Fate/Kaleid Schmetterling   作:ひでぶ

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第二話 特別環境保全事務局

 目的地に到着したのか、車が停車しエンジンを切られる気配がした。同時に“かっこう”が顎で出入口を示して立ち上がる。それにしたがって凛も立ち上がり、並んで車を降りた。

 そこで彼女の目に入ってきた景色は、広い駐車場とそのただ中にポツンと建っている白い古ぼけた三階建ての建物だった。

 

 「随分とさびれたところね。こんなところが貴方達の活動場所なわけ?」

 「……馬鹿か。そんなわけあるかよ。無駄口を叩かずさっさと来い」

 

 憮然とした様子でそう言うと、凛の腕を引いて“かっこう”が歩を進める。引っ張られてバランスを崩しかけた凛が軽い抗議の声を上げるが、彼は当然のようにそれを無視する。どうやら車内での出来事をまだ根に持っているらしい、と彼女はあたりを付ける。

 

 “かっこう”はずんずんと建物に近づくと、厚いガラス扉を押し開いて中に入る。それにつづいて凛もそこに足を踏み入れた。

 建物のなかは無人フロアのように整然としており人の気配がない。受付らしい小窓と奥に続く通路、エレベータくらいしか見る物がない。凛はそれらからついと視線そらし、エレベータ脇でなにかパネルをいじっている“かっこう”に目を向けた。

 

 「それにしても、ここあんたの管轄じゃないんでしょ。なんでついてきたわけ」

 「上の指示だ。別に好き好んでついてきたわけじゃない」

 「そ。まあ、別にいいけど」

 

 彼女は再びフロアに目をやるとつぶやいた。

 

 「ほんとに閑散としてるわね。場所あってるの?」

 

 その時、エレベータの到着を告げる間抜けな音がフロアにむなしく響き渡る。“かっこう”はこちらに視線を寄越すとエレベータに乗り込む。凛は肩を竦めつつそれに倣った。

 

 扉が閉まり、低い機械の駆動音が響く。軽い浮遊感があったことから、このエレベータが地下に降りていることを彼女は理解した。

 ふいに凛を一瞥し、“かっこう”が言った。

 

 「言っておくが暴れるなよ。非常時にはガスが噴き出すようになっている」

 「暴れるならもっと前に暴れてるわ。第一、ガスよりあんたの方が厄介だもの」

 

 そう告げて凛は軽く嘆息する。そんな彼女に“かっこう”は鼻を鳴らした。

 

 「その厄介な奴を相手にして平然と口をきくお前の方が、俺には厄介だ」

 

 会話もそこそこにエレベータが到着を告げる機械音を鳴らす。扉が開き、外に出た二人はその先に延びていた階段を下っていく。階段を降り切ると、薄暗い空洞にたどり着いた。空洞の中には二つのレールが走り、その両方に岩山見紛うほどに大きな列車が鎮座していた。

 

 「地下に装甲列車、ね。随分と物々しくなってきたわね」

 

 その列車の前にたどり着くと、“かっこう”のゴーグルが赤く点滅する。

 すると扉が開き、二人はそれに乗り込んだ。

 

 列車には何人か先客がいたようで、乗り込んだ二人に視線を向けてくる。彼らもまた、ホテルの外にいた者達と同じ白コートを着ていた。しかし、“かっこう”の外套といい、彼らの白コートといい、幾重にも太いベルトが付けられ、巻きついたその外套はまるで拘束服のようである。

 そのうち一人が突然怯えるように身をすくませ、一人は座席から立ち上がった。

 

 「あいつ……!」

 「なんでここに……!」

 

 声色からは隠しきれない嫌悪や恐怖が滲んでおり、それは間違いなく自身の隣にいる“かっこう”に向けられたものであると凛にはわかった。車両の出入口付近の座席に座った二人から彼らはすごすごと離れ、車両の奥の座席に向かった。

 

 「随分と嫌われてるのね、あなた」

 「そうだな。下手したら組織一嫌われてるだろうぜ」

 

 至極どうでもいい、というように“かっこう”は笑った。それが真実だとして、その嫌悪が向いているのは彼の性格に対するものなのか、それとも強さに対するものなのか。と、彼女は考え、両者ともだろうと結論付けた。ただ強い、というだけで仲間にあそこまで怖がられることはないだろう。“かっこう”はその強さに物を言わせて横暴を働いているのだろうか。

 

 最も、そんなこといまはどうでもいいことだ、と彼女はその思考を切り捨てる。

 列車が振動し、ゆっくりと動き出した。

 

 「ねえ、あの人たちもあなたと同じな訳?」

 「ああ、虫憑きだ」

 

 めんどくさそうに“かっこう”が頷く。全国規模と聞いていた時から分かっていたことだが、虫憑きというやつは恐ろしく数が多そうだ。こんな異能の力が氾濫しているこの世界の魔術協会や教会は一体どうなっているのか彼女は気がかりになった。

 視線を進行方向に向けて凛は尋ねる。

 

 「それで、これ一体どこに向かっている訳?」

 「……赤牧市の地下深くだ。それ以外はオレも詳しくはしらない」

 

 平坦な口調で答える“かっこう”。どうでもいいからなのか、本当に知らないのかはその表情からは読み取れない。

 目的地に着いたのか、車両が停車する。

 

 「降りるぞ」

 

 短く告げ、“かっこう”が立ち上がる。続いて凛も立ち上がった。

 車両を降りると、凛は“かっこう”とは別々の通路に通された。鈍い金属光沢を放つ無機質な金属で固められた長い通路だった。捕虜一人に随分と大げさなものだと彼女は少し呆れる。ただ、“かっこう”と別れられたのは僥倖というべきだろうか。彼さえいなければ、列車内で見た程度の者達が相手ならばなんとかなりそうだと考えたのである。

 

 『前に進み、壁の前で停止してください』

 

 どこか機械音声じみた、無感情な女性の声が響く。それに従い、凛は通路の奥に進んでいく。そのさなか小さな機械音が耳に入り、そちらに目を向けると監視カメラの単眼レンズが彼女を追いかけるように見つめていた。

 そうして彼女は突き当りに行き当たる。左右に道もなく、完全に行き止まりである。目前には金属の壁が立ちはだかっているだけだ。

 

 『脈拍、呼吸数ともに正常。指示があるまでエントランスルームで待機してください』

 

 その音声と共に壁が縦に割れ、左右にスライドして開いていく。その中は小さな密室となっていた。部屋には大きな金属製の扉と、いくつかの出入口があり、いましがた彼女が通ってきたものと同じような扉がもう一つ見受けられた。

 左手側の壁際にはお粗末なシートが置かれており、そこにはぞんざいに布を繋いだだけでできた服を纏った少年や少女が数人、座っていた。

 

 また、いくつかある扉の付近には既に何度か見かけている白いコートを着着込んだ人物が立っていた。それらを見て、凛は病院か実験室の待合室みたいだ、と内心辟易する。

 

 「シートに座れ」

 

 近寄ってきた白コートの人物が短く凛に命じる。彼女は物珍しそうに周囲を見回しながらシートに着いた。

 

 『被験体7642号。セイフティネックを装着してください』

 

 何度か聞いた女性の音声が流れ、凛が視線を周囲に投げると左側の部屋の壁の半ばほどに小さな空洞ができていた。白コートがその中に手を入れチェーンを手繰り寄せる。するとそこから現れたのは籠手と見まがうほどの大きな手錠と、それらとチューブでつながれた金属製の輪だった。

 それを持ったまま白コートは凛の方に歩み寄ってくる。

 

 「両手を前に出せ」

 

 無感情に白コートは言った。凛は軽く肩をすくめると、言われた通りにする。すると、白コートは持っていたそのごつい金属塊を彼女の手にはめ込んだ。次に、金属製の輪を二つに開けると、顔を上げるように命じる。

 

 「へえ、何するのかと思えば首輪(安全装置)をつけて保険をかけるわけ。よっぽど私がこわいみたいね」

 「黙っていろ」

 「はいはい」

 

 軽い調子で返答しつつ、凛はゴーグルに隠された白コートの瞳を見つめた。

 ここにきて彼女は勝負を仕掛けようと考えていた。一工程の暗示魔術。“かっこう”に対してあれが通じなかったのは、彼我の間に馬鹿馬鹿しいくらいの戦力差があったからだと、凛は見ていた。だが、彼に比べれば目の前の人物程度なら何とかできそうな範囲であると判断する。そして、そう考えたその瞬間にはそれを実行していた。しかし、

 

 「……っ!?」

 「なんだ?」

 

 怪訝そうに声を上げる白コートに、凛は内心の動揺を抑えつつ返答する。

 

 「……いいえ。なんでもないわ」

 

 凛は“かっこう”に仕掛けたものと同様に視覚を通した暗示を行ったのだ。だが、結果は彼女の予想に反して失敗。

 “かっこう”だけでなく、この局員にも暗示が通じなかったことから、存在の格に関わらず虫憑きという存在全般が相応の対魔力を有していると見て良いはずだ。

 

 ああ、これで脱出は絶望的になってしまった。簡易魔術が効く程度の存在ならば、“かっこう”さえ出てこなければどうにでもなりそうだったが、完全無効ともなれば手詰まりである。

 結局、彼女は安全装置(くびわ)を着けられ、別の白コートに連れられて部屋を後にすることとなった。

 

 

 

 「……ねえ、ひょっとしてここ変態しかいない訳? 首輪に加えて、ぴちぴちのボディスーツを着せるなんて、そういう趣味の奴がいるとしか思えないわ」

 

 服をはぎ取られ、熱湯シャワー、身体検査、健康診断を立て続けに受けたあげく、某槍兵も真っ青なぴったりボディースーツを着せられ、通路に放りだされた彼女は苦々しい思いでそれを皮肉った。

 当然、理性の上ではそれらが必要なことであるということは分かっているのだが、彼女の心は理解を拒んでいたのである。

 

 放り出された先で凛と合流し、今は彼女の隣を歩いている“かっこう”はそれを鼻で笑う。

 

 「捕虜の身体チェックは当然だろ。その捕虜が化け物であるなら首輪も必要だ。スーツも同じさ。化け物が武器を隠し持つことを許さない」

 「……冗談の通じないやつね。やっぱりあなた、もてないでしょ」

 「……だまってろ」

 

 低い声で唸った“かっこう”の忌々しげな視線が凛に突き刺さった。ゴーグルの遮光版が紅く輝き、その表情を恐ろしげに彩る。

 

 「わかったわよ。そんなに睨まないでちょうだい」

 「ふん」

 

 鼻を鳴らした“かっこう”がつと立ち止まり、右に向き直った。それに合わせて凛も立ち止まり、彼が向いた方を覗き込む。そこには金属製の壁面に似つかわしくない、上質そうな木で出来た両開きの扉があった。その両脇には白コートの人物が二人控えている。

 

 「ついたぞ」

 「なに?取調室にしては随分と立派ね」

 

 どちらかというとお偉方の執務室のように見えるくらいに上等な造りの扉に、凛は眉をひそめる。そんな彼女に取り合わず、“かっこう”はドアノブに手を掛けた。

 

 「はいるぞ」

 

 扉を押し開け、“かっこう”が中に踏み入っていく。凛は慌ててそれに従った。

 

 「ああ、ちょうど着いたようですね。ご苦労様でした“かっこう”」

 

 部屋に入った瞬間、艶めかしい女性の声が響いた。語調は丁寧であるにも拘わらず、まるで全身を生暖かいものが這い回ったかのような感覚を覚えて、凛は硬直する。

 しかし、すぐにそれを打ち砕くような実直で強い声が彼女の耳朶を打った。

 

 「遠坂!」

 「衛宮……くん」

 

 喉元からそれだけを何とか絞り出す。その声色は自分でも驚くほどに乾いていた。

 彼女に声をかけてきたのは、部屋の中央で椅子に座ったまましばりつけられた少年だった。彼の身体にも、凛が身につけている物と同じ拘束具が付けられている。

 

 赤みがかった短めの髪の毛に、何かをこらえるように皺を寄せられた眉間、どこか遠くを見据えるような真っ直ぐな目、不愛想にへの字になった口元。

 彼女の記憶にある姿よりも少しがっしりしているように見えるが、それは間違いなく彼女の友人、衛宮士郎だった。やはり、あの時ホテルの部屋で倒れていたのは彼だったのだろう。

 

 固まった凛を余所に、“かっこう”は士郎の側にまで歩を進めていた。それに気づいた凛も同じように士郎の付近にまで歩み寄る。

 “かっこう”は部屋の奥を見据えている。その視線をたどった先には、執務用の大きな木製のデスクがあり、その上に大きなディスプレイが置かれていた。

 

 画面には、二十代後半ほどの泣き黒子が特徴的な美女がバストアップで映し出されていた。その姿に、凛は訳もなく戦慄する。そいつはダークスーツを着込んでおり、髪は肩口程度にまでの長さに切りそろえていた。切れ長の目は憂いを帯びた優美さを作り出す。泣き黒子は扇情的で、しっかりととおった鼻筋も美しい。加えて、すっきりとした輪郭が、怜悧な美人を完璧に作り上げている。ただ、その口元を除けば。

 

 一見すればそれは、とてもやわらかく、慈愛に満ちた微笑みに見える。だがその実、その笑みにはなにも込められてはいない。ビジネススマイルですらない。ただ、口角を上げているだけ。本来笑顔とは、攻撃的なものである。もとはと言えば動物が牙をむき出して威嚇する意を示す所作そのものなのだから。

 

 つまり、あれは。獲物に向けられた敵意か、嗜虐心そのものを示している。見る物を縛り付ける笑み。宇宙人が笑っている姿の方がまだ愛らしいと感じられる、そんな笑みだった。

 その姿を十年来の仇敵を見るかのように見据え、“かっこう”が口を開いた。

 

 「……東中央所属の俺が、なんでわざわざ中央本部(ここ)の管轄まで出向かなければならなかったのか。当然、きちんと説明はあるんだろうな、魅車副本部長。それともう一つ、なぜおまえはこの場にいないんだ」

 

 威圧するような“かっこう”の声を受けても尚、その女、魅車はその見る者を縛る笑顔を崩さない。

 

 「説明、ですか。いいでしょう。至って理由は簡単です。そこにいる遠坂凛、彼女は貴方が思っている以上の重要人物であるというだけです。私がここにいない理由は、安全上の問題とでも言っておきましょう」

 「安全上の問題? ……まあいい。重要人物といったな。俺が聞きたいのはそんな上面なことじゃない。なぜわざわざ俺を指名して護送させた。高々、無指定の虫憑き一人のためにここまでするなんてことは通常ありえない。これは異例だ。だから相応の理由を聞かせろと言っているんだ」

 

 明らかにはぐらかした回答に、“かっこう”が食らいつく。魅車は呆れた様子でこれみがよしに嘆息した。

 

 「権力者なのですよ、彼女は。土地の管理者、と言った方が分かりやすいでしょうか?」

 「地主という事か? ……軽いな。その程度の虫憑きの護送に、わざわざ俺を使ったのか」

 「そうでしょうか? 貴方は自分を過大評価するきらいがありますからね。もう少し慎みを持った方がいいですよ“かっこう”」

 「なんだと……!」

 

 声を荒げた“かっこう”が一歩前に出る。そのまま画面を叩き壊しに行きかねない勢いである。本当に実行されては困る凛は、一触即発の両者の間に割って入る。

 

 「……口論するのもいいけど、後にしてくれない?こっちも聞きたいことが腐るほどあるんだから」

 「部外者はだまってろ」

 

 “かっこう”が凛を睨み、荒々しく唸る。それを魅車の冷たい声が制した。

 

 「いいえ、黙るのは貴方ですよ“かっこう”。貴方は既に任務を完遂しました。ここから先の事は貴方が関与するところではありません。よってここから先の事についてまで説明する必要性はないでしょう。速やかに帰投しなさい」

 「……! お前っ!」

 

 “かっこう”は怒りをあらわにして、画面に向き直った。遮光版が剣呑な赤い光を宿す。

 

 「全く。上官に対する態度ではありませんね。ですが、これ以上貴方の相手をしている時間はありません。今回は不問とします。帰投しなさい。次はありませんよ」

 「っ……まあいい。そうさせてもらう」

 

 それだけ吐き捨てるように言うと、“かっこう”は肩を怒らせて部屋から出て行った。

 魅車をその姿を見送ると、悲しげに目を伏せる。

 

 「なぜ彼はあんなにも懐疑的なのでしょうね。私はこんなにも彼を愛しているというのに」

 

 こんな、怖気の走るような“愛している”という言葉を聞いたのは凛も久々だった。かつて、人間を私ほど“愛している”者はいまい、と語った“神父”がいた。彼の“愛”もまた背筋を泡立たせるような響きを持っていたが、この女も大概である。

 魅車は凛たちを画面越しに見つめ、口火を切った。

 

 「さて、接触するのは初めてですね。“魔術師”、遠坂凛」

 「っ! 妙だとは思っていたけれど、やっぱり知ってるのね」

 

 部屋にいない事、土地の管理者という台詞、“かっこう”が口走ったような異例の対応、そのどれもが凛たちが魔術師であるという事を知っているが故の物だったようだ。

 凛は敵意もあらわに画面を睥睨する。対して魅車は目を細め、慈愛のこもった笑みでそれを受け止めた。

 

 「ええ。国家の危機に関わる事ですからね。国からの通達で、特環の上部に位置する人間は皆知っています」

 

 どうやらこの状態に対して教会や協会は何らかのアクションを起こしていたようだ。捕虜である凛が副本部長という地位にある人物と会話を交わしているという状況も、魔術協会という大組織の庇護の恩恵の一端を受けているからこそだろう。

 

 だが通常、一般人が魔術師のことを知っているという事はあり得ない。魔術師は神秘の漏えい、魔術が衆目の目に曝されることを何より嫌うからだ。しかし、僅かながら例外が存在する。魔術師から分かたれた分家筋の一家や、魅車のような組織の上部の人間だ。魔術師という存在も生きている一個の命であり、研究、食生活には当然資金が必要だ。それを確保するために魔術師は企業の上部に掛け合ってパトロンを作る。その際魔術の一端を示す事で自らの価値を認めさせるのだ。こういった事情もあって組織の上層部の人間が魔術を知っていることはあり得ない事ではない。

 

 しかし、この件はそういう物でもなさそうだ、と凛は思案する。魅車の言い方からすると大方、全国規模で異能が発生していることを憂いた協会が、事態を収拾しろ、という圧力でも国にかけたのだろう。ならば、この組織はそれを行う国の実行組織のようなものか。

 

 「……それでなにが目的なの? どうやら私のこともよく知っているようだけど」

 「ええ、調べさせてもらいましたからね。私の目的としていることは、魔術師でありながら虫憑きでもある貴女との対話です」

 「結局その虫憑きっていうのが、あの奇妙な“虫”を使うモノの呼び名なわけ。でもなぜ私がその虫憑きとして扱われているのよ。私は魔術師ではあるけれど、あんな得体のしれないものを使役なんてできないわよ」

 

 実際、凛は“虫”なんてものを使役することはできない。この女相手にその場しのぎの嘘は通用しないだろうと踏んで、記憶喪失を装ったまま話す事の出来る真実を語った。

 魅車は推し量るように凛を見る。画面越しであるというのに、すぐそばに彼女がいるような感覚が凛を襲う。

 

 「……嘘をついている顔ではありませんね。記憶に一部欠落あり、という報告は真実でしたか。それがあなたの“虫”の力か、それとも魔術によるものかは判別しかねますが」

 

 魅車の言葉に、縛り付けられた少年が反応する。

 

 「記憶に欠落? どういうことだ……!」

 「そんなにいきり立つものではありませんよ、衛宮士郎。私たちが彼女を捕えた時には既に記憶に欠落が見られたという報告でしたからね」

 「そんなことが信じられるか……! なんでわざわざ自分の記憶を消す必要があるんだ!」

 

 拘束具を引きちぎらんばかりの勢いで、士郎は身を乗り出して吠える。そんな彼に、魅車は悩ましげに眉をひそめた。

 

「私達もそれを知りたいところなのですが。第一私達には彼女の記憶を消すメリットがありません。彼女から情報を引き出すつもりでいたというのに記憶を消してしまっては話も聞けないでしょう。しかし、その様子だとあなたも何も知らないようですね。そうなると彼女には自分の記憶を消してでも私たち、それどころか自分の仲間にすら知られたくない何かがあったと考えた方がいいようです」

 「勝手に話を進めないでもらえる?」

 

 勝手な憶測で語り始めた魅車を、凛はいらだたしげに遮った。その上で、再度自身の疑問を投げかける。

 

 「もう一度訊くけど、私はあなた達には虫憑きとして認知されているようだけれどそれは確証があっての事なの?」

 「当然です。あなたが“虫”を行使している姿を映した映像もありますよ?」

 「……見せてもらえるの、それ」

 「いいでしょう。さして重大な機密でもありませんし」

 

 画面が切り替わり、色のぼやけた映像が流れる。

 画面は荒いものの、どうやらそれは凛が目を覚ました、あのビジネスホテルの一室の内部を上からとった物のようだ。つまり、監視カメラである。

 

 その映像の中には、確かに“遠坂凛”が映し出されていた。ベッドに腰掛けて、自己に埋没した様子の“遠坂凛”。すると、彼女の前に得体のしれない蝶のようなモノが現れる。次の瞬間、それが眩いばかりの虹色の光を放った。波打つような虹色のその光に、凛はどこか既視感を覚えた。

 

 光が収まると“凛”が壁に背をもたせかけるようにしてベッドに沈み込んでいる姿が映る。

 そこで映像が途切れ、画面が切り替わると、再び魅車の姿が映し出される。

 既に映像は終わっていたが、凛の頭の中では様々な情報が錯綜していた。あの映像はまず間違いなく彼女がこの世界で目を覚ます前を映したものだ。そして、確証などないが、自身がこの世界に来たのはおそらくあのタイミングである、と彼女の直観が告げていた。

 それを確かにするためにも、凛は浮かんだ疑問を口に出す。

 

 「これ、いつの映像なの?」

 「貴女たちを捕える半刻ほど前の出来事のはずですが」

 「これの後、“かっこう”が来るまで私は倒れたままだった?」

 

 少し思案顔をしたのち、魅車はうなずいた

 ならば、やはりあの時に凛はこちらにやってきたと考えるのが妥当だろう。だが、それなら“遠坂凛”はどこに行ったのか。

 

 世界は矛盾を嫌う。同じ世界に、魂にいたるまで“全く同一”の存在があるという事を世界は許容しない。それ故に、同じ存在が世界に存在するような矛盾が生じた場合、世界はその存在を片方、もしくは両方を消去することで解決する。いや、もし今回の件が正規の魔法を用いて正式な転移を行ったモノであれば秩序の一環として許容されるのだろうが今回はそうではない。

 

 では、現状彼女が存在していられる理由として考えられる理由はなんなのか。それは、この映像を見る限り幾つかの推論が立てられる。

 

 まず一つ目は、凛がこの世界に来た折、この世界の遠坂凛は心太の様にこの世界にある遠坂凛が座るべき椅子から押し出され消されてしまった。代わりにそこに居座る事となった自身は正規の存在として修正を受けることがなかった、という考え。

 

 あるいは、あの光に覆われている間に二人の凛が入れ替わった。これも、同一存在という矛盾がなくなる為、修正を免れる可能性がある。

 

 それとも、凛がそう思い込んでいるだけで、実はこの凛も“遠坂凛”が必要に迫られて記憶をねつ造しただけの存在という事も考えられる。

 

 ただ、そうなると衛宮士郎の存在が矛盾する。彼女の記憶にある士郎はまともな身体をしていなかった。だが、この世界の士郎はそんなことはみじんも感じさせない五体満足の肉体を持っている。第一、彼女の知る士郎の状態は恐ろしく特異なモノであり、あんな状態を簡単に発想できるようなモノでもない。第一、同じ“凛”である以上、こんな意図のつかめない記憶の改竄することはないはずだ、と彼女は思う。ここから見て、この線は薄いだろう。

 

 だがいずれにせよ、この珍妙な出来事の鍵はあの“虫”が握っていることは間違いない。並行世界への移動など、あの程度の実験ミスでは元来起こりえる物ではない。あの“虫”の能力がなんであるかが分からない以上何とも言えないが、“虫”の放った光が何らかの影響を及ぼしていることは映像から見ても明らかである。

 

 ただ、いまは考察するべき時ではないだろう、と凛は自身を律する。とりあえず細かい疑問は捨て置いて、今はあの“虫”についての大まかな疑問を投げかけることにした。

 

 「……あれが私の“虫”なの? でも、“かっこう”のモノとはだいぶ毛色が違うみたいね」

 「ああ、彼は同化型の虫憑きですからあなたとは虫の性質が異なります。あなたは分離型の虫憑きですからね」

 「“虫”にも種類があるってことね」

 「呑み込みが早いですね。その通り、“虫”は分離、特殊、同化の三種類に分かれます。くわえて“虫”の姿かたち、能力は宿主によって異なります。千差万別、十人十色ということですね」

 

 魅車はどこか嬉しそうに虫についての説明をする。さながら、出来の悪いわが子を褒める母親か何かのようだ。その姿に、腹の内から得体のしれない感覚が湧き上がる。こんな、毒婦のごとき母性を露わにしている存在を目にすることは凛も初めてであった。

 

 出来るならば、自身の“虫”についての情報を引き出したい所だったが、今の凛は“虫”を使えない。深くつっこむことで藪蛇を受けるになりかねない。それを避けるために、凛は話題を変えることにした。

 

 「そう。それでこの特環……、特別環境保全事務局だったかしら。この組織は何? いままでの感じからして、虫憑きを捕獲しているみたいだけど。しかも同じ虫憑きを使って」

 「あなたの言う通りですよ。この特別環境保全事務局は虫憑きを秘密裡に捕獲、管理、研究する組織です。捕獲に虫憑きを使うのも人目を鑑みての事です。虫憑きが出るたびに自衛隊を出していてはとてもではありませんが秘匿などできませんからね」

 

 軽く嘆息した魅車は、そのまま語を繋いだ。

 

 「それに昔から言うでしょう? 目には目を、歯には歯を。なら化け物には化け物を。そういう事です」

 

 そう言って、魅車は艶然と微笑んだ。その姿に、引きつりそうになる口元を抑えながらも凛はしっかりと彼女を見据える。

 

 「……化け物、ね。でもあなた、さっきあの“かっこう”に愛しているのに、とかいってなかった?」

 「ええ、言いましたよ。実際私は愛しています。私が愛してあげなかったら、他に一体誰があんな化け物を愛してくれるというのです?だから、化け物だろうと私だけは愛してあげるのです」

 

 ここに来て、凛はなぜ彼女の“愛”に怖気が走ったのかを理解する。魅車は確かに虫憑きを“愛している”のだろう。だが、その“愛”は常人の考える愛とは全く異なるモノだ。彼女の“愛”はそれこそ人間が死に瀕した動物に向ける感情と同じモノだ。

 

 憐れみ。かわいそうという感情が、この女の“愛”なのだ。おそらく、この女は虫憑きというモノを人であるとは思っていまい。哀れな化け物に自身は救いの手を差し伸べていると、この女は本気で思っている。そしてそれこそが“愛”であると、この女は本気で考えている。その破綻した精神性をうっすらと感じ取っていたからこそ、凛は戦慄していたのだ。

 

 壊れている。魅車という女は、人間として壊れている。かつて自身の兄弟子であった神父と、魅車はおそらく同類だ。かの神父が、醜いものしか美しいと思えなかったように、この女は憐れみという感情でしか、愛を表現することが出来ない。

 そんな凛の内心を知ってか知らずか、魅車は何事もなかったかのような表情で語を紡ぐ。

 

 「話がだいぶそれてしまいましたね。そろそろ本題に入りましょうか」

 「本題も何も、局員になれ、というだけだろう」

 

 士郎が忌々しいとばかりに吐き捨てる。そんな士郎に魅車は目を細めた。

 

 「当たらずとも遠からず、ですね。というのも、日本国内のみで発生していることもあって、虫憑きの存在はあまり表ざたにはなっていません。しかし、魔術師などの超常を生きる者達は話が違ってきます。彼らは神秘、虫憑きのような存在が氾濫することを嫌います。加えて、過激派の魔術師は虫憑きというモノをサンプルとして確保しようと画策しているのです。

 それに呼応するように教会の人間も異端を裁くという名目で虫憑きを付け狙う。今は、彼らがお互いににらみ合っているため大した動きもありません。ですが、あくまで仮定として将来的に虫憑きが表ざたとなって騒ぎ立てられることになった場合、確実に彼らは虫憑きに、ひいては日本に対して行動を起こしてきます。それを防ぐ為にも、両者をつなぐパイプ役は必要でしょう?」

 

 魅車の言葉は、あまりにも規模が大きすぎるために現実感を伴わずに響いた。だが、冷静になって考えてみればこれは当然の事態であるといえる。

 

 全国規模に組織を展開しなければならない程虫憑きが跋扈しているこの事態。神秘の漏えいを嫌う協会からすれば、目の上のたんこぶである。治癒せず悪化するのなら、取り除きに動いても何らおかしくはない。

 それは魅車としても好ましくないのだろう。

 

 「……つまり、私に虫憑き側について、魔術師側、つまり協会の様子を見ろって言うワケ?」

 「素晴らしいですね。ありていに言ってしまえばそうなります。一応監視班に所属することになるでしょう」

 「でも、それってスパイってことだろ」

 

 士郎は胡散臭そうに目を眇め、魅車を睨む。それを、彼女は柔和な笑みで受け止めた。

 

 「監視班に所属する以上は諜報がメインなので当然そうなります。とはいっても、魔術師側の情報を流してくれるなら、私たちに害のない範囲でですが自由に行動してもらって構いません。当然、土地の管理も継続してもらっても結構です。これは、こちら側からすればかなり譲歩した形であると思いますよ」

 

 確かに、これは破格の条件だ。捕獲された立場である凛に対してなぜそこまで譲歩するのか、彼女には理解できなかった。

 自然、それは警戒となって表に表れることになる。

 

 「……随分と大盤振る舞いね。その様子だとかなり切迫しているのかしら」

 「私達としても外部組織からの干渉は望ましくないですからね。たとえそれが魔術組織などという非常識的なものであろうと。そしてそれは、そちらも同様だと思いますよ。管理している土地で妙な異能者がはびこっているだけでも厄介でしょうに、このうえ戦地にまでしたくはないでしょう? それに何も、力で従わせるだけがすべてではないはず。これはお互いのための提案ですよ」

 

 魅車は諭すように言葉を紡ぐ。話の筋は確かに通っている。お互いが、お互いのために利用しあう。ギブアンドテイクの関係。安易な信頼関係や、支配関係よりもそちらの方がよっぽど信頼できる。それを口にするのがこの女でなければ、だが。

 その、ただ一つばかりの、しかし強い懸念を押し殺して凛は頷いた。

 

 「……いいわ。受けましょう、その話」 

 「本気か? 遠坂」

 

 凛の言葉に士郎は目を見開いて凛を見つめてくる。だが、彼女は彼を軽く一瞥して頷いた。

 

 「ええ。第一、拘束されている立場なんだから元々拒否権なんてないでしょう。拒否したところで、待遇が強制隷属か処分に変わるだけよ。それに生活に支障はなさそうだし、何より余計な軋轢を生んで戦争が起こさないためには、お互いの事情を理解して動ける人間がいるわ。予想しているよりも事は大きそうだし、私達だけでどうにかなる問題でもない。組織の力が必要よ」

 「そうか。考えての事なら別にいい。ただ……」

 

 凛から視線を逸らし、猜疑のこもった目で魅車を端倪する。その不安を見透かしたように、魅車は言った。

 

 「記憶のない彼女が私に扇動されていないか心配、ですか?」

 

 図星を突かれたのか、士郎が息をのむ気配がする。だが、確かにそれは憂慮するべきことだろう。

 凛は“遠坂凛”ではない。それ故に、虫憑き関連の知識を持ち合わせていない。虫憑きについて彼女が知りえたモノは、ここにいたるまでに目に留め、耳に入れたモノだけだ。この点はほとんど記憶喪失と同様と言える。

 

 しかも、士郎はビジネスホテルを出てからここにいたるまでに凛と会っていない。その間に彼女が特環側に何か吹き込まれたと考えていてもおかしくはない。もしかすると士郎は、凛が何らかの精神干渉でも受けているのではないか、と勘繰っているのではないだろうか。

 黙り込む士郎を前に、画面の中の魅車は笑み浮かべる。

 

 「疑う事も大切です。ですが、今回に限っては私が扇動する必要もないでしょう。これはお互いの利害が一致しただけの事。私はお互いに納得のいく落としどころを提示しただけです」

 「なら、なんでわざわざ俺たちを捕獲させたんだ?こんなことなら捕獲なんてせずとも、接触して話し合うだけで十分だっただろ」

 「仮にも虫憑きと接触するのです。私達にも建て前という物がありますからね。分かってもらえるとありがたいのですが」

 

 魅車の言葉に士郎は一度口をつぐみ、目を伏せる。魅車の言い分に不審な点はない。

 凛が精神干渉を受けた可能性がないわけではない。凛も並みの精神干渉ならば撥ね退ける自信はあるが、虫憑きに関しては未知であるため何とも言えないからだ。

 

 だが、精神干渉はリスクが高い。どれだけ高度に縛り付けようと、形の定まらない精神をいつまでも縛ることはできない。ふとした拍子で外れ、手向かわれる可能性はゼロになることはない。だからこその今回の話し合いの場を魅車は設けたのだろう。お互いの納得のいくラインで協力関係を作るために。

 すると、僅かの間思案するように地面を睨んでいた士郎が、つと視線を上げた。

 

 「……そっちの言い分はわかった。その上ですこし頼みがある。俺は虫憑きってわけじゃないけど、俺も遠坂と同じ扱いで局員にしてくれ」

 「衛宮君!?」

 

 その言葉に、凛は泡を食ったように声を上げる。魅車が欲しているのは虫憑きであり、協会公認の“管理者”の魔術師であるという立場を兼ねる遠坂凛である。だが今の言葉からして虫憑きではなく、その上一介の魔術師未満でしかない衛宮士郎はそうではない。今ここにいる理由もおそらく、“遠坂凛”と共にいたというだけ。だというのに、この男は自らの意思で虫憑きと同じ扱いを望んだ。おそらく、凛が心配であるというただそれだけの理由で。

 焦る凛を意に介さず士郎は強い意志のこもった声で語を繋ぐ。

 

 「俺だって腐っても魔術師だ。魔術師の協力者は多いほどいいだろ? 局員とまでいかなくても特環内で遠坂と行動を共にする権利、程度で構わない」

 「……まあ、いいでしょう。あなたの言う通り魔術師の協力者が多いのは助かります」

 

 僅かに間をおいて、魅車は士郎の提案を受け入れた。

 そして、一拍置くと魅車は深い森のように穏やかな笑みを浮かべる。立ち入ったが最後、戻れない迷いの森のような深遠な笑みだった。

 

 「さて、これであなたと遠坂凛は建前上特別環境保全事務局の局員となったわけです。階級は目立つのを避けるためにも無指定としておきましょう。遠坂凛のコードネームは“紅紋”とします。衛宮士郎については彼女の協力者という立場を与えましょう。詳細はおって連絡をよこすので今日はこれで終わりにします」

 「……わかったわ」

 

 凛は不服そうに士郎を流し目でにらみつつ、短く了解の意を示す。士郎の行動に不満がないわけではない。ただ、右も左もわからない今の彼女には、協力者が必要であるのもまた確かであったため複雑な心境に陥っていたのだった。

 

 凛の視線に何か感じる物があったのか、士郎が口元を引きつらせる。

 魅車は笑みを浮かべたままにそんな二人を見つめつつ、この会話の終りを告げた。

 

 「部屋の外に局員を待機させてあります。あなた達の身支度が整い次第、彼らに自宅付近まで送らせましょう。それではまた後日、“紅紋”」

 




 魅車さんはムシウタサイドでも特に精神、頭脳共にいい意味で行っちゃってるタイプなので、fateキャラとも合わせやすいです。そして、今さらながらこの世界の”凛”は虫憑きという設定です。平行世界ではあるのですが独自設定ですね。ただ、虫憑きにした意味はあるのでご容赦ください。
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