Fate/Kaleid Schmetterling   作:ひでぶ

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第十八話 終結

 影が、解ける。桜をくるんでいた繭が、一瞬にして弾け飛ぶ。それは、爬虫類が長い舌を咥内に収めるかのように彼女の足元の影に巻き取られていった。

 

 「……何のつもりですか、お爺様。一体何の権利があって邪魔立てをするのです」

 

 解放され、地に降り立つや否や桜は鋭く目を細め、底冷えするような声で桜は臓硯を問い詰めていた。もしも意にそぐわない回答をすれば、即座に切り捨てるとでも言わんばかりである。

 

 その様子に、凛は僅かに息をのむ。間桐桜という少女には、深層意識のレベルで間桐臓硯というモノに対する恐怖が刻み込まれているはずだ。そればかりか、幼い頃から魔術で身体を弄られてきた彼女は意識を乗っ取られる危険すらある。だからこそ、凛の世界で桜ですら本当に取り返しがつかないところに行くまで表立ってアレに反抗の意思を表したことはなかったのだ。だというのに、いくら“虫”という力を得ているとはいえ桜の態度は強硬に過ぎる。

 

 ところが、臓硯はその態度にさして目くじらを立てることもなく、落ち着き払った様子で応対していた。

 

 「ふむ、桜よ。儂に詰め寄る前に、少しは周囲に目を向けたらどうだ?」

 「どういう……っ!?」

 

 ここに来て、ようやく桜は凛と士郎の存在に気が付いたようだ。

 あり得ない物を見たかのように、彼女はこぼれそうな程目を見開いた。かと思うと泡を食った様子で臓硯に食って掛かっている。

 

 「なんで、どうして姉さんと先輩が……!?」

 「じゃから周りをよく見ろと言ったのよ。お主も消耗しておるし、こやつらも予想以上にやる。これ以上は不利になる一方よな。一号指定との会敵、戦闘という一定の目的は達した。―――引き上げるぞ」

 

 臓硯の言葉に桜は鼻白んだように眉を顰めたものの、本当に憔悴しているのかふらりと崩れそうになるのをこらえてたたらを踏んでいた。それで自分の現状を理解したのか、彼女は小さく頷く。

 次いで、視線を凛と士郎に向けると、艶やかに微笑んだ。その美しさと妖艶さはさながら絵に描かれたかのように現実感がない。うすら寒い感覚を凛に覚えさせた。

 

 「先輩。会いに来てくれたことはとっても嬉しいんですけど、今はまだ準備が整っていないんです。前にも言った通り、準備を整えたら私から会いに行きますから」

 「っ……!」

 

 士郎が何かを口にしようとして、口惜しそうにそれを噛み殺していた。

 前回のことで、既に口で言っても分からないことを理解したからこそ、ひっぱたいてでも目を覚まさせる。そうでなくても、強引につれさって話を聞かせるということが今回の行動の趣旨だった。それが絶望的となった今、完全に桜に何かを言う機会を逃したことを士郎も理解しているのだろう。

 かといって、言われっぱなしは凛の気が収まらない。

 

 「そ。でもそのころにはアンタは立派にソイツの傀儡になっているんじゃない?」

 

 目で示された臓硯の方はまるで答えた様子もなく、夜の空気を蠕動させる。

 

 「呵々! 聞き分けのない娘じゃて。言ったはずじゃ、今の桜は儂ごときが制御できるモノではないとな」

 「まだそんなことを……!」

 

 憤りに唇を噛み、凛は臓硯を睨み据えた。

 平行世界であるとはいえ桜の事情を把握している凛には、そんなことは到底信用できるものではなかった。ところが、

 

 「お爺様の言っていることは本当ですよ、姉さん」

 

 抑揚の無い口調で、桜は凛の考えを否定する。

 はじめ、凛はそれが臓硯に言わされた言葉である、としか思えなかった。だが、そこでふと先のやり取りが思い出される。凛と士郎の存在に気付いていなかった時からすでに、桜は臓硯にたいして対等な口をきいていなかったか。アレが仕組まれた演技であったとも思えない。

 それを証明するように、桜はさらに滔々と述べ立てる。

 

 「私とお爺様は既に対等な関係ですよ。私の能力は“虫”の天敵です。それは“虫”の力を強く取り入れたお爺様に対しても同様。今、私を縛る物は何もありませんよ。私がお爺様と共にいる理由はギブアンドテイク、お互いにメリットがあるから組んでいるにすぎません」

 「……筋は、通っているわね」

 「そういうことじゃ。残念じゃったの、遠坂の小娘」

 

 臓硯は満足気に喉をならすと、桜を目で促した。

 頷いた桜の足もとから、沼のような影が広がっていき臓硯と共に沈みこみ始める。その姿が完全に沈み込むその前に、凛は再度桜に呼びかけた。

 

 「桜。その男を安易に利用できるだなんて思わない事ね。でないと、身を滅ぼすわよ」

 

 その忠告に何を思ったのか。桜は一瞬だけ凛に視線を寄越したものの、結局言葉を返すことなく完全に影に没した。

 

 

 桜と臓硯が去った屋上で、凛と士郎は言葉もなく立ち尽くしていた。

 しかし、いつまでもそうしている訳にもいくまい、と凛は残るもう一つの謎に目を向けることにした。それは無論、先ほどから不気味なほどに沈黙を保って凛と士郎の背後に漂っている、紅玉石で構成された“虫”についてである。この世界の虫憑きとしての遠坂凛が持つ異能。おそらく、凛がこの世界に来ることになった鍵となる存在だ。“凛”が気になる言葉を発していたこともある。訊きたいことは多かった。

 だが、なによりもまずは、と凛は思念を送った。

 

 『とりあえず、礼を言っておくわ。貴女がいなければ少し危なかった』

 『礼を、言われることでもないでしょ。自分自身と、私の、男を助けただけよ……』

 

 返ってきた思念は、その内容に反して弱弱しい。どうやら、かなり憔悴しているようだ。今まで不自然なまでに静かだったのもそのせいだろう。

 

 彼女がそうなった原因として思い当たることと言えば、一つしかなかった。先の戦闘においての“虫”の力の行使である。あれには凛たちもかなり助けられた。だが、あれだけの力だ。“虫”に支払ったその代価は相応に大きかったに違いない。

 切れ切れになりながらも、“凛”は絞り出すようにして続けた。

 

 『本当だったら、もう少し話したい所だったけど……。ごめん。ちょっと、欲張りすぎたわ……。もう、持ちそうに、ない……』

 『ちょ、ちょっと!?』

 

 余りに力のない“凛”のその様子に、思わず凛はうろたえる。

 だが、彼女は逆に凛をなだめすかすように言葉を紡いだ。

 

 『あー、別に大丈夫よ……。死ぬわけでもなし、少し休んだら、また、接触するから……。事情は、その時……。今は……』

 

 まるで長電話で寝落ちするときの言い訳のように“凛”はぼやきながら、その意識の接触を断ち切った。

 それと同時に、“凛”の異能である“虫”もまた、風船が萎むかのようにその大きさを縮めていき、

 

 「消えるわけではないのね」

 

 普通の蝶々よりも少し小型なくらいの姿になった“虫”は先ほどまでとは異なり、ひらひらと羽ばたきながら凛の肩に留まった。本物の宿主のところではなく凛のところに留まっている理由は、先ほど“凛”が口走っていたことが関係しているのだろう。“凛”はまた接触したときに話すと語っていたが、つくづく不可思議な異能である。

 胡乱気にその姿を眺める凛に対して、声が投げかけられた。

 

 「……遠坂、これからどうするんだ?」

 

 士郎である。平常時から仏頂面であるその顔をさらにしかめ、かなり思いつめた様子だ。

 今回の件は、桜周りの事情をよく知っている凛ですらわからない事が多いのである。彼にはもっと不可解な事ばかりであろう。必死で状況を整理しているに違いない。だが、今するべきことを弁えているからか彼は内にあるだろう疑問を口にすることはなかった。

 

 深く踏み込まれると並行世界の情報を持ち出して解説する必要が出てくるため、結果として誤魔化す必要が出てきてしまう凛には、士郎のその姿勢はありがたくはある。しかし、今回失敗してしまった以上一度落ち着いて士郎と情報を整理する必要があるだろう。平行世界の中で“自分自身”と接触したこともあり、お互いに元の世界に戻るという可能性も開けてきたということもある。すべての事情を説明し、士郎に対してしっかりと謝罪し、協力を願い出る、というのもありかもしれない。

 とはいえ、いまはとりあえず、と凛はおもむろに口を開いた。

 

 「……そうね。一応土師圭吾の囮作戦が行われていた筈の場所は分かっているからそこに向かってみましょうか」

 

 成否に関わらず、お膳立てしてもらった礼をしに顔を出すつもりではあったが、それでも失敗した以上は次を講じる必要が出てくる。今回の件で、土師圭吾の作戦立案に対する信頼性はある程度確かめられた。元々隠居していた魔術師である臓硯の存在を予見、戦力まで見抜いて作戦を立てろと言うことは暴論であるし、結局桜を逃がしたのは此方の力量不足の招いた結果だ。だが、臓硯という札を切らせ、相手方の戦力の割れさせた以上次はこうはならないだろうという予感がある。

 

 それに、組織の力とはやはり得難い。現状、凛たちは特環に所属してはいるものの、それはほぼ形だけに等しい有り様だったのだ。というよりも、管理しやすい水槽の中に入れられて泳がされていただけ、と言った方が正しい。後ろ盾を得られる、ということも考えれば今後、再びフリーで行動するよりも土師と手を組んだ方が効率的だ。完全に信頼することは危険だが、ギブアンドテイクで信用するには足る男だと思える。

 その返答をある程度予想していたのだろう、士郎は頷く。

 

 「やっぱりそうなるか。そうと決まれば、さっさと行こう。桜が引き上げたってことは向こうの作戦も終わってるはずだ」

 

 そう告げて屋上の出口に足を向けた士郎に、凛は無言で続いた。

 前を行く士郎の背中に、既に迷いはないようだ。確かに今回は失敗した。それでもまだ終わっていない。次がある、それが分かっているからだろう。

 そんなことを考えていると、またあの長い階段を下らなければならないことを彼女は思い出し、重いため息をついた。

 

 

 

 

 「やあ、キミも随分手ひどくやられたようだね。“かっこう”?」

 

 荒れ果てた公園で仮眠をとっていた“かっこう”が聞き取ったのは、土師圭吾の軽薄な声だった。

 重みというモノがまるで感じられないその声は、豆腐で出来たハンバーグのように味気ない。端的に言えば中身がない、ということだ。とはいえ、全身を走る痛みの処理で手一杯の頭には、これくらいの軽い調子のほうが響かなくて丁度良くはあるが。

 口を動かす事にすら倦怠感を伴う現状、冷たい土の感触に身を任せてふて寝を決め込もうかとも彼は思ったが。

 

 「ふむ、眠り姫という訳かい? なら、目覚めさせる方法は一つだな」

 「気色の悪い冗談をぬかすな……!」

 

 耐えかねて知らず口を動かしてしまっていた。

 目を開けてみれば、当然、そうさせたのだろう土師がそばで彼を見下ろし、満足げに肩をゆすって笑っている。

 

 「すまないね。だが、上司の前でふて寝を決め込むのはどうかと思うよ?」

 「気づいていたなら普通に起こせ。ったく、相変わらず出鱈目な事しやがって。一号指定二人を囮なんかに使うのはお前ぐらいだろ」

 

 半身だけ起こし、悪態交じりに“かっこう”は口走る。

 キミたち一号指定は特別である、と土師は常々語って来ていた。“かっこう”は一号指定にされた虫憑きすべてと顔見知りであるが、実際、尋常ではない手合いばかりだ。一号という称号それ自体が最強の証明であり、特別視される理由が十二分に理解できる程度にはあの虫憑きたちは“外れている”。だが、一号は特別である、と語っていた張本人が彼らをおまけのように扱うとは皮肉が効いているとしか思えない。

 しかし、悪態を受けた当の本人はご満悦な表情を返してくるだけだった。

 

 「お褒めに預かり光栄だな」

 「褒めてねぇよ。毎回のことだが、事前に作戦内容ぐらい教えておけ。対応するこっちは一苦労だ」

 「敵を騙すにはまず味方から、と言うやつさ。まあ、キミなら出来る、というボクからの細やかな信頼の証だと思ってほしいところではあるんだけどね」

 「そうかよ。で、結果はどうなったんだ」

 

 問題はそこである。

 いくら一号指定を囮にしていようが、対象をおびき寄せることに成功していようが目的を達成できていなければ意味はない。“影法師”の分身体が不自然に撤退したその理由。

 

 おそらく、戦闘の裏で本体を叩くための作戦を実行していたのだろう。どこに自由に動かせるような戦力があったのかは知らないが、あの退却があった以上別働隊と本体との接触があったと思って間違いないはずだ。

 

 「そうだな。まず“今回の”任務の結果だが、キミが此処に逃がした虫憑きは逃げ切られる前に欠落者にできたよ」

 「ってことは表向きの任務は完遂できたことになるな」

 

 これで、少しは肩の荷降りたといえるだろうか、と“かっこう”は思案する。

 一応、この任務は管轄外に逃亡“させた”虫憑きの捕獲。または処理が目的だったのだ。最低限、この任務ぐらいはしっかりこなしておかなければ別働隊が金星を挙げ損なっていた時の沽券に係わる。つまりは保険である。そして、それをこなせたと分かった今、別働隊の成否に関わらず責任をこうむらずにすんだことを意味している。

 だが、土師は“かっこう”の言葉に薄ら笑いを浮かべたまま肩をすくめて見せた。

 

 「正直、危なかったけどね。もう少し時間がかかっていれば“レイディー”が戻ってきてしまっていた。手負いとはいえ、いや、手負いだからこそ、ここのメンバーでは彼女の相手は荷が重い。保護対象を欠落者にされて、やけにならずにメンバーと一緒に引き上げてくれてのはありがたかったかな」

 「あのバカ女にも分別ってものがあったんだろ。それで、本当の目的の方は達成できたのか?」

 「ん?そうだね。もうすこしここで待っていればわかると思うよ。ま、つらいのなら先に引き上げてくれて構わないけどね」

 

 土師は思わせぶりに返答をぼかして返してくる。

 しかし、この男は“かっこう”がそれなりに重傷であるということを理解しておきながらいちいち癪に障る言い方をする。それも、彼がどんな反応をするかを見越しての上での発言であるのだからたちが悪い。げんなりとした面持ちで“かっこう”は土師を見やる。すると、土師は彼の内心を読み取ったかのように言葉を紡いだ。

 

 「心外だな。これでも、それなりに心配はしているんだけどね。その腕、軽く処置はしたようだけど、治癒能力者にみてもらった方がいいレベルでバキバキのようだし。“ねね”がいればよかったんだが」

 「残るさ。これだけ身体を張ったんだ、俺も成否は気になる」

 「強情だね。ま、成否はともかくとして、これからここに来るのはキミも知っている人物の筈だよ」

 

 再び意味深な調子で語った土師は、手近に横たわっている樹木の幹に腰掛けた。

 それを視界の縁に収めながら彼は思考を展開する。ここに来る人物は“かっこう”の知る人物であるということだったが、それは何者だろうか。

 

 すくなくとも、この作戦に関与できる土師の息のかかった東中央支部の虫憑きは“かっこう”だけだ。管轄外である以上過剰に戦力を送り込むことは喜ばれるものではない。故に彼以外のメンバーは支部に待機している筈である。したがって、別働隊は東中央支部以外に所属する虫憑きで、特環内でそれなりに自由に各管轄を行き来していても不自然にならない者ということになる。作戦が作戦なのでそれなりの戦闘能力も問われるだろう。となると、心当たりは一つくらいしかない。問題があるとするならば、“彼女”がかなり前から前線から遠のいているということだが。

 

 「ふむ、来たようだ」

 

 土師の声に思考を中断すると、“かっこう”は視線を上げる。そして、土師の視線をたどって目を動かしたその先に二つの人影を発見した。

 

 「あいつは……!」

 

 瓦礫を踏み越えて徐々に人影の内の一つの姿を鮮明にとらえた瞬間、それがあまりにも予想外の人物であったことに“かっこう”は目を見張る。土師は彼の様子に口端を吊り上げ立ち上がり、既に側にまで寄ってきていたその人物二人の前に歩み出ると仰々しく叩頭した。

 

 「さて、初めましてになるのかな? ボクが特別環境保全事務局、東中央支部支部長の土師圭吾だ。よろしく頼むよ、遠坂凛。そして衛宮士郎」

 




 問題持越しのこの顛末はどうにも後味が悪いですね。
とはいえ、落としたままでは終わらせないつもりです。
遅筆ながら頑張って書いていきます故、ご容赦ください。

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