Fate/Kaleid Schmetterling   作:ひでぶ

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第十六話 ”一号指定”

 「逃がすとでも思っているのか?」

 

 無造作に拳銃を掲げて、逃げていく”むしばね”の少年たちに照準を合わせる“かっこう”。

 その銃弾は彼らにとって死神の処刑鎌と同義である。火種一号指定である彼の“虫”と同化した拳銃の弾丸はそれこそ戦車の主砲にも匹敵する。一度放たれれば過たずに逃亡する少年たちをまとめて吹き飛ばすだろう。

 

 無防備にさらされる彼らの背中に、一片の躊躇もなく”かっこう”は引き金を絞る。響き渡る重い銃声。いや、砲撃音と表現する方が的確であろうそれは、放たれたモノがいかに凄まじいかを示している。それは、音を置き去りにして突き進み、不埒な逃亡者を一人残さず撃滅するはずだった。

 

 事実、そのままいけば間違いなくその通りになったであろう、と”かっこう”は思う。寄せ集めの烏合の衆でしかない“むしばね”のメンバーでは彼の攻撃を受け切れるものなど存在しない。

 そう、ただ一人を除いては。

 

 「―――――なめてんじゃないわよっ!」

 

 火種一号指定、“レイディー・バード”。“かっこう”と同じく、最強の虫憑きの称号を冠する“むしばね”のリーダーたる少女が吠え猛る。主の命を受け、巨大なナナホシテントウがその岩盤のように分厚い翼を広げた。

 

 瞬間、吹き荒れる轟風。あまりにも急速に押し流され、逆巻いた空気は苦悶の唸りを上げる。土を捲り上げながら突き進む真空の壁。それは空気を抉りながら走り抜ける弾丸を寸分たがわず受け止めていた。

 

 相殺される両者。その余波で並木がへし折れ、砂が波立つように吹き飛んでいく。しかし、“レイディー”の放った衝撃波は弾丸を相殺するだけでは留まらず、その先に立つ“かっこう”をも飲み込もうとする。

 

 「ちっ」

 

 “かっこう”が舌打ちして、横っ飛びでそれを躱す。

 跳び退いた彼の元いた場所を、砂塵をまき散らしながら衝撃波が薙ぎ払っていく。着地し、体勢を整えようとする“かっこう”に対し、

 

 「っ逃がすか!」

 

 切り裂くような“レイディー”の鋭い声と共に、再度烈風が吹き荒れる。激烈な大気の奔流で視界が歪み、大気が再度咆哮を上げる。さながら小規模の竜巻だ。

 

 それに眉一つ動かすことなく“かっこう”は拳銃を突きつけた。“虫”の口腔と化した銃口の奥で、弾丸が火花を散らし高速で回転する。

 

 響く砲撃音。踏ん張ろうとした彼の足元が反動を殺しきれずに陥没し罅割れる。

 先ほど彼女の仲間に向けた物は、“かっこう”にとっては羽虫を払う程度の力しか籠めていなかった。“レイディー”がいる時点で弾丸が彼女の背後に抜けることなどあり得ない、と“かっこう”は理解していたのである。

 

 東南支部の上部は人的損失を恐れて“レイディー”への対応を“かっこう”に丸投げしていた。任務はあくまでも逃走した虫憑きの確保であるため、危ない橋は元々逃がす原因を作った者が負うべきである、ということだろう。まあ妥当な判断であるし、彼もそうだろうと予想を立てていた。それ故に、“むしばね”メンバーへの対処は東南支部の別働隊が行う手筈で、“かっこう”が手を下す必要はなかったのである。そういう事情もあって彼にとっては先ほどの一撃はあくまでも“レイディー”を乗せるための挑発程度の意味合いしか持っていない。

 

 だが、この一撃は違った。手抜きなしの力で放った砲撃である。先ほどはなったモノとは比べるのもおこがましい威力の弾丸が、烈風にぶち当たり、食い破らんと突き進む。

 

 轟風の城壁と穿孔の砲弾、双方の激突によって凄まじいエネルギーが拡散して木々がしなり、枝が暴れる。圧力に耐えかねたのか、激突地点から近い位置にあるモノから暴威にひれ伏すようになぎ倒されていく。大地が内から裂けるように罅割れ、土砂が吹き上がる。視界が明滅し、強風が体を弄びながら吹きすさんだ。押された両者は共に後ずさる。

 

 結果、その激突は両者相打つ形で終結した。まるで爆心地のように陥没し、半径20メートル弱にわたって更地になった空間の中、9間ほどの距離を空けて両者は向かい合う。

 

 言葉はない。自然と“かっこう”は前に踏み出し、翠緑色の疾風と化す。

 

 対するは、赤黒き城塞。不動を貫くその巨躯は、人々が畏敬した厳然と佇む山脈を連想させる。どうやら、受けて立つつもりらしい。ならば是非もない。同化型の虫憑きである自身に鈍亀の分離型が近接戦を行うというのなら乗ってやる、と目前に迫ったその巨体に“かっこう”は拳を振り上げる。幾度となく“虫”の身体を砕いてきたそれは、“かっこう”にとって最強の武器の一つである。振り下ろしさえすれば、何であろうと打ち砕いて見せる。と、それを叩きつけようとしたその瞬間、

 

 「なにっ!?」

 

 視界がざらついた赤黒い壁に埋め尽くされる。

 気が付いた時には彼は宙を舞っていた。プレス機にかけられたクルミのように身体が弾け飛んでいてもおかしくない衝撃に、視界が明滅する。あの時、“レイディー”の“虫”が不動だったのは衝撃波を打つためでなく、突進のために力を溜めていたのだ、と。朦朧とする意識の中理解した。

 

 一号指定と呼ばれるモノたちは得てして強大な力を持つ。それこそ形を持った災害と呼ぶにふさわしいほどに。火種一号指定、“レイディー・バード”は分離型の虫憑きだ。山のような巨躯を持つ“七星”と呼ばれる“虫”を操り、羽ばたきによって放たれる強力無比な衝撃波があらゆるものを薙ぎ払う。そう、“レイディー”の“虫”は広域殲滅型と表現した方が良い力を持つといえる。羽を広げ、衝撃波を放つだけで大抵の敵は沈められるのだ。わざわざ鈍重な巨体で押しつぶす必要などない。そんなことより効率的な攻撃手段があるのだから。

 

 その思い込み故に、相手の近接戦闘能力を侮ってしまった事。拳さえ振り下ろせれば倒せる、などと考えたその軽挙妄動。それは最近、強敵と戦っていなかったが故の傲りだったのか。とんだ失態である。

 

 血が滲むほどに唇を噛み締め、彼は意識を覚醒させる。鈍っていたのは此方のようだ。良い気付け代わりになった、と“かっこう”は獰猛な笑みを浮かべ、体勢を整えて着地する。

 そして追撃として放たれたのだろう、倒木を粉砕しながら目前に迫る暴風の壁に備え、顔の前で腕を交差して大地を踏みしめた。

 真空の津波にのみこまれ、押し流される。

 

 「ずっ、……っあぁ、ぐっ!」

 漏れる苦悶の声。

 踏ん張りが効かない。全身をやすり掛けされているかのような激痛が走る。だが、コレも当然の報い。油断など、“かっこう”に許されるものではなかった。

 

 元来、“かっこう”は自分の能力が一号指定と呼ばれる者達のなかでは最も弱いという事を感じ取っていた。特殊な力など何もなく、ただ自身と拳銃を強化するだけの能力だ。彼以外の一号指定はそれこそ敵味方関係なく巻き込むほどの圧倒的な力や特殊能力を有している。それは“レイディー”とて同様だ。だからこそ、仲間や保護対象を引きつれて行動する彼女は全力で力を行使し得る状況となることが非常に少ない。

 

 “かっこう”が彼女と戦うときとて同様であった。東中央の管轄には、“むしばね”のメンバーごと囲い込める戦力があるが故に、大抵背水の陣の“レイディー”ばかりを相手にしていた。にもかかわらず、それでようやく互角。今の枷のない状態の“レイディー”の全力に、彼が及ばない事ぐらい考えればわかる事である。だからこそ、それを捻じ曲げるのは、

 

 「お、おぉぉぉぉおおおおおおおおおっ!」

 

 彼の全身に走る緑色の紋様が一際強く輝く。後退が止まる。いや、止めただけに留まらない。荒れ狂う衝撃波の中を、“かっこう”は突き進む。“虫”と同化し、特環の装備を纏っている彼ですら、その身が悲鳴を上げているのを感じた。叩き付けられる烈風はそれこそ、岩石で出来ているかのように全身を打ちのめす。

 

 それでも空気の濁流をかき分け、その先にいるだろう勝利を確信した顔をした少女の鼻を明かすために驀進する。そうして、巻き上がった砂塵の突き破って現れた“かっこう”の姿に、少女は度肝を抜かれた様子で後ずさった。だが、さすがにそこは一号指定を冠する者なだけあって、すぐさま己の“虫”に迎撃の指示を行っている。

 

 それでも、“かっこう”は止まらない。

 振りかぶられる右拳。

 

 滴る血の雫が舞い散り、口の端からも赤い糸が引いていくが頓着しない。引き絞られた弓の弦のように、腕、肩、背中の筋繊維が連動して張りつめる。どれほどの力を込めればそうなるのか、鋼線をやすり掛けするような音が走った。それをさせるまいとばかりに、巨大な天道虫が長大な薄羽を震わせる。

 だが、

 

 「――遅いっ!」

 

 それに先んじて解き放たれる剛腕。破城槌の如く振り下ろされたその拳が、巌のように頑強な甲殻に突き刺さる。

 

 砲丸が落ちたような重い炸裂音と共に、重戦車の装甲を彷彿とさせるほどの堅牢さをほこったソレが、アイスピックで氷塊を叩き割るような容易さで打ち砕かれた。

 苦悶の唸りを上げた天道虫が、体液を撒き散らしながら地響きを立てて吹っ飛ぶ。小山ほどもあるそれは、折り重なった瓦礫もろともに転がっていき、地を揺する。さながらそこだけ天変地異が巻き起こったかのような有り様である。

 

 並みの、いや強者と称される虫憑きであろうと、今の一撃を受けて戦闘を続行することなどできはしない。だが、“かっこう”が同様の攻撃を二度も受け、なお健在であるように。同じく一号指定と謳われる少女の“虫”が“この程度”で倒れるはずもない。

 

 「やって、くれるじゃない……!」

 

 苦しげに息を漏らし、胸を手で押さえた少女の姿を“かっこう”は視界の縁にとらえた。分離型の虫憑きは、“虫”のダメージが自身にフィードバックされる。今のは効いたのだろう。ところが、憎々しげに歯ぎしりをしているだろうその少女にとどめを刺す事はなく、彼は天道虫が吹き飛んだ先を見つめる。木々が横倒しになり作り上げられた瓦礫の群れ、砂煙が上がっているその向こうに紅い四つの眼光が輝いたのを彼は見逃さなかったからだ。

 

 瞬間、砂塵を吹き払って衝撃波が襲いくる。“かっこう”は無理に迎撃せずに横に跳躍して躱した。だが、避けたその先に、重機のようなその巨体が突進を掛けてくる。体勢を整える間もなくそれを受けた“かっこう”は、猛牛に突き上げられた小鹿のように舞い上がり、並木を飛び越えて落下した。

 

 「ごっ、ぁ……ちぃ……!」

 

 したたかに背中を打ちつけた彼は毒づきながらも立ち上がる。分かってはいたことだが、“レイディー”の“虫”の頑強さは折り紙つきだ。しかしながら、衝撃波を放つことは織り込み済みだったが、突進までしてくるほどの体力が残っているとは“かっこう”も予想してはいなかった。

 

 先ほどまで自身がいた場所を見やると、 “レイディー・バード”と右上部から体液を流す天道虫の主従もまた、彼のことを油断なく見据えている。

 

 「管轄外に虫憑きを逃がして囮にしてまで、どうしてわざわざ一人で私と戦おうとしたのかはわからないけどね」

 

 大津波の前に一斉に潮が引いていくかのように、静かに、しかし熱に浮かされたように“レイディー”は口走り、

 

 「いい機会よ! ここでアンタは潰すわ! アンタさえいなければ特環なんてどうにでもなる!」

 

 彼女は溜めこんだ激情を迸らせていた。

 それに呼応するように、天道虫が翼を広げ、地を震わせて咆哮する。梢を揺らし、腹の底にまで響き渡るその雄叫びを受けてもなお、“かっこう”の表情は揺るがない。冷厳と口元を引き結び、ただ銃口を向けるだけだ。

 その時、ただ睨みあう両者を包んでいた暗闇が、餓えた獣の咽頭の如く醜悪に蠢動した。

 

 「っ!?」

 

 悪寒に任せて“かっこう”は身をかわす。それはただの直感。戦士として戦い抜いてきた感性に身を任せたに過ぎない。

 

 その直後に、闇が爆発した。

 

 そうとしか思えない程に“かっこう”の視界が闇色に覆われる。

 間一髪。全身の毛孔から冷水を注がれたかのような悪寒にとっさに跳び退いていなければ、今頃彼は前方を蹂躙していく影の瀑布に呑みこまれていたことだろう。

 

 「あのバカ女は……!」

 

 タイミングがタイミングだ。飲まれていてもおかしくはない。しかし、僅かに焦燥に駆られて零れたその言葉は、杞憂であったようだ。

 

 夜の闇すらも塗りつぶすその影の奔流を、大気の津波が容易く押し流し、掻き消していく。それによって巻き上がった砂煙が風に吹き散らされたその向こうには、いまだにその城塞のごとき威容を湛えた“七星”とその宿主たる”レイディー・バード”の姿があった。

 

 それに、安堵しているように感じた自分自身に、“かっこう”は舌打ちする。

 そう、こんな感情はあくまでも、“レイディー”は倒しても構わない、ただ“横取り”だけはされるなよ、という土師の指示を守れたことに対する安堵なのだ。決して彼女の身を案じていたわけではない。

 

 ささくれ立った心を抱えたままに先ほど影が溢れてきた場所に“かっこう”は目を移す。樹木がへし折れ、吹き飛んで更地になったこの場から10間ほど離れた、まだ公園としての体裁を保っている木陰の中。そこには、

 

 「――なるほどな。あれが“影法師”か」

 

 立体感のない、のっぺりとした影絵のようなそれの姿があった。

 ソイツは、宵闇の中にある影よりもさらに濃い、周囲の闇が絵具で塗られたかのようにチープなものであるかのように感じさせる程に深い暗色を纏っている。いや、それ自体が暗色そのものであるが故に、色が所詮付属物でしかない周囲の物とは一線を画して見えるのか。

 

 人間では断じてない。中身のない、黒いローブのようなものが地面から数十センチ程宙に浮いたところで微動だにせず佇んでいる。なるほど、話に聞いた“影の怪物”、というフレーズの通りの姿であった。

 

 「土師の野郎は、この事態を見越して動いていたのか?」

 

 “かっこう”の呟きは夜の中に溶けていく。

 横取りはされるな、という命令も考えてみればおかしい話だった。命令された時はいつもの軽口かと思ったが、よくよく考えれば一号指定同士の戦いに介入できるような虫憑きなど一握り者しかいない。

 

 今回の任務に関わることのできた高位の虫憑きは、“むしばね”側では“レイディー・バード”のみ。特環側も“かっこう”しかいない。第三勢力として“ハルキヨ”が介入する、という事態もあるにはあるかも知れないが、あの炎の魔人はこんな“小競り合い”にさほど強い興味も持たないだろう。

 

 となると、この戦いに横やりを入れられるほど高位の虫憑きは“影法師”のみとなってくる。土師圭吾が何者かの介入を想定していたというのなら、それはおそらくこの“影法師”のことにほかならないのだろう。というよりも、

 

 「今までのことは全部コイツをおびき出すための囮ってとこだろうな」

 

 恐らく、この考えで間違いないはずだ。

 いつか土師が語っていた、“影法師”に対する策と言うやつだろう。まさか一号指定を二人も囮に使ってまでしておびき出すとは“かっこう”も思っていなかったが。だが、何故アレに“レイディー”を倒させてはいけないのか。それは分からない。とはいえ、土師のことだ。なにか考えがあるのだろう。

 いずれにせよ、

 

 「奴はここで叩くっ!」

 

 地面を陥没させるほどの力で蹴りつけ、“かっこう”は飛び出す。

 遠距離からの砲撃でなく、接近することを選んだのは、“影法師”の的を自身に絞らせるためだ。土師が“レイディー”を倒させるな、というなら彼はそれに従うまでだった。

 

 倒れた樹木を軽々と飛び越えながら、一切の減速もなく“影法師”に向かって疾駆する“かっこう”。それに対して、現実感薄く佇んでいた影絵が急激に膨張し、弾けた。いくつもの帯状になった影が走り、刃のごとき鋭さで“かっこう”を切り裂かんと迫る。

 

 だが、それはさきほどまで触れるすべてを粉砕する轟風を相手にしていた“かっこう”にとってさほど脅威となりえるものでない。そう、通常ならば、だが。

 

 「っ……!」

 

 身を捻り、跳躍し、ジグザグに地を駆けて“かっこう”はそれを躱していく。槍のように走り、時に鞭のようにしなる影を紙一重でやり過ごし、かすらせることすらしない。

 

 拳を一振りすれば薙ぎ払えるそれらをあえて躱す事には理由があった。以前、土師が“影法師”は“虫”を消す力を持つ、と語っていたことを覚えていたからである。“虫”と同化して力を振るうタイプである“かっこう”はかなり特殊な部類に入るが、その力が働かないとは言い切れない。最悪を想定して動くべきだろう。

 だが、“かっこう”の敵は一人ではない。

 

 「無視してんじゃないわよ。気が多い奴ね」

 

 駆ける彼の横合いから轟音と共に烈風が吹き荒れる。

 

 「っつあ!」

 

 鋭い叫びと共に、迎え撃つべく向けられた“かっこう”の拳銃から砲火が放たれる。

 だが、不十分な体制で放たれたソレは衝撃波の威力を殺しきれずに飲み込まれ、“かっこう”もまた吹き飛ばされる。

 地を転がっていくその体に、貪りつくように影の触手が群がり、

 

 「ぁ、おおおっ!」

 

 ただ一つの砲弾によって打ち破られる。

 天を穿ち、貫いていく弾丸は、その余波のみで砕け飛び散った影の欠片を押し流し、消し飛ばした。

 それを放った“かっこう”は肩を上下させ、息も荒く立ち上がる。

 

 「……こいつは、少しばかり、厄介だな」

 

 そこに、ノイズを伴った通信が入ってくる。

 

 『やあ、“かっこう”』

 「……土師、説明しろ」

 

 鼻息も荒く土師を一蹴し、“かっこう”は命じる。それに、土師はどこかつまらなそうに嘆息した。

 

 『説明も何も、キミの想像通りだと思うよ』

 「なら、“影法師”につい、!」

 

 言葉を切って“かっこう”はその場から跳び退る。

 一瞬前まで自身が立っていた場所に幾本もの影の刃が突き刺さり、黒い土が弾け飛んだ。

 

 「――このっ!」

 

 着地をした“かっこう”はたたらを踏みながら拳銃を掲げ、いらだたしげに歯ぎしりする。

 弾丸が回転し、唸りを上げる。金属が高速ですれ合う甲高い音が響き渡り、

 

 「邪魔なんだよ!」

 

 炸裂した。

 大威力の砲弾が空気を吹き飛ばした。瓦礫は道を開けるかのように割れていく。その最中、槍衾のように立ちふさがる影の触手を、糸くずであるかのごとく引きちぎりながら直進していった。

 それは容易く影絵まで到達し、いとも容易く打ち砕いた。吹き散らされた影が闇に溶けていく。

 

 「……なに?」

 

 あまりにも手ごたえなく消滅したそれに、“かっこう”は立ちすくむ。

 離れた位置にいる“レイディー・バード”もこれには拍子抜けしているようだ。足が止まっている。

 

 だが、これはあっけなさすぎる。“かっこう”の“虫”に特殊型の“虫”を殺すような力はない。だから、倒したのではなく、ノックアウトしたと考えるのが妥当だが、それにしても脆いという一言に尽きた。魅車が存在を秘匿するような虫憑きがこの程度とは考え難い。そこでふと、かつての土師との会話が思い起こされた。

 

 アレは、転移や遠隔操作の類の能力を持った存在だと土師は推測してはいなかったか。

 

 「“レイディー・バード”!!」

 

 声を張り上げる。

 それと全く同時に、小さく肩を跳ねさせた“レイディー”に向かって“かっこう”は駆け出した。それこそ無我夢中であったと言っていい。無論、あの少女が自身に向かって一直線に向かってくる仇敵をそのままにしておくはずもない。一号指定の守護者たる“虫”が唸りを上げる。

 巻き起こる暴風。それに対して“かっこう”は右拳を振り上げ、叩きつけた。

 

 「っくぅ…!」

 

 猛然と突っ込んでくる大型車両を拳一つで受け止めるに等しい暴挙に、右腕が暴れ、痺れる。いくら“虫”と同化しているとはいえ、生身の肉体で相対するにはあまりに膨大なエネルギーに人間としての構造的部分が悲鳴を上げていた。だが、手首と肘の関節が嫌な方向に曲がっていくのにも構わず“かっこう”は大気の壁に腕を捩じ込こみ、思い切り振り払った。

 

 それによって二つに割れた衝撃波は、“かっこう”を避け、後方に流れて行く。“かっこう”はそれに見向きもせず、大きく跳躍し、“レイディー”の頭上に躍り出た。少女を押しのけ、守るように“虫”が前に立ちふさがる事にも全く頓着しない。そのまま“かっこう”は拳銃を突きつける。“レイディー・バード”、その背後の陰に潜むものを狙って。

 

 響く轟音。

 

 解き放たれた弾丸は、引くものか、とばかりにこちらを見据える少女の側を掠め、致命的な隙を晒した獲物に今にも食指を伸ばさんとしている“影法師”を打ち貫いた。

 

 そのまま弾丸は大地を穿ち、地響きを響かせながら土砂を高々と吹き上げる。そこまでいって“レイディー”はようやく自身の置かれていた状況を理解したらしい。嫌疑の態度もあらわに、すぐ近くに着地した“かっこう”を見やる。

 

 「……何のつもり? 恩を売って、見逃してもらおうって訳?」

 「馬鹿か。ただ、アレにオマエを獲らせるのは都合が悪い、それだけだ」

 「ま、そんなことだろうとは思ったわ。右腕を犠牲にしてまでご苦労様。ならこっちはそれを利用させてもらうまでよ!」

 

 侮蔑もあらわに“レイディー”は吐き捨て、“虫”が衝撃波を放つ。

 “かっこう”は砲撃でそれをかろうじて相殺し、大きくその場から飛び退いて離脱する。

 利用するなどとほざいておきながら、今の一撃はさほど力が込められていなかった。そうでなければ今の“かっこう”にあの少女の攻撃を相殺できる筈もない。呆れるほど甘い女だ、と心中“かっこう”は毒づく。

 にしても、

 

 「……やはり、遠隔操作か転移を行えるようだな」

 

 間合いを取ることに成功した“かっこう”は、“影法師”についての考察を進める。

 すると、疑問に答えるように土師が軽薄な声が響いた。

 

 『ご名答。キミなら覚えているだろうと思っていたよ』

 「だまれ。いいから情報を寄越せ。どうせ知ってるんだろう、アレの力のことを」

 

 油断なく周囲を見据えながら、じれったそうに“かっこう”は土師を問い詰める。

 幸い、“レイディー・バード”に動きはない。少女は依然足を止めたまま、抜け目なくあたりに気を配っている。先ほどの件で“影法師”の危険度を理解したのだろう。手負いの“かっこう”を追撃するよりも、アレの神出鬼没具合を警戒することを優先したらしい。

 

 “かっこう”は自身の右腕に目をやる。力なく垂れ下がり、コートを着た上からでもわかるほど、いやな形に曲がったままのそれには、まるで感覚がない。この戦いでは使い物にならないだろう。この状態であの少女の相手を務めるのは不可能とまではいかないが厳しい。追撃がなかったのは屈辱であるが、ありがたいといえる。なればこそこの状況でうまく立ち回るために、今のうちに聞き出せることは聞き出しておきたい。

 ところが、土師の返答の内容は芳しいものではなかった。

 

 『やれやれ、堪え性がないね。それは後で説明しよう。ただ、おそらくだがキミはアレに触れても問題はない、という事だけは伝えておく』

 「なに?」

 

 続けて問いただそうとした“かっこう”だが、脳天を突き刺すような悪寒に身をかわす。

 その結果、背後から放たれた影の刃を危なげなく回避することに成功した彼は、振り向きざまに砲撃を放つ。しかし、影絵は同じ手は食わないというように触手を走らせ、弾丸の軌道に対して斜に構えることでそれを逸らして見せた。あさっての方向に飛んでいく砲丸に、“かっこう”は僅かに眉を吊り上げた。

 

 どうやら、アレは弱っている“かっこう”から先に叩こうとしたようだが、その判断はあながち間違いではないようだ。弾丸に力がない。それなりに力を込めたはずの砲撃を逸らされた事に、彼は苦々しく息を漏らす。ただ、逸らした以上、真っ向から受けることは不可能と判断したのだろう。だがそれでも、一号指定の攻撃を逸らせる程度の力量はあるようだ。

 

 しかし、だからといって一号指定である“かっこう”を容易に獲れると考えたことは軽率である、と言ってもいいだろう。“かっこう”とて、侮られたままでは気に食わない。彼の武装は拳銃である。いくら虫と同化し、異形と化していても基本的なところは変わらない。すなわち、連射が出来るという事だ。

 

 三度、立て続けに砲撃音が轟く。

 

 三点バースト。連射と言う特性上、力を込める時間がないため全力砲撃よりも威力は落ちる。とはいえど、既に全力の砲撃が出来る余力がない“かっこう”にとって威力はさほど重要ではなかった。要は、相手の防御さえ崩せればいいのである。その点で行けば、この相手に対して連射は効果的であるだろう。先ほど、かろうじて一発逸らしただけの影絵ではそのすべてを捌き切ることなど不可能である。

 

 その予想通り、影絵は二発までは受け流す事に成功していたが、三発目を捕え損ねていた。守りをかいくぐった弾丸によって身体の大部分を消し飛ばされ、再び影法師は夜に同化し消えて行く。

 硝煙の立ち上る拳銃を降ろし、“かっこう”は鼻を鳴らす。

 

 火種一号指定たる“かっこう”。彼は自身の強みが能力にあるとは思っていない。並み居る虫憑きの中でも最古参にあたる彼は、今の今にいたるまで激戦の中を潜り抜け、生き残ってきている。そのなかで培ってきた“経験の濃度”は伊達ではない。

 

 足りない物は余所から持ってくればいい。能力が足りなければ、戦術でカバーすればいい。心の強さも同様だ。精神的な存在である“虫”には精神論がそれなりに通用する。無理や無茶というものもそれなりに力となることも弁えていた。これらすべては実戦で培ってきた経験則に裏打ちされている。

 

 もし、“かっこう”が能力だよりの虫憑きだったのならば先のやり取りで片が付いていたかもしれないが、能力が減退したぐらいで獲られる程度のモノなら、彼は今頃生きてはいなかっただろう。

 とはいえ、攻撃こそ何とかあてたが、獲ったといえるほどの手ごたえはない。ダメージこそ与えただろうが、今のも取り逃がしたと考えていいか、と彼は再び警戒状態に入る。そこに、緊張感のない声が割り込んだ。

 

 『さて、話を戻していいかい?』

 「手短にしろ」

 

 もはや急かすことすら億劫になった“かっこう”は投げやりに返した。土師はどこか楽しそうに喉を鳴らす。

 

 『ああ、わかった、わかった。じゃあ任務の確認だ。“かっこう”、任務の前も言ったけど、“レイディー”を横取りされちゃいけない。つまりキミの任務は“影法師”を倒す事でも、“レイディー”を倒す事でもない。“影法師”から“レイディー”を一定時間守り抜くことだ』

 「そうかよ。……まあ、今はそれだけわかればいい」

 

 そう答えながらも、“かっこう”は再び姿を現した“影法師”に目をやる。今度は背後に回るといった小細工はしないらしい。再び各々を頂点とした三角形の位置取りの形となった虫憑きたちに緊張が張りつめていく。それぞれ程度の差はあれ、消耗はしているはずだ。決着が長引くことはないだろう。

 

 しかし、土師から告げられた任務内容、“レイディー・バード”の守護。これを行うためには、最初同様に自身が“影法師”を引き付ける必要がある。その結果として、守護対象である“レイディー”からも身を守らなくてはならない。土師の言う一定時間がどの程度かは“かっこう”には判りかねる。が、長いにせよ短いにせよ今の状態ではかなり厳しいものになるだろう。

 

 といっても、命じられた以上“かっこう”は実行に移すと既に決めていたのだが。

 

 大地を爆発させて、“かっこう”が踏み出す。その足の進む先は、“レイディー”と“影法師”の間に割ってはいれる位置に向けられている。“かっこう”が動いたことを皮切りに、“レイディー”が衝撃波を放ち、“影法師”がその姿を膨張させた。空気の大瀑布と、先ほどまでのそれとは質の違う影の津波が左右前方から“かっこう”に襲い掛かる。それを目にした“かっこう”は迎撃も後退も選ばなかった。それまでよりも一層強く地を蹴りつけて、前に進む。

 

 結果、両者の攻撃の間をすり抜けることに成功する。両脇を掠めていく暴威の塊に体勢を崩されながらも、“かっこう”は足を止めない。走りながら左腕にもった拳銃を掲げ、“レイディー・バード”に向け砲撃を放つ。

 

 その狙いは“レイディー”でもその“虫”でもない。その手前、足元に着弾した砲弾は、盛大に土砂を巻き上げ、少女の視界を奪った。

 

 間髪入れず、照準を“影法師”に移し、数度引き金を絞る。放たれた弾丸は、既に肉薄していた影の刃を悉く撃ち落とし、無力化する。その隙に、“かっこう”進路を急激に転換する。強烈に蹴りこんだことで土が抉れ、巻き上がる。全力疾走をしながらほぼ直角に方向転換を行ったその無理やりな軌道に、腹の中のモノがよじれ、暴れた。それでも、速度だけは落とさない。

 間合いを縮めながらも、再び拳銃を掲げ、砲撃を放つ。

 

 一発、二発。

 三発、四発、五発。

 

 その数は、三つの弾丸ですらさばききれなかった“影法師”の守りを容易く打ち抜いてあまりある。自然、それらに対して苦し紛れにふるわれた残りの触手を蹴散らしながら、解き放たれた弾丸は突き進む。彼もまた、己自身でとどめを刺すべく後を追う。だが、弾丸が影絵に突き刺さるその直前だった。

 

 「潰れろぉっ!“かっこう”っ!」

 

 空を切り裂く叫びと共に、“かっこう”を影絵や弾丸もろとも天が落ちてきたかのような重圧が叩き潰した。

 

 「っぐぅ!? ぁ、ぎ、がぁぁぁああ!!」

 

 地面に押さえつけられるばかりか、臼で挽かれるように磨り潰されていく感覚に“かっこう”は絶叫する。体は既に半ば以上地面にのめりこんでおり、指一本動かせない。暴れ狂う砂塵と爆風によって呼吸すらままならない。視界をつぶしただけで“レイディー”を放置したのは不味かったか。大型の分離型の“虫”を持つ少女には飛行する、と言う手段があることを失念していた。いずれにせよ、このままでは、まずい。

 

 潰れた蛙。紅い押し花。裂け広がる柘榴。

 

 最悪の想像が彼の脳裏を駆け抜け、

 

 「ふ、ざけん、なぁっ!!」

 

 喉の奥から、気力を絞り出していく。

 急速に心の中を虚無感が満たしていく代償に、“かっこう”の全身に翆緑の紋様が鮮やかに浮かび上がった。先ほどまで微動だにもしなかった身体を持ち上げ、天上に拳銃を突き上げる。

 

 吹き上がる砲火。

 

 それは大気の鉄槌を貫き、打ち破り、空に座す城塞を撃ち落とす。

 

 「そんなっ!?」

 

 絹を裂くような悲鳴が上がっているが、それを気にする余裕は“かっこう”には既にない。

 既に襤褸切れのようになった形だけの黒いコートを引っ掛け、掛けたゴーグルもひび割れている。加えて全身赤黒い血に濡れており、無事な個所などどこにもなかった。ただ、荒い息を繰り返し、気力で体を支えて立ちあがる。

 とはいえ、消耗しているのは他の二人の虫憑きも同様なようだ。

 

 「ぐ、このぉ……!」

 

 “かっこう”の右手側前方、少しばかり離れた位置に轟音をたてて撃墜した“虫”の陰から“レイディー・バード”が現れる。ついで、身悶えしながらも“虫”が身を起こした。

 少女の“虫”は左の腹に大穴を開け、右上部の胴体を大きく欠損し、体液を零している。どう見ても死に体だ。それほどのダメージのフィードバックを受けた“レイディー“とて、既に気力の限界だろう。

 

 “かっこう”の左手側前方には、“影法師”の姿がある。だが、こちらも先ほどの“レイディー”の一撃が効いたのだろう。“かっこう”はともかくあの少女の攻撃は特殊型の虫も殺せる力を持つ。それを受けた影絵は、存在感が初め以上に希薄であった。今にも宵闇に溶けて消えそうなほど霞みがかった姿になっている。

 

 だが、この場でもっとも傷が浅いのはほかでもないあの“影法師”だろう。元々、アレが乱入する前から“かっこう”と“レイディー・バード”は戦闘を行い、手傷を負っていたのだから。この戦いは始終ハンディキャップマッチだった。まあ、あの虫憑きはそれを理解しているからこそこの戦いに介入したのだろうが。

 しかし、このままだと、

 

 「――まずいな」

 

 今の“かっこう”の状態はこの中で最も悪い。

 もはやまともな戦闘行為を行う事も難しいだろう。とはいえ相手も消耗している以上、やりようがないわけではない。これが一対一の状況ならば負けることはなかった。少なくとも、彼一人生き残るだけならばおそらく造作もなかっただろう。

 

 しかし、彼の敗北条件には“レイディー”がアレに倒されるという事も含まれている。だが、今の彼には少女を守りながら戦えるほどの力が残っていなかった。加えて、あの“影法師”の戦闘能力は、能力の出力に依るものではない。能力の特殊性によるものだ。特に、“触れた相手を消す力”をアレが持っている以上、実質的な出力は落ちていないという事になる。不確定要素の絡む自身はともかく、“レイディー”は確実にアウトだ。触れられたら、負けになる。

 

 “かっこう”は拳銃を強く握りしめ、歯噛みする。土師の言うタイムリミットがいつかは彼には判らない。だが、次の攻防の間にそのタイムリミットになってもらわなければ任務を完遂することは難しいだろう。

 

 その不安を悟ったように“影法師”の身体が妖しく揺らめく。

 毒々しくも艶めかしい影の食指が幾本もその体から広がり、牙をむかんとしていた。闇がその支配域を強めていく。それに対し、“かっこう”と“レイディー”は共に迎撃のために身構えた。ところが、

 

 「な、に?」

 

 呆然と“かっこう”はこぼした。

 今にも影の鞭を振るわんとしていた影絵が、急にそれを止めたかと思うと、姿をブレさせ、掻き消えたのである。

 まさか転移をして攻撃を仕掛けてくるのではないか、と“かっこう”は周囲を見回してみるも一向に姿を現さない。

 

 「逃げたのか?」

 「さあね」

 

 呟きに答えたのは、可憐な少女の声と背を襲った凄まじい衝撃だった。

 

 「ごっ!?」

 

 くぐもった声を上げて弓なりに反りかえり、“かっこう”は曲芸のように回転しながら吹っ飛んで地面を跳ね跳んだ。

 

 地を滑り、泥まみれになりながらもようやく停止する。軽々二十メートル以上は吹っ飛ばされたようだ。うつぶせのまま軋む体に鞭うって、かろうじて上半身のみ身を起こして、拳銃を構える。

 

 霞み、歪んだ視界のその先には、既に“虫”の上に飛び乗り、“かっこう”に背を向けた“レイディー・バード”の姿があった。少女の“虫”は、まだかなり動けるようだ。呆れるほどのタフさに“かっこう”は口元をひきつらせた。

 “虫”の上の少女は、肩ごしに振り返り、憎々しげに“かっこう”を見下ろした。

 

 「ホントは今ので殺しきっておきたかったけど、仲間から連絡があってね。私は行くわ」

 「こ、のっ……!」

 

 苦悶の息を漏らしながら、“かっこう”は地に無事な拳銃を持ったままの左腕を立てて起き上がろうとする。

 しかし、棒のようになった腕は、自身の体重を支える事すらままならなかった。たまらず崩れ落ち、地面に胸を打ちつける。

 

 その上、衝撃のせいか、彼の意思に反して緑色のかっこう虫が体から分離し、のそのそと緩慢な動きで体の上を上っていく。その最中、彼は去っていく“レイディー”を見送る事しかできなかった。

 

 「くそっ……」

 

 力なく毒づいて、“かっこう”は仰向けに転がった。

 “影法師”が去った理由は、土師の言うタイムリミットだったのだろうか。だとするなら、あの“影法師”は一体どうなったのか。土師のことだ。何とかしたのだろうが、随分ひやひやとさせられた。いずれにせよ、結構な重労働だったといえるだろう。

 押し寄せる疲労感に瞼を引っ張られそうになったその間際、

 

 「あーあ、すごいボロボロだね。“かっこう”さん」

 

 無邪気な声が耳朶を叩いた。

 声の方角に視線をずらすと、瓦礫をよじ登って現れた少年とも少女ともつかない中性的な容姿をした小柄な人物が現れる。年のころは小学校高学年から中学生と言ったところか。一見、無害そうなその子供がその実、高位の虫憑きであるということを“かっこう”は知っていた。異種一号指定であるハルキヨ、その一派の一員であるということも。

 

 はっきり言って、最悪のタイミングである。漁夫の利狙いで現れたのだとするのなら、決死の覚悟を決めねばなるまい。そんな内心をおくびにも出さず、“かっこう”はぶっきらぼうに問いかけた。

 

 「……ウメ、また出歯亀か。趣味の悪いことだな」

 「仕方ないでしょ、ハルキヨが行ってこいっていうんだもの」

 

 “かっこう”のそばにある瓦礫に腰掛けたウメは口先をとがらせて答えた。

 どうやらこの作戦にはあの炎の魔人の気を惹くことのできるモノがあったようだ。おおよそ、噂程度の存在でしかなかった“影法師”の情報を欲してのことだろうが、本人がいないということは所詮片手間の情報収集程度の感覚といったところか。

 

 「それで、目当てのモノは見れたか?」

 「一応ね。でも、正直“レイディー”さんと“かっこう”さんの戦いの方が見応えはあったかな。アレは能力の特殊性に頼りすぎてるもの。種が割れればハルキヨの敵じゃないと思うよ」

 「まあ、だろうな」

 

 あっさりと同意を示す“かっこう”。“影法師”は能力こそ特殊だが、まだ地力が足りていない。加えて能力の使い方が単調に過ぎる。言い換えれば、戦い慣れしていないというところか。一方的に蹂躙することには慣れている様だったが、その逆や実力の近いものとはあまり戦った事がないのだろう。そんなことではいくら相性が良くとも、災禍そのものとでも形容できるハルキヨの相手は務まるまい。

 ニコニコと笑みを浮かべているウメに、“かっこう”は声を低くして続けた。

 

 「それで、どうするんだ?このまま遊んで行くか?」

 「うわあ、怖い顔。やめとくよ。今の“かっこう”さんを相手にするの、万全の時よりもおっかなそうだもの。自棄になって成虫化されたら目も当てられないし」

 

 ころころと鈴を鳴らすような声でウメは笑う。

 その姿に“かっこう”は思わず舌打ちする。

 

 「するかよ。こんなところで終わってられるか」

 「ほら、そういう心が怖いんだ。この状況で、全く諦めようとしていない。大丈夫だよ、あとは事の顛末を見届けるだけだから」

 「ならさっさと消えろ。土師と鉢合わせしたいのか?」

 

 “かっこう”の言葉に、今まで笑みを絶やさなかったウメが顔を曇らせた。

 周囲に視線を走らせると、すっくと立ち上がる。

 

 「それは御免こうむりたいかな。あの人、普通の人なのに“普通”じゃないもの」

 「それには、同意見だな」

 

 半ばやけくそ気味に“かっこう”の口から放たれたその言葉に、ウメは顔をほころばせた。

 

 「それじゃあ、“かっこう”さん。生きていたらまた会おうね」

 

 にこやかなまま手を振ったウメは、瓦礫を乗り越えるとそのまま走り去っていった。

 恐らくは顛末とやらを見届けられる絶好の位置に戻っていったのだろう。厄介な相手が去ったことで今まで張りつめていた空気を“かっこう”は霧散させた。

 

 「次から次へと面倒なことだ。……だがとりあえず」

 

 毒づいた“かっこう”は、決して曲がってはいけない方向に折れたまま戻っていない自身の右腕に目をやった。流石にこのまま放置しておくのは不味い。このまま関節が固まってしまうと、後に回復能力をもつ虫憑きに診てもらっても戻らない。最低限関節はきっちり元の位置に直しておいた方がいいだろう。と、疲労と倦怠感に埋もれていきそうになる自身を何とか奮い立たせて半身を起こして瓦礫に背を預けた。

 

 まず、手直にあった木端を手に取り、木端を咥える。そのまま、気の進まない面持ちで、左腕で右手首を掴むと、思い切り息を吸い込み、

 

 「っふっ!!! っぅ――――!!!!!!」

 

 灼熱。腕が痛いのか頭が痛いのか。腕を切断して、焼き鏝でも当てられたのではないかと言わんばかりの痛覚の爆発を、木端を噛み締めることでこらえる。これなら折れた時の方が万倍マシだった、と“かっこう”は悪態をつきたくなるが、出てくるのは苦悶の呻き声だけだ。たった数瞬でしかないそれが、恐ろしく長く感じられる。

 滝のように冷や汗が噴き出してくる中、血が出るほどに難く噛みこんでいた木端が口から零れ落ちる。

 

 「っは、はっ! ふぅ、ふ、は、ぁ」

 

 繰り返される荒い呼吸。力なく瓦礫に預けた背がずり落ちていく。

 それを左腕で何とか支えた“かっこう”は、着ていたインナーを噛んで一気に引き裂いた。再び手近にあった木の枝を拾い上げると、それを関節にあてがい、裂いたインナーできつく縛り付ける。

 

 「づっ! ――糞……!」

 

 簡単な処置を終えた“かっこう”は弱弱しく悪態をついて仰向けに転がった。

 土師から示された条件はこなしたとはいえ、任務の成否自体が分からない以上達成感などありはしない。とりあえず、この囮作戦の目的を達成できたのかを問いただしたい所だった。しかしながら、津波のように押し寄せてくる疲労感はもはや抗いがたい域にまで達しており、

 

 「ったく、これで失敗してたらあの野郎、承知しねーぞ……」

 

 ぼやく“かっこう”の瞼が落ちてくる。仮眠位とっても罰は当たらないだろう。先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり、瓦礫だらけで退廃的な空間と化した公園の中、彼はゆっくりと目を閉じた。

 





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