Fate/Kaleid Schmetterling 作:ひでぶ
その帰路、茜色に染まる街並みを眺めながら二人は歩道を歩いていた。向こうが提案したものではあったが、随分と長居をしてしまったものだ。しかし、一応目的は達成することが出来た。
自然と隣を歩く士郎に対して、声がこぼれる。
「とりあえず、管理の代理は取り付けられたわね」
「ああ。それにしても俺が話を合わせる必要なんてなかったんじゃないのか? お前、普通に言いくるめてたじゃないか」
どこか釈然としないといった面持ちで士郎はぼやく。それを聞いて、思えば士郎はあの場でほとんど喋っていなかったな、と思い返す。事前に凛に伝えられたことを意識して彼もそれなりに構えて望んでいたようだが、何事もなかったため肩透かしを食らった気分なのだろう。
だがまあ、と凛は士郎を諫める。
「それはそれよ。話題を振られても対処できるようにしておいてほしかっただけ」
「いや、うまく事が運んだからいいけどさ」
頬を描きながらぼやく士郎。だがすぐに気分を切り替えたようで、静かな調子で語を継いだ。
「何にしても、ここからだな」
「ええ。問題は新たな情報を得られなかったということね」
「やっぱり今迄通り噂を追っていくしかないか。特環の内部も調べる必要があるな」
「そうね」
凛は相槌を打つと、一端そこで言葉を切る。そして、幾分声のトーンを下げて続けた。
「……ところで、随分下手な尾行者がいるみたいだけど」
「そうだな。あれで尾行してるつもりなのか?」
士郎もとっくに気が付いていた様である。
バゼットのホテルをでてしばらくしてから、どうにも背後からこちらをちらちらと覗うような視線がまとわりついて離れなかったのだ。アニメかドラマの影響かは知らないが、電柱に隠れたり家の陰に入ったりしながらついてきているようだ。あんなことを現実でおこなっても逆に不振がられるだけだろうに。あまりにも露骨かつ下手糞なので捨て置いていたが、このままだと家までついてきかねない。
「さあね。何にしても……」
このままにはしておけないだろう、と凛は少しやけくそ気味に髪を手で払った。そうして立ち止まった彼女は、億劫な気分で振り返る。その際、追跡者と完全に、ばっちりと目があった。もう逃れようもないほどに。
にも拘らず、その人物は目が合ってから数拍遅れて電柱の陰に隠れる。一言その様を形容するなら、どんくさい、というこの言葉が適任だろう。
「――で、あなた何者?」
「ひっ……! いや、あのですねぇ……」
いままで気づいてくださいとばかりに後をつけていた人物とは思えないほどの、うろたえた様子でおずおずと電柱から顔をのぞかせる。
まだ若い女性だ。凛たちとさほど変わらないかもしれない。電柱に隠れてよく見えないが、グレーのスーツ姿で、長い黒髪からはいくつも寝癖が跳ねている。髪の毛がふわふわして見えるのもそのせいだろう。よく見ると顔立ちは整っているのだが、その寝癖と、情けなく歪んだ口元や八の字になったまゆ毛のせいでパッとしない印象を受ける。
おどおどとしたその姿を不憫に思ったのか、士郎が柔らかい口調で問いかける。
「いや、さっきから俺たちの事つけてただろ?」
「それはですね。えーと、私はただの大学生です。いやもうすぐ卒業するんですけどね。私があなた達をつけたのはある人に頼まれたからであってですね」
「ああ、説明は良いから用件を言いなさい」
煮え切らない態度に業をにやした凛がぴしゃりといった。それに小さく肩を震わせ、身を小さくして女性は歩み寄ってくる。
大学生だといったか。しかももうすぐ卒業となると凛より四つも上という事になる。とてもではないが、そんな風には見えない。というよりも、こうして接しているとまるで駄目な後輩の面倒でも見ているかのような気分になってくる。
「その、これを」
女性は恐縮した様子で鞄の中から白い封筒を引っ張り出し、差し出してくる。それを手に取った凛は中身を軽く改めたうえで口を開いた。
「手紙ね。学生のあなたを使って接触、しかもすぐ処分できる紙媒体を使うなんて。あなたにこれを頼んだ人間、かなりやましいことがあるのかしら」
凛の探るような視線に、女性はせわしなく視線を泳がしたかと思うと早口にまくしたて始めた。
「ど、どうでしょうねえ。あ、あの。物は渡しましたし私はこれで。それでは……!」
ついに耐えきれなくなったのか、言い終えた女性はそそくさと逃げるように走り去ってしまった。
取り残された二人は、顔を見合わせて肩をすくめる。
「……なんていうか、落ち着きのない人だったな。俺たちより年上なんだろうけど」
「まあ、あんな人物だからこそ警戒はされないんじゃない?それを見越してこれを書いた人物もあの子を寄越したんだろうし」
事実、呆れた二人は彼女に何かする気力すら失せていた。その結果として彼女は無事、手紙を渡すという目的自体は達成している。本業の人間相手では、凛たちもそう簡単に警戒は解かなかっただろう。もしかしたら魔術で干渉していた可能性すらある。
「でもそれ……。一体誰からなんだ?」
警戒するように凛が握った手紙を睨み、士郎がつぶやく。それは気になるところではあるが、
「さあね。帰ってからのお楽しみってやつでしょ」
不敵に笑って凛は手紙を懐に仕舞いこんだ。
冬木に帰り着いた二人は、衛宮邸ではなく、遠坂邸に足を運んだ。遠坂の屋敷なら、魔術的防備が充実しているからだ。
凛たちに接触してきた女性が、どんな人物の差し金であるかはわからない。だが、わざわざ代行に手紙を携えさせてきたのだ。どう考えてもマトモな人物ではないだろう。この手紙はそれなりにみられたくない事が書かれているはずだ。それ故に、一応周囲の目を魔術的に遮断できる遠坂邸で開封することにしたのである。
「……さて。隔離完了」
施術を終えた凛は、横に長い木机の前で待機していた士郎の下に歩み寄る。
「いつも思うけど、工房内だと何でもありだな」
「そりゃ、ここは私の体内みたいなものだし。簡易的な遮断はいつも行っているわよ。常識でしょ」
遠坂邸の地下工房。遠坂の魔術師にとって体内に等しいここならば、外部からの霊的干渉を遮断することなど容易い。魔術師にとって工房とは、研究施設であり、自身と研究成果を守るための牙城に他ならない。それ故に、工房にこもった魔術師を攻略することは困難を極める。
少なくとも、この遠坂邸の工房ならば、よほど規格外の化け物でもないかぎりは撃退できる自負が凛にはある。
ただ、そういった工房とは縁の薄い士郎にはピンと来ないのか、難しそうな顔で唸る。
「まあ、そりゃそうだけどさ」
「そうだけどさ、じゃないわよ。アンタだって魔術師なんだからいい加減慣れなさい」
言い聞かせるようにそう言うと、凛は手紙に手を掛けた。
「じゃ、あけましょうか。誰が何を持って私たちに接触したのか。これで分かるわ。鬼が出るか、蛇が出るか」
意を決して凛はその白い封筒を開封する。中には白いA4用紙が一枚、几帳面に折りたたまれて入っていた。
それを凛が引っ張りだして、士郎にも見やすいように広げて持つ。だが、それを右後ろから覗き込もうとした士郎との距離の近さに思わずどぎまぎしてしまい、結局、せっぱつまった凛が読み上げる事となった。
『初めまして、“魔術師”遠坂凛。そして、衛宮士郎。ボクは土師圭吾という者だ。特別環境保全事務局、東中央支部支部長を任されている。キミたちの事は調べさせてもらったよ。魔術師である事、中央本部の傘下にあるという事、そして今キミたちが困っているであろう事もね。簡潔に言うならボクはキミたちの力になることが出来る。間桐桜。彼女を追っているんだろう?』
「こいつ……!」
一段落目を読み上げた凛は思わず声を荒げる。特環の支部長であるという土師圭吾。彼は桜の素性、そして凛たちとの関係性を既に突き止めている。これは依然彼女が危惧した、特環が桜との関係性を知った上で凛たちを局員にしたという、最悪の予想が当たっているという事を示している。
覚悟はしていた。大体でもってあの女がそんなに甘いはずもない。だが、いざそれを目の前に突き付けられると来るものがある。だが、それをさておいても、とリあえず、こいつの目的を知らなくては。
「落ち着け、遠坂。……まずは続きを読もう。こいつの目的をしらないと」
士郎も同じ考えだったようだ。落ち着いた声色で促された凛は、頷いて先を読み進める。
『キミたちが“影法師”の噂を執拗に追っていたという裏はとれている。キミたちはあくまでも公共共通機関を利用して行動していたようだからね。特環の傘下に入っている以上、ボクの権限でキミたちの足跡をたどることは容易だった。その結果面白い事が見えてきてね。キミたちの市外遠征はある時期から突然行われ始めたという事さ。そう、間桐桜の失踪だ。これを境にキミたちは頻繁に遠出を行っているという記録が残っている。ここからキミたちと間桐桜の関連性を調べたが、彼女は遠坂凛。キミの実の妹であるというじゃないか。更に面白い事に、“影法師”の噂が広まり始めたのも間桐桜が失踪した付近から出回っている。そして、その噂を追いかけるキミたち。ああ、ここから導き出される答えは一つさ。“影法師”は間桐桜である。そして、キミたちは彼女を追っている。それがどのような意図をもって行っている事なのかはボクには分からないけどね。
さて、本題はここからでね。先ほども言った通り、ボクはキミたちの力になることが出来る。キミたちも感づいているだろう?特環、いや、中央本部は“影法師”の存在を隠蔽しようとしているという事にね。中央本部が何を考えているかはわからないが、間桐桜の行動を黙認しようとしていることは明らかだ。そして、それを理解したうえで行動しているような節が間桐桜には見受けられる。彼女の出没範囲は全国各所多岐にわたり、一見規則性もないように見えるが、彼女が一貫して姿を現していない地域があるのさ。
それが、東中央支部の管轄内だ。どうしてボクたちを避けているのかという理由は、今は置いておこう。だが、“かっこう”がいるという事を含めたとしても、東中央が中央本部に総合力で勝っているなどという事はあり得ない。高位局員の数が違う。感知タイプの虫憑きの存在の有無もしかりだ。“かっこう”一人で覆せるレベルじゃないのさ。だというのに、間桐桜は中央ではなくボクたちを避けた。これを信じるか信じないかはキミたちの自由だが、中央本部と間桐桜は確実につながっている。ただそこに坐して待っているだけでは得られるものは何もない、とだけは言っておこう。
そこで提案だ。東中央と組む気は無いかい?ボクたちは魔術師でありながら、虫憑きでもあるという協力者が欲しい。キミたちは、間桐桜を追いかけるための情報が欲しい。キミたちが特環に入ったのも、間桐桜の情報を集めるためだろう? 悪くはない提案だと思うけどね。まあ、キミたちが提案を飲もうと飲むまいと、彼女との接触作戦は進んでいる。アレは放置するには少し危険すぎるからね。とはいえ、キミたちとて、ボクたちに勝手に間桐桜に接触されては困るだろう?よく考える事だ。
さて、返事に関してだが、某日、某市の市立図書館に勉強に行くというお題目で五郎丸柊子、この手紙を届けさせた女性を向かわせる。彼女に伝えてくれればいい。ああ、ノーなら行かなくて構わない。それでは、色よい返事を期待しているよ』
読み終えた二人の間を沈黙が支配する。凛は手元の手紙を仇敵でも見るかのように睨みすえ、士郎は思案顔で固まったままだ。
手紙の要求内容は、至極簡単。魅車と同じだ。ギブアンドテイクの協力関係。それを結べと迫っている。ご丁寧にも桜や凛の情報を相応に掴んでいることをちらつかせ、あまつさえ接触する方法が既にある、とでも言わんばかりの言い草だ。
だが何よりも気になるのは、中央本部。魅車と対立でもしているかのような彼の言動である。土師圭吾が所属している東中央支部の管轄を桜が避け、中央とつながっている。その真偽のほどは定かではない。だが、彼が桜の存在を放置する、という中央本部の意向に背こうとしていることは手紙の内容、主旨からして明らかだ。
何故なら、凛たちは既に特環と協力関係を結んでいるのだから、今さらそれを仰ぐようなこの手紙に意味はないはず。凛たちのことを調べた以上、土師圭吾はそんなことは当然、知っていると考えていい。だというのに協力を仰ぐその姿勢。中央より自身に付いた方が得であると促すその態度はとてもではないが中央と志を同じくしている者とは思えない。
間をおいて、沈黙を破ったのは凛だった
「士郎。この手紙、どう思う?」
「どう、って……」
戸惑ったように言葉を濁す士郎に、凛は静かに問いかけた。
「この手紙に対する所感とか、そういう物が聞きたいのよ。貴方としては、どうするべきだと思うのか。あと、できれば東中央支部と土師圭吾についても知っていることを話してほしい」
「俺は……」
士郎は一瞬、言葉に詰まらせたものの、それも一瞬。すぐにはっきりとした語調で語りだした。
「俺は、この協力関係には乗るべきだと思う。土師圭吾、東中央支部が中央本部と折り合いが悪いってのは確かだと思うしな。“遠坂”も似たようなことを言っていた覚えがある。でも何より、この前の魅車に対する“かっこう”の態度は見ただろう?あいつは東中央所属なんだけど、あれが志を同じくしている者に対する態度とは思えない」
士郎はそこで一度言葉を切ると、一拍置いて再び口を開く。
「だから、魅車と組んではめようとしているって可能性は低いと俺は思うぞ」
「なるほどね。ありがと、士郎」
「……それはいいけど、遠坂。お前はどうしたいんだ?」
「決まってるでしょ、乗るわ」
愚問、とばかりに間髪入れず、凛は宣言した。
そう、この男の真意が何であれ、放置するという選択肢はない。
「協力関係を組むという手前、この手紙の中にはすぐにばれるような嘘はないはず。特に桜と接触できる手段をもっているとでも言うかのような表現。これが嘘かどうかなんて、実際に協力関係を組めばすぐわかるわ。これがこの協力関係の肝になる部分なんだから、おそらくこれに嘘はないでしょう」
嘘を混ぜるなら真実の中に一粒だけ混ぜるのが効果的だ。この手紙の中に奸計が仕掛けられていたとしても、文面どおりに読み取れるような嘘などありはしない。言及していない部分を想像するか、極めて拡大解釈を行ってようやく見えるかどうか、というぐらいの物であるはずだ。
士郎もそれに同意を示す。
「確かに、そうだな。そうじゃないと協力関係そのものが成り立たない」
「ええ。でも、だからこそ私は裏がない、と高を括ることだけはしない」
「どういう事だ?」
訝しげに問い返えしてきた士郎に、凛は顔の横に人差し指をピンと立てた。
「手紙の真偽は置いておいても、気にかかることが多すぎるのよ」
なぜなら、と凛は続ける。
「貴方だって違和感を覚えている筈よ。魅車八重子。土師圭吾が私たちの事情を調べ上げることが出来たのよ?あの女が私たちの事情を知らずに特環に組み込んだとは考えづらいわ。多分私たちの目的だって割れているでしょうね。にも拘らず、泳がせているのには理由があるはずよ」
魅車とはそういう女だろう。たった一度会っただけだが、凛はあの女こそが特環の中で虫憑きよりも何よりも警戒すべき存在であると確信している。かつて似たような人間と接したからこそ凛はそれを強く感じていた。
「じゃあお前は、今のこの状況は魅車が考えた脚本の上って可能性があるって、そう言いたいのか」
「そこまでは言わないわ。でも、警戒しておくにこしたことはないでしょう。自分の所属する組織に、その存在そのものすら秘匿させている存在、それと近しく、しかも接触を望んでいる人間を引き入れた。その意図は何?」
「監視か?野放しにしておくより手元に置いておく方が出頭を抑えやすいだろうし」
「……ま、それが一番ありそうなことよね。でも多分違う。そんな保守的な考え方するわけないわ。何か、利用する気があるのは間違いない」
“影法師”。つまり桜には魅車に存在を隠させるだけの価値があるはずなのだ。それが協力関係なのか、魅車が一方的に匿っているのかはわからない。だが、その存在に強い影響を与えるだろう不安要素を手元に置いた。その意味が、単なる監視のはずがない。
それは、そう例えば、と凛は頭を絶えず回転させながら語を継いだ。
「今まで秘匿し、見守ってきた桜に、私たちを接触させることで何らかの益が生まれる、みたいに考えたんじゃないかしら」
「益、だって?」
「ええ。もっとも私には、魅車にとってその影響がどんな得になるというのか。という部分が全く分からないけど」
たが、いくら目的が見えなくても、魅車はこうなることは読んでいたのではないか、と凛は考えてしまう。土師圭吾と魅車八重子が対立していたという話。そして、この手紙から土師圭吾は相応以上に切れる人物だという事はうかがえる。だからこそ、魅車は自身と敵対するこの男がどのように行動を起こすか読んだうえで、凛たちを桜に接触させるという事に利用したのではないか、と。
あくまでも自身の手は使わずに、目的を達成する。その手法はあの女がいかにも好みそうな手管だと感じるのだ。
そして、桜の近くにいるはずの間桐臓硯の存在も気になるところだ。これはあくまでも“凛”ではなく凛としての考えではあるので表にはだせないが、留意しておいて損はないだろう。
何にしても、現状では臓硯と魅車につながりあるかどうかはわかっていない。それでも、凛たちを桜にぶつけて出る影響、といったような趣味の悪い行動で喜びそうな存在と言えばあの妖怪がそれらしいと思える。と言うよりも、一連の魅車の動きは臓硯と組んでいると考えれば納得できる点が多いとすら考えられないだろうか。
まあ、ここまで考えてきたような根拠のないことまで語ってわざわざ不安を煽ることもない、と凛はその思考を断ち切った。
「とにかく、この展開を魅車が読んでいたって可能性ぐらいは頭の隅に置いときなさい。言いたいことはそれだけよ」
「そうだな。でも何にせよ、桜に会うお膳立てしてくれるというのなら乗らない手はない。そもそも、こっちの目的は桜と接触し、ひっぱたいて連れ戻す事だからな。仮にその裏に何があったとしてもやることは変わらない」
士郎は胸の前で拳を握りしめ、誓うようにそう告げた。
その姿に、凛は自身の心がふっと軽くなったような感覚を覚えた。
そうだった。人を助けるためなら衛宮士郎は迷わない。いくら目前に巨大な壁が立ちふさがろうと、底が見えない程深い崖が立ちふさがろうと、彼は決してぶれることはない。お構いなしで突っ走る。そんなことは今さらだった。
ああ、衛宮士郎はそれでいい。なら、そんな前しか見ない彼の代わりに考え、注意を促し、目的地に向かうためにより安全な方向に誘導することが自身の役目だろう、と凛は口元を緩めた。
「その意気よ。大体、これに返答することと、実際に作戦に参加するかどうかは別物なんだから。私達だって木偶じゃないのよ」
上手く情報を引き出す事が出来れば、独自に動ける可能性だって出てくる。向こうは組織である以上、尻は重いはずだ。兵は拙速を尊ぶ。情報を得た後、向こうが動く間もなく行動すればよい。まあ、それを土師圭吾が許すかどうかはまた別問題だが。この男はかなり切れるだろう。容易ではない。
いずれにせよ、この交渉は今後を大きく左右する大一番になりそうだ、と凛は腹をくくった。
「……でもまあ、中央本部のきな臭さが色濃くなったとはいえ、今の私達はまだ魅車と手を結んでいる状態なのよね。一応、今日バゼットと接触して得た情報を取り捨て選択して、渡していいモノのみでも報告しておきましょうか」
元々、特環と協会側の余計な軋轢を増やさない、ということも理由の一端として特環に所属しているのだから。それに、音信不通のままでは契約不履行ととられかねない。今後の展開はどうあれ、一応の義務は果たしておくべきだろう。
報告することには、士郎も異論はないようだ。厳かに頷いている。
それを受けて魔術による遮断を解除した凛は、気が重くなるのを感じながらも特環のゴーグルを手に取り通信機能を入れようとして、
「あれ? どうやってやるんだっけ?」
視線を泳がせて、凛は士郎を覗った。
室内に、士郎が盛大にずっこける音が響き渡ることになった。
後日、凛たちが指定された図書館に訪れた。立ち並ぶ本棚の奥に設けられた読書スペース。その中にずらりと並んだ茶色い長机の片隅に、いつか見た寝癖にスーツ姿の女性の後ろ姿を凛たちは捉えた。
机の間を縫って凛はその場に向けて足を進める。
「ねえ、あなた」
声をかけた凛に、女性、五郎丸柊子は小動物のように身体を震わせ振り向いた。
「は、はい、何でしょう」
「なんでしょうって……。まあいいわ。話、受けるから」
相変わらずパッとしないその姿に脱力しつつ、凛は告げた。
「そうですかぁ。……ではこれを」
「また手紙?」
柊子がポーチから引っ張り出したそれを受け取り、凛は尋ねる。だが、柊子は戸惑ったように目を伏せ、気の抜けた炭酸水のような声で答える。
「私は詳しいことは知らないんです。ただ図書館にいくときに手紙をもっていって、あなたに喋りかけられたら渡してくれと頼まれただけですから……」
その言葉に凛は内心、土師圭吾に体よく利用されているのであろうこの女性に合掌する。せめて、自分はそれをいたわろう、と彼女は口を開いた。
「そ。お勤めご苦労様。大変だったでしょ」
「そうですねえ。ほんと、土師先輩も人使いが……」
「……これは一つ忠告だけど、貴女のバックにいる男。優秀なんだろうけど、早い事縁切った方がいいわよ?」
心の贅肉だな、と思いながら凛が口にした言葉に、柊子はどこか諦観したような様子で苦笑した。
「いやあ……。私もあの人とは全然違うタイプの人間だってことは分かってますよぉ? 私だってなんであの人の近くにいるのかわかりませんし。これが腐れ縁という物なんですかねぇ」
困りました、というように頭を掻いていた柊子はしかし、一転して柳を思わせるしなやかな笑みを浮かべた。
「まあ、確かに土師先輩は酷い人です。それでも、悪い人ではないと思いますから」
「……貴女がそういうならそれでいいけど」
凛は肩を竦める。だが、柊子の笑みを見た時にこの女性は大丈夫だろう、となんとなく彼女は確信していた。あの笑みはただ流されるだけの弱い人間が浮かべる物ではない。確かに今はまだ頼りない女性だろう。だが、強い風にさらされ揺れるたびに、より強くしなやかになっていくのではないか、と思わせる何かがあった。土師圭吾はこういう部分を見越していたのだろうか。
「なんにせよ、また会うことになりそうね」
「お手柔らかにお願いします…」
柊子は先ほどのしなやかさを毛ほども感じさせない、締まりのない笑みを浮かべる。凛たちはそんな彼女に軽く会釈し、別れを告げた。
手紙を開けるべく、以前と同じく凛と士郎は遠坂邸の地下室に籠っていた。
再び結界を敷いて干渉を遮断すると、前回の反省を生かして今度は机の上に広げて二人で読むことにした。これなら読み上げる必要もない上に、妙に士郎と近くなることもない。なぜこんな簡単なことを前は思いつけなかったのか、と凛は昨日の己に苦言を呈しながら手紙に目をやった。
『どうやら、引き受けてくれたみたいだね。ご協力感謝しよう。とはいえボクにも立場があってね、手紙しか出せない無礼は許してくれ。中央に無駄に警戒されてもやりづらいだろう? そういう訳でこんな形になったわけだ。手紙を持たせた彼女は“無能”な学生だけど、だからこそ使い道がある。あんなうだつの上がらない学生に対しては誰も警戒なんてしないからね。彼女に手紙を任せた理由はこれだよ。まあ、キミはもう気が付いているかもしれないけどね。
まあ、無駄話はここまでにして本題に入ろうか。まず、ボクがキミたちに要求することは、“なにもするな”ということさ。無論、時期が来たら動いてもらうが、今は何もしなくていい。中央にボクとキミたちに接点があると思われると困るからね。警戒されると“影法師”の行動に乱れが出る可能性がある。だから、中央がボクたちの関係に気付いていないうちに彼女と接触するための仕込みを完了させる。当然、これだけでは納得はできないだろう。だから作戦の概要だけ先に述べておこうと思う。
まず、“影法師”。間桐桜の行動範囲は東中央支部の管轄を除く全域になっている。つまり、東中央支部管轄の周辺に現れたことはあるという事になるんだ。そこで、軽い撒き餌を使おうと思ってね。周辺区域におとりを放つ。今まで彼女が狙ってきたどの虫憑きよりも極上のおとりだよ。ボクの推測が正しいなら、この撒き餌に彼女は確実に食いつくはずだ。
それともう知っているかもしれないが、彼女は能力を遠隔操作することが出来るようでね。噂としてささやかれている方はあくまでも能力で操られた分身体みたいなものだ。本体は現場から離れた場所で能力を操っているのだろう。つまり、単純におとりに食いつかせるだけでは不十分だ。そこで、おとりに“影法師”が夢中になっている間にキミたちは本体を叩いてもらうことになる。肝心の本体の潜伏先の特定だが、それはこちらで手を打とう。何にしても、この手の遠隔操作系の能力はそれを使っている時、確実に本体の守りは疎かになる。つまり、接触さえできればキミたちでも十分対処可能な範囲となるんだ。
それと初めに言っておくが、生憎管轄の外ではあまり自由がきかないのでね。援護は一人のみだ。ま、その一人も自身の役割に徹してもらうから、実質援護は皆無といえる。だが、それはキミたちにとってはむしろ好都合だろう?僕たちが彼女に接触することはあまり好ましい事ではないだろうからね。ああ、質問疑問なら今週の水曜日、今日と同じ図書館に五郎丸君がいるはずだから彼女を通してくれ。連絡もそこで行う事にするよ。それじゃあ、しばらくの別れだ“紅紋”』
「なにもするな、か。言いなりになるのは癪だけれど、的確ではあるかもね。でもこっちの事情を見透かしたような発言とかホント性格悪そう。それはそれとして、極上のおとりって一体何かしらね」
土師圭吾の接触手段はおそらく桜の目的、虫憑きを襲っている理由の根源を餌にして釣り出すという物のようだ。だが、東中央を避けていたという桜がそこから出された囮に簡単に食いつくことなどあり得るのだろうか。
その考えは士郎も同様だったようで、
「桜が東中央を避けていたってことから考えると“かっこう”じゃなさそうだ。でも“かっこう”を除いた東中央の局員に極上なんて言える奴はいないと思うけど」
「ま、何を持って極上かはわからないけどね。そういう事も含めて訊けばいいのかしら。といっても、きっちり答えてくれるなんて期待してはいないけど」
「それでも質問疑問は受け付けるみたいだしな。聞いておきたいことは聞くべきだろう」
当然、何も訊かないという選択肢はない。だが、やはりといったところか。明らかに“狸”なこの人物を相手に情報を引き出すことは至難を極めるだろう。代理人を立てていることから強引な聞き出しも出来ない。実にやりづらい相手である。やはり、情報を引き出したのち、独自に行動するという考えはかなり厳しいといえる。
思うようにいかない思考を一度落ち着け、凛は鼻を鳴らす。
「とりあえず、出来うる限りの情報は引き出したい所ね。少なくとも私達よりは桜について調べ上げているようだし、独自に動けるまでといかなくとも接触の時に役に立つモノくらいは欲しい」
土師圭吾は凛たちに接触を譲るというような旨を述べてはいる。かといって、それを鵜呑みにするのも危ない。だからこそ、万が一も考えて桜の行動を読めるくらいの情報は最低限欲しいところだった。当然はぐらかされるだろうが、その時はその時で考えればいい。
すると士郎はどこか気まずそうに目を逸らし、歯噛みする。
「俺たちが今の桜について分かっていることは少ないからな……。少し情けなくなる」
「今そんなことで沈んでも仕方ないでしょう。ある種の賭けではあるけど、私達は桜に大きく近づいているわ。前進はしている。あとは油断せずことにあたるだけよ」
いっそ淡泊と言えるぐらいの調子で凛は士郎をたしなめた。
そう、前進しているのだ。ならば今は進むのみ。他の人間に後れを取っているというならなおさらだ。立ち止まっている暇などない。世界は違えど、自身の妹をどこの誰とも知れない者に不用意に近づけさせたくはない。桜を捕まえ、連れ戻すのは“遠坂凛”と“衛宮士郎”の役目なのだから。
この話、書いている当時ものすごい難産でした。筋書は出来ているのに、筋道をどうやって通そうか恐ろしく悩んだモノです。頭の悪い人間が駆け引きを書こうとするものじゃありませんね。