Fate/Kaleid Schmetterling 作:ひでぶ
本当はsnアニメ放送と同時投下の予定でしたが、プリヤドライの熱い展開とzeroの一挙放送の波にやられてフライング投稿
プロローグ 蠢動
日の光など一切差し込むことのない、昏い昏い地の深く。偏執的なまでに入り組み、地盤に食い込んだ蟻塚の如き空間の最奥。そこには肌にまとわりつくような湿気が満ちており、鼻を突く腐りかけた土のような臭気が立ち込めていた。烟る空気はただひたすらに淀み、息を詰まらせるだけの、折り重なった澱の如き妄執を感じさせる。
―――がさがさ、と乾いた音がする。
虫と云うモノの多くは、とかく湿った場所、暗い場所、狭い場所を拠り所とする。黒い土の下、茂みの内側、大きな石の裏、家屋の屋根裏や床下。日の元を行く天敵に追い立てられたそれらは、怯え、隠れ潜むように暗中に犇いている。
いや、それとも単に環境に適合するという、狡猾でしぶとい、種としての自己保存能力の高さを表しているのかもしれない。そしてそれは知性を持ち、おおよそ虐げられる弱者とは呼べぬ超越者だとしても。蟲そのものになり果ててしまったその存在にも当てはまる事だった。
―――キシキシ、と錆びた鉄が擦れるような音がする。
故にこそ、その老魔術師、間桐臓硯にとってこの地中深くに根を張った施設の一室はおあつらえ向きの環境であった。特殊な鋼材で四方を固められた部屋は、ただ暗く、短小矮躯の老人に等しい臓硯ですら手を伸ばせば触れるほどに天井が低い。
出入口は南方に一つのみ。部屋の出入り口の両脇から柩のような桶がずらりと左右対称に立ち並び、真っ直ぐ伸びる通路を形作っていた。列中に隣り合う柩同士の間隔は人一人がかろうじて通り抜けられる程度のモノしかなく、その向こうにのぞく暗闇の中からぎらついた赤い光がいくつも輝いている。
―――にちゃにちゃ、とはしたない、湿った音がする。
柩の蓋の上部には明り取りのような窓が設けられており、そこから漏れる僅かな明かりがこの部屋唯一の光源である。そしてその柩で仕切られた通路の最奥。そこにこれまた両脇にあるモノとよく似た柩が孤立していた。
ただし、その柩の蓋にはおびただしいまでの真っ黒い小さな蟲がびっしりと取り付いており、それぞれが寄り集まっていくつもの文字列を形成していた。蟲達はぬめった口器を打ち鳴らし、関節を軋ませて隊列を組み替えるように蠢いていた。それに連動して、絶えずそれらが形作る文字の形が変わっていく。それは独立した呪文の詠唱だ。魔力を纏った蟲達に予め記憶させておいた動作を行わせることで、独りでに咒を刻む生体回路。
―――蟲が陰湿なリズムを刻むたびに、柩からくぐもった吐息が漏れてくる。
「……全く世話の焼ける孫だの、桜よ。消耗がすぎて自我を圧迫されるとは、未熟も未熟」
呆れる言葉とは対照的に、柩の前で悦に入った笑みを浮かべる臓硯。
その声にこたえるのは、柩の裡に収められた桜という少女の身悶える声のみだ。彼女は自らの”虫”が持つ“同化吸収”の能力によって、取り込んだ
まあ、それは無理からぬ事ではあるが。そもそも、桜の“虫”の能力は“同化吸収”などというモノではなかったのだから。元来あの力は、触れたモノの精神と自身の精神を混濁させ、汚染する程度の特殊能力に過ぎないことは分かっている。それがあれほどの異能へと昇華したのは、過去に臓硯が桜に施した細工の副産物だ。
霊長最高純度の魂を取り込み、貯蔵する黄金の杯。最早桜に埋め込まれ一体となっているその欠片に、心の形を顕す“虫”がその影響を強く受け、性質を変化させた結果である。これは臓硯の狙い通りであった。桜が“虫”を発現した際に臓硯は自身がどれほど狂喜乱舞したか分からない。それこそ彼が長年行ってきた“虫”に対する研究が結実した形だったのだから。
ともあれ、対象物に精神を流し込んで汚染するだけの能力は、対象物と精神を同期し一体化させて飲み干す力へと変貌した。同期の弊害として対象の魂と深く感応し合う事となり、逆に桜自身が精神汚染を受けるようにもなったが些末な事だ。むしろ扱いやすくなるという点から好都合ですらあった。
ヒトの機能など必要ではない。要は“不死”を受け入れられる器、彼のみに与えられる聖杯であればいいのだ。それがただ不死を実現するというだけの単一の機能しか持たぬ器であろうと、臓硯にとっては紛れもない聖杯である。それを作り出すためだけに、この数年間苦心してきたのだ。
奏でられ続けるどこか蠱惑的な苦悶の声に、さながら極上の器楽の演奏に聞き入るかのごとく臓硯は目を細める。
「……とはいえ、その未熟が色づくように見守るのも儂の務めじゃて。安心するがよい、熟れる前に腐れ落ちさせはせぬ」
ぐずぐずと膿んでいくような音を立てて臓硯は喉を震わせた。
一号指定、“かっこう”と“レイディー・バード”との会敵は想定外の珍客の介入によって決着を見る前に撤退することとなった。まあ、その結果事態に臓硯は不満を持ってはいない。もとよりあの時点で一号指定を吸収できるほどの強度がないことは理解していたからだ。もちろん、あわよくば取り込むことも視野には入れてはいたものの、その程度である。
アレはあくまでも試験運用の一環である。“不死”の因子を持つ一号指定。その真価を確かめるとともに、現在の能力強度の相対化を行うためにもあの戦闘は必要な物だった。邪魔こそ入ったが、最低限の戦闘データの収集と一号指定二名を直に目にすることは適った以上、あの場での目的は達成できているのである。
結論として、一号指定を取り込むために必要な能力強度に至る目算はついた。“不死”の真髄を実感できるまでに追い込みきれなかったことは悔いの残る結果となったが、直に目にしたことによって半ば確信を得ることが出来たのも確かである。一号指定を全て吸収した暁には、間違いなく“不死”へと到達できるであろうという確信が。五百余年、それを追い求めてきた臓硯にそう思わせるような呪いじみた何かを、あれらの“虫”は背負っている。
含み笑う臓硯の背後、部屋の出入口から硬い足音が響く。次いで、投げかけられる冷めた声。
「――随分と機嫌がよさそうですね、間桐臓硯」
「魅車か。何用じゃ、お主が自らここを尋ねてくるとは珍しいこともあるのう」
振り向くことなく臓硯は応じた。
声に呼応するように周囲の部屋の闇がざわめく。いくつもの獰猛な一対の紅い輝きが柩の隙間の奥や、天井の影で瞬いた。がさがさと家探しでもするような物音が走る。この部屋は魔術師間桐臓硯の工房だ。魔術師の居城の内部は、それこそ術者の体内に等しい。とするなら、幾多の蟲を固めて構成される臓硯の体内にあって、なお蠢く者達の正体など語るべくもないだろう。
それこそピラニアの水槽に放り込まれた血の滴る生肉と等しい状況にあっても、魅車は小揺るぎする様子もない。悠然と柔和な笑みを崩さずに室内に踏み入ってくる。
「いえ、単に”影法師”が特環内部でも手配されることになったと伝えに来ただけですよ」
「ふむ、成程な。流石に土師の小僧が出した報告書を無視するわけにもいかんか」
臓硯は気のない調子で問い返しながら、魅車ににじり寄ろうとするモノ達を、僅かに手を翳したのみで鎮めた。細波のように黒いそれらが引いていく中、臓硯より二間ほどの位置で立ち止まった魅車は頷く。
「そういうことになりますね。残念ですが、これからは外で接触した場合、容易に見逃す事は叶わないでしょう」
「まあ、今さらその程度は痛くもないわい。どの道、儂は桜の調整がある故しばらくは動けぬ」
「調整……。どうやら思わぬ事態に遭遇したようですね」
あの場でなにが起こったかなど、既に把握しているだろうに魅車は白々しく問いかけてくる。
「さして問題はありはせん。確かに手順は狂ったが、それだけのことじゃて」
「それなら構いませんが、もう一つ。あの二人は既に東中央に移転することになっています。以前、少々強引に東中央から上位局員を複数引き抜いたこと経緯から、土師圭吾の要請を撥ね退ける交渉材料に乏しかった。管轄外となった彼女たちを強引に押さえつける手段は失われたと見て良いでしょう」
「呵々ッ! 小賢しいのぉ……。土師の小僧め、遠坂の小娘と共謀して何を企んでおるかは知らんが、無駄な事よ」
愉しげに臓硯は肩を震わせる。
桜の精神状態は芳しくない。よしんばあの二人が桜を奪回したとしても、既に取り込んだ”虫”を吐き出させることなどできはしない。化学反応と同じだ。作用してしまえば後戻りなどできはしないのだ。そうである以上、リアルタイムで桜の状態を看ていた臓硯以外に桜に適切な処置を施せる人間は存在しえないと言える。
大体にして、いくら表面上とはいえ臓硯と桜は利害の一致で動いている。桜は自我を保ちながらより強力な獲物を取り込み高次の存在となり、姉に打ち勝つことを望み。臓硯は一号指定の吸収に協力し、自我を保たせることを約束した。その裏に、互いが何を画策しているかは問題ではない。この図式が崩れない限り、あの二人が桜を真に引き戻す事は叶わない。
桜の呻き声を聞きながら、声を低くして臓硯は続けた。
「そもそも、動けぬとはいえ儂がこのまま首を長くして奴らが体勢を整えるのを待つとでも思っておるのか?」
「どういう事です?」
「……何、桜の時と同じよ。少々、”欠片”の力を使うことにしたわい」
口端を吊り上げ、臓硯は嘯いた。
魅車は動じない。それどころか、益々その妖艶な笑みを深めるだけだ。
「アレを
「何、本質は違えどアレも生き物よ。”本体”ならばともかく”欠片”を御するくらいならばやれぬことでもない。儂の専門は元来ああいったモノを律する術にあるからの」
間桐臓硯の得意とする魔術は”束縛”と”吸収”。転じて、使い魔の使役や他者を律っすることにこそ、その実力を強く発揮するのだ。かの聖杯戦争のシステムの一環、最強のゴーストライナーたる
気分がいい所為か、臓硯の口をついてすらすらと言葉が流れる。
「それにの、アレと儂の嗜好はよく噛みあう。だからこそ、軽いとはいえ契約を交わせるのだ。儂は奴が好む獲物を見繕うだけでよい」
「つまり、あの二人が”彼”の眼鏡に敵うと?」
「正確には一人じゃがの。いや、あの手の夢想家が壊れていく様は胸に迫るモノがあるぞ? それにあの小僧は桜への供物とするには最上級の代物となるであろうからな」
まだ見ぬその時を思い浮かべ、臓硯は湧き上がる高揚にほくそ笑む。
高みを目指して羽ばたかんとする鳥の羽を捥ぎ、地に引きずりおろす時ほど心躍る光景もあるまい。また、その人物に焦がれていた者に堕ちた姿を見せつけてやることも抱腹ものだ。その成否はともかくとして、苦悩する様はいい酒のつまみとなるだろう。
それに、と臓硯は言葉を紡いだ。
「これから先、東は一号指定同士が頻繁にぶつかり合う場となろう? 荒れるのは必至よ。となれば、あてつけに引っ掻き回すのも一興」
「私は貴方の方針には口は出しません。貴方のおかげでこちらも随分捗っていますから」
哂う臓硯に魅車は緩く微笑みかけた。
臓硯は魔術的思考の仕方、視点の持ち方を教授しただけなのだがそれが彼女にとっては新たな視界をもたらしたようだ。以前から魔術を知らぬ人間とは思えぬほどに常軌を彼女の研究の在り方が先鋭化してきている様を彼も見ている。
踵を返して魅車は出入口に向かう。
「ともかく、私の要件は以上です。これからの健闘を祈りますよ、間桐臓硯」
「呵々っ。儂もお主の研究には期待しておるのだ。精進するがよい」
口端を吊り上げ、臓硯は囁いた。
暗い蟲の宴は続いていく。ただ貪欲に、貪るように。それを、膿が噴き出るような醜悪な声がいつまでも嗤っていた。
次話は10月4日に
そこからは毎週一話fate/snアニメと同じ間隔で投下していこうかと思ってます