Fate/Kaleid Schmetterling   作:ひでぶ

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第十五話 悪魔

 少年は走っていた。

 

 人気のない路地を、転がっている空き缶を蹴り飛ばし、青いゴミ箱を吹き飛ばし、躓き、つんのめりながら、いくつもの角を曲がって切り返した。ゴミをあさる野良猫が跳びあがって逃げていく。

 

 それでも、少年は走っていた。

 

 髪を乱し、服は着くずれ、息は切れ切れ、額には玉の汗が浮いている。

 

 ひたすらに、少年は走っていた。

 

 胸に湧き上がる感情。焦燥、憤怒、恐慌、さまざまな感情が、走る中振り乱される頭の中でシェイクされ、混沌とした様相を呈していた。そんな頭であっても、急き立てるように逃げろと警鐘を鳴らすことだけは止まらない。

 

 ただ、衝動に任せて少年は走っていた。

 

 死ぬ。ここで止まれば死ぬ。それはまるで、朝起きれば朝食を食べる、というくらいに当たり前にやってくる。死にたくない。死にたくない。混沌とした頭に浮かぶ感情はもはやこれだけだ。

 

 死。ただ、それから逃れるためだけに、少年は走っていた。

 

 頭上に影がかかった。悪寒を感じて、彼は横っ飛びで転がる。たった今、跳び退いたその場所に、さながら隕石でも落ちたのではないか、というすさまじい衝撃が走った。間近でその余波を受けた彼は、硬質な地面の上をきりもみしながら転がっていく。

 

 運が良かったのか、彼が転がった場所は偶然にも別の路地の入口だった。すぐさま起き上がり走り出す。吹き飛んだ影響で平衡感覚が狂い、足をもつれさせながらも、決して転ばない。転んだら終わりだと本能で理解していたからだ。脇目もふらない。何が落ちてきたかなんて見る必要もない。少年は分かっていた。

 

 アレは、悪魔だ。

 

 黒いとがった角、見る者を焼く赤光を放つ瞳、黒い身体に、翼。

 何故少年はあんなものに追われているのか。分からない。

 

 いや、本当に?あいつは悪魔だから、全部わかっているんじゃないのか。“虫”なんてモノを宿した悪魔の子だから、アレは自分を連れ戻しに来たんじゃないのか。

 

 錯乱した頭は、もはや彼自身でも何を考えているのかわからない。ただ、ここで新たに湧き上がってきた感情は怒りである。冗談ではなかった。少年は、一度たりとも“虫”の力など使ったことはない。あんな悪魔とは違うのだ。彼はまっとうに生きてきた。勉強も頑張って、部活も頑張ってきた。この前、ずっと好きだった子にも振り向いてもらった。それを、こんな奴に壊す権利があるのか、と。

 

 そこで、少年の中の憎悪が鎌首をもたげる。自分には力がある。“虫”という怪物の力が。相手は悪魔だが、同じようなものだろう。どうせこのまま逃げていても確実に捕まるのだ。ならばいっそ、この力で、と走る足を止め彼が振り返った先には、

 

 「っ……いない?」

 

 ただ、薄暗い路地が広がっているのみだった。

 頭を振り乱して周囲を見回すも、猫一匹見当たらない。薄汚れた灰色の建物の壁と、その間からのぞく気味の悪いくらいの青空しか目に入ってこない。あまりに当たり前に姿を消したために、まるで今までのことすべてが悪い夢であったかのような錯覚を覚える。

 

 「なんだったんだ……?」

 

 肩で息をしながら、呆然と口走る。

 いくら考えても、何故悪魔が自分を追うのをやめたのか少年には理解が出来なかった。だが、自身が危機を脱したのだ、という感覚に思わず全身から力が抜け、よろけながら壁に寄り掛かる。

 

 膝が笑い、意識が朦朧とする。緊張が抜けたからか、ここまでの疲労がそれこそ一遍に襲い掛かってきている。悪魔から逃れるために、それこそ必死で。死から逃れるために、ここで体を使い潰しても構わない、という半ば本末転倒な考えを抱きながら駆けてきたのだ。極限状況を切り抜けてきた少年の精神、肉体はとっくにオーバーフロー状態にあった。

 

 こんな状態で、よくあんな化け物相手に戦おうと思ったものだ、と少年は自嘲する。思えば、あの時の自身は完全に自棄になっていたのだろう。自分の“虫”がどの程度の強さがあるのかは少年にもわからない。だが、すくなくともこんな、気を抜いたら一瞬で意識を飛ばしてしまうだろう状態で戦って、あの悪魔に勝てるとは思えなかった。

 

 いずれにせよ、難は去った。あの悪魔が何者で目的が何であったかはついぞわからず終いだったが、自分は日常に帰ることが出来るかもしれない。あの暖かい陽だまりに。

 そんなことを考えて、彼が再び路地の間から空を見上げた時だった。

 

 「……っ、ぁ…ァっ…!」

 

 短い悲鳴が漏れる。いや、既にそれは声にすらなっていなかった。

 零れそうなほどに見開いた少年の眼のその先には、ビルの屋上から戦火を集めてできたような赤色の瞳で少年を見下ろしている悪魔の姿があった。

 

 息が詰まり、口の中が干上がった。立っている事すらままならず、尻餅をつく。

 胸の内に満ちていた安堵の温かさが、一瞬にして氷点下にまで落ちていき、凝固した。それに反して、心臓は恐ろしいほどに猛り狂っている。

 

 陽だまりに帰る。何を馬鹿なことを考えていたのだろう。アレが、あんな悪魔が。そんなことを許すとでも思っていたのか。

 

 無慈悲に。理不尽に。絶対的に。希望を奪い去っていくからこそ、ソレは悪魔なのだと。アレが存在する限り、自分に陽だまりなどありはしない。帰るべきその場所すら、アレは奪い去ってしまうだろう。

 

 なら、どうする。戦うのか。あの悪魔と。無理に決まっている。こんな状態であんなものとどうやって戦うというのだ。冷えた頭だからこそ、少年には理解できていた。アレは違うモノだと。たとえ、“虫”などという埒外の物を持ち出したとしても、アレには届かないと。

 つまるところ、結論は一つしかない。逃げる。何も変わらない。友人を、恋人を、家族をこんな理不尽に巻き込むわけにはいかない。

 

 縮こまり固まった心を奮い立たせる。震える四肢に力を込める。体はまるで骨が無くなってしまったかのように頼りない。容易く崩れ落ちてしまいそうになる自身を気力だけで支えて立ち上がる。来い、理不尽。お前は俺が連れて行く、とばかりに頭上の悪魔を睥睨して少年は再び駆け出した。

 

 

 

 眼下でよろめき、つんのめりながら走り去っていく少年を冷めた目で見送りながら悪魔、“かっこう”は鼻を鳴らす。

 管轄下の虫憑きを追い詰め、管轄外に逃がす。上官である土師から受けた指示を完遂した彼はしかし、仏頂面を崩さない。路地裏から視線を切った彼は、ただいつものように通信する。淡々と、事実のみを端的に。

 

 「……俺だ。対象をとり逃した。相手は管轄外に出たから追撃は不可能だ」

 

 通信相手はそのことに驚愕を露わにしている。どうやら土師は他の局員にはこの任務の本質は知らせていないようだ。敵を騙すにはまず味方から、といったところか。かくいう彼も、今回の捕獲失敗がどういう狙いをもって行われたのかは聞かされていない。

 

 単純に考えれば最近活動を活発にした“レイディー・バード”に対する囮なのだろうが、あの男がそんなおめでたい考えをしている訳でもないだろう。なにか策を巡らせているはずだ。もしかすると以前聞いた“影法師”についての対策につながっているのだろうか。

 

 そんな思索を巡らせながら、困惑した様子で尋ねてくる局員を軽くあしらって“かっこう”は通信を切る。

 いちいち相手をしている暇はない。おそらく、間をおかずに土師から連絡があるはずだ。通信はフリーにしておきたい。

 と噂をすればなんとやらで、ノイズのような音が走ったのち、軽薄な声が発される。

 

 『やあ、“かっこう”。キミが任務に失敗するなんて珍しいこともあるモノだ』

 

 通信傍受対策だろうが、よくもまあ、こんなにいけしゃあしゃあと白々しい嘘がつけるモノだ。と、半ば感心しながらも、合わせるように“かっこう”はそれに応対する。

 

 「俺も人間だからな。失敗だってするさ。それで、どうするんだ?」

 『そうだねえ、管轄外に逃がしてしまった以上、ボクたちは大きく動けない』

 

 実に困った。と土師は大仰に嘆息する音が響く。

 恐らく、いままでもこんなとぼけた態度で周囲を煙に巻いてきたのだろう。とんだ食わせ物である。土師に引っ掻き回され、たまらないとばかりに辺境に押しやった特環上層部の気持ちを察するにたやすい。協力者である彼ですら辟易としているのだから、敵対者の苦悩は凄まじいものがあるだろう。

 その狸ぶりを示すかのように、ただ、と土師は語を継いだ。

 

 『お隣の東南支部は戦力に乏しい。“かっこう”が取り逃がすような虫憑きの相手は少し荷が重いかな。ああ、これは責任をとって局員を貸し出さねばならないね』

 「……俺が行くのか?」

 『おいおい、気が早いぞ、“かっこう”。しかしまあ、出向要請が来るなら当然断る理由はないね。それに、最近は“レイディー”の活動も活発なんだ。噂を聞きつけて彼女が来る可能性だってあるだろう?一号指定である彼女を止められるのは同じ一号指定だけだよ。それは当然“かっこう”、キミしかいない』

 

 愉快だ、とばかりにくつくつという笑い声が響いてくる。付き合いきれないとばかりに“かっこう”は渋面で言葉を紡ぐ。

 

 「つまり、俺はいつでも出られるように待機しておけばいいんだな?」

 『せっかちだな、キミは。だがまあ、そうとってもらって構わない。その時は名誉挽回と行こうじゃないか』

 「俺はいつも通りやるだけだ。アイツが出てこようと変わらない」

 

 そっけなく、“かっこう”は告げる。

 火種一号指定、“レイディー・バード”。あの少女は情が深い。助けを求める声から目を背けることなどできはしない。そんなことは当然織り込み済みであろう、土師のことだ。この言い分だと既に“むしばね”に情報を流すように動いているのかもしれない。十中八九、彼女は出てくる。

 

 どういう意図で“レイディー”をおびき出すのかは要として知れないし、おそらく教えられることもないのだろうが、あの少女もろくでもない男に目を付けられたものだ。とはいえ、同情はしない。あの少女とも因縁深くはあるが、敵でしかない以上叩き潰す以外の選択肢は“かっこう”にはないのだ。“レイディー”とて、不倶戴天の天敵と言える“かっこう”を相手に戦闘以外の選択肢など持ち合わせていない筈。どこまで行っても水と油、交わらない平行線でしかない。

 

 かつてはその平行線を結ぶ糸が存在していたが、所詮は過去の事。今の彼らには関係のない事だ。そう、僅かに生まれかけた感傷を“かっこう”は振り切る。

 だが、そんな彼の内心を見透かすように土師は返してくる。

 

 『キミも素直じゃないな。確かに彼女は虫憑きにとって強弱はあれど眩しい存在ではあるから、気に掛かるのは分かるけどね。まあそれでも、ぶつかり合う事しかできないのがキミの不器用なところさ』

 「黙れ、土師。用件が済んだなら切るぞ」

 『相変わらず気が短いな、キミは。とりあえず、感傷に浸るのは結構だが任務に差し支えない範囲で頼むよ。特別環境保全事務局の悪魔、“かっこう”?』

 

 通信機の向こうで薄ら笑いを浮かべているだろう土師に、舌打ちをすると“かっこう”は通信を切った。

 言われるまでもない。敵は倒す。そこを間違えるほど“かっこう”は子供ではない。子供ではいられなかった。ただ、目的のために走り続けるだけ、己の夢というエゴを通すためだけに他の物を切り捨てる。彼がいつもやってきたことだ。

 

 そこまで考え、また自分が感傷的になっていることに気づき、“かっこう”は再び舌打ちして歩き出す。いつも通り、己のエゴを通すために。

 

 

 

 悪魔から無事逃げ延びた少年は、なるべく人目に付かない場所を選んで逃走を続け、丸一日以上かけて某市の中心街付近にまでたどり着こうとしていた。道中、あの悪魔によく似た姿をした人物を見かけてはコースを変更し、何とか見つからずに逃げ続けてくることが出来ている。

 

 その中で、何度か彼らの通信内容を盗み聞くことがあったが、どうやら自身を救出しようという動きがある、と言葉が混ざっていたのを少年は聞いている。この当てのない逃走にも、一筋の光明が見えてきたように彼は感じた。

 

 実際のところ逃げ出したのはいいが資金もなければ、頼れる人物もいない。目的地すら定かではない彼にとって、自身を救出してくれるという人物がどんな人物であろうとありがたい事であると思えるのだ。あるかどうかすら不確かなものであるそれでも、彼にとっては唯一掴み取れそうなものがそれしかなかった。

 

 であるからこそ、その自身を助け出してくれるという人物が現れるまでは意地でも逃げ延びるしかない。彼はまだここで終わるなどという事を到底許容出来はしないのだから。

 決意を固めた少年は、再び走り出す。丸一日以上寝ずに逃走を続けてきた彼の身体は、精神肉体共に限界を極めている。にも拘らず走り続けられるのは、小さくても光明が見えているからに他ならない。

 

 既に深夜ともいえるこの時間帯だ。大通りでも人通りはないだろう、とは考えた。しかしながら、用心するに越したことはない、と彼は入り組んだ路地の中を駆けていく。冴え凍る月光が肌に突き刺さり、冷えた風が身を裂いていくが、あまりにも長く少年はそれらに触れてきたためもはや気付け程度にしか効果をなさなかった。

 

 そうして、路地が終わりに差し掛かり、壁際に身を寄せて大通りを覗う。人影がないことを確認したのち、少年は広い車道を一気に駆ける。ガードレールを飛び越え、歩道を抜けてその先にある公園の敷地に踏み入ろうとした。その時だった。

 

 「全く。驚いたな」

 

 低い声が少年の耳朶を叩いたその時、彼の背中にすさまじい衝撃が走った。

 爆薬がじかに炸裂したのではないか、と勘違いするほどのそれに、訳も分からないままに吹き飛ばされた彼は歩道のアスファルトの上を跳ね跳び、灌木を突き抜けて砂の地面を転がった。それは太い樹木に衝突することでようやく停止する。

 

 「っぁ……! か……っ、ぁが……!」

 

 息が出来ない。壊れた人形のように口を開閉しているだけで、全く空気が出入りしてくれない。痛みはない。背中に受けた衝撃が大きすぎて、感覚が完全にマヒしている。思考すらできない。ただ横たわって、蚊の鳴くような声で呻くことしか少年にはできなかった。

 

 そんな、横たわって動けない少年の眼がとらえた物は、先ほど彼が突き抜けた思われる公園の灌木の裂け目から幽鬼のように現れたソレの姿だった。

 

 「中々遠くに逃げたな、オマエ。でもそれもここで打ち止めだ」

 

 どこまでも冷めた調子で口走りながら歩み寄ってくるソレ。少年としては二度と会いたくもなかった漆黒の悪魔はさながら路傍の石でも見るかのように彼を見下ろした。

 

 「特別環境保全事務局、火種一号局員“かっこう”。目標を発見、これより処理する」

 

 平坦な口調で述べ立てるソイツ。彼のことなど至極どうでもいいと。少年が今までどのように生きてきて、どんな幸せがあったかなどという事に毛ほども興味がないと言うかのように。

 

 処理。彼を殺すのだろう悪魔は、その行為を処理と表現した。それは果たして生物に、いやヒトに向ける言葉なのだろうか。それこそ、この悪魔は彼のことを塵芥程度にしかとらえていない事の証明だ。

 

 悔しかった。黒光りする、おそらく拳銃であろうそれを向けられて少年が感じたのはただひたすらに悔しいという感情だけだった。恐怖よりも、怒りよりも、悲しみよりも。自身が人間として扱われていない。ゴミ同然に殺されるという事実がただ、悔しくて悔しくて仕方がなかった。

 

 彼は、人間として生きてきた。友人も、恋人も、家族も確かにいたのだ。学校に通い、部活に励み、遊びや、これからデートもするつもりだったのだ。その凡てを。人としての活動を。踏みにじられた。せめて“殺す”と言ってくれたならば。少年のことを人として扱っているという事が分かったならば。こんなどうしようもない思いを、死を目の前にして抱くことなどありはしなかったというのに。ただ、理不尽に対して怒り狂い、憎悪していられたのに。

 見開かれた少年の目から、熱い滴が零れ落ちた。その刹那、

 

 「かっこぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおっ!!!」

 

 地を震わせるような咆哮が響き渡り、少年に拳銃を向けていた悪魔が横殴りに吹き飛ばされる。

 それに伴って、轟音と共に砂塵を巻き上げるほどのすさまじい突風が吹き荒れ、横たわった少年の身体をもみくちゃにしていった。それらが過ぎ去るのを感じて少年が目を開けたそこには、

 

 「ごめんなさい。少し荒っぽくなっちゃった。でも大丈夫。アナタは私が助けるわ」

 

 凛然とした声で、威風堂々と言い放つ人物の姿があった。

 狐を模した面をつけ、焦げ茶の外套を纏ったその人物は見るからに華奢で、線の細い少女である事が分かる。だが、頼りないという印象を少年は全く覚えなかった。むしろ翼を広げた白鳥のような優美さと勇ましさを感じたと言っていい。

 

 その姿に、少年は目を釘付けにされる。一瞬たりとも目を逸らす事が出来ない。先ほどの悪魔が絶望を形にしたようなモノであるとするならば、間違いなくこの少女は希望そのものが形を持った姿であると。灯のような存在であるに違いない、と少年は確信する。なぜなら、胸が温かかったから。ただ、大丈夫、と言うその言葉。たったそれだけで心身ともに冷え切り、ひび割れて凍り付いていたはずのそれらが芯から温められて融かされていくような、恋い焦がれたぬくもり。胸から湧き上がってくるその暖かさに、少年は訳も分からず涙を流していた。

 

 もう遥か彼方においてきてしまったかのように感じるその温かみは、少年が二度と触れえない筈のものだと思っていたから。その昔、日当たりのいい縁側であやしつけてくれた祖母の膝に縋るように。ただ、ただ少年は堰を切らせたように熱いそれを零し続けていた。

 しゃくりあげる彼をかばうように、少女は数歩前に出る。

 

 その彼女の側に、巨大な羽音の轟音を立てて岩山と見まがうかのような巨大で重厚なナニかが降り立った。赤い四対の複眼をもった一抱え以上もある巨大な頭部。節くれだった象のソレように太い三対の脚部に、小型の遊具ほどもある半球状の胴体。赤黒く、岩肌のように荒く堅牢な甲殻に七つの黒い斑点が見てとれるソレは、ナナホシテントウと呼ばれる虫によく似ていた。

 

 重機のごとき重苦しさと、威圧感を放つ巨大な“虫”は宿主である少女を守るように、硬い土の地面の上を、地鳴りを伴いながら進み出る。その一組の主従が射抜くように見据えて放さないのは、巨大なスプーンですくい取ったかのように放射状にえぐれた大地の先だ。

 

 まっとうに考えるならば、いくら舗装されていないとはいえ余波のみで地面を粉砕した何かを受けたソレが生きていると思う方がおかしい。所詮やわらかい肉の塊でしかない人間がそんな衝撃を受ければ、原型を留める事すらない筈なのだ。いわゆるミンチ状態になっていなければならない。

 だというのに、その少女は確信を持った瞳で粉塵の巻き上がるその先を端倪している。そして、それに答えるかのように風によって吹き払われた煙の陰からそいつは悠然と現れた。

 

 「不意打ちしやがって。効いたぞ、今のは」

 

 軽口をたたきながら漆黒の悪魔、“かっこう”少女から一間ほどの距離を置いて立ち止まる。

 半分以上ゴーグルで覆われた顔に血の滴が伝っているが、本人は全く気にしている様子はない。それどころか、頬に浮かび上がる緑色の紋様は目を惹くほどに強い輝きを放っていた。

 

 「“レイディー・バード”。鈍ってはいないみたいだな」

 「アンタも相変わらず下種のようで安心したわ」

 

 忌々しいとばかりに“レイディー”と呼ばれた少女は吐き捨てる。

 先ほど少年に呼びかけた人物と同一の声とは思えない程にその声は低く、刺すような冷たさを孕んでいる。背後にかばわれ、涙していた彼が、一瞬息をのむほどに。

 しかし、“かっこう”は大して堪えた様子もなく返答する。

 

 「お前も相変わらず甘い奴だな」

 「アンタみたいな屑よりマシよ」

 

 間髪入れずに“レイディー”は唸った。

 

 「“レイディー”!」

 

 少年と“レイディー”の背後から慌ただしい足音と共に、“レイディー”と同様に仮面をかぶった数人の、おそらくまだ少年であろう人物が現れる。

 “レイディー”は“かっこう”から目を離すことなく、幾分か口調を和らげて短く告げる。

 

 「その子をお願い。私がコイツを抑えるから」

 「“レイディー”……。俺たちも」

 「いいから行って。その子を救うのが私たちの最優先事項よ」

 

 仮面の少年の言葉をさえぎり、“レイディー”は静かに、しかし強い口調で促した。

 

 「……すまない。無茶はしないでくれ」

 「まかせなさい」

 

 “レイディー”の言葉を受け、仮面の少年たちは彼を担ぎ走り去っていく。

 徐々に遠ざかって行く少女の背中は、どこまでも大きく、力強いと少年には感じられた。

 




 次話でついに一号指定同士が激突します。ようやく本格的な戦闘シーンですね。しかし、視点移動が多い。群像劇のようになってしまっている。二部以降は自重せねば。

 何はともあれ、お読みいただきありがとうございました。
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