Fate/Kaleid Schmetterling   作:ひでぶ

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第十二話 バゼット・フラガ・マクレミッツ

 約束を取り付けてから三日経ち、土曜日となったその日。日も高くなったその頃合い、凛と士郎はとあるホテルの一室、その扉の前に立っていた。インターフォンを押して待つこと数秒、扉を押し開けたその人物に凛は気さくに声をかける。

 

 「久しぶりね、バゼット」

 「ええ。最近めっきり連絡がなかったのでどうした物かと思っていました」

 

 しかつめらしい丁寧語でそう言った彼女、バゼット・フラガ・マクレミッツは初めてであった時と変わらぬ堅苦しい男物のスーツにかっちりと身を固めていた。170を軽く超える長身と赤みがかった紫のショートカットの髪形も相まって男装の麗人という言葉がよく映える。

 

 顔立ちも生粋の白人女性らしく小顔で彫が深く、鼻筋もすっきりととおった小奇麗な形に纏まっている。またそれを引き立てるように、耳に付いた銀色のピアスが煌めいていた。

 

 「こっちにもいろいろ事情があったんだ。少し立て込んでて」

 「……まあ、いいでしょう。立ち話もなんですし中にどうぞ」

 

 士郎の言葉にバゼットは軽く嘆息すると部屋の中に招き入れ、奥に向かって行く。

 

 「じゃ、お言葉に甘えて」

 「お邪魔します」

 

 それにしたがって凛と士郎は部屋に踏み込んだ。どうやら空調が効いているようで、冷えた体を暖かい空気が包み込む。流石は高級ホテル、ストーブなどとは格が違う物を使っている。

 

 室内は白を基調としたシンプルながらも高級感あふれる洋室となっており、高級ホテルのスイートならではと言わんばかりの広さと高価な調度品を誇っていた。おそらく資金は協会から出ているのだろうが、すさまじい贅沢ぶりである。

 

 その部屋の主たるバゼットはリビングルームの奥に進んでいくと、壁に沿ってL字型に配置された白い革張りの大型ソファに囲われた四角い木製のセンターテーブルの前で立ち止まる。

 ついでソファの奥を手で指し示して口を開いた。

 

 「客人ですし、一応茶位出しましょう。座って待っていてください」

 「そ。ありがと」

 

 短く礼を述べると、二人は折れたソファの奥に腰掛ける。

 そうして数分後、茶器を盆に載せたバゼットが現れ、それぞれにカップを渡していく。

 

 「うまい淹れ方など私には判らないので味の方には期待しないでくださいね」

 

 そう告げて、バゼットはカップに茶を注いでいく。そうして全員分注ぎ終えた彼女は、ソファが折れる手前、二人から見て右前方にあたる位置に腰かけると口火を切った。

 

 「さて、手っ取り早く用件を聞きましょうか。世間話をしに来たわけでもないでしょう」

 「そうね。それじゃあ、協会の方になにか新しい動きは?呼び出しを受けたんでしょう?」

 

 バゼットに合わせて凛も端的に問を投げた。とりあえず最初に確認しておきたい事項だったからだ。協会に呼び出されたというバゼット、それは一体どのような用向きだったのか。その疑問を解消しておきたかった。

 

 それを受けたバゼットはティーカップに口をつけ、ゆっくりと紅茶を啜る。その間が妙に長く感じたため、凛はもしや危惧していた事態が起こったのでは、と内心緊張を走らせる。体もこわばっていたのかもしれない。そんな彼女の内心を弄ぶようにバゼットはゆっくりとカップを戻すと、一拍置いて口を開いた。

 

 「そうですね。あなた達が欲しがるような虫憑きに関連するような動きは、これと言って特にはありません。今回の呼び出しも協会内部のごたごたについてでしたから。定時連絡にも目立つ用件はありませんでしたし」

 「そう……。協会内部のごたごた、か」

 

 そう、自身に言い聞かせるように凛はつぶやく。その心の内で、彼女は盛大にため息をついていた。やけにじらせるものだから、無駄に構えてしまった。人騒がせにも程がある。

 

 「で、その内部のごたごたというのは?」

 「協会が虫憑き、ひいては特環によって有事が引き起こされた場合に即座に動ける駐在戦力を日本においているという事は前話しましたね?」

 「ええ」

 

 無論、凛にはそんなことを聞いた記憶がない。正直に言うならば、彼女はその情報をもう少し深く聞きたい所ではあった。それでも会話を途切れさせないために、話を合わせて凛は相槌を打つ。それを受けてバゼットは、では、と話を続けた。

 

 「現在、東西南北そして、中央。各特環の最大支部と本部が置かれている地域に一人ずつ、私も含めて協会が選別した武闘派の魔術師がいます。他にも数人監査官がいますが、彼らは位階の低い魔術師たちなので一応替えは利くのです。ところが、駐在戦力の魔術師は少々事情が異なる。それぞれ出自や経歴、性格に差異、難はあるものの、それでも協会に選ばれた実力者ですから」

 

 腕を組み、嘆息交じりでバゼットは語る。言葉尻の方で、彼女の顔が引きつった笑みを浮かべていたのを見て、協会に選ばれた実力者というのはおそらく相当に曲者揃いなんだろう、と凛は推測する。あの鉄面皮のバゼットの顔を引きつらせるメンツという時点でそれは想像するに容易い。

 そうこう凛が考えているうちにも、バゼットは言葉を紡いでいく。

 

 「こういうと自惚れていると思われそうですが、容易に変えが利かないと言い換えてもいいでしょう。彼らが持ち場を空けるには相応の理由と、同等の実力者もしくは大体十数名の武闘派魔術師が必要となります。正直に言うなら人員補填がめんどくさいのです」

 「という事は、今回の件はその五人の内誰かが持ち場を離れなければならない事態が起こったと、そういう事?」

 

 凛の問いかけに、バゼットは堅苦しい表情で首肯した。

 

 「はい。ただ、言ったように補填が面倒でして。来たところで組織がらみのいざこざもあって満足に虫憑きの研究が出来るわけでもなし、こんな極東の島国に好き好んで訪れようという戦力足り得る魔術師は限られていますからね。人員の確保が難しい。言ってしまえば今の五人の戦力も、権威だけあって権力のない私のような家の出か、元々、フリーランスで魔術師狩りを行っていたような者ばかりです」

 「要するに、協会のお偉方は虫憑きの問題を介払いしたい実力者や、どうでもいい外様の魔術師に任せて自分たちは研究に専念したがっている。だから、貴女達の代わりになりたがるような実力ある魔術師がいない。それをいかにして補填するかを話合っていたってことかしら?」

 

 凛の言葉に、バゼットはどこか物憂げな目線を窓の外に向ける。

 

 「はい。彼らは最終的な虫憑きの研究権利さえ得られれば良いと考えていますから。実地に出向いて採取するのは下賎の者の務めで、自分たちはその採取した物を受け取るだけ、だというのが実情でしょうね」

 「なるほどね。それで結局、貴女たちは代替を見つけることが出来たの?」

 「一応は。だからこそ、今ここにいるわけですし」

 

 深いため息をついたバゼットに、凛は苦笑する。この様子だと、生真面目なだけあって苦労を背負いこんでいるのだろう。

 

 「オーケーわかったわ。じゃあ次ね。“影法師”。これについての新しい情報は出ているかしら」

 「……これも特には。相変わらず噂以上でもそれ以下でもありませんね。やはり前の判断通り不審な欠落者の発見現場情報が出た地域を洗ってみた方がよいかと。以前のあなた達の話通りなら両者には確実に関連がありますし、追って行けば何かわかるでしょう。というより、今までそれを追っていたのではないのですか?」

「ええ、でもまあ大して進展はなかったわ。情報が出回ってないのよね、ほとんど。特環内部でもね」

 

 憮然とした様子で凛は嘆息して見せた。しかしバゼットはその言葉に怪訝そうに目を眇める。

 

 「情報が出回ってない、ですか。それより、特環内部でも、とはどういう事ですか?」

 「聞いた通りよ。今私たちは特環局員として西中央にいるわ」

 「……どういう事ですか?」

 

 静かに、しかし威圧するようにバゼットは尋ねる。それに伴って室内に緊張が走りぬける。隣に座った士郎が身を固くする気配が伝わってくるが、凛は柳に風とその威圧を受け流していた。

 

 「やっぱり協会側からはなにも聞いてないか」

 「当然、事情は聞かせてもらえると考えてもいいですよね」

 

 鋭く細めたバゼットの眼が凛を射抜く。対して彼女は静かに頷いた。

 

 「ええ。それなりに各地を見て回ったけど、出回る情報が少なすぎると思ったのよね。不審な事件と、それの付近にまとわりつく“影法師”の噂。両者を関連付けて考えてもおかしくないわ。それに比例して特環は警戒を強めて動いていてもおかしくはないでしょう。なのに奴らはいつも通りすぎたのよ。両者を関連付けて動いているような特環局員の姿はなかった。怪しいにも程があるでしょう?」

 「それで、内部を調べるために局員になったと?」

 「その通り。あくまでもこちらのミスで見つかったように見せかけて接触したわ。衛宮君には事情を説明しないまま行動に移したし、特環の前でいいリアクションをとってくれたと思うわよ。結果、それなりに自由のある立場は手に入れたしね」

 

 今、彼女が口に出している物は当然、凛の体験談ではない。以前から彼女が考えていた“凛”の行動理念を予想し、最も筋が通っていると感じた物を語っているに過ぎない。

 

 つまりは憶測、出鱈目だ。だが、その憶測をしているのがほぼ同一人物と言える凛である。それ故に、その思考パターンをトレースして状況をシュミレートした結果は、他人がそれを行うよりも何倍も真に迫ることが出来ているはずだ、と彼女は考えていた。

 

 そしてそれを“本物”にする為、凛は自身の精神を自身でも驚くほどに彼女が想像する“凛”と同調させていた。そのせいか言いよどむことなくすらすらと言葉が流れ出てきている為、それは功を奏しているといえるだろう。

 必然的にバゼットはそんな凛の内面を知らないまま疑問の声を上げる。

 

 「……その立場と引き換えに、こちら側の情報を流す。という対価を払っているのではないですか?」

 「ええ。でも流す情報はあくまでも私が取捨選択できるわけだし。ま、いずれにせよ、向こうが間抜けな魔術師の首輪を握っていると思いこんでいるうちは自由にやらせてもらうわ」

 

 そう語る凛の中にも一握りの不安があることは間違いない。魅車が桜と凛たちの関係を知った上で特環に引き入れたかどうかは分からないからだ。仮にそうだとするなら、凛たちは彼女の脚本の上で踊る役者に過ぎない可能性も出てくる。

 

 だが、ギブアンドテイクの関係を受け入れて凛たちは入局した、利用されることは初めから覚悟の上だ。何をたくらんでいるかは知らないが、すべて思い通りにいくと思ったら大間違いだ。

 一拍置き、推し量るようにバゼットを見据えて凛は続けた。

 

 「それに、大規模な抗争をすることは協会も望んでいないでしょう? 特環と協会の両者をつなぐパイプは少なからず必要だったはずよ」

 「そうですね。ええ、おおかたは理解しましたよ」

 

 バゼットはどこか諦観のこもった声色で呻く。ただ、それに伴って彼女が纏っていた、軋むほどにぴんと張られたピアノ線のような緊張感は解かれていた。どうやら彼女の言葉を“凛”の行動として違和感なく受け止めてくれたようである。

 ところが一転、バゼットは表情を厳しくして語を繋いだ。

 

 「ただ、間違えないでほしいところは、協会が望んでいないのはあくまでも自戦力の大幅な消耗と神秘の漏えいです。それがないなら介入に躊躇はないでしょう」

 「分かってるわ。だからそうさせないように動いていくつもり」

 「行動すると言っても、他管轄内で虫憑きとして捕獲されてしまった以上、あなたが虫憑きであるという事が協会に割れている可能性も否定できません。私のところまで情報が流れてきていないことから何とも言えませんが安易な行動は慎んでください。私はともかくほかの管轄の魔術師がどう出るかは予想が出来ない」

 

 嗜めるようなバゼットの言葉に、凛は鼻を鳴らす。

 

 「そんなもの、関係ないでしょ。協会の推薦を蹴った時から覚悟なんて決まってるわ。だから虫憑きとして捕獲される愚を犯してまで特環局員になった。局員になった以上、協会もうかつに手出しはできないでしょうしね」

 

 “虫”という異能を抱えている“凛”は、とてもではないが時計塔に留学することは適うまい。時計塔への推薦を蹴っていることは、士郎の様子や“凛”のこれまでの行動から容易に推測できた。特環を呼び寄せるような動きを行ったのも、どの道袂を分かつ可能性を秘める協会よりは特環と接触した方がメリットがあるからだろう。加えて、桜の問題もある。“凛”と周囲を取り巻く環境、状況から必然的にそういう考えにいたったのだろうというのが凛の結論である。

 バゼットは重苦しく面持ちで凛の言葉を聞いていたが、おもむろに口を開く。

 

 「覚悟の上で、というならば何も言いません。確かに組織の庇護下にあるなら協会も下手に手出しはしないでしょう。ただ、協会も一枚岩ではないという事です」

 「分かってる。でも忠告はありがたく受け取っておくわ」

 

 予想以上に肩入れしてくれるバゼットに、内心うろたえながらも凛は謝意を述べる。

 

 「にしても、初めの方に落ち着きがなかったのはこのためですか。確かに、特環局員になった、などと封印指定の執行者に話すのは蛮勇以外の何物でもありませんからね」

 「あっちゃー。やっぱ緊張してるのばれてたか。流石ね」

 

 正確には特環に入ったなどという事とは無関係の事で緊張していたのだが、さすがに彼女もそこまでは読み取れなかったようだ。

 と、そこでふと思い至ったことを訊くことにする。いや、返答は既に見えているのだが、一応というやつだ。

 

 「……そうだ、聞いておきたいことがもう一つあったのよ」

 「なんでしょうか」

 「協会から、赤牧市周辺で“歪み”が観測されたというような旨の伝令はきていない?」

 「そのようなことは聞き及んでいませんが……。赤牧市で気になる事でもあったのですか?」

 「ま、大したことじゃないから何もないならいいわ。私事だから気にしないで」

 

 バゼットの答えに、凛はやっぱりそんなもんか、と納得してごまかすように笑った。そんな凛に、彼女はどこか歯切れが悪そうな表情を浮かべつつ引き下がる。

 

 「ならいいですが」

 「そういえば、間桐臓硯。バゼットはこいつの動向をつかめたか?」

 

 すると、今まで茶を飲むばかりで黙り込んでいた士郎が、思い出したかのように口を開いた。

 

 「そちらに関しては何も……。すくなくとも協会側には接触していないでしょう。そもそも五百年以上生きた老獪な魔術師がそう簡単に尻尾を出すはずもありません」

 「こっちも手がかりなし、か」

 

 悔しそうに歯噛みして、士郎は口を引き結んだ。それを横目に見ながら、凛は思考を走らせる。

 あの老魔術師は十中八九桜の近くにいるとみていいだろう。これはおそらく間違いはない。といっても、これはあくまで平行世界の知識を持つ凛だけの確信だ。

 

 なぜなら、士郎の過去の聖杯戦争のいきさつを聞いた限りでは、この世界の臓硯は表だって行動を起こしていないようだった。その為、その目的や桜の役割を“遠坂凛”や彼は理解していなかったと見て良いからだ。故に臓硯居所の目星がついていなかったのだろう。

 

 だが、凛は違う。あの老魔術師の目的も、桜がどのような役割を担っていたのかも“知っている。”この世界でもその知識が当てになるとは限らないが、今までの様子から見て虫憑き以外に関することなら自身の知識はそれなりに通用することが分かっている。ならばある程度は警戒しておくにこしたことはない。

 

 だからこそ以前から引っ掛かっている事があるのだが、それはよけいに強まるばかりである。特環とつながりがあるかのように見える“影法師”、すなわち桜の近くに本当に臓硯がいるのならあの妖怪は一体何をしているというのか。桜を連れ戻し損ねるということがほぼありえない以上、ある程度納得して桜の行動に着いて行っているように思える。ここから最悪の想像をしてしまうのならば、魅車と臓硯はつながっているのでは、とすら考えてしまうのだ。だが、それが一体臓硯にとってどんなメリットがあるのかがわからない。虫憑きなどというものは聖杯とはまるで別ベクトルの産物だろうに。

 

 ここで頭を痛めていても答えは出ない。いずれにしても、臓硯は桜を監視できるくらいの位置にいると考えていた方がいいだろう。

 と、一度思考を脇に寄せて、凛は今日の二つ目の目的を口にすることにする。

 

 「ねえ、バゼット。これは一個人としての頼みなんだけど、聞いてくれる?」

 「……私個人でできる範囲なら聞きましょう」

 

 凛の真っ直ぐ自身を見据えるその目になにか感じ取ったのか、バゼットも真摯にその目を見返していずまいを正す。

 それを受けて、凛は本題を切り出した。

 

 「私が高校卒業したら、少しの間冬木の管理を任されてくれない?」

 「冬木を離れるつもりですか?」

 「ま、やると決めた以上徹底的に、が私の信条だし。いざ動こうってその時に土地に縛り付けられるのも癪に障るでしょ?」

 

 特段気負うでもなく凛は語る。隣にいた士郎はその成り行きを静かに見守っていたが、おもむろに口を開いた。

 

 「……頼まれてくれないか、バゼット」

 「こちらにも立場という物があるのですが……。まあこの任務は情報収集ばかりで時間を持て余していたところです。構いませんよ」

 「随分簡単に承諾するのね」

 

 あっさり過ぎて思わず肩透かしを食らった凛は思わずそうこぼす。するとバゼットそんな彼女を見て頬を緩めた。

 

 「あなた達には世話になりましたからね。これでも恩は感じています。だからこうして協力しているのでしょう」

 「義理堅いというかなんというか。ま、ありがたいけどね」

 「ありがとな、バゼット」

 

 二人そろって感謝の意を伝える。しかしバゼットはどこか申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。

 

 「分かっているとは思いますが、あくまでも任務が絡まない範囲でしかサポートはできませんよ。そこは理解しておいてくださいね」

 「分かってる」

 

 そう、厳かに頷いた士郎を見て、バゼットは思い出したかのように切り出した。

 

 「ところで、あなた達は今日何か火急にするべき用事はありますか?」

 「特にないけど、なんで?」

 

 僅かに首を傾げ、凛が訪ねた。

 

 「引き受ける交換条件、と言ってはなんですが最近実戦から遠ざかっていまして。体を動かしたい気分なんですよ。トレーニングは一人でもできますが、相手がいる方が効率的でしょう。という訳で、少々付き合ってもらえませんか」

 「これまた突然ね」

 

 唐突に訓練に付き合えと言われ、肩をすくめて嘆息する凛に、バゼットは愉しそうに喉を鳴らした。

 

 「お互い様です」

 「俺は構わないぞ。封印指定の執行者と手合せできる機会なんてなかなかないからな」

 「……ちょっと、士郎」

 

 思いのほか勢い込んでいる士郎の脇腹を凛は肘で小突く。衛宮士郎の扱う一部の魔術は大いに特殊性を孕んでいる。それは一代限りの特異性と言っても過言ではないものだ。すなわち、封印指定を受ける可能性を持っている。だからこそ彼女は士郎に安易にそれを使わないように指導しているのである。そんな彼がいくら味方とはいえ、執行者相手にみだりに魔術を使うなど愚の骨頂であるといえるだろう。だが、心配する彼女を安心させるかのように士郎は生真面目に頷いた。

 

 「大丈夫だ、“分かってる”」

 

 その表情から凛は、士郎がそのあたりを弁えたうえでの発言したことを理解する。凛はその事実に若干、呆れ交じりの溜め息を一つはいた。

 

 「まあ、いいわ。土地管理の代理を引き受けてもらう交換条件がこれなら安いもんだし」

 「決まりですね」

 

 彼女にしては珍しい、したり顔でバゼットは頷いた。一応戦闘の準備はしてきたものの、こんな形で役に立つことになろうとは思ってもみなかった。凛は苦り切った表情で問いかける。

 

 「で、場所は?」

 

 

 

 「屋上って…。まあいいけど」

 

 バゼットに案内された場所は、剃刀のように鋭く肌を切り裂く冷風が吹きぬけるホテルの屋上だった。それ自体別にいいのだが、やはり冬場に屋上というのは堪える物がある。その上、学校の屋上の数倍の高さはあるだろうこのホテルの屋上であるのだから尚更だ。木枯らしに弄ばれる髪を片手で押さえつけながら、凛は強く息を吐いた。白くなって空に溶けていくそれを見送る彼女に、声が投げかけられる。

 

 「人除けのルーンは配置し終わりました。いつでもいいですよ」

 

 呼びかけられた方向に視線を向けると、屋上の四隅と中央に結界用のルーンを配置し終えたのだろうバゼットは、両の手に黒い皮の手袋をはめながら歩み寄ってくる。

 

 「この剣、本当にいいのか?」

 

 士郎は両の手に持った二本の短剣を掲げ尋ねた。投影を使う訳にはいかず、しかしそれでは武器がない士郎にバゼットは短剣を貸し出したのである。それは当然の如く真剣で、士郎が問うているのはそのことだろう。

 だが、バゼットは当然とばかりに頷いた。

 

 「ええ、真剣でないと空気も出ませんし」

 「相手より自分の心配しなさい、あんたは」

 

 思わず額に手を当てて凛は呻いた。相手は執行者当代きっての実力者である。武装の良し悪し程度で、彼我の差が埋まるほど彼女は甘くない。訓練とはいえ下手を打てば死ぬのはこちらである。

 

 そして、それを示すかのように場の空気が張りつめていく。バゼットが構えをとったからだ。たったそれだけで、バゼットの姿が二回りほど大きくなったかのような圧迫感を覚える。僅かに漏れ出るだけの気勢でこれだ。闘いが始まればこれがどれほどまでになるのか全く予想がつかない。

 

 「私も本気で行きます。とはいえ私は格闘のみで相手をしますが、あなた達はしっかり“全力”で来てくださいね」

 

 でなければ死にますよ、とバゼットの細められた目が何よりも雄弁に語っている。

 押さえられていた鬼気が解放され、二人に叩きつけられる。その威圧。ただ睨まれただけにも拘わらず、すでに真綿で首を絞められているかのような息苦しさを覚え、僅かに戦慄する。そんな、まさしく蛇に睨まれた蛙の如く硬直しそうになる体を、二人は強引に振り払った。

 

 「――同調開始(トレース オン)……!」

 「――Anfang(セット)……!」

 

 同時に紡がれる自己改変の呪文。ついで弾かれるように二人は左右に散開する。

 

 

 そのまま先手を取ったのは士郎だ。全身に魔力を巡らせ、身体を強化した彼は解き放たれた矢のように真っ直ぐにバゼットに向かって突き進んでいった。

 そうして射程圏に入ったバゼットに向けて、士郎が右手の短剣を頭上に振りかぶり、

 

 「っつぁ!」

 

 鋭い気勢に乗せて振り下ろす。

 直線的で単純な軌跡。だが、それ故に最速を誇る一撃だ。おそらく、バゼットの構えを見た瞬間、士郎は自身と相手の力量の差を感じ取っていたのだろう。

 

 当然だが、彼女は強い。凛や士郎程度の小細工などものともしないはずだ。それを理解したからこそ、彼は真正面から自身に持てる最高の一撃を持って臨んだのだろう。

 

 だがそれを、バゼットは半歩右にずれ、軽く左拳の裏で短剣の腹を軽く叩く。たったそれだけの動作でいなしていた。

 弾かれた士郎だけでなく、凛もその動きに目を見張る。士郎の渾身の一撃をいなしたその拳には、ほとんど力が乗っていなかったのだ。眼前にかかっている暖簾をのける程度の力で、バゼットは士郎の攻撃を完全にしのいでいた。

 

 受けられることすらなく、力がほとんど殺されなかった短剣は盛大に空を斬り、踏込の勢いで士郎の体勢が狂う。

 対して最小の動きのみで彼の動きをいなしたバゼットは体幹に全くブレがない。当然、

 

 「っ!」

 

 フリーだった右こぶしが唸りをあげ、士郎の左頬めがけて放たれる。それを、彼は残った左腕の短剣でかろうじて受け止めていた。

 

 瞬間、左腕が跳ね上がる。勢いを殺し切れずに弾かれた左腕に押され、士郎の上半身が反り返る。とてもではないがただの右ストレートの威力ではない。全力で振るわれた戦鎚を真っ向から受け止めたかのような衝撃音が屋上に響き渡る。まともに食らっていたら彼の頭はスイカみたいに吹っ飛んでいただろう。だが、休んでいる暇などない。

 

 「っシッ!」

 

 機械が蒸気を吹くように、鋭く息を吐いたバゼットが間髪入れずに左拳を放つ。士郎の脇腹を狙って放たれたそれを、彼は反り返った上半身の勢いに任せてばく宙してかわす。その一瞬の安息もつかの間、着地した士郎の顔面目掛けて、既に振りぬかれようとしているバゼットの拳が空を抉る。

 

 「っぁ!」

 

 士郎の口から苦悶が漏れる。思い切り上半身を逸らした彼の鼻先を、弾丸のような勢いで拳が通過していった。

 

 たまらない、とばかりに士郎は横に転がっていった。体勢が崩れすぎたあの状態ではただの的になるだけだと判断したからだろう。しかし、それで逃れられるほどバゼットが優しい敵のはずもなく、上体を起こそうとした彼の目の前には既に堅そうな革靴の甲が迫っていた。

 

 致命的だ。力強くしなる右足は、断頭の大鎌のそれである。そのままいけば、過たずに士郎の頭が高々と宙に舞うだろう。ところが、それが振り切られることはなかった。

 

 「Fixierung,EileSalve(狙え、一斉射撃)――――!」

 

 その代わりに士郎の目の前を黒い嵐が吹きすさんでいく。動物は獲物にとどめを刺すその瞬間にこそ最大の隙を晒す。それを理解した上で放たれた凛の得意魔術、ガンド撃ちの掃射であった。

 

 ガンド。北欧の魔術の一種であり、指さした相手を呪う、という効果を持った代物だ。通常、一工程で初歩的とされるこの魔術は物理的破壊力を持たず、少し対象者の体調を崩す程度の魔術なのだが、凛のそれは込める魔術の密度からか拳銃に匹敵する物理的干渉力を得ていた。物理的な破壊力を持つガンドの事をフィンの一撃と呼びあらわすらしいが、ソレを“連射”する凛のガンドはフィンのガトリングガンと形容するべきモノだ。

 

 ところがその規格外のガンドの掃射すらも、バゼットには容易くかわされていた。士郎から五メートルほど離れた位置に悠然と立っている。

 

 「全く、本当に殺す気で来てくれるわね」

 

 凛は声を荒げてバゼットを睨む。それに対してバゼットは涼しい表情のままに答える。

 

 「ですから、本気でやらないと訓練になりません。第一、貴女が割り込んでくるとわかっていましたから」

 「変な信頼しないでちょうだい」

 「どちらにせよ、格闘のみの私相手に苦戦している様では高位の虫憑き相手は無理ですよ」

 「分かってるわよ……!」

 

 図星を突かれた凛は不機嫌に鼻をならした。

 

 「それにしても、今のは肝が冷えたな」

 

 つぶやきながら、士郎は立ち上がる。左腕をだらりと下げた様子から、バゼットの一撃を受けた反動がいまだに響いている事がうかがえる。なんという馬鹿力か、と凛は感嘆を通り越して呆れる。それを実感しているのか、士郎は大量の冷や汗を噴き出しており、顎から滴らせていた。そんな士郎にバゼットが声をかける。

 

 「しかし、士郎君の剣技。それは我流ですか?」

 「ん? ああ。そうだけど、なんだ?」

 「いえ、我流にしては洗練されているな、と思っただけです」

 「洗練って……。ほとんど剣も振れてなかったじゃないか」

 

 情けない、といった様子で士郎は表情を曇らせた。

 彼としては、防戦ぐらいなら出来る見立てであったのだろう。それをここまで完膚なきまでに叩き伏せられては堪えるモノがあったに違いない。

 眉をひそめる士郎に、バゼットは平坦な口調のまま告げる。

 

 「確かにそうかもしれません。ですが、最初の一撃は素晴らしい剣閃をしていました。付け加えるなら、私はそれを躱して拳を放った時に勝ったと思ったのです」

 

 しかし、と彼女は続ける。

 

 「あなたはそれを受けた。体は流れ、躱せるタイミングではなかった一撃を二刀である利点を生かして受け止めたのです。加えて、まともに受けるのではなく、貴方は拳に合わせて剣を引くことで衝撃を和らげ、あまつさえ回避に生かして見せた」

 「偶然だよ」

 「たとえ偶然であれ、結果を残している。この先も修練を積んでいけば相応の使い手になるでしょう」

 

 その言葉で凛の脳裏によぎったのはかつて彼女と共に戦い、士郎が相対した、赤い外套の騎士の姿である。かの騎士の剣技。無骨でありながら洗練された、凡庸な人間が修練を重ねて磨き上げた技巧の境地。衛宮士郎にとっての一つの到達点であり、目標であるといえるだろうその域に、いつかは士郎もたどり着くのだろうか。

 いや、到達するのだろう。思いつめた様子で自身の拳を見つめる士郎には、凛にそう思わせる何かがあった。

 

 「……そうだな。なってみせる」

 「さて、そろそろ第二ラウンドと行きましょう」

 

 そう告げて、バゼットがゆっくりと構えをとる。弛緩していた雰囲気が引き締まる。

 

 「私の魔術、狙い甘いのよね。下手すると士郎にあたっちゃうし」

 

 ぼやきながら、士郎の横に並ぶ凛。そしてバゼットを見据えて軽く腰を落とし、左足を半歩前に出す。左手の手のひらを相手に向けるようにして軽く突き出し、右手を右腰の近くに持ち上げる。三体式と呼ばれる拳法の基本的な構えである。

 

 「―――だから、私も前に出るわ」

 「遠坂」

 

 その先に、何を続けようとしていたのか。彼がその言葉を飲み込んでしまった以上、凛には判らない。だが、万が一にも下がれというようなら、その頭をひっぱたいてやるところであった。心配など大きなお世話である。確かにバゼットは想像を絶する使い手だ。だが、彼と、士郎と一緒ならやってやれない相手ではない。

 だからこそ、

 

 「――大丈夫、任せなさい」

 「ああ、頼んだ」

 

 お互いに信頼を持って答えるべきだろう。

 

 「八極拳、ですか」

 

 凛の構えを見て、バゼットが少し苦虫をかみつぶしたような顔をした。しかしそれも僅かの間であり、すぐにいつもの仏頂面に立ち直る。

 

 「いいでしょう、いきますよ」

 

 

 ところ変わって、バゼットの部屋に戻ってきた三人は、休憩がてらに再びソファに座って卓を囲んでいた。

 

 「いい運動になりました。ありがとうございます」

 「あれで“いい運動”程度なのね……」

 

 疲労困憊で机に突っ伏した凛が、げんなりとした声色でぼやく。バゼットとて相当な運動量だっただろうに平然とした顔で紅茶を飲んでいる姿にもはや溜息すら出てこない。

 同じく、疲弊した様子でソファの背もたれにもたれかかっている士郎は、口惜しそうに天井を仰ぎ見た。

 

 「勝てると思ったんだけどな」

 「ええ、確かに危なかった。ですが、そう簡単に負けるわけにもいきません」

 「ほんと、出鱈目が服着て歩いてるみたいな人間ね、あなた」

 「褒め言葉として受け取っておきましょう」

 

 凛の皮肉に答えた様子もなくさらりとバゼットは受け流すと、真面目な調子で続けた。

 

 「さて、鍛錬に付き合ってもらった事ですし、管理は任されましょう」

 「頼むわよ?」

 

 身体を起こし、バゼットの目を見据えて凛は念を押す。自身の土地の管理を預けるという事は最大級の信頼を意味している。今さらバゼットを疑っている訳でもないが、それでも意志を確認しておきたかった。

 

 「はい。引き受けるからには手は抜きませんよ」

 

 凛の不安を払拭するようにバゼットは顎を引き、厳かに頷く。その姿に彼女は安堵する。やはりバゼットに頼んで正解だった、と。

 そう凛が一人で納得している間に、バゼットは切り替えるように口元を緩めた。

 

 「それにしても鍛錬が楽しい、と感じたのは久々ですね。気分がいい。できればまたお相手願いたいですね」

 「時間があれば、またやろう」

 

 同意を示した士郎に、バゼットは目を細めた。

 

 「お願いします」

 「でも暇あるの? 一応は任務でここにいるんでしょ?」

 

 凛はふと疑問に思った事を口にした。一応は仕事なのだからバゼットにも予定という物があるだろう。

 ところがバゼットは困ったように目を泳がせた。

 

 「そうですね。ですが、前も言いましたがそうやることもないんですよ。私たちの役割はあくまで駐在戦力です。確かに管轄内にルーンを刻んで監視を行ってはいますが、細かいこと監査官がやっていますから。まあ、そのおかげでかなり持て余していますが」

 

 このバゼットの言い分だとつまり、彼女たちが本格的に働くことになるのは本当に有事の時のみ、という事になるのだろう。だが、先ほどの話では監査官という立場の魔術師たちは位階が低いという話だった。となると、上層部に結果をかすめ取られる前に少しでも情報を得ようとしている歴史の浅い家の魔術師たちだろうか。

 

 まあ、そんな魔術師たちのごたごたは放っておけばいい。凛としては協会に虫憑きを好きにさせるつもりはない。彼らが虫憑きを好きにすることが出来るようになるという事は、日本で戦いが起こった後という事になるのだから。それを防ぐということも凛たちにとっては重要な事なのだ。

 だからこそ、凛はその旨をしっかりと口に出して宣言する。

 

 「……それはお生憎様。でも、あんたたちが忙しくなることはないわ。休暇だと思ってありがたく享受しなさい」

 「そうですね。……そうさせてもらいたいところですが、本当にもてあましているのですよ。恥ずかしながら、休暇と言っても何をすればよいかわからなくて」

 「う~ん。今まで遊びがなさ過ぎたんだろ。映画とか、本とか、とにかく娯楽を見つけたらどうだ?それに土地の管理って雑務もできるわけだし」

 

 わりと本気で悩んでいるらしいバゼットに、士郎もまた生真面目に腕を組んで思案しながら提案している。

 バゼットはその言葉にやけに神妙な表情で呟く。

 

 「娯楽、ですか。…努力しましょう。とりあえず、また時間があれば鍛錬に付き合ってくれるとうれしいです」

 「はいはい、時間があればね。じゃ、そろそろお暇するわ」

 

 なかば呆れ口調でそう告げると、凛は立ち上がった。士郎もそれに続いた。

 そして玄関口まで見送りに来たバゼットに、二人そろって別れを告げる。

 

 「また来るよ、バゼット」

 「じゃ、またこんどね」

 「はい。ではまた会いましょう」

 

 口元を緩め、そう答えたバゼットに軽く手を上げて、二人はホテルを後にした。

 




 バゼットさんの強さは原作と相違ありません。元々、凛と士郎二人がかりでも敵わないくらい強いのがダメットさんです。その彼女が防戦すらままならないのがサーヴァントな訳ですが。
 ちなみに、虫憑きの一号指定の強さは平均的なサーヴァントを想定しています。彼らが全力でぶつかると街一つ荒野になるレベルなので。第五次のサーヴァントは歴代最強クラスなので、一号指定と言えど彼らには劣ります。無論、状況によって例外も存在しますが、その位だと考えていただければ。
 バゼットさんは戦闘特化の四号指定と五分くらいを指標にしています。三号、二号下位あたりには防戦しつつラックで必殺を狙うと言ったところですかね。

 とはいえ、読んでいただきありがとうございました。
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