Fate/Kaleid Schmetterling 作:ひでぶ
特別環境保全事務局、東中央支部。その本拠地たる地下施設の一室、白くてだだっ広い殺風景な訓練室に毎度の如く“あさぎ”の訓練生たちが集められていた。凛と士郎、そして“みんみん”と“兜”の計四名の特環局員たちである。
最早恒例、親しみすら感じる程度には利用してきた訓練室だが、こう頻繁に利用する機会もなくなるのだろうか。などと少したそがれた感想が士郎の胸に浮かぶ。そんなことを思うのも、今日の訓練が最終訓練である、と“あさぎ”からの通達があったからだ。
“あさぎ”の指導を受け始めてから二か月強。彼女の教官としての手腕は間違いなく一流であると士郎は実感している。少なくとも訓練を行う前の士郎と凛では、号指定中位相手に五分近くでやりあうなどあり得なかっただろう。それだけでも驚異的な進歩である。
やはり、教え子の長所と短所、伸ばすべきポイントをしっかりと抑え、こちらの限界を測りながら徐々にそれを引き伸ばしていく手管には敬服に値する。その様は練達した鍛冶屋か、画家のソレである。鍛える工程を整え、試行錯誤しつつも、教え子という一つのコンセプトが決まった作品がその枠の中で最大限のパフォーマンスを示せるように磨き上げていく。まさに職人技だ。
そして今日はその仕上げということになる。“あさぎ”は思っている以上に多忙なようで、そろそろ他の管轄の区域に移動する必要があるらしい。考えて見れば簡単な話である。聞いた話では彼女の教えを受けた生徒の大半は号指定を受けて各地で活躍している期待の局員ばかりだというのだ。実績からして申し分ない。そんな指導者なら他にも訓練を任せたいと考える者が多くいてもおかしくないだろう。引く手あまたというのも頷ける。
「しかし、あれだけ苦しかった訓練も今日で終わりか。長いようで短かったな」
壁際で黙したまま“あさぎ”の到着を待っていた士郎に、“兜”が声を掛けてきた。
大柄で屈強そうな体格の少年だ。号指定は火種六号、分離型の虫憑きである。寡黙ではあるが、人当たりが悪いわけではない。大人びているだけである。“あさぎ”の厳しい訓練にも黙々と励み、それを誇るでもへりくだる訳でもない姿勢はよくできた人物である、と士郎に思わせている。
頷いて士郎は同意を示した。
「そうだな、なんだかんだであっという間だった気がする。終わるとなると寂しい気もするな」
「“あさぎ”の訓練は確かに心身に堪えたが、決して乗り越えられないモノではなかったからな。それを少人数とはいえともにこなしてきたのも貴重な体験だった」
「そう? アタシたちをいびって楽しんでるだけじゃないの?」
ツインテールにした黒髪のー房を人差し指で巻いて弄んでいた“みんみん”が、揶揄するように口を挟んでくる。
この少女は“あさぎ”が土師に重宝されていることが気に食わないのか、あまり好意を示したがらない。まあ、“あさぎ”の手腕は自体は認めているだろう、訓練の方針に口を出す事こそないのだが。それを“あさぎ”も理解しているのか、むしろ弄って遊ぶ側に回っている。なんとも不憫である。しかし士郎としては土師圭吾相手にこれほど好意を寄せられる彼女は、ある種とても純粋な人間なのではないか、とも思う。
それに“あさぎ”が教え子をいびって遊んでいる、という言い分もおそらく半分くらいは的を射た指摘だろう。そうでなければ四苦八苦する士郎たちを見て、あんなにも晴れやかに微笑んでいられるはずもない。
“兜”が苦笑しつつも“みんみん”を窘めるように言葉を紡いだ。
「ま、それもあったかもしれんが、訓練が身になっていることは確かだろう。もう少しオブラートに包んだらどうだ、“みんみん”」
「だってねー? あんなに強いっていうのに前線に出ないで訓練を任されてるだけっておかしいじゃん。絶対育てた人たちの大半より強いよ、あのワンコ教官サマは」
不満そうに口走る“みんみん”。
態度はともかくとして、その意見には一理あると言える。“あさぎ”は教官としても優れていることは確かなのだが、どうにも戦闘者としてのセンスがずば抜け過ぎている。三号指定という階級に看板に偽りあり、と文句を垂れたくなる有り様だ。少なくとも、特環最強の局員である“かっこう”と加減抜きでやり合って五分である時点でどこかおかしい。
それほどの強さを持ちながら、彼女は戦闘班の戦列には加わらない。本人が戦いを好む生粋の戦士であることは一目瞭然だというのに、だ。戦いの空気、臭いと云うモノを肌で感じているような時、“あさぎ”の纏う空気は明らかに平時とは一線を画する。狩場に入った獅子の如き獰猛さを滾らせ、高揚と嗜虐心に胸を躍らせる相貌こそが彼女の本質なのだと教え子たちは否が応でも思い知らされている。
なればこそ、疑問でならない。戦いこそを生きがいとし、それに見合った戦闘力をもつ“あさぎ”が何故に第一線を退き、教官という身分を通しているのだろうか。彼女は自身を戦士としては落伍者に過ぎない、と自嘲することが多いがそんなことはあるまいに。十二分に前線で戦い抜ける力を持った存在だろう。
その訳を“あさぎ”は黙して語ろうとはしない。まあ、語らない以上無理に聞くこともないだろう、と特に尋ねることもなかったが。本人がいないことを良い事に調子に乗ったのか“みんみん”の口は止まらない。
「それとも暴れすぎて敵味方もろともなぎ倒してたりしたのかも? それで前線に来るなって言われたとか」
なんというか、普通に有りそうで恐ろしい。
隣の凛が笑いをこらえている。彼女が一度暴れ出すと歯止めが利かなくなることは“かっこう”との一騒動の時に身を持ってここにいる一同はみんな体験しているからだ。溌剌と笑いながら岩盤すら叩き割りそうなホッケースティックの一撃を振るう姿を思い起こして、顔が引きつる。
その時、
「随分な言いようだねー、“みんみん”。その素直すぎる性格も嫌いではないけど戦闘者としては欠点だから弁えろ、と何度も忠告したと思うんだけどな」
そのお気楽な声に、“みんみん”の動きが一瞬で固まった。
ぎこちない動きで、士郎たちは声の方角に目を向ける。その先には、力の抜けた笑みを張り付けたまま部屋の入口から悠然とこちらに歩み寄ってくる“あさぎ”の姿があった。相変わらず、黄色い雨合羽に棒付き飴を咥えた出で立ちである。
「まあ、仲間ごと敵を潰したことがあったのは否定しないけどね。邪魔をされると、つい」
柔らかそうな唇の片側を吊り上げ、“あさぎ”は中々洒落にならないことを口走る。
若気の至りさー、などと喉を鳴らしているが感情が読めなくて恐ろしいことこの上ない。“みんみん”も強がって視線を逸らそうとはしないが、内心気が気ではないだろう。
ところが、身を固くした四人の手前まで来て足を止めた“あさぎ”は、
「でもまあ、一つ言うならボクは何も好き好んで第一線から退いた訳ではないのだよー」
気に障った風でもなく、むしろ決まりが悪そうに目を伏せた。軽い諦観と悲嘆を滲ませた吐露は、常に緊張感なく飄々としている彼女らしからぬ響きだった。しかしこの今までの会話を聞いていたかのような言い分からして、今しがた来たばかりという訳ではないらしい。
訝った凛が声を上げた。
「戌子、アンタいつからいたのよ?」
「初めからいたとも。最初は天井に張り付いていたけどねー。全くもっと周りに気を配りたまえー。修行が足りないぞ」
先ほどの消沈具合が錯覚に思える程、のんびりと返す“あさぎ”。
つまりここで行った会話は徹頭徹尾聞いていたということだろう。人が悪いにも程がある。が、同時に彼女の隠形を察知できなかった自身の不覚を士郎は内心恥じることになった。
教え子である四人を見回して、どこか意外そうに“あさぎ”は語を継ぐ。
「しかしキミたちはボクの経歴なんかに興味があったのかい? みっともないから語って聞かせるつもりもなかったし、興味もないと思ったのだけどねー」
「あのね、三号指定で“かっこう”とやり合えるような奴がなんだって教官業に専念してるのか、気にならない訳ないでしょう」
何をいまさら、と凛が嘆息する。
「……何度も言っているが、ボクは戦士として落伍者なのだよ。だから教官になった、ではだめなのかな?」
「あのね、落伍者の強さじゃないでしょアンタのソレは。別に無理に理由を聞こうとは思わないけど」
「なら聞かないでくれたまえー。あまり面白い話でもないからね。過去の栄光に縋る戦士ほどみじめなモノもない」
茶化すように笑って見せる“あさぎ”。
締まりのないその姿から深刻さはあまり感じないが、やはり触れてほしくない過去があるのだろう。凛もそれが分かっているからか、決まりが悪そうに目を彷徨わせると、
「そうね、私にとってアンタは優秀な教官。それで十分よ」
「ふむ、形はどうあれその言葉はうれしいよ。ありがたく受け取っておこう」
そう、“あさぎ”は柔らかく顔をほころばせた。
毛恥ずかしくなったのか、凛は頬を赤らめさせてそっぽを向いている。何とも微笑ましい眺めである。
そこに、
「……こんなことだろうとは思ったが、ワンコお前、何の用だ」
そんな、実に憂鬱そうなぼやきが五人の元に届いた。
視線を移すと、訓練室の入口から一歩進んだ位置で頭痛を堪えるようにこめかみを押さえている“かっこう”の姿があった。先ほどまでの翳りを露程も感じさせない間延びした声で、“あさぎ”が彼に呼びかける。
「おお、来たようだね。見ればわかるだろうけど、訓練に付き合ってもらうよー」
「土師のヤツめ、嵌めやがったな。後で覚えていやがれ……」
苦虫を噛み潰したような渋面で悪態をついた“かっこう”が歩み寄ってくる。
その足取りは重い。今にも己の足元の影の中に没していきそうな有り様だ。しかし、声を掛けずにさっさと黙って退散していればこんなことにはならずに済んだかもしれないというのに、わざわざ喋り掛けるとは意外と律儀な性分なのかもしれない。
彼は士郎たちの側で足を止め、詰るように“あさぎ”を見やる。
「――まあ、いい。どうせ何を言っても平行線になるだけだ。やるならさっさと始めようぜ」
億劫そうに大きく息を吐いた“かっこう”が、投げやりに促す。
なんだかんだ、引き受けるつもりではあるらしい。というよりも“あさぎ”との付き合いが長いからこそ、すっぽかした方が面倒なことになると身に染みて理解できているからなのだろうか。意外と苦労人気質である。とはいえど、手早く済ませて退散したいという思惑が透けて見えのも確かだ。
それを受けて、“あさぎ”がしてやったりと言うように口角を吊り上げた。
「お、ようやくその気になったね。何、そうむずかしいことは要求しないさ」
「要求されたところでそれを素直に守るわけでもないがな。で、内容はなんだ」
「ふむ。それじゃあ、説明をはじめようか」
周囲を見渡して、“あさぎ”は揚々と言葉を紡ぐ。
「まず、“兜”と“みんみん”はボクについてきてもらおう。そこで高位の特殊型との戦い方を教える。詳しい説明はそこで行う」
“あさぎ”の説明に、“兜”がしかつめらしく頷き、“みんみん”は不遜に鼻を鳴らす。
了解の意を確認した“あさぎ”が凛と士郎、そして“かっこう”に視線を移した。
「さて、“かっこう”と“紅紋”、士郎だが、こっちの指示はシンプルだ。“紅紋”と士郎は全力で“かっこう”に向かって行けばいい。“かっこう”は一撃受けるか躱す毎に、一発だけ反撃していい。この際、“かっこう”は向こうが何もしかけてこない場合は十秒毎にも一回攻撃して構わない。“かっこう”の顔か胴体に一撃入れるか、“紅紋”と士郎がノックアウトしたらそこまでだ」
「ルールは理解した。で、一つ聞くが。その反撃っていうのは全力でいいんだな」
“かっこう”のゴーグルの遮光版が紅く燃える。
それだけで、訓練とはいえ手抜きするつもりはさらさらない、という意思が伝わってくる。たとえ“あさぎ”がノーと言ったところで、彼は本気で反撃してくるに違いない。その眼光を“あさぎ”は悠然と受け流し、くぐもった笑い声を上げる。
「当然。何のために最後の訓練にキミを呼んだんだと思うんだ。あまり見くびらないでもらおう。ここふた月の訓練で、ハンデを付けたキミくらいは乗り越えられる程度に鍛えてきた。キミこそ、いつの間にか獲物に狩られる狩人になっていないよう気を付けたまえー」
「いいぜ、その言葉忘れるなよ」
何を思ったのか、“かっこう”の口元が獰猛に歪む。
どうやら何かのスイッチが入ってしまったようだ。とんだとばっちりである。確かにこのふた月の間に凛と士郎はかなり強くなった。いや、戦い方が上手くなったというべきか。とにかく、実力は伸びてはいる。が、そんな程度では一号指定の全力を受け切れるわけもない。だが、こうなってしまった以上はどうにかやり過ごす手段を講じる必要が出てきた。
しかし、と士郎は“かっこう”を盗み見る。以前から感じていた事だがこの少年、表面上は冷めているように見えて想像以上に負けん気が強いらしい。それともこれは単に、相手が“あさぎ”だからなのだろうか。いずれにせよ、“かっこう”の意外な一面を目にしているように士郎は感じた。
“あさぎ”は思わせぶりに士郎たちを一瞥すると、“兜”と“みんみん”の元に歩を進めていく。
「ではボクたちは外すが、キミたちの訓練開始の合図はボクたちが外に出て自動扉が閉まった瞬間でいいかい?」
「ああ」
短く返す“かっこう”。こちらと対峙する彼にその手には、既に愛用の黒い大型拳銃が握られている。
それに合わせて、異論はないと凛も首肯していた。その傍らに輝石の蝶々が顕現する。士郎もまた、外套に巻き付いた太いベルトに括りつけてある双剣に手をかけて、無言の肯定を示した。
「よし、いい結果を期待しよう。終わったらロビーあたりで待っていたまえー。では“兜”、“みんみん”、いこうか」
肩ごしに振り返って満足げに言い残し、“あさぎ”は“兜”達を伴って出口に向かって行く。
それを見送る最中、士郎の頭の中に声が響いた。
『士郎、今回の貴方は弓で後方支援に回って』
『遠坂、本気か?』
眉根を寄せ、思わず士郎は問い返す。
その行動の意味するところは、凛が一人で“かっこう”に白兵戦を挑むという事を意味する。一人が射撃役として後ろに下がる以上、圧倒的な身体能力と射撃能力を誇る“かっこう”を前面で受け止める壁役が必要になるからだ。
しかし、いくら“あさぎ”に格闘戦の指導を受けたとはいえ、“凛”が単独でそれを行う事はあまりにも無謀に思える。士郎としては、格闘戦を挑むのならばバゼットに対して行ったように二人がかりで挑んだ方が得策に思えるのだ。
『あのね、士郎。“かっこう”は全力で反撃してくるとはいえ、それは私たちが攻撃した時か、十秒たっても仕掛けなかった時だけよ。何も真っ向から受けて立つ必要なんてないわ。来るタイミングが分かっているのなら躱す事ぐらいは出来るはずよ』
『はずってお前……。そんな容易いなら“かっこう”は一号指定にはなってないだろ』
『だからアンタに援護を頼むんでしょ。私は狙いが甘いんだから後方支援には向かないわ。でも士郎なら精密な狙撃が出来る。それこそ、相手の反撃のタイミングでカウンターを狙う事だってね』
『む』
勢いに押されて、士郎は押し黙る。
一応、その凛の提案は作戦としての体そのものは整ってはいる。加えて、凛が自身の弓の腕を評価してくれることは彼も嬉しくはあった。それに役割を逆転させたところで、凛自身が言う通り彼女の狙いは甘いので精密な支援は望めないこともある。
それでも、凛の彼に対する評価は過大評価のように思える。彼が出来ることはせいぜい狙ったところに中てる程度のことだ。その程度ではあの“かっこう”に対して、さほどの脅威になりえないように感じた。
迷う士郎を凛の思念が叱咤する。
『あのね、思い出しなさいよ。戌子は、相手にないモノで戦えって言ってたでしょ。ないとまで行かなくても苦手な分野を突けって。でも現実的に私たちは格闘戦で劣ってて、射撃戦でも多分勝てない。二人でかかってもそれは変わらないでしょうね。近距離から遠距離まで、アイツには死角はない』
『それなら一体、』
『最後まで聞きなさい。いい? 私達にしかできない事はそれでもあるのよ。念話による意思疎通と今まで培ってきた連携。それを活かして格闘戦と射撃戦を同時に行えるのは二人いる私達だけなんだから』
強固な意志と自負を滲ませたその思念は、士郎に対する信頼の証明でもあった。
それを、どうして裏切ることが出来るのか。いや、出来まい。だからこそ、相応の覚悟でもってそれに答えるだけだった。
剣の柄から手を離し、背負った長い筒状の入れ物に手を掛ける。その内に収めた黒檀の弓を手に持ち、矢立を背負う。
『……分かった。やってみせるさ。アイツの反撃の機会を、狙って潰す』
『その意気よ。自信を持ちなさい。衛宮君は魔術はへっぽこだけど、ソレに関しては間違いなく一流なんだから』
まるで自分自身の事のように誇らしげに告げて、凛が思念を切る。
それと“あさぎ”達が部屋を出て行くのは全くの同時だった。自動扉が滑らかに、緩慢に閉じていく。その内側のモーターの駆動音まで聞こえてくるようだ。
思考が研ぎ澄まされる。凛が半歩前に、士郎はその逆に。“かっこう”の肩に翆緑の“虫”が舞い降りてくる。かっこう虫と呼ばれる昆虫によく似た姿をしている。広げられた二対の上翅は、朝露に濡れた双葉のようだ。人の夢を食らう怪物にしては、美しい姿だった。
その宿主たる“かっこう”は自然体だ。構えるでも、威圧するでもなく。“あさぎ”が見せるような、戦闘への高揚感も持っていない。ただただ無感動に、無機質にそこに在る。先ほど“あさぎ”に表していた対抗心すら、そぎ落としたかのように起伏が無い。まるで中身のない器そのものだ。
その取り留めのない彼の思考を閉ざすように。開始を告げる自動ドアが、その隙間を埋めた。
刹那、“かっこう”の肩の上の“虫”が爆発する。身体をツタのように変形させた“虫”が、一瞬にして彼の全身、拳銃に絡みつき、全く異なるモノへと変貌させていく。
そう、まるきり違う。ただ、“かっこう”そのもの自体の姿勢は変わっていない。機能的に、無機的に佇む在り方のままだ。だが、その中身が。空だったはずのその中身が注がれていく。その威圧感。空間を呑むかのような強大な咢と向き合っていると錯覚させる程のそれに、背中から潰されそうになる。
ただ淡々と、作業のように。されど、何よりも苛烈に圧倒的に。これが“かっこう”が戦闘に臨むときの姿なのだろう。無慈悲なる特環の処刑人。悪魔としての一面か。一応ルールは守るつもりなのか。自分から仕掛けるつもりはないようだが、一度対峙した事のある士郎ですら改めて実感する程の怪物である。
それでも、まるでそれが涼風か何かのように。凛が前に踏み出していた。肩で風を切るその歩みは、やがて地を叩く疾走に。両の手には宝石が。身を漲る魔力の回転は、士郎ですら感じ取れるほどに鮮烈だ。身体強化の魔術を使ったのか、その速度は肉食獣のそれである。次の瞬間には、“かっこう”へと躍り掛かるだろう。
それを、ただ黙って見ている訳にはいくまい。床を蹴り、士郎もまた走り出す。射手にとって位置取りは重要だ。凛が前衛に立って壁となる役割を果たすからには、それをしっかりと活かしきる必要がある。中途半端な位置、距離にいては“かっこう”の的が分散する。両者の役割を明確にするためには、“かっこう”が拳銃を用いた攻撃以外で容易に捉えられない程度の距離が望ましい。その上で出来るだけ、拳銃にも狙われづらい位置取りがベストとなる。
総合するのなら、“かっこう”の正面から左右四十五度程度の角度の延長線上。距離にして二十メートル強。加えて、“かっこう”の正面に壁となる凛がいる状況が最も好条件である。狙いがずれれば凛に矢が直撃しかねないが、そんな愚を犯すつもりなど士郎には毛頭なかった。
遠方では、既に一撃。掌底による打突を躱されている凛の姿がある。身体強化された凛の打ち込みは、素人ならば目にすら映らない速度の筈だ。それを、子供の遊びのように“かっこう”は避けきっていた。それが二人の間にある純然たる身体能力の差だった。凛がいくら人の限界近くまでその肉体を強化しているとしても。人の域などとうに超越している“かっこう”相手では焼け石に水というものだった。
そして一度仕掛けた以上、“かっこう”は反撃する機会を得る。開かれていた右手が堅く握りこまれた。ただの鉛玉でしかない銃弾が弾倉に装填された時の如く凶器へと変貌する。撃鉄を起こすように振りかぶられる右腕。ゴーグルの下に覗く口元がくいしばられる。あとは拳を落とすだけだ。
それをさせるまい、と士郎は自身の見立てた射撃位置。“かっこう”の右手側四十五度の先にたどり着いた彼は、振り向きざまに弓を構えつつ、矢立から矢を番え終えて射撃体勢に入っていた。その矢自体は何の変哲もないカーボン製の矢である。
「――
瞬時に成立する強化の魔術。今のこの瞬間、矢の鏃は鉄板も貫く硬度を持った。目に見えない形で成果を上げるこの魔術だけが、今彼が用いることのできる唯一の切り札である。
それを、今にも振り下ろされんとしている“かっこう”の腕の関節目掛けて解き放つ。その速度、威力共に速射にしては上出来。一条の閃光と化した一矢は、直撃の暁には間違いなく力の支点を崩して打突の威力、軌道を逸らす事が出来るだろう。
ところが、
「―――っ!?」
恐ろしいまでの反射速度で“かっこう”は振るう腕の軌道を変更し、矢を殴りつけていた。
半ばからへし折れ、あらぬ方向へと錐揉みしながら吹っ飛んでいく矢の残骸。強化の魔術を施した矢を割り箸か何かのように圧し折るとは、呆れるほどの馬鹿力である。
だが、凛への反撃はこれで潰した。一度目の役割は果たせたと言えるだろう。大きく腕を振り払った体制の“かっこう”は隙だらけでもある。凛が攻勢にでる隙も作れた。だがこれで警戒されたはずだ。第二射はさらに精密に狙撃する必要がある。
より集中するために半身に構え、位置取りと射角を調整しながら矢を番える。心は凪いでいる。余計なものは必要ない。今の彼はただ矢を撃ち出し、敵を射抜くだけのモノ。目は照準に。左腕は銃身に。右腕は撃鉄と引き金に。失敗などあり得ない。矢は当たるからこそ放つのだ。問題は、狙うべき個所、瞬間を士郎自身が見極められるかということだけ。
狙いを突ける先で、床を撃つ凛の震脚。空気が痺れるような炸裂音が響く。さながら分厚い鉄板に巨大な鉄釘でも打ち込んだかの如き勢いである。それに乗せて放たれる崩拳。低く腰を落とし、突き出されたソレは“かっこう”の腹を穿ち抜いて余りある威力だ。たとえ防御しても、その上から間違いなく内部に伝導されるだろう至境の一撃。それに既に反応し、体勢を整えている“かっこう”は流石と言える。されど、いかな“かっこう”とはいえ体勢を立て直したばかりでは満足な対応もできまい。
だというのに。それをこともなげに“かっこう”は右手で掴み、受け止めていた。
「なっ……!?」
流石に肝をつぶされたのか。凛の声が裏返っている。
あの崩拳は、そう容易く受け止められるものではない。全身の力の流れを極点集中させたはずのアレは、動きこそ読みやすいがそれ故に必殺の威力を持つ。通常ならばあの一撃は、隙が大きい分防御の上からでも衝撃で体内を破壊する威力を誇っているはずなのだ。だからこそ凛は、体勢を崩した直後で一撃受ける他ない“かっこう”が防御する前提で放ったのだろう。その後の反撃に彼女自身が。そして士郎が合わせやすくするように。
だが、“かっこう”は子供が放った軟球を受け止めるような気安さで容易く掴み止めた。その程度、片手一つで事足りると。絶対の力の差を伝えるように。
それこそ万力のような力で拳を締め付けているだろう“かっこう”の指に、ここからうかがえる凛の横顔が苦痛にゆがむ。おもむろに持ち上げられていく“かっこう”の左手の拳銃。額に合わせられればその照準のままに、放たれた弾丸が凛の頭を吹き飛ばすだろう。
しかし、それを逃れ得る手段は凛にはない。拳を掴まれてしまった以上、肉体強度のあらゆる面で“かっこう”に劣る彼女には反撃も脱出も許されまい。
なればこそ、それを可能にさせるのが彼の役目だった。
「―――ふっ……!」
空気を切り裂く弓の弦。鋭い風切り音が頬を撫でる。解き放たれた矢は一陣の風のように、標的目掛けてひた走る。その射角は掲げられた拳銃を持つ“かっこう”の右腕と、その心臓を同時に射抜ける軌道である。
それにはさすがに対応せざるを得なかったのか、“かっこう”は拳銃を飛来する矢に向けた。
やけにゆっくりに感じられるその瞬間の中、醜悪な“虫”の口腔に変貌した銃口の奥で、火花を散らして回転する弾丸が見えた。
咄嗟に士郎は身を捻り、倒れるようにして横に逃れる。それとほぼ同時に、重い砲撃音が響き渡った。
床を転がる士郎の身体の側を、大型車両が通り過ぎるような突風が煽っていく。
起き上がろうとした体勢がその風によって再び崩れそうになるのをこらえて、彼は立ち上がる。背後から押し寄せる轟音の波。部屋全体を揺する衝撃。照明が不安定に明滅する。強化障壁に弾丸が着弾したのだろう。
しかし、今の間に隙を見つけることが出来たのか。凛は“かっこう”から三間ほど離れた位置で、荒く肩で息をしていた。これで二度、どうにか彼は自身の役割を成す事が出来たらしい。
とはいえ、なんという威力か。振り返って状況を確かめることが恐ろしくなるほどだ。そうやすやすと強化素材の壁に穴が開いているとも思いたくないが、あれを何発も耐えられるようには出来ていないようにも思える。加えて、今の砲撃はさして力を込める時間もなかったはずだ。ノータイムであの威力なら全力の一撃はどれほどの代物となるのか。
唾を飲み込む士郎の頭に、凛の思念が届く。
『ありがと、今のは助かったわ』
『礼は後だ。十秒は安全が保障されてるけど、こんなの全然序の口だろ』
そう、序の口も序の口。今のは互いの実力を直に感じるための一幕だった。まだたった二回の攻防が終わっただけに過ぎない。本番はここからである。
『分かってるわ。次は士郎の矢と同時に仕掛ける。いい?』
『了解だ』
頷き、士郎は再び弓を構える。
だが、事はそう上手くは運ばないようだ。じっと待ち構えるようにして動こうとしなかった“かっこう”が、突然に士郎に向かって突進してきたのである。
その意図は明白だった。今の位置取りを崩すためだろう。凛が前衛に立ち、士郎が後衛として援護する形をとられたままでは“かっこう”としてもやりづらいと判断したのか。
瞬きの間に士郎の目と鼻の先にまで詰め寄った“かっこう”がつまらなそうに口走る。
「まさか、俺があのまま木偶の坊のように突っ立ったままでいるとでも思ったのか? 十秒間、攻撃は出来ないが動けない訳じゃないんだぜ」
「くっ……!」
動揺を抑えながら、“かっこう”から距離をとろうとする。だが、もとより士郎の身体能力は“かっこう”に及ぶべくもない。逃れることは不可能だ。その上、先ほど“かっこう”が攻撃してきてから既に八秒近くは経っている。このままでは、片手に弓を持ったこの状態で“かっこう”の拳をしのがねばならなくなる。
まずは猶予を作らねばならない。凛が“かっこう”を追ってきている。彼女がたどり着くまでの時間稼ぎが必要だ。もしくは、その時間を短縮できる何かが要る。
逃げる身体に急制動を掛け、士郎の空いていた右手が短刀の柄に伸びる。視線は前に。向かい来る漆黒の悪魔を視界に収め、鞘走りと共に剣を抜き放った。
「――はぁっ!」
横一閃。踏込みと共に振るわれた一刀はしかし、身体を折りたたみ、地を滑るような前傾姿勢となった“かっこう”に躱された。だがそんなことは驚くに値しない。もとより彼我の実力差は身に染みて理解しているのだ。士郎の狙いは攻撃などではない。
更に前に踏み出す足。二人の視線が交錯する。その間隙をぬって、士郎は弓を弦の間に左腕を通すようにして肩に引っ掛けた。瞬間、反撃に打ち込まれる“かっこう”の拳。胸を目掛けて抉りこんでくるソレの前に、士郎は自由になった左手でもう一方の短刀を鞘走らせ、右手の短刀と交差して構えた。
「―――同調開始《トレース オン》ッ……!」
間一髪、強化の魔術が成立した刹那、砲弾でも受け止めたのではないかと錯覚するほどの衝撃が両腕、そして胸に走り抜ける。両手の感覚が無くなり、目が眩む。もし“かっこう”の拳を受けとめた両手の短刀が単なる業物程度の代物であったなら。ガラスのように容易く砕かれていたことだろう。いかに強化の魔術を施してあるとはいえ、しなやかに衝撃を吸収して見せたこの雹桜と鵠紅は神業の産物だと実感する。
遅れてやってくる浮遊感。もとより白い室内がさらに白んで見える。吹き飛ぶ最中、風鳴りに混じって“かっこう”の舌打ちが聞こえた。目まぐるしく切り替わる視点の中、眼下に凛が走り抜けていく姿を捉える。走ってこちらに向かってきていた凛の頭上を越えたようだ。自ら“かっこう”に吹っ飛ばされて凛と位置を入れ替えるという思惑は、どうやら成功したらしい。
朦朧とする意識を気合で留める。左手の鵠紅を納刀した士郎は着地体勢を整えつつ思念を飛ばした。
『着地したらすぐに俺はアイツに矢を射る。前傾姿勢になって矢と一緒に突っ込んでくれ』
『分かったわ……!』
力強い返答に頬を緩める。弓を持ち、矢を引き抜きながら、硬い床を両足で受け止めた。
それと同時にすぐさま矢を番える。その先には、こちらに背を向け姿勢を低くして駆ける凛の姿、その向こうには士郎を追いすがって猛然と切り返してきた“かっこう”。
引き絞られる弦が、極度の緊張と共に張りつめる。何も聞こえない。すべてが凍り、停滞しているように感じる。静寂の世界の中、それを破るかのように矢が放たれた。
狙うは“かっこう”の眉間。凛の頭上をすり抜け、一条の閃光と化した矢が空を貫く。
凛もまた、さながら矢の影であるかのようにぴったりとその後に続いた。そうして放たれる掌底。ほぼ同時に迫る二つの脅威はしかし、“かっこう”にとっては脅威足りえなかった。
矢を拳銃の銃床で左から右に横殴りに弾き、“かっこう”はその勢いで身体を大きく捻る。黒衣が踊り、体幹がずれる。上体を大きく逸らす彼の腹を紙一重で拳底が掠めていく。凛が息をのむ気配が頭に流れ込んでくる。その彼女を置き去りに、“かっこう”はそのまま身体を一回転させると速度を落とさぬまま士郎に突進してくる。
振りかぶられる拳。
次の瞬間には振り下されるそれは、幾多の虫憑きを打ち砕いてきた審判の鉄槌だ。特別環境保全事務局という裁定者が下す判決を執行する、無慈悲なる処刑人の断頭の刃。落とされれば、今の士郎にそれを止める術はない。
なら、初めから落とさせなければいいだけだ。
既に番えられていた矢を、一息の間に三本撃ち出す。
その対応の速さは、士郎が先の矢を放った時からこうなることを予測していたことにあった。おそらく、凛と自身の連携では“かっこう”には届かないという事。そして、それを凌いだ“かっこう”が真っ先に彼を潰しに来るだろうという事。それは分かっていたのだ。
初めに渾身の一撃を“かっこう”に受けられている凛は、一対一の状況に持ち込めば勝利は容易いと思われているだろう。しかし、そこに士郎の援護が入ると攻撃に縛りを設けられている“かっこう”ではじり貧になりやすい。だからこそ、彼は一度布陣を乱そうと行動してきた。
連携を潰したうえでの、確固撃破が“かっこう”にとって一番の勝ち筋なのである。それを理解しさえすれば行動を読むことは容易かった。
驟雨のように叩きつけられる三矢。
眉間、喉、心臓の三点を貫く射線。ところが。今の衛宮士郎が行える最大速度の速射といえるそれを、“かっこう”は拳の一薙ぎで全て叩き落していた。
凄まじい。その一言に尽きる。士郎としても、いま出せる自身の実力は全て振り絞ったつもりだ。だが、“かっこう”はそれをまるでものともしない。既に目前にまで肉薄した“かっこう”の拳が唸りを上げている。この攻防は彼の負けなのは一目瞭然だ。それでも、士郎は眉一つ動かさずに背の矢立から矢を引き抜き番えた。
なぜなら“かっこう”の背後に“虫”から零れ落ちた宝石を掴み取って握りこみ、拳を振るわんとしている凛の姿を捉えていたから。
「――
抉るように打ち込まれる凛の拳。
完全に不意を突いた背後からの奇襲はしかし、どんな勘の良さなのか。士郎に振るわれるはずだった拳は軌道を変えて弓を殴りつけ、射角をずらすのみに留めた。同時に“かっこう”は身体を反転させる。
弾かれた弓もろとも、体勢を崩してよろめく士郎の視線の先には。開幕時の焼き直しであるかのように凛の拳を受け止めた“かっこう”の姿があった。
「残念だったな。お前の攻撃がもう少し重ければ危なかったが、これで詰めだ」
淡泊に終結を告げる“かっこう”。
それを前にして、凛はいっそ艶やかと言っていいほど優雅に微笑んでいた。
「ええ、貴方がね」
「なに? っぐぅ……!」
“かっこう”の顔から血の気が引く。
だがもう遅い。凛の拳を握りこんだ時、彼の右手から右半身に至るまで、一瞬のうちに分厚い氷塊に覆われていたのだから。ここに来て初めて明確な動揺を露わにした“かっこう”のその隙を凛は見逃さない。
「貴方が私の拳を軽いと思い込んだのが仇になったわね。私を舐め切ってる貴方が拳打を受け止めてくるのは計算の内だったのよ。それが見事に功を奏した、わっ!」
凝固して身動きの取れない“かっこう”の腹を、凛の強烈なボディーブローが打ち抜いた。
同時に、“かっこう”を拘束していた氷塊が粉々に砕け散る。胴体に一発入れる事に成功。これでこの訓練は終了ということになる。開始前はどうなる事かと思ったが、どうにか切り抜けられたようだ、と士郎は胸を撫で下ろす。
『やったな、遠坂』
『士郎の援護があったからよ。最後の方とか、結局貴方がひきつけ役になってたしね』
『まあ、これくらいしか俺にはできないからな』
ぼやきつつも、士郎は若干むず痒いような心境になる。
思念を切って、彼は視線を“かっこう”に移す。そこには腹を抑えながら、“かっこう”がたたらを踏む姿があった。その口端からは僅かに血が伝っている。
いくら“虫”と同化しているとはいえ、見事に鳩尾に入った一発はさすがに堪えたようだ。忌々しげに口元をぬぐった彼は、その身体から“虫”を分離させた。
「成程な……。アイツが訓練を見たってだけはあるってことか。格闘と弓矢ばかりで拍子抜けかとも思ったが舐めていたのは俺の方だった訳だ」
「そういう事ね。切り札ってのは最後までとっておくものなの。大盤振る舞いしちゃ勿体ないし、すぐ対策立てられちゃうでしょ」
勿体ない、という部分がやけに強調されていたように士郎には聞こえたが、その考えの自体の正しさは今回の結果で証明されている。最小限の力で勝ち筋を見出し、最大の力でそれを手繰り寄せる。そんな効率のいい戦い方を“あさぎ”から学んできた成果だろう。凛の場合は格闘能力が向上した分、戦術の幅が広がった結果が出ている。
元々、凛の宝石を魔弾として放つ攻撃方法は単純明快で強力な使用方法の一つではある。しかし単純であるが故に、万が一火力で劣ってしまった場合に弱く、弾数の消費が激しいという欠点があった。加えて派手な視覚効果を伴うため見切られる恐れもある。
それをカバーするために基礎的な身体能力を向上させ、格闘戦の中に織り交ぜて宝石を用いる手法を“あさぎ”は提唱した。至近距離で必殺確定の瞬間のみ、宝石を用いる戦法である。格闘技術で防御や攻撃を掻い潜った上で叩き込むが為に火力勝負をする必要もなければ、必殺の威力を必殺のタイミングで用いて確実に仕留める方針故に弾数の消費も少ない。無駄撃ちもなくなり、見切られづらくもなる。問題はそもそも格闘戦で負けてしまうと意味を成さないということだった。
当然、それは“かっこう”を相手にする上で大きな課題になる。だからこそ、それを補うために士郎を後衛において射撃援護に徹させるという作戦を練ったのだろう。ハンデこそあったが、士郎と凛共に真っ向から火力勝負しても勝ち目がないことが分かっていた以上、こうする他ないと凛は理解していたのか。
得意げな凛に対して、“かっこう”が胡散臭そうに彼女の側を浮遊する“虫”を見る。
「それで、さっきのは“虫”の能力か? それとも、魔術って奴なのか?」
「両方ね。でもま、一応“虫”の能力ってことにしておいて」
「そうかよ。しかしアレで無指定扱いとはな。厳密には“虫”の力だけじゃないようだから当然だが、詐欺みたいなもんだ」
詰るような言葉の内容に反して、その口調は至極淡泊なものだった。
ただ思った事がふと口から出てしまっただけと言うような感覚。凛もまた、すげなくそれに応える。
「そうかもね。でもアンタにはどうでもいいことなんじゃない?」
「そうだな。お前の号指定がどうなろうが、俺には知った事じゃない」
何が変わるわけでもない、とつぶやいて“かっこう”は背を向けた。
そうして、役目が終わった以上もうここにいる必要もないというように出口に向かって歩き出す。余計な繋がりは不要である、と干渉を拒むようなその在り方。それは孤独か、孤高か。凛の、“かっこう”は作為的外道であるという言葉を思い起こし、士郎はその背中に問いかけた。
「“かっこう”。お前は何のために戦ってるんだ」
何のこともない。ただ、特別環境保全事務局という組織の中にあって悪魔と忌み嫌われるあの少年が何を胸に戦っているのか。それが士郎は純粋に疑問だっただけだ。返答など期待してはいなかった。だが予想に反してゆらり、と”かっこう“は足を止めていた。
「何のために?」
低い声が返る。
憎悪すら滲んでいるように感じるその響き。それでいて、どこか不安定さが混じった声色だった。例えるなら拳銃を引き抜いて構えたものの、狙うべきものが見つからずに戸惑っているかのような。
しかしそれも一瞬だったのか。“かっこう”が、肩ごしに剣呑な赤い目を走らせる。
「虫憑きが戦う理由なんて、一つだけだろ。自分の夢と言う、エゴのためだ。それ以上でもそれ以下でもない。それ以外のモノを理由に戦っているような奴は大概何かを誤魔化しているか、そう在る事に耐えられない奴だけだ」
抑揚の無い口調で“かっこう”は述べ立てた。
夢。それだけで聞けば耳触りが良く、綺麗なモノのように思える。だがそれを“かっこう”は、あえてエゴと表現した。夜空に輝く月をただの岩石の塊であると言い捨てる、世捨て人の如き思考。夢を戦う理由にした時点で、それは独善に成り下がるとでも言うように。
その言葉にいかほどの思いが込められていたのか。“かっこう”とて、夢を抱いたからこそ虫憑きになったはずだ。一体何が、その思いをエゴと断言できるまでに歪めたというのだろう。凄惨な初陣の経験によるものなのか、“ふゆほたる”から受けた何がしかの影響故か。いや、おそらくそれだけで言い表せるほど単純なモノでもないのだろう。
胸にしこりが出来たような引っ掛かりを覚えながらも、士郎は“かっこう”を見据える。
「ならお前もそのエゴ。夢のために戦っているっていうのか」
「何度も言わせるな。それ以外は欺瞞なんだよ。虫憑きなんて奴は結局、どいつも独り善がりで自分勝手な奴ばかりだ。自分の夢のために周りを踏みつけてもなんとも思わないような人種。そいつらの中でも極め付けが一号指定なんだぜ」
そう“かっこう”はせせら笑う。
虫憑きたちを、そして“かっこう”自身すら嘲弄するような言葉。その理屈がどうにも癪に触って、士郎は硬く拳を握りしめ、挑むように睨み据えた。
「そうかよ。じゃあ、お前の周りを踏みつけにしてまで通したいエゴって一体なんなんだ」
「……お前には関係のない事だ。特に、虫憑きですらないお前にはな」
侮蔑も露わに言い捨て、再び“かっこう”は歩き出す。
それに返す言葉が見つからずに士郎は口をつぐんで唇を噛んだ。しかし、その彼の横から凛が進み出る。
「なら、私ならいいのかしらね。“かっこう”」
魔術師にして虫憑き。異端ではあるものの、彼女もまた虫憑きには変わりない。その中身こそ別人ではあるが、“かっこう”はそれを知る由もない上、ほぼ同一人物なのだから誤差の範囲だろう。
が、“かっこう”は振り返る事すらせず、凛の問いをにべにもなく切って捨てた。
「なわけあるかよ。お前も同じだ。お前たちの戯言に付き合ってる暇はない」
結局そのまま、出入口にまで足を止めることなく“かっこう”は訓練室から去って行った。
訓練室を後にした凛と士郎は、特環のロビー。その座椅子に腰を落ち着けてジュースを飲みながら一息入れていた。そのまま四半刻程立った時、“あさぎ”がひょっこりとロビーに顔を見せた。
「ふむ、その様子だと無事に“かっこう”に一撃入れたようだね。できれば彼に感想、もとい負け惜しみを聞いてみたかったのだがもう帰ってしまったかー」
くつくつと悦に入った様子で喉を鳴らしながら“あさぎ”は歩み寄ってくる。“かっこう”はさっさと帰って正解だったのかもしれない、と士郎に思わせる程度には底意地の悪さがにじみ出た顔をしていた。
彼女が連れて行った筈の“兜”と“みんみん”の姿はない。それが気にかかって、士郎は口を開いた。
「あの二人はどうしたんだ?」
「ああ、彼女たちは訓練が終わった時には疲労困憊で足腰が立っていなかったのだよー。仕方ないからそのまま解散にしたのさ」
なってないね、とばかりに大仰に肩をすくめる“あさぎ”。
それだけで“兜”と“みんみん”がどれだけ絞られたかが容易に想像できる。最後の訓練というお題目でなにをやらされたのかはわからないが、とりあえず士郎は心の内で合掌した。
なにせこれまでに彼女が山場と定めた訓練が行われた時の過酷さは筆舌に尽くしがたいものがあったからだ。恐ろしいところは人間慣れと言う物があって、今となっては順応出来てしまっていることである。それはそれで、士郎自身が成長出来ている証ではなのだから嬉しくもあるのだが。疲労困憊しているとはいえ、最終訓練を終えられたあの二人も相応の地力を身につけられたと実感しているころではないだろうか。
感慨に浸る士郎を余所に、“あさぎ”は語を継いだ。
「で、特環最強と言われる同化型の虫憑き、“かっこう”と一戦交えた感想はどうだい?」
「ハンデ分差し引いても出鱈目ね。能力自体は単純だけど基礎能力が飛び抜けてるから死角ないし。真っ当にやって勝ちを狙うのはまだ難しいかな」
至極落ち着いた様子で凛が答える。
士郎としてもそれは妥当な評価だろうと思う。ハンデのない“かっこう”相手なら、今回の作戦は通用しなかった。凛が格闘戦を挑みにいった時点で出頭を叩かれて敗北が確定してしまう。中距離でも単純火力であの拳銃を上回れる代物を凛も士郎も持っていない。仮に士郎が投影を解禁したところで、中途半端な距離では真名を使うような隙などないだろう。よって真正面からぶつかったところで敗北は必至。せいぜいが殺されないように逃げ回る程度しかできない。
「ああ、だろうね。冷静な自己分析だ。しかし“まだ”、ということは今後の可能性が見えているのかな?」
揶揄するような“あさぎ”の声は相変わらず愉しげだ。
だが凛は口端を吊り上げて、意趣返しとばかりに“あさぎ”を見返していた。
「当然よ。大体、それが出来るようになる見込みが無かったらアンタもここまで指導はしなかったでしょうに」
「なるほど、確かにそうかもしれない。これは一本取られたかな」
はっはっは、と“あさぎ”は肩を震わせて大笑する。
いつも薄ら笑いばかり浮かべている印象から、こういった声を上げて笑っている彼女はとても珍しいように思う。だがそれよりも、それだけの期待を込めて指導してくれていたのかと思うと面はゆい気持ちになった。苦しげに腹を抑えて息を吐きながら、笑いを収めた“あさぎ”が顔を上げた。
「なに、ボクが保障しよう。キミたちは強くなったし、これから先さらに強くなる」
「ええ、そうなって見せるわよ。そこのところ、貴方の目は確かだし」
強固な自負でもって“あさぎ”を見返し、凛が頷く。
事実、“あさぎ”の訓練の結果が出たのが今日の訓練だった。ふた月前ならばこうはいかなかったと凛も理解しているのだろう。
「まあ、後は実戦あるのみだ。今後のキミたちの戦果を期待しているよー。華々しく活躍してくれればボクも鼻が高い」
茶化すように言って、はにかむ“あさぎ”。
しかし不意に表情を引き締めた彼女は、真っ直ぐに二人を見つめた。
「さて、これでボクがキミたちに行う訓練は終了、という訳になる。それにあたって最終評価を下そう」
普段と変わらぬ、やや偉そうで。それでもどこか気の抜けた声だ。
背伸びしている少女のようでありながら、嫌に貫禄のある特徴的口調。そんな、今日で最後となるだろう教官としての言葉に耳を傾けるべく、士郎と凛は居住まいを正した。
「まず、凛。キミは能力は申し分ない。火力、応用力共に水準以上だ。応用力に関してはトップクラスかもしれないなー。格闘能力も伸びた今、消耗を考えず全開で戦えば高位号指定にも引けはとらないだろう。ただ、自分でも分かっているかもしれないが少々大雑把に過ぎる。作戦を練っているように見えて、肝心なところがすっぽり吹っ飛んでいたりするからね。足元を掬われないようにすることだー」
容赦のない批評に、凛が痛い所をつかれたとばかりに視線を泳がせた。
言われた通り彼女自身、自分の欠点を深く理解しているからだろう。なんでも凛の家系は代々、ここぞというところで盛大なうっかりをやらかす体質らしい。士郎としても彼女がやらかした場面に幾度か立ち会っているので全く否定できない。凛自身がわりと豪胆な性質であるということもあるだろうが、大雑把という論評は的を射ているのだろう。
「っ……分かってるわ。目下最大の欠点だもの、意地でも治すわよ」
「よろしい。さて、次は士郎に関してだけど。まず地力が心もとない。といってもまあ、生身で虫憑き相手に“心もとない”で済む域にまで踏み込んでいることは驚異的だけどねー。そしてその足りない地力の補い方をよくわかっている。戦闘者として大切な要点は押さえているだろう。
ただ、キミは少々……。いや、“だいぶ”向こう見ずなきらいがある。問題はキミ自身がその行動がどのような結果を招くかを冷静に分析で来ていて尚、無茶を通しているという事だよー。目的のために恐怖や痛みを超えて動けることは強みでもあるが、生還を第一とする戦士としては欠点でもあるのさ」
結果として死んでしまっては元も子もないからねー、と“あさぎ”はぼやく。
隣で凛が息を呑む気配がする。言葉を返そうとしていた口が硬直して動かない。覗き込むような彼女の目の中に、湖面に映る月のように表情すら不確かな彼の顔が浮かんでいた。それが、士郎自身何度も突きつけられている彼の歪みである。曰く、己が勘定に入らない。命の勘定をしようとして大も小も切り捨てられずにどちらも守ろうとして、結局天秤そのものである己を壊してしまえる異常性。
「何がキミをそこまで駆り立てているのかは知らないし、不躾に訊くつもりもない。ただ、行き過ぎた行動理念は人を怪物に変えると覚えておきたまえー。何事もバランスが大事ということだね」
そう、シニカルに“あさぎ”は笑う。しかし、この短期間でよくここまで人の核心を突いて行けるものだ。やはり彼女は教え子を良く見ている。
一応、士郎の行動の根幹は単純なのだ。出来るなら誰にも傷ついて欲しくない。目に映る人くらいは、笑っていてほしい。絶望して空に伸ばされた手を、掴んでやりたい。そう思ってしまったら、動くことを止めることが出来ないのだ。死ぬことが怖くない訳ではない。痛みがないワケではない。ただ、目の前で零れていくモノを、見過ごすことが出来ないだけ。
だが、それを間違いだとは思わない。誰かを救いたいと思う心が、間違いであるはずがないと啖呵を切ったからこそ今の彼がある。故に自分を曲げるつもりなど、毛頭なかった。
士郎が言葉を紡ぐより早く、彼女は口調を和らげて続けた。
「責めている訳ではないのさー。戦士としてはもう少し理想的な精神状態があるのだが、キミは精神的に突き抜けてしまっているように見えて感受性を失っていない。これはボクとしても意外なんだけどね。こういうのもアリかな、と思ってしまえるところがキミの面白いところなのだよー」
「なんていうか、褒められてる気はしないな」
「当然だ、馬鹿者ー。あくまでもアリだと思えるだけで、良いと言っているわけではないのだー。改善できるならしたまえよ。こういう精神的なことは改善しようと努力を続ける姿勢が大切なのだ。行動の是非はともかく、異常を異常と認識し続ける努力や葛藤を放棄した人間は、その時にこそ完全に“壊れて”しまうのだからねー」
窘めるように言い聞かせてくる“あさぎ”。何故だかその台詞はやたらと含蓄があるように思えて、士郎は思わずうなずき返していた。彼女はどこか満足げに士郎を見返すと、僅かに間を置いてから口を開いた。
「個人評はこんなところかな。ここまでで語ってきたとおり、個人個人で見ると穴は多い。手放しで優秀と言えるようなモノではないねー」
実にすっぱりとした口調で、彼女はそう言い切った。
分かり切った事であったが、やはり手厳しい。士郎としては耳が痛い評定内容である。とはいえ彼自身、己の実力不足はよく弁えているつもりだ。むしろ、酷評されなかっただけ随分成長したと言えるのではないだろうか。彼女は教え子の評価に手心を加えるような人間ではないので、最低限無能と言われるようなひどい有り様ではないのだろう。かといって喜べる結果ではないのも事実なのだが。
しかし、てっきりそこで評価は終わりだと思っていたのだが“あさぎ”にはまだ先があるらしい。彼女はやにわに柔らかく微笑むと、おもむろに言葉を紡いだ。
「それでも、キミたちは一人一人だと危ういところがあるが、二人そろっていると何故かそれが強さに変わる。本当に面白いことだよー。いや実際のところこれがあったから欠点も気にならなくなったのかもしれないなー」
ま、これでキミたちの評価は終了だ、と“あさぎ”は二人に背を向けた。
それは普段教え子を甘やかさない彼女の最大限の賛辞であると言えた。完全に不意打ちである。まさか最後の最後で褒めてくるとは思わず、思考が固まっている。困惑と、嬉しさがごちゃ混ぜになって口が動かない。
その間に、彼女は歩き出していた。
「しんみりした別れは柄じゃないのでねー。ボクはいくよ。何、この先生き残り続けたならいつかまた会える時も来るだろう」
ひらひらと手を振る“あさぎ”。
その小柄で線の細い彼女の背中が、遠ざかる。戦闘時の圧倒的なまでの強さと、頼もしさを微塵も感じさせない飄然としたその後ろ姿。しんみりした別れは嫌だと彼女は言った。ならばこちらもそうしよう、と我に返った士郎は精一杯の感謝をこめて黙礼を送った。表情を緩めた凛も彼に倣う。その意志が伝わったのか。最後にもう一度だけ手を挙げた“あさぎ”は旅人のように黄色いカッパの裾をはためかせ、迷いのない歩みで颯爽と去って行った。
ここで少しお知らせを。
この第二部、全話書き上げてから投稿するつもりでしたが、実はまだ最後の詰めが完成していませんでした。投稿中に書き上げられると思っていたのですが、少々自分の遅筆ぶりを侮っていました。プロットは立っているため大まかな筋を通すだけなので書き上げることは出来そうですが、次回の投稿に間に合いそうにないです。本当に申し訳ありません。
出来る限り頑張って仕上げていくつもりです。最悪書き上がった時にまとめて投下するのでその時までお待ちいただけると幸いです。