Fate/Kaleid Schmetterling   作:ひでぶ

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第六話 代行者

 午後一日、ショッピングモール内で思う様に買い物を行った凛と士郎は、沈みゆく夕日を背に家路についていた。一方は非常に軽い足取りで、もう一方はやや重い足取りを引きずっている。軽い方が凛で、重い方が士郎である。

 

 別段、今日の出来事は日常的に鍛えている士郎にとって肉体的にはさほど苦痛でもなかった。だが、精神的に堪える一日ではあったのだ。あらゆる店、それこそレディースの店舗内にすら散々連れ回され、荷物を持つこととなった士郎の精神は憔悴しきっていた。なまじ凛が目立つばかりに周囲の視線が痛いこともある。

 

 が、そんなことはまるきり頓着せずに活き活きとした表情で手を引っ張っていくものだから、水を差す気にもなれなかった。凛が楽しいというなら、それが彼にとっても楽しいことなのだから。しかし、楽しかったのは間違いないのだが、あの女性専門店の独特の雰囲気にはどうにも慣れることが出来そうにない。

 

 前を行く凛が、くるりと髪を舞わせながら振り返った。やわらかく広がった滑らかな黒髪が、夕日を受けて波打つように橙色を帯びる。清らかな清流のようだ。

 対して、その顔は小憎らしくほくそ笑んでいたが、同時に恐ろしく愛らしくも見えた。中身が違うとはいえ、これが惚れた弱みなのだろうか、と士郎は我が身を省みて嘆息する。

 

「士郎、アンタねえ。女の子の服選びくらいで疲れてたらこの先辛いわよ? “凛”ならもっとすごいとこ連れて行きそうなのに」

「恐ろしい事言わないでくれ。本当にありえそうだから困る」

「ならその時までに慣れておきなさい。十中八九からかわれるわよ?」

 

 からからと実に楽しげに喉を鳴らして身を翻すと、凛は士郎の横に並ぶ。

 しかし、今日散々彼を弄り倒しておいて、その言いぐさは何事か。まるで“凛”のようである。

 

 といっても、こうして両者の微妙な差異が分かるようになっただけでも進歩だろうか。すくなくとも“凛”と凛を時たま混同してしまう事があった時に比べればマシなほうだ。最近はそれなりに両者の違いが分かるつもりになったつもりである。

 

 簡単に言うと、この凛は遠慮しているのか、士郎相手にどこか一線を引いて接しているところがある。聖杯戦争で深く知り合って間もない時期、協力関係になったばかりのころを彷彿とさせる態度なのだ。対して、“凛”は最近やたらとあけすけなところがあったので、無駄にどぎまぎさせられた覚えがあった。その違いを意識してみると差は歴然であったのである。むしろ、これほど違いがあって気づかなかった彼自身がおかしいのか。

 

 だが何故か、今日の凛は“遠坂凛”と見分けがつかないほど彼に絡んできている。やけに浮かれているように感じられた。その理由は全く持って彼には判らないのだが。

 

 しかし、このまま言われっぱなしなのは納得いかない。と、士郎は昼間にうやむやにされていた話題を持ち出す事にする。

 

「で、今日ハルキヨって虫憑きと会ったっていってたな。それの詳しい説明をまだしてもらってないぞ」

 

 そう、数ある今日の出来事の中で最も士郎の精神を削っていったのは間違いなくこれである。

 事は、指定されていた時計台の広場で凛と落ち会って、いざショッピングモールの中を回ろうかと言うときに起きた。凛と連れ立って歩きながら、居並ぶ店を品定めしている最中唐突に、ああ、さっきハルキヨって虫憑きと会ったわよ。などと、知人と偶然にも遭遇したとでも報告するようにさらりと告げたのだ。本当に何の事もないかのように口走っていたため士郎も一瞬、ふーんそうか、と流しそうになったほどである。が、一瞬遅れてやってきた衝撃は忘れがたいものだった。

 

 例えるなら、某アンパンで出来た頭をもつヒーローのように、頭部が吹っ飛んで新しい顔に入れ替わったのではと思うくらいの衝撃であった。なにせ“ハルキヨ”である。並み居る虫憑きたちの中でも最強の称号を冠する一号指定の内の一人だ。異種一号に指定されてはいるものの詳細な情報がほとんど出回っていない、特環のブラックリストに載っている筈の虫憑きと知らぬ間に接触していたとあればうろたえもするだろう。

 

 どういう事だ、と人目も憚らずに詰め寄ったのを覚えている。それと同時に、凛が危機に陥っていたにもかかわらずのうのうと商店街を歩いていた過去の自分に殺意を覚えたモノだ。無事だったからよかったものの、万が一取り返しがつかない事態になっていたら悔やんでも悔やみきれない。

 

 だというのに、凛は大げさだ、無事だったからいいでしょ、などとその時はまともに取り合わなかったのである。納得できるわけもない。が、彼女はその時と全く同様に、やや呆れた調子で返答した。

 

「だから、少し喋ったあとすぐに別れたって言ってるでしょうに。アイツは私がどんな奴か確かめに来ただけだったらしいから、そんな大層なことしてないわよ」

「顔を見に来ただけって、そんな出鱈目な理由で一号指定の虫憑きが自らでてくるものなのか?」

 

 何度聞いても腑に落ちない凛の回答に、士郎は目じりを下げて頬を描く。

 その疑問は至極真っ当なものだろう。特環にすら尻尾を掴ませていないという神出鬼没の虫憑きにしては、あまりにも不用心な理由での接触の仕方なのだ。士郎の予想では頭の切れる人物を想定していただけに、どうにもイメージとみ合わない。

 

 といっても、実際に会ったという凛には士郎のイメージなど関係がないようだ。

 

「知らないわよ。ただ、アイツを理屈で推し量ろうとするのはやめておきなさい。型破りにも程があるタイプの人間だから。っていうかああいうタイプだからこそ、いまだに行動がつかめていないんでしょう」

「む。まあ、そういう見方もできるのか。ならその型破りなハルキヨって、一体どんな奴だったんだよ」

「どんな? 一言でいえば子供よ。欲望に忠実っていうか。子供と一緒にガシャポン回しながら一喜一憂して、女が好きそうで、馬鹿で、顔に変な包帯とマジックテープを巻いた変な男」

 

 思い返すように特徴を挙げていく凛。

 しかし、聞いている限りでは限りなく変質者に近い人物なのではないだろうか。まかり間違っても、一号指定を冠する最強の虫憑きの特徴であるとは思えないのだが。凛のうっかりで、実は別人でした、という事態も考え得る。

 

 凛は顔をひきつらせる士郎に、不満そうに口をとがらせる。

 

「あのねえ、事実なんだからしょうがないでしょ。それに一応、“虫”の能力も目星はついてるのよ?」

「戦ってもないのに能力が分かるのか?」

「アイツ、挨拶代りか何か知らないけど、軽く領域を展開してきたのよ。その時の感覚からいって炎を媒介にした特殊型の虫憑きと見て間違いはないと思うわ。能力の強度も、一号指定って聞いてもなんら違和感がないモノだったように感じたし」

「む」

 

 実際に能力を体感した上で、今の凛が強力な能力であると判断する程のソレならばかなりのやり手である事には間違いない。となるとやはりハルキヨ本人と考えるのが妥当なのだろう。しかし考えれば考えるほど、今凛が無事であることが綱渡りのような危険を越えた結果であるように思える。聞く限り、ハルキヨの人物像は直情的で破天荒なタイプだ。いくら彼の目的が凛の顔を見る事だけだったとしても、ほんの少しの気まぐれで殺される可能性はゼロではなかった筈だ。

 

「何、ひょっとしてまだ自分がもっと早くついていたら、とか考えてるの? 思い上がらないで。相手は一号指定、戌子よりも強い相手にアンタが来たところでどうなるのよ。それにね、心配性なのはいいけど、もう少し私を信じなさいよ。誰が簡単に殺されるもんですか」

 

 士郎の鬱屈した感情を読み取ったのか凛は叱咤するようにぴしゃりと言った。

 鋭く細められた目が士郎を射抜く。それは、自身の実力を侮られたことに対する怒りと、信頼されていないことに対する憤りがこもった視線だった。いや、それは正解のようで違うのか。常日頃、“凛”は衛宮士郎の自身を顧みない考え方に憤激していた。この凛の怒りの根底にあるモノもおそらくそれと同一なのかもしれない。

 

 彼女は険しい表情のままに言い募る。

 

「それにね、ハルキヨはアレで自分が決めたことは守るタイプみたいだから、よほどのことじゃないかぎりあそこで殺されることはなかったのよ。筋は通さないと気が済まないんでしょうね。でもそこにアンタが来たら話がややこしくなってたわ。アイツ、なんでかアンタの事すごい嫌ってたから。顔を合わせてたらそれこそほんとにやり合わなきゃならなかったもの」

「嫌ってた? 俺、ハルキヨと会った事なんてないぞ」

「それはアイツも同じよ。でも、アンタを見たことがあって、その時にソリが合わないって確信したんだって。とにかく、ハルキヨと会うことになったら問答無用で戦闘になるってことは覚えておきなさい。間違っても一人で何とかしようなんて馬鹿なことは考えない事」

 

 つっけんどんに言い放ち、凛は顔を背ける。

 態度にこそ棘はあるが、この一連のやり取りはすべて凛なりの不器用な気遣いなのだろう。凛は遠まわしに、無謀なことを考えるな、とたしなめているのだ。その気遣いは士郎としても純粋に嬉しい。自然と口元も緩んでしまうという物だ。

 

「ちょっと、なににやけてんのよ。笑い事じゃないんだからね。アンタ一人じゃどうあっても勝ち目なんてないんだから、無理に勝ちを狙わないで生き残ることだけ考えなさい。私とパスがつながっているんだから魔力を持って行ってもいいし、助けだって呼べばいい。“かっこう”にもいった事だけど、一人で出来る事なんてたかが知れてるってことを理解しなさい」

「ああ、分かった。大丈夫だ、これだけ言われればきちんと理解できる。遠坂に心配はかけないよ」

「む、誰が心配してるってのよ。いい? 協力者のアンタに勝手に死なれると迷惑だし、“凛”に申し訳が立たないって話をしてるのよ」

「オーケー、そういう事にしとく」

 

 意固地になって反論してくる凛が面白くなり、士郎は澄まし顔で受け流した。

 伊達に“凛”と一年以上付き合ってきたわけでもない。“凛”、凛問わずに遠坂凛という人物が素直でないことは士郎とて把握しているのだ。普段弄られてばかりな分、たまにはこうしてやり返さないと割に合わない。

 

 が、それがお気に召さないのか。凛はむくれっ面でへそを曲げている様子だ。

 

「アンタね……! いいわ、勝手にしなさいよ。まったく、無謀に特攻してのたれ死ねばいいんだわ!」

「ま、そうかっかすんなよ遠坂。こういうのはお互い様だ」

「……ホント、普段はそんな気なんて見せないくせに唐突に人をからかおうとするその癖、何とかならないの?」

 

 なにやら半眼で湿った視線を投げかけてくる凛。

 士郎が普段は人をからかう気配を見せないと彼女は言うが、特段そういう訳でもない。ただ彼は時と場合、相手を選んでいるだけである。面白くなりそう、と思った時なら彼とて盛り立てたくなるものだ。まあ、その基準が身内である馬鹿虎や、凛相手だと緩くなるきらいはあるが。

 

「誰かさんのが移ったと思って諦めてくれ。俺の数少ない楽しみなんだからな」

「いいけど。その分倍にして返すからそれだけは忘れないでね?」

 

 これから先が楽しみだわ、などと凛は実に晴れやかな笑顔を浮かべている。

 その発言の内容さえなければ雑誌の表紙を軽く飾れそうな華やかさであった。実に彼女の流儀に則った宣誓である。これは反抗の意思がなくなるまで叩き潰されるかもしれない。士郎は内心血の気が引いていく思いではあったが、なけなしの虚勢を総動員してそれに答えた。

 

「よし、ドンと受け止めてやる。かかってこい、遠坂」

「そ、じゃあこれからはいつもの五割増しでいくからよろしく」

「……すまん、やっぱり手加減してくれ」

「分かればよろしい」

 

 勝ち誇った表情で頷く凛。

 結局、開戦前に叩きのめされた敗残兵以下の士郎は安堵半分、悔しさ半分に肩を落とす。とはいえ、こんな何気ないやりとりですら彼にとっては十二分に楽しい出来事である。それと同時に、こんなことは身に余る幸せなのではないのか、他にやるべきことがあるだろう、と内心で囁く彼自身がいるのは聖杯戦争以前から変わらない。

 

 それでも、今この瞬間が幸福であることは間違いない事ではあるし、それを投げ捨てて行こうとまでは思わない。凛も言っていたが、一人で出来ることは多くないからだ。士郎一人で出来ることなど、大海に小石を落とす程度のことだけである。それでも凛と共にあるのならば、彼だけではとても達成できなかいことでも出来るようになると彼は思っていた。

 

 黄昏に染まる街路地を歩んでいく。足取りは既に軽い。凛とのやり取りで士郎の倦怠感はどこかに吹っ飛んで行ってしまったようだ。なんだかんだと有意義な休日であったのだろう。そこで士郎はふと、凛は午前中に何をやっていたのかを聞き忘れていたことを思い出した。ハルキヨの件で気をとられていたが、これも十分重要な事だろう、と彼女に尋ねようとしたその時。

 

 遠くで鐘の音が鳴るのを聞いた。

 今のは教会のモノだろうか。嫌に重苦しいソレは、のどかな景観には随分と不釣り合いな響きである。士郎はとっさに立ち止まって視線を巡らせると、彼の左手。通りを跨いで軒を連ねる民家の屋根の向こうに、周囲よりも頭一つ飛び出したオブジェが目に入った。白い大きな十字架である。

 

 急に立ち止まった士郎を不審に思ったのか、凛が数歩先で立ち止まり訝しげに彼を見やる。

 

「ちょっと、士郎。どうしたのよ、急に」

「いや、あんなところに教会なんてあったのか、なんて思ってさ」

「へ? 教会?」

 

 凛がきょとんとした声を上げる。

 ソレに頷き返すと、士郎は屋根の向こうに垣間見える十字架を指さした。

 

「ほら、あそこだよ」

「ホントだ……。あんなところに教会があったなんて盲点だったわ。ってことは東中央を監視する聖堂教会の拠点はあそこか」

 

 なにやら思案顔で口走っている凛。

 士郎としては偶然の発見だったのだが、これは存外役に立てたようだ。一本向こうの通りに行けば割合直ぐに立ち寄れそうな距離にあるのだし、顔を出してみるのもありかもしれない、と彼はその旨を口にする。

 

「気になるならよっていくか? 教会が魔術師を嫌っていると言ったってこの状況下で問答無用に襲ってくるってことはないだろうし」

「そうね、どんな奴がいるか程度はおさえておきたいしその案には賛成。いくら異端を憎む教会と言っても、私の世界以上に協会と睨みあってる現状で不用意に手は出しては来ないと思うわ。それも、“私”が虫憑きであるとばれたらおじゃんでしょうけど」

 

 ま、十中八九ばれる事なんてないでしょうね。

 と、凛はあっさりと言ってのける。まあ、それは士郎も否定はしないが。なぜなら、虫憑きの力は魔力を発しない。その実態はどこまで行っても異能であることには違いないが、魔力の探知に引っかかることはあり得ないのである。虫憑きをはっきりとそうであると認定するためには、同胞の力の波動を感知できる虫憑きの力を用いるか、“虫”の現物を直に見て確かめるほかにない。

 

 特環などと言う組織が出来上がり、国内で虫憑きが好き勝手に跳梁跋扈できている理由はその隠密性があったればこそだ。教会や協会は極東の島国における虫憑きなどと言う荒唐無稽な噂になど、初めは見向きもしなかった。が、余りにもその絶対数が増えすぎて表ざたになることが多くなり、そこで初めて彼らは虫憑きを認識したのである。

 

 その時点でもう手遅れ。虫憑きたちはすでに組織としての体裁すら整え、一号指定と言う強力な戦力を擁するようになっていた。協会や教会と言った一大組織であっても、真っ当に相手をするには損害の大きさを覚悟しなければならない状態となっていたのである。この時点で、協会と教会には虫憑きを探査する能力を持っていないことは明白だった。

 

「よし、決まりだ。もう日が暮れるし、さっさと済ませよう」

 

 凛を促し、士郎は車通りが無いことを確認して道路を渡る。

 若干遅れて、凛も通りを横断した。彼女を伴い、士郎は教会がある通りに出るために民家の間を走る細い路地を抜けていく。

 

 そうして、路地を抜けて突き当たった街道の側に、それは建っていた。

 さほど大きな教会でもない。日本での立場を示すかのように、立ち並ぶ民家の間に申し訳なさそうに小ぢんまりと居を構えていた。

 

 協会の手前には十数メートル程度のこれまた小さな庭園があり、よく刈られた緑色の芝を白い石畳が入口と出口まで両断している。庭園の端には色とりどりの花が活けてあり、よく手入れされているのか大輪とまではいかない物のそれぞれが精いっぱいに花びらを広げていた。

 

 教会の建物自体はよくあるステレオタイプそのままの見た目だった。白を基調とした壁面に三角形の屋根を持ったタイプで、その天辺に申し訳程度の鐘を収めた小さな尖塔が乗っかっており、それが白い十字架を掲げている。全体的に荘厳さや華美さといった物はないものの、楚々とした雰囲気を持った清貧を主とする教会らしい教会であるようだ。

 

 それを前にして、凛は感心したように口を開いた。

 

「へえ、冬木の教会と違って大きくはないみたいだけど、私はこっちの方が好きかな」

「まあ、あの教会はアイツがいたせいか来るものを威圧するっていうか、膝を折らせて懺悔を強いてくるみたいな空気があるからな」

 

 神の家の威厳を保つためにはそれでいいのかもしれないが、汝の隣人を愛せよという精神に則るなら冬木のあの教会は少し格式高過ぎる。無駄に広大な敷地に、重苦しく垂れ込めた粛然とした空気。ただそこにいるだけで己の罪をとがめられているかのような気分にさせられる程、閉塞感に満ち溢れていた。

 

 なにより、かつてあの教会の主だった神父の気質のせいもあって、圧迫感が二割ほど増していたということもある。あの男の威圧するような低い声色。悦を滲ませた陰鬱な嗤い。ゆっくりと手足を捥ぐように心の傷を切開してくる姿は今も記憶に新しい。

 

 まあ、それらを差し引いても近寄りがたい場所であったことには間違いあるまい。だが、と士郎は語を継いだ。

 

「ここはそう言ったモノは感じないな。開放感があって居心地はよさそうだ」

「この教会を管理してる人が堅苦しいのを好まない人なのかもね。監視者を任されているような奴だから、分別なく異端を狩り殺すなんて人間では務まらないだろうし。と言っても、此処にいる人物ってだけでそれは間違いなく代行者だろうから気を抜かないで」

 

 戒めるように凛は士郎に言い含める。まあ、その忠告はもっともだ。魔術協会における虫憑きの監視者のうち一人はバゼット・フラガ・マクレミッツ。封印指定の執行者の中でも選りすぐりの腕利きである。ならばそれに対応する教会側の監視者もそれ相応の人物でないと釣り合わない。

 

 よって監視者は代行者。教会の異端審問官であるはずだ。代行者はその名の通り、神の代行を果たす者を指し示す。その起源は神が創造した完璧であるはずの世界に、確として魔が存在したことにあったという。

 

 しかし、教会はその魔すらも神の被造物であり耐え忍ぶべき試練であるとしている。故に本来、神の被造物である魔を滅ぼす権利など教会の使徒は持ち得なかった。だが、魔による人智を超えた所業に、神に救いを求める声が上がった。

 

 そこで、例外が発生する。奇跡を求める声に応じる神。その代行を成す者が現れたのだ。本来存在しない第八秘蹟を身につけ、魔を撃滅する者。彼らは魔を滅し、教義に無いモノを駆逐する。主の威光を守るために、主の被造物である魔であっても悉く殲滅する群体。それが代行者と呼ばれる者達である。

 

「分かってるさ。それに聞いたところでまともに答えてくれないだろうからな。どんな奴か確認するだけだ」

「ならいいわ。じゃあとりあえず中に入ってみましょうか」

 

 躊躇なく歩を進める凛に、士郎は静かに追従する。

 庭園を横切り、木造りの扉の前に辿り着いた凛は、士郎に目配せする。それに士郎が厳かに頷き返すと、彼女は扉の取っ手に手をかけて押し開いた。

 

 ぎし、と金具を軋ませて開かれていく扉の向こうは礼拝堂になっていた。奥行きのある空間が広がっており、真っ直ぐに伸びる赤い通路が最奥の祭壇まで延びている。その両脇には聴講用の木椅子が規則正しく並べられていた。アーチ状の天井の縁には対面と対になったステンドグラスがはめ込まれており、それが等間隔に並んでいる。差し込む夕日の明かりを受けて降り注ぐ輝きは礼拝堂の中を幻想的に彩っていた。

 

 そしてその輝きを浴びながら、祭壇の前に彼らに背を向けて佇む人影が一つ。それ以外に人の気配はない。背格好は、黒く裾の長い修道服を着込んだ小柄な人物で、その服装や細い肩、丸みを帯びた体つきから女性であることがうかがえる。

 

 おそらく彼女がこの教会の主なのか。協会に入る前は、ここの主は開放的で穏やかな人物と踏んでいたのだが、主前において祈りをささげているのだろうその姿は空恐ろしくなるほど清らかで犯しがたいモノに思えた。そのあたりはさすがに神職についている人間というべきなのか。

 

 どうにも、話しかけるに話しかけられない空気であったので、結局シスターの礼賛が終わるまで入口で突っ立っている形になってしまった。粛々と礼賛を終えたシスターは、ゆったりとした所作で振り向く。

 

 青みがかったショートカットの黒髪に知的さを示すような眼鏡、その向こうに日本人離れした碧眼が覗き、抜けるような白い肌をした美しい女性だった。いや、女性と言うよりはまだ少女と形容してもいい程度に幼く見える容姿をしている。その、普段は穏やかで柔和な顔つきをしているだろうと思わせる彼女はしかし、形のいい眉を吊り上げ、見る者を凍らせる酷薄な瞳でもって凛と士郎を睥視していた。

 

「礼賛が終わるまで待っていたことは褒めてあげましょう。ですが、ここは神の家です。あなた達のような不心得者が訪れる場所では無い筈なのですが」

 

 放たれる声はどこまでも平坦で無感情だ。

 だというのに、まるで糾弾されているかのような気分にさせられる。彼女の瞳は冷厳としたまま揺らがない。責めるでも謗るでもなく、突き刺すような敵意を送ってくる。凛はそれを涼しげな表情で受け流し、揶揄するように言う。

 

「あら、随分と狭量なのね。でも、私達を一目で不心得者であると分かる貴女も大概だと思うけど」

 

 シスターの語る不心得者、とは魔術師のことを指しているのだろう。教会は異端を許さない。彼らの教義において奇跡は選ばれた聖人だけのモノだ。故にこそ、聖人でないにもかかわらず奇跡を行使する魔術師を徹底的に排除する。その為に、魔術協会と聖堂教会は不倶戴天の敵同士なのである。

 

 とはいえ、それを一目で見抜くこのシスターも異常。魔術師は、魔術と言う奇跡を扱うからと言って使い古された魔法使いのシンボルを纏っている訳ではない。三角帽子も長いローブも、おとぎ話だけの存在である。よってごく一部の例外を除けば、魔術師は魔力を生成し操れるという点を除いて普通の人間と外見上の差異などありはしない。それは凛と士郎も同様だ。

 

 すなわち、魔術師をそうであるかないか判別するためには、まず魔力を探知する必要があるのだ。ならば初見で凛と士郎が魔術師であると看破したこのシスターもまた、魔力を操り探る術を持っているというコトに他ならない。

 

 が、そんなことは詭弁であると言うようにシスターは冷たく斬り捨てる。

 

「私は主の代行を認められた人間ですから。秘蹟を行使する権限を持っているだけです」

「ま、分かり切っていたことだけど代行者か。となると貴女がこの区域を担当する監視者って訳ね」

 

 したり顔で頷く凛。

 それも当然か。予めから彼女が代行者であると目星をつけて訪れたのだ。こんなものはただの確認。軽口に過ぎない。

 

「なるほど、その様子だと虫憑きを知っているようですね。見ない顔ですから、協会の監視者という訳でもないようですが」

 

 凛の言葉を特に否定はせず、シスターは推し量るように士郎と凛を見比べる。

 その口ぶりからすると、シスターは魔術協会から派遣された監視者をある程度知っているようだ。情報の収集に抜かりはなさそうである。

 

 余計なごまかしは利かないと踏んだのか、凛はあっさりと身元を明かした。

 

「ま、そうね。私たちは協会からの使者って訳じゃないわ。ただ、土地の管理者ではあるから無関係ではないけどね。自分の土地の中によくわからないモノが溢れていたら調査したくなる物でしょ?」

「セカンドオーナーですか。その言い分だと独自に動いているだけのようですね。そんなはぐれ魔術師が此処に一体何の用です」

「用? そんなものはないわ。っていうかもう済んだもの。貴女がどんな程度の人物か見に来ただけよ」

 

 あっけらかんと告げる凛。しかし、なんというあけすけな答え方をするのか。

 駆け引きもなにもない実にシンプルな回答。敵地といって差し支えない教会内に訪れておきながらこの言いぐさとは傍若無人極まりない。

 

 当然、この教会の主たるシスターがいい顔をするわけもなく。

 

「随分と舐められた物ですね。異端、これ滅すべし。私があなた達を生かして帰す道理がありますか?」

「ないわね。でも、殺す理由もない。こんな状況でセカンドオーナーを殺したらどうなるかは貴女だって理解しているでしょ。大体、貴女が異端即滅す、なんて分別無しならとっくにここに張った結界を起動させて煮るなり焼くなり好きに出来るようにしているでしょうに。入ってみてようやく分かったけど、此処、とんでもない工房みたいだし」

 

 おかしい、何かとんでもないことを凛は口走らなかったか。

 結界とかなんだとか。そんなもの士郎にはまるで感知できなかったが、凛の言い分だとここはあのシスターの胃袋の中のようなモノだというコトだ。

 

 内心の動揺を隠して士郎は凛に思念を飛ばした。

 

『なあ、遠坂。ここ、結界が張ってあるのか?』

『あら、場の異常には敏感なアンタでもダメか。でも、気づかないのも無理もないわ。正直コレ、私でも意識しながら中には入ってようやく違和感を感じられた程度だったから』

『違和感? でもやっぱり俺はこの場には歪みなんて感じないんだけどな』

 

 衛宮士郎は世界の歪みに敏感だ。魔力の感知こそ得意ではないが、結界などの場を仕切って歪ませる類のものは大抵感覚で分かる。肌にまとわりつくような空気の粘っこさや、臭いといった体感的な違和感として現れるのである。その彼の感覚が、この場には何の異常もないと告げていた。

 

 ところが、凛はどこかささくれ立った思念でそれを否定した。

 

『それが違和感なのよ。神の家、教会っていう物は結界なんてなくったって相応の霊的場が出来る物なの。だっていうのにここの中は外界と区別がつかないくらい正常。これ、多分内と外の空間を反転させてるのよ。それなのに外から見た時はまるで異常を感じ取れないくらいに歪みを抑えてある。完成している結界をここまで隠匿できるなんて出鱈目だわ。これで魔術師が本業じゃない代行者だっていうんだから笑えるところね』

『つまり何か? あのシスターはとんでもない魔術師だってことか』

『ええ、そうよ。結界を表返した時、ここは本当の姿を見せるんでしょうね。正直舐めてたわ。協会に対応した戦力は置いているだろうとは思ったけど、予想以上。代行者ってことは魔術一辺倒って訳でもないでしょうし、ひょっとしたらひょっとするわね』

 

 凛が疑惑と警戒の眼差しをシスターに向ける。

 それまで沈黙を守ってきた彼女はその視線に燻りだされるかのように口を開いた。

 

「まさか、結界を見抜いているとは思いませんでした。流石に鏡面結界はやり過ぎでしたか。違和感をなくしたことが逆に違和感になっていたのでしょうね。この状況です。防備は必要だと考えて張ったのですが、やはりこんなもの(魔術)は使うべきではありませんでした」

 

 シスターは腰に手を当てて自戒するかのように嘆息し、目じりを下げている。いやに俗っぽいその姿は代行者と言うより世話好きな少女のようである。今まで人間性を感じられない無機的な態度をとっていたことから、そんな程度の事が際立って見えるのか。というより、教会の外観からしてもこちらの方が彼女の地なのかもしれない。

 

 それを取り繕うかのように表情を引き締めると、シスターは続けた。

 

「いいでしょう。私もこんな些末なことで開戦の火蓋を切るつもりもない。このまま立ち去ってくれるというのなら是非もありません。私たちは異端を滅することに手段を選ぶことはありませんが、それを行うべき機と言う物を弁えてはいますから」

「ならそうさせてもらうわ。私達もこれ以上ここにいてとばっちり受けるのはごめんだし」

 

 ある程度の技量が見れただけで十分、とつぶやいて邪な笑みを浮かべた凛が踵を返し、教会の扉に手を掛ける。

 士郎もまた、教会から出て行く凛の後を追って開かれた扉の外に足を向けた。そうして背後で閉まっていく扉の間から、

 

「気を付けなさい。敵は外界のみに存在する者ではありません。その内から瓦解せぬよう、心しておくことです」

 

 予言のような戒めを残して、聖堂は厳然とその口を閉ざした。

 その真意はわからない。士郎の内面に切り込んだ言葉なのか、それとも他の何かに対する警鐘だったのか。読み取れないが、ただ胸の内にシスターの言葉が重苦しく淀んでいる。冬木教会にいた似非神父と言い、このシスターと言い何故神職の人間は毎度彼に対して思わせぶりな言動を投げかけるのだろうか。いずれにせよ、どうにも衛宮士郎と教会と言う物は相性が良くないらしい。

 立ち止まって、その扉の合わせ目を見据えていた士郎に、凛が急かすような声をかけてくる。

 

「士郎、さっさと行くわよ」

「ああ、分かった」

 

 どこかうわの空で返答し、士郎は教会に背を向けた。

 

 

 既に日は没している。民家には明かりが灯り、晩餐に賑わっているのだろう。街道を行く士郎と凛を春の清涼な夜風がくすぐっていく。

 彼らの拠点である洋館へ続く坂道に差し掛かったころ、士郎はふいに口火を切った。

 

「で、結局のところあのシスター。どれ位のモノなんだ?」

「ん? ああ、アイツか」

 

 物思いにふけっていたのか凛は気のない声で答える。

 が、それもすぐに打ち切ったように視線を士郎に向けた。

 

「さっきも言ったけど、魔術師としての腕前は破格よ。協会の基準でいえば“王冠”の位階には軽く達しているでしょうね。あれほどの結界を“空気が正常過ぎる”という違和感以外で感知させなかったことに加えて、私達に自前の魔力を全く悟らせなかった手腕。間違いなく怪物よ。戦闘能力に関しては未知数だけど、純粋な魔術の技量ならバゼットよりも上かもね」

「バゼットより上って、あのシスターがか? やっぱり教会も監視者には凄腕を選んできたんだな」

「そりゃね。少し予想以上だったけど、そうじゃなきゃ協会に対する抑止力にならないんだもの。その上、最悪虫憑きと戦うことになったらあの“かっこう”と同格か、それに準ずる虫憑きの相手をすることになるのよ? 教会はいまだに死徒二十七祖なんて化け物と事を構えている組織なんだから。その上位ランカーの実力なんて考えるまでもないでしょう。一号指定の連中と遜色のない奴らがいたとしても全く不思議じゃないわ」

 

 捲し立てるように凛は述べ立てる。

 その勢いは衰えず、更に彼女は語を継いだ。

 

「特に“埋葬機関”の奴らは尋常じゃない連中だって話だし。ってちょっと待ちなさいよ。ひょっとしたらアイツ……」

 

 何かを察したかのように凛の顔がこわばり、視線が宙を泳ぐ。

 だが、どうにも聞き覚えのない名称に士郎は首をかしげた。どうやら彼女はあのシスターがその機関の一員であるのではと危惧しているようだ。“埋葬機関”という語感からして教会の代行者たちの一部門なのだろうが、彼にはそのあたりの知識が乏しい。

 

「なあ、遠坂。その“埋葬機関”ってなんなんだ?」

「アンタね……。まあいいわ、代行者の中でも特に過激な武闘派連中の集まりだって覚えておきなさい。教会の中でも異端中の異端。対象を異端と認定すればたとえそれが教会の人間(同胞)相手でも即座に串刺しにするような連中よ」

「おいおい、あのシスターがそんな物騒な奴だったら俺たち今頃死んでるんじゃないのか」

「だからあくまでも可能性を考慮しただけ。でもアレだけの奴がただの代行者だとも思えないのよね。いずれにせよ最低でもバゼットに並ぶくらいの実力者であると考えておきましょう」

 

 ああ、後一応ハルキヨのことは土師に報告しとかなきゃ、などと付け足した凛は、それきり思いつめた様子で口を閉ざした。

 士郎が前に目を向けると、既に坂の頂上が迫ってきていた。洋館の無駄に立派な門の輪郭が徐々に濃くなっていく。長かった一日にも、ようやく終わりが近づいてきたようである。

 

 しかし、休日であったというのに、どうにも今日は物騒な情報を得る機会が多かったように思われる。“ハルキヨ”と教会のシスター。そのどちらとも、接触した時は僅かであり確信に迫るような情報は得られてはいないのだが。とはいえ、両名とも頭一つ抜けた実力者であることは間違いない。

 

 今後有事が起こった際に、この二名を相手にすることも十分に考えられる。だが、今の士郎では決定的に実力が足りていない。最低限、彼らに迫ることのできる強みを磨かなければ同じ土俵に立つことすら叶わないだろう。

 

 だからこそ、また翌日に再開されるだろう訓練には身を入れて臨むべきだ。そう、せめて“あさぎ”から一本取れるくらいになって見せなければ、この先立ちいかなくなってくる。最も、それが簡単にできるようなら苦労してはいないのだが。故に千里の道も一歩から。しっかりと踏みしめて進んでいけば、いつかは届くときも来るだろう。

 

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