Fate/Kaleid Schmetterling   作:ひでぶ

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第十話 衛宮邸

 再び、雑然、珍妙な機材の置かれた通路を踏み越えて無機質な光沢を放つ通路の中を進みながら、二人は雑談に興じる。

 

 「……騒がしい連中だったわね。あの堅物と足して二で割ったらいいんじゃないかしら」

 「でもみんな腕は確かだったぞ。“視て”みたけどなかなかすごい物ばかりだ」

 

 どこか行きの道よりも活き活きとした様子の士郎に、凛は肩をすくめる。

 

 「まあ、衛宮君が言うんならそうなんでしょうね」

 

 そう言った凛は本題に入るべく、話題を切り替える。

 

 「にしても、高位局員ですら噂程度の情報しかもっていないなんてね」

 「口を封じられている可能性も考えたけれど、あいつは嘘をつくような性質には思えない。というより、そもそも興味もなさそうだったな。お前もそう思ったから引き下がったんだろ? なんにしても特環が怪しいのは間違いない。多分、“遠坂”はこういうのもわかってて特環に近づいたんだろう」

 

 士郎の言い分に、凛もおおむね同感だった。今日重要だったのは、遠坂凛がつかんでいたその不穏な動きがいかなるものであるのか、という点のみであったのである。そして、結果として“影法師”関連の情報隠匿が行われていることが明らかになった。これだけでも十分上々といえる結果だろう。

 

 ただ、気になるのが特環は“影法師”のことをどこまで知っているのか、ということだ。桜が虫憑きである、という事は既に割れているだろうが、“影法師”が桜であると理解しているのかが分からない。

 

 もしわかっていたのだとするならば、凛たちと桜の関係性も既に掴まれている可能性が高い。そうだとすると何故、情報を秘匿してまで存在を隠したがる“影法師”の存在を知り、かつアプローチを掛けようとしている二人を局員にしたのか。魅車のその意図が全くつかめない。ひょっとすると、今の状況すらあの女の掌の上であるかのような心持ちさえしてくる。

 最も、あくまでもこれは仮定である。あるのだが、一抹の不安は残っていた。

 

 「……ま、いいわ。一枚一枚剥いてやりましょう。利用できるところは利用するけど、都合のいい存在になってやるつもりはないし」

 「それもそうだな」

 

 そう頷いた士郎と共に立ち止まった彼女は、再び目の前に立ちふさがった例の直下型エレベーターの扉に胡乱気な視線を投げていた。

 各々、自宅への帰路に就く最中、不意に凛は思いついたように声を上げた。

 

 「ねえ、今日は衛宮くんの家に行っても大丈夫?」

 「ん? 今さら聞くことでもないだろ。別にかまわないぞ」

 「そ。ありがと」

 

 一も二もなく快諾した士郎にその姿に凛は笑みをこぼす。しかし、彼はどこか気遣わしげにこちらを見やっていた。

 

 「なんだ、また記憶の齟齬の確認か?」

 「そんなとこ」

 

 肩を竦めて凛は返す。“遠坂凛”として振舞う事も重要なことではあるが、元の世界へと戻るという目的もある以上、今は些細な情報でも欲しいところである。

 

 今までの感覚からして、凛以上に“凛”と士郎の縁は深いように思うのだ。そして、凛であっても士郎の自宅に間借りしていた。だとすると、“彼女”が凛以上に士郎と近しいならば、間借りした部屋を簡易的な工房にでもしているかもしれない。調べる価値は十分にあるだろう。

 

 「やっぱり心配になるか。気は使わずに調べていいぞ」

 「へえ、衛宮君の部屋も?」

 

 つい、悪戯心がでて、凛は意地悪く口端を吊り上げてしまう。すると途端に士郎の顔から血の気が引く。

 

 「すまん、お手柔らかに頼む……」

 「冗談よ。そこまで物色するつもりはないから」

 

 さらりと言って、凛は微笑する。そんな彼女に、士郎はどこか憮然とした様子で嘆息していた。

 

 「ところで遠坂、お前いま鍵持ってるか?」

 「鍵? どこの?」

 「うちの鍵だけど」

 「持ってないわよ」

 

 そう凛が告げると、士郎は自身の懐をまさぐって、それを引っ張り出した。

 

 「じゃあこれ。先に家にいっていてくれ。俺は夕飯の買い物を済ませてから行く」

 

 差し出されたその小さな金属、鍵を受け取りながら、凛は眉をひそめた。

 

 「別に買い物くらい付き合うけど」

 「遠慮するなって。確認したいこともあるんだろ、行けよ」

 

 どうやら彼は彼なりにこっちに気を遣っていたらしい。自身に向けられる意識には鈍感なくせして他人の心の機微には恐ろしいほど敏感なのは変わっていない。

 ただ、今はその厚意をありがたく受け取っておくことにした。

 

 「お言葉に甘えるわ。それじゃ、後でね」

 「ああ」

 

 そうして、凛は衛宮邸へ。士郎は商店街の方向へと向かって行った。

 

 

 「だれもいない、か……」

 

 衛宮邸にたどり着いた凛は、その一室、閑散とした居間の中にいた。

 衛宮邸は今時珍しい武家屋敷である。土塀に囲まれた広大な敷地に、大きな木造平屋の母屋と離れ、石造りの土蔵からなり、とてもではないが男子高校生が一人で住むには広すぎるお屋敷だ。

 無論、それは遠坂の屋敷に一人で住む凛にも言える事なのだが。それでも、ここはそんな寂しさとは無縁の場所であったと彼女は思う。

 

 凛の世界の衛宮邸では家主である士郎はもちろんのこと、同居人として桜とライダーがいたのである。それに加えて騒がしい藤村先生が毎度の如く混ざりこみ、そして彼女もその輪に加わる。実に騒々しく、そしてなによりも愛しい陽だまりのような場所。それが彼女にとってのこの場所だった。

 

 そして、夕飯前であるこの時間帯のこの居間は、大抵団欒の場となっているのだが、それが寂寥としている。それにどこか言い知れない心細さを感じた。ともすれば自宅が自身の知っている物と異なっていること以上に、違和感を覚える。

 

 「そっか。私、さみしいのか」

 

 思わずこぼれたその言葉に、今の自身の心境がすとんと腑に落ちた。とんだお笑い草である。役割を全うするなどと決めておきながら、早くもこの様だ。自分がどれだけ“ここ”をよりどころにしていたかが分かってしまう。今まではさして問題なく過ごしてこられたというのに何たる失態。まるで帰る家をなくして右往左往する子供のようではないか。いつから遠坂凛はこんなに弱くなったのか。聖杯戦争までは、ずっと一人でやってきたというのに。

 

 大体、ここがさみしいと感じること自体お門違いだ。ここにはここの幸せがあった。自身の世界とは違う幸せのカタチ。それに貴賤を付けるなど下種に過ぎる。第一、それの象徴であった少女を取り戻すために“凛”と士郎は戦っていたのだろうし、今も戦っているのだから。

 今は自身のするべきことを全うするべきだろう。

 

 気を入れなおして、凛は居間を後にした。障子を開き、廊下に出た瞬間、刺すような冷気が凛を包み込む。やはり、冬場に武家屋敷特有の長い板張りの廊下は酷く堪える。床をきしませながら進む凛は、カーペットを敷いた床を恋しく思う。

 

 日本家屋という物は、夏は涼やかでよいのだがどうにも冬場には向いていない。というよりも日本のお屋敷という物は大抵夏向きの造りをしている物だから仕方のない事なのだろうが。

 そんな、利器に慣れた現代人には寒修行ともいえるような廊下を通り抜け、凛は屋敷の離れに足を踏み入れる。

 

 自身の間借りしている部屋に向かうためだ。凛は離れの洋室を自身の部屋として使用していた。恐らく、“凛”も同様だろう。

 果たして、予想たがわず“凛”の部屋にはたどり着いたのだが、

 

 「……なんていうか、遠坂邸(うち)の自室より自室っぽいわね」

 

 部屋の中央に立って周囲を見回した時に感じた、第一の感想がこれである。

 遠坂の屋敷の自室は、なんというか小奇麗に纏まっていて“遠坂の魔術師である遠坂凛”の部屋という印象が強い。簡単に言うなら、常に余裕をもって優雅たれ、という家訓と、魔術師としての矜持を強く持っている側面が遠坂の屋敷の自室である。ここは彼女のモノと大差ない。

 

 ただ、この部屋に関してはだいぶ趣が異なっている。魔術的処理の施し具合は凛の使っている部屋と大差なく、容易に入ることは出来たのだが、どうにも部屋の使用具合に対して強い生活臭を感じるのである。

 

 いや、ある程度整理整頓は行き届いているため、見苦しいわけではないのだ。それでも、ところどころにこれくらいいいか、というように化粧台の上に日用品が置きっぱなしになっていたりする。他にも遠坂の自室には内容な娯楽小説が置いてあるなど、“少女遠坂凛”としての色が濃いように感じた。

 

 「あっちゃー。この様子だと、半ば入り浸っていたな“私”は。……士郎と恋仲っていう予測も間違えてないかもしれないわね」

 

 というより、そうとしか思えない。異様な状態にある士郎の半ば主治医のような役割をこなしていた上に、元々相応の付き合いがあった彼女ですら桜に遠慮して入り浸ってはいなかった。それが、士郎も壮健な様子であるにもかかわらずこの様子になっているのだからほとんど確定とみていいだろう。

 

 「今さらだけど、なんか複雑な気分ね。並行世界とはいえ、桜を選ばない衛宮君がいるなんて」

 

 あの様子からして桜とは曖昧な関係のままであるとは思っていたが、まさか“凛”と恋仲になっているとは。そこはまあ、無限の可能性を持つ平行世界であるのだから仕方はないのだが、それにしても自身と士郎が結びついている世界というのは胸に靄がかかったような気分になる。

 

 大体、あの桜にぞっこんな朴念仁馬鹿を、“凛”は一体どうやって籠絡せしめたのか、と。おおかた筋書がほとんど異なる聖杯戦争の影響だろうが、一時彼にほのかな想いを抱いていた彼女としては気になるところではある。

 そんな些細な感傷を抱きながらも、凛は手近なところから調べていくことにした。

 

 

 「なにもなし、か」

 

 結果として、目につくような物は何もなかった。正直拍子抜けだが、少女としての側面を強くおいているのだろうこの衛宮邸で物騒なものが見つかるわけもないか、と一人得心する。

 

 そうして、一人何をするでもなく居間で炬燵に入ってテレビを見ていると、鍵を開けたままにしておいた玄関の引き戸を開ける音が響いてきた。ついで徐々に足音が近づき、襖が開けて現れたのはいつもの仏頂面をぶら下げた衛宮士郎である。ただ、その鼻の頭と耳はやや赤くなっており、その手には大きく膨らんだ買い物袋が下げられていた。

 

 「ただいま、遠坂」

 「おかえり、衛宮君」

 

 そんな緊張感のない挨拶を交わすと、士郎が手に持っていた袋を軽く持ち上げて見せる。

 

 「腹減ってるだろ。待ってろ、晩飯作るから」

 「手伝おっか? っていうか一回あったまれば?耳と鼻、赤いけど」

 

 そう言って、凛は炬燵を目で示して見せる。洋風贔屓な凛ではあるが、この炬燵に関しては別格である。むしろこれを発案した日本人に敬意を表してすらいる。実にすばらしいトラップだ。冬場にここにとらわれたが最後、二度と出る事かなわない。

 

 冗談はさておき、体をあっためることに関しては非常に優れた利器なのだ。今は二人しかいないのだから、焦って作る必要もあるまい。炬燵で暖まっていけばいい。

 しかし、士郎はあっさりとそれを断った。

 

 「いや、大丈夫だ。先に作るよ。遠坂は座ってくつろいでてくれ。一人で十分だ」

 「そう? じゃあできたら呼んでちょうだい。配膳くらいは手伝うわよ」

 「ああ、頼む」

 

 短く言って、士郎は勝手許に消えていく。

 しかし、本当に所帯的な姿が様になっている。主夫という言葉がこれ以上似合うやつもそういないだろう。凛の世界ではちんちくりんな身体でやろうとしていたため、どうにも微笑ましい絵柄になってしまっていたが。

 そんなことを考えていると、勝手許から声をかけられる。

 

 「ところで遠坂、記憶となにか違いはあったか? 俺が帰ってくるまで確認してたんだろ?」

 「ええ。でも特にズレはなかったわ。心配かけたかしら」

 「そうだな。でも記憶が大きくずれてるなんてことがなくてよかった」

 「……私も安心したわ」

 

 大きな手掛かりはなかったとはいえ、“遠坂凛”の身辺情報がある程度明らかになったのは僥倖とはいえるだろうから。もし、恋仲であるという確信を持たないまま、士郎にそういう雰囲気を出されていたらどう対応していいか分からなくなっていたかもしれない。

 

 いや、今でもどう対応しようか考えているところなのだが、どうにも結論が出ない。最も、士郎が自分からそういう雰囲気を出すというところが想像はできないが。

 

 そこから四半刻程たった時、凛が予想だにしていなかった闖入者が現れた。すっかり失念していた。この人物はこの世界においてもいたって何事もなく存在しており、なおかつ夕食時、それが出来上がるかどうかのところで突撃してくるのだということを。

 

 「お、いい臭いがする。士郎、ごっはーん!」

 

 そう威勢よく、襖をすぱーん、と開いて居間に飛び込んできた人物。緑色のワンピースに黒と黄色のストライプのTシャツ、茶髪のショートカットという出で立ちのその女性は、猛禽も角やと言わんばかりの勢いで炬燵に滑り込んでいた。まさに瞬きする間に自身の対面に喜色満面で坐しているその人物に、凛は一瞬あっけにとられる。

 だが、士郎は大して動じていないどころか、むしろあきれ交じりに嘆息しながら声をかけていた。

 

 「藤ねえ……。やっぱり来たか」

 

 どうやら、士郎は彼女がここに来ることをとうに予想していたようだ。凛は最初に誰もいないこの居間を目にしたときにどこかセンチメンタルな気分に入っていたせいかこの世界でも健在であった彼女の存在をすっかり頭から吹っ飛ばしていたのである。

 士郎が言葉を放ったことによりやっと忘我の状態から復帰した凛は、居住まいを正して会釈する。

 

 「こんばんは、藤村先生」

 「やっぱりとは何よ士郎。あ、遠坂さんこんばんわー! ……お姉ちゃんがいない間、変なことはしてないでしょうね、士郎?」

 

 お勝手と凛にめまぐるしく視線を移しながら、彼女、藤村大河は捲し立てている。相変わらず騒がしい。彼女は、凛や士郎が通う穂群原学園の教師であり、幼いころの士郎が義父を亡くしてからは身元引受人となった人物の娘であるらしい。そうした間柄からか、実質姉弟のような関係といえる。

 

 それ故に、様子見がてらに顔を出す事が多い。というよりも実質、彼女も入りびたりのような物であり、彼女の世界の士郎も大河が来ること前提で食事の準備をしていた。学校でちらと見かけただけだったときは分からなかったが、どうやらそれはこちらも同様なようである。

 

 いや、この人に限ってはどの世界でもこんな感じなんだろうという気がするが。いずれにせよ、この太陽のような人物がそのままである、という事に少なくとも凛も安堵しているようだ。知らず、口元が緩んでいる。

 そんな中、士郎のどこか照れたような、呆れたような、どこか上ずった調子の声が響いてくる。

 

 「するかっ! ったく、急になにいってんだよ」

 

 声の方向に視線をやると、やや上気した仏頂面をさらに強引にしかめているような面白い顔をしている士郎の姿が厨房の奥に見える。

 それが妙におかしいので、からかいたくなってくるのだ。だから、そのやり取りについ口を挟んでしまう。

 

 「その割には顔が赤いけど? ひょっとして、図星だったの?」

 「お、おいっ! 遠坂まで何言ってんだ!ちがうぞ、これは寒さで……」

 

 突然予期せぬ相手から攻撃を受けたためか、士郎はあわてて取り繕うように言葉を紡いでいた。

 だが、時すでに遅し。大河はそんな彼を半眼で見据え、頬を膨らませていた。

 

 「これは怪しいぞぉ……!」

 

 その姿は整っている容姿も相まって愛らしいのだが、年長者としての威厳は欠片も見られない。それでも士郎には効果的であったようで、辟易とした声を上げている。

 

 「藤ねえ! 妄想も大概にしてくれ……! 疑わしきは罰せずっていうだろ?」

 「へえ、疑わしいっていう事は認めるんだ……」

 

 こんな展開、凛としては煽らずにはいられない。するとすかさず士郎はそれを訂正しにかかる。

 

 「認めてはいないだろ!?」

 「し~ろ~う~!」

 「落ち着け、藤ねえ!」

 

 今にも暴れ出しそうな大河に、半ば懇願するような声で士郎は呻いた。そんな彼の背後、吹きこぼれそうな鍋に指を指して指摘する。

 

 「衛宮君、とりあえず料理に集中したら?」

 「うわっ! ……頼むから、おちょくらないでくれよ! 藤ねえもまともな夕食が食べたいんならおとなしくしててくれ!」

 「はいはーい」

 「……後で聞くからね、しろ~」

 

 家主からの声に気の抜けた調子で凛は返し、食欲には勝てないのか、大河は恨みがましく唸りながら炬燵に寄りかかっていた。

 

 

 「全く……。ひどい目に合った。遠坂、お前も藤ねえをたきつけるようなことはやめてくれ」

 

 夕食を終え、暴れまわった大河とそれを煽っていた凛の相手をしていた士郎は、炬燵に半身を突っ込んだまま大の字に横たわり、幾分か憔悴した様子で彼女に苦言を呈してきた。

 その言い分はもっともなのだが、こればかりは半ば趣味と化しているところもあるのでどうにもやめられない。それ故に、謝る言葉も軽口めいたものになってしまう。

 

 「あら、ごめんなさい。つい」

 「ついってお前……」

 

 そこまで言って士郎はげんなりと閉口する。もはや文句を言う気にもならないのだろう、大きくため息をついた彼は、結局話題転換を図ってきた。

 

 「まあ、いいか。いや、よくないけど。で、今日奴らが桜の動きを隠しているってはっきりわかったけどさ、これからどうするんだ?」

 

 話題転換までの流れはさておき、これは重要なことである。そう、桜に対して特環がどのように動いているかは分かったにせよ、それに対応する必要があるのだ。

 座して待っているだけではなにも変わらない。とはいえど、凛は一応既に次の行動目標を定めつつあった。

 それを彼女は口にしていく。

 

 「ま、とりあえず協会側と接触してみようかしらね。両側のパイプ役になるってこともそれなりには重要だし」

「そうか、なら久々にまた会うことになるな」

 

 身体を起こした士郎が、少し感慨深げにつぶやく。だが、その言い分だと、以前から虫憑き関係で協力していた相手がいることを示している。それ自体は手間が省けて喜ばしい事なのだが、凛にはこの極東の地域にわざわざ出向いてくる知り合いの魔術師という物に心当たりがない。となると必然的に凛には初対面となる相手の可能性が高くなる。故に、思わず問い返していた。

 

 「会うって、だれに?」

 「忘れたのか? バゼット・フラガ・マクレミッツだ」

 

 訝しげに眉をひそめて士郎はその名前を告げる。その名前に、凛は心当たりがあった。まるきり知らない人物という訳ではない。だが、

 

 「バゼット? いくら貸しがあるって言っても、封印指定の執行者のエースを一個人の取り付けでこんな極東の地に借り出せるわけないでしょうに」

 「借り出すも何もずっと日本にいるだろ、バゼットは。対虫憑きのための駐在魔術師じゃないか」

 

 なるほど。協会の動向はずっと気にかかってはいたのだが、まさかバゼットを日本においているとは。協会指折りの実力者であるバゼットだが、彼女はとある理由から日本に留まっていたことがある。その際に凛は彼女との接点を持ったのだ。しかし、ここではその滞在期間が虫憑きのせいで大幅に伸びているようだ。監視役にして、有事のためにすぐ動ける駐在戦力といったところか。この分だと他にも武闘派の魔術師が潜入していそうだ。

 内心得心はいってはいたものの、その反面心苦しそうに目を伏せて見せる。まあ、記憶になかったのは事実であるが。

 

 「ごめんなさい、記憶にないわ」

 「虫憑き関連だから、記憶にずれがあるのか」

 「多分そういう事でしょうね」

 「いやこっちこそ済まない。配慮が足らなかった」

 

 どこか気まずそうに頬を描く士郎に、凛は気にしていないというように手を振って意を示す。

 

 「いいわよ。気遣わなくても。それで、バゼットと私は前から接触していたってことであってる?」

 「ああ。それなり交流はある。元々、“影法師”の噂もバゼットから聞き出したものなんだ」

 「なるほどね。ってことは、特環は事件の中心にいるに等しいっていうのに、あくまで外野の組織の一員であるバゼットと同程度の情報しか出回ってないってことになるのか」

 「そうなるな。と言っても最近は会っていなかったからわからないけど」

 

 まあ、いずれにせよ情報整理のためにもバゼットのもとを赴くことは必要になってくるだろう。

 

 「ところで、バゼットは私が虫憑きだって知っているの?」

 「ああ、知ってる。その上で、一個人としてもこっちに肩入れしてくれてるからな。今こいつ以外の魔術師に接触するのはリスクが高いだろう。捕獲された件で協会にお前が虫憑きだってことが割れているかもしれないしな」

 「オーケー。じゃあ近いうちにバゼットからも話しを聞いてみましょう。頼みたいこともできたしね」

 「頼みたいこと?」

 

 士郎は凛の言葉尻を捕えて怪訝そうに尋ねてくる。まあ、当然か。凛は頷いて語を繋げる。

 

 「そ。土地の管理の代行をね」

 「バゼットに頼むのか」

 「やる事多いもの。ここに留まってちゃできない事おおいでしょ? ま、卒業までは待つけど」

 

 学校さえ卒業すれば、個人としては自由に行動することが可能になる。そうなれば土地の管理にさえ縛られることがなければ冬木を離れての長期捜索を行えるだろう。

 

 いや実際のところそれは建前で、あの高校自体それなりに気に入っていたので世界は違えどもちゃんと最後まで通いたかったというのが本音にあるのだが。土地の管理問題さえ解決できれば今すぐにでも冬木を離れられるのだから、なにも卒業まで待つ必要はない。

 

 問題はその管理を任せる相手なのだが、バゼットが引き受けてくれるというならこれ以上の相手は他にない。引き受けてくれるかどうかはまた別問題だが、そこは交渉の腕の見せ所だろう。

 続けて、凛は言葉を紡ぐ。

 

 「それに、ずっと離れるわけでもないしね。戻ることもあるでしょうけど、冬木から離れてる期間の方が長くなりそうだから」

 「それもそうだな。バゼットが引き受けてくれればいいけど」

 「ま、それは話してみてからってね。まずはアポをとらないと。士郎、電話借りるわよ」

 

 凛はそう告げて、むずがる体を炬燵から強引に引っ張りだす。その際、炬燵の上に電話があればいいのにとすら考える自分に、ここまで自身は無精な性質だったか、と彼女は考える。やはり、炬燵の魔力は恐ろしい。

 そして、襖を開けて廊下に足を踏み出そうとしたその時、致命的なことを失念していたことに気づき、凛は振り返る

 

 「あ、まって番号分かる?」

 「前と変わっていなければ、一応は」

 

 次いで告げられた番号を頭に叩き込むと、凛は小さく頷いた。

 

 「オーケー、問題無し」

 

 

 

 そして、衛宮邸の冷えた廊下の途中に据え置かれた電話機の前で受話器を耳に押し当てながら彼女は待つ。コール音が鳴っていることから、電話番号は合っているのだろう。すると、糸が切れるようなブツっという音が耳朶を叩く。

 

 『もしもし、マクレミッツです』

 

 聞こえてきたのは、妙齢の女性の声だ。機械を挟んでいながら、聞くだけで身が引き締まるような凛々しいアルトを放つその声は彼女の知る人物の物で間違いない。

 

 「もしもし?久しぶりね、バゼット」

 『その声は、遠坂凛ですか』

 

 拍子抜けした、というように声の放っていた緊張感が僅かに和らぐ。どうやら、この堅物女子にも多少は公私を分けることが出来るようになったらしい。元の世界では、彼女は日本を離れてしまっているのでこうして言葉を交わすのは久々である。

 ただ、電話で長話もなんだろう、と凛は単刀直入に切り出した。

 

 「ええ。ところで急で悪いんだけれど、近いうちに会えないかしら」

 『……本当に突然ですね。いえ、私も普段なら暇を持て余しているのですが、珍しいことに明日から三日ほどホテルを離れるんですよ。協会側からの呼び出しでして。という訳で会うなら土曜日という事になりますが』

 「分かった土曜日ね?じゃ、昼過ぎにそっちに向かうから詳しいことはそこで」

 『わかりました。それでは後日』

 「ええ、またね」

 

 別れを告げて、凛は受話器を下す。会う約束自体は取り付けたが、バゼットのいう協会からの呼び出しという物が気にかかる。

 

 もしかすると、凛は感知できなかった世界線移動時に生じた歪みを協会が見つけたのかもしれない。いや、本当にそうだったとすると協会の動きは少し遅すぎるといえるだろう。魔法級の事象を引き起こした事故の歪みを観測で来ていたとするなら、協会の上部が黙っているまい。即座に、原因を究明、その大本である凛を捕獲しにかかっているはずだ。ともすれば、既に日本にいるバゼットら武闘派魔術師たちに捕獲命令が下っていておかしくない。すなわち、バゼットがのんきに滞在地で凛からの電話を受け、今こうして彼女が安穏としていられる状況がある時点で協会が歪みを感知しているとは考えづらい。

 

 まあ万が一、危惧していた事態が起こった場合は、彼女が特環に所属しているという事実は逆に協会と交渉する為の切り札へと切り替わる。特環に所属するという事はその名前の庇護をうけることでもあるからだ。今の特環はおそらく特環と事を荒立てたくない筈。それは刺客となる者も理解しているはずだ。

 

 ならば交渉の余地はある。問答無用で戦いを仕掛けるほど無能でもあるまい。組織間の事情を汲むくらいの頭は持っているだろう。それが、相応以上に親しい間柄になっていると思われるバゼットならなおさらである。

 

 まあ、いずれにせよすべては三日後だ。一応、最悪の事態も想定してそれなりの備えをしてく必要があるだろうが、無駄になる可能性が高いだろう。

 そう結論づけて、凛は居間へと踵を返す。

 

 「会う約束は取り付けたわ」

 

 養分を吸い取るかのように、冷えた廊下に奪われた体温を取り戻す為に炬燵にもぐりこんだ凛は、短く報告する。

 だが、士郎はあまり得心いかない、といったように口を開く。

 

 「でもなんでわざわざ会うんだ? 電話で済ませてもいい気がするぞ」

 「こういう事はなるべくあって話したいのよ。簡単な問題でもないし。目で見て、耳で聞いて意見を交わしたいじゃない」

 「まあ、それもそうか。でも随分と久しぶりな気がするな」

 

 顎に手をあてて過去を思い返すようにしみじみと士郎は言った。

 

 「最近は会ってなかったんだっけ。ああ、それとバゼットには私が記憶喪失だってことは伏せておきましょう」

 

 凛が付け加えた言葉に、士郎は首をかしげた。

 

 「なんでだ?」

 「記憶を失った挙句に特環に所属してるなんてことが知れたら信用ガタ落ちでしょうが」

 「そういうことか」

 

 なるほど、と納得した様子の士郎に、凛は若干肩の力が抜ける思いをする。

 

 「とにかく、そういう方向で行きましょう。片方だけなら話を進めやすくできるもの」

 「ってことは、特環に入っているってことは話すのか?」

 「ええ。これから行動する上で事情は説明しなきゃいけないし」

 

 第一、隠し通しておけるものでもない。外野とはいえ協会の組織力を凛は侮っていない。遠からず、凛が虫憑きで特環に所属しているという事実は知れ渡るはずだ。

 それに加え、“凛”とバゼットの関係は利害関係の一致などではない筈だ。信用と友誼によって結ばれた関係である以上隠し事は少ない方がいいだろう。

 だから、と凛は語を継いだ。

 

 「その上で、士郎。あなたに確認しておくことがあるわ」

 「なんだ?」

 「私たちはそれなりに各地の噂を追って回っていたのよね?」

 「ああ」

 

 士郎が同意を示す。それを聞いて、凛は質問を続ける。

 

 「その上で、私は捕まるその少し前までは使い魔での情報数集のみに心掛けていた。これでいい?」

 「あってるぞ」

 「その間衛宮君は何をしていたの?」

 

 本人も言っている通り、士郎は“凛”の計画の本質を知らされていなかった。それ故に、“凛”の最も近くにいたはずであろう彼が、今のような状況に陥っている。

 大方予想は出来ているが、そのあたりの事情は詳しく聞いていなかった為、彼は一体“凛”のそばで何をしていたのか、と彼女は問う。

 それに、士郎は一拍置いて、ゆっくりとした調子で話した。

 

 「俺はお前と違って使い魔の使役はできないから、感覚共有をして無防備になっているお前の周りを見張ってたな」

 「それで、私の手に入れた情報の詳細をあなたは聞いていた?」

 

 尋ねられた士郎は、記憶を探っているのかぼやくように答える。

 

 「初めの方は聞いていたな。でもあまりに得られる情報に変化がないからそのうち『いつも通り』で済まされるようになったけど」

 「そ。それで、行動が変化したときの理由も聞いてない、と」

 「ああ。最初は焦っているだけかと思ったけど、あれは何か考えがあったんだろうな」

 

 そう締めくくった士郎の言葉を受け、凛はやっぱりか、とどこか諦めが交ざった声で頷いた。

 

 「オーケー。大体整理はできたわ。以前の私の行動予測、こじつけだけど理由も付けれるし。士郎は話を振られたら合わせてくれればいいわ」

 「なんだ、突然。何の話だ?」

 

 話題転換についていけかったのだろう士郎が、困惑したように問いかけてくる。

 

 「バゼットに記憶喪失じゃない風を装って事情説明しなくちゃいけないでしょ? だから前の私の行動に理由をこじつけて説明するわ」

 「それ、ちゃんとごまかせるのか?」

 

 どこか不安そうな士郎に、凛は気負うでもなく首肯した。

 

 「こじつけとはいえ、筋は通ってるはずよ。大方私ならこうするって考えに理由おっつけただけだけど、腐っても同一人物だし考え方に大きなずれはないでしょうから」

 「そうか。まあ、細かいことはまかせる。俺は合わせればいいんだな?」

 「ええ。頼むわよ」

 

 そう、立案するのはいつも凛の役目である。彼はそれを支えてくれればいい。

 夜も更けてきたのを確認して、各々部屋に引き上げていく。その際、二人そろって炬燵から出るのに苦労したのはご愛嬌である。

 




 さて、魔術師サイド、バゼットさんとの接触となりました。ダメ……。バゼットさんは本作ではHA後しばらく衛宮邸に滞在していた期間がある、という設定で協会に戻るまでは士郎と凛に多少世話になっていました。あまり長い期間ではないですが。
 しかし、特環と協会、教会関連の設定は無駄に練ってあるのですが、活かし過ぎると収拾がつかなくなりそうで恐ろしい。まだ未定の三部あたりに日の目が当たると良いな~ぐらいの感覚です。
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