Fate/Kaleid Schmetterling 作:ひでぶ
整然としながらも、明かりも少なく陰鬱とした執務室の中、デスクに向かい、ノートパソコンのディスプレイの放つ仄かな光に顔を青白く染め上げられた男がキーボードを叩いていた。
「食いついたか。ま、そうさせたんだけどね」
薄い笑みを貼り付け、その男、特別環境保全事務局、東中央支部支部長の土師圭吾は一人ごちた。
遠坂凛と衛宮士郎はかねがね予定通りの反応を行っている。やはり、情報を小出しにすることは定石だが、効果的だ。それだけで、その先があることを示唆し、相手の興味を絶やさないようにすることが出来るだけでなく、情報不足な相手の行動を縛る事すらできる。
「とはいえど、こちらもリスクは緩和しておきたいな」
このままいっても協力関係を築くことは不可能ではない。だが、遠坂凛という少女もなかなかにしたたかな人物のようだ。質問がこちらの逃げ道をつぶす形で行われている。ごまかす事も出来ない訳ではないが、情報を出し渋りすぎて逆に愛想を尽かされては本末転倒か。
この作戦は相応以上のリスクを払っている。“影法師”の能力を鑑みても、虫憑きの力に頼らずとも戦える協力者はいてくれた方がいい。大体、その後の協力関係の成立にも響く。あまり不誠実なことをしてもマイナスが多いだろう。
ならば、
「ま、こんなところだろう」
すべての質問に対して出来うる限りに情報を記した手紙を書き終え、土師は執務机の引き出しにそれを収めた。
遠坂凛たちと次に連絡を取るのは来週の水曜日だ。猶予期間は一週間。いや、おそらく作戦の実行日は休日に絞るため、九日程度といったところか。大量に情報を公開する以上、この手紙を渡すときにはこちらの準備はすべて整えておく必要がある。向こうが情報を得てから独自に動く時間を与えない程度に短い間隔で、作戦を実行するためだ。すなわち、これは遠坂凛たちが作戦参加せざるを得ない状況をこの数日の間に作り上げるという事である。更にハードワークになりそうだ、と土師は軽く肩を回す。
そうして、そこで一度、仮眠でも取ろうか、とも彼は考えた。気づけば、ここ最近ほとんど調査と根回し、執務に追われてまともに眠っていない。精神的には苦ではないものの、肉体は適度にメンテナンスを行わないと鈍ってしまう。
土師圭吾にしては珍しい思考方向に向かったその時、控えめに部屋の扉を叩く音が室内に響く。その音に、どうやら本当に頭が鈍ってきていることを土師は自覚した。来客があることを忘れるなど、本格的に休息が必要なようだ。いや、あくまでも来客がある、という確信を抱いていただけだったが。
「開いているよ」
「失礼します」
土師に促され、両開きの木製扉を押し開けて部屋に入ってきたのは、一人の小柄な少女だった。中央本部局員が纏う白いコートを着込んだ、どこか幼さを残したかわいらしい顔の少女である。彼女はいつも黄色い雨合羽にホッケースティックを背負い、棒付き飴を咥えた姿をしている筈なのだが、ここに訪ねてくるときは大抵特環の正装に身を包んでいる。
「“遮断”は?」
「滞りなく」
短く返ってきた言葉に土師は口元を緩める。これで、覗き見の心配はない。今この場は彼女の“支配下”にある。機械はおろか生半可な能力による干渉すら受け付けまい。この瞬間に限って、この部屋は完璧な情報秘匿が為されている。
「―――さて、久しぶりだね“あさぎ”」
「はい、お久しぶりです土師支部長。ご壮健そうで何よりです」
かしこまった様子で少女、“あさぎ”は叩頭した。その声色には隠しきれない尊敬と親愛の情がこもっている。この口調は、彼女を知る人物からすれば想像もつかない物であろう。中央でも五本の指に入る絶大な戦闘能力を持ち、各地に優秀な教え子を抱える“教官”として畏敬の対象とされる少女は、非常に自由人な気質だ。上官が相手であろうと口調や態度を改めることなどない。
にも拘わらず、この少女はこの土師圭吾に対してだけは敬語を用い、装いを改める。これは過去、道を見失っていた“あさぎ”に、彼が“教官”という新たな道を示したことを恩義に感じているからだろう。
土師は皮肉気な笑みを浮かべ、答える。
「壮健、か。何を持って健康であるかを定義しているかはわからないが、ボクが壮健だというのなら、キミも健康であるといえるのだろうね。なんにしても、ウチの管轄の近くにいるようだったからひょっとしたらよってくれるんじゃないかと思っていたよ」
「ここの近くを覗ったときは、いつも貴方のお目にかかれるようにしていますよ」
どこかくすぐったそうな顔で“あさぎ”は言った。
しかし、土師はそんなことは先刻承知である。才能ある虫憑きをスカウトし、一線級になるまで鍛え上げることを目的として各地を旅する“あさぎ”が、この東中央支部の近く通ることは既に知っていた。その彼女が、いつものように土師に挨拶をしに来ることも当然織り込み済みである。それが今日あたりになることも予想していた。
だが、土師はいかにも失念していた、というように苦笑する。
「そうだったね。いや、いいタイミングで来てくれたよ」
「なにかボクにおおせつけたいことでも?」
「ボクもキミに立場があることは承知しているよ。だからこそ少しばかりの偶然を作り出そうと思ってね」
そう言って、土師は口端を吊り上げて見せる。すると、どこか不思議そうな面持ちで“あさぎ”は問い返してきた。
「偶然、ですか?」
「ま、簡単なことだよ。キミは僕が指定した某月某日、午後十時に某市の大型デパート正面のコンビニに立ち寄ってほしい。そこで男女二人に質問をされるだろうから簡潔にそれにこたえてくれればオーケーだ」
“あさぎ”はその立場から、ある程度の自由行動が許されている。だが、虚弱な体質であるため、その症状の進行を抑える事の出来る手段をもつ中央本部の意向に強く背くことは出来ない。故に、今回の作戦は中央本部が覆い隠している物を暴き、捕える事を目的としている以上、表だって“あさぎ”に協力要請は出来ないのだ。いや、この少女ならば自己を度外視しても命令に背きそうではあるが、彼女には別の役目がある。こんなことで躓かせるわけにはいかない。
だからこそ、指示は最小限に。あくまでも偶然を装わせて作戦に関与させる。現場も彼女の進行ルート上だ。そこにいたとしても何の不自然もないだろう。
「なるほど、承知しました」
土師の意図を理解したのか、“あさぎ”は神妙にうなずいた。
「すまないね。キミにはキミの使命があるのに」
「いいえ、この程度の事ならいつでも承りますよ。それでは、ボクはこれで」
そう告げてはにかんだ“あさぎ”は、一礼して身を翻す。その背中に、土師は声を投げかけた。
「“かっこう”には会っていかないのかい?」
「先にあいさつは済ませてあります。今日はお目にかかれて嬉しかったです土師支部長。では、失礼しました」
扉を開け、退出する前に深く頭を下げた少女に、土師は謳うように言葉を紡いだ。
「ああ、キミに幸多からんことを」
“あさぎ”が去った執務室の中、土師は椅子の背もたれに深く身を預ける。
「―――さて、後は囮を追い立てる日取り調整と噂の拡散か。まあ、日取りの方は問題ないだろうが、情報の拡散にはすこし手間取りそうだ」
だから今は一度体を休め、フルスペックで動けるようにするべきだろう、と彼はゆっくりと目を閉じた。
『さて、質問ありがとう。キミの疑問ももっともだ。確かにボクは彼女の目的に心当たりがあるし、能力にもあたりを付けている。
ああ、あくまでも推測になるから鵜呑みにはしないでもらおう。ではまず、彼女の能力についてから語ろうか。あとの二つはこの能力を持っている人物がどのように行動するかをシュミレートして得られたものだから、これから話した方がいいと思ってね。
端的に言うなら、彼女の“虫”は同質の存在に触れた際、それと同化し吸収する力を持っている。つまり、“虫”を吸収する能力だ。推測にいたった経緯は長くなるので割愛しよう。細かいことを訊きたければもうすぐ本人に会えるのだからその時までとっておいてくれ。
さて、話を戻すが“影法師”が吸収という能力を持っていると確信したとき、ボクはこう考えたのさ。各地で虫憑きを襲っている理由、そして中央本部が彼女を匿っている理由はここにあるのではないか、とね。特環にはそれなりに長くいるが、こんな能力にはとんとお目にかかった事がない。強力な上に希少な力だ。だが、それだけでは当然さっき述べた理由を説明するには至らない。ここで考えてほしいのは、“吸収”という能力の特性についてだ。
この虫憑きはひょっとしたら“虫”を吸収するたび強くなっているのではないか、とボクは考えた。バトルジャンキーでもないのに危険を冒して虫憑きを襲うには、これくらいの理由がいるだろう?そして、“虫”を取りこんで強くなる、などという虫憑きは前代未聞だ。特環が執着する理由もわかる。なぜ捕獲ではなく、匿うという方策をとったのかは疑問だけどね。
でもおそらくそれだけじゃない。今までの行動は力を蓄えるという意味もあったのだろうが、おそらく能力の試験運用の意味合いが強いとは考えられないだろうか、と。彼女は虫憑きになってまだ日が浅い方だ。能力も習熟していないだろう。強い虫憑きと戦っても返り討ちに遭ってしまう。なぜここで強い虫憑きの話を出したかというと、当然彼女の吸収の能力が関係してくる。取り込む物は上質なほどいいに決まっているからね。ここまで言えば想像できるかもしれないが、彼女の目的は最強の虫憑き、一号指定を吸収することにあるんじゃないか、とボクは睨んでいるんだよ。なぜ彼女が強さを追い求めているかはわからないけどね。これも本人に訊いてくれ。
さあ、ここで最後の質問に答えよう。彼女を釣る餌だけどね、火種一号指定、“レイディー・バード”を使おうと思っている。なぜ“かっこう”じゃないのか、と訊かれると、彼女が東中央を避けていた理由の推測につながるのさ。“影法師”が同期して吸収できるものはおそらく同質のモノのみだ。人間に触れても吸収できない。これは証明済みだ。なら、同化型の虫憑きの“かっこう”はどうなのか。こればかりはやってみないと分からない。そんな博打は向こうも嫌なんだろうさ。こっちとしてもあまりうれしい事態ではないね。
じゃあ、どうやっておびき寄せるのか、という事は、まあキミたちが気にすることじゃない。既に手は打ったからね。キミたちはキミたちの役割を全うしてくれればいい。
さて、作戦実行の日取りだけどね。今週の土曜日には行う。急だとは思うけど、既にボクたちはそのように動いているよ。最悪、キミたち抜きでも実行する。返答は明日、同じ図書館で。
色よい返事を期待しているよ』
もはや見慣れたA4用紙から目を離し、凛は眉間にしわを寄せて口火を切った。
「虫を吸収する能力、か。接触した“虫”を吸収、人間には効果を示さなかったという情報が正しいのなら、この推測は間違いじゃ無さそうね」
「ああ。それに、確かに桜が虫憑きを襲っている事の理由にもつながるな」
士郎も同意見なようで、神妙な調子で相槌を打つ。
前回、ダメもとでいくつかの質問をしたためて土師圭吾に送りつけた手紙の返答は、凛の予想に反して幾分以上に素直な答えが返ってきていた。
凛がした質問は主に三つ。桜の目的、桜の“虫”の能力、そして桜を釣りだす餌とは何か。という物だったのだが、そのすべてに対して一定以上の情報が帰ってきている。
情報を整理するべく、頭の回転はそのままに凛は続ける。
「ほかの虫を取り込むことで、自身の虫の存在強度、位階を上げようとしている。ま、妥当なところよね。もしこれが本当に桜の行動している理由なら、一号指定の虫憑きは確かに極上のおとりだわ」
「しかも、“かっこう”じゃなくて“レイディー・バード”。分離型の一号指定をおとりにすると言っているしな」
「ま、東中央を桜が避けていたということが本当なら、こいつの推測どおり“同化型”にたいして能力の効き目が悪い、もしくは効かないという事を証明していそうでもあるし。“かっこう”ではおとりに成り得ないんでしょうね」
「たぶん、そうなんだろうな」
頷き、唸るように士郎が同意を示した。
そう、凛も士郎も納得できるくらいにしっかりと筋が通った内容なのだ。これは、こちらとしてはかなりうれしい誤算である。もう少し焦らしてくるか、とも思ったのだが。正直ここまでは肩透かしを食らった気分であった。
だが、そうは問屋が卸さないようで、土師圭吾は作戦の実行日を近日中に指定してきていた。明日は返答のため開けられないとなると、実質一日しか猶予がないことになる。これでは独自に動く時間などありはしない。来なくとも勝手に行うと言っている以上は結局、この作戦には参加するしかない。
まあいい、と凛は思う。元々、この男を簡単に出し抜けるとは考えていなかった。作戦に参加すること自体に否はない。むしろ、この手紙の内容から桜には確実に接触できることを確信していた。
「いいわ。かっつり参加してやろうじゃない。この作戦、軌道に乗ればうまくいきそうだしね」
実際、今までの情報と照らし合わせて見えてきた作戦の全容に不審な点は見られない。大まかな推測では、まず囮の“レイディー”を使い、桜を呼び寄せる。ただ、吸収能力を持つ桜と“レイディー”の相性は悪い。これをむざむざ土師圭吾は取り込ませたくない筈だ。
以前の手紙に、管轄外地域故に送り込める援軍は一人、と書いてあったがおそらくそれは“かっこう”で間違いない。桜の相性を無視できる可能性をもち、一号指定である“レイディー”を押さえられるような虫憑きは奴しかいない。
ここで分身を押さえている間に、本体を叩ける別働隊を土師は欲していたのだろう。“虫”を使わずとも相応の戦闘力を保つことが出来る上に、桜との因縁を持ち、更には自由な立場にあるという凛たちはその役目にうってつけという訳だ。強引にいけば別働隊を送り込むことも不可能ではないだろうが、人的損失や、立場を考えるとあまり行いたくないのだろう。
こう考えれば、作戦や、土師圭吾の行動にも筋が通ってくる。むしろ、気にすべきは自分たちではなく、桜とその後ろにいるだろう魅車。いや、間桐臓硯だろう。
凛は土師が挙げた桜の能力を目にしたときに臓硯は十中八九特環とつながっているだろうことを確信していた。“虫”を吸収し、強力になっていくという能力。それは凛の世界において歪められた桜が発現した、“間桐の聖杯”としての異能に極めて近い力の形だからだ。“この世全ての悪”と繋がることで影の魔術を使役し、サーヴァントを内に取り込むたびに完成していくテンノサカヅキ。その姿と酷似している。
“虫”というものの本質が見えない以上一概には言えないが、間桐臓硯は桜の“虫”の能力を見て自身の目的のために利用する道を選んだのではないだろうか。今までの一連の行動にもそう考えれば納得がいく。
桜が虫憑きになる以前から挙動不審であったこと、桜を連れ戻さなかったこと、そして今もなお冬木に戻らずにいること。すべて“間桐の聖杯”の代わりのものが見つかったと考えれば辻褄が合うのだ。何を持って二百年待ち望んだ聖杯から虫憑きに鞍替えしたかまでは理解できないが。
だが、ともすればこの一号指定をおとりとした作戦は必ず成功するはずだ。冬木の聖杯を待たずして行動を起こした臓硯はかなり早い段階での桜の強化を望むはず。多少の罠にも突っ込ませる可能性は高い。
まさか、土師圭吾はこの裏も読んでいたのだろうか。いや、さすがにこれは考えすぎだろう、と凛はかぶりを振った。しかし問題は臓硯本人がどう動くか、となってくる。桜の護衛に付く、という可能性を考えると不安要素が一つ増すことになるからだ。そして何より、間桐臓硯が関与している以上は桜をただ助け出しても根本的な解決にならないということもある。
といっても作戦に乗る事自体はもう決定済みだ。臓硯の側に桜を置いておくわけにはいかない。今は心意気を整えるぐらいしかできないが、やらないよりはマシだろう。
「じゃあ、やるんだな?」
勢い込んで訪ねてくる士郎の後を引き取り、凛は力強く言い放つ。
「三日後、大舞台になるわ。気を引き締めてかかるわよ」
「いよいよだな。桜…!」
絞り出すように紡がれた士郎のその言葉は、彼自身に向けられているかのように凛は感じた。