Fate/Kaleid Schmetterling   作:ひでぶ

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第一話 ”かっこう”

 頭に走る鈍い痛みに、遠坂凛は意識を引き戻される。

 

 「っつぅ」

 

 思わずうめき声が漏れるも、彼女は重い瞼をこじ開けた。そうして、まず、ぼやけた彼女の視界に飛び込んできたのは黒光りする硬質そうな物体だった。

 

 あたりは暗く、視界もまだ判然としない。そんな中で眼前に突きつけられているひどく角ばったそれが、初め彼女には何かわからなかった。しかし、一拍おいてそれがなんであるかを悟る。

 

 それはどうやら、拳銃であるらしかった。

 眼前の状況に頭が追いつかないまま、凛は視線を上げる。度の入った真っ黒なサングラスでもかけているように暗くぼやけた彼女の視界の中に、唯一鮮明に浮かび上がるものがあった。

 

 それは悪魔だった。天を突く黒くとがった角、見る者を焼くかのような赤光を放つ大きな目玉、全身が怨嗟の炎にまかれた煤をまとったように黒いそいつは、正に悪魔そのものだった。その地獄からの使者を前にして、まさか、ひょっとして自分は死んだのか、などとまだ半分水中に浸かっているかのような頭で凛は考える。

 そんな彼女が気に入らなかったのか、悪魔がうなった。

 

 「おい、聞こえなかったのか? 立て、と言ったんだ」

 

 低い声だった。

 殺気立ったそれは、聞くものを震え上がらせるには十分な響きを持っている。それと同時に、無理やり大人の声色をひねり出そうとしている子供の声ようにも聞こえた。

 

 だがその声で、ようやく凛は自分がなにかやわらかいものの上に尻餅をついているらしいことを理解した。はっきりしない頭は混乱したままに体を起こそうとして、腰から下に思うように力が入らないことに気付く。動かそうとしてもぴくぴくひきつるだけの身体は、まるでチェーンの外れた自転車のペダルをこいでいるかのようだ。

 

 一向に立ち上がろうとしない凛にしびれを切らした悪魔が銃で額を小突くと、あっさりと彼女は仰向けに転がった。

 

 「おい、おまえ。もしかして腰を抜かしたのか」

 

 呆れたような声が凛に投げかけられる。彼女はそれに答えることなく、かろうじて動く腕の力を使ってようやく上半身を起こした。徐々にあってきていた凛の目の焦点が、漸く周囲の像をしっかりと結ぶ。それでも周囲が暗いという事は変化しなかった。どうやら夜であるらしい。

 

 左手の壁には小さい窓があり、そこから暗闇を切り裂くように月光が差し込んでいる。それによってぼんやりと周囲の情景も見て取れた。木製らしいナイトテーブルや、小さめのクローゼット、スタンドライトらしきものがぼんやりと見える。ナイトテーブルの上にはデジタル式のカレンダーが置かれており、発光しているため日付と時間を読み取れた。そこから自分が実験をしてからそう時がたっていない事が分かり、彼女は眉根を寄せる。

 

 だが、周囲の情景からここはどこかのそう大きくないビジネスホテルの一室で、下のやわらかい物体はどうやらベッドであるらしいということは彼女にも推測できた。

 

 つけ加えるなら、拳銃を突きつけて凛を見下ろしているそいつは、悪魔ではなかった。角に見えたものは逆立った黒髪で、赤い目玉に見えたものは顔の半分ほどを覆い隠した大きなゴーグルの遮光版に反射した光、黒い身体は全身をくまなく包んだ黒いロングコートだった。

 

 加えて視界がぼやけている上に、暗闇の中という状況で姿がはっきり見えたのも奴が月光を浴びているからだった。見下ろされている状況からわかりづらかったが、案外小柄でゴーグルの下にのぞく口元にはまだ幼さが垣間見える。

 

 「貴方、なに?」

 

 凛の口をついて出てきたのはそれだった。既に恐れはなかった。とりあえず、この現状に対する情報が欲しかったのである。それにはまず、眼前に銃を突きつけている悪魔のような存在が何者であるかをしるべきだと彼女は判断した。彼女はこうなっている経緯を含めて、何より早く状況の確認をしたかったのだ。

 

 悪魔は一瞬あっけにとられたように固まった。への字に曲げられていた唇が半開きになり、悪魔らしからぬ間抜けた表情を形作る。しかしそれも一瞬、すぐに元の仏頂面を取り戻すと、

 

 「何の真似だ? ここにきて知らぬ存ぜぬが通るとでも思っているのか?あまりふざけるなよ」

 「別にふざけているわけじゃないわ。本当にわからないのよ。ここはどこで、貴方は誰なのか。なぜ私はここにいるのか」

 

 別段、隠すわけでもなく、凛はさらりと告げる。

 すると、悪魔の頬からさっと血の気が引くのが分かった。青白くなった顔は月明かりと混ざり合い、髪やコート、ゴーグルの黒さが一層際立った。

 

 「状況がわかってないようだな」

 

 そう、悪魔が低い声で告げた瞬間、目の前に突き付けられていた拳銃の上にどこからともなく現れた、一匹の小さな虫がとまった。鮮やかな緑色をしたその虫は月光を浴びて、澄んだ深い川のような淡い翠色を放っていた。

 しかし、それは瞬く間に姿を変貌させる。全身から薄く発光する緑色の触手が一斉にほとばしり、悪魔のもつ拳銃、それだけでなく全身に絡みつき、元々一つの存在であったかのように同化していったのだ。

 

 そうして、一瞬のうちに目の前のモノは変貌を遂げていた。突きつけられている銃口は、見るもおぞましい“虫”の口腔に変貌し、その奥底では今にも咆哮を上げんと喉笛に力を入れるように、弾丸が回転して火花を散らしている。悪魔の顔や、僅かに覗く首元には鮮やかな緑色の紋様が浮かび上がっていた。

 

 凛の心臓が一段高く脈を打った。急に高所にでも放り出されたかのように胸が苦しくなるのを感じる。彼女はそいつを一目見て分かってしまったのだ。こいつは“違う”、と。

 

 「いいか? 俺が殺そうと思えばお前程度、訳なく殺せるってのを理解しろよ?」

 

 その声のあまりの冷たさに、凛は血液に冷水を流し込まれたかのような心地がして息をのんだ。正直に言うならば、その瞬間まで凛は高をくくっていたのである。

 

 なぜならば、彼女は魔術師であるからだ。超常を生きる彼女らにとって眼前に銃を突きつけられる程度ならば、あくびをしながらでも切り抜けることが出来よう。彼女は自分の目の前に突き付けられていたものが拳銃であることを理解した時点で、思考が混濁していたこともあるにせよ、目の前の脅威にたいしておごっていたのである。だからこそ、何のためらいもなく目の前の脅威に対して軽率とも取れる発言をしたのだ。

 

 だが、目の前にいるこれは違う。そう凛の本能が告げている。おそらくこいつは殺せる。遠坂凛という存在を、何の苦も無く、なんの戸惑いもなく。

 

 だから逃げろ。すぐに逃げろ。早く逃げろ。

 その強迫観念に近い感情にしたがって彼女は体を動かそうとして思い出す。自分の下半身はいまだ力が入らない状態であることを。それが、かえって彼女を冷静にさせた。

 

 額から流れた汗が顎を伝って滴り落ちる。周りの音など何も聞こえない。ただ自分の心音が警鐘のように鳴り響いているのを、彼女の冷めた理性が聞いていた。

 

 その中で、目の前の悪魔をつぶさに観察する。先ほど目の前で起こった変態や、今“虫”がうなりをあげて口腔を開いている形をとった銃口は、明らかに“こちら側”の領域にある事象だ。悪魔の顔や首に浮かび上がった文様も、魔術師が子孫に自身の研究の成果を刻み込む魔術的刺青、魔術刻印によく似ていた。

 

 とはいえど、目の前の敵は完全に戦闘態勢にあるにもかかわらず魔力を発していなかった。となれば魔力に頼らず超常の力を操る超能力に近い代物だろうか。それとも、もっと別の異能か。まあ、自己の魔力の秘匿に長けた魔術師も存在する以上、現状何とも言えない。一つ彼女に言えることは、この化け物から逃げることなど不可能だ、という事だろう。

 

 状況は思わしくない。加えて以前これと似たような威容をもつ存在に相対した事のある凛には目の前のモノが“違う”という事が強く理解できてしまっていた。だからといって、そこで簡単に諦めるのは凛の性に合わない。

 凛はきっと眦を上げて悪魔の目を見据えた。

 だが、

 

 「っ……!?」

 

 凛は今、見た相手を軽く前後不覚にして操る暗示の魔術を、視覚を通して叩き込んだつもりだった。ただ、結果は変化の見られない悪魔の様子からわかるとおり、惨敗である。

 

 凛は魔眼、見た相手に問答無用に魔術をかける一工程の魔術行使の術を持っている訳ではない。ただ、抗魔力の低い一般人相手ならば真似事くらいはできない事はなかった。それを問答無用でレジストされたという事は、こいつに生半可な魔術は効かないと考えていいだろう、と凛はあたりをつけた。

 

 状況は思わしくないどころか最悪だ、と彼女は軽い頭痛を覚える。暗示が通じるならば、戦闘力にいくら差があろうと状況を打開することが出来たのだが。

 

 幸か不幸か、悪魔は暗示をかけられたことには気づいていないようだった。痺れを切らしたように低い声で促してくる。

 

 「――何とか言ったらどうなんだ」

 「……オーケー。貴方に従うわ。でも足に力が入らないのも、記憶が曖昧なのも演技じゃない。これは信じてもらうほかないわね」

 

 記憶が曖昧であるという事は半分嘘であり、半分本当である。体が動かないという事は真実だ。しかし、記憶に関して少し偽りがある。彼女は自分が実験ミスの余波を受けて気を失ったことまでの経緯を確かに覚えている。

 だが、自身がただ気を失っていただけというのなら、現在のこの状況に説明がつかない。いや、彼女の中では一応答えらしきものは出ているのだが、それがあまりにも荒唐無稽なことであるため結論を保留したがっているのが正解だった。

 

 その凛の回答に悪魔のような少年は頬を引きつらせる。

 

 「ふざけるな、といったはずだ。いや、まてよ……」

 

 語気を強めて詰め寄ろうとした彼がふいになにか思い出したかのように立ち止まる。

 

 「なによ」

 「まさかな。いや、でもそれなら辻褄の合う事もおおい」

 

 凛を無視して思案にふける子供悪魔。かといって今ここで逃げ出そうとすれば容赦なくこの悪魔が牙をむくであろう事は見え透いていた。

 

 結論が出たのか、彼が再び視線を彼女に向ける。

 

 「まあいい。どうであれ、お前に関する情報は不足しているからな。どの道本部に連れて行く。その後にいくらでも取り調べられるだろうさ」

 

 そっけなくそう告げると、彼は足早に凛に歩み寄りその体を担ぎ上げた。まるで米俵か、角材を持つかのようなぞんざいな扱いに彼女は抗議の声を上げる。

 

 「ちょっ。何してんのよっ」

 「なにって足が動かないんだろ、おまえ。だから担いだまでだ。肩を貸して歩かせるなんてのは遅いし面倒だからな」

 「……ずぼらなやつ。もてないわよ」

 

 ぼそりと毒づく凛に、悪魔が舌打ちする。

 

 「ちっ。うるさいやつだ。別に引きずってやってもいいんだぜ」

 「あーもう、わかったわよ。好きにしなさい」

 

 こいつならば本気でやりかねないと考え、あきらめの声を上げる。

 それに満足したのか、妥協したのか悪魔が歩き始める。小柄な彼だが、それでも歩くたびに体が上下に揺さぶられる。頭が下がっていることもあって、これはあまり心地の良いものではない。特に腹部は支点になっているためか負荷が大きい。

 上下に揺す振られ、腹を支点に頭と足が振り回される感覚に、彼女はダイエットの時に使われるボディーブレードに心があったのなら今の自身と同じ気分なのだろうか、と考える。

 

 しかし、ひょっとしてこのまま階段を下りるつもりではあるまいな、と無頓着に歩を進める彼の後頭部を凛は横目でにらんだ。

 悪魔にかつがれたままビジネスホテルのダイニングスペースを抜ける際、彼女の目に部屋の隅にうつぶせで倒れ伏している人影が目に入った。

 

 「ちょっと、あれって……!」

 「ああ、あいつか。俺が突入したら向かってきたからな。伸びてもらってるぜ。多分死んじゃいないだろう。まあ、あいつはあとで別の局員に対処させるさ。それより、お前あいつが誰かわかるのか?」

 

 室内を照らす明かりは月光のみで薄暗く、倒れている人影はうつ伏せになっているためその顔までは分からない。体格的に男であることがわかるくらいだ。それでも、その背格好は彼女の良く知る人物に酷似しているように思えた。

 いや、悪魔の言い方からして、間違いなく凛の身近な、ある人物であることは想像するにたやすい。こんな出鱈目な化け物に臆することなく向かって行くような大ばか者の男の知り合いなぞ、彼女の記憶の中には一人しかいないからだ。

 

 もっとも、彼女が記憶している限りでは現在その人物は本来の姿とは異なった姿になってしまっている筈であり、あの姿でこんなところにあんな風にうつ伏せになっていられるはずもないのだが。

 だからこそ、それを見た瞬間彼女は直感的に自身の予想が的中していることを半ば確信する。ただ、決めつけるのも早計かと自身をいさめた。

 そうした思案に暮れながら、彼女は少し茶を濁した返答をする。

 

 「……はっきりとそうとは言えないけどね。顔も見えないし。まあでも、私に生活に支障がないくらいの記憶がありそうなのは会話していてもわかるでしょう?」

 「随分と都合のいい記憶喪失だな…。やはり何なんらかの能力を使ったとみていいか。それとも……」

 「別にどっちでもいいんじゃない? どうせ取り調べるんでしょ。私が何を言っても」

 

 悪魔は答えない。答えるまでもないということだろう。部屋を抜け、人気のないホテルの廊下を、凛を担いだまま彼はただ歩いていく。

 ここにきて、彼女は情報を整理するための問いを再び投げかける。

 

 「そういえばまだ答えをきいてないわね。あんた一体、何者なの?」

 「……特別環境保全事務局、火種一号局員“かっこう”」

 

 悪魔の口から紡がれたそれは、全く聞き覚えのない組織らしき物の名称だった。 凛すら見たこともない異能を行使したことから、日本内に存在する退魔組織に所属している超能力者かなにかなのではないか、という彼女の“希望的観測”はここに断たれた。

 

 階級のような単語を口にしていることからそれなりに規模の大きい組織でありそうなことはうかがえた。しかし、だとすると曲がりなりにも冬木市の“管理者”であった凛が知らないという事はおかしい。

 実験ミス、目覚めたら変わっていた場所、さして経過していない時間、見たこともない異能、姿の違う知人、聞いたこともない組織。それらの事実がどうしようもない現実を彼女に突き付けてきている。ここは凛の知る世界ではなく、似て非なる並行世界なのだと。

 

 原因などわからない。おそらくはあの実験ミスが関わっているのだろうが、あれは第二魔法の一端を扱う礼装をさらに縮小した形で使用し、行った実験だった。いくら並行世界の運営を扱う第二魔法の一端だとしても、あんな程度の実験では何をどう間違えようと平行世界に人間大の大きさの物体を飛ばせるような“穴”をあけることなどできない。だが現実にその事態が起こってしまっている以上受け入れるしかなかった。

 頭を抱えたくなる気持ちを抑えて凛は疑問を口にする。

 

 「特別環境……? それがあんたの所属してる組織の名称ってわけ。“かっこう”っていうのはコードネームかしら」

 

 “かっこう”は答えない。またしても答えるまでもない、ということだろう。ならば、と捲し立てるように凛は言い募る。

 

 「沈黙ってことは肯定でいいわね。加えて訊くけど、さっきの“虫”。あれはいったい何?」

 「本当にうるさいやつだ。俺はお前のなんだ? 親か? 先生か? お前はいま捕虜なんだよ。律儀に何でもかんでも答えてくれると思ったら大間違いだぜ。分かったら口を閉じろ」

 

 ぴたりと立ち止まると、呆れたように吐き捨てる“かっこう”。まあ、その意見はもっともだ、と彼女も思う。だが、状況が状況だ。情報収集は不可欠である。加えて、遠坂凛は魔術師だ。魔術師とは研究者であり、知的好奇心を失ってしまえばそれまでだ。

 状況は絶望的だが、どうせならこの状況でしか得られない物を味わおうという気概の結果でもある。とはいえど、口答えをしてもめんどくさそうなので彼女は一度黙っておくことにした。

 

 沈黙した凛をしり目に、“かっこう”は思い出したかのようにこめかみ付近のゴーグルの金具に触れる。彼が身につけているゴーグルは通信機能があるようで、その機能をオンにしたようだ。

 

 「“紅紋”捕獲完了だ。あと五〇六号室に男が転がってる。そいつを運んで来い、重要参考人だ」

 「“紅紋”?」

 

 恐らく自分の事を指しているであろう単語に思わず凛が反応する。それに対して“かっこう”はいらだたしげに凄んだ。

 

 「口を閉じろと言ったはずだ。死なない程度にぶちのめされたいか?」

 「あら、ぶちのめせるならあなたの性格上とっくにやっていてもおかしくなさそうだけれど。上になるべく傷つけずにつれて来い、とでも言われてるんじゃない?」

 

 その怒りを受け流すかのように凛がいたずらっぽく笑う。それに不機嫌そうに舌打ちして“かっこう”は閉口した。どうやら図星らしい。それにしても、こんなやつを従える組織はいったいどんな所なのか、と彼女は興味がわいた。

 

 

 

 ホテルを出ると、“かっこう”と同じように外套を羽織った人間が出迎えた。ただ、そいつらの外套は“かっこう”の物とは異なり白色をしていた。“かっこう”は凛を担いだまま、数台並んだごつい角ばった黒い装甲車の内の一台に近づいていく。そしてドアをスライドさせて開けると、彼女は乱雑に中におしこめられた。それに続いて“かっこう”も乗り込んでくる。どうやら引き続き彼が凛の監視役のようだ。

 

 扉が閉じられる。車内に通常の窓はなく、細長い格子窓が壁の上部にある程度だ。運転席は護送スペースと隔離されていてみえない。そんな状態ゆえにまともに明かりが入らないためか、車の天井には蛍光灯が設置されている。内装も簡素で車の左右の壁に沿ってステンレス製の椅子がある程度だ。まあ、護送車なんてこんなもんか、と納得し凛は硬く冷たい椅子に腰を下ろす。それに合わせるように、彼女の向かい側の椅子に“かっこう”が腕を組んで座った。

 エンジンが始動する低いうなり声が聞こえ、車が動き出す。

 

 「それで、今からどこに連れて行こうって言うの?」

 

しつこいセールスマンに捕まった主婦のように、“かっこう”は口端を引きつらせる。彼は遠坂凛を黙らせるのは無理と判断したのだろう。しぶしぶと“かっこう”は口を開いた。

 

 「……おまえ、図太いなんてレベルじゃないな」

 

 その姿にどこか小気味の良い感覚を覚えながらも彼女は先を促す。

 

 「ま、それは認めるわ。で、どこなの?」

 「特環の総本山だ。そこでお前の処遇も決まる」

 「ふーん。そういえば私はなんでその“特環”に捕まってるワケ?」

 「決まってるだろ。特環が捕まえるのは虫憑きだけだ。つまり、お前も俺と同じ異能持ち……。虫憑きってことだ」

 

 その言葉に凛は息をのむ。“かっこう”は凛を自分と同じだといった。だが、彼女はそんな異能を行使するどころか見たことすらない。ならば、そこから導き出されることは、ここにいないこの世界の遠坂凛があの得体のしれない異能を行使できる、という事になる。ただ、虫憑きとやらである遠坂凛を捕獲したいというのなら、この凛を捕獲しても何の意味もないということだ。

 

 とはいえ、ここが並行世界という可能性が高い以上、下手な手は打てない。

 世界は自身に異物が紛れ込むことを許さない。それ故に秩序を守ろうとする防衛機構が存在する。それ故にその世界に存在しなかった矛盾は世界から“なかったこと”として修正される可能性が極めて高いのだ。いや、世界からの修正を受けるのならば彼女がこの世界に入った瞬間から改竄が始まっていなければおかしいのだが、現在に至るまでその兆候はない。

 

 しかし、姿のみえないこの世界の“遠坂凛”のこともあり、警戒をしておくにこしたことはなかった。

 第一、説明しようもない。魔術的な事柄を無関係の人物に説明するのはタブーである。かといって実はそっくりな双子でーす、などと言ってみても解放されるはずもない。つまるところ、彼女は記憶喪失を装ったまま、この状況を何とかして乗り切るしかないという事なのだろう。

 だが、多少の悪あがきはしてみようと、彼女は“かっこう”に論拠を求めた。

 

 「……へえ。その証拠は?」

 「知るか。上に訊け。俺は別管轄からここに送られただけだからな。詳しい事情は知らない」

 

 にべにもなく“かっこう”は彼女の言葉を切り捨てる。その言葉に含まれた単語に、凛は少し疑問を持つ。

 

 「別管轄って、特環…。この組織はそんなに大きいわけ?」

 「全国規模だ。中央に本部、東西南北に支部がある。細かく分けると更にあるが面倒だから省くぞ」

 「驚いたわね。で、そんな組織が私にどんな処遇をくだすのかしら」

 「局員……。俺たちと同じようにこき使われるか。処分されるかのどちらかだな」

 

 その返答に思わず凛は鼻を鳴らす。まあ、異能にかかわる組織である以上そういう極端な処遇は珍しくもなんともない。今回の件を魔術協会的に考えるならならば、今の凛は規律を乱して手配された封印指定の魔術師のようなものであり、捕獲された封印指定の魔術師の結末は、研究のために脳髄ホルマリン漬けにされる、という非人道的なものだ。むしろ、問答無用で永久に管理保存されるよりはマシと言えるかもしれない。

 

 しかし、並行世界での初めての体験が謎の組織による拉致、尋問とはなんとも使い古された筋書だろう。もう少しドラマチックなものにならなかったのか、と内心凛は嘆息する。

 

 「ま、いいわ。どうせ避けられないなら、自分からぶつかるまでよ」

 「この状況で開き直る根性は褒めてやる」

 「あら、ありがと」

 

 “かっこう”の皮肉に対して凛は不敵に微笑んだ。それに意表を突かれたのか彼はついとそっぽを向く。心なしか“かっこう”の頬が赤い。それを目ざとく見とがめて凛が笑みを深める。

 

 「あらあら? “かっこう”君は照れちゃったのかな?」

 「うるさいぞ。黙ってろ」

 

 “かっこう”が低い声で唸る。しかし、今の凛にそれは効果をなさず、彼女は猫のような笑みを深めるだけだった。彼は頬を小刻みに引きつらせる。

 

 「その笑いをやめろ。おい、やめろ」

 

 こらえきれずに凛が噴き出す。目の前の少年はなかなかに弄り甲斐のあるタイプらしい。サーヴァント然り、この悪魔のような少年も年相応の一面を持つ人間であるという事が彼女には面白かった。

 




以上、一話でした。
お読みいただきありがとうございます。読んでいただいたときにお分かりの通り、本作に登場する虫憑きは魔術的な存在という設定でもあるため、低級な魔術は弾きます。
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