Fate/Kaleid Schmetterling   作:ひでぶ

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第四話 邂逅

 “あさぎ”との出会い。その翌日から始められた訓練は、苛烈を極めた。彼女の出す課題はその都度の士郎と凛が自身の力を限界まで引き出すことでようやく達成できるかどうか、と言う内容ばかりであったのである。その上、予想通りというべきなのか。凛が嬉々として課題をクリアするごとに内容の過激さがエスカレートしていくのだから手に負えない。

 

 中でも極め付けだったモノがある。その日、特殊型の敵を想定した訓練と称して“あさぎ”が大量の鉄球を用意して待っていた。目を白黒させる士郎と凛に、自分が無数のそれを一斉に磁力で飛ばすから、どうにかしてやりすごしながら自分の元までたどり着け、と言い放ったのである。

 

 特殊型の虫憑きの大半は、自身の“虫”が影響を及ぼせる範囲内、すなわち“領域”の中では絶大な力を発揮できる。だが“あさぎ”曰くその反面、機動力と近接戦闘能力に欠けることが多いため、射程外からの狙撃や白兵戦に移行すれば大抵の特殊型は打ち倒せるとの事であった。

 

 とどのつまりこの訓練は、特殊型の“領域”内での攻撃をかいくぐり、接近戦で仕留められるか、という目的をもった課題なのであった。その結論から言えば、士郎はその時寿命が向こう10年は縮んだのではないか、とすら思えるほど肝を冷やす事となった。

 

 なにせ、重さ10kg近くあろうかと言う鉄球が視界を埋め尽くさんばかりの物量で飛んでくるのである。しかもその速度たるや、強化材質で出来ている筈の訓練室の壁が軋みを上げるほどだったのだ。人体に直撃したときの惨状など想像もしたくない。

 

 凛に関しては、訓練にならなくなる、と言う理由から電磁力の檻の使用は禁じられていたものの、元から広範囲をカバーできる攻撃手段を持っているためそこまで苦にはならなかったようだ。だが、士郎に関してはそうはいかない。表立った魔術を使えない彼は、強化した両手の短刀のみで洪水のような鉄球の群れを叩き落さねばならなかった。それでも、徐々に痺れて感覚がなくなっていく両手を押して、いつ終わるともしれない眼前の脅威を捌きながら前進し続けたのである。

 

 そうして、かろうじて襲いくる鉄球群をかいくぐったその先に、周囲にさらに大量の鉄球を浮かび上がらせて嗜虐的に微笑む“あさぎ”の姿を目にした時は変な笑いが込み上げて来たものだった。立ちすくむ士郎に、キミなら出来るさー、とお気楽な声で“あさぎ”が第二波を放ってきた際はかの英雄王を幻視したほどである。

 

 確かに死にはしなかったことから、“あさぎ”は士郎と凛の力量をよく把握した上で訓練を行ってはいるのだろう。事実、基礎的な部分の実力は飛躍的に伸びていると実感している。この点においては感謝してもし足りないだろう。ただ、その手法がおそろしくスパルタだったというだけだ。

 

 そういった訓練の課題を課す中で、“あさぎ”は凛と士郎にそれぞれ克服、もしくは今後伸ばしていくべきポイントを指摘していった。凛は中距離戦に関しては既に十分な能力を持っているというコトだったので白兵戦主体の指導を。逆に士郎には、既に型のできている剣技を急激に伸ばす事は出来ないとした上で、訓練中に剣を投擲した際に光るモノがあったという理由から飛び道具を用いた戦闘も行うように指導してきた。しかし、どうにも釈然としない思いがあって彼が理由を尋ねると、

 

『キミの剣技はね、さっきも言ったが現時点である程度完成されているのだよー。ボクは剣士という訳ではないから剣術の理念という物に対して造詣は深くないが、キミの剣には既にある種一本の筋が通っているコトだけは分かる』

 

 そう、至極真面目に“あさぎ”は語った。

 とはいえど、士郎にとっては今の己の剣技は未熟以外の何者でもない事は分かり切っているのだ。確かに彼の剣技は、衛宮士郎が振るうべき剣。その完成形といって等しい物の型を踏襲はしている。だが、現段階ではあくまでも自身に適した剣技という物を見つけたという段階に過ぎない。到底物に出来ているとは言えない状態だ。それが既にある程度完成されている、と評されても首を素直に縦に振る事など彼には出来なかった。

 しかし、“あさぎ”は士郎に諭すように言葉を紡いできた。

 

『勘違いしないでほしいのは、完成しているからと言ってそこに伸び白がないと言っている訳ではないということだよ。あくまでも“今の”キミの基盤に合わせたレベルでの完成形というだけだ。キミの剣は天性の身体能力によるものでも、飛び抜けた反射神経や直感によってなされるものでもない。ただひたすらに修練し、実戦経験を積み上げ、学んだデータを活かしながら“頭で考えて”剣を振るうという物に思えるけどね。そういうタイプは日々の訓練も重要だが、何よりも実戦経験こそが最重要の叩き台になる』

 

 返す言葉がなく、ただ士郎は押し黙った。

 “あさぎ”の指摘が実に的を射ていたからだ。衛宮士郎に剣の才能はない。そんなことは散々言われ、かつ彼自身実感してきている物だった。だからこそ、ただ人の身のまま愚直に積み上げた剣技に目を奪われた。美しいとすら感じた。いつかその背中を越えると誓って見せたのだ。

 

『まあ、普通常人ならば自身が才能に乏しい事にすら気づかない、もしくは気づいたとしてもそこで諦めてしまう物なのだ。だがキミはそこで才能に乏しい自身に見合った剣技を見つけ出し、更に修練を重ねている。反射速度と動物的直感の不足を補うために観察眼を鍛え、先の先を考える戦闘論理。身体能力差による速度差と膂力の差を埋めるために双剣を用いて手数を補い、防御に特化した剣技。なるほど、これなら凡人であろうと鍛え上げれば鍛え上げるだけの成果はでる。でも、だからこそキミ自身が自身の剣は短期間で大きく伸びるような代物ではないと理解できていると思うのだけどねー』

 

 対して、射撃に関しては間違いなくすぐに伸びる。すぐに即戦力にできる技能だろう、と“あさぎ”は口角を上げて付け足した。

 

 彼女の言葉は、士郎の胸にずっしりと堪える物があった。そう、彼の剣は一日にして成るようなモノでは到底ない。ただ日々の鍛練と実戦経験の積み重ねで日進月歩していく類のモノなのだ。そんなことは百も承知であったはずなのだが、どうにも最近堪え性がない。端的に言えば彼は焦っていたのだ。進展がない現状に、そしてそれを打開し得る力もない自分自身に。

 

 にしても驚嘆すべきは“あさぎ”のその凄まじい観察眼である。よく短期間で士郎の技量や問題点を見抜いて行けるものだ、と彼は舌を巻く。彼女の言葉の通り、剣技が一朝一夕でなせない以上、現状で使える物は使って行かない手はない。それにあたって、士郎は手放して久しい弓を再び手にすることに相成ったのである。

 

 そこからは正に訓練漬けの日々。拠点である洋館に戻ってきても、疲弊しきった身体を休めるために食事や風呂を済ませたらすぐさま泥のように眠りにつく毎日である。そんな生活の中で、凛は魔術師側との接触としてバゼットとの連絡も取らねばならないのだからその負担は相応なモノだろう。

 

 ところが、その行き着く暇もない生活が逆に凛を活き活きさせている様にも感じられた。元々向上心の強い彼女には、艱難辛苦を乗り越え成長する日々というものが好ましいのだろう。停滞よりも流動を。ただ溜まり淀んでいただけの水がそのまま腐っていくことを嫌い、流動させ循環を生みだすことで変化を促すことを良しとする性質は彼女らしいといえる。

 

 士郎とて、鉄は熱いうちに鍛ったほうが良いと理解している。良い鋼を造るためには、熱いうちにただひたすらに槌を振り下ろして鍛えていくのみ。己と言う銘の剣を完成させるためには、今はただ自身を叩き上げていくことこそが唯一の道であるのだ。故に、結局のところ今の訓練方式自体には士郎も満足しているのである。

 

 そんな日々が飛ぶように流れていき、今日はとある日の日曜日。陽光もうららかな素晴らしい暖気に包まれ、出かけるには絶好のコンディションとなっていた。加えて、4月も下旬とあって世間はゴールデンウィーク一色であり、桜架市街は大いににぎわっている。そんな中、彼、衛宮士郎は迷っていた。人生だとか、恋だとか、そんな抽象的なものではなく、単に道に迷っていた。

 

 訓練続きの毎日だったが久方ぶりの休暇が出たので、桜架市内にある大型ショッピングモールに出かけよう、と凛から誘いを受けて外出したのだ。入用のモノもあったので士郎も二つ返事で了承した。しかし、誘った張本人の凛が、朝は少し私用があるから先に行っておいてほしい、と言って洋館を出て行ってしまっていた。その為、昼までは時間もあるし少し近所をぶらついてから行こう、などと考えたのが彼の運のつきだった。

 

「しかし人が多いな……。連休効果はすごいってコトか」

 

 今彼がいるのは桜架市が誇る一大商店街である。広大かつ、非常に入り組んだ形状をしている。加えて、桜架市の商店街初心者である士郎にとっては、連休効果で入れ食い状態のここは異界にも等しかった。

 

 しかし、こうも人が多くては解析の魔術も使えない。隠匿を第一とする魔術は、一般人の衆目には晒せないからだ。いくら解析の魔術が地味であると言ってもこれだけ巨大で入り組んだ構造体を読み取るとなるとそれなりの集中力と地面との接触が必要になる。こんな人通りの多い通路のただなかで地面に触れたまま座り込んでいたらいやでも目に留まってしまう。

 

 店も込み入っていてとても道を尋ねられる状況ではなさそうだった。お手洗いがみつかればよかったがなかなかそれも見当たらない。

 

 だからこそ、彼なりに標識を頼りに歩いていたつもりなのだが、知らないうちに人ごみに流されてしまったり、脇道にそれてしまっていたようで完全に迷ってしまっていた。

 

 人口密度のせいか、蒸れるような暑さに頬に汗が伝う。先ほどから、標識を探してたびたび立ち止まりながら周囲を見渡しているのだが、どこを見ても人、人、人で標識のひの字も見当たらない。

 

 たまらずに少し商店街から外れた路地に出ても、それなりの人の往来があるうえにしばらく行くとまた商店街にぶち当たってしまう。

 

「まいったな。下手すると本当に遅刻しちまう」

 

 遅刻はまずい。あのあかいあくまを怒らせることになる。今度は冷や汗が彼の背を伝っていく。そう、柄にもなく焦っていると、

 

「あの、お困りですか?」

 

 そんな、救いの声が背後から差し伸べられた。

 驚いて振り返った彼の目に入ったのは高校生くらいの少女だった。身長は平均よりやや高めな程度で、陽光を受けて煌めく艶やかな黒髪を肩まで伸ばしている。また、白いワンピースのウェストを黒いベルトで絞っており、それがスレンダーな体系によく映えていた。ワンピースから覗く素肌は白く、すらりとした手足が優雅に伸びている。

 

 顔立ちは一言でいえばかわいいというより美人という言葉が似合うタイプだ。すっきりととおった鼻筋や、小ぶりな唇、きれいに弧を描いた眉、卵形の綺麗な輪郭など、これだけでも十分に印象的だが、特に目には引き込まれるものがある。

 

 やや吊り上った大きいアーモンド型の目をしており、一見きつそうな印象を他者に与える。だが、その中の大き目な瞳は、吸い込まれそうなほどに見事な黒色で。何者をも受け入れてしまいそうなほどにおおらかだった。それでいて利発そうな輝きを失っておらず、まるで夜の湖だ、と彼は思った。参っている時にこの瞳を見てしまったら、彼女のその包容力に呑まれてしまいそうになるだろう。

 

 知らず見惚れてしまっていた様で、彼女は訝しげに眉をひそめる。

 

「私の顔に何かついています?」

「いや、突然声を掛けられたから驚いただけだ。それで、君は?」

 

 取り繕うように、彼はあわてて問い返す。それに少女はいたずらっぽく笑う。そのわずかな仕草さえ、人を惹きつける魅力にあふれている。おそらく彼女はどんな仕草そしていても生命力に満ち溢れているのだろう、という考えが彼の胸にすっと浮かんでくる。

 

「うーん、真面目そうなお兄さんが困っていそうだなぁ、と思って声を掛けただけ。私でよければ力になりますよ?」

「そうか。いや、実は道に迷ってしまったみたいなんだ」

「へえ、迷子なんだ。お兄さん、ひょっとしてここは初めてですか?」

「ああ。恥ずかしながら最近越してきたばっかりだ。この商店街、まるで迷路みたいでちっとも出られない」

 

 そう言って、士郎は軽くため息をつく。そんな彼に少女はさらりと言い放つ。

 

「もし私でよければ出口まで案内しますけど?」

「それはありがたいけど、いいのか? こんな得体のしれない男に声をかけるだけでも危ないってのに、一緒に行動しようだなんてさ」

 

 少女は士郎の言葉に一瞬固まったのち、すぐにそれを笑い飛ばした。

 

「大丈夫。ほんとに悪い人はそんなコトいわないもの。第一、私のセンサーがびびっと来たんです。あなたが困ってるって。声をかけたのも、私的に見過ごしたくないなぁって思っただけだから」

 

 どうやらこの少女はかなりお人よしな性分であるらしい。いやお節介というべきなのだろうか。どうにも士郎は彼女が心配になった。

 

「む、ならいいんだけど……。でもやっぱり危ないぞ、女の子がむやみに男に話しかけちゃ」

「ご心配なく。相手は選ぶもの、私。あなたはどう見ても人畜無害そうだしね」

「そういう思い込みが危ないんだ」

 

 半ばむきになって忠告するが、彼女はそんなことはどこ吹く風だ。彼を追い越して颯爽と前を歩み始めている。そして、ちらりとこちらに視線を寄越すと少女は言った。

 

「とにかく行きましょ? 急いでるんでしょ?」

「あ、そうだった。……わるいけど、よろしく頼む」

 

 結局、なし崩し的にお願いしてしまうことになってしまった。それに少女は大変満足したように顔をほころばせる。

 

「はい。おまかせあれ」

 

 人通りであふれている商店街を巧みに避けながら、少女と士郎は路地を進んでいく。士少女は士郎をしっかりと先導しながらもきっちりと会話を挟み、はぐれないようにこちらを確認しつつ歩んでいた。

 

「それにしても、遅刻って言うのはどういう意味なの?」

 

 初めに比べ完全に砕けた調子で少女が問いかけてくる。道中の会話で慣れたのかもうすっかり十年来の友人であるかのようなふるまいである。にしても、と彼は思う。

 

「お前、俺の独り言聞いてたのか?」

「ん? まあ遅刻って単語しか聞こえなかったけどね。それで、どこに行くつもりなの?」

「ここから二駅くらいのところにあるらしい大型ショッピングモールだよ」

「へえ? 誰と?」

 

 ショッピングモールと聞いた瞬間、少女の瞳が目ざとく光る。この年頃の女の子はなぜこうもこういう話題に敏感なのか。

 お手上げだとばかりに士郎は軽く肩をすくめる。

 

「彼女、だよ。一応……」

「一応、なんてつけちゃって。このこの」

 

 知らぬ間に横に並んでいた少女が、彼の横腹をひじでつつく。むず痒い気持ちになって、彼は慌てて距離をとる。

 

「こらっ、やめろって」

「おもしろーい! 真っ赤になっちゃってさ」

「年上をからかうもんじゃないぞ」

 

 憮然としながら彼は少女をとがめる。しかし少女は大して気にした様子もなく、笑みを深めるばかりである。

 

「それで? どんな彼女さんなの?」

「どんなって……」

 

 少女に訊かれて凛のいろんなイメージが士郎の脳内を錯綜してく。

 凛とした立ち振る舞い、たまに見せる少女らしい顔、魔術師としての冷酷さ、人としての甘さ、朝に弱い事、ここ一番に弱い事、料理がうまい事、機械の扱いが下手な事、お金にうるさい事、あかいあくま。そのどれもが凛の側面だが、彼女を一言で表すならたぶん、

 

「鮮やかなやつ、かな」

 

 少女は士郎の言葉に目を瞬かせた。

 

「……彼女の人となりを聞かれて鮮やかな人だって答えたのはあなたが初めてだわ」

「でもこれ以外の表現を俺は思いつけないよ。行動が目に焼き付くっていうか。筋が通った奴なんだ」

「なるほどね。いい彼女みたいじゃない」

 

 納得したようにうなずいて、少女は笑う。凛が褒められたことが自分の事のようにうれしくなり、士郎にも笑みがこぼれた。

 

「ああ、俺にはもったいないぐらいだ」

「――――――」

 

 そんな士郎を、少女は穴が開くくらい見つめる。それに思わず彼はたじろいだ。

 

「どうかしたか?」

「あなた、笑うんだ」

 

 まるで、二足歩行する猫を見たような目で彼女はそう告げる。

 それに思わず彼は顔をしかめる。

 

「そりゃ、人間だからな。笑いもするさ」

「あ、拗ねた? ごめんなさい。ただ、今の今まで一度も笑わなかったから。笑わない人なのかと思ってた」

「む」

 

 確かに凛にもよく仏頂面と言われることを士郎は思い出す。そういえば、本心から笑みを浮かべられたのは久々だったのかもしれない。しかし、自分はそんなに表情が硬いのか、と少し不安になり尋ねた。

 

「俺の顔、硬いか?」

「硬い、とは違うのよね。すごく柔らかくなることはあるんだけれど、そこどまりっていうか。仏頂面気味ではあるけど無表情ではないと思う」

「なるほど、参考になる」

「それは結構。でも、あなたの彼女はあなたを笑顔にできる人なのね。彼女のことを聞かれたとき、すごく優しい顔をしていたもの」

 

 言われて、彼は思わず顔を押さえる。少しではなく、かなり恥ずかしい。自覚がなかった分余計にそう感じた。

 少女はその変化を楽しむように半眼になってほくそ笑んでいる。そこで士郎はようやく確信する。どうやらこの少女も凛の同類らしい。

 

「ああ、あなた、見ていて飽きないわ。彼女さんもこんなキモチなのかしら」

「それ、笑えないぞ……」

 

 言い知れぬ怖気をかんじて彼は頬を引きつらせた。この少女の彼氏になる男は苦労するだろう、と顔も知らないそいつに同情する。

 いや、これだけ美人なのだから既に彼氏がいてもおかしくはないだろうが。そこまで考えて、このまま自分だけが喋らされて恥をかくのも不平等だろう、と士郎はぶっきらぼうに問いかけた。

 

「そういうお前はどうなんだ? それだけ綺麗なら彼氏ぐらいいるだろ」

 

 士郎としてはすぐさま答えが返ってくるものと思ったのだが、予想に反して少女はぽかんと口を開けたまま彼を見つめるだけだ。

 なにか地雷を踏んだか、と士郎が自身の言動を振り返ろうとした時、

 

「驚いた。こんなに臆面もなくほとんど初対面の人に綺麗、なんていう人がいるんだ」

 

 などと、少女は本当に感心したような口調で零していた。

 好奇の目で覗き込んでくる少女に、士郎は眉を顰める。

 

「いや、本当のことを言っただけだろ。そんな驚くようなことか?」

「ええ、本当に本気でそう思って言ってるんだから目も当てられないっていうか」

 

 かぶりをふり、少女は半眼で詰るような視線を士郎に向けてくる。

 

「あなたの彼女さん、苦労してそうね。少なくとも、私があなたの彼女だったら常にハラハラしてると思うわ」

「? なんでさ。俺、アイツを振り回せるような度胸はないぞ」

 

 振り回されるのはいつも士郎の役目である。凛の言動に一喜一憂して目を回し、内心ひやひやしているのは確実に彼の方だと思うのだが。

 

 だが、少女はますます口元をひきつらせ、頭痛をこらえるように額に手を当てている。

 

「これは重症ね。自覚がない分余計に性質が悪いっていうか」

「む。俺のことはいいだろ。で、どうなんだよ、彼氏。いるのか?」

 

 風向きが悪い。このままではどうあってもこの少女は士郎を朴念仁認定してくることになる。それを避けようと、半ば意地になって彼は問いただした。

 

 はぐらかされた少女は腑に落ちない、というように目を細めていたが、やがて観念したかのように口を開いた。

 

「残念。私、彼氏はいないの。いたらとっても素敵なんだろうな、とは思うけど」

 

 儚げに笑むその声には、羨望と悲哀。そしてほんのわずかの諦観が込められていた。

 士郎にはなぜ、彼女がそんな表情で、そんな悟ったような声を出すのかが分からなかった。分からなかったから、自然と反発する言葉がこぼれていた。

 

「すぐにできるだろ。少なくとも真っ当な神経をした男なら放っておかないと思うけどな」

「そうかもしれないわね」

 

 少女は一変して晴れやかな笑みを浮かべた。先ほどまでの儚さは微塵も感じられない、自信と自負に満ち溢れた凛然とした立ち振る舞いに戻っている。先ほどの姿はまやかしだったのでは、と錯覚するほど生気に満ちた姿だった。

 自身の心配は杞憂であったか、と士郎は胸を撫でおろす。だが少女はそこから決然とした様子で語を継いだ。

 

「でも、単にソレにかまけている余裕はないから、多分恋愛するのはもっと先になるかな」

「かまけている余裕がない? なにか他にやることがあるのか?」

「ええ。それをするまでは自分の事はとりあえず後回し。じゃないと、きっと後悔する」

 

 放たれた言葉に、後ろ暗いものは何もない。決して揺らぐことはないだろう力強い響きと、その内に秘めているのだろう清廉な覚悟すらも読み取れる宣誓だった。声自体はさほど大きくなかったというのに、雑踏の中にあっても埋もれる事のない鮮烈さ。

 

 その表情とて、見る者を惹きつける魅力に溢れている。ところが、彼にはどこかせつなさが滲んでいるようにも見えた。例えるなら、沈みゆく夕日を見送っている向日葵である。花に太陽を引き止めることなどできはしない。だがそれでも、消えゆく光を手放したくないと見つめ続けているそれの姿に似ていた。思い過ごしかもしれないが、それに引っ掛かりを覚えた士郎は口を動かした。

 

「後悔って……。それこそ変だろ。自分のやりたいことをやらない方が、後悔するんじゃないのか」

「勘違いしているみたいだけど、大丈夫。私のやるべきこととやりたいことは同じだから」

 

 聞くものを安心させる穏やかな吐露。だが、その晴れやかな笑みでも、士郎の心は翳ったままだ。何故だかはわからないが、胸の内に釈然としない物がわだかまっている。とはいえ、こんなものは錯覚かもしれない。出会って数十分ばかりの人間の一体何が分かるというのか。こんな胸騒ぎなど、無視するべきである。

 

「そうか、ならいいんだけどさ。でも、」

 

 そのやりたいことってなんだ、と士郎が尋ねようとした時、少女がぴたりと足を止めた。何事か、と彼女の視線をたどると商店街の出口が見えてきていた。どうやら会話に夢中になっているうちに随分出口に近づいていたらしい。

 

「あーあ、話し込んでいたらもう着いちゃった。残念、もう少し話していたかったけどしかたないか。彼女さんを待たせたら悪いし、ここで案内は終了ね」

「ああ、ありがとう。楽しかったし、本当に助かった」

 

 偶然に出会ったこの少女だが、今告げたことはお世辞ではなく混じりけのない士郎の本心だった。僅かな時間しか共にしなかったが、それでも彼の中にかなり強い印象残している。凛と同様、彼女もまた、鮮やかな少女だと彼は思った。それだけに、彼女のやるべきこと、というものが気がかりだったがこれ以上手を煩わせるわけにもいくまい。

 

 少女は軽く微笑むと、緩やかに頷いた。

 

「ええ。それじゃ、機会があればまた会いましょう? その時は、あなたが最後に聞きたがっていたことにも答えるわ」

「なら、その時は今日の礼をさせてもらおうかな。なにか奢るから楽しみにしていてくれ」

「それはたのしみね。できたら彼女さんの顔も見てみたいわ」

 

 茶目っ気たっぷりに少女はウィンクしてみせる。

 この少女と凛がそろってしまったら、士郎の心労は凄まじいことになるだろう。その分、楽しさも倍増していることは間違いないだろうが。

 

「そうだな、縁があったらアイツとも会えるだろう」

「うん、でもなんでだろう。漠然とまた会える気がするわ。そんなわけでまた今度。彼女さんとなかよくね」

 

 軽く手を振ると、彼女は勢いよく商店街の中に走り去っていった。

 何のこともなく交わした、他愛ない口約束。少女はお世辞で言っただけなのかもしれないが、士郎もまた彼女に会えるというような予感がしていた。

 

 と、そこまで考え、

 

「そういや、あの子の名前聞いてなかったな」

 

 等と初歩的なミスを思い出した。遅刻を焦るあまり、そんなことにも気が回らなかったとは。次にあったならばしっかりと名前を交換しなくてはいけない、と自身を戒めつつ士郎は商店街を背に歩んでいった。

 

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