった。
そして、逆に先頭に立ったのは…
『エネイブル!エネイブル!一気に抜け出し、先頭に立ちました!』
さっき、歯軋りをしていた娘だった。
「…どうしてっ!?」
…正直、理由は明白だった。
——慣れないレース場、重いバ場。
スタミナを奪われる理由なんかいくらでもあった。
それでも、きっと…1番の理由は…。
——私自身の力不足だ。
皐月賞の時に感じた無力感が全身を包み。
さっきまで、熱かった筈なのに、すぅっと下がっていく体温。
それでも、あの時と違うのは…
もう、手が届くような距離ではないということ。
どこか、脳が冷静に判断を下す。
引き伸ばされたテープのように。
止まったジュークボックスのように。
どこまでも長い一瞬が、流れ。
『エネイブル、今、1着でゴールイン!凱旋門賞を制しました!』
実況の声が響き渡った。
◆ ◆ ◆
「…ダイヤ…ちゃん…?」
さっきまでの喧騒が嘘のように、静まり返った部屋。
テレビに着順表が表示されるも、そこに、“サトノダイヤモンド“の文字はない。
『——9番サトノダイヤモンドは、15着となりました。』
耳に入るも、頭がその言葉を受け付けようとしない。
そんな…ダイヤちゃんが…ダイヤちゃんが…負けるなんて…そんなこと…。
全身から力が抜けていく。
あたしは、膝から崩れ落ちた。
◆ ◆ ◆
ゴール板の前を駆け抜けた瞬間、全身から力が抜け、思わず、地面に手をつく。
首筋を伝う汗が、じっとりとしていて、不快だ。
そして、何より目の前のこの現実が…理解できなかった。
…ううん、きっと理解はしていた。
それでも、受け入れることが…できなかった。
「ぁぁ…はぁ…」
15着。
その事実を突きつけられた瞬間に、荒くなる息。
もう、目の前の景色を見つめることすら苦痛だった。
思わず俯いた時。
コツリと。
音を立て、耳飾りが地面に落ちた。
いけない、このままじゃ、汚れてしまうと、私は手を…
伸ばせなかった。
とても気に入っていたはずなのに。
キタちゃんからもらった大切な耳飾りなのに。
それなのに、ピタリと。
手前で手は止まった。
私は、目の前の耳飾りすら拾うことができずに、ただ…立ち尽くしていた。