Fate/Kaleid Schmetterling   作:ひでぶ

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第一話 新天地

 春。三月も半ばとなり、草葉が顔をのぞかせ、桜の花もほころぶ時分。

 肌を切り裂き、葉を吹き散らす厳しい木枯らしは既になりをひそめている。代わりに新たに産声をあげる命を祝福するかのごとく優しく撫ぜるような涼風がさわやかに朝の街を駆け巡っていた。

 

 空は快晴。降り注ぐ日差しもまた、洗礼のように。まさに絶好のロケーション。頭上いっぱいに吹き抜ける青空は、開放感を煽り立ててくる。

 

 老年期を終え、新たに新生したというべき四季の変遷は、何かを始めるにはもってこいである。そして、それは今、新天地に足を踏み入れた遠坂凛と衛宮士郎にも同じ事が言えた。

 

「っはあ、長かったわ。交通費けちってバスなんかで来るもんじゃないわね」

 

 停留所に降り立たった凛は、長い髪をそよがせながら目頭を押さえている。

 都合、六時間弱の長旅はそれなりに精神を削っていたらしい。だがまさか、開口一番にくる言葉がそれとは。全くもって、雰囲気が台無しである。凛に続いて新たな活動地となる桜架市に足を付けていた士郎は、僅かにわびしい気分になった。

 そんな士郎を流し目で見やると、凛は不機嫌そうにむくれる。

 

「なによ。元はと言えば、呼びつけておいて交通費を支給しないあいつらが悪いのよ」

「いや、何も言ってないじゃないか……」

 

 エスパーかお前、と士郎は口元をひきつらせた。すると、凛は小さく胸を張る。

 

「あんたの考えてることなんてお見通しよ。黙っていても顔に出るんだから。ホント、普段は仏頂面の癖に分かりやすいわね」

「む。悪かったな、仏頂面で」

 

 士郎としては普段そこまで硬い表情をしているつもりもないのだが、どうにも周囲にはそうは映らないらしい。こればかりはどうしようもない。改善しようとしているのにこの様であるのだから。とはいえ、最近はあまり意識して表情を緩めようとした覚えがほとんどない。例外を挙げれば穂群原学園の卒業式だが、それくらいだ。

 

 この数か月、桜や虫憑きの騒動に関わっていたが、ほとんどの問題が解決できていないことが原因だろう。始まりの三匹は影も形もつかめず、桜を連れ帰ることも叶わなかった。これで自分だけ幸せそうに笑っていろというのは無理な相談だ、と彼は思う。

 

 特に、凛から並行世界の“桜”が臓硯から受けた仕打ちを聞いてからは日々が無為に。それこそ、漫然とつけっぱなしにしたテレビが映し出す、褪せた映像の如く流れ去っていく現状に苛立ちすら覚えていた。とはいえあの作戦以降、桜に手がかりをなにもつかめておらず、一人で暴走して手探りのままに行動したところで意味もないことも百も承知だったのだが。

 

 しかし、それも終わりだ。今日からは確たる足場もって動き出すことが出来る。

 

 そんなことを耽耽と考え込む間に、既に凛は乗務員がバスから引っ張り出した大きなトランクを受け取っていた。軽い調子で士郎を促してくる。

 

「はいはい、悩むのはそこまで。予定もおしていることだし、さっさと行きましょう」

「ああ、そうだな」

 

 我に返った士郎は、同じように乗務員からバッグを二つ受け取る。一つは彼自身の大き目な旅行鞄、もう一つは凛の分を肩代わりしたものだ。両脇にそれらを抱えると、凛と足並みをそろえて歩き始める。

 

 街の雰囲気は冬木市の新都に近いだろうか。それなりに開発も進んでいるようで、駅周りには背の高い建物が競うようにしてそびえている。ロータリーも整然としており、シンプルでシックな調子の白いタイルの上を人々が軽やかに歩んでいく。

 

 駅を出て、平日にもかかわらずにぎやかに人の行き交う往来を二人は進む。手にした地図と写真を見比べながら、凛が懐疑的な声を上げる。

 

「さーて、用意された住居は写真詐欺とかじゃないわよね」

「そこは問題ないだろ。というよりも、交通費が出なかったのは遠坂が住居を簡易工房に改造したいからってごねて、アパートから広めの一軒家に変えてもらったからじゃないか。結構、融通聞かせてくれたと思うぞ?」

 

 写真を見た感じ、かなり格式高そうな洋館だったように士郎は感じていた。文句を言っては罰が当たる。

 彼の指摘に、凛はぐっと喉を詰まらせる。

 

「し、仕方ないでしょ。一時とはいえ定住するのよ? まともな防備や研究スペースも作れないところに済んでいられないっての」

 

 気炎を上げ、があーっと言い募る凛。

 まあ、その言い分は確かにもっともである。あるのだが、家賃を代わりに払ってもらう身の上であるのだから士郎としてはもう少し慎みを持ってほしかった。住居交渉時の凛の白熱ぶりときたら、あの土師圭吾が苦笑いを零す程であったのだ。

 凛は鼻を鳴らして、続ける。

 

「とにかく、魔術師として最低限の環境は確保したかったってコト。魔術関連の物品は業者に運ばせられないし、場所位は高望みしてもいいじゃない」

「そういえばそうだったな」

 

 今の凛は、彼女が手で引いてごろごろと転がしているトランクの内容量分しか魔術関連の物品を持っていない。いや、実際のところそれ以外のモノも詰まっているだろうから、トランクの極僅かなスペース分しか入れられなかったのではなかろうか。

 

 理由は彼女が述べた通りである。といっても、家具はある程度備え付けてあるそうなので、結局業者も使ってはいないが。しかし、そう言われると確かにそれくらいはいいのかもしれない、と士郎も思わないでもない。

 一人納得する士郎に、ものぐさに凛は目を細め、

 

「そういうコトよ」

 

 と、大儀そうに彼女は頷いた。

 

 

 しばらく歩いただろうか。メモした住所付近の地図を頼りにここまで来たが、随分と人もまばらになり、目を惹くような高層ビルはもう見当たらない。

 

 閑静な住宅街の中、坂道を上っていく。のどかである。道と家屋を仕切る塀の上で、のんきに猫が欠伸をしていたりする。坂道を吹き下ろしてくる風が心地いい。猫の気持ちも理解できる、と士郎はもらいかけた欠伸を噛み殺した。

 凛も空気に中てられたのか、間延びした声で尋ねてくる。

 

「ねえ、私達の家、ひょっとして結構校外なんじゃない?」

「あー、かもな。かなり大きいみたいだし、案外遠坂の家みたいに坂の上に……」

 

 そこまで言って、士郎は言葉を切り、立ち止まる。坂道を丁度登り切ったその時、それの姿が目に入ったからだ。

 どうやら、本当に坂道の上にあったようだ。凛に見せてもらった写真そのものである。

 

「へえ……。写真詐欺ではなかったみたいね。結構よさそうじゃない」

 

 黒い鉄柵状の門に、煉瓦を積み上げた洒落た雰囲気を醸し出す塀に囲まれたそれは、周囲の建物とは一線を画す格式高い洋館であった。よくもまあ、こんな物件を無償で貸出してくれると土師もいった物だ。絶対に何か曰くがあるに違いない、と士郎は確信めいたもの抱いて洋館を見やる。

 だが、凛はそんな士郎にはお構いなしで進んでいくと、躊躇なく門に手をかけて押し開けた。

 

「なっ、ちょっ、遠坂……!」

 

 慌てて士郎はその後に続く。凛の横に並んで歩を進めながら、士郎はあたりをつぶさに観察する。

 門を越えたその先には、白煉瓦で作られた道が真っ直ぐ洋館にまで延びており、その両脇に、一定の間隔をあけて行儀よく広葉樹が植えられている。

 

 道の向こうに見える洋館もまた、美しい左右対称の姿をとっており、これぞ均整のとれた建築と言わんばかりである。

 それらを目にしてさらに、士郎は疑惑を抱く。

 

「なあ、この洋館。絶対曰くつきだぞ。でないと借りられるわけない」

「そりゃそうでしょ。むしろ上等、何の問題もないわ」

 

 さらりと、なんだ、そんなコト、といった具合に言い放つ。

 そのあまりに涼しげな対応に、士郎は面喰う。

 

「いや、上等って……」

「幽霊やらなんやらなんて、魔術師にはそれなりに近しい存在でしょ。時計塔には降霊科だってあるし。サーヴァントだってそうだったんだから。っていうかね、霊が集まるってことはそれなりに霊脈に近い、魔術を行使するに適した土地ってことなのよ」

 

 確かに、そう言われればそうかもしれない。

 だが、そういった理屈と心情と言うモノはまた別であるんじゃなかろうか。殺人事件で恨みたっぷりの洋館など、心休めて眠れるものではない。

 そこではた、と士郎は思い至る。

 

「ってことはお前」

「ええ、そういうのも狙って交渉してた訳。悪霊とか地縛霊なんて物の数でもないし、霊地をとれるなら軽いモノよ」

 

 やはりそうか、と士郎は肩を落とす。

 しかしまあ、凛ならば雑霊程度はあっさり立ち退きさせてしまうことは簡単に想像がつく。哀れ、この恨み晴らさでおくべきか、と嘆きながら夜逃げしていく亡霊たちを彼は幻視した。

 

「……オーケー。悪霊退散のために一成でも呼んでくるか」

 

 卒業し、めでたく実家で仏道に帰依することとなった友人の顔を思い起こす。

 ここの霊たちも凛に追い払われるよりは、お経で成仏したがるに違いない。

 

「ちょっと、柳洞君なんか呼ばなくても、私がやるってば」

「いや、軽い冗談だよ」

 

 そう返しつつ、士郎は心の内で南無、と洋館の怨霊たちに手を合わせた。

 

 

 洋館内は予想したよりも綺麗なモノであった。いやまあ、内部が荒れ果てたままならば、他人に貸し出されることもないだろうが。

 

 全体の構造としては東西に長い凸型二階建ての建物で、奥に大きく張り出した中央棟を中心に東西に別棟が伸びている。中央棟の玄関ホールは二回まで吹き抜けで、両側の壁に沿って階段が二階奥の踊り場まで続いている。玄関ホール一階の中央奥の扉の向こうは厨房兼食堂で、二階はリビングダイニングのスペースになっていた。東棟には水回りの部屋と、使用人のものと思わしき部屋がいくつか。西棟には客間や寝室が集まっている。また、玄関ホールの下には地下室すらあった。

 

 しかし、一応綺麗に掃除はされているとはいえやはり“居る”ことには居るようで、荷物を軽く整理したのちに簡易的な防備と除霊の結界が地下に敷設された。

 

「さて、こんなところかな」

 

 玄関ロビーの中央で、作業を終えた凛が士郎に背を向け伸び上がって身体をほぐしている。

 

 持ち込んだモノは手荷物のみだったため、特段重いものを運ぶこともなく、移動させたわけでもなく、結界の敷設の際も魔法陣を書かされたくらいで特に何もしていない。というより、出来なかった士郎はどこか自分が情けなくなる。

 

 魔術師として、凛と士郎では天と地ほども開きがあることは彼とて十分承知している。とはいえ、男としての心情はなかなかどうして物わかりが良くないものだ。と、士郎は嘆息する。

 凛は肩ごしに士郎に振り返り、切り出した。

 

「ま、あらかたここでの仕事は片付いたことだし、仕事場にあいさつに向かいましょうか」

「分かった」

 

 頷いた士郎は、再び思考する。

 仕事場、とは今月から士郎と凛が所属することになった特環の東中央支部のことだ。

 支部長の土師圭吾から、落ち着いたら顔を出すように指示されているのである。これがこれまでとの違い。確たる特環の一局員として指示を下される立場となったことの表れである。しかしながら、ソレに対して疑問に思うことは当然ある。

 

「土師圭吾、雑務とか言っていたけど、具体的には俺たちに何をやらせたがってるんだろうな」

「それを含めて、支部でまとめて話すんでしょうね。ま、行ってみてのお楽しみってやつよ」

 

 お楽しみ、とは言うが凛本人の声は全く楽しそうではない。

 むしろ、臨戦状態。殺伐とした様子である。まあ士郎とて、あの男との話し合いの席が楽しくなる、などとは毛ほども感じてはいないが。

 

「じゃ、行きましょうか」

 

 ものぐさな表情で告げ、凛は特環の装備が入っているだろう手荷物を片手に玄関口に向かい先だって歩き出す。

 士郎もまた気乗りしない心地を抱え、重い歩調でそれに続いた。

 

 

 例の如く表向きに偽装された事務所の内部からエレベーターで地下に下り、士郎と凛は支部の内部に踏み込んだ。

 

 内心懸念していた、エレベーターが急降下する、といったこともなくその時、密かに士郎は胸を撫で下ろす。

 電子音で到着を告げ、重苦しく開いていくエレベータの扉の向こうには、退屈そうな表情で彼らを出迎える人物がいた。

 

 黒い外套、黒いブーツ、黒いゴーグルを身につけ、黒髪をツインテールに結い上げた少女だ。年のころは士郎たちより二つほど年下だろうか。全身黒ずくめのその格好は改めてみなくとも胡散臭さ満点である。しかし、彼女なりの抵抗なのか、外套の前を空け、大胆なキャミソールとミニスカートをのぞかせている。

 

「ふーん、アナタ達が土師さんが呼んだっていう新人君たちか」

 

 透き通るようなソプラノの声。可憐さと素直さを思わせる声色だが、それに反して少女は品定めをするようにじろじろとエレベーターから降りた凛と士郎を交互に見比べる。いや、初対面の人間に対してここまで露骨な態度をとれるのはある意味素直さの表れか。

 あっけにとられる士郎を余所に、少女の態度をさして気にした風でもなく凛が尋ねる。

 

「そうよ。今日からここに配属されることになった、“紅紋”とその協力者。貴女は?」

「アタシ? アタシは東中央支部、“戦闘班”所属の火種五号指定、“みんみん”よ。ヨロシク」

 

 薄笑いを浮かべ、“みんみん”は会釈する。ツインテールがそれに合わせて跳ねた。

 しかしこの少女、線が細く、浮ついた雰囲気を醸し出しているが、五号指定となればかなりの実力者と言える。おそらくはこの支部の主力の一人なのだろう。

 人は見かけによらない、とはよく言ったものだと感心しつつ士郎も合わせて軽く頭を下げた。

 

「ああ、よろしく頼む。俺は衛宮士郎だ」

「? あ、そっか。アナタは虫憑きじゃないんだっけ。物好きよね、彼女に付き合ってきたの?」

 

 “みんみん”声の縁から興味が滲んでいる。

 返答としてはイエスなのだが、“彼女”という表現をどうとっていい士郎は悩む。“みんみん”の言い方は、明らかに三人称としての彼女ではなく、恋人としての彼女という用法を含んでいるからだ。

 

 確かに、“遠坂凛”は衛宮士郎の彼女と言える存在だが、今の凛は別人である。いや、体は“凛”なのだが、中身が違うというか。実にややこしい。

 答えをひねり出そうとする士郎を見かねたのか、凛が先に応対してしまった。

 

「そ。彼、お人よしだから。わざわざ私に付き合ってきたワケ」

「へえ、うらやましいわ。彼女が虫憑きだと分かっても付き合ってくれて、しかも一緒にこんなところまで来てくれるなんて。でも、お人よしっていうか、むしろ馬鹿ね、彼」

「ええ、全くよ。馬鹿。いいえ、大馬鹿よ」

 

 うんうん、と共感するようにしみじみと凛は頷いている。

 普通ならそこは否定してくれるとこなんじゃないだろうか、と士郎は口元をひきつらせた。“みんみん”はにやにやと彼を見やる。

 

「よく彼女さんに分かってもらってるのね。でもよかった、“紅紋”さんが楽しい人で。この支部、真面目な子ばかりで退屈してたんだー。これから楽しくなりそうで少しうれしいかな」

「そう、ご期待に添えれると良いんだけど。ところで貴女、ここにおしゃべりしに来たって訳じゃないんでしょ?」

 

 凛の言葉に、“みんみん”はあっと口元を抑える。

 

「そうだった。土師さんに二人を案内してきなさい、って言われてたんだった」

 

 悪戯っぽく舌をだす“みんみん”。

 どうやら、彼女が土師圭吾の部屋までの案内人らしい。

 軽やかな動作で彼女は背を向け、ちら、と士郎たちに視線を寄越す。

 

「じゃあ、土師さんのお部屋まで案内するわ。ちゃんと着いてきて」

 

 軽い調子で告げた“みんみん”は先導して歩き出す。それに続く士郎と凛。

 前を行く“みんみん”の弾むような足取りに合わせて、ツインテールが揺れている。ただ、上司の部屋に案内するというだけなのに、随分と浮かれているように士郎は感じた。

 

 どうにもお調子者の毛がある。実に感情豊かだが、彼には感情に真っ直ぐすぎるようにも見受けられた。特環の局員でこういったタイプを見るのは初めてである。とはいえ、“みんみん”も本来なら女子高生くらいの年ごろなのだろうから、それくらいが普通なのかもしれないが。

 

 そうして、中央本部、南中央支部と同じく、目に悪い白さで囲まれた迷路じみた通路を抜けた先。道中に目にした金属製のモノとは異なり、上質な木材を用いて作られているだろう扉が現れた。

 

 扉の前にたどり着いた“みんみん”は、いそいそと髪を撫でつけ、咳払いなんかしている。服の皺を伸ばしたりもしているし、まるで逢引に向かう少女のようだ。まさか、と考えて、土師圭吾の皮肉気な笑みを思い返す。瞬間、士郎は内心ありえないとかぶりを振った。

 

 あの男は容姿自体は整ってはいるが、恋愛対象にするには完全に失敗なタイプの男ではあるまいか。おおよそ、信頼とか愛とかそう言ったモノからは程遠いという印象を士郎は土師圭吾に対して持っているのだが。

 

 とはいえ、そんなものはあくまでも士郎の希望的観測である。正に乙女回路前回と言った様子で頬を上気させた“みんみん”は、自身の身だしなみに満足が行ったのか軽やかに扉をノックする。

 

「支部長、“紅紋”とその協力者をお連れしました」

 

 その声に、先ほどまでのお調子者の雰囲気は欠片もない。聴いている方の身も引き締まるような、良く通る凛とした声色だった。

 一拍置いて、それとはまったく対照的な、緊張感のまるでない男の声が返ってくる。

 

「ああ、空いているよ。入ってかまわない」

「はーい」

 

 声の主に合わせたのか。一転、間延びした調子で応じた“みんみん”は扉を引きあけ、ヘナの中に入っていく。

 凛がそれに続き、一瞬ためらっていた士郎も後を追う。

 

「――さて、よく来てくれたね。東中央支部はキミたちを歓迎するよ」

 

 部屋に足を踏み入れた凛と士郎に、部屋の最奥。執務机の向こう側で立ち上がり、その男、土師圭吾は芝居がかった動作で両手を広げて軽薄な笑みを浮かべた。

 いつの間にやら、“みんみん”はその傍らに秘書のように付き従っている。熱っぽい目で土師を見つめるその姿からして、士郎たちのことは既に眼中にないらしい。

 凛が鼻を鳴らして土師を見据える。

 

「それはどうも。歓迎されるのは光栄だわ。でも、今日は世間話をするために呼び出したわけではないでしょ」

「性急だな。いやはや、全く“かっこう”といい、キミと言いなんでこう堪え性がないんだろうね」

 

 小さく首を竦め、土師がぼやいた。

 すると、倦怠感に満ちた、ひどく緩慢な動きで執務机を避け、彼は歩み寄ってくる。

 それは部屋の中央に置かれた木質の机。それを手前と奥で挟んだ黒いソファ、その奥側の側で停止した。

 

「立ち話もなんだ。キミたちも掛けたらいい。この通り、コーヒーの一つも出せないがね」

 

 士郎たちにとって手前のソファを示し、土師は奥のソファの中央に腰掛けた。

 

「じゃあ、遠慮なく」

 

 全く憚ることもなく、さらりと頷いた凛がソファに歩を進めた。

 何と言うか、流石である。既にどっしりと腰を落ち着けている凛の姿に、士郎は半ば感心しながらソファに歩み寄り、腰を下ろした。

 

「さて、案内ご苦労だったね“みんみん”。すまないが、ここからは三人で話したい。彼女たちの個人的な部分にも関することだから、退室してくれるとありがたい」

 

 座ることなく、ソファの側に控えていた“みんみん”に、土師はすまなそうに命じた。

 “みんみん”は、一瞬不満そうに眉根を寄せたものの、しぶしぶと言った様子で頷いた。

 

「じゃあ、また何かあったら言ってくださいね。土師さん」

「ああ、頼りにしている」

 

 土師の返事に満足したのか。“みんみん”は士郎と凛を軽く一瞥して、部屋から退出した。

 その様子を胡乱気な目で眺めていた凛が、冷めた声で問いかける。

 

「随分、好かれているみたいね。あの娘に」

「ふむ、そのようだな。いや、いい部下を持ったものだよ」

 

 果報者だね、などと付け加える土師。

 実にふてぶてしい男である。確実に“みんみん”の好意を知っていながらも、それを利用しているとしか思えない。

 そこまでくるといっそ清々しい有り様に、凛が呆れた様子で言う。

 

「貴方ね、いつか地獄に落ちるわよ」

「別にかまわないさ。地獄に落ちるのが怖いからと手段を選んで目的を果たせないなんてことがあったら、死んでも死にきれないからね。地獄から化けて出てくるだろう。まあ、こんなことは地獄なんてものが本当にあれば、という話だが」

「そ。化けて出てこられるのは勘弁だから貴方はそのまま地獄に落ちなさい」

 

 辛辣に言い放つ凛。

 しかし、まるで答えたようすもなく土師は愉しげに喉を鳴らす。

 

「そうさせてもらおう。ボクも、未練は残したくない口でね。やれることはやってから消えるつもりだよ」

「……なあ、世間話はしないんじゃなかったのか?」

 

 このままでは延々と互いに皮肉りあっていそうな状況を見かねて、士郎は割って入った。

 土師はどこか意外そうに眉を上げ、視線を彼に移す。

 

「いや、すまない。どうにも遊びのないだけの話は退屈でね。すこし興が乗ってしまった」

「……別にそれは構わないけどさ。そんなに俺が喋ったのが変か?」

「見たところ、キミは交渉事とかそういった事には不向きに見えるからね。この前も、ボクの相手はほとんど彼女が務めていたし」

「否定はしない。今回も多分そうなるだろうし」

 

 士郎はそこまで言って、なんとなく、素直に認めるのが癪になった。

 だから、少し彼は言葉を付け加えることにする。

 

「それでも、おかしいと思った事はきちんと言うぞ」

「それは結構。疑問はしっかりぶつけてくれた方がお互いのためだ」

「話はまとまった? なら本題に入りましょうか」

 

 落としどころが見つかったと判断したのだろう、凛が切り出した。

 再び凛に視線を戻した土師が、ゆったりと足を組んでそれに応じる。

 

「いいだろう。なら大まかなキミたちの役割について確認しようか」

「ま、妥当なところよね。で、私たちは何をさせられる訳?」

「まあ、急かさないでくれ。それを説明するにあたってまず、キミたちに伝えておく次項がある」

「伝えておきたいこと?」

 

 眉を顰めて問うた凛に、土師は薄笑いを深めた。

 

「その通り。なに、キミたちにとっても重要な事だよ。そう、間桐桜のことだ」

「なるほどね。いいわ、聞きましょう」

 

 あからさまに、また余計な話をするのか、と敬遠していた凛の口調が和らぐ。

 余分な話どころか、士郎と凛にとっては核心に近い話題なのだ。邪険にあしらうことなどできはしない。最も、あの憎たらしい表情からしてそんなことは土師も理解の上なのだろうが。

 

「それは結構。では結論から言おう。あの作戦以降、間桐桜こと“影法師”はまるきり目撃されていない。ボクたちが報告書を提出し、その実態を明らかにしてからは特環全体が“影法師”を警戒せざるを得ない状況になった。それを受けて、先のように目立つ大規模な行動は控えているのだろうね」

「……当然と言えば当然か。で? ほとぼりが冷めるまでは静観を決め込んでくる、と貴方は考えている訳?」

「ボクの考えとしてはそうなるかな。無論、水面下での活動は続けているのだろうが、それだけだろう。もし彼女が動くのならばそれは、」

「自身の目的を達成できると判断したときのみ、って言いたいんでしょ。臓硯が考えそうな筋書ね」

 

 後の言葉は聞くまでもない、とばかりに土師の後を引き取って、憎々しげに凛が吐き捨てた。

 たしかにその言い分は、あの臓硯ならばそうさせるだろう、とは思わせる説得力がある。

 

 なにがおかしいのか。土師は悦に入った様子で凛を眺め、したり顔で頷いた。

 

「思った通り、キミはよく頭が切れるようだ。そう、彼らが次動くとするならそれは前回よりも確実な“不死”を吸収できる機会が訪れた時、ということになる」

「前回よりも確実な? “かっこう”と“レイディー”が互いに満身創痍の状態になっている時以上に確実な状況があるっていうの?」

「答えはイエス、だ。といっても、そんな状況が出来るのは当分先の話だろうがね」

 

 皮肉気に口元を歪め、土師は嘯く。

 どうにも胡散臭い。また胎の内でよからぬことを企んでいるようだ。と言っても、聞いたところで煙に巻かれるのがオチだろう、と士郎はあたりをつけた。

 

 そのあたり、凛も理解しているようだ。憮然とした様子で彼女は切り返している。

 

「どうせ、まともに返答してこないだろうから詳しいことは訊かないわ。めんどくさいし。で、結局桜がおとなしくしている間、私達に何をさせたいの?」

「そうだな、別に特段何のこともない話だよ」

 

 そこで言葉を切ると、間を置くように土師は足を組み替えた。

 ツタが絡まっていくかのような緩慢な動作は、どうにも座りの悪い心地を抱かせる。狙ってやっているとしたら実に性質が悪い。やけに長く感じられたその動作を終え、土師はおもむろに口火を切った。

 

「初めの内は、任務に直接かかわることはないだろう。まずは環境に慣れてもらう。訓練にも参加してはもらうが、それ以外は今まで通り魔術師サイドと接触していてくれればいい。事細かに報告する必要はないよ。異常があった時だけ報告してくれ」

 

 やはり、魔術師側の動きを見るのは土師にとっても重要なことのようだ。外部組織の介入は好ましくない、という言葉は真実なのだろう。ただ、初めの内は、ということから士郎と凛もやがて特環の任務に関わることになるのだろうか。

 当然、凛がそこに突っ込まない訳もなく、

 

「初めの内は、ね。じゃあ、慣れた後は?」

「察しの通り、任についてもらうことになるな。最近、ウチから強力な局員が三人も引き抜かれてね。前も言ったが、新人を遊ばせていては示しがつかないんだよ」

 

 そう言って、土師は大仰に嘆息してみせる。

 別段、士郎と凛とて魔術師側と接触するという仕事をしているのだから遊んでいる訳ではない。ただ、土師が言いたいのはそういうコトではないのだろう。

 それを察したのか、凛がつまらなそうに口走る。

 

「要するに、周りに分かる形で働けってことね。で、戦闘班、監視班どれに所属する訳?」

「おそらく、戦闘班だろうね。これは決してキミたちにも悪い経験にはならないと思うよ。戦闘訓練もそうだが、虫憑きとの実戦を行って経験を積んでおくにこしたことはないだろう? 給料だって出る。ムキになって拒むほどでもないだろう」

「……まあ、それもそうね」

 

 凛が苦い顔をしつつも同意を示す。

 事実、士郎と凛は虫憑きとの実戦経験と言うモノが大きく欠落している。平行世界から来た凛はもとより、士郎とて桜の捜索は身を隠しながらの行動ばかりであった。そのため知識ばかりで経験が追いついていない。

 

 直接体験することと、伝聞とでは経験の濃度が違う。ここから先、付け焼刃の知識だけでやって行けるかと言うとはなはだ疑問ではあった。だからこそ、戦闘訓練や実戦自体は望むところではあるのだ。

 ただ、と脳裏をかすめた疑問を士郎は口にした。

 

「……その実戦の相手っていうのは、どんな相手なんだ?」

「どんな? 特環の任務で相手にするものは当然、虫憑き以外にないのだが」

 

 一度言葉を切った土師は、その底の見えない暗い穴のような目で士郎を覗き込んだ。

 

「どうやら、そういう返答を求めている訳でもないようだ」

 

 どくん、と心音が大きくなる。

 濁り切っていながら、こちらの奥底まで見透かすような。

 いや、飲み込んでくるようなその視線にたじろぎながらも、士郎は目を逸らすことなく言葉を紡いだ。

 

「……俺が聞きたいのは、相手の事情だよ。ただ虫憑きにされて途方に暮れている人を叩きに行くのか、他の組織に入って戦う覚悟を決めている奴と戦うのか。それが知りたい」

「当然、必要があればともに叩く。相手の事情など知った事ではないな。能力を制御できずに暴れていようが、制御して隠れ住んでいようが。野放しになっている虫憑きと言う存在はそれだけで危険な存在だ。どれだけ抑えようと、いずれ成虫化し制御を離れることも考えられるのだからね。下手に表ざたになるような暴走をされて、魔術協会や教会に介入されるのはキミたちも望むところではないはずだ」

 

 そこに一片の迷いも揺らぎもなく、土師は言い切った。

 士郎は唇を噛み締める。そうだ。特環と言う組織と言うモノはそういう所なのだ。虫憑きを管理、捕獲するだけの政府機関。慈善団体などでは断じてない。

 

 “凛”はそれが何であれ、今の虫憑きには秩序と言う物が必要だ、と言っていた覚えがある。だが、士郎にはどうにもそのあたりが我慢できない。戦う覚悟もない、被害者のような彼らを一方的に排除する方針は認めたくなかった。

 だが、うつむく士郎に土師はさらに続けた。

 

「キミは、特環に入るということがそういうコトだと理解していたんだろう? それとも、ただ魔術師とのパイプとして入るだけでいいと言われたから渋々了承していただけ、という口なのかい?」

「それ、は」

 

 言葉に詰まる。

 そう、理解はしていた。

 ただそれを、桜助けるという目標で誤魔化して。

 魅車の拘束の緩い条件に甘えて、答えを先延ばしにしていただけ。

 衛宮士郎は、助けを求めている虫憑き(ひがいしゃ)を斬り捨てるのか、ということの答えを。そして今、そのツケを支払わされている。

 

「そうかもしれない。確かに俺はアンタたちの方針が好きじゃない。答えを先延ばしにしてきたことも認める。だから今の内に言っておくぞ。ただ虫憑きだからこれを討つ、なんてことを俺は認めない」

 

 意を決して士郎は言い放った。

 隣で凛が目頭を押さえているのが分かったが、これは彼にとっては絶対に引けない。引いてはいけないポイントなのだ。これで、ひょっとしたら今回の協力関係は破談になるかもしれない。だが、最悪それでもいい、とすら彼は思っていた。

 

 確かに、虫憑きは放置していては危険な存在なのかもしれない。いつかは、周囲を脅かす者に変貌してしまうかもしれない。それでも、いつかそうなる可能性を持っている、と言うだけで管理下にない虫憑きを悉く打ち倒すなんて言うのは違うと思うのだ。

 

 室内に沈黙が降りる。

 土師は何も言わない。ただ、挑むように彼を見据える士郎のことを、冷厳な表情で見返すのみだ。

 決して、視線をそらさない。声も上げない。先に動いたら負けである、と感じていたのか。士郎はただ、返答を待ち続ける。

 

 そのいつ終わるともしれない静寂を破ったのは、土師自身であった。

 

「強情な事だ。その考えは甘えだと、自身では理解しているだろうに梃子でも動きそうにないな」

 

 何がおかしいのか、うつむき、肩を揺すらせて土師は笑う。長い髪に隠れて、表情はうかがい知れない。

 だが笑いを収めた土師が再度、つと士郎に向けたその目は全く笑っていなかった。

 

「虫憑きはただの被害者なんかじゃない。アレは被害者になると同時に当事者。加害者になる可能性を多大に内包している。キミが言っているのは、その芽が育つのを庭に植え、庭師を着けて管理するでもなく、野放しにして放置するということだ。そんなことでは、この日本は容易く自壊する。面白いのはキミ自身がそれを理解した上で言っているということなんだよ。こんな倒錯した思想を持った人間が存在するとはね」

 

 目を細め、顕微鏡で微生物の挙動を観察するような無機質な視線で士郎を捕える土師。

 士郎のどんな表情の変化も、感情の機敏すらも見逃すまいとする好奇の色がにじみ出る。そこで、彼は思ったのだ。この男は試している。衛宮士郎と言う人間が観察するに足る物であるのかを見定めようとしている。

 

 もしその価値が彼にないと判断されれば、この会談はその時点で終了するだろう。

 

「なんとでも言えばいい。それと、別に虫憑きを放置する、だなんて言った覚えはないぞ」

「――ほう。なら、キミは一体どうするのか、と言うところをお聞かせ願いたいな」

「相手が戦う覚悟を持ってる奴なら、こっちだって躊躇はしない。自ら望んで渦中に入ったんだ。相手だってその覚悟はあるだろう。それに、倒すだけが選択肢じゃないはずだ。捕獲だっていいだろう。問題は、取り返しがつかなくなった虫憑きだ。“虫”を制御できずに暴走させているとか、そういう奴が相手なら、」

 

 その先の言葉を士郎が発する前に、まるで読んでいたかのように土師が後を引き取った。

 

「――仕方がない、かい? これはまた面白いな。自ら戦う覚悟のない相手は見逃したい、と言う癖に“虫”を暴走させた虫憑きは斃すのか。好きで己の“虫”を暴走させる虫憑きなどと言うモノは稀だとおもうがね」

「そ、れは…」

 

 二の句が継げず、士郎は押し黙った。

 土師の言う通りだろう。いくら戦いたくなかろうと、“虫”が自身の制御下から離れてしまった虫憑きとているはずだ。そういう虫憑きは、どうしようもない。本人の意思など無関係だ。ただ、周囲に被害を撒き散らす存在と化してしまう。

 

 それを、果たして衛宮士郎は討てるのか。虫憑き自身は助けを求めているのに、“虫”が暴れているからと言う理由で宿主までも終わらせるのか。それは本当に、“正義の味方”のすることなのだろうか。

 

 かつて士郎の養父が言っていた。

 誰かを救うということはね、誰かを助けないということなんだ。正義の味方が助けられるのはね、正義の味方が助けたモノだけなんだよ。当たり前のことだけど、これが正義の味方の定義なんだ、と。

 

 赤い外套の騎士が言っていた。

 正義の味方など、起きたことを都合よく片づけるだけの掃除屋だ、と。

 

 そんなことはとうの昔に分かっている。

 それでも。

 それでも、その上で助けたいと願う心は。

 決して、間違いではないと張り通したのである。

 なら、

 

「助けて見せるさ。落ち着かせてから、捕獲する。これなら文句はないはずだ」

 

 その返答に何を思ったのか。

 土師は満足げに頷いて見せた。

 

「なるほど。それが本当にできるなら、及第点かもしれないな。ただ、特環には無駄飯ぐらいを置いておく余裕はなくてね。弱いものは処理する、が鉄則なんだよ」

「そんなことが……!」

 

 士郎は思わず声を荒げて食って掛かる。

 だが、土師は薄笑いを浮かべながらそれを制した。

 

「だから、条件をつけよう。早いモノ勝ちの理論さ。キミがいち早くその虫憑きを捕獲できれば、その時はボクも潔く受け入れを認めよう。どうだい、これは此方としてはかなり譲歩しているんだが」

「うっわ、性格悪いわね、アンタ」

 

 凛が嫌悪感たっぷりに吐き捨てる。

 これは挑発だ。おそらく土師圭吾は士郎が他の局員より先に虫憑きを確保できるとは思っていまい。つまり、やれるものならやってみろ、とそう言っているのだ。

 ここまで言われて引き下がるのは癪に障る。

 

 売り言葉に買い言葉。気づけば感情のままに啖呵を切っていた。

 

「いいぜ、やってやろうじゃないか。その言葉を忘れるなよ、土師圭吾」

 

 同時に、彼の隣にいる凛が盛大なため息を吐き出していたが、もう遅い。

 我が意得たりとばかりに悪趣味な笑みを貼り付け、土師は首肯した。

 

「契約成立だな。ああ、この条件には凛君は含まれないから彼女を頼るのはなしだよ」

「分かってるさ。遠坂を俺の都合で巻き込んだりしない。これは俺自身の問題だからな」

 

 これは衛宮士郎に与えられた命題だ。

 他人に縋って答えを得るモノじゃない。そう、彼は最後まで張り通すと。既にあの戦いで決めているのだから。

 

「あのねえ、人を無視してどんどん話進めてくれちゃって。アンタが契約しちゃったら、私だってもうそうする他ないでしょ」

 

 もはやどうにでもなれ、と言うように投げやりな調子で凛は言った。

 思えば、この会談は始終凛と土師圭吾が話し合って進むものだと思っていたのだが、その実ほとんど彼と土師が仕切っていた。いや、これはうまい事土師圭吾に乗せられてしまったのだろうか。

 そのこと自体は申し訳なないと士郎も考えている。だが、どうしても引けなかったのだ。

 

「すまない。だけど、遠坂まで付き合うことはないぞ。遠坂は遠坂でしっかり考えて決めればいい」

「だから、アンタが契約した時点で考える余地がなくなったっての。大体、アンタをほっぽってったら”私”が私を許さないでしょ」

 

 私だって胸糞が悪いわ、と凛は小さく付け加えてくる。

 そうだった。遠坂凛とはこういう人物である。それは平行世界の別人だろうと変わらない。本当に魔術師としてはあり得ないぐらいに面倒見のいい少女なのだ。

 

 なぜだか満ち足りた感覚になるのを覚えながら、凛を見つめて士郎は頬を緩めた。

 

「そうか。なら、ありがとう。ここで謝るのもなんかおかしいからこう言っとくぞ」

「……別に。元々内容がどうあれ乗るつもりではあったからいいわよ」

 

 むくれた様子で視線を逸らす凛。

 若干耳が赤いが気のせいだろう。

 

「やれやれ、仲がよろしくて結構なことだ」

 

 意地悪く口角を吊り上げた土師に、士郎は自身の中に満ちていた幸福感が霧散するのを感じた。

 一体どうやって育ったら、ここまで殴りつけたくなるほど嫌味な笑み作れるものなのだろうか。

 

「俺と遠坂の仲が良かろうが悪かろうがお前には関係ないだろ」

「そうか、これは失礼した」

 

 口では謝っておきながらも、その笑みは深まるばかりである。

 まるでこちらをからかうチェシャ猫のそれだ。

 このまま相手をしていてはらちが明かない、と士郎は常々感じていた疑問をぶつけることにした。

 

「さっき散々質問してくれたお礼だ。俺も少し質問したいことがある。お前たち特環は虫憑きが氾濫することを恐れているし、防ごうとしている。でも、そのためにまずやらないといけないことを放置して、虫憑き同士で争っているのはおかしいんじゃないのか」

「まずやらなければいけないこと? ふむ、それはなんだい?」

「”始まりの三匹”だよ。虫憑きが氾濫することを恐れているのなら、まずはその元を断つべきなんじゃないのか」

 

 これが、士郎が特環に対して抱いてきた嫌疑の要因でもある。

 特別環境保全事務局は、虫憑きが管理しきれない事を恐れていながら、それを産み出す”始まりの三匹”に対して特に手を打っているという様子もなければ、話を聞いたこともない。

 

 やっていることは生まれた虫憑きに対する事後処理だけ。土師圭吾は、今後虫憑きが暴走する可能性があるから早いうちに芽を摘んでおくべきだ、と言った。だが、その効率を重視する考え方ならまずは虫憑きを産み出させない方向に向かうべきだろう。

 

 剣呑な士郎に目に晒された土師はしかし、なんだ、そんなことか、と億劫そうに切って捨てた。

 

「いいかい。初めに断わっておくけど、ボクの目的は初めから”始まりの三匹”の討伐だよ」

 

 何を分かり切ったことを、と言うように土師は肩をすくめた。

 予想外の返答に士郎が言葉を返せずにいると、土師は言い聞かせるように言葉を滑らせていく。

 

「特環は一枚岩じゃない。各支部の支部長ごとに方針は異なる。今の利権が守れればいいという者、上から命じられたことを成功させてのし上がりたいと考えるだけの者。そういった者達には”始まりの三匹”なんてどうだっていいのさ。本部も放置の姿勢を見せている以上彼らが動くことはない。ま、本部の考えは彼らとは違うだろうがね」

「そんなことが……」

 

 絶句する。

 余りの憤りに思考が白く染まった。

 なぜなら、そんなことはあってはならない事だからだ。虫憑きを管理し、秩序を守るべき立場にあるモノたちがこぞってそんな考え方をしているなどと。そんなことが実際にあるのならこの国は”詰んでいる”。

 

 認めたがらない士郎の頭に、更に現実を突きつける土師の言葉が流れ込んでくる。

 

「人間なんて言うモノはみんなのそんなものさ。目先の欲望さえ埋まれば後はどうでもいい。先のことなんてちっとも考えちゃいない。虫憑きが増えすぎて隠しきれなくなり、数年後には日本が世界や魔術師、教会から攻撃の的にされていようと彼らは構いもしないだろう」

「まあ、そんなことだろうとは思っていたけど。実際に聞くと腐ってるわね」

 

 侮蔑もあらわに凛が悪態をついた。

 それを受けてなお、土師は皮肉気な笑みを浮かべ、つらつらと述べ立てる。

 

「それは虫憑きだって同じだよ。みんながみんな、自分は被害者だと思い込んで、やれ悪いのは”虫”だ、世間だ、他者だと駄々をこねている。経緯など関係ない。力を持った時点でそれを管理する責任が彼らには求められるんだよ。だというのに、せっかくできた虫憑きを管理する秩序を破壊しようと動くものもいれば、能力を使って好き放題している者もいる。愚かしいにも程がある」

 

 それは、現状に心底呆れ果て、憤激している男の嚇怒がにじみ出た言葉だった。

 それほどにこの男は今の状況を憂いている。普段はまるで底をみせないこの男だが、この言葉に関しては芯から出たものだろうと士郎に思わせる何かがあった。

 

 自嘲を含んだ声色で、土師は続ける。

 

「そら、内部分裂に虫憑き同士の抗争。こんな状態でどうしてあの規格外の怪物たちにどう太刀打ちできるという。いくらボクがアレ等を倒そうと息巻いていてもね、ボクたちだけでは不可能なんだよ。策がどうの、といった問題じゃない。過去に一号指定が三人と多数の高位の虫憑きが”大喰い”に挑んだが、結果は返り討ちさ。純粋に、特環内部すらまとまっていない現状では放置する他ないんだよ」

「一号指定が三人……? あの”かっこう”レベルの奴が三人いて勝てない相手だっていうの?」

 

 凛が懐疑の声を上げる。

 それもそうだろう。俄かには信じがたい話である。一号指定の虫憑きはそれこそ形をもった災禍そのものの強さと聞く。先日行われた作戦での、あの広大な自然公園の荒廃ぶりからして彼らが三人以上も同じ場に集えば街一つくらいは消し飛びそうなものなのだ。

 

 その暴威をすべて受けてなお、”大食い”はそれを凌駕したというのか。

 

「ま、信じる信じないは自由だよ。いずれにしても、そのうち分かる日がくるだろう」

 

 明確な回答を避け、茶を濁す形で土師は話を打ち切った。

 ソファの背もたれに深く身を預けると、再び土師がおもむろに口を開く。

 

「さて、これで”始まりの三匹”に手を出していない理由は話したと思うが、他に何か聞きたいことはあるかい? 」

 

 尋ねてくる土師は、既にいつもの軽薄な笑みを取り戻していた。

 まるで先ほどまでのやり取りなどまるでなかったかのような有り様である。あまりの身代わりの速さに、さっきのモノは演技だったのではとすら思えるほどだ。

 

 どこか釈然としない感覚を覚えながらも士郎は答えた。

 

「じゃあ、ここに慣れるまでに戦闘訓練をするっていってたけど、それはいつ、どこで、何をするんだ?」

「ああ、それか。それなら明日からにでも始められるさ。場所はここの訓練用の部屋を使ってくれ。内容に関しては、ボクが与り知るところではないから説明はできないけどね」

「ちょっと、内容がわからないってどういうことよ」

 

 凛が胡乱気な声を上げる。

 確かにおかしい。仮にもこの支部のトップに立つ人間なのだから、局員の訓練の内容程度把握しておいてしかるべきだろうに。

 

 ところが、土師は思わせぶりに微笑を浮かべて告げる。

 

「なに、キミたちが受ける戦闘訓練というものは特別でね。担当者に一任しているんだ。ああ、キミたちは運がいい。”彼女”の指導を受けられるものは選ばれた数少ないモノだけだから、楽しみにしておくといいよ」

 

 この男の言う、楽しみにしておけ、はなぜだか怖気が走るほど嫌な想像を掻き立たせる。

 口元が引きつっているのが、士郎自身よくわかった。

 凛もそれは同様なようで、嫌そうな顔を隠そうともせずに零す。

 

「アンタのその言葉だけで明日此処にくるのが嫌になったわ」

「失敬だな。教官が優秀であるのは間違いではないというのにね」

 

 ふてぶてしく首を竦める土師。

 やはり、とてつもなく胡散臭い。が、聞いたところでまともな返答など期待できまい。それを悟ったのか、凛が話題転換を図った。

 

「じゃあ、私から一つ。あの家、かなり改造するつもりだけど、そこのところ大丈夫な訳?」

「構わないさ。実質特環の所有地みたいなものだからね、アレは。買い手もつかない物件だから好きにしてくれていい」

「そ、なら遠慮なく」

 

 短く返す凛のその声は、しかし抑えきれない喜悦が感じ取れる。

 これから”あかいあくま”に魔改造されるであろう、あの洋館を思うと不憫でならない。

 

「さて、あらかた質問も終わったようだし、今日はここまでにしようか。キミたちも新居で“やりたいこと”もあるだろうしね」

 

 くつくつと土師は喉を鳴らす。

 その言い方がどうしようもなく下劣に聞こえたのは士郎だけではあるまい。予想通り、凛が青筋を浮かべて釘を刺していた。

 

「土師支部長? あんまり余計なことをいうと、生きたまま脳髄をひっこぬいてホルマリン漬けにしますわよ?」

「それは怖いな、できれば遠慮願いたい」

 

 まったく頓着する様子もなく、土師は肩を震わせている。

 じつに図太い。この男、自分以外の人間が今この時に死滅したとしてもこのまま笑い続けているのではなかろうか。

 もはや相手をする気にもならない、とばかりにげんなりとした様子で凛は席を立つ。

 

「行くわよ、士郎。用は済んだわけだしさっさと帰りましょう」

「ああ、わかった」

 

 特に異論はないので、士郎はそれに従い腰を上げる。

 そうして、扉を開けて部屋から退出するその間際、

 

「いや、実に惜しいな、士郎君。キミも虫憑きであったなら、いい憤りを抱かせてくれる存在になったろうに」

 

 そんな、縁起でもない言葉を聞いた気がした。

 

 

 土師の執務室から退出した士郎と凛が緊張を解いて、足早にその場から立ち去ろうとしたその時。部屋から真っ直ぐ伸びる通路の壁に、背をもたせ掛けて佇んでいる人物を見とがめた。

 全身黒ずくめの特環装備に身を包み、顔の大半を大きなゴーグルで覆った少年だ。逆立った黒髪は黒衣と相まって悪魔の角を想起させる。

 

「あら、アンタも土師圭吾に用事? “かっこう”」

 

 軽い調子で凛に呼びかけられた“かっこう”は気だるげな様子で視線を上げた。その口元は臆面もなくへの字に曲げられており、嫌そうな態度を隠そうともしない。

 

「面倒な奴だ。俺なんかに構わずにさっさと行けばよかっただろ」

 

 疎ましそうにそう言って、“かっこう”は壁から背を離して士郎と凛に向き直る。

 特別環境保全事務局、火種一号指定“かっこう”。この大仰な階級があの少年を指し示すコードである。一号指定。五人しか確認されていないとされる、虫憑きたちの頂点に君臨するその称号を戴いた存在。

 

 その戦闘能力は特環の局員の中でも最強であると言われる。一片の慈悲も容赦もなく敵対する虫憑きを屠るその姿から悪魔と呼称され、虫憑きたちに忌み嫌われていると聞いている。それは“かっこう”に捕獲された凛ならば深く理解できているはずだ。だが、凛にとってはそんなことは些末な事らしい。全く臆することなく“かっこう”と向かい合っている。

 

「随分冷たいじゃない。これから一緒にやっていくんだから挨拶くらいしても罰はあたらないでしょ」

「知るか。俺は誰とも組む気はねーよ。足手まといはごめんだからな」

 

 にべにもなくそう言い放つと、“かっこう”は歩き始める。

 とりつくしまもない。既に彼の視線は土師の執務室に向けられており、凛と士郎を意にも介さずに二人の間を通り過ぎようとする。

 

 その際、凛は特段気分を害した風でもなく口走った。

 

「そ。まあこれは大きなお世話でしょうけど一応言っておくわ。いくら自分が強いからって一人で出来る事なんてたかが知れてるわよ」

 

 “かっこう”は応えない。

 外套の裾を翻し、歩調を緩める事すらせずに土師の部屋までたどり着くと、ドアノブに手を掛けた。だが、そこまで行って何を思ったのか。“かっこう”は肩ごしに二人を一瞥する。

 

 しかし、結局何も口にすることはなく視線を切り、

 

「土師、俺だ。入るぞ」

 

 と、扉を開けて執務室の中に消えて行った。

 

 

「ホント、心の贅肉だったわ。なんかああいう不器用そうな奴見ると一言言いたくなるのは悪い癖ね」

 

 腕を組み、うんざりとした調子をにじませて凛は言葉を切った。

 凛自身は悪い癖、というものの、それが彼女のいいところでもあるのだと士郎は思うのだが。しかし、どうにも気になる事がある。

 

「不器用って、あの“かっこう”がか?」

「ほかに誰がいんのよ。ああいうタイプはね、他人を信じずに万事自分で引き受けて、自分だけで抱え込んで、結果自滅するって典型よ。なまじ能力がある分性質が悪いってもんね」

「そういうもんなのか? いや、俺はアイツのことはそう深く知らないけどさ」

 

 うーむ、と士郎は唸る。

 話に聞く“かっこう”は己のみが良ければすべてよし、という身も蓋もない人格の人間であるように思えるのだが、凛にはそうは見えないようだ。いや、士郎とて伝聞のみで人を判断することは嫌いである。が、その内容が内容なだけに“かっこう”がそんな殊勝な精神をもっていると思う人間は稀だろう。

 

「そういうもんよ。土師が一号指定の条件の話したときの事覚えてる? あんな反応する奴がね、悪魔だなんて笑わせるわ。何があったのかは知らないけど、外道であったとしても作為的な外道よ、アイツ」

「作為的外道、か」

 

 確かに、あの時の“かっこう”は異様なほど感情を露わにして土師に食ってかかっていた。自身が打倒したはずの“ふゆほたる”の名を挙げて、事実からすれば倒錯していると思えるような悲憤を吐き出していたのだ。

 

 本物の“不死”なんて、そんな都合のいいモノあるものか。

 

 “かっこう”はそう言っていた。その言葉は、死の重みを知っていなければ出てくるような言葉ではないように感じる。なにか、大切なものを失っているからこそ、血を吐くような声で絞り出された想い。確かに、それを鑑みれば“かっこう”はただの外道ではないのかもしれない。

 

 凛は重くなった空気を嫌ったのか、やめやめ、と必要以上に明るい声で話題を打ち切った。

 

「行くわよ、士郎。家に帰ってもやることはたくさんあるんだから」

「ちょ、待てって遠坂……!」

 

 すたすたとその場から離れていく凛に、士郎は慌てて追いすがっていた。

 




この一話、初めは長すぎるので分割しようと思ったのですが、キリのいいところが無かったのでまとめて投下しました

さて、本日がfate/snアニメ本放送です
今のいまから胸が高鳴りますね
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